第十七話 『邂逅』

 真暗な洞窟の中をノゾの携帯電話のライトだけを頼りに、真直ぐ進み、曲がり、また真直ぐ進み――幾度繰り返しただろうか。それは現れた。
「……なんか、感じ変わったよね?」
 ノゾはライトで薄らと照らし出された空間を見て言った。
 俺は右手を壁につたわせながら、迷わないようにここまで歩いてきた。その右手には先ほどまで感じていた岩肌のごつごつとした感触はなく、代わりに冷んやりとしたコンクリートの感触を感じていた。
「天然の洞窟じゃない壁……もしかして洞窟を一周して最初の廃病院の地下まで戻って来たのか?」
 俺はそう言って、すぐにその考えを振り払った。違う。ライトの照らし出すこの空間は記憶にはない。何よりあの階段まで戻ろうとすれば、必ずもう一度あの一本道を通るはずだ。あの、白骨死体の転がっている一本道を。
「ノゾ、ちょっとライト貸してくれ」
 そう言ってノゾからライトを受け取り、念入りにこの空間を照らす。薄らと見える様子から、ここが何かの部屋であることがわかった。
 ノゾも俺の視線と同じように部屋を観察する。
「ベッドがある……患者の部屋だったのかな?」
「わからないな。しかしこのベッド……」
 ベッドには白いシーツがかけられていた。しかし、そこには白とは別の色が染み付いていた。恐らく元は真紅であったであろう染み。今は赤茶けて薄らと見えるだけではあるが、そこには血の跡があった。
 ノゾもその染みの意味するものを想像したのか、震えながら俺に寄り添ってきた。
 血。負傷者のものだろうか。ここで治療していたのか? いや、治療するならばこんな地下でする必要はない。しかし、ここが防空壕に使われていたとすればどうか。いや、そんな記録はないはずだ。この島には米軍が戦時中に攻め込んだという話は一切聞いていない。
 ――待てよ。軍事拠点というのはまず攻め落とすべきポイントではないか。俺には戦争の進め方の知識はないが、もし俺が攻め入るならばまず拠点を叩く。そうすれば潤滑に相手の領土に攻め入ることができるからだ。この島が小さすぎたからか? そんなところにそもそも、軍事病院を建てるのだろうか。
 頭がこんがらがってきた。この病院はわからないことだらけだ。
「ねえ、翔」
 ノゾの声で我に返る。そうだ、こんなことをしている場合ではない。
「見て、部屋の奥の方」
 ノゾが指さしているのかは判別しにくいが、俺は奥だと思われる先にライトを向けた。
 そこには扉があった。
「……誰かが入って行ったのか?」
 扉は半分開いたままになっており、床に高く積もった埃には誰かの足跡がくっきりと刻まれていた。
「ノゾ、静かにいこう」
 俺はノゾの手を引くと、そっと扉へと忍び寄った。
 俺の頭の中には例の怪物の姿が思い浮かんでいた。おそらくノゾも同じことを考えていたのだろう。不安そうに俺にぴったりと寄り添ったまま、扉へと向かう。ノゾの体温とその吐息だけが感じられる。
 俺たちは扉に辿りつくと、携帯のライトを消した。あたりに戻る、一切の光を許さない闇。漆黒の闇の奥へと、聴覚を集中させる。……何も聞こえない。しかしさらに待つ。油断はできないのだ。待つこと数刻。微かに息遣いが聞こえた。
 ――何者かがいる。そう気づいたときだった、うっかり何かにぶつかる。その音を聞いた何者かは音を立てながら、俺たちから遠ざかろうとする。がたん、がたん、と何かが倒れる音が立て続けに聞こえ、やがて静かになった。
「……奥の部屋へ行ったのか」
 何もいなくなったことを確信して俺は口を開いた。あの何者かは俺たちに怯えていた。例の怪物などではないに違いない。それどころか、暗闇にいる俺たちの気配に怯えて逃げ出した。
 暗闇にいる何かに怯えて逃げ出した――つまり、俺たちと同じ立場にいる者ではないか。ピーコ、メグ、ヒナちゃん、ケイタさん。脳裏に四人の顔が浮かぶ。俺は急いで逃げた人物を追おうと足を進めようとしたが、ノゾは怯えてしゃがみこんでしまっていた。
「ノゾ?」
「……ごめん、腰がぬけて……」
 ノゾは申し訳無さそうに言った。
「いや、謝らなくていい」
「さっきのは、もしかしたら」
「ああ。ピーコたちの誰かかもしれない」
 俺の声を聞いてノゾは心底悔しそうな声を出した。
「それなら話しかければ良かった……私、てっきり例の怪物かと……」
「俺もだよ。しかたない、こんな不気味な洞窟の奥にいるんだから、勘違いもするさ」
 俺は話しかけながら、携帯電話のライト機能をオンにした。室内をライトで照らす。ここにはベッドはなかった。デスクが置いてあり、棚が置いてある。壁際には妙なガラス張りの容器のようなものが置かれていた。そのほとんどは完全に割れてしまっていて、残されたものからかろうじて以前はどんな形をしていたのか推測することができた。
 デスクの上には何も置いていない。部屋に多く置かれた棚も全て空っぽだった。全てがここには残っていない。全ての記録がここにはなかった。地面を観察していると、血痕を見つけた。
「血――」
 古いものではない。まだ乾ききってもいない、鮮明な赤をしたそれは、先ほどまでいた何者かの血であることを示していた。
 ノゾもそのことに気づいたらしい。慌てて起き上がった。
「ノゾ、もう立てるのか?」
「もしかしたら、私たちの知ってる誰かのものかもしれないのに、呑気に座ってる場合じゃないよ! いそごう、翔! はやく!」
 ノゾは俺の手を取り進みだした。先ほどまでとは立場が逆だ。今まであんなに怯えていたノゾが、今はこんなにも勇敢に振舞っている。仲間の危機、ノゾは誰かが危険にさらされているのを黙っていられないのだ。
 俺は改めてノゾの強さを知った。この子は自分が怖くても、仲間のためならば我慢できる。なんて健気なのだろう。俺がぼうっとしていてどうする。
「ノゾ、足元に気を付けろよ。ライトでどっちに血の跡が続いているかしっかり見るんだ!」
「うん、わかった!」
 俺の言葉にノゾは強く頷く。
 血痕は部屋の奥の扉へと続いている。扉は開いている。間違いなくこの先だ。
 俺たちは扉を出ると左右に分かれている道を、血痕の示すとおりに歩く、早足で歩く。走りはしない。そこに俺たちの冷静で、力強い判断力が発揮されていた。今、ここで走っても転ぶ恐れがある、前方を逃げる誰かを怯えさせる可能性がある。
 俺たちは大きな声も出さない。本気で怯えている人間はそれを聞いてもただ刺激されるだけで何の得にもならないからだ。俺たちはただ静かに、しかし確実に血痕の主を追っていた。相手は走りながら逃げている。しかしこの洞窟も無限ではない。いつかは行き止まりに当たるはずだ。俺たちは執念深く、血痕を追い続けた。

 やがて、明かりがわずかに差し込む広場へと出た。そこは天然の岩肌とコンクリートで舗装された壁が入り混じる場所であった。おそらく元々は自然に出来た大きな空洞に少し手を加えたのだろう。
 奥は海と繋がっているのか、静かな波音が聞こえた。その海際にヒナちゃんがいた。あの血痕の主はヒナちゃんであったらしい。
 ――そして、そこにそれはいた。いるはずのない、だけど、この島ならあるいはいてもおかしくない――それが。
 感想は何も思い浮かばなかった。言葉を無くすとは正にこのことだろう。言うべき言葉が見つからないのだ。あるいは、言葉など必要ないのかもしれない。あえてこの場で発すべき言葉があるとすれば――
「信じられない……」
 何とか動揺を押し殺し、冷静にそれを分析する。こんなときでも冷静さを欠かないでいられたのは、隣にノゾがいるお陰だ。守るべきもの、守りたいものが側にいることこそが、俺の勇気の動力源だった。もし俺一人ならば、この場を逃げ出していたかもしれない。
 それほどまでに目の前のそれは現実離れしすぎていた。CGかハリウッドの特殊メイクかと疑いたくなるくらい非現実なそれは、海と陸、その境界線にいた。海に半分つかるようにしているそれは、ヒナちゃんに寄り添いながら微笑っている。
「……人魚なの?」
 それの持つ下半身――尾ひれの生えた下半身を見て、ノゾは声を震わせた。下半身は海に隠れているが、その先端に位置する尾ひれは水上に出ており、目の前のものが人ならざるものであることを明示していた。
 しかし人魚はノゾの問いかけに言葉を返さない。ただ微笑むだけであった。
「ヒナちゃん?」
 次にノゾは倒れたままのヒナちゃんにそっと声をかける。ヒナちゃんはぴくりとも動かない。ここからでは遠くてヒナちゃんがどういう状況に置かれているのかわからなかった。ヒナちゃんは無事なのか。目の前のものに対する恐怖よりも、ヒナちゃんがの安否に対する不安の方が増していく。
「お前、ヒナちゃんに何をした?」
 俺はそれを睨みつけると警戒しながら言った。震える声を何とか搾り出したせいか、声がかすれていた。しかし声は恐怖で震えているのではない。怒りで震えていたのだ。
 目の前の人外のものは俺たちの仲間ヒナちゃんに危害を加えた。俺の怒りは極限に達していた。
 しかしそんな俺の声も届かなかったのか、人魚は返事をしようとしなかった。俺は警戒しながらじわじわと人魚の元へとにじり寄る。人魚に近づくにつれて、その様相が次第に見えてくる。
 亜麻色の美しい髪を胸元までたらしながら微笑む、透き通る白い肌を持った乙女だった。映画館で観た『人魚の涙』に出ていた人魚と目の前のそれが重なる。まさにイメージの中の人魚そのものであった。胸元は映画のように貝で隠すこともなければ、手で隠そうともしない。しかし、その下半身は海によって巧妙に隠されている。海の中には、魚の身体をした部位が隠れているのだろう。水面に少し出ているひれの先の部分がそれを指し示していた。
 人魚の表情は笑みの形をしているのみで、その感情を読み取ることはできない。その顔は人間に良く似ていたが、青白く人間のそれとは違った不気味な雰囲気を醸し出していた。
 人魚の微笑みの意味を考える。何を笑っているのか。何が嬉しいのか。もしかして――獲物を見つけたことが嬉しいのか。
 俺は廃墟に住む魔物の話を思い出す。神隠しの話を思い出す。あの白骨死体のことを思い出す。行方不明になったケイタさんのことを思い出す。そして、目の前に倒れているヒナちゃん。
「お前、まさか……ヒナちゃんを」
 全てこの人魚がやったのか。人魚がケイタさんを殺し、ヒナちゃんをも手にかけたというのか。
『――何モヤッテナイ』
 突如、声が聞こえた。美しい声。聞くもの全てを落ち着かせるような声。
「だれ?」
 ノゾが不思議そうな表情をみせる。
 この声はどこか遠くから聞こえていた。いや、近くから? 人魚の顔を見るが相変わらず微笑んだままだった。
『ワタシハ、ワタシ。貴方タチノ目ノ前ニ居ル』 
 間違いない、目の前の人魚の声だった。
 しかし、この声は、不思議な声は何だ? 耳から入ってきているようには聞こえない。直接頭に語りかけるようなこの声は――
「――テレパシーか」
 俺はようやくそれに思い当たった。超能力と呼ばれる一つにテレパシーというものがある。口を使わず、直接、脳に語りかけるものだ。
『説明ハデキナイ、ワカラナイ、ワタシニハ、ワカラナイ』
 人魚は少し哀しそうに言った。
「ヒナちゃんをどうするつもりなの?」
 ノゾは真剣な顔をしていた。もし人魚がヒナちゃんに危害を加える気であるならば、加えたのであるならば、ノゾは刺し違えてでも人魚を倒しかねない。そんな雰囲気であった。
『コノ子ハ、拾ッタ、ソコニ拾ッタ』
「拾った? 物みたいに言うな!」
 俺は思わず語気を荒げて言った。
 俺たちの仲間を物扱いする人魚が許せなかった。早くヒナちゃんを助けなければ――人魚に向かって駆け出そうと思った瞬間、聞き覚えのある声が俺を制止した。
「待ってくれ、翔くん!」
 この声は、ちょっとの間なのに長い間聞いてないような、懐かしいこの声は――
「ケイタさん!!」
 俺たちが求めて止まなかった、優しい青年の姿がそこにあった。
 ケイタさんは人魚に走り寄ると、ヒナちゃんを人魚から受け取る。そして、その足に包帯を巻き始める。
「比奈、比奈、大丈夫かい?」
 懸命にケイタさんは語りかける。最初は反応の無かったヒナちゃんも、親しい者の声を聞いてだんだんと意識を取り戻してきたらしい。静かにケイタさんの名前を呼んだ。
 俺とノゾも二人のもとへと駆け寄る。ヒナちゃんはもうしっかり意識を回復していた。
「翔、ノゾ、無事だったんだ……」
「まだ無理してしゃべらないでいい。意識が戻りかけなんだろ? 後でゆっくり話聞くから、静かにしてな」
 俺は必死に話そうとするヒナちゃんを止めると、人魚へと視線を移した。
「もしかして……助けようとしたのか?」
 俺の問いかけに人魚はこくんこくんと頷いた。
「彼女は悪い子じゃないよ」
 口を開いたのはケイタさんだった。
「比奈がここに走ってきて気を失ったのを見て、彼女はテレパシーで意識を戻そうと話しかけてくれた。僕は比奈が怪我しているのを見つけて包帯を探しに近くの部屋へと向かったんだけど、その間ずっと見ていてくれたんだよ」
「そうだったんだ……勘違いしちゃってごめん」
 ノゾが人魚に謝った。
 人魚は何を謝られているのか、もしくはよく理解ができていないのか不思議そうな表情を見せた。
『……誰カ来タ』
 人魚がまた嬉しそうに微笑む。
 人魚の視線の先には、俺たちの入ってきた通路があった。そこにはライトを持った人影が見える。
「翔、ノゾ!」
 人影は大きな声をあげると、こちらに走ってきた。この声は紛れもない、俺の愛すべき馬鹿な親友のもの。
「ピーコ、メグ!」
 ライトは一つだったが、人影は二つだった。二人とも無事であったのだ。
 メグはノゾに抱きつくと、心から嬉しそうに涙した。俺はさすがにピーコに抱きつくことはなかったが、固い握手を交わした。
 みんな、無事だったのだ。ピーコもノゾもメグもヒナちゃんもケイタさんも。ヒナちゃんは怪我はしていたが、応急処置をするケイタさんの雰囲気からたいした怪我ではないだろうと容易に想像できた。俺たちはしばし、それぞれの無事を喜び合った。
 その様子を海から静かに微笑みながら見つめる人魚。その視線に気づいて、俺は人魚に話しかけた。
「誰かが来るのが、嬉しいのか?」
 人魚は嬉しそうに頷いた。
 ピーコとメグは初めて人魚の存在に気付いたらしく、声をあげて驚いてた。人魚が頭の中へと直接語りかけてくるのを聞いて、さらに二人は驚いた。
『ワタシハ、ズット一人』
「この島にはヒナみたいに住んでいる人はいるよ。どうして話しかけてくれなかったの?」
 ヒナちゃんはもう完全に立ち直ったらしく、人魚へと話しかけた。
『人間イルノ知ッテタ。デモ、怖カッタ、人間、ワタシタチニ、ヒドイ、スル。ワタシ、仲間トシカ、話シチャイケナイト思ッテタ』
 人魚の会話は断片的で完全に何を言っているのか理解することは難しかった。
「知ってたということは、ここから出て泳いだことあるやっし? 島人で見たことあるって言ってる人がいたのは本当だったわけね」
 ヒナちゃんの言葉に人魚は頷いてみせた。
 南月島では今でも人魚が稀に目撃されることがあると言う。それは見間違いでも何でもなく、今まさに俺たちの目の前にいる人魚を見たという証言であったらしい。
 そこまで考えて俺は一つ思い当たったことがあった。人魚、とだけ今までずっと読んできたがこの目の前の生き物には名前があるのではないか。知性を備えた生物であり、彼女の発言によると仲間もいるらしい。名前があったところで何もおかしくはない。それに、俺には一つ引っかかるものがあった。
 だから、聞いてみた。そして、俺の勘が正しかったことを知った。
「名前あるのか?」
 人魚は頷き、一つの単語を口にした。
『イブ』
 イブ。いぶ。これだけを聞いたところでそれに漢字を当てはめることは不可能であっただろう。しかし俺はあれを見た。あの千切れた日記帳に書かれた名前を見ていたのだ。
 ――目の前のこの人魚の名前は、医歩。あの白骨化した男が会いたいと願い、志半ばで会えなかった人物だ。
「イブ、いい名前ねー」
 メグが人魚と話せるのが嬉しくて仕方ない様子で言う。
「ほかに人魚はいないの? あたし、イブちゃんのお友達にも会いたいなあ」
 その言葉を聞いて、イブ哀しそうに目を伏せた。
『ワタシノ、仲間ハ、ワタシト同ジモノハ、タダ一人。デモズット会エナイ。モウ……会エナイ』
「もしかして、あの白骨死体?」
 メグは通路で見た死体を思い出して言ったらしい。しかし、イブはその言葉に首を傾げた。
『ワタシタチ、海カラ上ガッテ、生キテイケナイ』
「じゃあ違うかあ。あたし、絶対そうだと思ったんだけどな……あ」
 メグはようやくそれに思い当たったらしい。気まずそうな顔を見せて口を閉じる。
 そんなメグの様子を見て、ケイタさんが静かに口を開いた。
「大丈夫だよ、彼女はもう全てを知っている。人魚神社に眠る木乃伊のことも全部」
 ケイタさんの言葉を聞いて、イブは哀しそうな顔をしてみせた。
 イブは言った。人間は酷いことをすると。彼女は仲間の人魚が木乃伊にされたことをきっと知っているのだ。
 そして彼女はこうも言った。自分の仲間はただ一人だと。その仲間とは人間ではなく彼女と同じ人魚であり、その唯一の仲間が木乃伊にされたことを彼女は知っている。
 彼女は知っていて、笑ったのだ。俺たちを見て、微笑んだのだ。ケイタさんはいったいどんな話をしたのだろう。ケイタさんは一人ぼっちになってしまった彼女にどんな話をしたのだろう。
 ケイタさんがいなくなってから、丸一日以上経っているはずだ。その間、ケイタさんは――
「ケイタさん。うやむやになりそうだったんだけど、聞かせてほしいことがある」
 改めて俺はケイタさんに向き直った。これだけははっきりさせないといけない。けじめをつけてもらわないといけない。そして――
「何をしにここに来て、今までずっと何をしていたのか、教えてくれ」
 ――みんなに心配をかけたこと、ヒナちゃんに怪我までさせてしまったことを謝ってもらわなければいけなかった。
 ケイタさんは俺たちを見回すと、申し訳なさそうな顔をしてみせた。そして、ゆっくりと話し始めた。

 人魚祭りの前日。
 俺たちが富士で卓球に明け暮れていたとき、ケイタさんのもとへカメラマン仲間から電話がきたらしい。趣味の話題ということもあり、次第に二人の会話も熱を増していった。やがて、どういった被写体がもっとも素晴らしいかという話題に及んだときにケイタさんは廃墟のことを思い出した。
 電話を終えた後、居ても立ってもいられなくなったケイタさんは正博さんに断りを入れて兄山へと向かったらしい。正博さんに兄山の頂上へ行くと嘘をついたのは、あの廃病院が島で禁忌とされていることをはばかってのことだった。
 こうしてケイタさんは廃墟を訪れた。しかしヒナちゃんには何も告げていないことを思い出し、ケイタさんはヒナちゃんの携帯電話にメールを入れた後に、廃墟へと向かったのだった。
 不運にもヒナちゃんは携帯電話を無くしており、そのメールを見ることはなく、そのためケイタさんが失踪したのだと勘違いしてしまったのだ――とケイタさんは全て繋げて説明してくれた。
「……今回の件は本当に僕が悪かったと思う。比奈にまで怪我させてしまって、僕はもう正博さんに会わせる顔もない。本当にごめん、みんな」
 ケイタさんは深々と頭を下げて謝った。
 そして頭をあげたと思いきや、ケイタさんはやはり頭を下げた。人魚――イブに向かって。
「ありがとう、イブ。君のお陰でまだ清潔な包帯が見つかって、比奈の止血ができた」
 その言葉を聞いて、イブは優しく微笑んだ。
『ワタシ、コソ、アリガト。仲間ノコト……アダムノコト、教エテ、クレテ、アリガトウ』
 たどたどしく脳に伝わるイブの言葉が心に刺さる。
「僕は知ってることを全て語っただけ。君の悲しみなんて少しも癒せないし、少しも代わってやれない」
『貴方ハ大事ナコトヲ教エテ、クレタ。貴方ハ、大事ナ人ヲ失ッタ痛ミヲ誰ヨリ知ッテイタ』
 俺は理解した。ケイタさんがイブに木乃伊のことを話したとき、どんなことを交えて話したのか。
 大切な仲間を失った悲しみを理解し語り合えるのは、同じように愛する人を失った痛みを持つ者だけ。昔、恋人を亡くしたケイタさんだからこそ、イブの痛みを分かち合えた。同じ傷を持つケイタさんだからこそ、イブに真実を語ることができた。
『ワタシハ、包帯ノアル場所、知ッテタカラ教エタダケ。貴方ハ人間ノ良サヲ、教エテクレタ。人間モ、ワタシモ、アダムモ、何モカワラナイ。カワラナイ気持チ、モッテル』
 イブは今までもう一匹の人魚だけを仲間だと信じて生きてきた。もう一匹の人魚だけを探して生きてきた。二匹の片割れの人魚――アダムはある日、死を迎える。それが人為的なものなのか、偶発的事故によるものなのか、今は知る術もない。しかし、アダムの死体は木乃伊にされ、人魚神社へと祀られた。
 それが何年前なのか、何十年前なのか、何百年前なのかはわからない。イブはそのことを知らなかった。人間たちには怯えて近づかなかったから、知らなかった。だから彼女はずっと、アダムを探し続けた。一人、孤独を抱えながら。
「イブ……」
 ケイタさんの目には涙が浮かんでいた。
『ケイタ、ソレカラ、ソノ、トモダチ。ワタシノ、仲間タチ。ワタシハ、仲間ニ、言ウコトガ、アル』
 イブは仲間、とはっきりと言った。どういったきっかけでケイタさんがイブと話すようになったのかはわからない。しかし、ケイタさんの言葉が彼女の考えを変えたことは事実なのだ。人魚も人間も同じ地上に生きる仲間だとイブが言ってくれたことは事実なのだ。
『……コノ島ハ、今日ニデモ、消エル』
 イブは真剣な目をして、冗談のようなことを言った。
 これは人魚のジョークなのか、笑うべき場面なのか。そう頭を悩ませた瞬間、足元が大きく揺れた。足元だけではない。天上も揺れている。ノゾが悲鳴をあげて地面に座り込む。ピーコがメグを庇うようにして立つ。
 ――地震だった。今、この島は大きく揺れていた。

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