37.カイルの勇気

 ころころと丸みを帯びた石が積み重なって、それがひとつの整えられた景観になっていて。ああ自然ってすごいなあ。
 そんなどうでもいいことを考えながらただ座って、ぼおっと川の流れを眺めていた。
 手頃な石を見繕う。丸い。角なんてなくて、ただただ丸い。その丸石を、川に向かって投げる。石が水を切っていく。一、二、三、四……。
「二十五ね。さっすが」
 拍手が聞こえた。振り返らなかった。振り返ることができなかった。
 そのまま川を見つめていると、えい、と小さな声が聞こえ、水面を小さな石が拙く舞うのが見えた。
「七。ラッキーセブンね」
 嬉しそうに言うと、ルーは隣に腰を下ろした。
「今ならカジノに行けば、大当たりするんじゃないかしら」
 なんかそんな感じ、と明るい口調で言う。途切れる会話。
「ねえ、カイル」
「ん」
 ばつが悪くて、その顔を見ることはできない。だって。そう、だってあまりにも。
「怒ってないのよ、あたしは」
 おもむろに言った。そんなこと、わかっていた。ルーは、そう。誰よりも優しいのだ。だから、よけいに辛い。
「上達したでしょ?」
 これまた、おもむろに。
「何が?」
「水切り。昔は一回もできなかったでしょ。カイルに教えてもらったけど、それでもやっぱりできなかった。でも、このサンヴィレッジを出て、修道院でひとり挫けそうでどうしようもなくなったとき、たまに湖に向かって投げてた。ひたすら、石を投げてたの」
 ――そうしたら、できた。
「結局、ここに帰ってきてから今この瞬間まで披露する機会はなかったけどね。ま、今見せられたからいっか」
「そっか」
 短く言い放つ。何と返せばいいのか、わからなかった。
 オレに何かを言い返す権利なんて、あるんだろうか。オレの傷も、クライスの腕も戻った。サンヴィレッジの日常だって、戻った。
 だけど、ルーの、アルビノの鬼才の魔力は、二度と戻ることはない。他でもない、オレのせいで。
「申し訳なく、思ってるんでしょ?」
 こいつには本当にすべてお見通しだ。
「でも、カイルは勘違いしてる」
 ルーは人差し指を立てて言った。
「あたしは大事なものを失ってなんかいない。あたしのいちばん大事なものは途方も無い魔力でも何でもない。きっと、あんたと同じよ。大切な人たちよ。そのためなら、魔力だって惜しまない」
「大切な、人たち……」
「あのときすでに、試練の洞窟は酷い状態だったらしいわ。もう、魔界との入口がいつ開いてもおかしくなかった。あんたは寝ていたから知らないけど、あの後は大変だったのよ。クライスのお父さんが並みいる魔物の群れを蹴散らしたり、カイルのお父さんが伝説の“天空の勇者”やその仲間の“導かれしもの”を連れてきたり……」
「天空の、勇者……」
 あの初老の男。老いをして未だ折れることを知らない、稀代の英雄。天空の神に寵愛された、勇者。
 ――勇者。すべての頂点に君臨する、職業の最上級。決して、常人では届かぬ境地。
「それは、すごいな」
 親父との会話で知っていたけど、とりあえず相槌を打っておいた。
 話半分に聞いていたわけなんかなじゃなくて、ただ単にルーの話の腰を折りたくなかった。
「すごくなんかないわ。勇者かどうかなんて、実際どうでもいいのよ。問題は、魔界の穴がしっかりと閉鎖されたことじゃない」
 確かにその通りだった。
 オレたちは事実、あの最奥の間の穴を塞いでなんていない。あのときでも、いつ均衡が崩れて魔界への扉が開いてもおかしくない状態にあったわけで、取り急ぎそれが万事無事に解決されたことは本当に喜ばしいことだった。
「勇者さんが言ってたわ。あたしたちがあの惨状を早期に発見できたお蔭で、あの穴を封じることができたって。一度封印が完全に解けてしまっていたら、いくら天空の勇者の力をもってしても、それを閉じることは叶わなかっただろうって」
 改めて、ルーの顔を見る。その表情は、想像以上にすがすがしかった。
「カイルとクライスだけじゃ洞窟の中できっと死んでたわ。サンヴィレッジの人たちは、またアンタたちが村の外に出たんだと思ってそっちばっかり探したでしょうね。前科があるから。その間に、洞窟の中の魔界の扉は完全に開いて、凶悪なモンスターが溢れて、それが夜中だったり早朝だったり、サンヴィレッジの皆が寝てる時間に襲ってくるの。いくらサンヴィレッジの人たちが強いからって、さすがにこの平和な世の中じゃ油断して夜だって寝てるわ」
 早口に述べると、最後に得意げな顔で言う。
「だから、魔界の扉の情報を“大人”まで伝えたってことは、本当に褒められることなのよ。その貴重な情報を伝えられたのは、洞窟の最後の障壁を解除した、あたしのおかげ。あんたや皆がこうやって平和に暮らせるのも、あたしのおかげなのよ。ちょっとは感謝しなさい」
 ……でも。
「なあ、ルー」
 聞いておきたかった。
「あんたね。まだ聞き足りないの?」
 だって、それだけじゃなかった気がしたから。
 オレがここに留まるという決意をしたことで自分の問題を解決したのと同じで、ルーも何か終えているような印象を受けたんだ。
「あたしはね。やっと解放されたのよ。呪いからね」
 そういうと微笑み、それからまた石を投げた。それ以上は踏み込んで聞けなかった。
「七、八、九……十、すごい! 新記録よ、カイル! 見た? ねえ、今の見た?」
 さっき言ったことがすべて本心だったのかはわからない。だけど、オレはそれだけで救われた。
 魔力をなくしても、ルーは人生の目的をなくしてなんかいない。そう思うこと自体が、おこがましいかもしれない。だけど、ルーの明るい横顔を見ていると、彼女もきっと何かを吹っ切れたんだなって思える。
「村を出ないの?」
 ふと思い出したように、ルーは尋ねる。初めからそれを聞きたかったんだ。
 首を振った。親父にも言われたが、もう決めたことだ。
「村を出て、得られるものもあると思うけど?」
 問われた。
「いいんだ」
 ルーはそれをどう受け取ったのか。
「お父さんも今はそこまで反対していないでしょう? カイルが眠りこけているときに少し話したわ。カイルの好きなようにさせるって、そう言ってたもん」
「決めたんだ」
 身勝手かもしれない。
「一人で村を出たがった挙句に暴走して、その結果、大事な親友のかけがえの無いものまで無くしちゃって。本当に勝手だ。身勝手すぎて、自分で自分がイヤんなる。だけどさ、もう決めたんだ」
 村を出て、得られることもある――ルーの言葉が頭の中に反響する。
 だけど、それはきっとオレにとって必要なことではないと思う。それはきっと、クライスの役割だと思う。オレは――。
「オレはやっぱりここを出ない。ここに残る」
 ルーは静かに聞いてくれていた。
「気づいたんだ。オレはただ、親父に反抗していただけなんだなって。何が大事で、何を目的にしたらいいのか。ゴールはひとつでも、その道はたくさんあるんだって。オレのゴールは、大切な誰かを守るための強さ。さっきルーが言ったとおりなんだ。だから。そのゴールは別に、武道家じゃなくたって良かったんだ」
 魔法使いは魔力が尽きれば、無力。だから、ゴールではない。そう思っていた。
 だけど、武道家だって大きな怪我をすれば無力には違いない。大人になりきれない、中途半端なオレはその簡単な答えに辿り着くのにとても時間がかかった。
「幅広い知識を吸収して、どんな状況でも臨機応変に対応できるようになりたい。どんなに困難なときでも、諦めない心と勇気、それを実現させる強さを持ちたい。それがきっと、誰かを守る力。だから……今は一番身近にある魔法使いとしての素養を磨いていこうと思う」
 そっか、とルーは微笑んだ。
「諦めない心と勇気、それから、それを実現させる強さ……か。相当むずかしいわよ。だって、ひとつの職業じゃ無理だと思うもの。それってまるで、勇者みたいね」
「そんなたいそれたもん目指すつもりなんか……」
 言葉尻は弱く、途切れた。
 ルーは軽く微笑み、「そうね」と微笑む。
「カイル。あなたのその選択はしっかりとした強さの賜物よ。以前のあなたなら、きっとその答えは出てこなかった。その答えを導き出したのだって、勇気が要ることだったと思うわ。あんたがここに残ることを決めたのだって、自分の道を選んだことだって、ひとつの勇気。小さな、だけども尊い、勇気」
 風が吹いた。
「もちろん、あたしにだって勇気の焔は宿ってる。それに、クライスだってきっと。彼がどうしたいのかはわからないけど……」
 そこまで言って、問いかけてくる。
「クライスは……どうするのかな。やっぱり、ロイスと一緒で、行っちゃうのかな」
 あの兄弟はよく似ていた。ルーとルビスと一緒で。クライスとロイスもよく似ていた。
 そう言うと、きっとルーもクライスも否定するだろうからあえて言わないけど、ひとりっこだったオレはいつも姉妹と兄弟が羨ましかった。
 でも、今は姉妹はルーひとりとなり、兄弟はクライスひとりになって、オレと一緒だ。いつまでも続くと思っていても、別れとはいつも何かの形でやってくる。
「クライスはきっと、行く。あるいは……」
「もう行っちゃった?」
 ありえると思う。
「その可能性も――」
 言いかけて、切った。オレとルーの後ろから川原に向かって、一直線に飛んでいく石。
 水を切る。一、ニ、三、四……
「三十五か。化けもんだな、もはや」
 オレは呟き、最後のときが来るのを静かに待った。
 空が途方もなく澄み切っていて、天のどこかにいるっていう竜の神様の影も見えるような気がした。それくらいに、何かもがきれいだった。

←back  next→
inserted by FC2 system