29.カイルと考察

 階段の入口、礼拝所との間に出現した不思議な障壁によって、青い人馬は進めずにいた。
 階段の両端を挟み込むように飾られている松明。どうやらそこから、何か魔法のような力で結界が張られているらしかった。邪悪を退ける聖なる力の結界が。
「あのばかやろう、めちゃくちゃに進んできたらしいな。力任せに」
 クライスが毒づく。
 ルーが腰掛けた横倒しになっていた白亜の石柱も、どこか失われた情緒を与えてくれた欠けた碑石も、すべて粉々に、粉砕されていた。そして、オレたちが通ってきた道も――瓦礫に埋もれている。
「もともと狭い道だったもの。でも、もと来た道はないけど、行きには気づかなかったルートがほら」ルーが示す。「気づかなかったわけじゃないわね。あのじゃじゃ馬がこじ開けたのよきっと。ああもう、どちらにしても考えてる場合じゃないわ。早く行って!」
 咆哮が聞こえる。おぞましい、魔界の叫びが。
 結界は無限には続かないだろう。壁の松明は、青い人馬が障壁に体当たりをする度に消えそうに揺らいでいる。
「いけ、カイル!」
 クライスの一声で駆け出した。
 ひたすら、走る。走れ。走れ。くそ走れ。
 オレを先頭に続いてルー、最後にクライスという順番でひたすら走る。道の幅や壁の様子を見ていると、きっとここが本来の正規のルートだったのだろうと推測できた。
 丁寧に舗装された道をオレたちは走る。オレはルーを気にしながら、クライスは背後を気にしながら、ただただ前方を目指した。そこに何があるのかなんて、わかるはずもない。それでも逃れるには前に進むしかなかった。
 ルーを気にかけると、いいかげんに体力の限界がきているようだった。もう無理かもしれない。そう思ったとき突如として、眼前が開けた。
 フロアに出たようだった。中心には何かの祭壇のようなものがある。その周囲を見渡すと、何かの建物だったものの残骸が至る所に見られる。
「ここは……」
 ルーがぽつりと呟く。
 オレにもわからない。しかし、隠れられそうなところは至るところにある。
「クライス、後ろはどうだ」
 問いかけると、クライスは大丈夫だという風に身振りで示す。
 プレッシャーと、背後を強く注視しながら走ることと、二重の疲れがその顔には浮かんでいる。もともと虚弱体質であるルーの方は、もはや限界だった。
「あそこに入ろう」
 オレは脇にあった、崩れる心配のなさそうな――とは言っても、他と比べてって言うだけの話なんだけど――朽ちた建物を指した。
 ルーもクライスも頷き、オレの後に続いた。

 *

 本当にただ、身を隠すだけの機能しかもたない建物だった。だが、至る所が崩れ落ちているので、いざとなればどこからでも飛び出すことはできる。逃げ道には事欠かなかった。それは同時に侵入経路が複数あることを意味しているわけだけど、密室の中にアイツが現れたらそれはもう死を意味する。魔界のモンスターは並の人間が敵う存在ではないし、逃げ道があるこの建物はむしろ好都合だった。
 しばしの休息のため、モンスターをやりすごすために入ったこの建物の中、オレたちは、ひとつの白骨死体を発見した。
「返事はない、ただの屍か……どうやらアンデッドの類のモンスターではないようだぜ」
 白骨死体を見た割に冷静なのは、もう感覚が麻痺しているからとしか言いようがなかった。
 そもそも、オレたちの末路もこうなるかもしれないんだ。そんなことぐらいでびびっている場合じゃない。
「この装備……僧侶だったようだな」
 クライスはしげしげと白骨死体を観察し、その手に日記のようなものを見つけた。クライスはぱらぱらとページを開いて観察するとすぐに投げ出した。
「ルー、パス。読めない」
 ルーはクライスから放られた書物に目を通す。
「……あの、十三人の子供たちのうちの一人だわ」
 クライスは妙に納得したような顔をしていた。オレだけ意味がわかってない。
「何だよ、十三人の子供って?」
「カイルは試練の洞窟の存在までは古い書物から引っ張り出せたのよね?」
「ああ」
「その先は?」
「その先?」
 何も読んでいなかった。
「うん。ずっと使われていた、それこそ伝統ある成人の儀式よ。そんな重要な儀式に使われていた洞窟をなぜ簡単に投げ出せるの? 古い慣習ほど、人はそれに縛られ、無意味な習慣を繰り返すというのに。あっさりとここを投げ出したのはなぜ?」
 ルーはしゃべりながらも、日記をめくっていた。
 言われてみれば、疑問だらけだ。本当に何も考えてなかった。ただ地図を手に入れてそれで満足していた。
「カイルのことだからどうせ何も考えてなかったんでしょ。試練の洞窟が封鎖されたのは、今から半世紀前に、サンヴィレッジの未来ある子供たちが……それこそ十三人もの子供の生命が無残にも散っていったから。ほとんどは無残に切り裂かれた死体で発見されたわ。だけど、愛しい我が子の亡骸さえ見ることのできなかった親もいた……」
「そんなこと聞いたこともないぞ? 親父からも何にも聞いたことない……」
「お前の親父さんや村の大人たちは何も知らないのか、知っていて子供には黙っていたのかわからないが、本当のことだ。俺とルーは、そのうちの一人を見た。彼はアンデッドになって、ずっとこの洞窟をさまよっていた」
 クライスは窓だったらしい壁の穴から外を窺っていた。
「そんなことがあったなんて……」
 そんなところに、オレはこいつら二人を連れてきていたなんて。
「事件の真相はここにあるわ」読むことに没頭していたルーが顔をあげる。「そして、ここが何のための場所なのかという答えも」
 この場所の推測はオレもしていた。親父のつまらない講義の中で、一番興味深かった話。夢物語だと思っていた、伝説。
「ここは、かつて……ダーマ神殿と呼ばれていた遺跡」
 日記にもやはりそう書かれているらしい。
「少女は、十三人で試練の儀式に挑み、そこで凶悪な魔物の群れに襲われた。最期に生き残った少女はここに逃げ込み、ここがダーマ神殿であることを知ったのよ」
「なんでここがダーマ神殿だってわかったんだよ」
 クライスが口を挟む。
「知らないわ。そこまで書かれてないもの!」
 ルーの目元に涙がにじんでいた。今は亡き、少女へ思いを馳せていたのだろう。
「でも。あたしだって、ここが薄々そうだって気づいたのよ。この日記の子がその事実を知ったとしてもおかしくないわ」
 オレはクライスの横を通り過ぎると、朽ち果てた窓から外を眺めた。
 高い、祭壇。それを囲むようにこのフロアは成り立っている。中心にある祭壇はかつて、地位の高いものが神託を与えていたのだろう。今でも朽ちず、そこに悠然とそびえ立っていた。
 そう、この風景はまるで。
「古い書物の挿絵にあったものと同じ。ダーマ神殿の絵と同じだ」
 気づけば、そう口にしていた。
 それだけじゃない。入口になっていた山壁を利用して創られた巨大な職業の神の像。他の街や村とは違い、やたらと職業にこだわるサンヴィレッジの慣習――。
「やっぱり、ここはダーマ神殿だ」
 確信した。全ての糸が、綻びはあるが結びつく。
「あたしも異論ないわ。この子の言葉を疑うなんて、できっこない」
 ルーは胸元にぎゅっと書物を抱える。目元には涙がにじんでいた。
 この書物を書いた少女は、齢十五でその短い人生に幕を閉じたのだ。この暗く、狭く、汚い廃墟の中で。

 軽く祈りを唱え、ルーは日記を読みながら掻い摘んで述べた。
「ダーマ神殿は神話の時代に大魔王と称するものに滅ぼされた。それは、カイルの家にもある古い書物のとおりよ。ただ、そのダーマの神殿がどこにあるかなんて、誰ももう覚えていなかった」
 手記の著者である少女も最初は知らなかった。長い時間の流れの中に埋もれてしまった歴史を知ったのは、このフロアに到着してからだった。
 この少女だけではない。誰も覚えていなかった。サンヴィレッジのものでさえ、ここの遺跡の存在をまったく知らなかった。神話に残る神殿である。ダーマ神殿が崩壊したのははるか太古の話。一世紀だとか、千年だとか、きっとそんなレベルの話ではないだろう。
「人々がここを知らなかったのは、単にここが太古の遺跡だからという理由だけじゃなかった。ここは――」
 突如、大きな音が洞窟内に響き渡った。例の人馬が走り抜ける音だ。
 魔界のモンスターは咆哮をあげながら、オレたちの隠れている建物には気づかず走り抜けていった。途中、いくつかの老朽化した建物は崩れ落ちていた。
「どっかに、行ったな」
「ひとまず安心ね」
 ルーが安堵する。ここに長居してはいられない。
 しかし、迂闊に動けないのも事実だった。疲労が回復し、体力が整うのを待って一気に外に走るしかない。
「しかし。なんで儀式に使っておきながら、ここを誰も知らなかったんだ?」
 クライスがつぶやく。
「きっと、なんかでフタをしてここに入れないようにしていたんじゃねえかな」
 言いながら確信する。きっとそうだ。
 臭いものにはフタ。魔界のモンスター。神の御座の間に突如吹き出てきた毒素。いや――魔界の、瘴気。
「なにかって何なんだよ」
「わかんねえよ」
「さっきの続き、ね。人々がここを知らなかったのには理由があったの」
 続けるね、とルーが言う。
「――誰もここを知らなかった。職業の神の像の先に、こんな遺跡があっただなんて。誰もここに来たことはなかった。あの地震が起きるまでは……」
 ルーは悲しげに呟く。あの地震。今はもう物言わぬ骸となった少女にとっては、ついちょっと前のこと。けれども、オレたちにとっては、すでに半世紀も前に起きたこと。
「そもそもここダーマ神殿の遺跡は外界と隔離されていたのだ。このフロアは入ってはいけない場所として封印されていた。あの、職業の神の像のあった場所、試練の終点までしか、サンヴィレッジの民は知らなかった。あの神像まで辿り着けば、試練は終っていたのだから、当然だった」
「職業の神の像って、やっぱりあの神の御座にあった、二体の女性の石像か?」
 口を挟むと、ルーは違うわ、と首を振る。
「それだと、この日記に書いてあるのと辻褄が合わないもの。あれは、神の遣いであって神の像ではなかった。ね、カイル。地図持ってるでしょ?」
 言われて初めてそのことを思い出す。
 行きもがむしゃらに進んだせいで道に迷ったんだっけ。
「あった。どれ……」
 オレの手元をみんな覗き込む。魔物に見つからないように小さく灯した松明の光に、地図は揺らぐ。
「このバツ印が入口だな」
 入口から順番に辿っていく。自然の洞窟の曲がりくねった道がずっと続いている。
 そして、終点。あごひげをたくわえた老人の絵が描かれていた。もちろん、男性だった。
「今、あたしたちがいるフロアは描かれていないし、もちろん、神の御座も描かれていない」
 ここは――オレたちの今いるここは、地図にない場所。
「このフロアとその先の神の御座の間は隠され、封印されていた。おそらくは、その職業の神の像とやらで。そうか、なんとなくわかった」
 クライスはしたり顔で言ってのけたが、何かが繋がらない気もする。
 オレたちは神の御座に何の障害もなく入れたし、封印なんてされていなかった。
「たぶん、なんだけど」ルーはオレの表情を読み取ってひとつの推理をする。
「あたしたちがあそこに入れたのはあってはならないことだったと思うの。あれは、正規のルートじゃなかった。日記の少女の言う地震か、あるいは何かの間違いでできたイレギュラーなもの」
 何かの間違い、イレギュラー。
 その単語を言うとき、ルーは少し切なそうな表情を見せた。きっと、異端の天才であるラルハンドのアルビノの自分が言われてきた単語と重ねたのかもしれない。
「それにしては、無用心だな」とクライス。「職業の神の像とやら――俺たちは実際には見てないが、それが今回のように別ルートから入るなりされてしまえば、いとも簡単に入れてしまうわけだ。封印とは言いがたいな」
 ルーはクライスの指摘を否定する。
「ううん。封印は二重にかかっていたと思うの。ひとつはこの日記の書き手の少女の言う、職業の神の像。これは地震で崩壊して無くなったのね。それとは別に…… ほら、二体の女性像。職業の神の遣い。あれって、確かに古いのだけれど、それでもここの建物とかと比べると少しましじゃなかった?」
「言われてみれば」とオレは同意した。
「あれはきっと、魔法の力。あとから発生したバリアを考えても、とても人の手では作り出せないと思うの。だから。あれこそが、本当の意味での封印」
 オレたちを結果的に助けてくれた、あのバリア。あれは、魔界の魔物たちを神の御座から出さないための防御装置だった。あの部屋全体が、神の恩恵を受け、この世界と魔界とを隔てていた。
 ルーは手元の日記に視線を落とす。
「ここにも、そうある。ダーマ神殿は、魔界との入り口のある地に、聖域として、悪しきものを封印する結界として建てられたんだって、この子は推測しているわ」
 日記の書き手たる少女は博識だった。ルーと同じ、僧侶の卵。それはなんだか皮肉めいていた。
「それは本来はダーマの神官たちが代々守ってきた封印だったって。でもそれら守り手は、何千年もの前に滅んでしまった……」
 読めてきた。大魔王に滅ぼされた後、魔界の扉の封印を守る民がいなくなってしまった。
「守り手がいなくなった封印は、いつ限界が来てもおかしくない。扱い方も知らないのに、維持できるわけないもの。そこで……」
 実際、オレたちの後をあの青い人馬が追いかけることができた。あの装置を維持できるだけの魔力はもはやなく、一時的なものでしかなかった。オレたちの先祖はそれをわかっていて――。
「そこで、職業の神の石像とやらを作って、強引にフロアごと埋めてしまったってわけか。実際に実物を見たわけじゃないが」
 クライスも大体把握できたようだった。
「そう。真実を知るサンヴィレッジの祖先が、ここに誰も入ってこないように職業の神の像で壁を作った。念のため、ちゃんと魔法もかけて、ね」
 こんがらがってきた。
「ルー。整理させてくれ。今から順番に言うこと、間違ってた時点で訂正してくれよな」
 オレは念を押し、推測を順に口に出していった。

「ひとつ、サンヴィレッジの祖先はダーマの生き残りである。
 ふたつ、ダーマ神殿は魔界の扉を封印するために存在していたが、その守り手がいないのでいつ封印が解けてもおかしくなかった。
 みっつ、サンヴィレッジの祖先は何とかそれを阻止しようとして、職業の神の石像で強引にフロアごと侵入できないように壁を作った。
 よっつ、それはいつの間にか人々の記憶から忘れ去られていた。忘れ去られるほどの昔だった。
 いつつ、地震が起きて、魔界の扉がわずかながら開き、また、職業の神の像が作っていた封印が壊れた。
 むっつ、そのせいで洞窟の至る所に魔物の群れが飛び出し、十三人の子供達がそれに襲われた。
 ななつ、その当時の大人がなんとか事態を沈静化させ、事件を村の黒歴史にしちまった。
 やっつ、……ああ、もう、わかんねえ! 要するに、オレたちで魔界の扉を塞がないといけないってことか」

 オレはギブアップした。
 ルーは少し微笑むと、「全部当たってると思う」と言ってのけた。
「補足すれば、半世紀前の大人たちは、石像の封印を再現してフロアごと閉じ込めただけで、ここのフロアの封印まで手が出せなかったんだと思う。それにはとても強い魔力を持った者が必要」
 入るなと言わんばかりに、この洞窟の入口には人の出入を防ぐ為に柵が設けられていた。あれは、本当の意味での封印をなせなかったため、大人たちがとった最後の悪あがき。さしずめ、三つ目の封印といったところか。
「この日記を書いたこの子が、一番重要な、世界でもっとも崇高な偉業を成したの。きっと、強い魔力を秘めていたんだと思う。だから、半世紀もの間、魔界の扉を魔物が潜ることはなかった」
 ルーは、オレとクライスの立っている窓際にそっと近寄った。
「あの祭壇。ダーマ神官が職業の神託を与えたあの場所こそが、魔界へ通じる扉を塞ぐ儀式を執り行う場所」
 だから、少女はここで果てた。
 生命の限界まで魔力を使い果たし、動く力さえ無くし、せめて最期は魔物の餌にならないようにとひっそりとたたずむ廃墟のひとつに身を潜めて生命の火が消える瞬間をただ待ったのだ。
 なんて、孤独なんだろう。
「でも、少女もそう。天才であっても、卵は卵でしかなかった。だから、その封印も未熟なもの。何かがきっかけになって、いつ解けてもおかしくなかった。きっと、もう封印は解けかけているんだわ。いつ完全に解けてもおかしくない。だからそう。カイルがここに来たのもきっと運命。あたしたちがサンヴィレッジの危機を発見できたのは、本当に奇跡なのよ」
 オレがここに来なければ、完全に封印が解けるまで誰も気づかなかった――。
「ふん、馬鹿でも役に立つときがあるんだな」
 クライスが鼻を鳴らす。
「ばかって言うほうがばかなんだよ」
「いいじゃない。馬鹿でも。知らないほうが馬鹿なんだから。無知こそ愚かなことはないのよ」
 完全に封印が解ければ、あの青い人馬のようなバケモノは絶対に一匹では済まない。それこそ、無数の怪物に村は襲われることになる。
 戦士や魔法使い、僧侶に武道家。いくら職業に特化した者たちの住むサンヴィレッジであっても、何も知らないままにあんな奴らに襲われればただでは済まない。
「最後、あたしの推測なんだけど」
 軽く前置きして、ルーは言う。
「サンヴィレッジは、封印を完全なものとする魔法使いや僧侶を生み出す為に、魔界の魔物を退治できる強さを秘めた戦士や武道家を育て上げる為に、存在していたんだわ。あたしたちは、遠い祖先から託された使命をうっかり忘れていたの」
 それは、試練。試練の洞窟が試練たる所以。
 ――先の世から後の世へ、後回しにされた「最大の試練」なのかもしれなかった。
「あなたの想い、確かに受け取りました」
 ルーは、白骨にそっと手を当てると涙を溢した。

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