13.カイルの試練

「インチキだ! 何で瞑想が試練なんだよ!!」
 親父はオレのでかい声を聞いてわざとらしく耳を塞いだ。もしかしたら本気で鼓膜が破れかけたのかもしれないが、関係ねえ。
 オレには叫ぶだけの理由があるし、権利もある。だっておかしいだろ、魔法使いの試練が魔法以外だなんて。
「カイルディ・ハズバーグよ――」
 親父は肩を震わせるオレに静かに話しかけて来た。
「呪文とは何か述べよ」
「呪文とは……自然を司る精霊の力を借り、この世に干渉を与えるもの」
「代償は何だ? より強力な呪文を扱うと疲労するのは何故だ?」
「己の精神力(マジックポイント)が代償で。それらを使うから、呪文を唱えた後は疲労する」
 親父はそこまで聞くと、「まあ、そういうことだな。もっと精進しろ」と言葉を残すと去ろうとした。
 その軽い態度を見て、怒りが込み上げて来た。何が、そういうことだな――だ! こいつは初めっからオレを受からせるつもりなどなかったんだ。この村から出すつもりなどなかったんだ!
 オレは怒りを呪文に置き換える。湧き出る怒りが、魔力へと変わる。
 怒りはよく、炎に例えられる。――怒りの炎。
 頭に炎を強くイメージし、親父へと両の手を向ける。
『メラ!』
 親父はオレの方を見向きもしなかった。ただ首を少しだけこちらに傾けると鼻で笑った。
『マホカンタ』
 マホカンタ。敵の呪文を跳ね返す魔力の壁を自らの周囲に作り出す呪文。
 オレがまだ扱えないような呪文を親父は短時間の詠唱でやってのける。
 結果――オレの呪文は親父に到達せず、それどころかオレ自身へと返って来た。
「あっち! 何すんだよ!」
「人に呪文は向けるなとあれほど教えただろうが。自業自得だ、出直せ」
 親父は短く告げると今度こそ、家の中に入ってしまった。
 後にはオレだけが残される。

 悔しかった。どうしようもなく悔しかった。
 この日のために、色々調べたんだぜ? ハズバーグ家の行ってきた歴代の試練内容をさ。そのどこにも呪文以外のものが使われたなんて書いてなかったじゃねーか。
 オレは必死に勉強した。嫌な授業だって受けたさ。それは何のためだ? 今日という日を成功させるためじゃねーか。今日という日を成功させて――自由になるためじゃないか。
「試練内容は瞑想だ。瞑想は集中力を高め、肉体回復など様々な効果をもたらす。しかしこれらの効果は付随的なもので、瞑想の本質は、集中力を高めることにある。つまり、これができていなければ魔法使いとして認めるわけにはいかぬ」
 したり顔で語る親父が思い浮かんだ。何が魔法使いとして認めるわけにはいかぬ、だ。オレだって魔法使いになんかなりたくなかったさ! オレは……オレは、呪文なんかに頼らなくたって人を助けられる武道家になりたいんだ!

 *

 あれはいつだっただろう。確かな時期は覚えてねえ。覚えてるのはサンヴィレッジを脱走した記念すべき第一回目だったということ。
 思えば、あのときは魔法使いになりたくないなんて思ってなかった。ただ、呪文がうまくできなかったときに親父に怒られ、それでカッとなって家出してやろうなんて思っただけ。
 サンヴィレッジのしきたりがどれほど強いか理解できてなかったから、簡単に遠くに行けるなんて思ってたっけ。ブランカの城下町まで出れば人も多いし誰にも見つからないに決まってる。それに隣国エンドールまでの地下道も城下町の近くにはある。流石にエンドールにまで行ってしまえば、サンヴィレッジの大人たちも追いかけて来れないだろう。
 オレは幼心にそう考え、親の財布からわずかばかりのお金を取ると家を出た。そして、まだ日も昇らぬうちにサンヴィレッジを後にした。村人の誰にも気付かれなかった。村人の誰にも干渉されない。もちろん、家族にも。
 すごく新鮮な気分だった。とは言っても、村は山に囲まれているので村を出たところで景色は何も変わらない。だけど、村が見えなくなるにつれて自分が村の外にいるのだという気持ちは次第に強くなった。
 細い道をひたすら歩くと、やがて大きな道へと出た。この道幅なら馬車も通れるだろう。それに、ここは馬車の行き来する道に違いない。轍が道路に続いているのを見てオレは確信した。
 ほどなくして馬車が通りかかるのを見つけた。オレはその前に飛び出した。
「何だ、坊主! 轢き殺されてえのか!」
「馬車に乗せてくれ」
 御者はオレの頭から足までを見回すと、鼻で笑った。
「あいにくだが、満員だよ」
「金ならある! ブランカの城下町まででいいんだ。この方角、ブランカに向かってるんだろ?」
 御者はうさんくさそうな顔でオレを見た。もしかしたら家出であることがばれたのかもしれない。しかし、このご時世、家を捨てる子供や親に捨てられる子供はざらだ。
 金さえあるならいいと判断したのか、御者は「乗れ」と言った。
 オレは軽く礼を言うと、馬車に飛び乗った。
 乗ると同時に馬車は移動し始める。急いでいるのかもしれない。それだったら他の乗客に悪いことをしたな――オレは乗客の顔をざっと見渡した。
 恰幅のよい腹をした商人風の男が一人。甲冑に身を包んだ大柄な戦士風の男が一人。残る一人は――黒いフードを羽織って、魔法書を読んでいる。そう、オレと同じ魔法使いだった。
 馬車には三人しか乗っていなかった。何が満員だよ、荷物は確かに多いけどそれでもまだまだ乗るスペースあるじゃないか。
「坊主、ブランカに何しに行くんだ?」
 戦士風の男が話しかけてきた。
「え、えっと……お遣いです」
 オレはとっさに嘘をついた。下手なことを言うと、家に戻される可能性もある。この人がサンヴィレッジと何のつながりもないとも言い切れないのだ。
「そうか、オレはてっきり家出してきたのかと思ったぜ。それならやめとけって言うとこだったがな」
「家出したとしたら、何でそう言うつもりだったんですか?」
 オレは一瞬しまった、と思った。これじゃ家出してきましたと言ってるのと同じじゃないか。
「お前ヒョロヒョロだろ。そんなんじゃ一人で生きてけねえよ。男は剣だぜ、剣!」
 オレは自分の腕を見た。細い手首。大の大人にひねられたらきっとポキッと折れてしまうだろう。
 しかし、オレは魔法使いの子供だ。さぼってばかりだけど、ちょっとは呪文も使える。呪文だって強いんだぞ!
「これだから筋肉馬鹿は困る」
「何……だと?」
 オレが反論するよりも前に、先ほどまで魔法書を読んでいた魔法使いの男が答えた。
「お前はその剣がなければ何もできぬだろう」
「な、なんだって! この腐れ魔法使いめ! お前なんざ、剣なんて無くても倒してやらあ!」
「剣があってもなくても、お前じゃ私には勝てないだろうよ。呪文の前に、剣を振るうしか脳のない戦士はかなうわけがない。呪文こそがもっとも強いのだ」
 魔法使いが嘲笑すると、戦士の額に血管が浮かぶ。
「剣が一番強いに決まってる! 魔法使いなんて、精神力が尽きればただのモヤシだ!」
「剣がなくなればお前など知能のないゴリラだ。魔法使いには呪文が使えずともその危機を脱出させる頭脳がある」
 魔法使いと戦士の言い争いはなおも続く。もはや、オレは蚊帳の外だった。
 剣だ、呪文だ、その言い争いの中に別の声が混ざった。
「あんさんら、間違ってますよ。一番強いのはお金ですわ。お金があれば人だって雇えます。何だってできますわ。あんさんら雇ったの誰ですか?」
 商人だった。その言葉を聞いて二人は黙り込む。どうやら二人はこの商人に雇われたらしい。
 どれほど腹が立っても雇い主には逆らえない。よほど大金で雇われたのかもしれない。商人は身なりがよく、またよく見ればその荷物も相当な量だ。
「ま、静かにしてくださいな。私は金勘定で忙しいのですよ」
 その言葉を最後に馬車は沈黙に包まれた。
 沈黙。単調な揺れ。この二つが合わさり、急激な眠気に襲われる。日の上がる前に起きたのなんて生まれて初めてなので、眠くなるのも無理はないのかもしれない。そんなことを考えていると、本当に眠ってしまっていた。

 そんなオレの眠りを破ったのは、御者の悲鳴だった。
 慌てて飛び起きると、馬車の揺れが収まっている。目的地についたのか? 寝ぼけた頭で考えてみる。しかし、それが間違いであったことをすぐに理解した。
「山賊の襲撃か……ぼうや、ここは私たちに任せて隠れてなさい」
 魔法使いはそう言うと、戦士と共に馬車を降りて行った。商人は隅っこで震えていた。何が金が一番だ。金があったって震えてるだけで何もできないじゃないか。
 オレは馬車の隙間から外を覗き見――我が目を疑った。
 そこにいたのは、おぞましき怪物。不勉強なオレにはその正体もわからない。
 戦士はそのバケモノと対峙し、剣を構えて牽制している。
「ふん、お前ごときに俺様が――」
 瞬間、聞こえたのは何かが空を切る音。そして直後に聞こえたのは戦士の剣が折れる音。
「ばかな――」
 魔物は続けて戦士をなぎ払う。戦士に抵抗する暇はなかった。力の差は歴然としていた。
 導かれし者たちによってこの世界は平和になった。そのため、魔物も身を潜め、人を襲うことなど無くなったはず。
 地面で倒れたままうめき声をあげる戦士を見て、魔法使いは身を震わせた。それは怒りのせいか、恐怖のせいか。
「おのれ、忌まわしき魔物め――これでも喰らえ!」
 魔法使いは精神を高め始めた。それに向かって、魔物は何事か口にした。突然、呪文を唱えようと集中していた魔法使いが地面に膝をつく。
「まだ一度も呪文を唱えてないのに何だ……この疲労感は」
 魔物は少し笑みを浮かべたように見えた――直後、高らかに咆哮すると、魔法使いに巨大な爪の一撃を与えようと突進し始める。
 戦士は落下の衝撃で動けない。このままあの一撃を鎧も着ていない魔法使いが受ければ、死んでしまう――考えるよりも先に身体が動いていた。頭にイメージした炎を空気中へと放出しようと両手を構える。
 魔物はオレの姿を捉えると足を止め、高く吼えた。同時にオレの口が開く!
『メラ!』
 ごうっと言う音がして、その炎は魔物に当たる――はずだった。しかし、声もむなしく響き渡るだけで、炎の一片も出ない。
「気をつけろ! そいつは精神力を吸い取っているんだ!」
 ――マホトラの呪文か!
 倒れていた魔法使いが叫ぶが、時はすでに遅かった。オレは突然の疲労感に襲われた。呪文を使いすぎたときのそれと全く同じ感覚だった。
「くそ――」
 がくっと地面に膝をつく。情けない。先ほどの魔法使いと全く同じだった。
 しかし、まだだ。まだ何とかできるはずだ。絶望的な状況だが――打開策はあるはず。魔法使いはその優れた頭脳も武器だ。呪文がなくたって何とかできる。
 オレは瞬時に自分に何ができるかを考えた。……そして、何もできないことを悟った。
 身体も鍛えてない魔法使いのガキに何ができる? そんなただでさえヒヨッコのオレから呪文を取ったら何が残る? 眼前の魔物の名前さえ、オレにはわからないじゃないか。
 魔物はオレと魔法使いにとどめを刺すつもりだろう――その手を振りかぶった。
 そうだ。オレは一つの答えに辿り着いた。一人じゃ無理でも皆の力を、そして知恵を合わせれば何とかなるはずだ。
 オレは背後にかばっていた魔法使いに助けを求めようと振り返った。あの人は大人だ。もしかしたらこの間にも何か打開策を見つけてくれるかもしれない。そんな思いが頭をよぎった。
 しかし、予想とは違って魔法使いの姿はそこに、ない。そして、同様に戦士の姿も見えない。いつの間に回復したのか、どこかへ逃げてしまっていたようだ。
 回復したなら――剣が無くても助けてくれよ。あの魔法使いがピンチのときだって、二人で力を合わせれば何とかなったかもしれないじゃないか。
 魔法使いにしたって、助けに入ったオレを囮にして逃げるなんてあんまりだ。

 戦士。剣のスペシャリスト。そしてありとあらゆる重装備を使いこなす。正に攻防一体の最強の職業。
 魔法使い。その優れた頭脳を生かし、どんな窮地でも脱出する。また、強力な呪文を自在に使いこなす職業。
 何が戦士だ。何が魔法使いだ。
 何もできないじゃないか。
 剣に頼らなければ何もできないのかよ! 呪文に頼らなければ何にもできないのかよ!
 呪文がなければ何もできない。
 そうか……オレは呪文を覚えたって何もできないんだ。
 オレは気づけば涙を流していた。怖かったからじゃない。自分の無力さがどうしようもなく悔しかったからだ。

 魔物の腕が完全に振り下ろされる瞬間、もし次に生まれ変わるなら――自分は一体、どの職業につくのだろうなどと考えていた。
「覇ッ!」
 突然、魔物の唸り声とは別に声が聞こえた。
 魔物は悲鳴をあげ、森の中へ吹き飛ばされた。しかし、なおも起き上がり、声の主へと飛び掛る。声の主は魔物に、しなやかな下肢を容赦なく叩き込む。魔物はなおも退こうとしなかった。
 女性は右の拳を叩き込み、魔物がその衝撃で後ろへと飛ばされるよりも前にさらに左の拳を叩き込んだ。
 一瞬、だった。それで全てが片付いていた。
「たぶん、もう戻って来ないと思うわ……君、だいじょうぶ?」
 声をかけてくれたのは、拳を突き出した体勢の女性。先ほど、魔物を倒したのはこの女性の掌底だったのか。
「あたしもまだまだね」
「じゅ、じゅうぶんだと思うけど……」
「いいえ。天空の勇者なら、あんなのもっと軽く捻るわよ」
 ――天空の勇者。
 かつて、この世界を襲った大魔王と呼ばれる災厄を滅ぼし、世界に平和をもたらしたもの。
「ま、勇者は一人しか居ないんだからわがまま言っちゃいけないか。自分のできる範囲のことは自分達で何とかしないとね。あたしはこの拳で人々を守ってみせるわ」
 闘いの終焉と共に姿を消した伝説の存在。鬼才と呼ばれた“導かれし者たち”の中にあって、ひときわ輝くこの世の救世主。
「……ねえ、キミ?」
 いつまでも黙り込んだまま、尻餅をついているオレに彼女は手を差し伸べた。黄色の衣服に、青のとんがり帽子が映える、綺麗な女性だった。
「あ、は、はい」
 その美しい外見に似合わず、差し伸ばした手はごつごつとしていた。とても、女性の手とは思えない。けれども、幾人もの生命を救ってきたであろう、逞しい手。
 ――そう。オレを救ってくれたのは、戦士でも魔法使いでもなく――
 一人の女武道家だった。

 *

 親父の「瞑想が試練」などと言う無理難題の後、オレは自分の部屋に戻り、今まで集めたハズバーグ家やサンヴィレッジの過去の資料を手にした。
 記憶が正しけりゃ確か――
「――あった。昔の試練方法」
 今でこそ試練は村の中で親に行なってもらうのが主流だが、昔はそれは少数派だったらしい。
 昔の試練は、村の近くの山中にある『試練の洞窟』に十五歳を迎えた子供が一人で赴き、その奥深くにある宝箱の中身を村に持ち帰ることが内容だったという。
 いつしか、洞窟も老朽化したせいで、その試練を行う親はいなくなり、手頃な試練制度に変わったとか。
「しかし、これ……昔の試練制度なんだよな」
 諦めかけたが、オレはここの資料全てに目を通していたことに思い至る。そのどこにも、「昔の試練制度は廃止する」という文言はなかった。おそらく、この制度は今でも有効なはず。
 藁にもすがる思いで、もう一度、試練制度についての資料を読み返す。確かにどこにも書いていない。書いてないぞ!

 時刻は早朝というには遅く、昼というにはまだ早い。ぼさぼさしていると、村の人々がそろそろ活動し始める。
 もし誰かの目に付けば、また村の外に行くのかと問い詰められるかもしれねえ。『試練の洞窟』に行くっつったって、止められる可能性もあるだろう。
 ベストなのは『試練の洞窟』にこっそりと出かけ、成果をあげる。その後で反対されても、「規則に書いてない」と言い張る。村のしきたりに関してあれだけ頑固なんだから、しきたりにないことを強制することはないはずだ。
 そうと決まればやることは一つ。
 オレは『試練の洞窟』の地図の描かれたページを古い書籍から強引に破り取ってポケットに乱暴に詰め込んだ。どうせ、こんな古い本、親父ももう見返さないだろ。
 地図だけじゃ足りない。松明や薬草など、冒険に必要なものは愛用のカバンに全部詰め込んで家を飛び出した。

 あとは、ただひたすらに山へと走った。試練の洞窟のある山へと。
 いつもクライスやルーとしゃべっている川原を上流へ向かって走っていると、日が昇り始めているのが見えた。もう、そんな時間か。日の出まで間もない。朝になると色々と面倒なことになる。
 クライスやルーと一度会って話してから出発したかったが、そんなことやってる場合じゃないのも事実だ。後で事情を話して許してもらおう。

 オレはいよいよ、本当の試練を受けるんだ。
 親父、お袋、今までありがとうございました。オレは一人前になります。
 明日にはカイルディ・ハズバーグはサンヴィレッジを出ます。では、ごきげんよう、と来たもんだ!

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