11.ルーの見る夢
夢は眼前にあらわれる。まるで夏の夕立のように。あたかも大切な人の死のように。寝ているとき、歩いているとき、食べているとき、歌っているとき、気がつけばそれはそこにある。
彼女は、そこにいる。
「こんばんは」
彼女が笑っている。また夢を見ている。彼女のまなざしを受け止めている。
今夜はきっと殺される。今夜こそきっと殺される。呪い殺される。とり殺される。なにしろ、相手はこの世のものではないのだから。
「相変わらずかわいらしいわね、ルー」
やめてと叫ぶ言葉は声にならない。どうしてだろう。夢なのに、全身が冷たい。手足に、血が巡っていかない。
それはひょっとして、あたしがもう、死んでいるから?
「そんなにおびえることないじゃない。どうせわたしは死んでいるんだから」
死んでいるのは彼女の方だ。だけど笑っている。笑えないはずの死人が笑っている。ひどい錯覚だ。本当は死んでいるのはあたしの方で、彼女はとっくに生き返っているのかもしれないだなんて。
「ねえ。ねえ、ルー。お話しましょう。昔みたいに、ほら、仲良くね」
覚めてみる夢はまだいい。燦々と降り注ぐ陽光に爆ぜて溶ける白昼夢には、輪郭がない。それは不快ではあっても脅威ではない。
夜の夢は良くない。はっきりした過去と意思を持ってあたしを追い詰める。あたしは、弱いあたしは、その攻撃に耐えられない。
そんな夢を、いま、見ている。
「どうしてそんな顔をするの? ねえ、もっとこっちにいらっしゃいよ」
悪夢を招いているのが自分であることはわかっていた。
結局あたしはまだ赦されたがっているのだ。それがどれほど不遜で生意気なことなのかを知りながら。
「あら、ぐずぐずしているうちに、夜明けだわ」
瘴気が薄れていく。彼女の笑顔が遠ざかっていく。
安心する。涙が出てくるほどにほっとする。だけど、その一方で、頭の片隅で、あたしは考えている。あたしはこれから自分の世界に、明るく楽しい世界に戻っていく。でも、彼女はここに置き去りにされる。この何もない霧だけの世界に取り残される。ひとりになる。
救いがたい偽善だとは知っている。それでもあたしは思う。ああ、かわいそうだな、と。
「ルー」
見たくもないのに彼女の顔が見える。笑ってはいない。眉を寄せている。
「あなたって、冷たいわね」
急速に覚醒していく意識の中で、あたしは泣いた。
「まるで、人間じゃないみたいに」
そうだ。あたしは、ひどい。ずるい。最低な人間だ。
「ごめんなさい、――姉様!」
*
全身が寝汗でぐっしょり濡れていた。ああ、生きている。
「最低」
口中に溜まったつばを飲み込むと蒸し暑さがいっそう増した。
最低なのは夢ではなく、彼女でもなく、あたし自身だ。あんな夢を見てしまう、あたし自身だ。
「……ごめんなさい、姉様」
姉様はあんな人じゃない。もっと綺麗でやさしくて清らかだった。ただそこにいるだけでみんなの緊張をほぐしてくれるような朗らかで穏やかな人だった。姉様が笑えばみんなが笑って幸せになるような人だった。
死に顔さえ、清らかだった。
あたしの罪の意識が姉様を歪ませている。あたしの自己嫌悪が姉様の形をとってやってきている。あんなに好きだった姉様に、あんな役を押し付けている。あたしは姉様からすべてを奪って生きているっていうのに。
自分が嫌いで嫌いで死にたくなる。
どうしてあたしはこんなに無力で、こんなにいじけているんだろう。そんな自分がたまらなく嫌いなはずなのに、どうして変われずにいるんだろう。
「どうすればいいのかな」
笑おうとしたはずの顔はだんだん崩れていって、結局あたしは泣いてしまった。
「ねえ、教えてよ、姉様」
もうあたしの苦悩を理解してくれる人はいないのだ。世界中でたったひとりぼっちになってしまったような心細さを覚えて、涙はいよいよとめどなくあふれた。
どうして今日に限ってこんなにも悲しいのだろう。
「ああ」
違う。今日に限ってじゃない。今まで溜め込んできたものが今日になって急にあふれてしまっただけなのだ。もう明日どころか今日さえ無事に過ごす自信がない。
あたしはひとり。あたしはひとり。結局ここでも、あたしはひとり。
それでも、とにかく命はある。
複雑な気持ちのまま壁にかかっている時計を眺めた。昼には早い。そろそろカイルの試練が始まる時間だ。
初夏の青空は、嫌気が差すくらいに晴れていた。
今日は、昨日より暑くなる。