14.ルーにとっての無価値な日々

 カイルは家にいなかった。
「カイルならどこかに行ったよ。よっぽど腹に据えかねたんだろうな」
 扉から顔を出したおじさんはあたしの白髪をちらりと見て、静かに嘆息した。それが何よりも、ハズバーグの魔法使いが優秀であることを物語っていた。

 体内にめぐる魔力は、戦士にも武道家にもある。いや、正確にはこれはまだ魔力じゃない。生命力とでも言うべきものだ。
 老若男女問わず、心臓が脈打つたびに生命力は精製される。ただ、戦闘に選ばれなかった人には、それを留めておく技術がない。「職業」として戦闘に特化した人間たちと違って。
 生命力を物理的なエネルギーに変換して体内に蓄積させることのできる人たちが、戦士や武道家だ。筋肉に編みこれた生命力は、筋肉を増強し、内蔵を強化し、身体能力を向上させる。
 魔法使いや僧侶は生命力を血液のように体中に循環させることで、それを化合し合成し凝縮し爆破し練成する。生命力は魔力と呼ばれる禍々しいオーラに姿を変える。生命力と違い、魔力に変換されたエネルギーはそのものとして体内に保存しておくことができる。
 そうして蓄えた魔力は、魔法という方向性を与えることではじめて利用できる。魔力が火薬だとすれば、魔法が銃、そして呪文がトリガーだ。火種のない火薬を爆発させることは誰にもできない。だからメラという魔法を行使したいのならば、まず炎を宿した銃を精霊の力を借りてイメージで構築し、そこに弾丸である魔力を装填しなければならない。それから定められた呪文を呟くことで、ようやくメラは発動する。火薬の量の調節によって、メラはメラミになったりメラゾーマになったりするけれど、精神力の弱い人間ではメラゾーマが放たれるときに発生する衝撃に耐えうる銃身をイメージできず、構築できない。
 そもそも銃である魔法はイメージするだけでは構築できない。魔法はそれぞれの特性を司る精霊から力を借りてはじめて発動させることができる。精霊様に力を貸してもらう約束を取り付ける儀式を契約という。
 契約できる呪文の数には個人差があり、これは完全に生まれたときに決まっている。魔力の精製量や溜めておけるエネルギー量は当人の努力によって増減するけれど、この数だけは絶対に揺るがない。だからある意味、僧侶、魔法使い、賢者にとっての「才能」とは、この「契約できる魔法の数」を指していると捉えることもできる。
 そういう意味で、ルーミー・ラルハンド、いや、この場合はルミア・ギイ・ミストーラ、つまりこのあたしは天才だった。ミストーラ院で、あたしは古今にあるありとあらゆる魔法の契約をこなした。あらたな精霊との交渉を終えるたびに、左腕に刻まれたあざが濃く浮かび上がった。邪悪な刻印は、隷属の聖痕。それを畏れ、敬い、忌み嫌い、大僧正はあたしにカビの生えた二つ名を付けた。
 いわく、聖なる仔、天空の奴隷。そして、神秘の悪魔。
 たしかにあたしには才能があった。たけど、あたしには才能しかなかった。精霊との会話が可能なだけで、あたしは回復呪文以外の銃を作り出すことができなかった。
 そんなあたしに許された防衛本能が、世界中探してもラルハンドのアルビノにしかできないという、魔力本位の行使だった。
 魔力そのものを、魔法に変換することなく放出することができるのは、世界広しといえど、サンヴィレッジのラルハンドだけだ。
 実態のない魔力に、魔法を使わずに無理やり方向性をぶち込んで、かたちを創造し、それを維持したまま放出する。馬鹿馬鹿しいくらいに単純なこの力技の結果が、いまこうしてあたしのまわりに展開されている「魔力の膜」なのだ。
 だから、この異端の技は嫌われる。才能の誇示でありながら、脆弱の言い訳だから。

「もう儀式を終えたんだよな、君らは」
 おじさんは鼻を鳴らし、クライスの木刀に目をやった。その態度でわかってしまった。カイルが飛び出した理由が。
 頭が真っ白になって、言葉が出てこなかった。考えてもいなかった。カイルが、ぶっきらぼうで不器用だけど、誰よりも努力家だったカイルが、まさか試練に失敗するだなんて。
「試練は、失敗だったんですか?」とクライスは言った。
「投げ出して逃げたよ。瞑想のひとつもできないで、魔法使いになろうとするほうが悪い」
「――試練は、瞑想だったんですか?」
「そうだ」
「……魔法使いの試練で瞑想を課すなんて、聞いたこともない。おじさんは、試練に向けてほとんどの呪文を使いこなせるように訓練したカイルが唯一苦手としていた瞑想を課して――」
「下卑た想像をされるのは不愉快だ。君もいずれ戦士として戦場に行くつもりでいるなら、しかと覚えておくといい」
 おじさんは言葉を切って、屈辱を飲み込むように顔をしかめた。
「魔法使いは、弱いんだ。魔力がなくなれば戦闘能力は皆無になる。だからこそ、瞑想は魔法使いに不可欠な技量だ。特に武道にかまけてろくに魔力量を磨かなかったカイルのような子供にはな。あいつは魔法の天才なんかじゃないんだ、今のままだとすぐに魔力をからにする。そこにいるラルハンド特製のお嬢さんと、落ちこぼれ魔法使いのカイルじゃ、わけが違うんだよ」
 それは、と身を乗り出しかけたクライスより先に、あたしは呟いた。
「ひどい……」
 自分自身に皮肉を言われたことよりも、カイルを侮辱されたことが、何より許せなかった。
「なにがだ」
「だって、おじさんだって知ってるじゃない。カイルがどんなに頑張ってたのか。苦手だ嫌いだ性に合わないって言いながら、それでもカイルは呪文の勉強をしてたじゃない。頑固なところが炎の精霊に気に入られて、何とかメラの契約を終えたとき、カイルがどんなに喜んでたか、どんなに安心してたか、おじさんだって知ってるはずじゃない!」
「カイルがどれほど努力しようと、それは魔法使いから逃れるための努力だ。運命を受け入れる強さを持たず、逃げ道ばかりを探す惰弱を、ハズバーグ家は努力とは認めん」
「違う!」
 運命に従うだけの弱さが、強さであるはずがなかった。
 あの日、あたしはすべてを受け入れてミストーラに行った。カイルやクライスに別れを告げ、泣いて引き止める姉さんの言葉も聞かず、周りに強制されるままに。
 そうして、三年を過ごした。生ける屍のように、苦痛と汚濁にまみれた三年を――。
 そんな思いが。
 あんな生活が。
 地獄のようだったあの無価値な日々が。
 あんなものが正しい道だなんて、何があっても認められるはずがなかった。
「やりたくもないことを押し付けられて、それでも我慢するのが正しい道だっていうんですか!」
「そうだ。……やりたくないことであろうとも、しっかりと最後まで成し遂げる。そうしなければ、君たちもいずれ後悔する日が来る」
 唇を噛んでくってかかろうとしたあたしの肩に、あたたかいなにかが触れた。クライスの左手だった。
 あたしみたいに顔を真っ赤にしているわけでも、唇を尖らせているわけでも、叫んでいるわけでも、目を吊り上げているわけでもなかった。
 だけど怒っていた。
 あたしよりもはるかに烈しく、クライスは怒っていた。
「おじさん」とクライスは言った。「そういうのは分別とも努力とも言いません」
「子供にはわからんのだ。いずれ納得する日が君たちにもくる」
「運命を受け入れる強さ? なりたくもない自分を夢見る強さ? それはさ、強さなんかじゃないよ」
 そうして、クライスの瞳に憤怒の炎が爆ぜた。友達を思うクライスの中の男の子が、声をからして叫んでいた。
「それは、ただの諦めだ。ただの逃げだ。諦めて逃げた人間の、ただの言い訳だろ!」
 おじさんと対等ににらみ合うクライスの顔は、もうすっかり大人の男の人だった。
「カイルは魔法使いになりたくないって言いながら、それでもアンタに認めてもらうために必死だった。武道の訓練をしながら、魔法の修行だってサボらなかった。それを、アンタは逃げだって言うのか。あいつの、カイルの、必死だった日々を、努力ですらないって笑うのか!」
「もうわかったから帰りなさい。君たちはカイルとは違う。所詮はあのロイスの弟と、世間知らずの白鬼だろう。これ以上、私の家の事情に口を出さないでもらいたい」
「なんだと」
「行こう、クライス。……カイルを探さなきゃ」
 クライスの手を引いて歩き出した。おじさんには挨拶もせずに。
 どうせ通じない。
 いつだって大人は、自分たちだけが正しいのだと思い込んでいる。
 あたしたちには他にやらなきゃいけないことがある。
「ルー……」
 単純なカイルのことだ。だいたい行き先の想像はつく。
 カイルはきっと。
 ――認めてもらえなかった試練の、正統なやり直しをするつもりなのだろう。

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