17.ルーの決意

 あたしとクライスは一度家に帰ることにした。準備と覚悟が整い次第、試練の洞窟の前で集合することを約束して。
 クライスやあたしの主張と、カイルの気持ち、それからおじさんの考え。何が本当に正しくて、何が間違っているのか。答えはいくら考えても出やしない。
「……今は、それはいい」
 考えることは後でいい。今やらなければならないことは他にある。
 カイルを、追いかけることだ。
 あたしのような異端でさえ快く受け入れてくれた、かけがえのない友達。
 そんなあなたやクライスがいてくれたからこそ、あたしは今まで生きていられた。苦しくて哀しくて寂しいだけのこの世界を、こうして生き抜いてこられた。
 だから、今度はあたしがあなたを助けようと思う。

 *

 カイルは意外とそつがない。試練の洞窟に突入するつもりなら、ちゃんと記録を調べるくらいのことはしただろう。ハズバーグの家にそれほど正確で精密な資料が残っていたとは思えないけれど、ラルハンドの蔵書はちょっとした私設図書館と呼べるくらいに充実している。
 父様の部屋に忍び込んで、ほこりを被った書籍を漁った。
 文献の精読はミストーラで嫌になるくらい訓練された。普通の人の三倍以上のスピードでページをめくり、本を取り替える。
「試練の洞窟、むかしからサンヴィレッジに伝わる元服の儀式だけど――たしかに正式に廃止された記録はない、か」
 カイルのことだ、こういう記録を見つけて歓喜したのだろう。もしかしたら、そのまま洞窟に向かってしまったのかもしれない。
 でも、そんなのはおかしい。
 理由もなく廃止される慣習なんて、あるはずがない。特に因習を異様なくらいに重んじるサンヴィレッジのような村では。
 目を皿にして読み進んだ四冊目に、求めていた記録があった。
 決して、望んでいたわけではないけど。
「やっぱり……」
 試練の洞窟の儀式が敬遠されるようになった理由は、十三にも上る青年たちの死の記録だった。
「……なによこれ」
 大虐殺だった。サンヴィレッジで十五年育ってきた子供たちが、なすすべもなく殺されている。戦士の卵も、武道家の卵も、僧侶の卵も、一切の区別容赦なく。
 洞窟は整備されているわけではない。だけど、獰猛な生物が生息していた記録はそれまでには一切なかった。そもそも生物が好んで住み着くような環境ではない。なのに、半世紀以上前のその年。
「魔物が、出た……」
 帰ってこない子供たちを心配した村の大人たちが洞窟内に乗り込んだとき、すでに惨劇は終わっていた。
 血の海だった。内臓も指も顔までも喰い散らかされた子供たちの変わり果てた姿の隣には、幾種類もの魔物がいた。熟練した闘士の戦闘能力を持ってすれば何事もないない魔物たちに、しかし実践を経験したことのなかった卵はことごとく砕かれてしまった。
 凶悪すぎる魔物が決して出現しないように、以後は洞窟の整備と見回りが徹底された。しかし、そのためにかかる労力が惜しまれたために、いつしか洞窟での試練は行われなくなっていったという。
「あの……馬鹿っ!」
 書庫を飛び出した。あたしの体は運動に適するようには設計されていない。熱を出し、筋肉が壊れ、骨がきしむ。だけど走った。壊れてしまっても構わない。こんな体、いっそ一回なくなってしまったほうがいい。
 ――カイル。
 名前を呼ぶ。もう何度呼んだかわからない、大切な友達の名前を。
 カイル。
 どうか、無事でいて――!

 *

 クライスはすでに洞窟の入り口にいた。
「何してるんだルー! お前の体でそんなに走ったら――」
 かたい、大人のようなクライスの腕につかまって、倒れこむのをこらえた。
 吐きそうなくらいに気持ちが悪い。だけど、伝えなきゃならない。
「――何があった?」
 察してくれる。大人みたいにたくましくて頼りがいがあるけれど、クライスはやっぱり大人とは違う。話せなくても、何も言わなくても、クライスはちゃんと察してくれる。
「カイルが、危ないの」
 あたしは話した。家の書庫で見つけた記録のこと、最悪のイメージのこと、胸騒ぎが消えないこと、すべて。
「馬鹿な! そんな、そんな大事なこと、どうして誰も教えてくれなかったんだ!」
 それが、大人の事情だから。
「カイルの奴、何も知らずに突っ込んだな!」
 洞窟の入り口は厳重に封鎖されていたあとがある。
 さびて脆くなった有刺鉄線、古ぼけて文字の読めなくなった看板、通り抜けを禁止するために用意されたらしい、もう崩れ落ちてしまった木の扉。
 それらを縫うように延びた、一本の足跡があった。
 カイルが洞窟の中に入ったことは、もう間違いがなかった。
「どうしよう、クライス。やっぱり誰かに知らせて助けてもらった方が――」
「ああ、……いや、けど、大人はきっとまた頭ごなしに怒り狂うだろう。そうなればカイルが武道家になるのはますます難しくなる」
「そんなこと言っていられる場合じゃないわよ!」
 命は大切だ。何よりも。その意味を、あたしはきっと誰よりもしっている。
 死んでしまった姉さんの無念を、誰よりも重荷に感じているあたしだから。
「怒られても怒鳴られてもいいじゃない、死んじゃうよりはそっちの方がずっとマシよ!」
 クライスは目を瞑って、眉を寄せていた。その形のいい唇が緩んで、「仕方がないな」と言葉を紡いだ瞬間だった。
 洞窟の奥から、不吉な音が、した。
「なんだ、今のは」
 魔物の咆哮と、おそらくは人間の声。あたしたちの、よく知っている――。
「カイルの奴、出くわしやがったな!」
 最低だった。もっと早く気づいていれば良かった、もっといい策を練ればよかった。
 カイルの声が鼓膜に残っていた。
 ルーと、優しくあたしを呼ぶ、カイルの声が。
「ルー」
「……え?」
 いっそ冷たくさえ感じられる目で洞窟の入り口を睨みつけ、クライスは喉を鳴らして唾を飲み込んだ。
「俺は、行く」
 その姿の、なんてたくましかったことだろう。
 なんて、なんて、格好良かったことだろう!
「今から村に戻ったんじゃ間に合わない。でも、俺とカイルなら、何とか耐え切れる。その間にルーが助けを呼んでくるんだ」
 ずるいと思った。こんなときに、そんなに格好いいことを言うクライスは、本当にずるいと思った。
「ふざけないでよ」
 だからこそ、くじけそうな気力を奮い立たせて、虚勢を張った。
「あんたたちじゃ、すぐに食べられちゃうのがオチよ。中にはあたしが行く。クライスこそ、さっさと助けを呼んできて」
「馬鹿言うな! 遊びじゃないんだぞ!」
「そうよ、遊びじゃないわ。回復呪文もろくに唱えられない男ふたりが雁首そろえて、いったい何ができるっていうの? あたしがいなきゃ、血が出ても手当てなんかできないのよ」
「そういうことじゃない! 意地なら今すぐ撤回しろ!」
 肩に掴みかかるクライスを真正面から見据えて、泣き出しそうな気持ちに蓋をした。
「いやだ。だって、ずるいじゃない。あたしは、いっつも気遣われてばかり。でも、あたしだって役に立ちたい。せめてあんたたちにくらい、感謝されたい!」
「ルー……」
「止めないでよ! 助けるわよ、あたしがカイルのこと、ちゃんと助けてみせるから!」
 その瞬間、また、洞窟の中から声がした。
 クライスが洞窟へ視線をやって、歯軋りした。あたしと暗い穴を交互に見つめて、つばを吐いた。
「行くぞ、ルー」
「え?」
「お前も俺も帰らない。それなら、ふたりで行くしかないだろう!」
「クライス!」
 差し出されたクライスの手をとって走り出す。
 カイルの声はもう聞こえない。でも、大丈夫だと信じる。きっと間に合う、あたしたちは、きっとカイルを助け出せる。
「いいの?」
「悪くない。いつの時代も、悪事は子供だけでやるもんだ」
 そのあんまりにも子供っぽい言い草に、あたしは思わずちょっと笑った。
 そうだよ、クライス、その通りだよ。
 あたしたちは、まだ子供なんだ。だからこそ、ちゃんと仲間を助けてあげないといけないんだ。
「なんだよ、笑うところじゃないぞ」
「あら、そうだったの?」
 胸が苦しい、息が上がる。それでも、足は緩めない。
 待っててカイル。
 いま、助けに行くから――。

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