第十九話 『ジョーカー』

 避難は滞りなく行なわれた。
 人々はそれぞれの荷物を抱え、島の人々が誘導する中をフェリーへと乗り込む。現在は港に一隻のフェリーしか停泊していない。二隻のフェリーが用意されるらしいが、この最初の一隻で全ての観光客を外へと出す予定だと聞いた。しかし各自の手荷物が予想外に多かったこともあり、二隻目のフェリーを待っている人もいた。
 俺たちもそうだった。ヒナちゃんも合流し、今は五人揃って待機している状態だ。ケイタさんはまだ、正博さんと一緒に行動している。島の代表とは関係ないとは言え、正義感の強いケイタさんはそれを放っておくことはできなかったのだろう。ヒナちゃんは心配そうな顔で商店街の方角を見ていた。
「大丈夫だよ、ヒナちゃん。まだ噴火はしない。みんな、次のフェリーに乗ることになってるんだから」
「でも……」
 けれど、ヒナちゃんは心配そうな表情を崩さなかった。
 元々、後に訪れるフェリーには誘導を行なっている島の人々や乗り遅れた人が乗船する手筈になっていた。林昌さんや正博さん、ヒナちゃんやケイタさんも後続のフェリーに乗ると聞いていたので、むしろ俺たちは後のフェリーへと乗り込みたかったのだから幸いと言えよう。
 一隻目のフェリーは汽笛を鳴らして、港を出る。その船影が消えてなくなった頃、入れ替わりに別のフェリーが港へと到着した。これが最後の一隻で、ここに残る全ての人が乗船する。
 俺たちは誘導に従ってフェリーに乗船した。
「……昌子姉さん!」
 甲板で見覚えのある顔を見つけて俺は声をかけた。その腕には幼子が抱かれている。昌一だ。
「ああ、みんな。顔を見て安心したわ。今回はケイタさんのこと、色々手伝ってくれたのよね。お陰さまでこうやって噴火する前にそのことを知れたわ。ありがとう」
 昌子姉さんは俺たちの顔を見ると、にっこりと笑った。
 俺は昌子姉さんが言っていることの内容が理解できなかった。ケイタさんの手伝いと言うが、俺たちは何もやっていない。俺たちのやったことと言えば、林昌さんに説明したくらいだ。そもそも信じてもらえなかったのだから、結局は何もしなかったとも言える。
 ……そうか。昌子姉さんは昨晩のことを言っているのだ。俺たちがホテルに戻ってこなかった夜のことを話しているのだ。ケイタさんは廃墟で見たことを人々に話さないようにしていたので、俺たちが夜通し何をしていたのか誰かに説明するときは適当に説明していたのだろう。詳しい説明をする時間も、それを考える時間も、ケイタさんには惜しかったはずだ。
 俺は昌子姉さんには適当に調子を合わせる。
「ああ……そうなんだ。ところで、林昌さんは?」
「フェリーが出るぎりぎりまで島に残るんだって。私には先に乗れって言うのに、勝手な人」
 心配そうな顔で昌子姉さんは言った。
 いつ噴火するかもわからない、この状況なのだ。心配なのは無理もない。
「林昌さんは責任感の強い人だもんな……」
「自治体にしたって、自分から喜んで入ったくらいだから。普通は面倒だからって嫌がるものなのに、馬鹿ねえ。島の老人なんて、幹部なのに何もしてないじゃないの。自治体なんて適当に放っておけばいいのよ」
 昌子姉さんは珍しく語気を荒げて言った。本気で林昌さんのことを心配しているのだ。本気で愛し合う夫婦だからこそ、こんなときに些細なことでも心配になる。たとえ、最終的には全員がフェリーに乗ることになっていてもそれは同じであろう。
 何を言おうか思案している俺を見かねたのか、一緒にいたノゾが口を開いた。
「昌一くん、こんなときなのに寝てる。将来は強い男になりそう」
「ふふ、疲れただけよ、あの人の血を引いてるから強い男にはならないわよ」
 そう言うと、少し落ち着いたのか昌子姉さんは港を静かに見つめた。
 出発予定時刻は十時半。現在時刻がそれに追いつく。しかし一向にフェリーが出発する素振りはない。それどころか、港にはまだ点々と人々が残っていた。その中には林昌さんの顔もあった。一体どうしたというのか。疑問に思っていると、船内にアナウンスが流れ出した。
『まだ島に残っている人がいます。もうしばらく出発を見合わせます。ご了承くださいませ。なお、まだ噴火の心配はございません。繰り返します。まだ噴火の心配はございません。安心してそのままお待ちくださいますよう、よろしくお願いいたします』
 アナウンスが終わる。胸騒ぎがした。
「まさかとは思うけど……頑固者たちがまた馬鹿なことしてるんじゃないでしょうね」
 昌子姉さんが不安そうな顔を見せる。
 頑固者たち――おそらくそれは島の老人のことを指すものだと思われた。それが間違いではないことは、すぐにわかった。

 ようやく何名かがフェリーに乗り込んできた。
「なんね、余所者と同じかい」
 経口一番、そのうちの一人が観光客らしき一同を見て言った。その年老いた顔には見覚えがあった。俺とピーコが温泉に入っていたときに文句を言って出て行った老人だ。
「あんたらを待ってたんだから、文句言わないでください」
 そう言って愚痴る老人を奥へと引っ張って行ったのは林昌さんだった。
 乗船してきたのは数十名の老人だった。口々に何やら文句を言っているが、みんな一斉に口を開いているものだから、その声は出来の悪い合唱団のようで聞き取ることはできなかった。
 その全員が奥の部屋へと入っていく。その全てが入室したのと入れ替わりに林昌さんが出て来た。また港へ戻ろうとするその背に、昌子姉さんが声をかける。その声に気づいた林昌さんは足を止めた。
「昌子、それに翔くんたちも!」
「あなた、もしかして……」
 昌子姉さんが全てを言い切る前に、林昌さんは頷いて見せた。
「そうなんだ。島の老人たちが、島と運命を共にするって言い出してね。神社に立てこもってたんだよ」
 昌子姉さんは本気で呆れた顔をしてみせた。
「ほんと、いつまで経っても子供みたいなんだから」
「そう言ってやるなよ。彼らにとっては生まれてずっと住んできた島なんだ。一度も島から出たことのない者もいるくらいだ。名残惜しいんだろう」
 林昌さんはそう言うと、島を見つめた。
 そこには昨日までと変わらない島があった。人魚の住むと言う、いや、人魚の住む南月島が。
「だけど、本当に厄介なのは彼らじゃない」
 林昌さんは真剣そうな顔をしてみせた。
 俺は何となく察しがついた。名残惜しいだけならば、無理矢理にでも連れて来ることもできる。そうではなくて、本当に厄介なのは――
「本気で人魚を信仰し、島と運命を共にしようとする人々。彼らをちょっとやそっとのことじゃ説得することはできない」
「ナミーおばー?」
 昌子さんの言葉に林昌さんは頷いた。
「あと、その取り巻きが五人ほど。神主さんはさほど信仰にこだわりがないようだけど、一緒に残ってる。たぶん、ナミーさんのことが心配なんだろう」
 林昌さんは頭を抱えた。
「ああ、何とかして島を出てくれないものか。いや、島からじゃなくて、神社から出てくれたらいいんだ。そうしたら無理矢理にでも引っ張って来れる」
 話し振りから察するに、神主さんやナミーおばーは人魚神社に立てこもっているらしい。鍵でもかけているのだろう。外部からの干渉は不可能、内部から鍵を開けてもらう以外に外に出す手段はない。
「……最悪の場合、彼らを残して行かないといけなくなる。もうちょっと、フェリーに残ってもらうけど、いつまで待ってもらえることか」
 島の老人たちを残して行かないといけなくなる。それはすなわち、彼らの死を意味する。現在の時刻は十一時に差し掛かろうとしている。人魚の予言したタイムリミットは近かった。
 林昌さんは会話を切り上げると、島に戻って行った。刻一刻と時間は流れる。船内の空気も不穏なものへと変わりつつある。このフェリーに乗っている者はほとんどが島の人である。彼らにとっては日頃から老人の態度が気に入らないものも少なくはないらしく、口々に不満を漏らしていた。
「リゾート化のときも邪魔して、今回も邪魔するのか……まったく、お偉方には困ったものだよ」
「死にたいなら残せばいいじゃない」
 そのほとんどは、リゾート化を率先してきた人間であろう。彼らは島のために貢献していた。そんな彼らにとって反対派は目の上の瘤でだった。リゾート化のもたらした両者の亀裂は思いのほか深いようであった。
 次第にそういった言葉も熱を増して行く。そこに我慢の出来なくなった観光客も加わる。乗務員に食って掛かる者も出て来たくらいだ。乗務員は丁寧にもうしばらくお待ち下さい、と繰り返していた。
「もうしばらくっていつなんだよ! もう出発予定時間を一時間は越えているじゃないか!」
 もうこれ以上、待つことは限界のように思えた。暴動すら起きかねない、そんな殺伐とした雰囲気。
 港にも連絡がいったのか、船内に林昌さんが戻ってきた。そして、口答で説明する。島のお年寄りが五名、立てこもっていること。彼らを説得するにはもうしばらくの時間がいること。しかし、これ以上、フェリーの出発を見合わせるわけにはいかないこと。その逐一を丁寧に、しっかりと説明して行く。
「……だから、出発します。ただ、島に残る者を見捨てるわけにもいきません。幸いにもまだ噴火の兆しはないので、観光向けのクルージングに使用していたクルーザを彼らの避難へ利用します。運転免許を持った者を一名、老人たちを説得できる者を一名、島に残します」
 運転免許を持つ者、老人たちを説得できる者、その二つが何を指すのか俺には分かったような気がする。
 そして、林昌さんは言った。
「代表として、私も残ります」
 港には二人の人物が残っていた――ケイタさんと、正博さん。
 ケイタさんはクルーザの運転をできたはずだ。俺の記憶が正しければ、あの日、入江で水遊びをしたとき、ケイタさんはクルージングが趣味だと言っていたはずだ。それにケイタさんは正博さんとの関係も深い。サポートのために残っても何らおかしくなかった。正博さんはこの島で生まれ、ずっとこの島で生きてきた。老人たちはちょうど、正博さんの親の世代に当たる。正博さんはリゾート化に加わったとは言え、島の人の利用する大衆浴場の経営者である。島の老人も利用するあの施設は、リゾート化の中では比較的受け入れられた施設であろう。つまり、正博さんは交渉役に最適なのだ。
「では、失礼します」
 林昌さんはそれだけ言い残すと早々とその場を去ろうとした。
「あなた、何勝手なこと言ってるの!」
 その背に昌子姉さんが叫ぶ。
「あなたの身に何かあったら、私は、昌一は、どうしたらいいのっ! ねえ、こっち見てよ、ねえ!」
 しかし林昌さんは振り返らなかった。その背に昌子姉さんは叫び続けた。泣き出した昌子姉さんに、ヒナちゃんが優しく声をかけた。
「大丈夫やっし、ヒナの父さんもケイタにーにーも、林昌さんも、大丈夫やっし。ヒナは信じてる。みんな、すごい人だもん。なんくるないさ」
 なんくるないさ、と方言でヒナちゃんは言った。本土の言葉にすれば、『何とかなるさ』というただそれだけの意味だが、沖縄におけるその言葉には一言では言い表せられないほどの想いが込められている。聞く者全てを安心させる強い想いが込められている。
 林昌さんが降りる。そして、正博さんとケイタさんと三人並んでこちらに手を振った。
「そう、そうだよね」
 その姿を見て、昌子姉さんはくすっと笑った。
「昌一、パパの顔見て? 真面目な顔、似合わないよね?」
 目を覚ました昌一が昌子姉さんの声を聞いて、きゃっきゃと笑ってみせた。子供は良い。場を和ませる。人々の心を明るくさせる。
 昌一にそっと頬を寄せる昌子姉さんの優しげな表情が、俺の記憶の中のじいちゃんのものと一致する。
 ……優しかった、じいちゃん。今でこそ一人で育った顔をしているこの金城翔は金城昌吉の愛によって育てられたと言っても過言ではない。
 俺の両親は仕事一筋で家を長く空けることも多かった。そんなときには沖縄のオジーのもとへ預けられ、一日中じいちゃんに遊んでもらったものだ。じいちゃんは俺がどんな我がままを言っても聞いてくれて、どんなつまらないことを言っても笑ってくれた。じいちゃんは俺にとって、掛け替えのない大切なものだった。それは亡くなった今も変わらない。きっと未来永劫、変わることはないだろう。
 だから、今も俺はお年寄りは敬うべきだと思っているし、死んでしまったオジーの代わりに他のお年寄りに尽くすべきだと思っている。それなのに、この島の老人の扱いは――
「みんな、信仰なんて早く忘れて逃げてよ」
 ヒナちゃんが心配そうな顔をして呟いた。
「やっと出発できた。せいせいすら」
 対照的にそう呟く人もいた。俺はむっとなってその人の顔を睨みつけるが、そこに不安そうな表情が浮かんでいるのを見つけて口を閉じる。
 みんな、心の底では心配なのだ。長い間あった不和が素直な気持ちにさせないだけで、彼らもヒナちゃんと同じように不安で胸がいっぱいなのだ。もし今回の一件を乗り越えたなら、そのときは彼らも仲直りをすることができるかもしれない。それがどれだけ時間がかかることかはわからない。しかし生きている限り、そこに仲直りをするチャンスは無限に存在する。――生きてさえいれば。
 島に残る五人の老人は、島と運命を共にしようとしている。島の信仰と共に消えようとしている。
 信仰が何だと言うのだ。信仰は生きるための拠り所であって、死ぬための道標ではないだろう。しかしそう思っているのは俺だけであって、老人にとってはそうではないのだろう。特に島と深い関わりを持つ立場にいる者にとっては、信仰を失うことは死にも等しいに違いない。信仰を捨てることなど不可能なのだ。捨てるくらいならば、喜んで死ぬ。そんな人たちをどうやったら説得できるというのか。どうやって正博さんは説得するというのか。
 結果は見えていた。正博さんの説得くらいでは彼らは動かない。どうやっても覆せない絶対的な状況。
「……何や、言葉を失うっちゅーのはこういうことを言うんやろうな」
 口数の減っていたピーコがぼそっと呟く。
「俺らにはどうやったって何もでけへん状況ってあるんやな。自分の無力さが恨めしいわ」
「ピーコは悪くないよ。あたしたちには何もできないの仕方ないもん……ケイタさんたちだけが頼りなのよ」
 行きのフェリーではあんなに和気藹々としていた二人も、今は意気消沈している。
 楽しかったな、と場違いな感想が思い浮かぶ。あのときは『大富豪』をしていてピーコに苦しめられたが、それでも楽しかった。とても楽しかった。これから訪れる島のことを、人魚のことを考えて、みんな期待に胸を膨らませていた。
 今は不安に胸を締め付けられている。
『間もなく、フェリーが出発いたします』
 アナウンスが流れ始める。
 俺たちには何もできない。でも、俺は何かしたい。でも、俺も何もできない。林昌さんが島に残る、正博さんも残る。島に住んでいないケイタさんでも残る。残るのは、同じように島に残る老人を説得するため。老人は信仰のために残る。信仰が消えたら老人には何が残る。
 頭の中に様々な考えが浮かんでは消えていく。まるで走馬灯じゃないか。俺は混沌とした意識の中でそう冷笑する。しかし思考は止まらない。フェリーの出発も止まらないのだ、思考が止まらないのも仕方が無い。そんな、まったく理屈の通らないことを考えていると、昌一が俺の顔を見て笑った。
 昌一。林昌さんと昌子姉さんの子供。夫婦の名前に『昌』という字が入っているのは偶然だけど、その子供に『昌』という字が入っていることは必然だった。金城家に伝わる漢字だから。俺の親父はそんなの古臭いって言って一蹴したっけ。それでもやっぱり申し訳なくて、読みの違う『翔』という漢字をつけた。じいちゃんの――金城昌吉の心は、先祖の心は俺にも伝わっているのだ。じいちゃん……皺の入った顔が頭に浮かぶ。優しかったじいちゃん。俺の大好きだったじいちゃん。一緒にいるといつも楽しかった。
 楽しかった。この旅行ではノゾやメグや、ヒナちゃんやケイタさんと出会えた。すごく楽しかった。行きに苦しめられた『大富豪』でさえ今となっては良い思い出だ。ノゾの機転で勝ったのも、いかさまであっても素晴らしい思い出の一つ。ノゾ、隣で不安そうな顔をしているノゾ。ノゾはとても優しく、ときに強い。そんなノゾの一面を俺は知っている。思えば、会った当初には気づかなかったけど、『大富豪』の際に見せたのもそんな片鱗だったのではないだろうか。大胆ないかさまで俺はジョーカーを手にして、革命を起こした。どうしようもない圧倒的な、絶対的に不利な状況を覆したんだ。
「人魚……」
 ジョーカーの絵柄をふと思い出した。思わず声に漏らしてしまう。怪訝な顔を見せるノゾだったが、そんなノゾに答える余裕はなかった。
 人魚の信仰を信じて島と共に死ぬのならば、信仰の根源を目の前に突きつけてやればいい。ジョーカーは、切り札はすでに手元にあった。人魚は俺のすぐ近くにいたのだ。
 あの洞窟に行けば、おそらく彼女はまだいるだろう。俺は走り出した。その背にノゾの声がかかるが、それさえも無視した。
 搭乗口にいる乗務員は俺を止めようとする。しかし、俺はケイタさん、正博さんに頼まれていたものを渡すのを忘れたので、今すぐ渡しに行かなければならないと説明した。
 なおも納得しようとしない乗務員に俺は早口でまくしたてる。関西で培った勢いがそこに活かされる。関西弁ではないにしても、その勢いの良さは俺にも引き継がれているのだ。――俺の持つものがなければ、本土に説明がいかない。もしそれでトラブルがあったら貴方はどうするのか。そもそも人命優先と言うならば島の老人の命はどうなるのか。島の老人の命はクルーザがあるから大丈夫? それなら俺の命も大丈夫だから降ろせ。いや、降りる。先に出発してもらっても構わない。
 騒ぎに気づいたほかの乗務員が降りる前に俺は搭乗口を突破した。ケイタさんの元へと向かう。さらに俺を追いかけてピーコたちも降りようとしたが、乗務員はそれに気づき、通路を封鎖した。乗務員が四苦八苦しているうちに、俺はケイタさんのもとへと向かった。
「翔くん、何してるんだい!」
「黙って聞いてくれ、俺に考えがある。ケイタさんならばわかるはずだ」
 林昌さんが語気を荒げるのを、ケイタさんが制した。さらに俺を追ってきた乗務員をも「大丈夫です、彼も後から一緒に出ます」と追い返した。
 ケイタさんは俺の考えを読み取ってくれたらしい。黙って頷いてみせた。
 フェリーが汽笛をあげた。最後のフェリーが島を離れて行く。うっすらとピーコが、ノゾが、メグが見える。ノゾは何かをしきりに叫んでいるが、汽笛がその声を全て消し去ってしまった。フェリーが消えるのを見て、俺たちは人魚神社へと向かった。
 港は、商店街は、全ての場所は閑散としていた。あれだけ溢れていた人も今はもう、この島にはいない。さながらゴーストタウンである。
「翔くん、僕には君の考えが分かりかねるよ」
 林昌さんがそう言うと、正博さんも同意してみせた。説明しても信じないだろうし、説明している時間も勿体ない。俺たちは会話をやめ、全力で走った。その先にあったのは小さな小屋で、『クルージングツアー』と看板が掛かっていた。
 ケイタさんはその前で足を止めると、正博さんと林昌さんに声をかけた。
「二人はすみませんが、徒歩で神社に向かってください。僕と翔くんは説得材料を見つけてきます」
「説得材料って……」
「いいから、僕を信じてください。正博さん、今は説明している時間がないのです」
 真剣なケイタさんの顔を見て、諦めたように正博さんは頷いた。ケイタさんは礼を言うと俺を連れて、クルーザの収納されているドックへと向かった。
「ケイタさん、運転できるんだね」
「ああ、うん。僕は機械に強くてね、たいていのものなら動かせるよ。ちゃんと免許も取ってるし」
 クルーザの運転席へと乗り込みながら、ケイタさんは言った。予め借りてきたのだろう、クルーザのキーを取り出すと、手馴れた手つきでエンジンをかけた。ドックの扉の開閉装置のリモコンを操作すると、ドックの扉が開いた。
「さあ、行くよ!」
 そう言うや否や、爆音をあげてクルーザはドックを後にした。
 島を東に周りながら、クルーザは島の北部に向かっていた。ケイタさんに俺の考えはしっかりと伝わっていたらしい。この先にはイブのいた洞穴がある。座礁の心配もあるので、沖合いにクルーザは止まった。エンジンを止めると静かな波の音だけが聞こえた。
 俺とケイタさんは声を出してイブの名を呼んだが、何の反応も無かった。
「やっぱり、あそこだね……」
 ケイタさんは難しい表情をしてみせた。俺はケイタさんの考えていることを読み取った。イブは洞窟の中にいる。しかしそこに行くには一度、水中へと潜る必要がある。それにはクルーザを離れる必要がある。運転手であるケイタさんは万が一の場合を想定してここに残ったほうがいい。となると、洞窟へ訪れるのは俺であることは明白だ。
 ケイタさんは俺に危険な真似をさせたくなかったのだろう。言葉を濁した。
「いいんだ、ケイタさん。ケイタさんはここでクルーザを見張っててほしい。洞窟には俺が向かう」
「だけど……」
「危険なんて何もないさ、大丈夫。俺だって男だ、任せてくれ」
 俺の顔を見て、ケイタさんは渋々と了承した。元よりそれ以外の手はないのだ。そうせざるをえないのだから、仕方ない。
 ケイタさんはクルーザに備え付けられた時計を見て言った。
「今は、十一時十七分……イブの言葉通りならば、もう噴火まで時間はない。急いでくれ、翔くん」
 俺は無言で頷き、海へと飛び込んだ。
 そうして、今朝の記憶を頼りに洞窟のあった位置へと向かう。岩礁の位置、岩壁の窪みなど記憶に残っているものを頼りに洞窟の位置を探る。ちょっとやそっとでは見つからないはずなのだ。そんなにすぐ見つかったのであれば、もっと多くの人があの地の存在を知っているに違いないのだ。俺は念入りにその入り口を探した。
 何度も水中に潜り、何度も顔を出し、現在地を確認しながらようやく俺はその入り口を見つけた。息を止めて水中を進む。透き通った水の中ではトビウオが銀色に腹を光らせながら沖へと泳いで行った。今は飛ばないのかよ、と馬鹿げたことを考える。
 そりゃトビウオだって魚だ。いつだって飛んでいるわけではない。だけど魚でありながら飛ぶという離れ業をやってみせる、奇想天外な生き物だ。飛ぶのは鳥の仕事だと日頃思いこんでいる俺は、入江で見たトビウオの飛んでいる光景は新鮮だった。だけどトビウオは鳥ではない。鳥類ではない。魚類と鳥類は相容れない存在なのだ。
 それと同様に、魚類と哺乳類も相容れない存在である。ようやく終点が見え、水中から顔を出して息継ぎをして周囲を見渡す。今朝と変わらない、空間がそこにはあった。相容れない存在――人魚は変わらずそこに座っていた。
 イブは俺の姿に気づくと、嬉しそうに微笑んだ。しかしすぐにその表情を変える。
『モウ、時間、ナイ……ナゼ、キタ』
 イブは怒っているのか歯をむき出しにして、言う。むき出しになった歯は鋭いが、小さなものだった。その歯は可愛い顔に似合わないものだったが、それを見て俺は確信した。
 可愛い顔に似合わない鋭い歯、そんな組み合わせを持つ生き物は他にもいる。
「時間がないんだ、助けてほしい」
 俺の言葉を聞いて、不思議そうな顔を見せるイブ。俺は次に続ける言葉を悩んだ。
 人魚神社はイブの唯一の仲間のアダムの木乃伊の眠る神社だ。そんなところに住む者たちを助けて欲しいなど、どうやって言えよう。
『言イニクイコト?』
「……うん」
 それを聞くと、人魚は俺を安心させるように近づいてきた。
『イイノ、全テ、ワタシ、納得』
 人魚はそう言うと、尾ひれの先で水面をぱしゃんぱしゃんと叩いてみせた。その尾ひれは魚のそれではなく――イルカのものであった。
「イブ、君は何者なんだ?」
『ワカラナイ、ソノ記憶、ナイ』
「そうか……」
『ワタシ、作ラレタッテ聞イタ。院長サン、ソウ、言ッテタ。ワタシ、自分、何カ、ワカラナイ、作ラレタトキカラシカ記憶、ナイ』
「君は人の手によって作られたのか……」
 どういった経緯かはわからない。だけど彼女は、人の手によって造られた生き物。人間とイルカ。哺乳類と言う同族を掛け合わせて造り出された生き物なのだ。
『ワタシト、アダム、成功品。奇跡ダッテ、院長イッテタ、院長、ワタシノコト、スゴイ、言ッタ、愛シテル、言ッタ』
「愛してる?」
『愛ッテ何カワカラナイ、デモ、ソウ言ッタ。愛シテルカラ、オ終イノトキ、アノ変ナ場所カラ、ワタシ、ココニ離シタ、ソレマデ、ワタシ、アソコカラ、動ケナカッタ』
 そう言ってイブは、試験管を指さした。
『アダムハ、出シテモラエナカッタ、ワタシ、アダムイナイト、消エタクナル、ソウ、言ッタラ、院長サン、アダムモ出シテクレタ、ワタシ、嬉シイカッタ、トッテモ嬉シイ、カッタ』
 院長がどういった人物なのか、うっすらと想像できた。当時の男尊女卑の思想から考えても、特別な役職に就くのは男だろう。院長はイブを造り出した上、あろうことか彼女に恋してしまったのだ。
 アダムとイブの名は旧約聖書に出て来る。目の前のイブと木乃伊となっているアダム。二人の名前が旧約聖書のものから取られていることは間違いないだろう。そう考えるとアダムは男だ。院長はイブのことが好きだったが、アダムは好きではなかった。しかしアダムを放棄することは研究上、不可能だし、何よりも唯一の同族を失ったイブがどのような行動を取るかわからない。院長は最悪の場合を想定して、アダムを殺すことはしなかった。
『マタココニ来ル言ッテ、院長、デテッタ、デモ、コナカッタ、ドウシタンダロウ? 院長、ワタシタチノ、親ナノニ、ドウシタンダロウ……親、ナノニ……』
 イブは親、とそう繰り返した。院長にとってイブは恋慕の対象であったが、イブにとってはそうではなかった。
 だけど、どのような形であれ院長はイブに必要とされていたのだ。身勝手に造り出されたことを恨まれてはいなかったのだ。そのことは彼にとって喜ぶべきことだろう。院長はそんなイブを何故、放っておいたのか――
『ケイタ、キタトキ、院長キタ、オモッタ』
 ――いや、放っておかなかった。院長は再びこの島へ訪れていたのだ。それがあの白骨死体。イブに会いたいと願って志半ばで倒れた男の死体。老衰か、また、ハブにでも噛まれたのか、あるいは……有毒ガスか。ピーコは廃病院に近づいたとき、異様なほど体調が悪そうだった。俺もあの地には何かあるのだと少し気分が悪くなったりもした。ガスは谷間に溜まりやすいと言う。正にあの病院の立地条件と一致する。
 しかしまあ、それを証明する手段はないし、証明する必要ももはやない。死因は定かではないが彼はここまで辿り着けなかった。イブとの約束を果たせなかったのだ。俺はイブに、彼のことを伝えてやった。どさくさに紛れて死体のポケットから持ってきた日記の切れ端を彼女に読んでみせる。
『院長サンモ、死ンダ……ミンナ、死ンダ……オ終イノトキ、ワタシタチモ、死ヌ、予定、ダッタ、死ヌッテ何……』
 イブは頭を抱えた。
 お終いのとき、とは終戦のときを指すのだと推測できた。終戦時にここの資料や被検体は全て破棄される予定だったのだ。綺麗なまでに空っぽだった資料室や割れた試験管が思い出される。
 しかしイブとアダムは院長の勝手な行動で、幸か不幸かこの世に残された。院長の完全な独断だっただろう。水槽からこの海へ出れば水中に姿を隠すことが出来る。今でこそ外と繋がっているが、当時は完全な地底湖だった。しかし、その地底湖の規模は大きい。奥は暗く静かにしていれば誰にも見つかることは無かっただろう。
 そして、この広さを持つ地底湖は海水であった。そこには小さいながら海の生物もいただろう。魚はいなくても海草くらいはあったに違いない。イルカの特性を持つ彼女たちはそこで今まで誰に知られることもなく、二人仲良く生き続けたのだ。地震が外への出口を作り出すまで。自由への道を作り出すまで。自由が二人を分かつまで。
『……死ヌ――死ヌッテモウ、会エナイ、コト?』
 イブは死というものをまだ理解していなかった。俺は余計なことをしてしまったのかもしれない。一瞬、悩んだがしかし、俺はそれをすぐに打ち消した。死があるから、人の大切さがわかる。俺もそうだった。じいちゃんが死んで、当たり前だと思っていたものの大切さを知った。じいちゃんの大切さを改めて知った。死を知ることは大事なのだ。
「イブ……」
 俺は言葉をかけるべきか迷った。しかしイブは必死に考えを巡らせて、自分なりの結論を出したのだろう。すぐに俺の顔を見上げた。
 そこにもう迷いはなかった。何十年もの年月を一人で生きてきたのだ。孤独は知っていた。もう知っていたのだ。今さら失ったことを悔やむことの愚かさを彼女は知っている。
『コノママジャ……翔タチ、死ンジャウ。ソレ、嫌、絶対、イヤ』
 イブは俺の手を取ると、外に急ぐように促した。
 イブは強かった。失ったことを嘆くより、失わないことを努力することに気づいたのだ。
「まだこの島を離れることはできないんだ。島に残ってる人がいて……」
『ソノ人モ、外、島ノ外行ケバイイ、ソレダケノコト』
「それだけのことに、君の力がいる。他でもない君の力が」
 俺は不思議そうな顔を見せるイブに、どういう状況に陥っているか説明した。

 *

 入江にクルーザをつけると、俺とケイタさんは人魚神社へと向かった。
「あ、二人とも、どこに行ってたんだい!?」
 林昌さんが俺たちの姿を見て言った。
「それより、状況は?」
 ケイタさんの言葉に林昌さんは答えず、代わりに本尊の入り口を指さしてみせた。
「ナミーおばー、開けてくれないか」
 正博さんが神社の本尊の扉を叩いているが、反応はない。もうこの中には誰もいないのではないかと思ったが、なおも正博さんが叩き続けると中から神主さんの声が聞こえた。
「すまんのう、正博。みんなここから出て行く気はないさ。わったーのことは放っておいて残った者みんなで島から出て行ってくれないか?」
 正博さんは肩を落とした。説得はやはり不可能なのだ。
「慶太、やっぱり無理だよ……」
 正博さんはケイタさんの顔を見て、半ば諦め気味に呟いた。
「いいえ、無理じゃありません」
 そう言ってケイタさんが指さした先は海。そこにいるものを見て、林昌さんと正博さんは怪訝な顔をした。
「逃げ遅れた女の子かい?」
 しかしそれが人間にあるまじき早さで泳ぎ、近づいてくるのを見て、二人は絶句した。その半身には足が無く、その代わりに尾ひれが生えていたのだから。
 二人は口々に騒ぎ出した。人魚が出た、人魚が来た、人魚が島の危機に現れた、俺たちが何の説明をするまでもなく、本尊の中にその声は届いていた。
「……みんな、そんな言葉に騙されないよ」
 神主さんの声が聞こえた。
「神主さん、本当なんだ! 人魚が、人魚が出たんだ!!」
 二人の演技とは思えない騒ぎように――実際、二人はイブの存在を知らなかったのだから演技ではない――神主さんは一人だけなら外に出ることを宣言し、しばらくの後に神主さんは扉を開けてみせた。
「人魚が出てきたらどんなに嬉しいことか……」
 そう言いながら、海を見た神主さんはそのまま固まった。
「に、に、にににに人魚!?」
 神主さんはすぐに本尊の扉を叩き始める。
「な、ナミー! 人魚様じゃあ! 人魚様がお姿を現された!!」
 身内の言葉には流石に頑固な老人たちも気を許したのか、表へと姿を見せた。その誰もが沖を見て、言葉を失った。
 ナミーおばーは跪き、涙を流しながら祈った。
「人魚様、人魚様、好き勝手にお仲間を島のリゾートのために使ってしまったこと、お詫び申し上げます……何卒、お怒りをお鎮めくだされ、どうかどうか、お鎮まりくだされ」
 神主さんは、必死に頭を地面にこすりつけているナミーおばーの代わりに丁寧に弁解した。イブはそんな神主さんや、涙を流し続ける老人たちを見て言った。
 例の頭に直接伝わるようなあのテレパシーで。いや、テレパシーではない。今ならばわかる。あれはイルカ独特の超音波を利用した会話方法なのだ。本来はイルカ同士でしかなしえないものであるが、イブは人間とイルカと双方の能力を持ち合わせてしまっているためか人間にもその意思を疎通させることができるのだろう。そこにどういった原理が存在し、どういった理屈が通るのか、俺にはとてもじゃないがわからない。
 そんなことわからなくても、よかった。イブの言葉がわかれば、それでよかった。
『聞キナサイ、人間。ワタシハ、怒ッテイナイ。噴火ハ、ワタシノ怒リデハ、ナイ。噴火ハ、古ヨリ、コノ地ニ定メラレタ運命』
 老人たちはその言葉を聞いて動揺した。
 実はイブの言葉は俺が考えたまったくの嘘八百だった。
『今マデ、ワタシタチ、ソレ、抑エテキタ。ダケド、二人ノ神ノ、片割レガ消エタ、ダカラ、島、均衡ヲ、崩シタ』
 イブは俺が教えた口上をたどたどしい口調で述べていく。
 ナミーおばーがまた跪いて、地面に頭をなすりつける。神主さんがその横で必死に説明をする。
「おいたわしや、おいたわしや。貴女様の言う片割れとは、まさにここにお祀り申し上げている人魚様のこと。人魚様は終戦後間もなくこの入り江に流れ着かれ、私の父が発見したときには、もう息を引き取られておりました。身体中傷だらけで、腐敗も進んでおられたので、身勝手かとは思いましたが、聖なる兄山の木々でお焚き申し上げました。今、今! ここに貴女様のお仲間をお持ちいたします!」
 そう述べると神主さんと老人たちは本尊へと戻り、木箱を抱えて戻ってきた。そしてすぐに水面へとその木箱を浮かべた。
 イブは静かにその蓋を開けた。そこには朽ちたアダムの姿があった。イブの頬を涙が零れ落ちる。
「人魚様、島が滅びるというならばその運命を受け入れます。死ねとおっしゃるならばその運命も受け入れます」
 神主さんの言葉を聞いて、イブは語気を荒げた。もちろん彼女の場合、本当に語気を荒げるわけではないのだが、その怒りの様子が伝わってくる。イブは怒っていた。老人たちに怒っていた。
 彼女は怒って言った。
『死ナド、軽々シク、言ウナ! 生キテ、生キテ、生キナサイ! 死ヌコトハ、許サナイ、ワタシハ、許サナイッ!』
 そんな彼女の言葉をどう受け取ったのか、老人たちは涙した。軽々しく死のうなどと思っていた自分自身を呪うかのように涙した。
『……島は滅びても、島の心は滅びない』
 突然、イブの口調が変わった。
『今まで生きた地とこれから生きる地、その地は違えど、その血は同じ。行け、私の子らよ。生きよ、私の子らよ』
 今までのたどたどしさからは想像もつかないような厳かな口調でイブは老人達に語りかけた。もちろん、俺が考えた台詞にそのようなものはない。
 しかし、その言葉は俺の考えた言葉なんかよりもずっと大きな感銘を老人たちに与えた。その言葉を聞いた一同は、島を出ても力強く生きていくことをイブに――自身の信仰する神に約束し、クルーザへと乗り込んだ。
「イブ……」
 俺は声をかけようとした――が、やめた。
 彼女はその同胞を、今はもう動かない恋人をその胸に抱えて泣いていた。肩を震わせて泣いていた。
「翔くん、時間だ。イブのことはどうしようもない。愛する者を失った痛みは、その者にしかわからない。イブの痛みはイブにしかわからないんだ」
 ケイタさんはそう言うと、哀しげな視線をイブへ向けた。しかしすぐに俺の手を引き、クルーザに乗り込む。エンジンのかかったクルーザは入江をどんどんと離れていく。
 入江には一人、アダムを抱きかかえたイブが残される。その姿がだんだんと小さくなり、そろそろ肉眼で確認するのが難しくなり始めた頃――弟山が炎をあげた。離れているというのに、ここまでその爆音が聞こえた。続けて兄山が噴火した。
 きれいだ――場違いな感想を抱く。終わりを迎える島は、再会を涙する人魚たちを祝うようにその炎を鮮やかに撒き散らした。兄山と弟山、二つの山は、イブとアダム、二人の人魚を包み込むようにその炎を上げる。流れ出したマグマが山の木々を飲み込む。もう遠くまで来ただろうに、このクルーザに火山灰が落ちた。その灰はまるで雪のようだった。
 季節外れの雪、沖縄に降る雪。沖縄に降らないはずのそれは今、ぱらぱらと舞い落ちていた。ぱらぱら、ぱらぱらと、舞い落ちる雪を俺はずっと見つめていた。いつまでもいつまでも見つめていた。

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