『ラグルドの道』――その先に、何があるのだろう。

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第1話


 膨大な量のマナが消費されるのを感じた。
 うっそうと茂る深い森の、ちょっと開けた場所にある、大きな岩の上。見張りの番をしつつもうとうと眠気と戦っていたシャグナは、マナの乱れを感知し慌てて飛び起きる。慣性で、乱れていた髪の毛が、ふわりと風に乗せられる。
 シャグナはその圧力に動揺しながらも、六感を研ぎ澄ませ、マナの流れをつかみ取ろうとする。
 心なしか、森が、空が、生き物全てが、マナの乱れから来るある種の異常を感じ取って、大きく乱れうごめいているような気がした。間違いない。これは……。
 上体を起きあがらせ、シャグナは岩から少しばかり離れた場所に立てられたテントの方に顔を向けた。
「感じたか?」
 シャグナの声に応じるように、テント内から寝ぼけ顔の上に直接張られた、深刻そうなコリンの顔が覗く。
「……かなりの量だよ。大分遠くからなのに、こんなにもはっきりとマナの動きをつかめる」
「常人の魔力では説明出来ないな」
「うん……」
 コリンはなおも眠り足りなさそうに言葉を紡ぐ。栗色の短い髪の毛をくしゃくしゃとかき回す。普段の生活では、活動時間より遙かに睡眠時間が多い種族だから、これは仕方のないことだ。シャグナの方が異端だと言える。
 コリンとシャグナは長旅を友にした仲だ。シャグナはコリンの寝起きの悪さを受け入れていた。
「ついに巡り会えるかもしれない」
 誰に? それは、二人の間では答えるまでもない。
 なぜなら、ラグルド氏族が何世代にもわたって追い求めてきたものだから。しかし、言葉にする意味はある。形を持った言葉は、人に決意を固めさせ、揺るがぬ確信を与える。
「……覚醒種(カオス)だね」
「そうだ」
 言いながら、シャグナはその身軽さを見せつけるかのようにひらりと岩の上から飛び降りる。
「正確な場所が知りたい。結構距離はありそうだけど……出来るか?」
「それなら、まかせておいて。準備する」
 コリンはテントに置いてあった荷物の中から、小さな布袋を取り出す。そこには黄色い砂が入っていた。きめの細かい、とても繊細な砂だ。
 コリンは片手いっぱいに砂を含む。そして、おでこあたりまで持っていき、強く念じる。黄色いはずの砂が、淡い黄緑色に変わりゆく瞬間を見るのが、シャグナは好きだった。
 ……まったく、便利な能力を持ち合わせているな。
 シャグナはうらやましくも思う。先天的な魔力をほとんど持たないシャグナにとって、コリンの術は少しうらやましかった。コリンの術は、他氏族の母親譲りだと聞いている。
 だが、母親がラグルド氏族でないせいで、コリンは村でも疎まれていた。また、おちこぼれだとけなされてもいた。事実、魔法の扱いはシャグナにも劣ったし、ラグルド氏族の敏捷性の欠片も持ち合わせていない。
 つまるところ、コリンの得意なことと言えば、マナの流れを読み取ることが得意なのと、「これ」のみだった。イグリースの集落のものは邪道だとし、コリンの優れた点を見ようとしなかったが、シャグナは違っていた。
 シャグナが見守る中、コリンの操る黄緑色の砂が、平らな土の上に撒かれる。
 一粒一粒が意味を持って散らばり、濃淡が分けられた紋様のようなものを浮かび上がらせる。
「濃淡は、マナの流れの強さを表してるの」
 これが二回目だから、もう説明は不要かな、とコリンは付け加える。
「いいよ。続けてくれ」
「わかった。……今、私たちがいるのは、ここ。近くに火山帯があるから、マナの濃度は結構高い」
 木の棒の先で印をつける。ザルー山脈の中腹、火山口の近く、ここが現在地。
「もう分かるとは思うけど、ここ、ちょうど砂の濃淡が輪っか状になっているところ。中心がマナがほとんど無きに等しくて、周りは濃い」
 どういうことだか分かる? と、コリンは尋ねる。
「魔法で一瞬にして多量に失われたマナを、周囲のマナが一斉に補おうとしている」
「そう。マナの流れ……そのベクトルは、ちゃんと魔法の発生源の核を示している」
 コリンは小さくぽっかりと空いた、砂のない場所に同じ印を付ける。
 現在地と、マナの収縮する場所。二つを、土を削った線で繋ぐ。
「おそらく、これはオリワの近く、ティアルガの村の辺りだよ。だとしたら……」
 途切れた言葉の先はおおよそ予想の付くことだった。……村はもう、全壊してしまったかもしれない。
 
 危険だよ。いくら身体能力が高いシャグナでも、覚醒種に襲われたら、ひとたまりもないよと、コリンは引き止める。だけど、シャグナの耳には届かない。
 ここまで来ておいて、覚醒種は危険だから関わりを持つのはやめよう。そんな選択肢、シャグナの中には存在しなかった。
 シャグナは無言で髪の毛を束ね始める。邪魔にならないように後ろに全部持っていって、まとめてきつく縛る。
「僕は行くよ」
「危険だよ! いくらシャグナがラグルドで一番強いからって、相手は覚醒種でしょう! 族長の命令だからって、命を捨ててまで従うことないよ!」
 コリンは必死にシャグナを止める言葉を探す。
 だけど、今更説得の余地はないと、コリンも気づいていた。選択肢は、とっくの昔に過ぎ去っていた。シャグナが次期族長の候補となったあのときに。
 ヒュマンを大敵とし、カオスを殺すべき仇敵と狙う。これはラグルドとして生まれた総ての者の宿命であった。
 でも、それでも、涙はコリンの目から止めようもなく流れる。
「コリン」シャグナはコリンを引き寄せ、抱きしめる。「君は優しいな。だけど、カオスがどれだけの脅威となるか知っているだろう。世界に仇なす者は浄化しなければいけない」
「でも、私は……」
「君は無理して僕についてきてくれたね。ラグルド氏族すべてが島の外へ浄化へ行かなきゃいけないわけじゃない。君はこの作戦が終わったら、村を魔獣から守る任務についてくれ。それも大事な仕事だろう?」
 諭すように言葉を続けるシャグナに、コリンは首を振った。
「ううん、わかってる。滅びたとされるラグルドの集落を隠し通すためにも、村の仕事は必要だってこと、わかってる」
 だけど、とコリンは言った。
「だけど、それならシャグナも……!」
 シャグナはコリンに微笑んでみせた。
「ありがとう。だけど、僕は族長候補なんだよ。若いうちに外での経験を知識を積んで置かなきゃ……さあ、そろそろ行かなくちゃ」
 コリンは声を立てて泣き出してしまった。
「ラ・グド・ナシャ」
 シャグナは始祖への祈りを捧げ、黙祷した。そして、目を開ける。
 心を決したシャグナの瞳は、燃え上がる火の玉のように熱く輝いていた。暗闇の中でも、電気のように光るそれはラグルド族の特徴だった。よほど強い意志がないとこうまでならないことを、同じ氏族であるコリンは知っていた。
「……憎きヒュマンをファルネース上から浄化するんだ」
 シャグナは輝く瞳で、森の闇を見つめた。コリンはシャグナの輝く瞳が苦手だった。
 
 *
 
「これは……?」
 コリンの魔法で正確に位置を導き出した、ティアルガの集落にシャグナはようやく辿り着いた。
 しかし、シャグナの目の前にはあるはずのない光景が広がっていた。
 ……いや、それは少し違う。そこに”あるべき”の光景が、ない。ティアルガの村はそこになく、限りなく無に近い荒野が広がるのみだった。
「自然が……嘆いている」
 深くえぐられた大地が。多大な魔力で規則性を失った大気が。手を伸ばせばつかめそうな距離にある灰色の空が。元あるべき失われた姿を求め、悲鳴を上げ続ける。
 シャグナは、強く縛られた髪の毛を、紐をほどくことで解放する。髪の毛は、本気で体を動かす時以外はほどかない。今は、空気の流れを、自然を、受け止め感じようとしたからだ。
 もともと、ラグルド氏族は自然への感受性が強い。そのため、強すぎる感覚を受けないためにラグルド氏族の者はそれぞれの方法で自身の感受性をセーブしている。
 マナを失ったこの土地を踏みしめるように、シャグナはゆったりとした歩調で歩く。
 一つ、気づいたことがある。ここで起きたであろう、覚醒種の暴走について、だ。これだけの多大なマナエネルギーだ、初めは炎系の爆発種の魔法が詠唱されたのだろうと、シャグナは推測していた。
 だが、土にしても、わずかに残された建物の瓦礫にしても、焦げ目やすすが全く見あたらない。炎が使われていないとなると、雷か。はたまた、はたまた、暴風か。さまざまな仮説が、シャグナの脳内をめぐる。
 しかし、全ての仮説は、何かしらの矛盾を含んだ、不完全なものだった。目の前の、この滅びの光景。それは、覚醒種の、強大な潜在能力を証明するものに過ぎなかった。
 シャグナは、くちびるを強く噛みしめる。シャグナの中で、不安と野望が比例して高まり合っていくのを、それがもはや止めようがないものであるのを自ら感じ取っていた。
 結果として、覚醒種はそこにはいなかった。
 マナの膨大な消費を感じ取ってからここに着くのに、大分かかったはずだ。
 この場に覚醒種が残ったままでいることはないだろうと予測していたから、あまり気にするべき事ではないと割り切っていた。……問題は、これからどうやって覚醒種の足跡を辿るか、だけど。
「シャグナー!」
 どてどてと走りながら、息も絶え絶えにコリンがシャグナのもとへと寄ってくる。
「はっ、はぁっ、はあ、やっ、と、……追いつい、た」
 ひざに手を付き、肩で息をするコリンを見ていると、なんだか狼のような野性的なかわいさを感じる。うまくは説明出来ない。ただ、シャグナはふと、コリンの頭を撫でたくなった。
「お疲れさん」
「な、何よぅ」
「何でも」
 久々に笑ったのかな、と、シャグナは思う。
 同様に、普段は泣き虫のコリンの、無邪気さが全く失われていない笑顔を見るのも、久しぶりのように思えた。
「シャグナ、あれ。あそこ」
 突然、コリンが声をあげた。コリンの細い人差し指が指す先には、瓦礫となった建物の壁に寄りかかる形で倒れ込んでいる男がいた。生存者なんていないと思っていたので、シャグナは驚いた。
「行ってみよう」
 シャグナは言葉を終える前に駆け出していた。コリンもシャグナの後ろをついていく。その男の頭の大きく割かれた傷からからとどまることなく多量の血液があふれ出ている。もう、助かる術はないと、誰にでも一目瞭然だった。
「大丈夫? お願い、お願い、目を開けて」
「だめだ、コリン」
 男に駆け寄ろうとするコリンを、長い腕で引き止める。
「そいつ……すでに、目を潰されている」
 足を止めたコリンの代わりに、シャグナが男に近寄る。
 耳を近づける。左胸の鼓動音を感じる。
「……息はある。おい、しゃべれるか」
 男がわずかに反応する。だが、すでに虫の息だった。言葉を話すこともままならない。そんなことは百の承知だ。
 助からないこいつの命の心配をするより、覚醒種の情報が、シャグナには必要だった。
 口を開く。言葉よりも先に、吐血が先行する。それでも、一生懸命シャグナたちに何かを伝えようと、言葉を紡ぐ。言葉を聞いたシャグナは、愕然とした。
「……え?」
 男の言葉は、確かに発せられた。声に宿るマナが異常な感覚を発していた。不自然だった。このファルネースにない、いや、なかった存在……
シャグナは我を忘れて男の胸ぐらを掴んで締め上げた。
「シャ、シャグナ!!」
「おまえ、ヒュマンなんだな……!」
「……が……ま」
 苦しむ男の口元から、血の泡があふれる。それでもシャグナは胸ぐらを締め上げるのをやめようとしない。
「答えろっ! なぜヒュマンがこんな所にいる!!」
「シャグナ、やめて、お願いだからっ!」
 コリンは懸命にシャグナを抑えようとする。無論、コリンの非力な腕力では、腕力の強いシャグナを止めようがなかった。
「おまえ……まさか覚醒種の……」
「…………」
 男から、抵抗力が失われる。力無く、首や腕がだらりと垂れ下がる。男は、絶命した。結局、男が必死に伝えようとした事は聞けずに終わってしまった。
「……くそっ!」
 男の死を確認した後も、苛立ちは収まらない。
 行き場のない怒りを込めて、シャグナは地面に転がる石ころを遠くに蹴飛ばす。
「コリン! さっさと行くぞ。覚醒種を追うんだ」
 だが、コリンの返事がない。
 シャグナが変に思って振り返ると、コリンはすでに事切れた男のそばで、なにやら祈りを捧げていた。シャグナの怒りは、また沸点に達する。
「コリン!! ヒュマンなんかにかまうな! 僕たちの目的を忘れたのか!」
「シャグナ」
 コリンはくるりとシャグナに向き返る。
 そして、めったに見せない、もしかしたら今まで一度も見たこと無いかもしれない反抗的な目を見せた。
「命を落として、魂体となった人に、種族なんて関係ないよ」
 シャグナは、肩をならしながらずかずかとコリンのもとへ寄る。
 そして、今なお死んだ名も知らぬ男のそばで、しゃがみながら祈りを捧げるコリンに向かって、怒りをぶつけた。
「こいつのしたことが分かっているのか? こいつらヒュマンがこの土地にいること。そして、覚醒種としか考えようのない魔法がここで発動されたこと。どういう意味だかわかるよな?」
 シャグナはさらに続ける。
「覚醒種は浄化すべき敵だ。そして、こいつらヒュマンがファルネースにさえ来なければ奴らは生まれなかったんだ! それに、すべての悲劇も生まれなかった……」
「……こんな姿になって、死んでしまうのも、すべて自業自得だとでも言うの?」
「そうだ。その通り、こいつらの自業自得だ」
 コリンは悲しそうな顔を残して、そっぽを向いてしまう。
 男の亡骸に祈りを捧げ、横に小さな、それでもこの荒れ地の中で力強く生き残っていた花を添える。
「命を失ってまで憎まれるのって、どれだけ悲しいことなのかな」
 コリンは目を潤ませ、泣き出してしまった。
「私にはわからないよ……シャグナ」
「コリン……」
 シャグナは立ちつくす。単純な記号ではとうてい表せない複雑な感情が混ざり合う。
 だが、全ての感情は、氏族の信念の業火に燃やし尽くされる。シャグナは、波一つたたない静けさで、決意を心に刻み込んだ。
 
 泣きじゃくるコリンの肩を、とん、と叩く。かけるべき言葉は見つからぬまま。
 コリンが潤んだ目でシャグナを見つめる。
 ……そんな顔、するなよ。しかし、声には出せなかった。シャグナはじゃあね、と心の中で呟くと、背中を向けて大きな歩幅で歩き出した。決して、振り返らない。シャグナの進むべき道は、ファルネースの未来のための道しか存在しないのだから。
 途方もなく広がる、平原に出る。ひとりぼっちになったのだと、シャグナは改めて実感する。目から止めようもなく流れる液体の存在を、シャグナは疑問に思った。
 
 
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