終章『着信あり』

 俺はただ不安で、僕はただ知ってほしくて、オレはただ気づいていなくて。そう。
 ――僕らはただ……



 紅葉が街路にあふれ、すっかり秋の化粧をした週末の街。
 そこを、一組のカップルが歩いている。
「もう、あんなものプレゼントするんだから、南君!」
 明るく、元気そうな娘である。年相応な化粧をしている。秋の紅葉にマッチした美しい娘だった。
 手には紙袋を抱えている。買い物の帰りだろうか。
「ごめんって。だから今日また、一緒に買いに行ったんじゃないか」
 南と呼ばれた男はしきりに謝る。取り立てて特徴はないが、人の良さそうな顔をしている。
「あたしが金属アレルギーだって知らなかったの?」
 南の肩がピクンと震える。彼女には、尻に敷かれているらしい。
 けれども幸せそうだった。
「そう言えば、いつもシルバーつけてなかったよな……俺の観察力がなさすぎた。ごめんごめん」
 どうやら南は、彼女が金属アレルギーだということを知らずに、シルバーアクセサリーをプレゼントしたらしい。
 女の子の手の中の紙袋は、新しいプレゼントというわけだ。南は、申し訳無さそうに謝った。
「南君はどこかぬけてるんだから」
 彼女はそんな南の様子を見て、にこにこ笑っている。二人は、何だかんだでうまくいっているようだった。
「あ、電話だ」 
 突然、軽快なメロディが流れ出した。南の携帯の着信音らしい。
「いいよ、出ても。その代わり、手短にね?」
「はいはい、わかりました」
 ニッコリ笑う彼女に答えると、南は携帯を手に取った。
「はい、もしもし、南だけど?」
「あ、拓だけど、同窓会のお礼の電話をしようと思って……」
「ああ、この前の同窓会は楽しかったな」
 南はどうやら、同窓会の幹事を務めたらしい。
 そのお礼の電話をクラスメイトの拓がかけてきたといわけだ。
「本当に感謝してる。僕、今まで家に引きこもりっきりだったんだ。家から出るきっかけを与えてくれたのは君だったんだよ」
「いや、クラスの行事で決まってたし、俺のおかげなんかじゃないよ」
 南は照れくさそうに頭をかいた。
「そうかもしれない。けど、君の電話で僕は変われた。これだけは事実なんだ。ありがとう」
「何か照れるな……そうだ、学校はうまくいってるのか?」
「友達ができたよ」
 拓の声がはずむ。
「そうか、よかった。お前もうまくいってるんだなあ。俺も彼女とうまくいってるぞ?」
 彼女が、「もー、何言ってんのよ」と、照れくさそうな声を出す。
「あはは、それはよかった。あ……今、隣で女の子の声が聞こえたけど、デート中?」
「ああ、駅まで送って帰る途中だけどな」
「そう、それなら、邪魔になっちゃ悪いし、そろそろ電話切るよ」
「悪いな、またいつでも相談あったら電話しろよ?」
「ありがと。じゃあ……」
 拓のお礼の言葉で電話は終った。
「誰? 友達?」
 南が電話を終えると、彼女が、すかさず質問する。
「ああ、高校のころのクラスメイトさ」
「彼女とうまくいってるぞ……ね? どうかなー?」
「うまくいってないの!?」
 ご丁寧に南の口調まで真似する彼女に、南は焦って言う。その反応を見て、彼女は軽く笑った。
「冗談だってっ。あはは、南君ってやっぱ面白い!」
 南は、不機嫌そうな顔をしてみせるが、内心はそうでもなさそうだ。彼女と一緒に居られて、心から幸せそうな様子が伝わってくる。
「さて……到着!」
 彼女が高らかに言う。
 二人の目の前には、アパートがあった。どうやら、彼女はここに一部屋借りているらしい
「今日は楽しかった」
 南が言うと、彼女はニッコリと微笑んだ。
「うん、私の方こそ色々買ってもらってありがと! じゃあまた明日、学校でね?」
 そのまま、部屋に入ろうとした彼女だが、ふと思い直したように引き返し、南の頬に軽く口付けをする。
「これ、お礼!」
 言うやいなや楽しそうに走り去る。
 彼女はドアを開けて身体を半分いれた状態で、「ばいばい〜!」と可愛く手を振る。
 南が手を振り返すと、彼女はドアを閉めた。
「まだこの程度の関係か……先は長いな」
 南はふっと笑った。南はきびすを返すと、アパートを後にした。駅へと続く大通りに出て、大通りに沿って歩いた。
 その南の前を、一組のカップルが歩いている。幸せそうなカップルが、道の脇に置かれた花束の前を通り過ぎていく。真新しい花束はまるで忘れられたように置かれていた。
 南はそこで足を止めた。何事か考えていたようだが、静かに目を瞑ると両手をそっと合わせた。
 軽い黙祷を捧げ終え、立ち去ろうとする南の背に声がかけられた。
「もしかして、美紀の友達?」
 若い男だった。おそらく、南と同じくらいの年であろう。
 髪は少し明るめに、茶色く染めている。手には新しい花を持っていた。
「オレ、美紀の恋人の雄也ってんだ」
 南はあっけにとられた表情で、雄也と名乗った男を見つめた。
「いや、俺は……友達というか……」
 南は答えようが無かった。
「その……事故の当日たまたま居合わせて……可哀想だからつい」
 雄也は理解できたらしい。
「ああ、それで……でも、ありがとうな。わざわざ足止めてくれて……美紀も喜ぶと思う」
 雄也は、ガードレールに括り付けられている花へと向かった。古い花と新しい花を入れ替える。南は、その姿をただ目で追っていた。
 会話が途切れる。南は何か言わなくてはと思ったのか、口を開くが言葉がうまくまとまらない。
「いや、でも……俺なんて……」
 その言葉に、雄也が振り向く。結局、会話は途切れた。
 愛する人を失ったものに……どんな言葉をかけれると言うのだろう。南が、返答に困るのも無理もない。
 南はやるせなくなって、雄也から視点を外し、花束を見つめる。視界に映る地面に、ポツリポツリと何か水滴が落ちるのが見えた。
 雨だろうか。いや、違う。雄也が泣いているのだ。
「ごめんな。人前で泣くなんて……」
 雄也は涙を拭いながら、謝った。
 南には雄也の気持ちが痛いほど伝わってきた。あのとき、南も彼女を亡くした気持ちというのをずっと考えていたのだから。たまたま、あのとき亡くなったのが、雄也の彼女であり、自分の彼女でなかっただけのことなのだ。南の目頭も自然と熱くなる。
「いや、気にしないでいいよ……俺もさ、彼女を亡くしたときのこと考えるとすっごく辛くなるし……泣きたい気持ちも分かる」
 雄也が、赤い目で南を見る。
「彼女を亡くしたことを考えたのか。その大切さ、わかるか?」
「実を言うと、ここで事故があったって耳にしてかけつけたとき……俺は自分の彼女じゃないかって勘違いしたんだ」
 南は、語り始めた。
「居ても立ってもいられなくて。馬鹿みたいに慌てて。泣きそうだった――実際に自分の彼女じゃないって聞いたときはほっとした。すっごく彼女の大切さを感じたんだ」
 ここにきて南は気づいた。相手が、その事故で亡くなった娘の恋人だということに。
「ごめん……! 君はその恋人だったね……本当ごめん」
 南は本心から謝った。謝っても謝りきれないくらいに。
「いい。それは誰もが思うことだと思うしな。けどな……実際、大切な人がいなくなったときにどんな気持ちか分かるか?」
 南は何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
 愛するものを失う恐怖を感じた者と、愛するものを実際に失った者。それは全く次元の異なる二人。
「どうしようもなくて……何もできなくて……! 生きている意味もなくて! 死にたくて!!」
 雄也は、顔中くしゃくしゃだった。
「そんなときに……どうすればいいか知ってるか?」
 雄也の独白にも似た言葉に、南は答えられなかった。
「わからないよな……オレもまだ完全に答えを出せてない」
 南は雄也の顔を見た。
「本当にどうしようもなくて、一人で背負い込んで、自分の殻に引きこもってたとき――そのままじゃダメだって言ってくれた奴がいたんだ」
「うん……」
「どうすればいいかわからないが、オレはそんな友達と過ごしていく中で――あいつを、美紀を失った傷を癒せればいいなと思う」
 雄也は涙を拭った。
「そう、一人じゃなければ人は頑張れる……あ」
 雄也は、目の前で南が黙り込んでいるのに気付いた。 心底、すまなそうな顔をして謝る。
「ごめんな、見ず知らずのあんたにこんな話をして……」
「いいよ、気にしないでくれ。俺もあんたの話ですごく考えさせられたし」
 南は、本心で言っているようだ。全く迷惑に思っていない様子だった。 
「一人じゃないってことを忘れちゃだめだってのも、よくわかる――」
 南は続けた。雄也は静かにその言葉を聞いている。
「俺、思うんだ。彼女が亡くなったことは辛いだろうけど……もし、二人が出会っていなければ、もっと辛かったんだって」
「二人が出会っていなければ――」
 雄也は南の台詞を繰り返した。
 失うことの辛さよりも何よりも……美紀と知り合っていない人生の辛さなど、雄也には想像もつかないほど大きいものであった。 
「美紀ちゃんと出会えて幸せだっただろう? 楽しかっただろう?」
 雄也の中に二人で過ごした日々が蘇る。
「だったら……美紀ちゃんに感謝しないと! 言葉じゃなくて、これからの行動で、その感謝の気持ちを伝えるのが大事なんだ!」
 言葉じゃなくて行動。口だけの男ではいけない。
「ごめん、偉そうなこと言って」
 今度は南が謝った。
「いや……オレの話を全部聞いてくれて嬉しかった」
 雄也は南の手を握ると、「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返した。雄也の目に、涙はもうなかった。
 風が優しく二人を包み込む。
 大通りを行き交う車も、行き交う人も、そんな二人を怪訝に見つめるが、深くは詮索しない。
 全てを知っているのは、当人たちと――ポケットの携帯だけ。

 軽快な電子音が鳴り響いた。
 傍から見ると、どちらの携帯が鳴ったのか分からなかった。
 分かることはただ一つ。
 ディスプレイに浮かぶ一つの文字――『着信あり』

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