第十四話 『真夏の蛍』

 ――人魚神社。人魚の木乃伊がその伝説と共に古くから伝わる神社。
 人魚の一族は現実にこの島に住み、この島を守護していたと言う。そのほとんどが死に絶えたと言うが、今でもその一部はこの島でひっそりと生きている。
 人魚の一人は死してなお、この神社から島を守護していると言う。その身体は滅びようともその魂は朽ちた肉体に残り、今でもこの神社から島を守っている。

 長老ナミーの言葉と共に、人魚の御披露目は仰々しく行なわれた。
 俺とピーコが兄山から取ってきた薪が正方形の形に綺麗に組まれていて、神主さんと長老ナミーがそこに火をつけた。かがり火。聖なる山の聖なる火は、ゆらゆらと燃え始めた。ぱちぱち、ぱちぱちと火花の散る音が微かに聞こえる。
 やがて不安定に揺らいでいた火が落ち着き、静かに燃え始めたのを見計らって、神主さんが広場へと向かう。神主さんは中心に横たえられた棺の蓋を静かに開けた。
『今から二人一組で、順番にご神体を見ることができます。一列に並んでください』
 脇に設置されたアンプから聞き覚えのある声が流れる。この声は正博さんだ。
 この祭りは島の代表者で運営されている。島の自治体によって全てが取り仕切られていて、正博さんも自治体の一員であるために協力しているのだろう。もちろん、島を発展させたいという正博さん自身の意思でもあるに違いない。それよりも何よりも、ライブ設備を持つ富士には音響器具が多く存在する。正博さんは今回のような件にはうってつけの人材だった。
 正博さんのナレーションと共に、人魚のお披露目は開始された。屈強な島の男衆―おそらく彼らも自治体の手伝いをしているのだろう――に囲まれた棺を、列に並んだ人々が順番に見ていく。島の人は人魚に深く頭をたれると敬々しくお祈りをした。観光客は好奇心いっぱいの様子でそんな島の人にならって頭を下げた。いよいよ、俺とノゾの順番が回って来る。
 ノゾは棺の中を見ると小さな声を漏らした。
「人魚……」
 そして島の人々や観光客と同じように手を合わせて頭を下げる。俺だけ突っ立っているのもなんなので、ノゾと同じように俺も頭を下げる。
 しかし俺は目を閉じずに人魚をしっかりと観察した。干からびたその身体からは生前の彼女がどのような容姿をしていたかは判断できない。もしかしたら、彼女、ではないのかもしれない。性別の判別すら難しいのだ。それに外見のみならず、内面的なものを判断することも不可能に近い。この人魚ははたして知性を備えた生物だったのかかどうか、それをこの朽ちた身体から読み取ることはできなかった。
「翔、次の人が待ってるから、行こ?」
 ノゾはお祈りが終ったらしく、俺に声をかける。これ以上、長居して式を滞らせるわけにはいかない。俺はノゾの言うとおりに広場を後にした。
「帰り道は人、少ないね」
 ノゾの言うとおりだった。帰り道を歩く人は、行きの人混みとはうってかわってまばらであった。二人一組で順番に閲覧させる祭りのシステムがそうさせているのかもしれない。一箇所に人が集まって、一定時間その場に拘束されるため、出てくる人の数が制限されるのだ。
「そうだな……」
 思わず言葉に詰まる。しばしの無言。これをどうにかしないといけないと考えたところに、神はいた。
「あ、カキ氷食べないか?」
 神はカキ氷屋のおっちゃんだった。商店街から外れた場所に一軒、ぽつんと存在するそのカキ氷屋は、場所の割に賑わっていた。
 ノゾが返事をするよりも早く、俺は買ってくるよ、とその場を後にした。恥ずかしかったのだ。
 カキ氷屋のおっちゃんは陽気ですごく親切だった。
「味は何がいい?」
 うっかりしていた。ノゾに聞くのを忘れていた。
 遠くで待っているノゾに手招きをすると、ノゾはこちらにやって来た。
「私は、みぞれ」
「じゃあ俺も同じので」
 おっちゃんは威勢のよい声で、みぞれ二丁、と叫ぶと、すぐにカキ氷を作り始めた。おっちゃんは話し方からして、どうやら島の人ではないらしい。疑問に思って聞いてみると、この時期には九州から行商のために南月島に来ているのだと言う。
「オラの親父が戦時中にこの島の病院にお世話になったことがあってな。オラはこの島にすごく感謝してるのさ」
 だから今でも親父の礼を兼ねて、この島に来て貢献しているのだとおっちゃんは語った。
「……病院?」
 おっちゃんからみぞれを受け取ると、ノゾはそれを手にしたまま聞く。
「もうないよ。終戦と同時に無くなっちゃったからね。島の名前と一緒に、病院も無くなったのさ」
 おっちゃんはおそらく、あの廃病院のことを語っているのだろう。病院があった事実を知っていても、今もまだあの病院が残っていることは知らないらしい。もしかしたら島の人に聞いて、もうないと言われたことを鵜呑みにしているのかもしれなかった。
「名前、か。何で変えたんだろうな」
「戦時中の嫌な思い出と一緒に忘れたかったんじゃないかねえ。ま、単に政策か何かかもしれねえけどさ。オラにはそこまでわからんね……」
 おっちゃんは、南月島の旧名が皆見月島であることを知っているらしい。親がこの島に来たことがあることを考えれば別におかしなことはない。しかし、なぜ名前が変わったかまでの詳細は知らないらしい。とは言えども、きっとおっちゃんの言うような些細な理由で名前が変わったのだろうと俺は思う。
 話が一区切りつくころに、おっちゃんは俺にもみぞれを渡してくれた。俺たちの後ろに順番を待つ人もいたので、俺はそこで会話を切り上げる。俺の分とノゾの分、百円玉を四枚、おっちゃんに渡してその場を後にする。
 おっちゃんは来年もこの場所でやるから来たときはぜひご贔屓に、と俺たちに宣伝した。毎年この場所でやっているらしい。ここは良い場所だ。一見、誰も来なさそうに見えて、この時間帯は人魚神社からの帰りの人が多い。売り上げもそこそこのものを記録するだろう。もっとも、商店街の中ならば、時間帯に関わらず安定した売り上げを出すことができるだろうから、この時間帯しか人の通らないこの場所とどちらが良いかなどとは一概に決めることはできないのだけれど。
 カキ氷屋を離れて、俺たちは海沿いへと座った。ここは昼間は海水浴場になっている場所だ。
「翔、お金」
 ノゾが慌てたように財布を探すが、俺はそれを止めた。
「それくらい奢らせろって。カッコつかないだろ」
 それを聞いてノゾは一瞬、顔を曇らせたがすぐに「ありがとう」と笑顔を見せてくれた。
 みぞれを一口含む。口の中に甘い香りが広がって、祭りの喧騒の疲れも消えていく。
「おいしい」
 ノゾも嬉しそうだった。その笑顔を見ていると、ノゾがこちらを向いたので視線が合ってしまう。
「……あのさ、知ってるか? カキ氷ってもともとはみぞれしかなかったんだぜ」
 自分でも情けない会話だと呆れながらも、どこかで得た知識を出してみる。いわゆる雑学ってやつだ。
「あー、それ知ってる。古典でそんなの読んだことあるよ。清少納言も『枕草子』でかき氷を食べたんだよね」
 ノゾもメグと同じ文学部だった。こんな話題は好きなのだろう。嬉しそうに枕草子の出だしをそらんじてみせた。
 ――春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。
「今は春じゃなくて、夏なんだけどな」
「あはは、でも今日はなんかあそこの山も白くなってる感じしない?」
 確かに指さされた先にはうっすらと霧がかって見えた。
「まあ、そうだけどさ」
「あはは、わがままだね。じゃあ……」
 ノゾはそう言って、今度は夏の段をそらんじた。
 ――夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ蛍の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
 きれいな、澄んだ声だった。ノゾの声に聞きほれていると、ノゾは思い出したように口を開いた。
「そういえば……翔の誕生日はいつなの? なんか夏って感じがする」
「夏だよ、八月。もう終ったけどな、誕生日」
 俺の誕生日は八月。思えば、ピーコと二人で映画を見に行くことになったのも、それがきっかけであった。よりにもよってあいつは映画の前売ペア券を誕生日プレゼントにくれやがったのだ。結果、恋人のいない俺はピーコと映画を見に行くことになる。
「八月ー。すごいすごい。大正解だ」
 ノゾがあまりにも嬉しそうに言うものだから、何のことかと訝しく感じる。そんな怪訝そうな表情の俺を見てノゾは悪戯っぽく笑ってみせる。
「なんだよ」
「ちょっと後ろ向いて?」
「なんで?」
「いいからっ!」
 ノゾが強く言うので、仕方なく後ろを向く。俺の首にそっとノゾの手が回される。一瞬どきっとするが、すぐにそれは終った。
「はい、できた」
 俺は自分の首元を見つめた。ネックレス。
「これ……」
 言いかけて気づいた。ノゾの首にも同じネックレスがしてあったのだ。
「ちゅら玉のネックレスだよ。さっき夜店で買ったら二個でセットだったから、片方あげちゃう」
 シルバーのチェーンの先には、うっすらと暗闇の中で輝く琉球ガラスがついていた。中に蛍光塗料を含んでいるのだ。そのため暗闇にいくと、うっすらと光る。まるで蛍のように。
「二個セットって……高かっただろ?」
 俺は急いで財布を探そうとするが、ノゾがそれを止めた。
「ううん、普通にそのあたりの店で買う一個分の値段と変わらなかったの」
「でも、悪いって――」
「――それくらい奢らせろって。カッコつかないだろ」
 ノゾが先ほどの俺の口調を真似して言う。その言葉を聞いて俺は折れた。
「……わかった。ありがとうな」
「わかればよろしい。ちゅら玉は色がいっぱいあって、どれにするか迷ったよ」
 ノゾはえっへんとわざとらしく言ってみせた。その様子が背伸びしているようで、何だか可愛らしい。
「ああ、それで誕生日聞いたんだろ?」
「正解ー、さすがは日系沖縄人だけあるね」
 ちゅら玉ネックレスは、沖縄の物産でも比較的有名なものである。特徴として、琉球ガラスが使われていて夜になると光ることや、誕生月によって琉球ガラスの色が違うことが挙げられる。もっとも暗闇に入ればその色の違いは見分けがつかなくなる。
 俺の首元とノゾの首元には同じような色で淡く、ほのかに光るちゅら玉が揺れていた。
「ちょっとここじゃわからないけど、翔のは茶色なんだよ。八月のちゅら玉は自然を象徴したものなんだって。私の中の翔のイメージにぴったりだったし、何より会ったのが八月だったから、間違っててもこれでいいやと思って選んじゃった」
「ノゾは何色なんだよ?」
「私は六月、白だよ。どんな意味の色なんだろうって見てみたら、ピュアだって。笑っちゃうよね。本当に当たってるのかな?」
 当たっている、と思う。だけど恥ずかしくてそんなこと口にすることはできなかった。
「あとね……茶色と白色、相性いいみたいだよ。よかったね」
 ノゾが何を考えてそんなことを言っているのかはわからない。俺はかろうじて礼を言うことだけで精一杯だった。そんな様子の俺を見て、ノゾはくすくすと笑った。
「照れてるの、おもしろい」
「おまえ、からかったな!」
 語気を荒げる俺を見て、ノゾはきゃあきゃあと砂浜を駆け出した。俺はカキ氷をその場に置くと、ノゾを追いかけた。
 真暗な海岸を、ほのかに光るちゅら玉の明かりだけを目印にノゾを追う。ゆらゆらと暗闇で揺れるちゅら玉の光は、まるで初夏に舞う蛍の光のように儚げに揺れた。二匹の蛍は浜辺をゆらゆらと儚く、けれども楽しそうに舞い続けた。

 ひとしきり走ったあと、俺たちはカキ氷を置いた場所に戻った。
「あー、とけちゃってる……」
「そりゃそうだ、あれだけ放っておいたんだからな」
 残念そうな様子のノゾを見てもう一つ買ってやろうかと考えたが、そのときポケットの携帯電話が鳴った。
「お、ピーコからだ」
「やっと電波も回復してきたのかな?」
 俺はノゾに断りを入れて電話に出た。
『もしもし、翔? 今どこおんねん』
「お前こそどこにいるんだよ。二人して先に先に行きやがって」
『すまんすまん、あれはメグが……と、そんなこと今はええねん。ちょっと、商店街の西側出口まで来てくれへんか? そこで待っとるから』
 何がそんなことなのかと憤りかけたが、ピーコの口調がいつもと違っていることに気づき口を閉じる。
「わかった。そのまま待っててくれ」
 俺はそれだけ告げると、電話を切った。怪訝そうなノゾを連れて俺は商店街へと急いだ。何か嫌な予感がした。言葉では表現できない、そんな曖昧な予感が。
 ピーコとメグは一緒に行動していただろう。メグの身に何かあれば、ピーコはもっと慌てていただろう。ということはメグやピーコに何かが起きたわけではない。そうなると残りは――
「あ、いたよ、翔」
 ノゾの声で我に返る。商店街の入り口には、ピーコとメグ、そして――ヒナちゃんがいた。みんな、険しい表情をしていた。
 ピーコが俺とノゾに気づいて手を振る。俺たちが到着するのを待ってピーコは口を開いた。
「あんな、俺もどうなんか今一つ飲みこめてへんところもあるんやけど……」
「ピーコ、いい。ヒナから言う」
 ヒナちゃんが静かな声で言った。何となく予想はできた。ヒナちゃんが何を言うつもりなのかも、何を想っているのかも。
 ヒナちゃんは言った。短い言葉で。だけど、それで全てが分かるほど簡潔な言葉で。
 ――ケイタにーにーが、消えた。

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