03.ルーの生活

 ルーミー・ラルハンド。
 生まれながらに刻印された左腕の聖痕が、なにより雄弁にあたしの運命を物語る。

 *

 そこには、古い風が吹いていた。
 数千年を荒野に刻んだ神の棲家。ただあり続けたというだけで、ミストーラは世界に冠たる女神学校にのし上がった。
 徹底した禁欲を自らに課す神女の集団。名家の次女三女ばかりを集めた神世奴隷の収容所には、古く醜くとも、あくまでも神の家であるという矜持はあった。それは意外と、そう、案外にも心地の良い団結だった。人間であることを放棄するような修道女の生活も、覚悟の上のこととして受け流すことができた。白い髪も赤い眼も虚弱な体も、すべてこのためにあったのだと思えば、いかに辛い生活であろうとも受け入れることはできた。
 受諾は逃避。
 糾弾などない。
 なぜならこの身こそ、神の依り代だったのだから。
 ただ、それが何だというのだろう。神がどこにいようとも、ルーミー・ラルハンドの名はここにある。新たに与えられた僧名、ルミア・ギイ・ミストーラは、所詮偽りの呼称に過ぎない。神に囚われようと、僧侶に縛り付けられようと、心ばかりは失わない。心に封じた童心の思い出は、いつかこのアルビノの個体にも導きをもたらすだろうと、それだけを信じて。

 そして、中断。
 十から十二の青春を貪婪に啜ったミストーラでの生活は、あっけなく終わった。
 家からやってきた執事に、顛末を聞いた。久しく窓の外から眺めた大蒼穹は見とれるほどに広かったけれど、心は晴れなかった。この自由は、あまりにも重大な死によって購われたのだと、知りたくもない真実を知った。
 故郷へ帰る馬車の中で、幼心に追憶した。あのふたりは元気だろうかと。異端を異端としてではなく、仲間として受け入れてくれた、あの心優しき少年たちは、まだ元気に遊んでいるのだろうかと。

 *

 小鳥のさえずりで目が覚めた。窓から吹き込む風が、汗ばんだ肌に心地良かった。初夏の太陽の高さで朝寝坊に気づく。厳格で規則正しい生活をしていた昔の記憶はどこへやら、あたしはすっかり人並みの生活に戻ってしまった。
 あの牢獄みたいな神学校から帰ってきて、もう三年がたった。
「ああでも――夢でよかった」
 ミストーラでの生活はすっかり忘れようと思ったのに、十五歳の儀式を終えてから、あの頃の夢をよく見るようになった。
 忘れるなんて、都合がよすぎたのだろう。だってこの自由は、人の命の犠牲の上に立っているんだから。
「やめやめ。暗くなっちゃう」
 着替えをしようとして、またため息を吐く。僧侶の職業につくものは服装からして華美からは遠ざからなくてはならない。だからあたしの部屋にある服は地味で辛気臭い奴ばっかりになってしまった。ラルハンドの女は青毛だからこういう服も似合うけれど、あたしは特別性の総白髪だから地味すぎる服は似合わない。
 仕方なくブルーのワンピースを着ることにした。自分ではいまひとつだと思っているけど、いかにも修道女っぽくて、周りの評判は上々だ。寝ていても汗ばむくらいの暑さになってきたから、本当は袖のないものも着たいけれど、あたしの左腕は他人に見せられるものじゃない。だから真夏になっても手首まで隠れるような服しか着られない。ああ、季節がずっと春だったらいいのに。
 姿見に自分を写してみる。アルビノ個体特有の白髪は、光を反射すると銀髪に見える。赤い瞳は人から怖がられるけど、自分では気に入っている。肌の白さも透明感があって嫌いじゃない。でも、この体格だけは何度見ても許せない。生まれつきの虚弱体質。手足は転んだだけで折れてしまいそうなくらいに細いし、身長は子供の頃から伸びていない。
 もっとも、アルビノをもっとも苦しめる日光の問題は解決済みだ。魔力の膜をいつも体中に張り巡らせておけばいい。代々ラルハンドのアルビノはそうやって障害を排除してきたって教えてくれたのは曽祖父だった。
「あら、お嬢様、いまお目覚めですか」
 部屋を出て玄関に向かう途中、メイドのキャシーが声をかけてきた。
「うん、ちょっとね、寝坊しちゃったの」
「お嬢様はお体が丈夫でないのですから、睡眠はたっぷり取った方がいいんですよ」
「わかってるんだけど、まだミストーラの癖が抜けないのよね」
 あたしは寝坊では怒られない。母様も父様もあたしにはもっと眠っていて欲しいと思っているから、どれだけ遅く起きたって誰も叱らないのだ。その代わり、夜更かしなんかすると大目玉を食うことになるんだけど。
「朝食はいかがなさいますか、お召し上がりになるのでしたらすぐに用意いたしますが」
「んー、今朝は食欲がないからパス」
「いけませんよ、そんなことではお体に障ります」
 まだ三十にもなっていない若いメイドなのにしっかりしている。すごくいい人で頼りになるし大好きなんだけど、ちょっと口うるさいのだけは勘弁してほしい。
「平気平気、その分お昼にちゃんといただくわ。父様は――教会か。母様はどこに?」
「おそらく、お墓の方へ。お嬢様も行かれるのですか」
「まあ、気が向いたら」
「お供はおつけしますか」
「冗談よしてよ」
「そうでしたね。失礼しました」
 キャシーはこれから掃除でもするんだろう。もちろん、あたしにも掃除はできる。たまに手伝おうとするんだけど、そのたびに逆に叱られるのだ。いわく「ラルハンドの聖なる仔が、家の掃除だなんてとんでもない」だそうだ。
「さて、どうしようかな」
 母様と鉢合わせるかもしれけど、お墓参りは悪くない。気分が変わったら途中の広場で魔法の練習をしてもいいし、カイルやクライスのところに遊びに行ってもいい。
 こういうとき、本当に村に帰ってきてよかったなと思う。村での生活は楽しいし、なにより自由だ。誰もあたしを気味悪そうに見ないし、祈りを捧げようとしない。アルビノ個体がどれだけ珍しくて神聖かなんて知らないけど、ただ体中に色素がないっていうだけで神様扱いされてたらこっちだって参ってしまう。
 ミストーラでは毎日がそんな緊張の連続だった。身も心も疲れきっていたときに、村に呼び戻された。幼馴染のカイルやクライスとも再会できたし、仕事や鍛錬が休みの日には一緒に楽しく遊びまわっている。もっとも、カイルはまだ十五の儀式を終えてないから仕事もないんだけど。
 でも、いくら楽しくても、そのための犠牲を決して忘れちゃいけない。
 この左腕に聖痕がある限り、あたしは神秘の悪魔なのだ。そんなの神学に詳しい人じゃなきゃ気にもしないのに、それでも人目から左腕を遠ざけているのは、単にあたしが臆病だから。
「やれやれ。参っちゃうな」
 天才なんて、いいことばかりじゃない。
 その代償に、あたしの手足は役立たずだし、体力なんて子供以下。いくら膨大な魔力だって、それを使う機会がなくちゃ意味がない。
 要するにあたしは無用の長物なのだ。この平和な世界の平和な村に、並外れた神の混血なんて必要ないってこと。

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