『許されざる者』――罪は、消えない。

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第1話


 旅人の横をガラガラと馬車が通りすぎ、もうもうたる土煙が舞い上がる。頭から脛の辺りまですっぽりと身体を覆い隠した薄汚いローブに、さらなる道中汚れが加わった。
 旅人はフードに覆われた頭を巡らせる。辺りはすっかり西陽に彩られ、東の空は蒼暗い夜の風景に変わりつつあった事を確認したかのように。
 一瞬、西陽がフードの中を照らした。見る者が居たならば、浅黒い肌に無精髭が生え、険しく形作られた目が一つだけ輝きを放っていた事に気付いただろう。だが、それを目にした者は居ない。
 彼はゴツいザックを担ぎ直すと、目前にある街道沿いの宿場町に足を進めた。左脚をわずかに引き摺るようにして――

 彼が町の大通りに入ると、早速あらゆる宿屋の客引きから声をかけられた。しかし、どこもあまり興味を引かないのか、通り過ぎてしまう。そのまま大通りから出る方向に進んで行きかかったが、急に旅人は立ち止まった。
 ふと、耳に誰かの声が――訴えかけるような声が、聞こえたような気がしたのだ。
 声の主がどこにいるのか気になり、様々な客引きとその客でごった返す大通りを見回した。確かに聞こえたはずの声が――
(木陰亭〜、ご飯も美味しくてお部屋もきれいですよ〜)
 この声だ……彼は声が聞こえた方に目を向け、他の客引き達の間にその姿を見つけた。
 声の主は、鮮やかな赤い髪を後ろでくくり、黄金色の目が少し気の強そうな印象を与えるがそれが可愛いらしくもある、十代半ばぐらいの少女だった。
「“木陰亭”〜、料理も美味しくてお部屋もきれいですよ〜。どうですか、お客さん? 料金も親切になってますよ」
 今度ははっきりと耳に捉えることが出来た。少女は目の前にいた行商人に声をかけたが、その商人は一瞬興味を覚えたようだが別の宿に向かってしまった。残念そうに肩を落とす少女――
 そんな少女を見ていた旅人は、今日の宿はあの娘の所にしよう。という考えが浮び上がった。旅人は懐から革で出来た萎みがちのサイフを取りだして中身を改めると、十分と踏んで少女に近寄った。
「君、宿に案内してくれないか?」
 旅人が話しかけると、少女は驚いたように顔を上げ、フードを被ったままの旅人を見上げた。
「え、ウチに泊まるんですか?」
 よっぽど嬉しかったのだろう、少女は見る者をハッとさせる笑みを満面に浮かべ、早口で宿への案内を始めた。
「あ、ありがとうございます! この町の宿屋の中でもウチを選んでくれて、本当にありがとうございます。こちらへどうぞ」
 少女の先導について行き、大通りを少し進むと目当ての宿があった。そこそこ大きさがある二階建ての家屋だった。宿の入口まで辿り着くと、少女は一度振り向いて言う。
「いらっしゃいませ、“森の木陰亭”にようこそ!」
 扉をくぐると、宿の一階は酒場になっているらしく、飲み客や宿泊客でいっぱいになっていた。そんな中を少女はこちらです、と言って客の合間を器用に進んでカウンターに近寄っていく。
 旅人はそんな少女の後ろを所々他の客につっかえつつ後を追った。
「店長、お泊まり様です」
 カウンターまでたどり着くと、少女は飲み客に酒を出していた、やや肥満気味の体つきの五十がらみの親父に声をかけた。親父は飲み客にちょっと待っててくれと言うと、エプロンで手を拭きながら愛想良く切り出した。
「“森の木陰亭”にようこそ。どこの部屋もキレイに片付いておりますよ」
「一部屋頼みたい」
 男は手短に告げると立てかけられた料金表を調べて、金貨一枚を掴み出してカウンターに置いた。
 それを受け取った親父はペンと宿泊名簿を取り出し、サインを促した。男はペンを手にとり、しばらくの間じっと名簿を見つめていたが、やがてやけにクセの強い文字を記した。
「はい、ありがとうございます。えーと、と……トマス・キュゼンさん?」
 宿屋の親父には、読みにくいうえ見覚えのない綴りの名前だったらしい。男はフードに手をかけると、おもむろに取り払った。親父はてっきり客が機嫌を損ない、怒っているものと思っていたが――
「クザンだ。トーマス・クザン」
 浅黒く日焼けした顔に左の目を塞いでいる眼帯が、いかにも荒事慣れしている印象を与えるが、クザンと名乗った客は特に気にしたそぶりを見せず、呑気に微笑を浮かべてさえいた。
「失礼しました、クザンさん」
「構わない、それより部屋に案内してくれ」
 慌て謝る親父にクザンは要求すると、背後から声がかかった。
「ご案内します」
 クザンが肩越しに振り向くと、客引きをしていた少女が居た。どうやら傍らで待っててくれたらしい。
「おお、頼んだよシャーリー。ごゆっくりどうぞ、クザンさん」
 親父は少女に部屋の鍵を渡して案内を頼むと、それっきり自分は飲み客らの応対に戻っていった。
 ついて来てください。と少女に促されると、クザンはやや左脚を引き摺る足運びながらも、いそいそとその後をついて行った。
 一階の酒場から二階に上がり、目当ての部屋まで廊下を歩いていると、不意にシャーリーが口を開いた。
「お客様」
「うん?」
 何気なく廊下を見回していたクザンは、やや間の抜けた返事をした。
「今日は私の声に応えてくれて、本当にありがとうございました」
「どうしたんだ、突然?」
「いえ、大抵の人は私が呼び込みに出ると、興味を示してくれますけど、それっきりなんです。だからいつもは厨房で働いているんです」
「ふむ、何故だろうな?」
 目の前で話す少女をしげしげと観察しつつクザンは頭の中で思った。接客では特にマイナスとなる要素が見当たらなさそうに見える。むしろ、見かけだけなら上等な方だ――
「あ、ここです。ここがお客様のお部屋です」
 危うく通り過ぎようとしていた少女が急に立ち止まったため、クザンの考察は中断した。
 シャーリーが鍵を開けると、どうぞと言ってクザンを中に通した。室内の装飾はベッドにテーブルのみと質素だったが、掃除が行き届いているらしく料金の割に粗末な印象は感じさせなかった。
「鍵をお渡ししておきます。食堂のご利用は9つの鐘が鳴るまでとなっておりますので、ご了承願います。何かあったら伝声管にてお呼び下さい、それではごゆっくりどうぞ」
「ああ、ごくろうさま……む、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
 立ち去ろうとしていたシャーリーが振り返ると、クザンはサイフから銅貨一枚を取り出すと、彼女に差し出した。
「少ないがとっておいてくれ」
「そっ、そんな、私にチップなんて!」
「構わない、ここまで案内してくれた礼だ」
「で、でも……」
 彼女が先程言った言葉が本当なら、チップを受け取るのに慣れていないのであろう、激しく狼狽しながら口をモゴモゴさせていたが、やはりチップの魅力には敵わなかったようだ。
「それでは……その、ありがたく頂戴しますね」
「ああ」
 顔を赤く染め、恐る恐る手を伸ばしてチップを受け取ると、しばらくじっと手の内の銅貨を見つめていたが、ハッと我に返ると慌て礼を言った。
「あ、あのっ、本当にありがとうございましたっ! 何かあったらすぐご連絡くださいっ!」
 そう一息に言うと、シャーリーは奇妙な足どりで部屋から出て行った。
「……ふぅ」
 彼女が出て行った後も、しばらく部屋の入口を見ていたクザンは一息吐くと、背負っていたザックをベッドの上に乗せ、自分はその傍らに腰掛けた。
 それからおもむろにサイフを取り出して口を開くと、深々と切ない溜め息を吐いた。よく見れば彼のサイフは悲しい程に萎んでいた。
 翌朝、空腹を覚えて目を覚ましたクザンは、ふらふらと立ち上がって洗面をすませるべく、井戸のある裏手に出るべく部屋を出ようとして気付いた。
 何やら部屋の中に放り込まれている。それは何か書かれているらしい、羊皮紙だった。目を凝らして文面を追ってみると、次第にクザンの顔は引きつっていく。
 そして羊皮紙を放り出すと、ブーツを履くのももどかしく部屋を駆け出し、一階に降りた。朝食出している親父のカウンターに近寄ると、親父の方から声をかけてきた。
「やぁクザンさん、おはようございます。良くお休みになられましたか?」
「お、親父さん! アガレス領に渡る橋が落ちたって言うのは本当か!?」
 慌てて切り出したクザンの言葉を理解した親父は、心底困ったという表情を作って言った。
「ああ、“弔い橋”ね。いやぁ困りましたねぇ、あそこが唯一聖地に通じる道だってんで、商人さん達だけじゃなくて巡礼に行く人達も困ってらっしゃってるんですよ。この町も――」
「ちょっと見てくる」
 親父の話を皆まで聞かず、クザンは鍵を放ると客でごった返す食堂を駆け出した。
 そのまま脚を緩めずに駆け抜け町を出てさらに街道を突き進むと、次第に橋の欄干とその入口でざわめく人混みが視界に入ってきた。
「うぉ……」
 思わずクザンの喉から呻きが漏れた。橋の入口まで、まだ距離があったが、ここからでも橋がそっくり壊れてしまっているのが目に入ってしまう。
「クソっ!」
 小さく悪態を吐き、こめかみを伝ってきた汗を荒々しく拭うと、トボトボと宿に向かって元来た道を戻り始めた。

「――友達が先に聖地に着いてるんですね、それは災難で。まぁ橋がかかるまでゆっくりして行ってくださいな」
 宿に戻ったクザンから、事の顛末を聞いた森の木陰亭の店長兼オーナー、モルト・ポップ氏は温い言葉をかけてくれたが、クザンの表情は暗かった。
「いや、そうしたいんだがな……」
 そう言ってクザンはマグカップの中のコーヒーを、ミルクとかき混ぜて続ける。
「困ったことに、宿泊を続ける金が無い」
「ふむ、それは困りましたな」
 この言葉に、クザンの頭に一瞬助けてくれるのかと都合の良い考えが浮かんだが――
「状況が状況ですから宿泊を続けていただきたいものですが、やはりこちらも商売ですからなぁ。宿泊料が払えないとなるとやはり立ち退いて貰わなくては……」
 当然ながら店長の反応は商人のそれだった。これを聞いたクザンは力尽きたかのように、グッタリとテーブルに突っ伏す。
(野営して何とかするか? ……魔獣に襲われる可能性は、はるかに高くなるが――)
 突っ伏した状態でなかなか質素な考えを展開していたクザンだったが、傍らから投げかけられた一言が暗い考えに歯止めをかけた。
「おじさん、クザンさんをここで雇ってあげたらどうかしら?」
 クザンは助け船を出してくれた少女を仰ぎ見た。
 いきなり切り出した少女は、さらに続けた。
「橋が崩れて足止めされてるのはクザンさんだけじゃないわ。おかげでウチも他所も満員御礼の稼ぎ時。そのためにおじさんと私だけじゃお客さんを捌き切れないもの、是非ともクザンさんに手伝って貰いたいわ」
 そう言って周りを手で示す。ちょうど朝と昼の間にあたるこの時間、大抵の人は朝の雑用に追われている時分だ。
 しかし食堂には時間を持て余し、己の境遇に不満を漏らしあう者や単純に談笑しあう者、ひたすら茶や酒をあおる者達で溢れている。
 クザンは何気なくモルトの顔色を伺ったが、彼の表情は冴えない――否、彼の浮かべている表情は冴えないというよりも、別の何かに悩んでいるような顔付きが浮かんでいるように思えた。
 だがモルトは素早く表情を隠すと、軽く溜息して口を開く。
「……まぁ良いかな。猫の手も借りたいのは確かだし、商売繁盛は大歓迎だ」
「よろしく頼むよ、店長」
 そう言ってクザンとモルトは握手を交わし、続けて切り出した。
「早速でなんだけど、従業員の俺がお客さまと一緒に寝泊まりしていては迷惑だ。物置か地下室があったらそこを貸してくれないか? 道具の整頓も兼ねておくつもりだ」
 この変わった申し出に、モルトは怪訝な顔付きをしたが、あまり深く考えず同意してくれた。
「別に構わないが……君も物好きだな。そんなところで寝泊まりしたいとは」
「はっは、慣れてるからな。では早速俺の仕事を教えてもらえるか?」
 そう言ってカップのコーヒーを飲み干したクザンを、モルトは厨房に引き連れて行った。
 そんな二人のやりとりをシャーリーは微笑みを浮かべて見ていると、厨房に入りしなクザンが空いている手を背後に回し、モルトから見えないようにしてシャーリーに親指を立てた。彼女はこの仕草を見た事が無かったが、心なしか頬が熱くなっているように感じられた。


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