16.迷子のカイル

 ずっと、深い闇の中を松明のかよわい光だけを頼りに歩いていた。左右に分かれた道は空気の流れからどちらに向かえばいいか判断し、判断材料がないときには自分の山勘に頼る。そうして、オレはひたすら歩き続けていた。
 試練の洞窟と呼ばれる、人々の記憶から忘れられたダンジョンに足を踏み入れてどれくらいの時間が経ったのだろう。
 ここでは時間の感覚がわからなくなる。けど、少なくても、一時間は経っているような気はする。
「参ったな。昼までには帰れるといいんだけど」
 思わずひとりごとが出る。
「クライスとルーは怒ってないかな」
 また、つぶやく。声は闇の中に消えていく。
 真っ暗だった。進む先は一面の闇。闇は恐怖を生み出す。負の感情を打ち消すために、オレは必死に歩みを進めた。
 ここをひたすら進んでいくことこそが、オレの決めた試練なのだから。

 ――ふと、妙な音が聞こえた。
 何かを引き摺るような、ゆっくりとした、それでいて静けさの中に響き渡る音。
「……なんだ?」
 ずる、ずる。
 それはだんだんと、こちらに近づいてくる。
 ずる、ずる。
 音はどっちから聞こえる?
 ずる、ずる。
 音と共に、腐臭が鼻につく。
 ずる、ずる。ずるずる。ずる。

 音は前方からしていた。オレの持つ松明に照らされたのは、人の形をしていた。しかし、形だけだ。その顔を覆う皮膚は無く、骨をはみ出させた醜悪な腐肉がそいつの顔だった。眼球は半ばこぼれ落ちていた。
 今にも崩れ落ちそうな容貌をしているにも関わらず、そいつは手に槍を持ち、軽装だが鎧も着込んでいた。そして、よろよろとこちらへと足を引き摺りながら向かってくる。
 ここに来てモンスターが出るとは予想もしていなかった。幸い、そんなにそいつの歩みは早くはない。オレという獲物を見つけてその歩みは少し増したが、それでも余裕で振り切れる。何より、足の速さだけはサンヴィレッジの誰にも負けない自信がオレにはある。
 体力の疲れは一時の休憩で治るが、呪文による疲労は脳を休める必要があるため、睡眠を要する。ここで呪文を使うよりは、逃げ出したほうが得策だ!
 ゾンビのモンスターに背を向けるとオレは一目散に駆け出した。来た道を戻り続け、分岐路が現れるとそれを適当に曲がる。まだ追っている来ている可能性もあるので、ここで足を止めるわけにはいかない。松明をうっかり落っことしてしまっても、オレは壁に右手を伝わせながらひたすら走り続けた。
 必死の想いでひたすら走り、息が切れ始めたところでオレは腰を下ろした。
「もう、いいよな……」
 音の無い世界が怖かった。ひとりごとでも口にしていないと、やってられない。
 この暗闇の中を昔のサンヴィレッジの子供たちは進んでいったんだ。この恐怖を克服することが試練だと言うなら、やっぱり、一人前になるということはどんな職業でも、自分の恐れに打ち克つことなんじゃないかと思えた。
 孤独。恐怖。それら自分の弱さを克服することは、簡単なことじゃない。
 ……いや、勝ってみせる。それがオレの試練なんだから! そう、それを成し遂げることができるのはここ、試練の洞窟しかないんだ!

 ――試練の洞窟。
 家柄と職業に厳しいサンヴィレッジの人々がかつて、跡継ぎを正式に決めるために用いた神聖な場所。オレのような、職業の卵たちが代々、試練を受けてきた儀式の場。
 洞窟と聞くとぽっかりと山の中にあいてるものを想像していたが、実際は違っていた。最初、入り口を見つけたときには思わずぽかーんと口をあけてしまっていたくらいだ。独特の雰囲気というか、荘厳な感じがその外観にはあった。
 入り口に立ったときのことを思い出す。さすが儀式に使用していただけあって、その外観には手が込んでいた。とても人の手で造られたとは思えないほどのレリーフが岸壁に刻まれていた。巨大な老人の胸元から上の半身の彫刻だった。その心臓部に一つの穴があいていて、それがここの洞窟へと続いていたのだ。
 心臓の位置に穴があったことが何の意味を持つのか、老人が誰を模したものなのか、オレの家にあった文献からは予想できない。大地の精霊かもしれないし、もしかしたら、職業をつかさどる神か何かかも知れない。
 ……この洞窟のことをサンヴィレッジの大人たちはこれっぽっちも教えてくれなかった。もしかしたら、単にもう廃れた試練方法だったから大人も知らなかったのかもしれないけど、オレはそのせいで、今日までこの場所のことを知らなかった。
 もっと早く、ここを知っていれば、オレはとっくに武道家になっていたってのによ!

 座り込み、息を整えているとだんだん思考がまとまってきた。
 すると、ふと松明を落としてしまっていたことを思い出す。それすら忘れてしまうほど、オレは慌てていたらしい。こんなんじゃ試練もこなせない。こんなんじゃ、試練の洞窟はクリアできない。
 試練の洞窟――どこまでも続く、それこそ魔界まで通じていそうなこの暗闇。
 次に何をするべきなのか。思考する力、判断する力すらも奪ってしまうほどの闇。明かりをつけなければいけないことに思い当たる。何も考えずにメラを唱えようとして――中断。
「何をやってるんだ、オレ!」
 両頬を叩いてオレは気合を入れなおした。さっきから焦りすぎだ!
 呪文を唱えれば、それだけ精神力を消費する。熟練の魔法使いならいざ知らず、ひよっこのオレはそう何度も呪文を唱えられるもんじゃない。こんな序盤で無駄に疲労してどうする? そのための準備もしてきただろ。
 自分で自分に言い聞かせると、背負っていたカバンの中から松明と火打ち石を取り出した。
 明かりがつく。同時に思考する力も沸く。そして――感情もまた。
 胸がしめつけられるような感じがした。
 怖いのか。
 不安なのか。
「逃げるもんか! オレはこの試練を終えて村を出るんだ!」
 自分のうちに聞こえる弱気な声を叱咤し、オレは再び歩き出した。
 カバンの松明のストックがまだ残っていることで、オレはまだかろうじて平静を保てている。これが尽きれば、オレはメラを明かりの代わりに使わなきゃいけない。それも、何度も。それはあまりに危険すぎる気がした。呪文は戦闘の際でも節約するに限る。

 しかし――呪文の温存よりも何よりも、オレは大事なことをすっかり忘れていた。
 冒険の基本、探検の基本。未知の洞窟に潜ったときには、現在地を常に把握することをすっかり忘れていた。ポケットに入れた地図をオレは一度も触っていない。
 そのことに気づいたときには――どちらが北で南で、出口はどこか、何回の分岐点を越えてきたのか、全て分からなくなっていた。
「……迷った」
 悪いことは重なるもので――暗闇の彼方からおぞましい咆哮が聞こえた。慌てて腰を上げて、身構える。声はどっちから聞こえる?
 再度、咆哮が聞こえる。びりびりと、肌を突き破るような悪寒。その咆哮から伝わる恐怖は、声の主がさっきのゾンビとは全く違う、もっと恐ろしい存在であることを示していた。

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