エピローグ
我輩は『ネコ』である。
* * * *
我輩は猫である。名前はネコだ。現在、その齢も十九にさしかかろうとしている。
あの一週間から六年が経つ。あの内気だったご主人も結婚し、ついには子供もできた。
河に飛び込んだあの日のことは今も忘れない。え? お前、死亡フラグ立ってただろって?
……ばかやろう! あれはその、ほら、あれだよ。ちょっとしたお茶目な勘違いったやつ。
よくあるじゃん。入院中の患者が胃腸の痛みを変に勘繰って「これってガンかもしれない……」とか思うパターン。で、実は単なる腸炎でしたっていうオチ。それみたいなもんだよ。
あの日の俺は、あのチャラ男……名前なんだっけ。ポケモンマスターみたいな名前だったような……むう、忘れた。もうどうでもいいや。ともかく、あのチャラ男を撃退しようと、眠い目を開けて頑張ってたわけよ。
そりゃあ、頭も朦朧とするって。意識だって失いそうになるわ。だって、眠気の限界来てたんだもん。かろうじて、マタタビ効果で起きてたけどね。
今思えば、色んな条件が重なりすぎてたんだな。
あの頃の俺は十二歳。猫の寿命と呼ばれるボーダーラインを超えてた。猫ってのはその最期をひっそりと終えるもんなんだ。だけど、それは単なる防衛本能に過ぎない。弱っている猫も同じことをする。
まさに、あの日の俺のことです。疲労がピークに達しておったのです。だから、どこか人知れずこっそりと休みたいと、こう、猫の本能みたいなのが俺に訴えかけてたんだろうな。
とにもかくにも、ご迷惑おかけしました。深くお詫び申し上げます。
「ネコちゃーん、にゃあーにゃあー」
痛い、痛い痛い! 何なさるんですか、お坊ちゃん。
「こら、イチロー! ネコちゃんはおじーちゃんなの。もっと、優しく扱ってあげなさい!」
はーい、とイチローくんは元気に返事し、俺の喉を撫でた。はふう、ごろごろ。
イチローなんて、相変わらず安直なネーミングセンスがこの人らしい。だが、最近の捻った漢字の名前よりは俺は好きだね。あんな当て字読めるかっての。
でも、イチローって、将来的に浪人しそうな名前だよね。一浪。まあ、同じ名前に超一流の野球選手がいるから大丈夫か。何事も例外はいる。
「もうそろそろパパ帰ってくるから、イチローも手伝いお願い」
ご主人……いや、ママさんはそう言って食器を並べ始めた。
ママさん、パパさん、イチローくん。三人分を並べる。そして、床に俺の取り皿を置く。ママさんはその中に“ママコ印のキャットフード”をたくさん入れてくれる。
「はい、ネコちゃん。いっぱい食べて、長生きしてね」
そう言って、微笑む彼女の顔には昔と変わらぬ笑顔があった。
「ただいま」
玄関から声が聞こえた。パパさんだ。
泳ぎが得意で、やり手の営業マンのパパさん。もうすぐ昇給するらしい。
あの日、営業用の車が汚れることもいとわずにズブ濡れのご主人を乗せたパパさん。聞けば、実はあのとき仕事中だったとか。
普通の社員なら、上司に相当怒られてただろう。営業成績の良いパパさんだから、おとがめ無しに終わったが、それでも普通の人ならそこまで他人のことを考えない。パパさんは、とても優しい人だった。
「おいしそうだね。お、ネコのご飯は好物のキャットフードか。幸せだな、お前は」
そう言って、頭をわしゃわしゃと撫でてくれる。
そうだ。俺は幸せだ。もうすぐ、十九歳になる。誕生日はみんなで祝ってくれるらしい。
あのとき一人だったご主人が、今じゃもう三人だ。そのうち気づいたら、もう一人くらい増えてるかもしれない。もっと賑やかになるかもなあ。
そのときまで、俺が生きていられるかどうかはわからない。最近じゃもう身体の自由も効かなくなってきているし、今じゃ昔のように自由に走れ回れない。けれど、俺はとても幸せだ。
死に場所は三人のご主人の目の前と決めている。布団の上で大往生したい。みんなの泣き顔を見て、ニャーと鳴けたらなんと幸せなことだろう。
我輩は猫である。名前は『ネコ』だ。三人のご主人が大好きな老猫である。世界一幸せな飼い猫である。
大事なことなのでもう一度言おう。何度も何度も噛み締めたいのでもう一度言おう。
我輩は『ネコ』である。世界一の幸せものだ。
ちなみに『我輩』という人称を使うのは、単にかっこよさそうだから。べ、べつに名作にあやかってるわけじゃないんだからなっ!
『我輩はネコであるっぽい』――完。
* * * *
(作者より)
後書きは言い訳を書く場所じゃありません。しかし、そこで言い訳を書くのが私です。将来、自分が見返したときに、すぐに当時の自分の意図を見抜けるようにするためのメモでございます。ですから、一般の読者の方は、すっ飛ばしてくださった方が良いです。
これはとある小説大賞というものに応募しようと書き出したものです。(テーマは「猫」、趣旨はマンガの原作)
遊び心で書き出したのですが、話の終着点に持って行くに連れてだんだんとムキになり始め、気づけば遊びじゃ済まなくなっていました。
ハッピーエンドが好きなので、結末は当初考えていた方向とまったく変わっていません。ラストで死なせるのはありきたりですし、それはしたくなかったというのもあります。
今回の試みとしては、対話形式(作中の主人公が読者に語りかける)であることがまず一つです。
次に、わざと描写を限界まで減らしました。これは、今回の小説大賞が漫画化を意識したものであるという趣旨に則ったものです。描き手が何とでも描けるように必要以上の描写は入れていません。
家にしても室内の様子はわからないし、街中にしても街の雰囲気はまったくわかりません。読み手のイメージに全てを託したかったので、登場人物の動きもあまりわからないようにしてあります。
以上のように書きましたが、実のところはあまり何も成功していないような気がします。くだらない作品ですが、私の猫を思う気持ちは本物です。それだけはわかってください。
また、以下の作品から引用を行ないました。著作権は切れてもその良さはいまだ失われぬ名作の数々です。よろしければご一読ください。
『走れメロス』
『吾輩は猫である』
『坊ちゃん』
『雨ニモ負ケズ』
『竹取の翁』