23.傷だらけのルー

 血を灼くような熱が、まだ体内をめぐっている。体内に取り込んだ魔力を、押し広げた銃口から一斉に放つイメージ。やったことはなかったけれども、やろうと思えばできることくらい、想像はついていた。
 その、代償も。
 歯を食いしばって壁をよじ登るカイルの背中で、あたしは熱い息を吐いていた。あたしに足りないのは魔力ではなくて、それを放つだけの頑丈な体だ。さっきのむちゃくちゃな魔力行使の代償は、こうしてはっきりと肉体に出ている。
 あたしに限って、魔力の貯蔵が空になることなんて、めったにない。魔力っていうのは、そもそも無尽蔵の代物だ。一定以上の魔力があれば、それを原料にして新しい魔力が精製される。ただ、空っぽになってしまっては原料がないから、回復もしない。あたしの左腕の刻印は、はじめから膨大な魔力を貯蔵しているのだから、回復不能になる心配はいらない。
 傷つくのは、体だ。
 回復呪文でも治癒しない、体内の傷。無形の魔力がいばらとなって体中を暴れまわったせいで、全身の回路が傷ついている。発熱はそのせいだし、筋肉や腱にも不具合が生じている。
「……数時間は、使い物になんないわね」
「気付いたのか、ルー」
「まあね。でも、回るのは口だけみたい」
「十分だ。それが取り柄だろ」
 カイルのこめかみに汗が垂れていく。あたしを守ろうとしてくれている、頼もしいふたりの男の子がいる。全身のけだるさも、先の見えない洞窟も、魔物に襲われるかもしれないっていう焦燥も、今はそれだけで振り切れる。
「ほら、カイル」
 頭上でクライスの声がする。その手を掴んで、カイルが体を持ち上げる。まいったな、本当に全身が力が入らない。クライスがあたしを抱きとめて、珍しく年相当の笑顔を見せた。
「紙切れみたいだな、ルー」
「……失礼ね」
「女には、やせてるっての、褒め言葉じゃ、ないのか?」
 全身汗だくになって床に寝転がったカイルが、切れ切れの息で言う。クライスも同感だ、とうなずいているのが、実にどうしようもない。普通はそうかもしれないけれども、虚弱体質を気にしてるあたしには逆効果だって、こいつらにはどうしてわからないんだろう。
「で、ここは、なんだ」
 あらためてあたりを見回したカイルが呟く。広場なんていう大層なものじゃない。本当に、ただの横穴。どこかに続いてはいるのかもしれないけれども、横幅はさして広くない。大きくて平たい石が転がっているから、ベッド代わりになる。クライスもそう判断したのか、あたしをゆっくりとそこに横たえてくれた。
「姿勢は、苦しくないか」
「……ん、平気。ありがと」
 本当は胸元が苦しかったのだけど、そこをくつろげさせるのは、ちょっと酷だろう。
「比較的、新しいな」
 岩盤に手を触れて、クライスが呟く。あたしも気づいていた。他の岩よりも、この穴の部分だけ、切断面がとがっている。まだ風化がはじまっていない。人工的な切りだしはないから、最近の地震かなにかでこの横穴は生まれたのだろう。そうは言っても、数年は経っているのだろうけど。
「魔物の爪痕もない。通り道として認識されてないんだろう。これだけ見晴らしが良ければ対策も立てられるし、少し休憩するか」
「そうだな」
 カイルとクライスが、ふたりそろってあたしの左右に腰をおろす。なんだか居心地が悪くなって、身じろぎをしたとたん、全身に痛みが走った。思わずうめき声が漏れる。
「ルー?」
「困ったな、思ったより重症みたい」
「回復するのか?」
「数時間はかかるわね。あっちこっちが傷ついてる」
「そっか」
 カイルがうつむく。自分のせいだとわが身を責めているのだろう。それくらいは顔つきでわかる。思いつめるな、と声をかけようとして、やめた。
「ねえ、カイル」
「……ん?」
「治ったら、一回、ビンタね」
「は?」
「あたしの体が戻ったら、あんたのほっぺた、思いっきりビンタする。死にたくなるくらい、強烈なやつ。何か問題ある?」
 一瞬だけ呆けた顔を見せたカイルは、声をあげて笑った。
「ない。好きにしてくれ。ただ、首から上を吹っ飛ばすのだけは勘弁な」
「さ、それはどうかしら」
「話はその辺にしとけ。ルーは寝ろ、時間が経ったら起こしてやる。カイルはその間、俺に今までの経緯を教えろ。大方の想像はついてるが、詳細を聞きたい」
 クライスは刀を抱えるようにしてあぐらをかいている。洞窟に入ってからこれまで、クライスはずいぶん大人っぽくなったと思う。魔物の返り血で汚れた髪と、たび重なる緊張でちょっとこけた頬。闇の中でも鋭く光る、眼光。
「ねえ。クライス、ちょっと、似てるね」
「なに?」
「ロイスに、ちょっとだけ」
「……兄貴に?」
 そのとき、クライスの顔に走った複雑な表情の意味を、あたしは受け取りかねた。ただ、嫌な顔だな、と思った。見たくない顔だな、と。
「ごめん、なんでもない、ちょっと思っただけ」
「いや」
 クライスは奥歯をかんだようだった。その横顔を見れば見るほど、あたしたちと同い年だったころのロイスの面影が思い出されて、ちょっと困惑した。
「ごめん、寝るね。あたしの荷物もあけていいから、今持ってるアイテムの確認しておいて。これからの方針も、おおまかに決めておいてくれるとありがたい」
「やれやれ、やることはいくらでもあるらしい」
 わざとらしくため息を吐いたクライスが、立ち上がって少しだけ奥の方に移動した。
「来いよカイル、話はこっちでしよう」
「おう」
 あたしの寝姿を見ないように、気を使ったのだろう。こんな情けない姿を見られていまさら格好もなにもあったもんじゃないけれども、気持ちは素直にうれしかった。
「三時間で、戻す」
 自分に決意を告げて、ことさらゆっくりと瞼を閉じた。
 なんとなく、悪夢は見ない気がしていた。

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