水曜日

 水曜日にフニャフニャフニャニャー、フニャフニャフニャフギャー!

 ……。

 我輩は猫である。親譲りの無鉄砲で子猫のときから損ばかりしている。小学校にいる時分、学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事はある。

 今度は、『坊ちゃん』で攻めてみたぜ。どうも。昔、小学校に住み着いてました。いかにも、ネコである。
 え? いや、今ちゃんと名前言ったよ。一応。いえいえ、自己紹介ですって。あ!? そうだよ、名前がネコだよ! 悪いか、このヤロウ!

 ちなみに二階くらいから飛び降りた程度じゃ腰は抜かさない。出だしは、ご主人の好きな夏目漱石つながりで言ってみただけでぇーす。残念でしたー!
 ……いや別に残念でも何でもないね。調子に乗ってすまんかった。あーそうそう、残念なことと言えば、あいかわらず俺は一日中、寝まくってるってことくらいかな。いや、もう別にいいかって気もしてきて、半ば悟りの境地に達してんだけど。
 だってほら、“寝る子”と書いて猫なんだからさ。いいじゃんもう。ま、一説によると、“鼠をとる子”で猫とも言うらしいけどね。都合いいほうでいいや。だって、ねこだもの……おっと、危うく半紙に一筆書くところだった。みつを。

 何はともあれ、今日はさすがに寝すぎたわけですよ。いつもよりちょっと遅い目覚め。寝すぎたせいか、心持ち寝癖が気になるわ。うふ。
 え、猫には寝癖なんて無いだろうって? 馬鹿も休み休み言いたまえ。毛が生えてるんだから、ひょろっとなるときだってあるっての。まあ、それってものすごく珍しいケースだけどね。たぶん、俺たち猫は寝癖がつかない毛質なんだと思う。
 ちなみに今回の寝癖は頭の毛とかじゃなくて、ヒゲなんだわ。変に曲がっちゃってる。

 しかしね、自分のヒゲは見えにくいので手探りでしかわからない。実際のところ、どんな状況になっちゃってんのか、すっげー気になる。ここはちょっと鏡で確認しとくか。あ? なに色気づいてんのだって? 馬鹿にすんな!
 男だって思春期になりゃ誰だって鏡も気にし始めるわ。いやまあ、思春期とかいう時期じゃないけどさ。もうそんな歳じゃないし。だいいち、猫だし。
 で、まあ、この道何年かのベテランの自宅警備員の俺は、この家のことを熟知している。当然どこに鏡があるかも知ってるってわけさ。
 場所は廊下だ。廊下を進んだ先、玄関脇に大きな姿見の鏡があるんだ。この鏡ってのは、昔はなかったんだ。ここ最近、ご主人が色気づいて買ってきた。それからはもう、毎日ポージング決めちゃってるわけさ。ここ最近はなーんかオシャレしちゃってさ。まあ、ご主人もまだ年頃だし、そういうのもあるのかもねえ。
 このネコ様はきれいなご主人でも、スッピン普段着のご主人でも、どっちでも構わないんだけどね。
 は? 別に、ご主人が好きとかじゃねーし! もしかしたら男がいるかもなんて、嫉妬なんかしてねーし! ただ単に、エサをくれるご主人なら誰でもいいだけだし!

 ……まったく。あまり勘違いすんなよな。
 これだから短絡思考は困る。もっと広い視野で物事を見たまえ。客観的な視点ってのは社会に出てから必要だぞ。引きこもってばかりじゃ、先は見えてこないぞ。なあ、ニート世代よ? え、俺? 俺は一応、自宅警備員ですが何か?
 まあまあ。そんなことよりも、鏡だよね。ご主人、帰って来ちゃうからな。その前にセットしとかなきゃ。みっともないし。かっこ悪い姿なんて見せたくないし。

 ってか、今ごろ気づいたけど、お外、真暗だな。ほれ、窓の外。もう月があんなに高いよ。ご主人、いつもならもうちょい早く帰ってくるのになー。今日は残業かね。
 しかし、部屋の中も暗いな……。どうでもいいけどさ、夜の鏡って何か怖くない? 俺マジああいうの苦手なんだけど。
 いや、原因はわかってるんだ。あいつだよ、あいつのせい。夏になったら出て来る、怪談好きのオッサン。朝のニュース番組で司会やってたじゃん。稲川さん。
 あのおっさんがよー、鏡に映るお化けの怪談話してたのね。これがめっちゃ怖くてさ。もう、夜中トイレ行けない。
 そんでもって、お漏らししたらご主人に怒られるし、散々だよ。全部、稲川のおっさんのせいだっつーの。何が淳ちゃんだ、ばかやろう。怪談も怖いけど、お前の顔が一番怖いっての。おっと、悪い悪い。ちょっと稲川のおっさんに辛く当たってしまった。心優しいネコ様は当然そんなの許してやったよ。もう過去の話さ。
 でも、思い出したら廊下に行くのが嫌になってきた。何か目に見えない得体の知れないモノが家の中にいるような錯覚に陥ってきちゃったし……。え。猫は幽霊とかが見えるんじゃないかって? よく何もないところ見てるじゃん?
 バカ! 見えないっての! あれは飛んでるちっこい虫とか見てるの! もしくはただボケーっとしてんの!
 まったく。変なこと言うなよな。ただでさえ怖……くはないけど、ほら、あれだ。ちょっと寒くなってきたじゃないか。
 は? 別に、怖くなんかねーし! 稲川のおっさんが怖いだけだし! お化けとかそんなのぜんぜん怖くねーし! ば、ばかにするんじゃねえよ、まったく。

 何はともあれ、早く鏡の前に行ってしまえばいいんだよ。うん。考えすぎるからダメなんだよ。だってほら、お化けとかいないし。鏡に何も映るはずねえよ。だってほら、この世の全ては科学で解明されてるし。人間ってマジすげえし。いや、もちろん猫が一番すごいんだけど、人間だってすごいよ。その人間が使ってる科学なんだぜ。すごいに決まってるじゃん。だから、科学で何でも解明できるの。絶対なの。逆に言えば科学で解明できていないものってのは、この世に存在してないの。しちゃいけないの。

 そろり、そろーり。おっかなびっくり、抜き足差し足忍び足で歩きながら、何とか鏡の前に辿り着いた。鏡の中をそーっと覗き込むと……
 で、で、で、で、出たぁあああ!

 ……。

 ま、よく見たら、俺の顔でしたとさ。ちゃんちゃん。
 だってさ、暗闇にいきなりもわーっと顔が浮かび上がるんだもん。そりゃ、びっくりもするっての。仕方ないわ。
 さて、気を取り直して鏡だ。うん。暗くてわかりにくいけど、ヒゲはこんな感じかな。ちょっくら整えなおして、やっぱりこんな感じ? いまいち、しっくりこないなー。なんて、ちょっと時間をかけてたら、急にドアが開いた!

 フ、フギャアアァァァアー!?

「……ネコちゃん。あんた、なに玄関の前で腰抜かしてんのよ」

 ご、ご主人か……びっくりした。そうです。廊下の姿見の鏡は玄関のすぐ正面なんですよ。

「……って、ネコちゃん! なにまた、お漏らししてるの!」

 あ、やっちゃった。びびってやっちゃった。
 そして、今日も怒られる俺なのであった。
 怒るご主人の後ろの鏡に、ぼうっと白い女性の顔が浮かび上がった気がしたけど、ご主人のほうがよっぽど怖かったので、まあどうでも良いです。

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