第六話 『科学で解明できないもの』

 俺たちは無言のまま本堂を後にした。
 神社の門をくぐって、広場を通り過ぎる。その間も、俺たちはずっと無言だった。ピーコはこういった怪談めいた話が実は苦手だということを、廃墟の一件で俺は知っている。
 メグとノゾは俺たちの様子を見てか、声をかけられない様子だった。とぼとぼと無言で海沿いの道を歩く一同の姿は端から見れば異様で、葬式を思わせるかもしれない。
「そっちじゃなくて、こっち」
 このまま商店街へと向かおうとした俺たちを、ヒナちゃんが引き止める。
 どうやら、俺たちをどこかへ連れて行きたいらしい。俺たちはヒナちゃんの案内するままに、神社をぐるっと一周してその裏手へと周った。
「うわー、キレイ……」
 ノゾが感嘆の声をあげる。
 ヒナちゃんが案内した先は、小さな入江であった。そこには様々な色をした魚が縦横無尽に泳いでいた。
「ここ、泳ぐのも釣りするのもいいところ」
 そう言って、海へ飛び込む。服を着たまま、ヒナちゃんは気持ち良さそうに泳いでみせた。
「なーに、意気消沈してるのよっ!」
 メグの元気な声が聞こえたと同時に、横からピーコの悲鳴があがる。直後、聞こえたのは水しぶき。先ほどまで隣にいたピーコが忽然と消えて、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。ピーコが突き落とされたのだとようやく理解したと同時に、「翔もっ!」という声がかかり、水面に叩き落とされる。瞬間、全てを理解した。
「何すんねん!」
「何すんだよ!」
 俺とピーコの声が見事にハモった。
「あんたら、さっきの身体が溶ける病気の話、信じてるわけ? バカねー! そんな病原菌、あるわけないでしょ!」
 げらげらげらと、メグが笑う。恥ずかしいが図星だった。
 俺もピーコもどうかしていた。神主さんの話し方が真に迫っていたため、常識的に考えればありもしない病原菌の存在を無意識に受け入れてしまっていた。
「そんなに気になるなら、海で身体洗っちゃえばいいのよ。ほらこれで綺麗になったわ。沖縄の海は綺麗ねー、きっとどんな病気も治っちゃうわよ」
「人落としといて、えらい楽しそうやないか! 何で俺らだけずぶ濡れやねん!」
 その意見に同感だった。俺たちだけがずぶ濡れというのは気に食わない。ピーコと俺は顔を見合わせた。お互いの意見が一致したことはその目でよくわかった。俺たちは同志だ。無言で頷くピーコ。
「なに、男ニ人で見つめあって気持ち悪ー」
「メグ、二人ともさっきの話気にしてたんだから仕方ないよ」
 大笑いするメグに、くすくすと申し訳無さそうではあるが笑っているノゾ。二人が笑ってる場所を目指し、俺たちは泳ぎ出した。息もつかぬ間とは正にこのことだ。油断して笑っている二人は俺たちの接近にまったく気付いていない。
「お前らも濡れろ!」
「笑ったやつは同罪やー!」
 二人とも、海に引きずりこむ。悲鳴と共に水しぶきが上がった。
「何すんのよ、バカピーコ!」
「翔ひどいよ!」
 怒った様子で、二人は俺たちを睨んだ。しかし、対照的にヒナちゃんだけは満足そうな様子であった。
「海で泳げてよかったね、皆」
 控えめに、けれども嬉しそうに笑うヒナちゃん。
「よくないわよ! 服びしょびしょよー」
「島の人はね、海に泳ぐときに、水着なんてつけないよ。だから、だいじょうぶ」
 ヒナちゃんはしれっと言ってのけた。
「それもそうね、紫外線怖いし……」
「濡れてしもたら一緒やから、このまま遊ぼうや! ほれ、メグ、もっと濡れてまえー!」
「なによー、ピーコったら!」
 ばしゃばしゃと水をかけあう二人を見て、皆、大声出して笑った。ヒナちゃんがここに連れてきたせいで俺たちはびしょ濡れになることになったのだが、誰一人としてヒナちゃんを責める者はいなかった。びしょ濡れになっても、それはそれは楽しいものであったから。いい年した男女が、服を着たまま海で水をかけあう。都会じゃまず見られない光景だ。俺たちはただただ水をかけあい、ときには泳いで遊んだ。
 必死になって遊んでいると、何かが聞こえた気がした。思わず、周りを見回す。
「どうしたの翔?」
「いや、何か聞こえた気がして」
 ノゾが俺の様子に気がつき、声をかけてくれる。しかし、そんな俺の悩みはすぐに消え去った。カメラを片手に遠くで手を振る男の人が見えたからだ。
「ケイタにーにー!」
 ヒナちゃんが笑顔で手を振り返し、浜辺へ泳いで行く。向かう先にいたのは、島へと向かうフェリーで会ったケイタさんであった。俺たちもヒナちゃんに続いて浜辺に上がった。
「ヒナと仲良くしてくれてありがとう、皆。ひさしぶり、は変かな? フェリーではどうも」
 ケイタさんは丁寧にお辞儀した。ケイタさんは俺たちよりも年上なのに、年下にも礼儀正しい。
「ケイタにーにー、泳ごうよ!」
「いや、僕は泳ぐのはあまり……」
「ダイビング好きだって言ってたさー。ダイビングできたら泳げるやっし?」
「僕が好きなのはクルージングだよ、比奈は相変わらず横文字が苦手だね」
 ダイビングもクルージングのどちらも島にあるレジャー施設だ。比奈ちゃんは混合してしまったのだろう。恥ずかしそうに笑ってみせる。しかし、その顔はとても嬉しそうだった。
 ケイタさんはきっと、ヒナちゃんからすごく好かれているのだろう。ヒナちゃんの嬉しそうな顔を見ると、そのことがよくわかる。
「この島の景色を撮っていたら君たちを見つけてね。失礼かとは思ったけど何枚か撮らせてもらったよ。だけど、もうそろそろ暗くなってきたね」
 ケイタさんはこの島には趣味の写真撮影も兼ねて来ていると言っていた。その手に構えられているのは一眼レフカメラだ。
「君たち、何か明かりになるものは持っているのかい?」
「いや、何も持ってないよ」
「このあたりは暗くなると何も見えなくなってしまうんだ。今日は外で遊ぶのはやめにして、とりあえず商店街まで戻らないかい?」
 沖縄の朝と夜の移り変わりは早い。太陽を遮るものがないからだ。別にさっきの神主さんの話で不安なせいではないが、真暗な道をずっと歩くのは正直言って嫌だ。俺たちはケイタさんと商店街まで戻ることにした。それに、そろそろ夕食の時間でもある。ちょうどよい時間帯なのかもしれない。
 商店街まで歩くと、もういくつかの店は早々にシャッターを下ろし始めていた。商店街を抜け、『マーメイドブルー』に着く。
 ヒナちゃんは解散の雰囲気を察したのか、おずおずと俺たちに声をかけた。
「よかったら、『富士』に来てほしい」
「うん、ぜひ来てくれよ。天然の温泉だから、気持ちいいはずだよ。食べる場所もあるから、夕飯も食べにおいでよ」
 ケイタさんも誘ってくれた。ヒナちゃんは俺たちと別れたくないのだろう。俺たちともだんだんと打ち解け始めているのだ。俺もここで解散するのは寂しい。皆も同じ気持ちであるはずだ。
 フェリーでケイタさんから、『富士』の無料チケットも貰っているし、今夜行くというのもいいかもしれない。俺の意思を読み取ったかのように、メグも賛成する。ノゾも賛成、と嬉しそうに言う。ピーコがこんなことに反対するわけもない。満場一致、夜は『富士』に行くことになった。夕飯もそこで食べることにする。
「決まり! 夜も遊ぼうね」
 心から嬉しそうなヒナちゃんを見ると、友達になれたのだなとつくづく思う。本当はこのまま向かっても良かったのだが、服はびしょ濡れのままだ。流石に海から上がって時間が経つと肌にまとわりついて気持ち悪いことこの上ない。新しい服に着替えられないなら、温泉に入ってさっぱりした気分も台無しってものだ。
 そういうわけで一度それぞれの部屋に戻ることにして、ヒナちゃんとケイタと別れた。
 ホテルに戻ると、林昌さんが受付にいた。昌子姉さんは今はいないようだ。多分、家で我が子、昌一の面倒を見ているのだろう。
「おかえり、翔くん」
「ただいま。お遣いすませて来たよ」
「本当かい! ありがとう、助かったよ」
 林昌さんは心から感謝した様子で礼を言った。その様子から、薪を取りに行くことはよほど大事な役目であったことが伺える。
 島の自治体の老人はよほどの発言力を持っているらしい。国家権力の介入しないこの島ならば、ある意味で国家権力に匹敵すらしうるかもしれない。この島で国家権力と言えるのはあの居眠りをしていたお巡りさんだけだ。また、離島のことだから一般の交番のような機能は有していないだろう。俺にはそのあたりの知識はわからなかったが、神主さんがお巡りさんはもうボケていると言っていたことから、彼が有事の際に役に立たないであろうことは推測できた。
 しかし、こんな離島では犯罪も起こらない。有事を想定する必要もないに違いなかった。
「今から食事かい?」
 林昌さんは用事を終えて帰って来た俺たちに気を利かせたのか、そう聞いてきた。
「いいや。今から、『富士』に行くねん」
 ピーコが答えると、林昌さんはぜひ行くべきだと賛同した。
 俺たちはひとまず、着替えを取りに部屋に戻った。

 荷物をとって、ノゾたちと受付で合流すると、まだ林昌さんは受付に立っていた。
「今夜は遅くなるかもしれないんだけど、大丈夫?」
「ここは受付さえ通せば、何時まで外出しててもいいんだよ。二十四時間体制で誰かが受付に立っているから、気兼ねなく遊んでくるといい。『富士』はご飯も美味しいし、ゆっくりするといいよ」
 大阪ならどこでも時間を潰せる場所はある。しかし、この島にはそれがないのだ。仮にホテルに門限があれば、何も無い場所で一晩すごすなんてことにもなりかねない。だからこそ、二十四時間出入りできるようになっているのだろう。
「あ、場所によっては暗くて動けないから、懐中ライトとかは持ってったほうがいい。持ってきてないだろう?」
 受付の奥から、林昌さんは懐中ライトを二つ取り出してくれた。ご丁寧に交換用の電池までつけてくれる。
「これ、ホテルの備品だけど貸すよ。この島に滞在する間ずっと持っていてくれたらいい。ただ、他のお客さんに頼まれるかもしれないから、二つしか貸せないんだ。ごめんね」
「ありがとう、林昌さん。帰ってきたら返すね」
 俺たちは林昌さんに礼を言って、ホテルを出ようとする。
「……あの、林昌さん」
 俺はしばらく悩んでいたのだが、やはりこの場で聞いておくことにした。好奇心が勝ったのだ。軽く首をかしげる林昌さんの顔を見て、昼間の話をしていいのかどうか一瞬迷った。しかし、ここで引いても仕方ない。怒られたら謝ればいいだけの話だ。
「あの……昼間、兄山に登ったときなんだけど」
「ああ。結構、疲れたでしょ? ほんと、ありがとうね」
「あ、いや、そんな……」
 一瞬はぐらかされそうになりながらも、何とかその質問を口にした。神主さんや、島の出身者では答えられない問いを。最近、島に戻ってきた、旧い偏見にとらわれないだろう林昌さんだから答えられる問いを。禁忌とも言える問いを、俺は林昌さんへ向けた。
「あの、実は兄山の途中で脇道を見つけて、奥まで行ってしまったんだけど……」
「ああ……あれを見たんだね。病院跡の廃墟」
「そうなんだ。神主さんの話じゃ、昔は隔離病棟だったらしいし……」
 ここまで聞いて、ピーコが口を挟んだ。こいつもやはり、何だかんだであの廃墟のことが気にかかっているのだろう。
「そうやねん。何か、行方不明者出とるらしいやん? 何か未知の病原菌でもあって、人の身体溶かしてんのちゃうかって神主さんは言うとったで」
「あははは、そんな病気聞いたことないよ!」
 聞いた瞬間、林昌さんは大声で笑い始めた。林昌さんは笑いをこらえながら、言葉を続ける。
「気になって僕も調べてみたんだけどね。あそこは昔、主にハンセン病の患者を収容していたらしいんだ」
「ハンセン病って、癩病(らいびょう)のことですよね?」
 ノゾはその病名を聞いたことがあったらしい。はたして歴史的な意味で知っているのか、生物学的な意味で知っているのかは定かではないが、知っているには知っているらしい。
「そうだよ。当時は不治の病って恐れられてたけど、今じゃ治療薬も見つかってるから、それほど怖い病気でもないよ。しかも、人の肉を溶かす病気なんかじゃないしね」
 ハンセン病、別名を癩病(らいびょう)と言う。頭の中を探ると、大学の授業で習ったことが思い出される。感染し発症すると末梢神経が侵され、皮膚症状が現れたり、病状が進行すると身体に軽い変形が生じることもある。ただし、感染性は極めて低く、発病するのは稀である。旧くは不治の病とされていたが、アメリカで治療薬が開発され、今は薬によって完治することが可能な病だ。
 どこまでノゾが知っているのか知らないが、名前を聞いたことのある人は多いと思う。それほどまでに有名な病気だ。特にその偏見は凄まじいものであったらしい。昔、まだ治療法がなかったころのハンセン病は恐ろしい病気だと考えられていた。近づくだけで感染し、感染後はすぐに死に至る。患者を殺すことで、病気の元を絶とうと殺人を犯したという記録も残っているほどである。たとえ、そこまで大きな偏見を持っていない人でも、怖い病気であり近寄りたくないという気持ちは日本人の大半が持っていたはずだ。
 おそらく、この島に隔離病棟ができた当初も、不治の病だと信じられていたんだろう。日本では仏教の観念から、当時は穢れであると差別されていた病気だったと言う。治療方法がアメリカで開発されていても、日本ではその固定観念が根強くて治療方針はなかなか改められなかったという話も聞いたことがある。そのせいでアメリカよりも少し、ハンセン病が不治の病ではないという認識が遅れた。
 そうだ。わかった。戦時中、すぐに軍事病棟に機能を移転できた理由が。
 おそらく、第二次世界大戦が始まる頃にはハンセン病が不治の病ではないと判明していたのだ。そのため、隔離施設自体が無意味なものになった。それにより、『皆見月島隔離病棟』はハンセン病隔離病棟としての機能を失い、施設の利用方法を持て余していたんじゃないだろうか。戦争が始まり、太平洋に程近いこの島にある病院は格好の拠点となったことであろう。軍事病棟になったのも頷ける。
 一方で島民の間では、この施設に近づくと病気がうつるという噂だけが流れて、人々はここに近づこうとしない。そのため、ハンセン病隔離病棟のそういった現状を知らずに、ある日突然、軍事病棟に変わったように見えたに違いない。
 頭をフル回転させて、ようやく結論に辿り着く。なんだ、そういうことだったのか。裏を返すと謎でも何でもないことだった。案外、謎だと思っていることのほとんどは、真実を見ると謎でも何でもないのかもしれない。
「けど……連続で行方不明者が出たっていうのは本当らしい」
 一つの謎を解き明かして満足していた俺だったが、それを聞いて愕然とした。
 ――行方不明。神隠し。
 人を溶かす病は存在しない。俺はそう聞いて行方不明者も存在しないと思った。なぜなら人を消し去る病が存在しないのだから、人が消えることはない。なのに、林昌さんは行方不明者は出た、と言う。しかも連続でだ。何だか、頭が混乱してきた。
「僕自身、昔はここに住んでたけど、小さかった頃に沖縄本島にわたったんだ。それから家族とずっと本島で暮らしてきたし、今では安里の家系のほとんどが散り散りになっててね、南月島のことはほとんど知らないんだ。昔ちょっと遊んだ記憶くらいしかないんだよ。このホテルの設置と共に沖縄本島からこっちに戻ってきたんだけど、何だか故郷って感じがしないくらいでさ」
 林昌さんは少し寂しそうに言った。林昌さんにはもう、親戚と呼べるものがないのだ。
 俺のじいちゃんの葬式のときに、精一杯手を尽くしてくれた林昌さんを思い出す。あれは、亡き自分の父のことを思い出したのではないだろうか。いや、そうじゃない。林昌さんは昌子姉さんと結婚して、金城家のことを自分の親戚だと心から考えてくれているのだ。だから、俺にもあれだけ親切にしてくれる。
 そう考えていると、何だか目頭が熱くなってきた。こんな場所で泣くわけにはいくまい、と俺は眉間に皺を寄せる。林昌さんはそれを、俺が疑念に思っているようにとったらしい。
「行方不明者なんて不思議だと思うだろ? 僕も最初、疑問に思ったんだけど、この島の人が言うには実際に出ているらしいんだ……何人もの行方不明者が」
 行方不明とは何か。人が消えることだ。人が一人消えるだけでも大事件なのに、次々消えるという。消えるって大体、何だ。意思を持った人間が急に消えるなんてことはありえない。手品じゃないんだから。
 仮に事故にあって――それこそ、崖から落ちたとしても、そう何人もいなくなるのはおかしい。皆が皆、崖から落ちるとは考えにくい。大体、小さな島のことなのだ。少し探せば、死体の一つでも出てくるのが普通だ。死体は一切見つかっておらず、文字通り、人だけが消えている。
「……普通じゃない」
 俺は思わず口にしていた。
「そうだよ。普通じゃない。確か最初が終戦後、島を占領しにきたアメリカの軍人たちだったとか」
 林昌さんは俺の呟きを聞いて、さらに言葉を続けた。しかし、その話は神主さんから聞いている。しかし、一つだけ納得のいかない点があった。
「軍人……たち?」
 たち、ということは複数形の意味を持つ。つまり、一人ではなく何人かが消えたということだ。軍人が一人消えるのと、五人消えるのではかなりの違いである。
「うん、そうらしいよ。だから、沖縄がアメリカに占領されてからも、同じ沖縄であるはずのこの島の占領はゆるかったって聞いてる」
 よくよく考えてみればこの島の歴史背景もよく知らない。謎は深まるばかりだ。
「お年寄りなら、当時の詳しい話知ってるだろうけど……まず話してくれないだろうね。ここだけの話、島の老人たちは観光客のことをよく思ってないんだよ」
 神主さんも、しぶしぶといった様子で話し始めてくれたのを思い出す。ナミーというおばあさんにいたっては最初、険悪な雰囲気だったことを思い出す。それを考えれば、他の人から聞きだすことは無理だろう。それにお年寄りの話す方言は何を言っているのか全く理解できない。あの訛りの強さなら、仮に話が聞けたとしても、ほとんど理解できないに違いない。
「……まあ、行方不明者が出たのは本当だからね、あそこは危険な場所なんだと思うよ。お化けの仕業だって言う人もいるし」
「お化け!?」
 ピーコが声をあげる。
「そりゃそうでしょ。病院にお化けはつきものよー?」
「そ、そりゃそうやわ。ただ、聞き返しただけや!」
 すかさず茶々を入れるメグに、ピーコは平静を装って答えたが、その声は震えていた。返事として言った言葉も、何だか脈絡がない。
「戦時中、負傷して亡くなった方たちの無念の霊……でしょうか?」
 ノゾがつぶやく。確かに、あの建物なら何かが憑いていてもおかしくはない。昼間、廃病院に立ち寄ったときに感じた妙な感じを思い出す。
「何か、病院から、タスケテタスケテって呟く女の人の声を聞いたって人もいるとか……」
 受付の奥から林昌さんを呼ぶ声が聞こえた。
「あ、いけない。そろそろ、奥の仕事と交代だ。……とにかくまあ、そんな噂なんかよりも、廃墟にはガラス片とかもあるし大丈夫そうに見えて床が抜け落ちたりするから危ないんだよ。それに島のお年寄りも快く思わないだろうし……もう近寄っちゃだめだ、いいね?」
 林昌さんはそう釘を刺すと奥へと去って行った。後に残されたのは無言の俺たちだけである。
 そんな無言の空気を裂いたのは、メグだった。
「やーっぱ、肝試しよねー?」
 俺とピーコの様子を見てニヤニヤしている。メグはどうやら、怪談の類は全く信じないタイプらしい。
「あ、あほ言うなや! 呪われんぞ!」
 あの廃病院では昔、隔離病棟で病気の人がたくさん亡くなった。そして、戦時中には軍事病院となり、たくさんの軍人が亡くなったのだ。そこで、異様な声が聞こえるという噂。神隠しが起きたという話。何よりも俺たち自身が感じたあの違和感。
 ピーコがそう言うのも無理はないことであった。しかしメグはそんなピーコを怖気づいていると判断したらしい。実際の話、ピーコのみならず俺も怖気づいてるのだが、あの廃墟を見たものにしかこの不安はわからないだろう。
 メグは挑戦的な目でピーコを見つめた。
「へー、怖いんだ?」
「こ、怖ないわ! でも、危ないって林昌さんが言うてたやんけ!」
「気をつけたらいいんじゃないかな? 昼間に行くとか……」
 俺がもっとも恐れていた事態が起きた。怖くないのか、ノゾまでも行こうと言い出したのだ。ここでノゾが嫌がれば、それを理由に俺は廃墟へ行くのには反対するつもりであった。しかし、この流れで迂闊なことを言うと、俺まで怖気づいていると思われる。それに仮に俺とピーコが廃墟に行かないとしても、このまま女二人で行きかねない。
 俺は確かに、幽霊は存在しないと思う。しかし、神隠しが実際に起きているという。そこには何か、人が消えてしまうような要因があるのだ。正直なことを言えば、怖気づいている部分は少なからずある。科学が絶対だと思えば思うほど、それで解明できないことに直面した場合、背筋がぞっとするのだ。
 しかし、その恐怖を二人に知られたくない。恥ずかしい。何とかびびってると思われずに、廃病院に行かなくてもよくなる言い訳は考えられないかと思案をめぐらせる。ああ、そうだ。さっき思い浮かんだじゃないか。
 人が消えてしまうような要因が廃墟にはある。俺はもっともらしい台詞を口に出してみた。
「でもよ、連続で行方不明者が何人も出たってのは事実なんだぜ? やっぱ、やばいとこなんだよ」
 これは、正論だと思う。いや、実に正論だ。自分で自分に拍手を贈ってやりたい気分にかられる。
「本当に何人も出たと思う? 神主さんはアメリカの軍人一人って言って、林昌さんはアメリカの軍人数人って言ったわ。次の人に聞いたら、アメリカ軍一部隊がまるまる消えたっていうのかしらね?」
 メグがニヤニヤと笑う。その目は、あんたも怖気づいてるんでしょう、と語っている。
 メグめ、妙なところで鋭い。人の噂には必ず尾ひれがつく。ましてや、こんなに狭い島のことだ。噂話は一番の娯楽だろう。尾ひれがつかない方がおかしい。メグはそのことを指摘してみせたのだ。
「でも、行方不明者は出たって言ってたやん!」
「ピーコさ、お化け信じてる?」
「そ、そんなもん、おるわけないやろ!」
 一度はメグに「幽霊はいる」と肯定したくせに、今度はいないという。矛盾しているが本人はまったく気付いていないところにピーコの焦りが読み取れる。
「でしょ? お化けがいないんだったら、全てのできごとって科学的に解明できると思うでしょー?」
 プラズマで全部片付くのと同等のことをメグが言う。実際それで解明してくれれば、納得もするんだが――
「そ、そりゃそうやけど……あの廃墟で行方不明になった人が実際に出てんねんで!?」
「誰かそれ見てたの? 消えちゃうところ。廃墟じゃなくて、山道からそれて森で行方不明になったんじゃない?」
 確かに一歩道をそれると、深い森の中だ。あそこは町からも遠い。もしそこで、猛毒を持つハブなどを踏みつけて噛まれると、きっとそこから動けないだろう。そうして帰れなくなってしまった者が死に、行方不明者の完成だ。
 小さい島で行方不明者が続々と出たら確かに、一人くらい死体は見つかるだろう。しかしそれは、何人も行方不明者が出た場合だ。メグの言うように、噂に尾ひれがついただけで、実際に行方不明になったのが一人や二人ならどうか。島の人もあの深い森に踏み入ろうとは思わないだろうし、調査もうまくいかないと思う。おそらく、その死体は発見されないだろう。
「もし、廃墟で消えたんだったら、探せば死体あるはずよね? 確かめてあげなくちゃねー?」
 メグがなおも意地悪く言う。横にいるノゾもにこにこと楽しそうである。もう、何も口出しできる状況ではなかった。
「明日、廃墟探検だな。神隠しの真相を暴いてやろうぜ」
 俺は半ば自棄になって言った。もう引き下がれない。あるいはもしかしたら、という考えが浮かんだ。
 ケイタさんなら、あの大人っぽい思考をするケイタさんなら、肝試しにもなりやしないこの馬鹿げた廃墟探検を止めてくれるかもしれない。
 ホテルを出ると、すでに日は落ちきっていて、商店街の明かりだけが目立っていた。空は昨夜と変わらぬ星空だ。ここはホテルに近いため、ネオンの光に少し照らされてしまっている。『健康ランド富士』はホテルのすぐ隣だ。今日は懐中ライトは使わないな。願わくば、明日も使わないことを祈る。廃墟探検なんて馬鹿げたことはまっぴらごめんであった。

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