『箱庭の少年少女』――やがて、世界へ羽ばたこう。

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第4話


 ――ファルネース、アトランテ大陸、アナトリア連合、アルティナ。

 アルティナの街は山脈の入り口に位置しているため、旅人に必要な装備を整えることができる様々な施設が整っている。メインストリートには、武器や防具を売る店、道具屋、薬屋、そして、宿屋等が立ち並び、小規模ながら、なかなか賑わった街である。
「里佳ちゃん〜疲れたよ」
 汗まみれになった制服が、べったりと身体に纏わりつき、疲労と不快感が重くのしかかる。岩場から見下ろした時は、手に取るように近くに見えた街だったが、実際に到着した時には夕方になってしまっていた。
「文句言わないの」
 里佳も疲れているが、基礎体力の差は明白で、佐奈ほど大きなダメージを受けてはいない。
「せっかく街についたけど、どうすればいいか分かんないよ」
「だから、落ち着きなさいって」
 街の入り口を示す門の前で、佐奈をたしなめると、再びバッグのチャックを開けて、茶色い粉末が入ったガラス瓶を取り出す。
「何それ?」
「まあ、見ときなって」
 里佳が街の中に入ると、早速、通りを歩く三つ編みをした少女に声をかける。
「ごめん。道具屋ってどこかな」
「あ、あの……」
 長身の美少女に甘い声をかけられた、女の子は顔を赤くして頷く。
「あちらにあります……ついてきてください」
 俯きながら、里佳を促した。
(里佳ちゃんの女ったらし!)
 心の中であげた叫び声は、当然ながら届くことはなく、二人はどんどん先に進んでいってしまう。
 慌てて後を追いながら、根本的な疑問が胸にこみあげてくる。
(そもそも、どうして、日本語が普通に通じるのよ)
 しかし、佐奈が疑問を解消する間もなく、少女は古い建物の前で立ち止まった。
「あの……ここです」
「ありがとう。ユリナちゃん」
 手を取りながら囁き、名残惜しそうにしている少女と別れると、里佳は扉を開いた。
「いらっしゃい。おや、妙な格好をしたお嬢さん方だね」
 分厚い眼鏡を直しながら、白い顎鬚をたくわえた老店主が呟いた。
「こんにちは〜おじいさん。ここって、お店の人が買ってくれたりもするんだよね」
 いたってフレンドリーな調子で話しかけると、店主は頷いた。
「ああ、そうじゃが。何を売ってくれるのかい?」
「これこれ」
 先ほど取り出したガラス瓶を見せる。店主は眼鏡を外すと、小さなルーペを取り出す。
「蓋を開けるよ」
 少女が頷くことを確認してから、店主は蓋を外した。
 そして、ガラス瓶に鼻を近づけて匂いをかぐ。
 一連の作業を黙って見ているが、何をしているのがさっぱりわからない佐奈はただ見続けることしかできない。
「ん……純度高いね。ノア島でとれるのよりももっと良い。外の世界のものかのう」
 一言呟くと、奥の棚の鍵を空けて、中の物を取り出す。
「これくらいじゃな」
(き、金貨だああ)
 紋章が刻まれた、3枚の眩い光を放っている高額そうな貨幣に、佐奈は息をのむ。
「ありがと、おじいさん」
 一方、里佳は小さく笑うと、ガラス瓶を渡して、金貨を懐に納める。
「佐奈。いくよ〜」
「お嬢さん。また来なされ」
「どういうこと?」
 街のメインストリートを闊歩しながら、佐奈は里佳に問いかける。先程から自分の分からない所で事態が進みまくっているのを、呆然と眺めているのは、何とも腹立たしい。
「分かったから、その前に落ち着こうよ。流石に一息入れたいよ」
「でも、どーするの。お金持ってないよ。あっ」
 さっき入ったお店で手に入れた金貨を、使うつもりか。
 佐奈には分からない文字ではあったが、何となく『宿屋』を連想させる、絵柄が描かれた看板をくぐり、中に入っていく。
「いらっしゃいませ〜」
 受付のカウンターに、茶髪を後ろで結わえた少女が微笑んでいる。
「よければ、ここで泊まりたいんだけど」
 里佳はにっこりと笑いながら、少女の手をとった。
(だから、いちいち、なんで女の子の手を握るの〜)
「あ、はい。是非ともお泊りください」
 顔を赤らめながら、はにかんだ少女は宿泊の手続きの書類を出す。佐奈はさらさらとそれに記入し、渡す。
「えっと……これ何語ですか?」
「え? あっ。日本語書いちゃった」
 受付の子は不思議そうに首をかしげ、思い当たったように手をポンと叩いた。
「外の大陸の方ですねー。あの激流を流されてきて災難だったでしょう。あ、それと、もしかしてヒュマンですか? 私マナの流れを少しなら読めるんでわかるんですが、お二人はファルンではないですよね。もちろんハーフとも違う……」
(まずい)
 佐奈は、顔がこおばる。所詮、いわゆる自分たちは異邦人で、こちらの世界の常識なんか全然知らない。
 焦りまくる少女の横で、里佳が全く動揺をみせずに言ってのける。
「ごめんね。私たち、別の世界からやってきたばかりで、分からない事ばかりなの」
(そんな、真っ正直に言っても信じて貰えるわけないでしょー)
 心の中で激しく突っ込みを入れるが、少女の反応は佐奈の予想外だった。
「え、まさか……異世界、あの、来訪者の子孫ではない、正真正銘のヒュマンさんですか」
「は……?」
「たぶん、それ」
「伝説の人と会えるなんて感激です!」
「え?」
「ええ、伝説にあるんですよ! 世界が危機に訪れるときに、来訪者と呼ばれる異世界からの来訪者が、私たちの住むアトランテ、えっと、ここの大陸のことですが、危機を救ってくれたんですよ」
 いきなり、てんぱった事を話しまくる少女は、勝手に納得したようで……
「それなら、口頭で構わないのでお名前だけお願いします」
 と、だけ言った。訳の分からないまま、窮地を脱した佐奈がほっとする間にも、里佳と少女の会話は進んでいく。
「私は、立沢里佳。里佳の方が名前ね」
「はい。お隣の方は?」
 筆を軽やかに走らせながら、受付の少女が尋ねる。
「この子は松崎佐奈。佐奈が名前」
「ありがとうございます」
 チェックインを済ませると、少女は薄茶色の瞳を輝かせながら言った。
「こんなところで、来訪者さんにお会いできるなんて、本当に感動です」
(おーい)
 羽根を生やして、遠くの世界に飛んでいってしまいそうな表情の少女を、佐奈は呆れながら眺めているが、里佳は何気ない口調で尋ねる。
「この世界って危機にあるの?」
「そういう話は聞いていませんね。ただ……ここアナトリア連合は、隣のカンディア連合とここ数年、もともと悪かった仲がさらに悪化しています。いつか戦争になるかもしれません……」
 こちらを上目遣いに見つめる宿の少女は、その窮地すら救ってくれると思っているのか期待に胸を膨らませているようだった。
 こちとら、機械の整備しかやったことがないんだぞ。いちいち危機を救ってられるか。佐奈は心の中でそう毒づいた。
「あ、そろそろご案内させて頂きますね」
 小春日和のような笑顔を浮かべながら、少女は立ち上がった。
 二人を連れると階段を上がって、右に折れて三番目の扉で立ち止まり、鍵を出して捻る。
「こちらです」
 八畳程の広さに、机と椅子。大きなベッドが置かれている。
 里佳はそのベッドの上に無造作に、持っていたカバンを投げ出す。専門学校で使っていたカバン。たまたま持ったままだったのだ。投げ出された拍子にそこに入ったスパナや何やが散らばった。
 それを見て、宿の少女が小さく声を漏らした。
「それ……似たようなものをナトレで見たような気がします」
「え。それって、これ?」
 そう言いながら、里佳はスパナを手にした。
「ええ、たぶん。最近、港に船が流れ着いたらしく、それが異世界アースのものだとかで、中にそういったよくわからないモノがいっぱい積んであったって」
 里佳はしばし考え込むと、頷いた。
「うん、いろいろと情報ありがと」
「いえ、お役に立てることがありましたら、このサリーナになんでもお申し付けください」
 尊敬の気持ちを瞳に表しながら、一礼して少女は退出した。
「はあああ……」
 ベッドに身を投げ出しながら、佐奈は大きな溜息をついた。
「なんか、とっても疲れた」
 心身ともにぐったりとなった佐奈は、暫くベッドにうつ伏せになっていたが、
 やがて、疲れた身体を引き押して言った。
「さあて、教えてくれるんでしょうね」
「何を?」
 きょとんとした顔で問い返す、里佳の顔がとっても憎たらしい。
「今までの事、全部よっ」
「ほへ」
「ほへっじゃないわ。いきなり違う世界に放り込まれて、どれだけ、私が慌てたか知ってる?」
 肩で息をしながら、佐奈は叫ぶ。
「そんなに興奮すると、血圧上がるよ」
「どーして里佳ちゃんはそんなに冷静なのよ! 大体、なんで言葉が通じるのよ! そもそも、コショウが金貨に換わるなんてありえないよ! なんでさっきの女の子はあんなにあっさりと、私たちが異世界から来たっていう、戯言みたいな言葉を信じちゃうのよ!」
 力の限り絶叫して、佐奈は大きく肩で息をする。
 違う世界に飛ばされる事だけでも、充分な衝撃だったが、この街に着いてからも、彼女にとっては信じがたい事の連続だった。
 更に、慌てまくる佐奈と対照的に、里佳が異常な事態に全然動揺せずに、落ち着いて対処できていることがすごく悔しい。年齢が一緒なのに、何故私だけがこんな子供っぽくムキになっているのかと思うと、本当に腹立たしい。
「困ったな。そういうつもりじゃなかったのだけど」
 里佳は少しだけ憂いを帯びた笑顔をみせながら、頭をかく。
「この世界に来て戸惑っているのは私も同じだよ」
「でも、里佳ちゃんは何でも知っているようにみえたわ」
「じゃあ、一応さっきの質問を、順をおって説明しようか」
「うん」
 佐奈はベッドに腰を落としながら頷いた。
「まず、最初になんで私が佐奈より冷静かっていうと、やっぱりあの小説かな。あの本と、あまりにも事態がそっくりだったのよ。だから真似して対応してみた」
「そうなの……」
「次に言葉の件。これはね。正確に言うと街の人たちの口の動きは、日本語のそれじゃないわ」
「どーいうこと?」
「佐奈。あなたも、受付の子の言葉を理解できたでしょ」
 確かに、佐奈にも彼女の話がきちんと分かった。覚醒種とか、ファルネースとか、所々、意味不明な単語があったが、おおよそ理解に苦しむことはなかった。
「どちらかっていうとテレパシーの範疇に入るかもしれない。受付の子、サリーナっていってたっけ。彼女が言った現地の言葉が、何らかの作用で日本語に自動変換されて直接、脳に伝わると考えることが、自然だと思う」
 いつに無く真面目な口調で、里佳は続ける。
「そして、三番目はコショウが金貨に換わった件よね」
「うん。あれ、スーパーで398円で売ってたと思う。絶対におかしいよ」
「佐奈、ちゃんと世界史の授業受けてる?」
 ちょっと溜息を付きながら、里佳は言った。
「この世界は、異世界といえども、元の世界では中世あたりってことは薄々感じてはいたでしょう」
「確かに」
「だったら、答えは簡単。胡椒を始めとする香辛料はこの時代では大変な貴重品なのよ。たぶん。原産地から離れているとすれば、尚更のことね。交通手段が発達していない時代では、僅かな量の胡椒でも、金貨数枚に値するというわけ」
「あ……」
 世界史を単なる暗記科目と思い込んでいた佐奈は、驚きの表情を隠せない。歴史で得た知識を異世界で応用するという離れ業を、ためらいも無く実行に移す。頭の回転の速さと行動力の凄さには、ただ舌を巻くばかりだ。
 もっとも、何故里佳が、わざわざ胡椒をバッグに入れているのか疑問に残ってはいたが。
「最後の質問。さっきの受付の女の子が簡単に信用してくれた件は?」
 一息ついて続ける。
「まず、異世界からの来訪者のことが伝説として残っていたこと、それが理由だろーね。話しぶりからしてそうだったし」
「うん……」
「ただ、その前例って言っても、伝説って言われるくらい前っぽいね。少なくともこの街、いや、大陸では」
「確かに、そうだよね」
「今のところ、確実なことは、サリーナがファルネースって言っていたこの世界と、私たちが住んでいる世界はまったく別の物ってことね。たぶん、ほとんどの知識はここで通用しないんじゃないかな」
「元の世界に戻れるかな……? 里佳ちゃん。もし、戻れなかったどうしよう」
 家に残してきた両親や、妹の、あかりの顔が浮かんできて、急に不安がこみ上げて しまう。
 夕食時になっても帰ってこない佐奈を、さぞかし心配しているだろう。だけど、ここから携帯が通じるはずもない。
「……そのときはそのときだと思う。私も今は何とも言えない。なに心配そうな顔してんのよ、大丈夫よ。ひとりじゃないでしょ!」
 柔らかい口調で言って、佐奈の頭の上に手を載せた。
「里佳ちゃん……」
 不安そうに、大きな瞳で見上げる。
「大丈夫、大丈夫だからね」
 にっこり笑う里佳によって、胸に巣食う不安が少しだけ取り除かれたような気がする。
「とりあえず、ナトレに行こうよ」
 里佳はスパナを手に持って言った。それを軽々と放りながら、続ける。
「私たちの知識はこの世界では通用しないけど、私たち同様にこの世界に迷い込んだものに対しては、私たちの知識が通じる。そしてその一つは、少なくとも今近くの町にあったりする」
 佐奈は里佳の行動力を前々から尊敬していたが、今回再認識させられた。
「出発は明日の朝ね。今日は疲れをとるためにちゃんと寝るんだよ」
「あ……うん」
 言うやいなや、里佳は布団に潜り込んでしまった。疲れがピークに達していたのかすぐに小さな寝息が聞こえてくる。
 自分もだいぶん疲れた。あれだけの山を歩き続けたのだから当たり前だ。
 佐奈はこの後、故郷に戻れないだろうという感覚をふいに抱いた。しかし、同時に、里佳がいればきっと大丈夫だとも思った。根拠のない自信だったが、まだ十代だった二人は、見知らぬ大きな世界に放り出されたほんの直後に、自分たちと接点のあるもの(今回はたまたまスパナだった)を見つけたのだ。広い世界で最初に出会うのが自分たちと身近なものだというのは奇跡に等しい。
 感慨にふけっていると、眠気が強烈に襲ってきた。まもなく、佐奈は深い眠りに落ちていくが、夢を見た。しっかりとした、リアルな夢。
 このファルネースで、佐奈と里佳とが仲良く飛行機なんかいじって末永く暮らしてる夢だった。


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