概要
作者は、「赤崎いくや」さん。アガレス暦1500年、デスティニーギア終結――。
闘いの傷跡が世界に与えた影響は大きかったが、それでも人々は日常を取り戻そうと強かに生きていた。
デスティニーギアの首謀者であった罪深きクシュナ。悲しい生い立ちであるが故、過ちを犯してしまったヒュマンに捧げる物語。
登場人物
■マモル……かつて、黒き魔王と畏れられたヒュマン。今は、床に伏した兄の復帰を誰よりも願っている。
■レタルナ
……オートドール技術によって、半身以上を機械へと変えたハーフの女。マモルの良き理解者。
■クルソラ
……クシュナの手によってマナより生み出された、生物。外見は女性。
■クシュナ
……世界を破滅へと導こうとした。デスティニーギアの中で散る。両性具有であり、女性でも男性でもある。
■サラ
…デスティニーギアを終わらせるために闘ったカオスの少女。
■ソウマ
……マモルの兄であるサトミ・タケマサの相棒。現在、クオラを良い方向に導こうと活動を続けている。
献花
ごみと汚物だらけになった、その場所に鮮やかな夕日色の花があった。
“でいご”
花言葉とかは知らないが、名前くらいは知っている。
故郷のずっと南に位置した島々で咲いた花。
ここファルネースでもヒーチャリアで咲く花。
目を背けたくなる無残なその場所で、たったひとつだけ、いやでも目を惹く花があった。
「マモルさま、クルちゃん見ませんでした?」
自室で新聞とクオラの資料を見比べていた俺に、背後からレタルナが話しかけてきた。掛けていた椅子を押してレタルナと向き直る。
「見てない。どうせまたコクレイでも追っかけているんだろう。腹が空けば帰ってくる」
「モコーじゃないんですから、それはないです」
クルソラは人工的にマナを凝縮して作られた存在だ。食事だとか睡眠だとか生物には欠くことのできないものが、彼女には必要ない。実際のところ“女性”かどうかも曖昧であった。
「ちょっと探してきます」
そう言いながらレタルナはドアノブに手を掛ける。
「あー、俺も行く。少し体を動かしたい」
俺は資料をざっと片付けて立ち上がり、レタルナと共に自室を出た。
俺とレタルナは以前と同じようにクオラへ出入りし、世界中を飛び回っている。
一応、ソウマの気遣いで人里離れた山奥に家をもらってはいるが、クオラの施設に宿をとることも多いため、そうそうそこには帰らない。クオラにはちゃんと宿泊設備がある上に、“あいつ”のお気に入りであったせいか、クオラ本部には俺や兄貴には自室が用意されているので尚更だった。
でも“帰る場所”があるというのは安心する。
俺は見つけることができたが、“あいつ”にとって“帰る場所”というのは……
「あっ」
レタルナの声に思考が遮断される。
廊下の奥、出口へ向かう階段をぴょんぴょんと上るクルソラが見えた。
「どこに行くんですかね」
「さあ」
俺の表情を伺うレタルナの瞳は「行きましょうぜ」と言っている。
俺は無言で歩き出した。
クルソラはクオラ本部を出て王都レナスの街中を抜け、農地の奥へ行き、森の中へ消えた。森は怪物どもの巣窟だ。
「手ぶらで来たのはまずかったな」
「あいや、自分も何も持っていません」
以前に比べれば、特に街中では武器を必要としなくなった。魔剣リーズ、いや聖剣リーズを持つ場面も少なくなった。俺や兄貴の、あの黒い制服も今やクオラの制服となってしまい、一目見て俺が“黒き魔王”だと分かるものも少なくなった。世間を欺いているのかもしれない。そうだとしても、己を欺くつもりは絶対にない。
レタルナも装備を解いてしまえば、クオラの一般職員となんら変わらない。違いといえば、どんなに暑くても顔以外は全く肌を露出させないことくらいだ。彼女には体内にしまいきれなかった導線や回路が表面に露出していたり、人工皮膚一枚で覆われていたりする部分がある。機械の体を持ったは持ったで苦労があるのだ。
森の奥を見ながら一瞬思案して言う。
「まあ大丈夫だろう」
「んなっ、私は心配です! いくらマナの塊であるクルソラでも怪物に襲われたらどうなるか分かりませんよ」
「だからこそ大丈夫だと思うんだが……あのでいご娘はリコが連れていたクオティと似ている気がする」
「全然違うと思います」
クオティは真っ白な躯体を持つ、常に不気味な笑顔を浮かべている生き物だ。リコは友達だと言っていたが、よくは知らない。ただ空を飛ぶ様や姿を消す様を見ると、マナの扱いにはどんな者よりも長けていることだけは確かだった。あるいは、聖獣の類だったのかもしれない。
クルソラもまた、マナを自在に操れるらしいそぶりを見せる。時折体の一部を変化させて遊んでいることがあり、ついこの前だともとは色黒の肌が真っ白になっていて、レタルナが生まれつき色白な顔をもっと白くしていた。レタルナはいちいちリアクションが大きいと思う。
ぼんやりとではあるが、天然ものと人工ものの違いだけでクオティとクルソラは似ている存在だと考えていた。
「まんまー」
そうこうしているうちにクルソラは戻ってきた。
「ほらな」
「ほらな、じゃありません! 今回はたまたま運がよかっただけです! こう、マモルさまはもう少し危機感をですね」
「お前、急に母親臭くなったな」
「なんですとう!」
頬を膨らますレタルナをよそに、俺はクルソラが持っているものに気づいた。
「花か」
「まんま!」
クルソラは俺の目の前にそれを差し出す。
白い、小さな花だった。どこにでもありそうな草花のようであるが、街の中には咲かない感じの草花である。
……桜に似ている。
「まんま、まんま、まーんまー」
何かを伝えようとクルソラは花を振って見せる。しかしよく分からない。
思わずレタルナの顔を見るが、こいつも分かっていないようだ。
「んまっ」
そう言い残してクルソラは走りだした。
「どっ、どこに行くの!」
慌ててレタルナが後を追う。仕方ないので俺も追う。
農地を抜け、街を抜け……追いかけながらふと気づいた。
こいつが向かう先――共同墓地。
必ずと言っていいほど毎日誰かが訪れ、手入れをしていくこの場所はいつも小奇麗だった。
そうだ。“あいつ”の墓以外はな。
一般の墓地に隣接して高級そうな墓地があり、さらにその奥には国で活躍した著名人の墓がある。それらとは隔てた場所に墓地は墓地でも名ばかりの墓地に、“あいつ”の墓がある。
“諸悪の根源”とされたその者の墓に墓標などなかった。
いいや、初めはあったのだが早いうちに壊されてしまった。そしてどこから持ち込んでくるのか、生活ゴミやら排泄物やらで汚され、遺体を埋葬されたあたりは異臭を放つようになり、心なしか空気も黒ずんで見える。
俺やレタルナなんかはたまに来ては申し訳程度に掃除をし、墓標も立て直していた。俺たち以外にも訪れる者がいるらしく、掃除や献花の跡が見られることがある。あの戦いを共に生き抜いたソウマやサラかもしれない……。
「いつ来てもひどいものです」
弱い声でレタルナが言う。
レタルナが生きていられるのは“あいつ”のお陰であり、俺も“今の自分”を手に入れることが出来たのは“あいつ”のお陰である。
「まんっまぁぁぁっ」
クルソラがいつになく悲しげに叫ぶ。叫んだかと思うと汚物の中へ飛び込んでいった。
「おいっ」
俺が制止するより早くクルソラは汚物の中に消えていった。文字通り、消えたのだ。
レタルナと俺は顔を見合す。
「一体どういう……」
「わからん……」
クルソラに嗅覚はないのだろうか。掃除が目的でもないので正直なところ、長くこの場所に居たいとは思わないが。
ややあって汚物の一部が盛り上がってきたのが分かった。そして汚物を突き破って細い木が伸び、鮮明な緑をつけ、夕日色の花をつけた。
「これ、クルソラの髪飾りと同じ花です。確かディンゴだかティーダだか」
「でいごの花……沖縄の花だ」
「そうです、でいご! でもこれってヒーチャリアの花ですよね? おきなわってアースの地名ですか?」
「ああ……俺の故郷の、ずっと南にある島々の名だ」
ふと切なさがこみ上げる。戻れない、故郷。
故郷には帰れないが、帰るべき場所が俺にはある。
「なるほど、ウチナー氏族の母がヒュマンだという説がうなづけます」
好奇心を刺激されたレタルナの瞳が一瞬輝いた。
なんとなくレタルナとでいごの花を見比べる。汚物の中の美しい花。黒き混沌に射した白。
「……俺たちも少しやっていくか」
「そうですね」
類は共を呼ぶとはよく言ったものだ。結局俺たちはみんな、似たもの同士だったのだろう。
“あいつ”ももしかしたら。
墓地に備え付けられている掃除道具を取りに行こうとした時だった。
――まんま。
その声が聞こえたかと思うとでいごの花の周りに風が起こり、真っ白な何かが舞った。
クルソラが持っていたあの白い花だ。その白い花びらが地を蹴り、風で歌い、空に踊る。白い花びらが撫でていったところには、色も形も様々な花が咲く。瞬く間に汚物が消え、その上に花畑が広がっていき、墓地一面が花で埋め尽くされた。
自分の足元までも花に囲まれ、ただただ立ち尽くす。
花の絨毯、澄んだ空、遠い緑、香る風――極楽かと見間違うほどの景色が視界いっぱいに広がっていた。
「きれい……」
くせっ毛の髪に花びらを絡ませたレタルナがつぶやく。目には涙が溜まっていた。
「クルちゃん、これをクシュナさまに見せたかったんですね……」
「ああ……」
風に乗って花びらが運ばれていく。
「見ていますかね……?」
「見てるさ、きっと」
こぼれた涙をぬぐうレタルナの肩を軽く抱き寄せる。
桜の花びらに似た白い花びらが舞う様を見ながら、俺は故郷を思った。
桜が舞う中、親に手を引かれて小学校の入学式へ行ったっけ。母親の手を兄貴と取り合った記憶がある。
道場にも立派な桜が植えられていた。入門者に剣道のいろはを叩き込むのは毎春、俺と兄貴がやる恒例だった。
ファルネースに来て家族も家も、憎たらしかった道場もなくなってしまったが、なくなった分、新しく築いていくことができるのだ。
初めは俺も頼るものも帰るところもないと思っていたが、違った。ないと思い込んでいただけだった。
ふいにレタルナの肩を抱く手に力が入る。
「まんま……」
でいごの花からクルソラの声がした。少し怯えているようである。
「気が済んだらとっとと帰ってこい」
俺はそうとだけ言ってレタルナと墓地を後にする。背中の向こうから「まんま」と嬉しそうな声が聞こえたのは空耳ではないはずだ。
「おっそいですねー」
「もう待てない。飯だ」
「マモルさま、おっさん臭いです」
「なんだとう!」
クオラ本部の、元は裏クオラの施設だった地下休憩室で、クルソラの帰りを待っていたが日が暮れても戻ってこなかった。
休憩室に常設してある給水器から何杯目かもわからない水を汲んで飲んだ。
クルソラは帰ってくるのだろうか。「気が済むまで〜」と言ったのは俺だが、もしかしたらあの場所で花になったまま戻ってこないかもしれない。墓地一面を花に変えたクルソラ……。胸に切なさがこみ上げる。
思えばクルソラだけじゃない。キースもそうだった。“あいつ”には“あいつ”のためだけに生きようとした存在がすぐ近くに居たんだ。“あいつ”にはその思いが伝わらなかった。もし伝わってそれに応えることがあれば、また違う道を生きたのだろう。
レタルナと距離を置こうとしていたときの自分が思い出される。あの頃は自分の気持ちに気づかなくて、確信も持っていなかったし、考えないようにしていた。案外、何かしらのきっかけがなければ自分の気持ちに気づかないのかもしれない。
俺にはリーズがあった。所有者は愛する者をこの手で殺すという呪縛を持った、魔剣。俺はそれで兄貴たちを殺そうとした。しかし、殺さなかった。そのことで、魔剣は魔剣たる存在価値を失った。
俺は、リーズがきっかけとなって、愛する者の存在に気づくことができた。だが、“あいつ”の場合、そのきっかけが掴めなかっただけなのかもしれない……。
「なにか?」
無意識のうちにレタルナを見ていた。
「ああ、ちょっと思い出に浸っていた」
地獄に堕ちてもこれだけは許してもらおうと思う。
――こいつと生きる道を選んだことを。
「どんな思い出ですか?」
「それは言えない」
「うぅ、けち!」
レタルナが頬を膨らませる。よく伸びる頬だ。
「まんまー」
間の抜けた声に反応してその方へ向くと、白い花びらまみれになったクルソラが満足そうな笑みを浮かべていた。空気の流れもないのに花の匂いが漂ってくる。
「おかえり!」
レタルナがクルソラに抱きつき、頭を撫で回した。
帰る場所――。
それ欲しさに迷うのかもしれない。気が狂ってしまうのかもしれない。迷ったのは俺だ。狂ったのは“あいつ”だ。
迷ったが、俺は見つけることが出来た。狂って視野が狭まり、見つけられなかった“あいつ”は、ただただ不運なだけだったのかもしれない。“あいつ”にとって何が救いであったのか今ではもう知ることもできない。
これからの俺が“あいつ”に出来ることは墓に花を手向けること、そして“諸悪の根源”などと言われても世間に貢献した功績があることを、俺とレタルナが生きることで証明することだ。
「さて飯だ。明日は兄貴の見舞いに行くぞ」
「あいあいさー!」
「まんまー!」
* * * * *
腕、腕は無いが、あるような感覚だけがしていて、確認などできない。いや、ないのかすら分からない。
目前には漆黒が広がっている。いや、漆黒のような気がする。視覚があるのかどうかも分からない。
分からない。私がどこに居るのか、私はどうなってしまったのか。
最後に見たのはマモル、純白のリーズを構えたマモルだったと思う。
なんというか、サトミにも引けをとらないほど逞しく、かっこよくなったなと思った。
同時に羨ましかった。自分のことだというのにどう羨ましいのか理解に苦しむ。
しかしもうどうでもいい。計画は失敗した。
そうだ、私は死んだ。死んだのだ。
死んだのに、なんだこれは。これが魂のみの状態だというのだろうか。
分からない。
分からないが、腕を伸ばす。腕があるわけではないが、「動かしたい」と考えるように意思を向けてみる。
ただひたすら意思を向ける。なぜこうしたいのか分からない。こうしたところで何が変わるというのか。
私は死んだ。もうなにも出来ないのに、変わらないのに。
腕を伸ばす意思を消そうとしたとき、指先のあたりに何か触れたような気がした。
その瞬間、まばゆい光が現れて視界が広がっていき、ありとあらゆる感覚が戻る。マナが集まり、私の肉体を形成していった。
次に視界へ入ったのは花、花だ。一面に色も形も様々な花が咲いている。
そして指先に触れていたのは、クルソラだった。彼女は私と目が合うと、私の両の手をとって静かに指を絡め、目を細める。今まで無邪気な子どものようだと思っていたが、どこか母親のような眼差しであった。
いいや、母親のようであり、妹のようであり、娘のようであり、“女性”という“女性”の対象そのものである。ただ私にとって当てはまらない“女性の対象”がひとつだけあった。
それを考えるとどことなく胸が詰まり、やるせなくなってクルソラから目を逸らし、手をほどく。手が離れると頬にわずかな風を感じ、次の瞬間には私はクルソラに包まれていた。
「分からないな」
とっさにそんな言葉がこぼれる。
「まんま」
花畑にクルソラの声が響いた。
一面の花はクルソラが作り出したものらしい。花のマナとクルソラのマナが共鳴して声が響くのだろう。
「おまえ、まだそれしか言えないのか」
ふと可笑しくなって口元がゆるむ。
私もいくつか言葉を教え込もうとしたが、この一言しか習得できなかった。
「まーんまっんまっ」
それでも発音のバリエーションは増えたらしい。
余計に可笑しくなってクルソラの抱擁を解いて笑ってしまった。
「ばか、笑わせるな」
「んまっ、まんま!」
クルソラの手が私の両頬をはさみ、揉みしだく。
「や、やめ、やめっ、ないかっ」
「まんんんまああああああ」
実に楽しそうな笑みを浮かべるクルソラ……私にもっと笑えと言うのだろうか。
「こらっ」
クルソラの手を取り上げる。彼女はなおも笑顔のままである。わざとイタズラをして親の注意を引く子どものようだ。
また目が合うと今度は彼女からいたずら臭さが消えていった。腕からも力が抜けていき、そのまま私の首に回してくる。
お互いの髪が触れ合うほど顔が近づく。その近づく彼女の目にはどことなく艶がある。
「まんま」
「……おまえが何をしたいのか皆目検討がつかない」
そう言いながら彼女から顔を背ける。しかし胸の奥底では何がしたいのか理解していたし、この続きを拒む感情と望む感情が混同していた。その証拠に私の腕はクルソラの腰に回っている。
望めば重なる距離で止まったまま、私は風に流れていく白い花びらを見ていた。
「門をたたく者には開かれる」
こともあろうか、聞こえたその言葉は聖書の一句であった。声の調子は違うが間違いなくクルソラの声である。
思わずクルソラの瞳を見た。その瞳に表情はない。
「クルソラ……?」
「まんま」
もとのすっとんきょうな声で言う。私は問いかけた。
「おまえ、本当は」
「まんま」
「なあ」
「まーんま」
「どうして答えないっ」
自分でも顔がゆがんでいるのが分かる。私は彼女を突き放した。彼女が花畑の上に倒れこみ、その衝撃で花びらが舞う。
「分からない……おまえも私も……不快だ、もう消えてくれ……」
呪うように言い捨てる。
彼女はゆっくりと起き上がり、内股で座ったまま私の顔を覗き込んだ。
「望めば変わる、変えられる」
声が直接頭に響く。さっきと同じやや低めな調子のクルソラの声、マナを伝うテレパシーのようだった。口を使うと「まんま」しか言えなくてもマナを伝わせれば、話せるらしい。
クルソラは目を伏せ、花畑へ寝転ぶとその体は植物へと変わっていった。
細い幹に鮮明な緑と夕日色の花――。
「待ってくれ」
私は駆け寄り、膝をついて、花を両の手の平で包む。
「教えてくれ、クルソラ……」
ファルネースへやってきて人生をやり直せると思った。
しかし恩師が去り、恩師を苦しめた世界を憎んだ。
私も死んでいなくなってしまう世界など壊れてしまえばいいと思った。
私は世界を壊すだけの力を求め、その力を得るためなら何も惜しまなかった。
強大な力を持てたのに小さな力の集まりに負け、私は世界を残して死んだ。
「私は一体、何者なのか、何がしたかったのか……」
恥ずかしいほど声が震えていた。
計画が未達成であることを除けば、自分が思うままに生きてきたはずなのに満足できていない。
宮廷魔道士、クオラ本部長、クシュナ、妹、どれも自分であって自分ではない気がしていた。
――どれもこれもこの体のせいだ。女であり男であり、どちらでもない。
今こうやってマナが再構築されても、この体のままとは憎たらしい。
これのせいでアースの兄に認めてもらえず、キースに女として応えてやることもできず、クルソラに男として応えてやることもできず……。
「ああ……」
声がこぼれる。
「そうか、マモルを羨ましいと思ったのはこのせいか……」
絡まっていた心の糸が少しほどけたような感覚がする。
マモルが男として堂々と、愛する女性や兄、仲間がいると胸を張る姿勢、そして生きることへの意思……。私には、それがなかったのだ……。
「あなたはあなた。あなたを決めるのはあなた。変わるきっかけは常にあった。あなたはそれに応えなかっただけ。望めば、変われる」
彼女の言葉が重く、重く胸に響く。
「ふふ、どうやらそうだったらしい……」
自嘲した。
体のこともやろうと思えば手術でどうにでもできた。私は自分がどんな存在でありたいか考えずにいたのだ。詰まるところ、自分自身から逃げていただけに過ぎない。弟が敵だと知ったサトミのように、無自覚の愛に揺れたマモルのように――。
顔を伏せる私にこれでもかと上を向く花たちが視界に入る。
誰が言ったか忘れたが、花のマナというのはどんな存在よりも献身的なのだと聞いた。
クルソラはその花たちを連れてきた。自身でさえも花に変えた。その意味がどういうことか理解し、同時に胸の辺りが熱くなる。
「今からでも変われると思うか」
「変われます」
「そうか……」
心の糸がほどける、重りが少し軽くなる。軽くなって浮き上がり、胸の奥底から押し上げられる何かがあった。
夕日色の花が話しかける。
「これから何がしたいですか?」
その問いに一瞬考え、つい先刻の光景を思い出す。
「そうだな……うん、さっきの続きをしたい……かな」
クルソラを受け入れることから始めようと思う。いや、受け入れたいと思った。
夕日色の花はもとのクルソラの姿へと戻っていった。立ち膝の状態だった私に合わせて彼女も立ち膝になる。
私が遠慮なく彼女の腰へ腕を回すと、それに応えるように彼女が私の首の後ろへ腕を回す。彼女は少し照れているようだった。
「そういえばお前はどっちなのだろう」
私の問いに彼女は口を閉じたまま、マナを伝わせて答えた。
「あなたにとって都合のよいほうです」
「ふふ、そうか。なら私と同じだ」
「まんま!」
少し笑いあって目を合わす。お互いの髪が触れ、吐息が重なる。
私と同じ。どんどん心が軽くなっていく。胸の奥底から押し上げられたものが、閉じた自分の目から溢れ、頬を伝っていった。
私は、これから、やっと、“私”を探しに行く。
* * * * *
街外れの静かなところに、その療養所はありました。
私たちはいくつかの土産と佳い知らせを持って、あの方のお見舞いに行きました。
「おい兄貴、日程は決まっていないがヴァレオンとティアラが挙式するぞ。それまでには起きろ、ヴォゲ」
「ちょ、マモルさま、それは言い過ぎ……」
相変わらずお兄さんに対しては口の汚いマモルさまですが、アースのニッポンが由来だと言われるものばかりを土産に選んだあたり、お兄さんが大好きなんだというのが滲み出ていました。なんだかんだいって、かわいい人であります。
お兄さんは個室で休んでいます。一人で使うには少し広いくらいの、白を基調とした清楚間のある部屋でした。
解放していた個室の扉の向こうから話し声が聞こえてきました。ソウマとサラのようであります。
うーむ、音声の波長からして相談ごとをしているようですが。
間もなくして花を両手一杯に抱えたサラと、箱菓子を持ったソウマが個室に入ってきました。
サラが持つ花を見てふと昨日の花畑を思い出し、少し感傷的になってしまいました。
「マモルさん、来ていたんですね」
ソウマがどことなく嬉しそうに言います。実は結構頻繁に来ているんですよ、などとは言えません。
「さっき、なんの話をしていたんですか?」
興味本位で私は二人が何を話していたか訪ねてみました。するとサラが少し顔を赤くして言うのです。
「その……すごく、きれいな人がいたなあって……」
花で顔を隠して、なんともかわいらしいこと。それに続いてソウマも言いました。
「うん、誰が見ても美男美女のカップル!」
「へえー、ちょっと見てみたいかも」
ソウマはとにかく、サラが言うのだから相当なものだと判断しました。
「なんと言いますか……二人ともきれいなんですけれど、とても中性的で男性とも女性とも見れるような感じでした」
その言葉に私は思わず反応してしまいます。それはマモルさまも同じのようでありました。ソウマが付け加えます。
「そのカップルの片方が、なんとなくクルソラちゃんに似てるなーって話をしていたんですよ」
「……そういえばいないな」
「あ」
いつの間にはぐれたのか分かりません。もしかしてもしかするのか、知る術もありません。
ただ、このときからクルソラは時折姿を消すようになり、ファルネースの各地でたびたび美男美女の二人連れを見たという噂が立ったのは紛れもない事実でありました。
『献花』――完。