『箱庭の少年少女』――やがて、世界へ羽ばたこう。

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第3話


 ――ファルネース、アトランテ大陸、アナトリア連合、港湾都市ナトレ。

 ジョアンから魔法の筒をもらった翌日の朝、外に出たニコルは、庭に植えられた草花に水を撒いている少女に声をかけた。
「おはよ。ティナ」
「おはよー。ふわあ……」
 盛大な欠伸をみせたティナに、微かな苦笑を浮かべながら、ニコルは尋ねる。
「昨日、夜更かしでもしたの?」
「ううん。途中で目が覚めちゃった」
 ティナの顔色が急に曇ったことに、ニコルはすぐに気がついた。
「何か、あったの?」
「いや……えっと」
 暫く逡巡していたが、やがて、決心したようにティナは口を開く。
「昨夜、いや今日になるのかな。お父さんがお母さんに、山の中に“ゲート”が開くかもしれないって話してたの」
「えっ、ゲートが!?」
 ニコルは黒色の瞳を大きく見開いたまま、ティナの顔をまじまじと見つめる。
「もう少し、詳しく教えて!」
 興味津々といった様子で、ニコルはティナに尋ねる。
「いいけど」
 幼馴染みの深刻そのものといった表情に戸惑いつつも、昨晩、偶然に耳にすることになった一連の話を、記憶の跡を辿りながら、ティナはゆっくりと紡いでいった。
「ナトレの東のカンディアとの国境のあたりの、デーナスナイトなんだけどそこのマナ濃度がここ数日おかしかったんだって」
「ティナは、マナのことに詳しいの?」
「私が知ってるんじゃないわ。言ったけど、お母さんとお父さんが話しているのを聞いたの」
「ティナのお父さんもお母さんもマナ使いじゃなかったよね?」
「お母さんの親友がマナ使いなの。お母さんは今回の話をその人から聞いたみたい」
 ヒュマンは、一部の例外を除いてマナの存在を感知できない。しかし、最初からファルネースに住んでいるファルンは、マナの存在を察して、何らかの形で利用できる者が多い。
 しかし、多くのファルンの能力は、気配を集めて集中力を高めるなど、あくまで内面的なものにとどまっている。
 世間で時折、騒がしく語られる『マナ使い』のように、魔法を使ったとしか思えない不思議な力、つまり、火水を自在に操ったり、傷を負った者を癒したり、未来の出来事を予知したりすることができる者は少ないのだ。
 更に、『マナ使い』となるには、生まれつきの能力だけではなく、マナの組成や原理を学び、応用するという、長年に渡る努力が必要となる。よって、ただでさえ珍しいのに、ここ、海流によって閉ざされた大陸アトランテでは、なおさらのことお目にかかることができない。今でも時々、外から遭難してくる者がいるが、ファルンと言えばその限られた人々だけであった。
「マナがおかしいとゲートが開くの?」
 ニコルは尋ねるが、ティナは馬鹿にしたような表情になる。
「マナが高くなるとゲートが開くって授業で習ったじゃないの。あなたはほんと向上心ってものがないのかしら」
 ティナはたまに大人びる。それが単に大人の真似をしているだけではなくて、実際のものであるようにニコルには思えてしまう。
 そう考えると、何も考えていない自分がたまに恥ずかしくなる。厳密に言えば、あまり興味を持てるものが少なすぎるのではあるけど……
「その、マゼンダさん、というのだけど」
 黙りこんでしまったニコルを見て、ばつが悪くなったのかティナは切り出した。
 深く息を吸って、ティナは言葉を続ける。
「直に会えば、もっと詳しいことを教えてくれるかもしれない。学校休みだから、今から行ってみる?」
「うん!」
 互いの顔を見て頷くと、ナトレの西にあるマゼンダさんの邸宅に向かった。
 少女が玄関の隣に備え付けられた呼び鈴を持ち上げて軽く振ると、澄み渡った音色が周囲に響き渡る。
 二人が暫く待つと、木製の扉が鈍い音を立てながら開いた。
「こんにちは。マゼンダさん」
「おやおや、いらっしゃい、ティナちゃん」
 やや細身の女性は朗らかな笑顔を浮かべて、二人を招き入れた。
「こちらの男の子は、ティナちゃんのお友達かい?」
 興味深げな視線を向けられて、少年は小さく頭を下げながら言った。
「ティナの向かいに住んでいるニコルです」
「きちんと挨拶のできる子だね。最近では珍しいよ」
 両腕を組みながら感慨深げに頷くと、言葉を続ける。
「ちょっと上がって待っといておくれ。今、お茶をだすからね」
 マゼンダは機嫌良く二人を居間に招き入れると、台所へ向かった。
 案内された居間の壁際には、大きな本棚がいくつも置かれており、中には分厚い本が詰め込まれている。
「どうぞ。召し上がれ」
 冷えたお茶に、口をつけると舌端から甘い感触が拡がり、二人の表情がほころぶ。
「美味しいです」
「お菓子もあるよ」
 マゼンダは、缶から出したビスケットを大皿に盛りつけながら微笑んだ。
「ところで、今日は何を聞きにきたのかい?」
 来訪者たちに、茶菓子を振舞った後、マゼンダは少し改まった口調で尋ねる。
「マナのことで聞きたいのです」
「ほう」
 マゼンダは小さく息を吐き出して、少女の瞳を見つめた。
「小母さんは、急激にマナが増えているって、母に話していましたよね。それって、やっぱり母に言ったとおり、“ゲート”が開いたってことですか?」
 小母の返事を待たず、ティナはお茶を卓上に置いて、一気に言葉を紡ぎ出す。その瞳は期待に輝いていた。
「ティナちゃんはやっぱり、ゲートから来る人に憧れを抱いているんだね」
「だって、外の世界どころじゃない、異世界のヒュマンでしょ? このアトランテにはずっと現れてないって言うじゃない!」
 確かに、このアトランテにはヒュマンはいる。
 しかし、それはヒュマン同士の子孫である、いわれるヒュマン二世と呼ばれる存在であったり、外から流れてきた同様のヒュマン二世だったりする。つい先日まで異世界アースに住んでいたというヒュマンは今の一度もこの地に訪れていない。何せ、貴重な存在なのだ。
「ヒュマンはね。力が強いんだよ」
「そんなのわかってます。遥か昔、この地に訪れたヒュマンもそうだったと聞いています。アースの格闘技を身につけた英雄のヒュマン“ホワン・フェイ・フー”もそうじゃないですか! このアトランテの草生期に尽力してくれた。体力もない、マナも使えない私たちアナトリアの民の代わりにこの地を切り開いてくれた!」
 ホワン・フェイ・フー。
 アトランテに住むひとりの少女“スゥ=フォルマ=フォルナ”と共に、幻獣の跋扈するノア島へと渡り、それらを討伐しノア島を人が住める島へと変えた英雄の名である。この二人の伝説は今もこのアナトリアに永く伝わっている。ナトレの街の子供たちは皆その話を聞いて育つ。ティナもニコルもそうだった。
 しかし、マゼンダはそんな少年少女の夢を一蹴した。
「それはその人がただ正義感にあふれていただけの話さ。見知らぬ世界に放り出されて、自暴自棄になっているものもいるし、初めから危険な性格の人もいる」
「で、でも」
 ティナは口を挟もうとした。
「レキサンドラの話を知っているかい?」
 マゼンダは目を細めながら、唐突に切り出した。
「えっと……昔話の予言者のことですか」
 授業で聞いた記憶があるティナは答えたが、ニコルは首を左右に振った。
「むかしむかし、あるところで戦争が始まりました」
 マゼンダは、口調を変えて話し始める。
「戦いは激しく、永遠かと思われる程長く続きました……」
 ……しかし、ついに攻略をあきらめたのか、攻撃側は大きな戦利品を残したまま、退きました。
 守備側の住民の中に、レキサンドラという予言者がいました。彼女の予言は必ず当たることで有名でした。レキサンドラは住民に向かって、『戦利品を
中にいれるな』と警告しました。
 しかし、彼女の予言はまた、誰にも信じてもらえないという宿命を負っていました。住民たちは、レキサンドラの言葉に耳を傾けることはなく、巨大な戦利品を街に引き入れました。その夜、中に潜入していた敵国の兵士によって城門は開かれ、街はあっけなく滅ぼされてしまったのです――。
 醒めた表情で淡々と物語を紡いでいた、マゼンダが深く息を吐いた。
「このアトランテはね。確かに不便かもしれない。だがね。外からは攻められない」
 壁に掛けられた置き時計から、生み出される規則的な音だけが、静寂が支配した居間に存在感を主張している。
「……中から」
 ニコルは無意識に口にしていた。
「そうだよ。狭いアトランテ。中から強大な力にやられるとひとたまりもないんだよ。だからこそ、慎重にならなきゃいけない。ほんとなら、アナトリアだのカンディアだの。分かれてあれこれ騒いでいる場合じゃないのかもしれない。いつか、そう、いつか。大魔王なんて呼ばれる存在に襲われる日が来るかもしれない」
「だから、今回のようなゲート一つ開いたにしても、慎重になるべきなんですね」
 ティナが言うと、マゼンダは頷いた。
「議会でも一応提言したんだけどね。誰も聞き入れてくれなかった。英雄のヒュマンの話を持ち出されて、歓迎すべきだなんて言われたよ。良くも悪くも、彼らの伝説は今なお全ての世代の人に慣れ親しまれてるんだねえ。アトランテの外から来た私にはその感覚がよくわからないよ」
 心配そうな表情のティナとニコルを見て、マゼンダは首を振った。
「まあ、今回の件は大丈夫だと思う。私はかつて占いを生業にしていたからね。今回は問題じゃない。ただ、そう遠くない未来に何かが起こりそうな気がするんだよ……。そんなときにも、今回のようにノンビリとしていて欲しくない」
「マゼンダさん……」
 ティナは、ナトレの街で生まれ育った。
 学校が終わった後に、ニコルと一緒に駆け回った露天街で、紅い石がはめ込まれた可愛らしいアクセサリーを見つけ出した時はとても嬉しかったし、近所の八百屋に、母親から頼まれた野菜を買いに行くと、店の主人が時々、甘い果物を一つだけサービスしてくれるのも、楽しみだった。
「私は、この街が好きです。だから……」
 ティナは透き通るような声を震わせた。
「もっと色々教えてください。そのときが来たら、私はニコルと一緒に戦おうと思います」
「ふふ。性根の強い子は好きだよ」
 緑茶の残りを飲み干したマゼンダは、小さく頷くとゆっくりと立ち上がった。そして、重い空気を打ち払うように言った。
「おいで。ふたりとも」
 長くふわりとした茶色のスカートを微かに床に引き摺りながら、ゆっくりと奥の小部屋に向かって歩いていった。

「うわあ」
 扉を開けて中の部屋に入ると、ニコルは息をのんだ。
 マゼンダに連れられてきた部屋は、厚いカーテンで外からの光を完全に遮断している。そして、中央のテーブルの上には、大きな円盤が置かれている。
「綺麗……」
 暗い色を基調とした円盤上に、淡い光の粒が無数に散りばめられ、宝石のような輝きを放っている。
「これは何を意味するのですか?」
 一方、表情をあまり変えないティナは、冷静な口調で尋ねる。
「まず、円盤は世界の位置を示しているのさ。ちなみに、大陸は黒、海は紺色だよ」
 二人は目を凝らして見つめると、次第に海と大陸の違いが見えてくる。
 他の大陸と比べると小さな、アトランテ大陸が中央に位置し、海を隔てた東にはミディリア、北にノルダニア、西にカウムース、南にバオウという名前を付けられた広大な陸地が、アトランテの周囲を囲むように描かれている。
「アトランテの外って、こんなに広いんだ……」
 ティナが感動したようにつぶやく。
「この光の粒は、マナがたくさんある場所。ティナちゃんは、この街、ナトレが何処にあるかは知っているよね」
「ええ」
 セミロングの黒髪を揺らしながら、少女は腕を伸ばした。
「正解だよ」
 マゼンダは満足そうに頷いた。
 大地の一部にほんのりとした白い明かりを、ティナの指先は指し示している。
「マゼンダさん。アナトリア連合とカンディア連合の間くらいにある大きな光は何ですか」
 ニコルは、ひときわ大きな輝きを見つめながら尋ねる。
「マナの集まる特別な場所を除くとね。基本的には、街には人が密集しているから、マナも引き寄せられて、周囲に比べると明るくなる」
「だけど、この場所は無の土地デーナスナイト。山と森ばかりだから」
「あっ、なるほど」
 少女は小さく呟いた。デーナスナイトという名前は聞いたことがある。
「そう。本来、何も無いところが急に輝くのは異常なことなの。それに、ほとんど一夜にして現れたのも気になるね。普通マナは徐々にたまっていくものだから」
「一晩で、ですか?」
 ティナは、大きな瞳で、光の粒を見つめ続ける。
「マゼンダさんはいつもこれを見ているのですか?」
 ニコルの問いかけに、苦笑いを浮かべながら返す。
「まあ、一応、アナトリアの未来を担う、数少ない『マナ使い』だからね。マナの性質の見極めも仕事の一つだよ」
「マゼンダさん!」
「なんだい?」
 ティナの指先を見つめると、先ほどまであった光が消えていた。
「おや、消えた……ということは、おそらく」
「ゲートができたの?」
 マゼンダは頷く。
「マナが高くなりすぎると、周囲に異変をもたらす。それをどこかへ逃すための浄化作用がゲートなんだよ」
「そうなんだ! マナが多いとゲートできるとしか知らなかった……」
 ティナは感心したようにつぶやく。
「アトランテではまだ外の世界より学問が進んでないからね」
「アトランテは田舎なのか……」
 ニコルはちょっとショックを受けた。
「いや。アトランテにはアトランテにしかない良さもある。マナガンなどの銃産業は正にそれだし、そういった積み重ねから、アトランテの人たちは皆、手先が器用だ。おそらくこれは他のファルン、どの氏族の追従も許さないだろうよ。そしてそれは、これから先もっともっと伸びていくと思うよ」
 マゼンダさんがにっこりと笑う。
「アトランテにしかない良さ……」
「そう。それを伸ばしていくのがニコルくんたちの世代だと思うわ」
 何気ないマゼンダの言葉が、少年のニコルにはすごく大きい。
 ニコルはあまり目立たない少年である。ジョアンさんのように、むしろ人が興味を持たないようなものに興味を惹かれる。
「ニコル」と隣にいた少女は声をかける。
「いま、自分が目立たないって思った? そんなことないよ。目立たないところでもがんばってるニコルを私は知ってる」
「縁の下の力持ちだねえ」
 マゼンダは微笑む。
「ふふ。私には、ティナを陰ながら支えるニコルの姿が思い浮かぶよ。あ、これは占いね」
 マゼンダが冗談を言い、「マゼンダさん!」と顔を赤くしたティナが叫ぶ。
 そして、ティナは思い直したように、「さっきは向上心がないとか言ってごめん……」と小さく謝った。
 そんな二人を尻目に、マゼンダは先ほどの光の消えたあたりを眺めていた。虫眼鏡を取り出しじっと見つめていたが、やがて諦めたように左右に首を振った。
「これは……もう少し調べてみないと分からないね」


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