木曜日

 木曜日は、フギャフガフギャフン!

 ……。

 我輩は猫である。雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち、欲は無く決して怒らずいつも静かにニャーニャー鳴いている……(中略)……そういうものにわたしはなりたい。

 なんか俺って詩人っぽくね? 宮沢賢治のパクリとか言うな。リスペクトなの。俺、宮沢賢治とかマジ好きだからな。あれにはほんと、人の生きるべき指針とかそんな何かが凝縮されてるよ。いや、俺は人じゃなくて猫だけどね。
 人間諸君は俺が毎日、何も考えずにごろごろ生きてると思っておられるようだが、それは断固として違うと声を大にしたい。こう見えて結構、哲学してるんですよ。それに意外に博識だったりします。だてに長生きしとらんよ。

 何歳かだって?
 バカッ、猫に歳を訊くなんてデリカシーないヒトね!

 まあ、それは置いとくことにして、今日は昔住んでた場所に遊びに行こうと思って、ご主人のとこから抜け出してきた。寒い中、外出なのだ。木枯らしがピーピー吹いている。
 いや、家出なんて言ったけど、実のところそんな非行の第一歩みたいなもんじゃないんだけどね。今朝、扉ガリガリかいてたら外に出してくれただけだし。まあ、夏とかは放し飼い状態だし、ダダこねたら出してくれるわけ。
 そりゃあ、俺だって外に出たいときもあるさ。休みのひとつも欲しいっての。
 まったく……。普段は自宅警備員の任務があるから、羽のひとつも伸ばせやしない。ご主人が帰ってきたら相手してやらなきゃいけないしさ。猫ってのも大変だよ。そこんとこわかってる?
 ほら、俺って責任感強い方じゃん。だからやっぱり、有給とか簡単に取れないタイプなんだよねー。

 ま、そんなわけで、今日はちょっと昔住んでた小学校に遊びに行こうと思ってさ。
 そうなんだ。ご主人に拾われる前、気ままな野良猫生活を送ってたんだけど、特に気に入ったのが小学校でさ。学校のはじっこに宿を借りてたわけ。いや、勝手に住み着いてたんだけどね。
 小学生って見てたら面白いじゃん。たしか、最初はそれがきっかけで住み着いたんだったと思うなー。もうあんまり覚えてないけど。
 あいつら、無邪気で微笑ましいよ。いつもいつもアホみたいなことして笑ってんの。その笑顔がまたかわいくてさ。いや、アホだけどね。鼻とかたれてるし。

 この際だから、今までもっとも見かけることの多かったアホな会話のランキングのベスト3でも教えとくかな。

 ――まずは、第三位!

「ねえ、ちゃんとお風呂はいってる?」
「はいってるに決まってんだろ! バカにすんな!」
「姉ちゃんと風呂はいってんねやー! うわー!」

 あったあった、こんなの。これ、家族に姉がいなくても関係ないんだよね。一度でも肯定してしまったらアウト。
 言ったことには責任を持つ。大事なことだよ。最近の政治家ももっと小学生を見習ったらいいと思うよ。

 ――続いて第二位!

「じゃんけんしようぜ」
「いいよ」
「じゃんけんで――エロ本、何個!」
「うわ、五個も持ってんねやー!」
「違うって、これはパーだって!」

 チョキだったら二冊扱いなんだよねー。しかも、“個”って何だよ。単位違うじゃん。あ、ちなみに相手がグーを出した場合は普通のジャンケンにシフトチェンジします。うーむ、奥が深い。ポイントは、「エロ本、何個」を早口で言うこと。

 それではそれでは!! ――栄えある第一位!

「なあ、パン作ったことある?」
「ないよ」
「え、トースターで焼くのとか入るねんで?」
「ああ、あるある」
「うわー、パンツ食ってるんやー! きっしょー!」

 無理矢理に会話を持っていくこのテクニック。いや、さすがの俺も舌を巻いたね。いつか俺も小学生相手に使ってやろうと思ってたんだけどよく考えたら猫だったわ、俺。


 懐かしいなあ。
 他にも、「リカちゃんと勉強したことある?」とか「じゃんけんで髪の毛なんぼん!」とか「手袋を逆に言ってみて。ろくぶて!」とかあったっけ。
 あの頃の皆はもう卒業してこの小学校にいない。今は何歳になるんだろ。もう、高校生くらいかな? 時間が流れるのって、ほんとに早い。
 俺がご主人と会ってから、あっという間に月日が過ぎて……今に至る。

 ご主人、俺と会った頃は笑顔が少なかったっけ。
 何でも、俺と会う前に大好きな人に先立たれてんだとか。命日にはいつも泣いてんの。しかも、その日がクリスマスだっていうから、俺も泣けちゃう。

「ネコちゃんが来てくれてから、私は元気になれたよ」

 そんなこと言いやがるから、お前この、涙ちょちょぎれるやないか。
 で、まあ、月日が流れて、ようやっと永遠の失恋からも立ち直りかけた頃、あれだよ。例の。就職戦争ってやつ。不況だからね。ご主人、一番の希望だった就職先に受からなくてさ。またわんわん泣いてた。

 ここ数年はご主人の泣き顔を見てないから、少しだけほっとしてる。
 最近はいつも嬉しそうだしね。ご主人は笑ってる顔が一番だと思うよ。そんなことを考えながら、懐かしい小学校で俺はぐうぐう眠りについた。
 結局のところ、俺は寝てばっかりなのであったとさ。まる。

 * * * *

「あれ……キミは確か、校舎の裏に住み着いてた猫ちゃんじゃない?」

 優しげな声が聞こえて、目が覚める。空はもう暗かった。
 寝ていたところを見つかったらしい。中年女性が俺を見て微笑んでいた。

「まちがいない! あれから十年かしら。忘れないわよ。その斜に構えた顔と特徴的な毛の模様!」

 記憶を辿るまでもなく、俺は中年女性の正体を覚えていた。小説が大好きなサチコ先生だ。特に夏目漱石が好きな、国語が得意な先生。
 野良猫の俺の面倒をずっと見てくれて、いつも優しくしてくれて、小説の話とか色んな話をしてくれた俺の恩人。今の俺があるのは、サチコ先生のお陰だと声を大にして言える。

「おいで、ほら! うちね、アパートから引越ししたのよ。今度こそ貴方を飼ってあげられるわ!」

 サチコ先生は両腕を広げて言った。昔とまったく変わらないサチコ先生の笑顔を見て、柄にもなく涙腺が緩んでしまう。
 あの頃、サチコ先生は「アパートだから貴方を飼ってあげられなくてごめんね」と毎日のように謝ってた。俺は何だか悪いことをしてるような気持ちになったもんだ。
 いつしかサチコ先生は結婚してすぐに赤ちゃんができた。産休をとって以来、ずっと小学校に来なくなってしまったんだ。もうどこか遠くに引っ越して行ってしまったものだと俺は諦めてたんだけど、まさか戻って来てたなんて……。

「私ね。赤ちゃん生んだ後に、ちょっと病気にかかって入院してたの。退院してこの小学校に復帰してから猫ちゃんのことを探してたんだけど見つからなくて……でも、本当に良かったわ。あなたが生きててくれて」

 サチコ先生はすごく喜んでくれている。家に来ないかと誘ってくれている。
 俺にとって、サチコ先生は第二の母親であり、あの頃の俺の帰るべき場所だった。十年前、帰るべき家が無くても俺は幸せだった。毎日が楽しかった。だって、サチコ先生がいたから。

「さ、猫ちゃん。おいで?」

 なおも手を広げるサチコ先生に俺は背を向けた。さようなら、と心の中で呟いて、家に向かって駆け出した。帰るべき、ご主人の住む家に向かって走った。
 俺の首輪を見て、サチコ先生もきっと気づいたんだと思う。最後に見せてくれた表情には安心したような笑みが浮かんでいた。
 その笑顔を吹っ切るように、俺は走った。サチコ先生のところに行きたい気持ちも胸の奥にあったから、未練を残したくないから、俺は全力で走った。
 そして――俺は“帰るべき場所”へと駆け込む。

 たどり着いた我が家にはすでに明かりが灯っていた。

「あら、ネコちゃん! 仕事から帰ってきても居ないから、遅心配してたのよ!」

 ご主人は顔を真っ赤にしながら、怒っていた。そんなご主人の足へ頬をすりつけてやると、ご主人はものすごく喜んだ。

「まったく……お腹すいたでしょ。ご飯にしようね」

 そして俺を抱えあげ、自分の目の高さに俺を持って来ると、優しくキスをした。

 ごめん、サチコ先生。
 俺は、だらしないご主人の世話をしなきゃ駄目だから。俺がいないとご主人は寂しくて泣いちゃうから。
 だから今度、ネズミを捕って遊びに行きます。また小説の話とか聞かせてね。

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