第三話 『静かな夜に宴を』

 南月島。
 鹿児島県と沖縄県の間の海域に位置し、同海域の奄美大島よりもさらに太平洋へと進んだ先に位置している。車道の類は一切なく、人が住んでいるのが奇跡とも言えるほど小さな島である。
 漁業が盛んで、従来はそれによって生計を立てていたが、都心への若者の移動、地球の環境変化による不漁の悪化から、島をリゾート化して生計を立てるようになった。現在は、ダイビングやクルージング、フィッシングなど様々なレジャーに力を入れている。フェリーを降りた場所にも、それらの施設が建ち並んでいた。
 地酒である『月酒』は泡盛でありながらそのまろやかな味わいが珍しく、世界でも有数のバーテンダーの支持を得たことから、南月島の名前は徐々に知れ渡り始めた。昨年からは島おこしに本格的に力を入れ始め、最大の施設である“マーメイドブルー”を設置。林昌さんはめでたく、そこの初代支配人となったというわけだ。
 俺が大阪を出発する前に、林昌さんから聞いた話の概要は大体そんなところだ。
 本土からも沖縄本島からも離れていること、島自体がとても小さいことから、リゾート地としては成立しないのではないかと危惧したが、共にフェリーを降りる人の数はそれなりに多く、それは杞憂だったと知った。

 俺たちは港から、他の観光客と共に宿泊街へと向かう。先ほどケイタさんの姿もちらっと見えたのだが、急いでいたのかこちらには気づかずそのまま去って行ってしまった。富士にずっと滞在しているらしいし、また会えるのだから、何も焦って追いかけることはない。俺たちはのんびりとホテルを目指すことにした。
 事前に渡されたホテルのパンフレットに印刷されている地図によると、港からは一本道で繁華街へと直結している。しかし繁華街と言っても、実物はせいぜいが商店街の域を出ないであろう。その証拠に港を出て真っ先に見えた文字が、『南月商店街』というアーケードであった。おそらく、日中はお土産を売っていたり、食べ物を食べる場所であったりするのだと思う。
 観光客向けの店の他にも、雑貨屋、本屋など様々な店が軒を連ねているが、全ての店がシャッターを閉めていた。
「全部閉まっとる。一軒くらいコンビニみたいなんあってもええのに。大阪やったら考えられへん風景やな」
 ピーコがその様子を見て、言う。
「あたしの家の近くだと、全部閉まってるよ? コンビニも十一時に閉まるし……」
 メグが不思議そうな顔をする。
「お前それ、ど田舎やねん」
「うるさいっ! イナカ呼ばわりすんな!」
 ピーコとメグが言い争いを始めるのを見て、ノゾがくすくすと笑う。俺もつられて笑ってしまう。
 喧嘩するほど仲が良い、とはこのことを言うのかもしれない。微笑ましかった。
 ただ、あまりに騒がしいと周りの観光客の目が痛いので少し黙らせようと、無理矢理、話題を変えてみた。
「それにしても、ホテルの場所わかりやすいよな。ホテルのパンフレットにわざわざ地図つけなくても、わかるじゃないか」
 言いながら、パンフレットをもう一度見てみる。
『港から直進、交番が見えたら右折。左手に見えるのがマーメイドブルーでございます』
 ご丁寧にそう書かれているが、そもそも港から交番特有の赤い電球は見えていたし、右折してすぐ見えるなら迷う心配もない。それに何より――
「ホテルめっちゃ見えとるもんな」
 ピーコが夜空を眺める。いや、正確には夜空ではなく、そこにきらきらと輝くネオンをまとってそびえ立つホテルを見ているのである。
 これならば、迷子の達人であるピーコでも迷いようがない。ホテル『マーメイドブルー』はその立派な風体をもって全身全霊、自己主張していた。
「ほんと、目立ってるわよね」
「私たちの地元にはあんな立派な建物ないよ」
 メグとピーコはもう先ほどの口喧嘩の影もない。ノゾも俺の思惑を察したのか、わざとらしい会話の転換に付き合ってくれた。
「夜空が少し、隠れちゃってるね」
 ノゾは残念そうに言った。
 景観。綺麗な夜空を削り取ってまでして、島の人たちがホテルを建てたいと思うわけがない。島の人たちにとって、このリゾート計画は苦渋の選択だったろう。そのことを考えると、林昌さんが初代支配人の名誉を喜んでいるとは思えなかった。きっと、林昌さんなりに精一杯考えた結果が支配人の地位だったのだろう。
「大阪よりはなんやかんや言うてもきれいやけどな」
 ピーコはそう言うが、ノゾとメグはコンビニさえ十一時に閉まるような場所からここに来たのだ。二人が見てきた夜空はきっと、この夜空に勝りも劣りもしない夜空であるに違いない。
 夜空を見ていると、他より少し輝く星を見つけた。そのどれもが眩しすぎて隠れているけど、きっとこれは夏の大三角形だ。そう思って、残りの二つの星を何となく追いかけてみる。
「あ……」
 思わず、声が漏れた。
「どうしたの、翔?」
「後ろ、向いてみろよ」
 ノゾは不思議そうな顔をしたが、俺の言うとおりに後ろを見た。
「わあ、すごい」
 ノゾの声を聞いて、メグとピーコも振り返った。
 その見上げた先にあったのは、満天の星空だった。正面はホテルのネオンの明かりに、夜空の星々の輝きは埋もれてしまっている。だけど、俺たちが振り返った夜空にまではホテルのネオンは届いておらず、その美しい輝きをいまだ保ち続けていた。
「星座が、どれがどれかわからないわ。すごい……」
 メグは感極まったように言った。
 星座は星の中でも一際目立つものを繋げて紡ぎ出される。ここではそのどれもが輝かしい光を放っていた。星座だとかそんなものはかろうじてしか判断できないくらいに。
 しばし星空に見とれていたが、周囲に他の観光客の気配が無いことに気づいた。そうだ。林昌さんを待たせているのをすっかり忘れていた。
 俺はまだ余韻覚めやらぬ三人に声をかけると、ホテルを目指して商店街を歩き始めた。
 地図にも載っていた交番の前へと差し掛かる。他の商店と違って少し立派な建物だったが、古臭い。昔からずっとある建物なのかもしれない。交番では、よれよれの服を着た年配のお巡りさんが鼾をかいて寝ていた。机の上には食べ終わったカップラーメンが置かれていた。
 こんな小さな島だから、きっと退屈なのだろうな。
「そう言えば、ノゾ。腹減ってないか?」
 俺もノゾは、メグとピーコとは違って夕飯は食べていない。そのことを思い出したのだ。交番を通り過ぎながらノゾに質問する。
「少し、空いたかな」
 ノゾは控えめに答えた。
 この時刻、流石にホテルのレストランは閉まっているだろうが、売店であれば開いているかもしれない。それがなくても、カップラーメンの自販機くらいあるだろう。
 ともかくホテルに行ってみなければ始まらない。俺たちはホテルへと急いだ。

「こんな夜遅くにお疲れさま」
 ホテルの扉をくぐると、少し訛りの効いた標準語で林昌さんが迎えてくれた。
 服装が制服であることを除けば、その雰囲気は昔会った頃の林昌さんと少しも変わっていなかった。
「お久しぶり、林昌さん」
「遅かったじゃないか、ほかの観光客は皆チェックインを済まして行ったよ。夜空でも見てたのかい?」
「お見通しなんだな……林昌さんには適わないや」
「だって、この時間にこのあたりで見れるのって星くらいしかないからね」
 そう言うと、林昌さんは柔和な笑みを見せた。
 俺は受付まで行くと、軽い挨拶と共に今回の招待のお礼を述べた。
 カウンターの上には小さなシーサーが一対ちょこんと置かれている。シーサーは沖縄の守り神であり、どこの家にも置いてある。このホテルもその例に漏れていなかった。
 俺は沖縄に来たことを実感して、内装を見渡してみた。ホテルは外装や内装のほとんどが近代風のオシャレなデザインだが、そんな中に“石敢當”と書かれた石板が置いてあったり、三線が飾られていたり、琉球ガラスでできた置物が飾られている。近代西洋風のホテルに沖縄の文化がうまくマッチした造りになっていて、これならどんな観光客でもいっぺんに満足してしまうだろうと思えた。
「なあ、翔。……石、かん、富みって何なんや?」
 石かん富み、という言葉を一瞬理解できなかったが、ピーコの視線の先を見てわかった。“石敢當”の石版だ。その読みを聞いているのだ。これは確かに本土の人には読むのは難しいかもしれない。
 沖縄には難解な読みをさせる単語が多い。南月島のように普通の音で読める地名は珍しいほうだと思う。
「ああ。あれは、“いしがんとう”って言って、魔除けの効果があるんだよ」
 答えたのは俺ではなく、林昌さんだった。接客で慣れているのか、すぐに気付いて答えてくれた。
「あ、そうなんすか! あの俺、翔の友達の中塚智彦っす。皆にはピーコって呼ばれてますけど……」
 流石のピーコも招待を受けた身であるからか、普段とは違って敬語で林昌さんに自己紹介をする。
 林昌さんも、「よろしく」と軽く自己紹介をしていた。
「ところで、昌子姉さんは?」
 懐かしい顔を捜して周りを見渡すが、従姉の昌子姉さんが見当たらない。てっきり、スタッフとして働いているものだとばかり考えていたのだがそうではなかったのだろうか。
「ああ、昌子は今、昌一を寝かしつけてる。まだまだ、ちっちゃいからね」
 そうだった、思い出した。生まれたばかりの子供がいるのだ。母親がその世話をほっぽり出して仕事をするわけにはいくまい。昌子姉さんもお母さんになったんだ。そう思うと、何だか感慨深かった。
「日中は、料理とかフロアスタッフとして手伝ってくれてるんだが、夜は帰ってるんだ」
「昼間は赤ちゃん、ほったらかしなんですか?」
 いつもは引っ込み思案なノゾが割り込んで言った。その目には非難の色が浮かんでいる。
「島に赤ちゃんがいないから、島の人たちがよってたかって面倒見たがるんだよ。ありがたいんだか、ありがたくないんだか、よくわからないけど、そういうわけで昼間は島のおばー達に見てもらってるんだ」
「あ、そうだったんですか。すみません、私てっきり……」
 ノゾが申し訳なさそうに謝る。
 林昌さんはそのときになって初めてノゾとメグの存在に気づいたらしく、少し驚いた顔を見せた。
「あれ。来るのは二人って思ってたんだけど、四人だった?」
「あ、いえ! 私たちは別口です。ちゃんと、ルーム予約もしてあります」
 慌ててノゾが言うと、林昌さんも慌てて姿勢を直す。その表情はプロのホテルマンのそれに変化している。
「申し訳ありません! ご案内もせずに……」
「いや、二人は友達だから問題ないよ、林昌さん」
「そうです、気にしないでください」
 俺がそう言うと、ノゾも頷いて肯定の意を示した。
「あ、そうかい? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらって、翔くんの友人として接することにさせてもらうよ」
 流石は沖縄人。林昌さんはすぐに態度を変えて会話に順応する。
 この沖縄人特有の適応力はいつ見ても素晴らしいと思う。俺のじいちゃんなんかも臨機応変に適応したりして、見ていて驚かされたものだ。残念ながら、俺にはそれほどまでの臨機応変さはなく、少し羨ましいとも思ってしまう一面だった。
「立ち話もなんだ、奥でご飯でも食べないか? 君たちで最後のチェックインだから、ここはバイトの子に任せたらいいしさ」
 林昌さんはそう言うと、カウンター脇にあるレストランの扉をあけた。扉の脇には立て札があって、デフォルメされたシーサーとともに、『本日の営業は終了しました』という文字が書かれている。
「気にせず入って入って!」
 遠慮がちな俺たちを無理矢理引っ張り込むと、林昌さんは扉を閉めた。
 室内には美味しそうな香りが漂っていた。空腹が刺激されて、ついつい腹がなってしまう。
 ピーコが歓声をあげた。机の上を見たのだ。そこには所狭しと料理が並んでいた。ポーク玉子、タコライス、ゴーヤちゃんぷるー、海ぶどうの酢の物……他にもよくわからない料理がたくさんあった。
「ちょっと冷めちゃってるのもあるけどね。さっき、賄いで作ったものの余りだから、味は落ちてないと思うよ」
 賄いとはコックやスタッフたちのための食事のはずだが、その余りで作ったにしては量が多すぎる。いくらなんでも、机の上一面というのはないだろう。
 俺たちのために用意していてくれたのを気をつかわせまいとしていることは一目瞭然だった。何だか申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、この素晴らしい料理に手をつけないことは何よりも申し訳ない。
 食べ物は食べてこそ、作ってくれた人、食材を提供してくれたもの全てへの感謝となる。逆に食べなければ、それはその好意を踏みにじるということだ。それこそ、食への冒涜と言える。
「でーじあるでよ、遠慮せず食べねいー」
 厨房からコックの声が聞こえる。俺たちはコックにも礼を言うと席に着いた。
 林昌さんにはメグとノゾの自己紹介もまだだったので、食べながら自己紹介をすることにした。俺たちとノゾ、メグが出会った経緯も軽く話す。
 メグもピーコもフェリーで食事はしていたが、俺たちに遠慮してサンドイッチで軽く済ませたらしい。林昌さんに進められて、二人もこの素晴らしい料理の数々を堪能していた。
 俺とノゾ、メグは遠慮しながら控えめに食べていた。しかし、ピーコは破竹の勢いで頬張っている。次から次へと皿に手を伸ばす。こいつは遠慮と言うものを知らないのか。
「ささ、ピーコ君だけじゃなくて、皆ももっと食べて食べて!」
「うそーん! そんな言い方やったら俺だけが食べてるみたいやん!」
「お前ばっかり、食べてるじゃないか」
「本当それだっ! あはははははっ!」
 にこやかな笑いに包まれながら食事は進んだ。
 本家本元のゴーヤちゃんぷるーは、大阪で食べられるものとは違ってかなり苦かった。だがその苦味が良い。苦味の中に甘みが凝縮されていて、ただ苦いだけではないのだ。このゴーヤを包み込む、卵もまた良い。卵のまろやかな口当たり、甘みがうまくゴーヤの苦味と調和している。
 極めつけは、ポーク。沖縄のポークはただの豚肉ではない。その独特の味付けは特徴的である。アメリカ文化との融合の産物だと聞いたことがあるが、それを考えるとアメリカのポークに近いのかもしれない。
 ゴーヤと卵の苦味と甘みの調和した中に、ポークがその独特の味を加える。これにより、まさに様々な味の混ざった料理に仕上がっている。ゴーヤちゃんぷるー、その味は紛れもなく八つ星級の美味だと言えた。
「苦いっ!」
 そのゴーヤちゃんぷるーを一口食べて、ノゾはしかめっ面をしてみせた。
 このゴーヤの苦味というのが結構な曲者であり、人によって好き嫌いが大きく分かれる。俺は好物なのだが、ノゾの口には合わなかったらしい。元々、雑食で何でも食べるピーコはさもうまそうに食べている。食べるのに真剣でさっきから一言もしゃべっていない。メグは美味しそうに箸を口に運んでいる。
 残したら悪いと思ったのか、無理に箸を口に運ぼうとするノゾを林昌さんが止める。
「あ、無理しないでいいよ。他にも料理はあるからね。いやしかし、これを食べれないなんて残念だなあ。泡盛によく合うんだけど……あ、お酒は飲むかい?」
「あ、じゃあ、ちょっとだけ」
 俺が頷くと、林昌さんはよしきた、と一本の瓶を持ってきた。銘柄は、月酒。最近、メディアでも取り上げられているこの島の地酒である。
「月酒は、観光客にも人気でね。数がそれほど多くないから、本土にはほとんど出荷してないんだ。ここでしか飲めないお酒だよ」
 林昌さんはそう言うと、人数分のグラスを用意してくれた。
「それと、つまみにはこれだ」
 俺たちの手元に、何かの刺身を運びながら林昌さんは言った。刺身にされた部位は赤と白をしていて、そうでない部位は元の原型をとどめていた。その黒みがかった、それでいて銀の光沢をも持つ魚には、他の魚にはない特徴があった。羽だ。
「これは……トビウオ?」
「うん、そうだよ。このあたりの海に生息していてね。昔から、この島ではトビウオをとって食べてるんだ。美味しいよ」
「トビウオって食べれるんか……?」
 ピーコは皿の上の魚を見つめてしばらく悩んだ顔を見せていたが、すぐに好奇心に負けて箸をつけた。
「うまい!」
 一口食べると、すぐに二口目に取り掛かるピーコを見て、このままでは刺身が全部無くなってしまうかもしれないと思った。刺身とはたいてい細かく切ってあるもので、その一口は一切れに匹敵するからだ。
「お前ばかり食べるんじゃない!」
 そう言うと、俺も負けじと一切れ食べる。上手い。生臭くない。醤油も何もつけないで食べることができ、それでいて、まろやかな味。
 ノゾもメグも一口食べて、その独特な風味に舌鼓を打っていた。間違いなく、絶品と言える味だった。
「ほら、食べてばかりじゃなくて、月酒も飲んでみてよ。どちらもまろやかな味で美味しいから」
 林昌さんにそう言われて、注がれたお酒を一口飲む。美味い。しばし、そのまろやかな味わいを楽しむ。
 しかし、何とも不思議なもんだ。長野、大阪、沖縄。雪国、湿気の多い熱帯地、常夏の島。色々な地域に住む者がこうして一堂に会して共に食事をしている。縁とはつくづくわからないものだなと思う。
 様々な料理に舌鼓を打ち、お互いの地域の話を話しているうちに、お腹も膨れてきた。料理を食べる手も止めて、会話に専念することにする。
「そういえば、“健康ランド富士”の人と会ったよ」
「誰だろう。正博さんかな?」
「違うで、ケイタっていう人やで」
 ピーコは敬語ではなく、いつも通りの口調で答えた。
 林昌さんが自己紹介の際に、皆とは友人として接したいので敬語はやめてくれと頼んだからであった。
「ケイタ、けいた。ああ、正博さんの親戚の慶太君か! 懐かしいなあ」
「知ってるの?」
 林昌さんはどうやら、ケイタさんとは顔見知りであったらしい。
「僕は元々、この島の生まれでね。八年前に沖縄本島に移るまではずっとここに住んでたんだ。正博さんとは幼馴染で、昔はよく遊んでもらったものさ。彼のほうが年上だったのもあって、先に結婚して比奈ちゃんが生まれてね。慶太君は時々島に遊びに来ては比奈ちゃんの相手をしてたっけ。大学院に行き始めた頃から来なくなったなあ。いや、懐かしいなあ!」
 林昌さんはしみじみと言った。
「慶太君が帰ってくるんだったら、比奈ちゃんも喜ぶだろうな。この島に同じくらいの年の子が全然いなくて、寂しい思いしてるからさ」
「ヒナちゃんは何歳なんですか?」
 敬語はやめてくれと頼まれたのに、ノゾは今ひとつ敬語が抜け切らない様子で質問した。明らかに年の離れた林昌さんとタメ口でしゃべることには抵抗があるのだろう。これはノゾの性格からだと思う。ある意味頑固で、だからこそ好感が持てる。
「今年、十五歳になるって言ってたな。中学三年なんだって」
「過疎化が進んでるって聞いたけど、学校とかはあるの?」
 俺も気になって訊いてみた。高校なんて、この小さな島にあるのだろうか。島自体はリゾート化が進んでいるお陰で、一見、発展しているようには見える。しかし、それはあくまでリゾート地としての側面であり、実際に生活するとなるとどうだろう。
 車もなく、道路もない。信号なんて存在しない。交通機能さえ存在しないこの島に、教育施設の設置が行き届いているとは到底思えなかった。
 俺の問いかけに案の定、林昌さんは首を横に振った。
「この島には学校はないんだよ。別の島に小学校、中学校があって、ヒナちゃんはそっちに通ってる」
 島に住む子供の数は年々減少する一方であり、今では二人しかこの島にいないと林昌さんは言った。一人は言うまでもなく、林昌さんの息子の昌一だろう。もう一人は言うまでもない。先ほどから話題に上がっている、ヒナという女の子だ。
 この島からだと、学校のある島まで一体、何時間かかるんだろう。俺は毎朝長い長い船旅をへて学校に向かうヒナちゃんの気持ちを想像してみた。一日じゃない。それは毎日、授業がある限り続くのだ。
「他の島でもやっぱり子供が少ないんでしょうね……」
 俺と同じことを考えたのだろう。ノゾが哀しげに言う。
「そうなんだよ。子供が少ないから、島のオバーが喜んで子供の面倒見てくれるんだ。だから、昌子ネーネーは昼は働けるんだよ」
 ノゾが顔を赤くした。さっきの受付でのやり取りを思い出したのだろう。すみません、と恥ずかしそうに謝った。
「いやいや、そんなつもりで言ったんじゃないんだよ! 本土の人ならそう思っても仕方ない。これは離島ならではだと思うしね」
 優しい性格からか、ノゾは育児放棄などの類が許せなかったんだろう。それで、いつになく強く口を挟んでしまったんだと思う。確かに最近はテレビや新聞でそんなニュースばっかり見かけるから、そう勘違いしてしまうのも無理もないのかもしれない。
 離島ならでは、とケイタさんは言ったが本当にその通りだと思う。『いちゃりばちょーでー(一度逢えば兄弟)』と沖縄の方言に言われるように、沖縄人の家族の概念は限りなく広い。この島に住んでいる人、皆が家族であるくらいの認識じゃないかと思える。
「けど、比奈ちゃんは中学を卒業したらもうこの島を出てもいいくらいだと思うんだよ。お父さんの正博さんも高校は那覇市のものに行かせたいようだけど、比奈ちゃんはそれを嫌がってる」
 小さな離島に住む高校生だと、沖縄本島の学校で寮生活をすることがあるという話は、じいちゃんから聞いたことがあった。小学校、中学校は親元を離れることは少ないが、高校はそうではない。もう親がいなくても、一人で生活できるからだ。
「……比奈ちゃんは優しい子でね。正博さんは奥さんを亡くしてるから、自分が出て行くと正博さんを一人にしてしまう。お母さんが亡くなってるんだから比奈ちゃんも辛いのは当然なのに、自分の意見は言おうとしない。たぶん、高校も通わないで南月島に住むつもりなんじゃないかな。父親思いな子だよ……」
「そうなんだ……」
 いつもは明るいメグもいたたまれない様子で、静かに呟いた。
「島に同い年の子がいないから、比奈ちゃんはいつも一人で遊んでる。そのせいかすごく人見知りで……そうだ、君たち。もしよかったらこの島にいる間だけでも比奈ちゃんと仲良くしてやってくれないかな?」
 言われるまでもないことだった。俺たちは力強く頷いた。
「ところで、翔くん、ピーコくん。前から言ってたお手伝いのことなんだけど……」
 林昌さんは申し訳無さそうに切り出した。
「任せてくれ。無料招待してもらってるんだから、それくらいやらせてもらわないと申し訳ないよ」
「そうやで、どんどん頼んでや。あ、でも無理のない範囲で、ご利用はご計画的にお願いします」
 ピーコが呆けて見せたので、皆、爆笑した。
 林昌さんは笑いの余韻覚めやらぬ様子で、お手伝いの詳細を説明した。
「人魚まつりについてはホテルのパンフレットにも書いてあったからわかると思うけど、その祭りの日に焚くかがり火のための薪を取りに行ってほしいんだ」
 薪ならそのへんで拾えばいいじゃないかと思ったが、そう簡単にはいかないらしい。
 林昌さんはかがり火の儀式のしきたりについても説明した。島民にとっては神聖な儀式であり、用意の段階からすでに儀式の一環であること。かがり火に使う薪は神聖な山、つまり島にある山の頂上から拾ってこないといけないこと。何やら面倒ではあるが、これが決まりであるらしい。
「実は、僕は島の自治体に入っててね。本土の管轄の届かない離島を暫定的にまとめるために島の人々で構成された自治組織なんだけど、そこのリゾート部のリーダーをやっててさ。あ、正博さんも入ってるよ。若い人ではあとは二人かな、他はみんな島のお年寄りなんだけど……彼らが頑固でね。何でもしきたりにこだわるんだよ」
 林昌さんの話では、薪を取りに行く役は自治体に所属する者の家に順番に回ってくるそうで、今年は安里家、つまり林昌さんの家の番だったのだが、ホテルの経営が忙しくて手が離せないとのことだった。
「適当にそのへんの薪ですませちゃうっていう手もあるんだけど、島のお年寄り連中にばれたらそれこそここを追い出されかねない……おっと、これは蛇足だったね。そういうわけでまあ、僕としても人を騙すのも嫌だし、信用おける人を雇って薪を拾ってきて欲しかったというわけなんだけど、頼めるかな?」
 俺はてっきりもっととんでもないこと手伝わされるのかと思っていた。観光シーズン真只中のホテルマンをいきなりやれだとか、作ったこともない沖縄料理を作れだとか。さすがにそんなことはないと思うが、何はともあれ技術がないとできないようなことを頼まれなかっただけましである。
 俺たちが引き受けたのを見て、林昌さんは心からほっとした様子だった。確かに簡単な仕事ではあるが、仕事の忙しい林昌さんにとってその時間すら惜しかったのだろう。まさに猫の手も借りたい状態。林昌さんにはお世話になりっぱなしだし、俺の手くらいならいくらでも貸したいくらいだ。
「じゃあさっそく、明日にでも……」
「二十八日に間に合えばいいから、そこまで急ぐ必要もないから明後日でも別にいいよ。行けるときに行ってくれたらいいし」
 林昌さんはそう言ってくれたが、これはれっきとした仕事だ。林昌さんが俺たちに頭を下げて頼んでいるのに、手を抜くわけにはいかない。善は急げ、俺は明日必ず山へ登るつもりだった。
「何でも早いうちにするのが俺の性格だからさ、林昌さんも気にしないでよ」
「そうかい、じゃあ、明日はちょっと手が離せないから、昌子に詳しい説明させるよ。朝九時くらいに受付まで来てくれるかな?」
「私たちも行きます!」
 そう言い出したのはノゾだった。
「ダ、ダメだよ! さすがにそれは頼めない。だって二人はお金を払った正式なお客さんだし、何より女の子だ。力仕事なんて任せられないよ。メグちゃんとノゾちゃんは明日は観光してくるといい」
「明日は俺とピーコだけで行くよ。気にすんなって」
「そうやで、俺らの仕事とんなや。ハローワーク行かなあかんようになるやろが」
 俺たちも林昌さんもそうフォローしたが、メグとノゾはまだ聞き入れようとしなかった。
「ああ、じゃあ、こうしよう。比奈ちゃんの相手をしてあげてくれないか。あの子、すごく寂しそうだから」
 ヒナちゃんの名前を出されて、二人は少し表情を変えた。どうやら心を動かされそうな様子である。
「比奈ちゃんは内気だから二人に声をかけられないと思うから、僕から仲良くなる機会をセッティングするし。そうだ、比奈ちゃんに案内してもらえばいいじゃないか、一石二鳥だね!」
 あまりに林昌さんがヒナちゃんの名前を出すものだから、二人は渋々と俺たちの申し出を受け入れてくれた。さすがは林昌さん。交渉が上手だ。
「また詳しいことは、明日ここに来てくれたら説明するから……さて、夜も遅いし、そろそろお開きにしようか」
 時計を見るともう一時だった。深夜と呼ぶにふさわしい時間である。
「営業時間外なのに、こんな時間までレストラン使わせてもらってごめん、林昌さん」
「あ、気にしないで。もう時間とかそのへん、てーげーだから」
 俺が謝るのを聞いて、林昌さんはにっこりと微笑んでみせた。
「てーげーって?」
「標準語で、適当って意味だよ。少しニュアンスが違うけど、だいたいそんな認識でオーケーだと思う」
 メグが聞きなれない言葉に首をかしげたので説明してやる。
「テーブルの後片付けとかも気にしないでいいから、受付に行ってスタッフから鍵もらって。長い船旅の疲れをしっかりとって明日に備えるように」
 最後の一言は強く念を押すような言い方だったが、それも俺たちに気を遣わせないための配慮だろう。しかし、林昌さんの言うことも的を射ていた。長い船旅の疲れは、知らないうちに身体に蓄積されていたらしく、今頃、眠気が襲ってきた。
 俺たちは林昌さんの言葉に甘えることにして、席を立った。林昌さんとコックの方々にご馳走様とお礼を言うと、俺たちは食堂を後にした。

「おいしかったよねー」
「ああ、めっちゃうまかったわあ」
 メグとピーコが満足そうに言う。
 林昌さんの言いつけ通り、受付のスタッフからそれぞれの部屋の鍵を受け取ってエレベータに乗る。
「翔とピーコ、何階?」
「俺らは五階や。そっちは……四階か。何や、離れてんな」
「でも同じホテルだし、すぐ会えるよ」
 メールアドレスも交換したしね、とノゾは付け足す。
「そうだな。じゃあ、また明日だ」
 四階に着き、ノゾとメグが降りる。二人は軽く別れを告げ、エレベータを降りた。
 すぐに五階に到着する。俺とピーコはエレベーターを降りると、自分達の部屋を探した。
「スイートルームやったらええな!」
「そんなわけないだろ、馬鹿」
 俺たちは自分達の部屋をようやく見つけると、鍵を開けて中に入った。
「すごいやん……俺、ビジネスホテルしか泊まったことあらへんからびっくりや」
 ピーコが思わずつぶやく。
 スイートとまではいかないが、きちんと整えられたデザイン、内装……、文句なしだった。いや、文句なんて出るはずも無い。間違いなく、“豪華ホテル”と言えた。パンフレットの写真はたいてい映りをよく見せるように撮られているのだが、ここはパンフレットで見たものとまったく遜色なかった。
「ほんますごいわ……あ、見てみ! ガウンあるで!」
 さっそく部屋をいじりまわすピーコ。子供かこいつは。
「テレビ、衛星放送見れるし!!」
 ピーコは嬉しそうにテレビをつけた。
 衛星放送では今夏ロードショー中の『人魚の涙』の特別予告が放送されていた。フェリーの中でも話題になった映画だ。俺とピーコも観に行ったし、ノゾとメグも観たと言っていた。
 最近、世界のCG技術は向上していると聞くが、これは凄い。最初から最後までフルCGの映画なのに、無理なく見れる映画だ。製作会社がアメリカの大手アニメ会社だから、これだけの技術を余すことなく扱えるのかもしれない。
 海の底の国に住む人魚シューヴァが主人公の話だ。まだ冒頭のシーンで、四人の姉人魚たちが映っている。次に映し出されたのは綺麗な海底の街の風景、そこにはたくさんの人魚が泳いでいた。次に映し出されたのは、誰もいない無人の島で一人、シューヴァが泣いているシーンだ。
 俺は映画で見たのでこのストーリーを知っている。人魚の国が滅びてしまい、人魚の中でただ一人、シューヴァだけが生き残る。彼女は孤独と共に永遠の命を生き続ける……というものだ。ただ、製作会社が子供向けのアニメ会社なので、ラストはしっかりハッピーエンドになるのだが。
 しかし、とテレビ画面を見ながら思う。
 この映画の人魚たちは綺麗な青い海に住んでいる。映画の中では人魚の国が描かれていて、シューヴァを含めてたくさんの人魚が登場する。南月島の人魚はどうだろう。あのミイラになった一匹だけだということはあるのか。生物である以上、それは複数存在していなければ生物としてなりえない。子孫を残せないからだ。もし、人魚のミイラが本物であるなら、人魚はそれなりの数で存在していることになる。
 テレビ画面を見ながらぼうっと考えていると、『人魚の涙』の映像公開が終り、ナレーションが始まった。
『予告ではここまでしかお届けできないのが残念です。先日のインタビューによると、マス・ダ・マクシーマ監督は日本の南月島を訪れてこの映画を作ろうと決意したらしいですね。何やら遠縁の方が南月島にいらっしゃったとか。海外の映画でありながら、沖縄のアーティスト、沖縄事変がエンディング曲を任されたのも頷けますね。では、沖縄事変の最新曲を聞きながらお別れしましょう。沖縄事変で人魚の涙――』
 知らなかった。
「なあ、ピーコ、この島が……」
 俺はピーコに声をかけようとして、やめた。
 振り返ると、ニつあるベッドの一つでピーコは大きないびきを立てていた。はしゃぎすぎて疲れたんだな、こいつ。ほんと、小学生みたいなやつだと思わず苦笑してしまうが、俺も人のことをとやかく言えたもんじゃない。疲れた。正直かなり疲れた。風呂は明日にして寝ることにしよう。
 その前に、俺は窓辺へと近づく。明日行くことになる兄山を見ようと思ったのだ。だけど、窓は海側を向いていた。
 海。無限に広がる海。どこまでもどこまでも海は続いている。それはまるで、人と人の繋がりのようだ。人と人の繋がりも遠く、どこまでも続く。
 今日、出会ったのはノゾ、メグ、ケイタさん。そして、久々に再会した林昌さん。明日は昌子姉さんと再会する予定だし、もしかしたらその子供の昌一も見れるかもしれない。あと、おそらくはヒナちゃんとも会うことになるだろう。
 人との出逢いっていいな。
 この旅行に来なければ皆と出会うこともなかった。
 ピーコは相変わらず、幸せそうな寝顔だ。メグとデートでもしてる夢でも見てるんじゃないだろうか。明日、からかってやろう。そう考えた直後、ノゾの顔が頭に浮かぶ。何だか照れくさくなって、思わずもう一度、窓の外の景色を眺める。
 薄明るい月に照らされた海が、ただただ静かに揺れていた。こんな幻想的な風景だったら、人魚がいてもおかしくないな、と思った。

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