10.魔法使いカイル

 悩んだって一つもわからなくて。答えなんか見つからない。
 結局、ベストなのはすぐに布団の中に潜り込むことだと気付いたのは夜も遅くなってからだった。
 当然のごとく寝不足。いつもより起床が遅かったのは仕方ない、と思うのはただの言い訳だ。親父に通用するわけはなく、食卓についたオレに浴びせられた一声はやっぱり想像した通りの小言だった。
「カイル、いつまで寝てるつもりだ?」
 その小言がうっとうしくて、オレもついつい軽口を叩いてやろうと頭をめぐらす。
「……さっきまで寝てたつもり。ほら、もう起きてるだろ」
「へらず口を叩くな! ふん……まあ、それでは試練に集中できるとは思えんな」
 ちぇ、ほんのちょっといつもより遅かっただけだろ。それが試練に何か影響を及ぼすほどじゃない。もう目は冷めてるし、頭は冴えてる。
 オレはその反論を無視すると、すでに親父とお袋の座っているテーブルへとついた。
 無言のまま食事が進む。試練に関して何の説明もない。
 オレはちらっと親父の顔に目をやる。深い皺の刻まれたその顔は相変わらず、頑固という単語がよく似合う。隣に座るお袋も親父と同じように皺が刻まれてるけれど、その顔つきは柔らかい。
 お袋は親父のやることに口出ししない。親父がどれだけ偉そうにふるまったって顔色一つ変えない。
 優しいお袋。それに比べて親父はまったく――。
「何を見ている」
「いや、べっつに」
 親父がオレの視線に気付いた。見すぎたか。
「カイル。試練を終えたら、まだサンヴィレッジを出て行くつもりか?」
「さあね」
「ふん……言いたくないのか」
 この質問は今まで何度となくされたが、その度に誤魔化してきた。
 短い問答の後はしばしの無言――食器のたてる音、食べ物を咀嚼する音だけが聞こえる。
「カイル」
 親父が再度、オレの名前を呼んだ。今度こそ試練の説明か、と思わず身構える。
「あっちに行ったり、こっちに行ったり。試行錯誤している暇があるなら、一つの道を究めることに――」
 オレは机に乱暴に食器を置いた。その衝撃で机の上のコップの水が跳ねる。
 ――またか。どうせ、オレに武道家は向いていないって言うんだろう。
「ご馳走様」
 はん。オレは半人前の魔法使いとして、このサンヴィレッジを出てやる。そして、その後、武道家を究めてやるさ。何も間違ってない。何も!
「カイル、もういいの?」
 お袋が顔色をうかがいながら問いかけてくる。
「うん。あまり食べすぎも良くないからさ。眠くなると集中できなくなる」
「ふん。昨晩眠れなかったのだろう。どちらにせよ、集中できないのではないか?」
「――先に行ってる」
 親父の皮肉を無視すると、外へと出た。試練は家の中庭でやることになっている。
 説明は無かったが、魔法使いのオレには特に必要な道具も設備もないはずだ。だから、中庭はいつもの中庭のままだった。
 オレは庭の木の下にあぐらをかくと、目を閉る――瞑想。
 お前のは瞑想じゃない――昨晩のクライスの言葉が思い浮かぶ。わかってる。よーくわかってる。
 瞑想とは無我の境地。一説によると、完全にその境地に達したものは、瞑想によって自らの精神、そして身体の傷までも癒すことが出来るとされている。
 並大抵の人ではまず無理だ。じゃあ、どうしたら瞑想ができるっていうんだろ。
 無我。我を無くす。意思を無くす。……ってことは何も考えなきゃいいんじゃねえか? おう、きっとそれだ。やっべ、オレ頭いい。
「カイル……また、瞑想もどきか」
 せっかく人がピカっと閃いたのに親父の声で現実に呼び戻された。
「もどきって言うなよ。今日やっと閃いたんだから、そのうちやってやるって」
「ふん。そのうち、か」
 親父の「ふん」という前置きがいちいち腹が立つ。馬鹿にされてるみたいで。いや、「みたい」ではなく、「している」んだ。親父はオレを馬鹿にしてる。
「さっさと始めようぜ、親父」
 立ち上がり、親父に対峙する。
 親父はそんなオレを見てわざとらしく溜め息をつく。
「何だよ、早くしようぜ。それともオレは試練の機会すら与えられねーのか?」
「いやいい。わかった」
 何か含みのある言い方だが別にいい。何はともあれ、ようやく試練を受けられるわけだ。
 これさえ受けたら後はどうでもいい。サンヴィレッジのしきたりだって何だって構うもんか。
「カイルディ・ハズバーグ。お前に試練を命じる。その内容は――」
 どんな課題でもこなしてやる。それが自由の第一歩。オレのやりたいことへの一歩なんだから。
 オレはまだ、火の精霊としか契約を結べていない。使える系統はメラのみだ。だけど、他の魔法使いの子の家では、初級呪文が扱えたら合格だった。メラのみでも、立派な呪文には間違いない。
 魔法使いとは、呪文を行使する者。即ち、一つでも呪文を使えれば、駆け出し初心者の魔法使いとみなされてもおかしくない。
 それに、補助呪文だっていくつか使えるんだ。何の心配も無い! さあ、何だって来い。魔法使いカイル、最後の仕事だ!

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