20.半人前カイルの武器

 青白い肌をしたそれは、目前に迫り寄って来る。背後に壁の肌触りを感じて、オレは逃げ場を失ったことに気づいた。
 青い馬型の魔物は手にした斧を嬉々として振り回し、行き場の無い獲物の反応を楽しんでいやがる。オレの……恐怖の。
「だって仕方ないだろ、こんなの……親父の授業でも習ってねぇぞ」
 怖い。とほうもなく怖かった。
 おそらくは魔界のモンスターだと思う。そのへんにいる野生のモンスターには、これほどまでに空気を凍てつかせるほどの迫力は感じない。凍てつくと言えば、 “いてつくはどう”という技があるけど、あれって何がどう凍てつくんだろう。親父のつまんないギャグみたいな感じに寒くなんの?
「くそッ。しっかりしてくれ、オレの頭!」
 まるでメダパニを受けたかのように、恐怖で頭が混乱している。
 こういうときは観察だ。相手の特徴を探せ。相手の挙動に注意しろ。
 冷静になりつつある頭でよくよく見れば、馬ではなく、上半身は人のそれをしていることに気づく。視界には入っていたはずなのに、頭がそれと認識していなかった。思考する余裕がなかったんだ。
「人馬、か……きっと、頭もいいんだろうな」
 話す相手なんて誰もいないのに、わざと口に出してしゃべっていた。ひとりごとだって、構わない。言葉にしていると、恐怖を感じずに済む。

 ――青い人馬。
 そういえば、親父のところに時々会いに来る緑の髪の変わり者が言っていたな。魔界では地上に見られない恐ろしい魔物が住んでいるって。ありゃあ嘘だと思ってたが――
「くっ!」
 斧を一閃。鋭い銀の軌跡が先ほどまで頭のあった場所を凪ぐ。
 咄嗟に屈みこんだお陰で、なんとかオレの頭はまだ胴体と仲良くしていた。
「魔界のモンスターなんて、笑えねぇギャグ!」
 叫びながら、さらに跳ぶ。屈んだままからの不恰好な跳躍だったが、気障を気取れるほど状況は甘くはない。
 先ほどまでオレが尻餅をついていた場所を青い魔物の斧が凪いだ瞬間、オレはさらにおおみみずのように這いながら横へと移動した。
「くそ……どうすりゃいい?」
 考えろ、考えるんだ。カイルディ・ハズバーグ。
 相手にあってこちらにないもの。オレにあって相手にないもの。それは一体なんだ?
『ぐるるる』
 魔物が低い唸り声をあげる。オレの様子を窺っている。考える暇なんて、これっぽっちもない。
 しかし、魔物は一瞬足を止めて何事か思案している様子を見せた。オレごときに何を今さら。特に何の警戒もしなくても勝てるっていうのに。あんまり本気になんなよ……。
 青い人馬の魔物の上半身――人間の形をしているそれが左手を掲げた。右手の斧は下ろしたままだ。その手のひらに光が集まり出す。ここにきて、まさかの呪文だった。
 オレの視界に移るすべてがゆっくりと動き始めたような錯覚にかられる。
 思った。もう終わりだなって。
 感じた。もう死ぬんだなって。

 ――いいか、カイル。獅子は、兎を倒すのにも全力をつくす。
 突如として脳裏に親父の言葉が浮かぶ。
 確かあれは……ヒャドの稽古ばかりなもんで飽きてしまい、手抜きをしていたときのことだったと思う。最期の走馬灯まで、大嫌いな親父の言葉というのが腹立たしい。

 *

「いいか、カイル。獅子は兎を倒すのにも全力をつくす」
「はあ? 何だよ、いきなり」
「何事にも手を抜くなと言うておるのだ」
 親父はそう言うと、目を細めた。ここではないどこか、遠くを見ているようだった。
「ある村の話をしてやろう。ある、山奥の村のな」
 そんな前置きとともに、親父は語り始めた。
「かつて、このサンヴィレッジから強豪だけを選りすぐり、ひとつの村を作った。このサンヴィレッジよりもさらに山奥に作られた、小さな小さな村だ」
 現実的に考えて、ありうる話なんだろうか。
 サンヴィレッジは出稼ぎの村で、職業を家柄によって決める。そのため、一度決まった職業を一生歩み続けることになる。他の街と比べると必然的に、達人と呼ばれる者が多くなるのも確かだ。サンヴィレッジなら、強いヤツらだけで村を作ることも可能だったかもしれない。
 しかし、何のために?
「そこはただひとつの目的のためだけに作られた。鬼才、天才、神に寵愛されし天賦の才を持つ者たちで作られたにも関わらず、村には名前はなかったのだ」
「なんで名前がないんだよ」
 親父は少し遠くを見つめ、何か遠い昔に思いをよせているようだった。
「名前など必要なかったからだ。その、名もない村は一人の少年を育てるためだけに存在していた」
 一瞬にして嘘臭くなった。なんで、何人もの天才がただひとりの個人を守るんだよ。
「ああ、あれか? ブランカの国家の重要人物とか?」
 親父は首を振った。
「やんごとなき身分の者ではない。少年はただの少年だった。けれども、特別だ」
「……嘘くせー」
「真実だ。ひとつの村が、多くの人々が、一人の少年を守る為だけに戦い、一人の少年の為だけに散っていった」
 にわかには信じ難い話だ。そんな狂信めいたこと、あるわけがない。しかし、この頑固な親父がおいそれと冗談を言う性格ではないことは、オレが一番よく理解しているつもりだ
「いずれも違わぬ強豪だった。どこに出ても恥ずかしくない英雄だった。それがものの一晩で落ちたのだ。なぜだかわかるか?」
 親父がなぜそんなことを話すのかはわからなかった。
 無言でいると、親父はやれやれと肩をすくめて立ち上がった。
「魔族の用意周到な襲撃があったのだよ。ヤツらは全力を尽くした。たかだか小さな村ひとつを潰すのにも労力を惜しまなかった。決して邪悪な群れを賞賛するわけではないが……世の中は常に勝利に貪欲な者が勝つ」
 親父は窓の外を眺めながら、想いを口にした。
「わしがもう少々の齢を重ねておれば、また、ただひとつの道を極めていれば、村を救う戦力となったかもしれん……あるいは、何も変わらないか」
 事情を聞ける雰囲気ではなかった。窓の外を眺める親父の背中が、いつもの厳格で頑固なそれとは違って見えた。どこか小さく、どこか弱く、消え入りそうなほどに儚かった。
 振り向き、親父は言った。
「何事にも全力で取り組め。強いられたレールが嫌で途中で投げ出すよりも、浮気せずに突き進み、一流のスペシャリストになれ。良いな、カイル」
 最後はやっぱりいつもの親父だった。頑固で、偏屈な。
 納得がいかなかったオレは、唯一使える初級呪文を親父に放とうとこっそりと意識を集中する。ばれないようにばれないようにっと。
 火の精霊を頭にイメージし、空気に力ある言葉をぶつけ――。
『メラ!』
『……マホカンタ』
 やっぱり、相手のが一枚も二枚も、何枚も上手だった。親父は一瞬にして、返呪の術を唱えた。瞬時に集中力を高め、声を媒体に精霊の力を借りたってわけだ。
 オレは自分の生み出した火の粉に全身を打たれ、痣と火傷だらけになりながら逃げ出した。
 その後、ばったり河原で出くわしたクライスに、真っ赤に腫れた様子を腹かかえて笑われて、当然のごとく喧嘩になった。
 クライスと喧嘩しながら、たくさんの人の生命と引き換えにしなきゃいけないほどの少年とは、はたして何なのかとふと思う。それをいまさら確かめることも叶わないことだった。

 *

 ――グオオッ!
 魔物がひときわ大きく叫び、その左手に高密度に圧縮された水の力が蓄えられ、そして放出される。
 その瞬間、オレの脳裏に描いた紋様は実を結んでいた。
『――マホカンタ!』
 初めてだった。この呪文を実戦に使うのも、何より実戦に挑むのも。
 ――そして、この呪文が成功するのも。
 青い人馬が放った氷の呪文は強さの度合いから見て、おそらくマヒャド。その氷の弾丸がすべて、例外なく、術者の元へと跳ね返っていく。
「いつもの仕返しだぜ、親父!」
 思考する暇ができたので、改めて人馬の顔だちを見たのだった。うちのバカ親父そっくりの髭面で、頑固そうなところも瓜二つだった。
 軽口を叩くと同時に、オレは地を蹴った。洞窟そのものは当然、岩肌でできており、そこにぽっかりと横穴があった。今のマヒャド程度で、魔界のモンスターがくたばるはずがない。しかし、その苦悶のうちにオレは突破口を見つけた。
 ようやく見つけたのだ。相手にあってオレにないもの。オレにあって相手にないもの――体格だ。
 あの魔物にあってオレにはないものは図体の大きさ。青い人馬は、オレの身の丈の二倍ほどはあった。
 そして、オレにはあってあの魔物にはないもの。それは、この素早さだった。武道家として身のこなしを鍛えてきたオレの、力の弱い武道家もどきの、技術の無いへっぽこ魔法使いの唯一の取り柄。
 穴の中に滑り込むと、人間ひとりが腹這いで進むのに精一杯な空間しかないことに気づく。暗闇の中、かすかにルーがオレを呼ぶ声を聞いた気がしたが、幻聴だろうとそれを払いのける。後ろを振り向くことはできないし、何より振り向いている余裕などない。
 進む以外に生き残る道はなく、進んだところで何があるかわからなかった。しかし、オレはひたすら暗闇の奥を目指し続けた。目指し続けるしかなかった。

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