金曜日

 金曜日は、ニャニャニャニャ、花金ニャニャニャニャー。ニャッフンダ!

 ……。

 我輩は猫である。故に我あり。
 そろそろネタが尽きてきた感じが否めないけど、ネコである。
 なんか、言葉の最後に『故に我あり』とかつけると哲学っぽくなるんだぜ。すごいだろ。

 おっと、そんなバカなことはひとまず置いておこう。諸君。
 俺は今日、忙しいのだ。凡人の相手をしているヒマなど無い。何せ、ちょっと“ホシ”を尾行しているのでね。え、ホシ魚? 違うっての!

 実は今日、ご主人は有給を取って会社を休んでいる。まったく。毎日毎日マジメに働いてるネコ様の気持ちがわからないのかね。土曜日も日曜日もお盆休みもないんだよ? 正月休みだってないさ。休んだのって昨日くらいのもんだよ。
 いやいや、みんな勘違いするなよ? 自宅警備の仕事も楽じゃないんだよ?
 ちゃんと爪といだり、タンスで爪といで怒られたり、コタツで寝たり。ほんと、大変なんだから。マジで。

 おっと、要点だけを告げよう。ここからは慎重にいかねばならんからな。
 ご主人は今日、デートなのだ。しかも会社を休んでというところに、ご主人の意気込みの強さを感じる。
 相手の人が飲食業らしくて、休みがたまにしか取れないんだとさ。……だからって、仕事休んでまで行くのには俺は反対だがね。
 働かざる者は食うべからずだぞ。まったく。ご主人は仕事に対しての意識が甘い。まったく。
 それに、たかだか男くらいで。まったく。まったく。まったく!

 ……面白くない。

 そういうわけで、ネコ様は例によって例のごとく朝からダダをこねて外に出ることに成功した。
 そして、家の前で待機して、現在、ご主人の後をつけてるというわけだ。

 む、ご主人が角を曲がった。置いて行かれてなるものか! また、曲がった! くそっ。またか! もう! ああ! うう! いやああ!
 ……取り乱して、すまない。

 実は、こうやって曲がり角を何度も曲がるのは尾行しているかどうかを確認し、そして振り切るテクニックなのだ。いや、単に駅までのルートに曲がり角が多いだけだという説もあるがね。しかも、こっちのほうが有力な説ときたもんだ。むしろ、それが事実。
 だがな、ネコ様には人間と違って、屋根の上とか塀の上っていう裏技があるの。お前らと一緒にすんなよな。ちょっとやそっとじゃこの尾行は邪魔できないぞ。

 *

 さて、そんなこんなで、何とか駅にたどり着いたわけだが、ご主人はひとりで待っている。
 まだ、相手は現れないらしい。女を待たせるとは男の風上にも置けんな。そんなことじゃ子孫は残せないぞ。

 それにしても、ここじゃちょっと遠すぎて相手の男が来たとしても顔が見えんな。もうちょっと近づいておくか。
 そーっとな、こっそりな。

 お、この自販機の陰ならちょうどいい。よし、スタンバイオーケー!
 あっ、しまった――空き缶入れにぶつかった! どえらい音させてもうた!
 ご主人が怪訝な顔してこっち見てる。うー、やばい、やばいぞー。

「な、なに?」

 ご主人は突然の物音に怖がってるようだ。これは何とかしてはぐらかさないと……。
 こういうときはどうすればいい? 名探偵ならばどう切り抜ける? 考えろ、考えるんだ。この灰色の脳細胞で!
 そうだ、いい方法があった。

「にゃ、にゃーん」

 秘技! 怪しまれたときは猫のモノマネ!

 説明しよう! この技は、草むらに隠れて尾行しているときなどに、ターゲットに気づかれたときに行なうものだ!
 相手は百発百中、「何だ、猫か」と言ってその場は切り抜けられる。そう。猫が犯人なら人は安心するのだ。

 ま、俺が猫なんだけどね。

 しかし、俺の華麗な技にご主人は引っかかった。物音にはすぐに興味を失って、時計を気にし始める。
 まったく相手の男は何やってんだよ――ん? そのとき俺はご主人と遠く離れた場所に一人の男を見つけた。
 髪はなんつーの、あれ? 無造作ヘアー? そんな感じで、茶色く染めてる。肌は浅黒く日焼けしていて、白いボトムスに黒ティーシャツ。シルバーアクセをつけた、いわゆるお兄系というファッションをしていた。
 そのお兄系がご主人を遠くからうかがっているのだ。まるで猫がネズミをとるときの顔つきだった。
 そして、ご主人が携帯を取り出した瞬間、男は小走りにご主人のもとへと走っていく。

「ごめん、待った? ちょっと、店の仕込みしててさ。ほんと、ごめんね」

 へらへらと笑う男は、なんとご主人の待ち合わせ相手だった。
 ご主人は嬉しそうに、「今来たところ」とか言っちゃってる。いやむしろ、イっちゃってる。頭が。あんたずっと待ってたじゃん。何が「今来たところ(はぁと)」だよ。

 それに相手も相手だ。こいつ、遠くからずっと様子をうかがってた。
 ……そうか。なるほどな。モテ猫の俺様はすぐに閃いた。これはあれだ。駆け引きってやつだ。焦らし作戦だ。
 俺が冷静に分析している間にも、ご主人と男は移動し始める。
 とりあえず推理は終了だ。これにはついて行かないといけない。それに何か嫌な予感がした。

 二人は街中を歩き、おしゃれな服屋だとか、喫茶店だとか、色んな店に行った。
 二人が店に入ったときは常に慎重に行動しなきゃいけない。一般のお店の人は、俺みたいな猫が来たら追い返そうとするからな。
 騒ぎを起こすわけにはいかんのだ。俺はプロの探偵だからな。
 へ? いつ探偵になったって? わからんのかね、君は。猫っていうのはみんな、永遠の探偵なのさ……。

 おっと、わけのわからんことを言っている場合じゃない。二人が出て来たぞ。

 俺は今、電柱の影から二人を見てる。
 さっきは自販機の陰で音を立ててしまったからな。猫のモノマネ作戦は二度は通用しないんだ。そういう風に世の中はできてる。サスペンス劇場でもそうだった。


 影から、そーっと覗いていると、男がとんでもないこと言い出しやがった。

「実は俺さ、車そこに停めてるんだ。今から海行かない?」

 ばかやろ、車とか乗られたら追いかけられねーじゃん!
 サスペンス劇場とかだったら、タクシーに乗り込んで「あんちゃん、前の車を追ってくれ」とかあるけど、俺、猫だし。お金ないし。

 何よりも心配なのは、男慣れしてないご主人だ。男ってのはな、狼なんだ。信じちゃいけねえよ。密室で二人になったら何するかわかんねえ。俺も男だからわかる。あ、でも、俺は狼じゃなくて猫だけど。
 え、このネコ様は密室だと危険かって? 去勢されてるんです……。

 いや、それは置いとこうぜ。今はご主人が第一だ。
 こら、ご主人! 何、悩んでんだ! とっとと断りなさい。
 私、門限があるの。十二時になったら魔法がとけちゃうの。何でもいいから言い訳して、帰るんだよ!

「ここから海って遠いし……うちの猫のご飯もあるから……」

「猫、好きだって言ってたもんね。それじゃあ、しかたないか」

 男があっさりと引いた。それを見て、ご主人も少し拍子抜けした顔をしてる。

「せっかく車まで用意して、コースも決めてたんだけどなあ……夜景の見えるレストランも予約してたのに……」

「え、サトシさん。そこまで……」

「いや、いいんだ。家族って大事だしね」

 男はそう言って、爽やかな笑みを見せる。

「本当にごめんなさい」

「じゃあ、その代わりさ。明日、土曜日だろ? 会社休みだよね。おうちに邪魔しちゃ駄目かな?」

「え……」

 男は今日ではなく、明日の訪問を口にした。上手い。今日あがっていいかって聞くと散らかってるから、とはぐらかされることが多い。あえて、一日あけることで断る隙を奪うつもりなのだ。
 それに土曜日の翌日は日曜日。普通の会社に勤めているご主人は休みだ。つまり、男は泊まりを狙っている――。

「いや、俺さ。動物好きなんだ。君の飼ってる猫も見てみたいんだ。前に写メ見せてくれただろ。すごく可愛いから本物を見てみたいんだ」

「そうなんですか!?」

 やばい。ご主人は自分を褒められても無反応だが、飼い猫である俺を褒められると弱い。

「ぜひ来てください。場所とかは――」

「あ、いいよいいよ。後からメールで。猫くん待ってるだろうから、早く帰ってやりな?」

 ご主人は嬉しそうに大きく首を縦に振った。
 そして、しばらく立ち話を続け、二人は解散した。ご主人は男に手を振って嬉しそうに去って行った。

 俺はしばらく電信柱の陰に隠れたまま、ご主人の背中を見送った。

「予定狂ったけど、ま、いいか」

 男はそう呟くと、携帯電話を取り出した。

「あ、リサ? 今日ヒマ? 今、駅前いるんだけど。ドライブ行こうよ。わーったわーった。前みたいにすぐホテル直行とかしないって」

 男はけらけらと笑った。嫌な笑みだった。
 男は電話を終えて、鼻歌混じりに去って行く。男がその場を去るまで俺はその背中をにらみ続けた。
 今日はリサとかいう女で、明日は俺のご主人か。いいご身分だな。

 明日の土曜日――。
 俺にとって、人生……じゃなかった、猫生で最大の闘いになることは間違いはない。
 ご主人をあの男の毒牙から救うことができるだろうか。いや、できるとかできないじゃない。やるしかない。
 今、ご主人の危機を知っているのは俺だけだ。俺も男だ。去勢されてるけど。それでも男だ。女性の泣く姿を易々と見逃せるか。

 風が俺の頬を撫でた。強い風だ。まさに決戦の前日にふさわしい。
 ガキンチョが俺の喉を撫でた。こら、やめろ。そこは弱いんだって……はふう、ゴロゴロ。

 ご主人を狙う悪党め。今日のところは見逃してやる。
 ちょっと、ガキ、いや、おぼっちゃん! 今日のところは見逃してください。はうう、喉は駄目ですよう。

 吾輩は猫である――ご主人が好きだ。

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