『許されざる者』――罪は、消えない。

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第2話


 瞬く間に一週間が過ぎた。
 クザンはもっぱら宿の掃除や消耗品の買い出し等の雑用を引き受けた。ともすれば退屈極まりない生活に陥りかねない日常だったが、シャーリーとの会話がなによりの気晴らしとなった。
 どういう訳か、彼女と話していると不思議と心が揺れるのだ――彼女が楽しんでいればこちらも楽しい。彼女が悲しんでいると、こちらも悲しくなる。どこかで聞いたことのある話だが、思い出せないのでクザンはそれ以上考えるのを止めた。ともかく彼女と話していれば、こっちも退屈しないで助かる、そう納得した。
 そして今日も――
「クザンさん、クザンさん」
 不意に背後から声をかけられた。
「やぁシャーリー、なにか手伝おうか?」
 通りに面した二階の窓を磨いていたクザンは、振り返って微笑んだ。見ればシャーリーの手には、バスケットからはみ出している長いパンが目に入った。程よく焼かれ、実に食欲をそそる香ばしいかおりを漂わせている。
「うまそうなパンだ」
「ええ、町の状況を聞き付けた職人さんが、ヒーチャリアからいらしてるんです。他にも行商の方が来てるんで、もう献立に苦労しませんよ」
「そいつは良かった」
「えへへ、後でサンドイッチにしてあげますね……ねぇ、クザンさん」
「うん?」
 わずかな間を置いて、改まった様子でシャーリーは切り出した。
「どうしてクザンさんはこの宿を選んだんですか?」
「そうだな……君に惹かれたってところかな。それが一番しっくり来る」
 予測外の質問だったのか、少し考えるかのように間を置いて、クザンが口を開いた。それを聞いたシャーリーはキョトンとした顔付きで呟いた。
「私の声……?」
「ああ、君が俺を呼んでいるように聞こえたんだが――すまない、らしくない事言ってるな、俺」
 そう言って自分にツッコミを入れていると、その様子を見つめていたシャーリーがクスリと微笑んだ。
「クザンさん。私ね、ヴェルシア族なんです」
 不意の告白に、今度はクザンがポカンとした表情を浮かべたが、この意味が理解できると納得したと頷いた。
「……ああ。なるほど、そうだったのか」
 そしてもう一度、そうだったのか、と口中で響かせた。
 ヴェルシア族――このファルネースなら誰もが知っている、一七氏族に数えられる一族である。
 彼女らヴェルシア族は芸術方面に才を発揮する者が多く、特に歌については独特の発声方式により、聞く者にあらゆる種類の感情を呼び起こさせることが出来るという、能力がある。
「ヴェルシア族がどうしてこんな所にいるか不思議でしょう?」
「あ、いや、俺は――」
 顔に表れていたのか、自身の考えを言い当てられたクザンは口ごもったが、少女はそんなクザンを気遣ってくれた。
「良いんです。私……クザンさんになら知って欲しいから」
「シャーリー……」
 穏やかな微笑を浮かべつつ、シャーリーは語りだした。
「五年前――私は小さな村で暮らしていました。日々好きな歌をうたって……彼らが現れるまでは」
「彼ら?」
 微かな予感を感じつつ、クザンは先を促した。
 辛い記憶のせいか、少女は己が身を抱くようにして、微かに身体を震わせながら言葉を押し出した。
「はい……見たこともない魔術で、私達の村を焼き尽くしました。男の人は一人残らず殺され、女の人は……っ!」
 当時、まだ年端も行ってなかった少女には、その記憶はあまりにも凄惨だったのだろう。声を詰まらせて俯いてしまった少女の肩を優しく抱きしめ、もう良いんだ、とクザンは囁きかけた。
 しばらく嗚咽を漏らしていた少女だったが、次第に落ち着きを取り戻すと、クザンの胸に頭をもたせかけたまま謝辞を述べた。
「ありがとうございます。クザンさんは……とっても優しいんですね」
「いや。俺は……酷い奴だよ」
 頭を持たせかけたシャーリーには伺い知れなかったが、クザンはあくまで穏やかな口調だが、その顔付きは自嘲を孕み、どこか疲れた笑みを浮かべていた。
「うぅん、そんなこと無いわ。だって私は今――」
「二人とも、ちょっと良いかね?」
 背後からかけられた声は遠慮がちだったが、クザンとシャーリーは同極の磁石が触れあったように飛び離れた。
「お、おじさん!?」
 いつからそこにいたのか、モルトがそこに立っているのを見てとると、シャーリーは意味不明な言葉を漏らしながら、あたふたと駆け出して行った。パンの入ったバスケットも一緒に。
 モルト店長はやれやれと言わんばかりに首を振ると、バツの悪そうな顔付きで、バケツを片付けにかかっていたクザンを呼び止めた。
「トーマス。一つ使いに行って来てくれ。隣町に知り合いの家具職人がいる、先方に話しはつけてあるから、そこに行ってテーブルをもらって来るんだ」
「了解」
 そう言って物置部屋に向かおうとしたクザンを、再びモルトが呼び止めた。
 振り向けば、モルトは冗談っ気の全くない表情で、クザンの隻眼を見つめて言った。
「仕事中だという事を忘れんでくれ。やる事はたっぷりあるし、他の客にも迷惑だ」
 抑揚を交えずに話すモルトには、不思議な迫力があった。うっすらと汗をにじませながら、クザンは短く返事を返し、少し左脚を引きずりつつ、急いで物置部屋兼仮の住まいに逃げ込んだ。
 しばらくの間、クザンが逃げ込んだ部屋の扉を静かに見つめていたモルトだったが、やがて目を逸らせて自らの背後にあった部屋の扉を叩いた。
「出てきて構わんぞ」
 扉が開くと、中から出てきたのは軽装だが立派な鎧に身を包んだ四十がらみの男と、薄汚れたフードをまとった二十歳そこそこの男だった。若い男が口を開く。
「やれやれ、素性の分からん野郎一人にビクビクせにゃならんとはな」
 その口調は暗く、品性に欠けていた。
「仕方ない。訳の分からんよそ者に、ひっかき回される訳にいかんだろ」
「いざとなりゃ、こいつに物を言わせりゃ良いんだ」
 モルトの意見を、懐から突き出た筒を叩いて退けようとしたが、年かさの男が落ち着いた声音でモルトに賛同した。
「お前の言うことも一理あるが、モルトの言う通りだ。今度の件に関しては、不確定な要素はできるだけ遠ざけた方がいい……あの男、なかなか腕がありそうだ」
 慎重な意見を吐く年かさの男に、フードの男はあきれたような調子で返した。
「一つ目の間抜けにどうこう出来るとでも言うのかよ?」
「分からん。だから手を打っておくんだ。俺が適当に難癖を付けてしょっぴいてくのも構わんが、ここはお前の部下に任せる。天下の往来で追い剥ぎに会うのは、珍しいことじゃない」
 そう言い渡すと鎧の男は踵をかえし、階段を降りて行った。それを見送ったモルトは、若い男に言い聞かせた。
「ここはあいつに任せよう。お前は予定通り事を進めてくれ、分かったな?」
「ったく、面倒くせぇ……」
 若い男は忌々しげに漏らしつつ、階段に向かった。
 その背中が完全に消えるまで見送ったモルトは、一人誰もいない廊下で疲労の濃い溜め息を吐いた。
 シャーリーへの挨拶もそこそこに、クザンは宿を発った。
 人ひとりではテーブルを運べないので宿の納屋から荷馬車を借りだし、馬に鞭をくれて町を出る。町を出る折り、町の出入り口である石作りの門柱に、浮浪者とおぼしき風体の人影が座りこんでいるのをクザンは視界の端に捉えたが、クザンはそれっきり気にせず山道へと馬車を進めていった。
 遠ざかって行く馬車の尻が見えなくなるまで見つめていた浮浪者は、やおら立ち上がると鋭く口笛を吹いた。すると門柱の陰から馬に乗った人相の悪い男が現れ、浮浪者は男が牽いていたもう一頭の馬に乗り、腹を蹴って二人で町を出た。クザンの乗った荷馬車を追って――

 馬車が目当ての町に近づいた頃には、既に夕暮れ時だった。しかし、西の空には以前見たような夕日が無く、代わりに鉛色の雲が厚くたれ込め、景色を薄暗く支配していた。どうも一雨来そうだ。空を見上げつつそんな予感を抱き、クザンは雨に会う前に町に入ってしまうべく、馬の背に鞭を加えようとして――ふと、視線を前に戻す寸前に、視界の片隅に何かが飛び込んで来た。
 クザンが来た道を辿って、馬二頭が山道を駆けてくる。それだけなら彼も気に留めなかっただろう。しかし、クザンには何か引っかかる物を感じ――
(前の馬に乗っているのは、あの浮浪者じゃないか?)
 記憶の片隅から湧き出た疑念を確めるべく、クザンはローブの懐から、見慣れない道具を取り出した。それは、“この世界”では見受けられない道具だった。もし彼と同じ“来訪者”が見れば大抵の者は大きめのサングラスやゴーグルを連想しただろう。クザンはそれについているストラップを手早く頭に巻き付けると、レンズが付いた本体を目元まで下げ、横に配置されたスイッチを入れた。レンズの裏側はスクリーンになっており、そこにレンズから得られた情報が表示される仕組みになっていた。それなりに目標との距離が開いていたので、倍率を操作して解像度を上げる。瞳孔の動きに反応し、搭載されたプロセッサがフォーカスを調整――間違いない、町の出入り口にいた浮浪者だった。
 見覚えのある汚ならしいフードを上げ、むさ苦しい髭を蓄えた素顔を晒しているが、やはり奴だ。随伴している人相の悪い男の手には、短槍が握られている。何とも剣呑な雰囲気を漂わせた二人は、どちらも今や馬を疾走させ、みるみるこちらへと距離を詰めてきている。
 今やクザンの頭の中では騒々しい警報が鳴りっ放しだ。疑問を浮かべるよりも早く、クザンは行動をとった。まずは馬車を急がせ、山道のカーブを利用して向こうから見えない位置で馬車を止める。狭い上に、差しかかって間もない所に止められた馬車は、カーブを塞ぐ形となっていた。とりあえずの仕上がりに満足したクザンは、腰に下げた冷たい鋼鉄の感触を確かめると来たるべき時に備えた。

 *

 薄暗い空の下、窓越しに通りを眺めたシャーリーは何度目かの溜め息をついた。どうも今日は落ち着けない……小休憩を取るため、二階への階段を登ろうとした時、それは起きた。ガラスが割れる音と共に、誰が発したか分からない程悲鳴と怒号が宿に満ちた。少しだけ階段を上がり、手すりの隙間から階下の食堂を伺うと、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。いかにも怪しい風体のゴロツキ達が、手に凶器を持って宿の客に襲いかかっている。ほとんどの客は床に引き倒され、抵抗を諦めているが、抵抗を試みた者や逃走を図った者はその場で血祭りにされた。思わず目を背け、悲鳴を漏らしそうになったシャーリーだが、頑張って自分を奮い立たせると、階段上がって廊下を母屋に向かって駆け出した。おじさんに――店長に報せなければ! 母屋に向かおうとした矢先、当のモルト店長が母屋の扉をくぐって現れた。
「おじさん!」
 必死に叫ぶシャーリーを見て、モルトは何が起きているか悟ったらしく、落ち着いた声音で言った。
「部屋に隠れて居なさい、鍵をかけておくんだ」
「でも、でも宿の皆が――」
「私に任せて、お前は隠れていなさい! さぁ、早く!」
 そう言って母屋にシャーリーを押し込もうとしたモルトだったが、ゴロツキは既に二階へと上がって来ていた。
「何してやがる、待ちやがれ!」
 ドスを効かせたゴロツキの誰何に、思わず身をすくませた二人に、母屋からも現れたゴロツキがこう言った。
「よぅし、おっさん。大人しくすりゃ命まではとらねぇ。だが妙な真似すると……ふへへへ」
 ゴロツキは血走った目でまずはモルトを恫喝し、続いて好色そうな下卑た笑みを浮かべてシャーリーを見つめた。息を呑むシャーリーを後ろに庇い、モルトは声を張り上げた。
「おい、話が違うぞ! お前達の首領に――クライドに会わせろ!」
「あん!?」
「なに言ってんだ、このおっさん?」
 ゴロツキ達が怪訝な顔付きをしたが、陰鬱に響いた声が答えとなった。
「俺に用か?」
 声の主は、あのフードを被った若い男だった。クライドと呼ばれた男がこちらに近付いてくるのをみると、ゴロツキは直立不動の体制をとった。
「ここはもういい。お前達は客の金を集めて来い」
「わかりやした」
 ゴロツキ達はそう言うと、それっきりモルトとシャーリーには目もくれず、客室の鍵を潰しにかかった。モルトは憤慨した様子で、クライドに食ってかかる。
「おい、話が違うじゃないか。私達には危害を加えないはずだぞ!?」
「だから加えられる前に助けただろうが? 元々の計画じゃあんたは下で大人しくしていて貰わなくちゃならんのに、この有り様はなんだ? 感謝されこそすれ文句を言われる筋合いは無ぇ、違うか?」
 ゴロツキ風情にやり込められたのが余程頭に来たのか、モルトは口をつぐんで顔を紅潮させた。そのやりとりを聞いていたシャーリーは、恐る恐るモルトに質問を投げかけた。
「おじさん、計画ってなに? この人達は? これは決まって――」
「うるさい! お前は黙っていなさい!」
「ヒィーヒィーヒィーッヒッヒッヒッヒ――」
 モルトとシャーリーのやりとりを聞いたクライドが、天井を仰いで喉の奥で引きつった笑いを漏らした。ひとしきり笑い、唖然として黙った二人にクライドは暗い調子で言った。
「よぅし、そこまでだ、お嬢ちゃん。とりあえず下に降りて大人しくしてて貰おうか。これ以上おれの手を煩わせるならあの世に行くのが早くなるぜ」
 そう言ってまたひとしきり笑うと、見馴れない形状の刀身を持つナイフを抜いてモルト達を下に降りるよう促した。食堂は既に喧騒が収まり、人質にされた宿泊客のすすり泣きや呻きが時折聞こえてくるのみだ。モルトはクライドの背後につき、シャーリーは食堂の一角に追い立てられ、厨房のスタッフ同様縄を打たれそうになった。手下の一人が変態じみた嫌らしい笑みを浮かべ、縄を手にシャーリーににじり寄った。
「へ、へへへ、縛りは好きかな? お嬢ちゃぁん。フヒ、フヒ」
「ひっ、いや、いやぁ……近寄らないで!」
 涙を貯めて懇願するシャーリーだが、それが変態の加虐心を煽ったのか、怪しさを増した手付きで服の上からシャーリーの体をまさぐった。
「ほれほれ、大人しくしないと縄が食い込んじまうぜぇ、アソコとかによぉ? ヒヒヒヒヒィ」
「いやっ、助けて、助けて! いやああああぁっ!!」
 絶叫してもがくシャーリーを見て遂に我慢しきれなくなったモルトは、憤怒の表情も露にシャーリーをいたぶる変態に駆け出した。
「その娘から離れ――」
 だが三歩と進まぬ内に、乾いた破裂音と共に閃光が食堂にこだました。
 音自体はさほど大きくなかったが、閉鎖空間で発てられた音は、実際よりも大きく聞こえるものだ――聞き覚えの無い大音響に、ある者は顔を伏せ、ある者は腰を抜かし、ある者は悲鳴を漏らした。
 次にわずかな間を置いて、小銭を落としたような音が発ったが、これは鈍く湿った、ドサリという音にかき消された。ちょうど心臓の辺りを背中から貫かれ、鮮血を散らしてモルトが倒れた音だ。そしてモルトの背後にいたクライドの手に握られていた、無骨で小さな鉄の塊は、筒状の先端から蒼い煙をくゆらせていた――
「言っただろ、俺の手を煩わせるなって。いい加減にしろよな」
 クライドは冷めた目で、物言わぬモルトを見つめた。
「今後、俺の許可無く勝手な事をした奴はこうなる。わかったか?」
 暗く低い男の声が食堂に響き、続いて狂気に濁った目で睨みつけられると、人質は途端に呑まれてしまった。ただ一人を除いて――
「ひぃ……や……ぃゃ……」
「うん?」
「いや……いや……いやあああああああああぁっ!」
 クライドが目を向けたのとほぼ同じタイミングで、忌まわしい記憶を呼び起こされたシャーリーが、なりふり構わず駆け出したのだ。
「まだ分かってねぇようだなっ!」
 手下に捕らわれたシャーリーにクライドは近寄ると、力任せに“握り”をみぞおちに叩き付けて叫んだ。
「てめぇら自分がどんなヤバい所にいるか、もっと知る必要があるらしいな! よく見てやがれよ――おめぇら、やっちまえっ!」
 クライドが手下に指示を出すと、身を折って悶絶するシャーリーに、待ってましたとばかりに喚声をあげて、荒くれ者どもが群がった。
「ゃ……いゃ……助けて……」
 少女の小さなうめきは、野獣の渇望に飲み込まれ、誰の耳にも入らなかった。

 *

「うおっと! なんだこりゃ!?」
「おい、いねぇぞ? 消えちまいやがったぜ?」
 カーブにさしかかった途端、視界に突然現れた馬車に行くてを阻まれたゴロツキは、悪態をついて獲物の行く手を探ろうとした。荷台はおろか馬車の行者席にも誰もおらず、繋がれた馬は立ち尽くしていた。
「野郎、感づいて逃げやがったか――」
「そんな遠くには行けねぇハズだ。足跡を追おうぜ」
 馬を下りて二人のゴロツキが荷馬車に近づく。行者席から続く足跡を追い、用心深く追跡を開始した。足跡はぐるりと荷馬車の後ろに周りこみ、一週して行者席にたどり着いた。
「なんだこりゃ?」
「どういうこっ――」
 行者席に視線を注ぎながら、不可解な痕跡に言葉を漏らしたフードの男に、人相の悪い男が同感の意を現そうとしたが、出来なかった。馬車の下に張り付いていたクザンが、音を発てずに這い出るやいなや、背後から手を伸ばして男の口を塞ぎ、もう一方の手に逆手に握ったナイフを喉元に冷たい刃を滑り込ませたからだ。
 目玉を剥いて絶叫をほとばしらせようとした男だが、引き抜かれたナイフでさらに首を真っ二つに切り裂かれては、声を出すことはできない。飛び散った血しぶきが前のフードの男に降りかかると、そいつはようやく事態に気付いた。そいつは手にしていたクロスボウの引き金を振り向き様に絞る。放たれた矢はクザンの腕の中で事切れていた仲間の胸に刺さった。
 盗賊は息を飲んで二発目の狙いを付けようとしたが、クザンの右手はそれよりも速く、腰の武器を手にしていた。鈍い破裂音と閃光が瞬き、盗賊は突き飛ばされたように地を転がった。腹を穿たれ、悶絶する盗賊に狙いを付けたまま、クザンは腕の亡骸をぞんざいに放り出す。愛用の45口径をホルスターに戻し、血塗れのナイフを倒れた賊の喉に食い込ませる。
「お前、町からずっと尾けてたな。何が狙いだ?」
 呆けた様子でこちらを見上げる賊の態度に、クザンは腹の銃創に膝を当て体重をかけた。痛みに顔を歪める賊を見下ろし、底冷えする声で脅した。
「答えなきゃ苦しんで死ぬが、構わんな?」
 遂に観念したのか、賊は聞き取りづらい小さな声で話したが、クザンは耳を近づけ聞き取ると、パッと身を翻した。賊は腹の穴から盛大に血を溢れさせ、次第に意識を失っていった。クザンは手近にあった賊の馬に跨がると、腹に蹴りを入れて全速で宿場町にとって返した。
 夜を隠す鉛色の雲が、下界の惨状に堪えきれなくなったかのように、雨の涙を流し始めた――

 *

「――馬鹿め、殺してしまうとは!」
「そうでもしなきゃ手下が騒いで、もっと厄介なことになってただろうよ」
 投げかけられた糾弾もどこ吹く風。クライド・コーウェンはさらりと受け流すと、ドサリと椅子に身を投げ出して横柄に言い放つ。
 ここは宿場町の集会所である。そして硬い表情でクライドを睨んでいる町長は、重々しく口を開いた。
「あの男はただ娘を守ろうとしただけなのだぞ? それを貴様は――」
「うるせぇな。別にあんたが居なくても、俺達にゃ不都合はねぇんだぜ?」
 剣呑な雰囲気を漂わせ始めた盗賊団の頭に、先程から黙して語らなかったアガレス国境警備隊隊長、ケイロ・ハスコクが止めに入った。
「止せ。町長の協力がなければ、俺達はこんな簡単に金をせしめる事は出来なかったんだぞ――町長もこう考えてくれ、むしろ宿一つで補償金が余計に手に入ると思ってくれれば良い」
 冷静に恐ろしい事を言うこの警備隊長は、クライドと手を組んでこれまで盗賊団員を逮捕しては護送時に逃がすを繰り返し、偽の功績で私腹を肥やして来たのだ。
 中には今回同様、財政の潰れかかった小さな町や村落に協力を持ちかけ、旅行者や商人を閉じ込めて、より多くの金品をせしめるような事も一度や二度ではない。
「しかしだね……」
 言い澱む町長だったが、不意に部屋のドアが開かれ、国境警備隊の制服に身を包んだ男が入ってきた。ケイロの部下だ。
「隊長、妙な報告が……」
「うん?」
 言い難そうに口をつぐんだ隊員に、ケイロは先を促した。
「はっ――ジュレメア側からやけに急いだ男が、見張りの連中が止めるのも聞かず、こっちに向かったそうです。時間的にもう着いているはずですが、入り口の見張りは誰も来ていないとのこと」
 ふむ、と言ってしばし黙考し……やがて命令を口にした。
「見張りに巡回させろ。クライド、仲間を借りるが構わんな?」
「俺も行く」
 そう言って、盗賊の頭は椅子から身を起こし、いそいそと己の武器を改めた。
「お前も行くのか?」
 怪訝な表情を浮かべるケイロに、クライドは言った。
「あの男……あの片目野郎しかいねぇ。追撃の連中が帰って来てないとすりゃ、どうやら本当に手練れらしいな」
 認識を改めたクライドは、宿で使った拳銃ではなく、それよりもより強力で、長大な銃を手にし、弾倉をはめ込んだ。相棒のただならぬ様子に、ケイロは無言で頷くだけだった。


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