かつてアンパンを愛した人々に捧ぐ物語(※アンパンマン)

 ――何のために生まれて、何をして生きるのか?
 ――答えられないなんて、そんなのは嫌だ。

 あるアンパンのお話。

 *  *  *  *

 千、二千と暦を重ね、地球は回る。文明は発展し続け、栄華を極めた。人の欲望も留まることを知らなかった。遥か昔、第二次世界大戦という悲しき教訓を人類は得たはずだった。地球上の全ての人が、人類の罪深さを嘆き、その業を繰り返してはならぬと誓った。その誓いは危うい天秤の上で、けれども、一部の人たちの善意あるいは悪意の上で、かろうじて守られていた。
 平和。文字にして、二つ。短く、しかし尊い。長く続いた。永く続く、はずだった。
『歴史は繰り返す。それが、歴史の悪いところである』
 誰が謡った言葉だったのだろう。今はもうわからない。しかし、それが真実だった。それが、すべてだった。第三次世界大戦が勃発し、終わりが見えぬ状態に世界はあった。
 人々は飢えた。都会と呼ばれる場所ほど、生産性に乏しく、変化に弱かった。適応できない人は、真先に死んだ。贅沢に慣れた人々は、次々に死んだ。
 大人はまだ強かである。生きる術を知らない子供たちは、頼るべき柱を亡くした子供たちは、そうはいかない。
 そんな貧しい子供たちを、放っておけない男がいた。
 何の特技もない。ただの、機械いじりが得意な、パン屋の家に生まれた男だった。

「なあ、やっぱり危ないよ」
「じゃあ、誰がやるんだよ」
 三十あまり齢を重ねた男は、白髪の混じった老人を睨むと、愛用のジェットの点検をしている。
「ジェームス。娘を置いて、毎日あんな都会に行くと危ないだろう。お前が死んだら、誰があの子を守るんだい」
 老人は自らが心をこめて焼いたアンパンを、ジェットの貨物スペースに押し込んだ。
 最初から、止められないと解っていた。
「親父が、守ってくれるんだろう。その子は宝だ。俺の、それから、あんたの」意を決して言う。「親父はもう年だ。だが、パンは作れる。俺は才能がない。パンは作れない」
 ジェームスはジェットのエンジンをかけた。
 全てが電気で支配されるこの時代には珍しく、ガソリンで飛ぶアナログな飛行機だった。アナログ故に、電気エネルギーのみを感知するレーダーには反応しなかった。
「だいたい、貧しい子供たちのことを知って、何かしたいと思ったのはアンタだろう。あんたの夢だ。あんたの志だ。それを何とかしたいって思うのが――」
 そこで言葉を切る。それから、続ける。恥ずかしげにそっぽを向いて。
「……息子ってもんだろう」
「ジェームス……」
「こんな、つまんない世の中でよ。争いばっかりしてよ、俺たち、何のために生きてるんだ。明日死ぬかもしれない。つまんねえ。希望も何もあったもんじゃない。だけど、何もしなけりゃ始まんねえよ」
 それ以上、ジェームスの父は何も言えなかった。
「まだこのイナカには食料があまってる。だけど、都会にはない」貨物スペースのアンパンを示す。「だがな、都会には夢がある。希望がある。人の少ないこの村にはない、夢がある。子供だ。子供は未来だ。未来を、俺たちは守っているんだ」
 ジェームスはそう言うと、すぐ戻る、とメットを被った。
 それを、娘が寂しげに見つめる。
「じゃあな、バタ子。父ちゃん、行って来る。おじいちゃんと仲良くな」
 愛娘の頭をなでると、ジェームスは微笑んだ。そして、操縦席に乗り込む。
「お父さんは、すぐ戻るよ。なにせ、愛と勇気と正義の塊みたいなヤツじゃ。みんなのヒーローなんじゃ。死ぬわけがなかろう」
 その背中を不安げに見守る孫娘に、老人は語りかけた。
「ヒーロー?」
「ああ。アンパンを送り届けてくれる。お腹がすいた子供たちは、ジェームスが――お父さんが来るのを待ってるんじゃよ」
 祖父の言葉に、孫娘は表情を輝かせた。
「みんな、お父さんのことが好きなんだね!」
「ああ、正義のヒーロー、アンパンマンじゃ」

 ださい名前だった。けれども、輝いていた。
 その名誉を背負い続け、何千、何万回目の飛行だったろう。いい加減、ジェームスの父も、諦めていた。何より、誇らしかった。人間の心が穢れ、争い続けるこの世界で、それでも理想を持って飛ぶジェームスのことが。

 *

 ジェームスは今日も、父親が心をこめて作ったアンパンを飛行機に乗せ、貧しい子供たちのもとへと飛ぶ。狭いコクピットの中は、ジェームスとアンパンだけしかない。怖かった。実際のところ、いつ撃ち落とされてもおかしくないのだから。
 狭いコクピットの中では、愛と勇気だけがジェームスの動力源だった。
「びびんなって、俺! みんなのためだろう。俺がやらなきゃ、誰もやんねえだろ」
 誰が始まりだっただろう。誰が言い出しただろう。
 アンパンマン。親しみを込めて、戦地の人々は彼をそう謡った。

 ――そうだ 恐れないで みんなの為に
 ――愛と勇気だけが友達さ

 無事にいくはずだった。言葉のとおり、すぐに帰れるはずだった。
 しかし、激しさを増す戦禍の中で導入された新型レーダーは、電気のエネルギーだけでなく、ガソリンで動く、ジェームスの飛行機をも感知し――ジェームスはミサイルに撃たれた。
 ジェームスの身体が千切れ飛ぶ。アンパンが、宙へと舞った。

『飢えて死んでいく子供たちを、生かしたい。生きることの喜びを教えてやりたい』

 妻が死んでから、つまらない人生だと思った。ジェームスの心に、消えない傷が刻まれた。
 しかし、本当に悲しいのは娘のバタ子だと気づいたのはいつだっただろう。
 バタ子がいれば、どんなに辛くても生きることができた。娘の成長を見て、生きることの喜びを再び覚えた。たとえ、胸の傷が深くても、人は――生きることの喜びを忘れちゃいけない。
 だから、貧しい子供たちにもそれを教えてやりたかった。ただ、それだけだった。たったそれだけの、願いだった。しかしそれは叶わない。死んでしまえば、そこまでだから。

 *

 ジェームスが帰らぬ人となり、しかし、時が流れるのは早かった。バタ子も見目麗しき女性となり、チーズという野良犬がジェームスの代わりに家に居座った。
 しかし、時の流れと共に、戦火は増すばかりであった。そして、いつしか、押してはならぬスイッチを誰ともなく押そうとしていた。
 科学の発展した地球。ジェームスはハイテクノロジーの機械に疎いわけではなかった。“アンパンマン”としては、あえて、古臭い何十世代も昔のジェットを使っていた。これも、優れた科学者故であった。
 神はジェームスにパン作りの才能を与えなかったが、機械に強い頭脳を与えた。そして、その父親もまた、ある水準の知識を持っていた。
 祖父は息子との約束を守るため、半ば強引に孫娘を宇宙船へと乗せ、空へと飛び立った。

 約束を守るため。未来を守るため。

 祖父にとって未来とは、バタ子だった。ジェームスの守ったもの。守りたかったもの。地球がもう滅びる運命にあるのならば、何としても息子の守ろうとしたものだけは守りたかった。
 やがて、何億光年の旅を経て、時々、なんかもう凄いワープをかましながら、それでも宇宙船はひたすら旅をした。行く当てもなく。
 やがて、宇宙船はひとつの星に辿り着いた。動物が言葉を語り、二足歩行する惑星へと。

 不時着した異星人を見て、その星の人々(?)は、けれども暖かく彼らを受け入れた。
「あなたたち、名前は?」
「わたしはバタコ。こっちは、私のおじいさん。それと、犬のチーズが居たんだけど、落下の際にどっかに行っちゃって……」
 チーズは居なかった。悲しかったが、二人の生命だけでも無事だったことが僥倖と言えた。
「おじいさん、名前は何と言うの?」
 カバの顔をした赤いティーシャツの生物が歩み寄る。
「私は……」
 答えようとして、祖父は考えた。息子の遺志を、継ごうと。
「私は、ジェーム」
 ジェームスの幼い頃の愛称だった。
 しかし、この星の生き物には聞き取りづらかったらしく、「ジャム」と誤認された。もう、それで良かった。息子の魂と、自分はここに在る。
 孫娘も、それを悟った。だから、あえて言った。
「そうだよね、ジャムおじさん」
 孫娘が少し他人行儀な呼び方をする。それが心地よい。ジャムの心のうちを見透かした優しさだった。
「ああ、うん。そうじゃよ、私はジャムおじさん。パンを焼くのが好きなんだ」
 いい響きだと、思った。
 もう少し、この星に馴染んだら、この星の人たちにパンを食べてもらおうと思った。おいしいアンパンを。息子が愛してくれた、あのアンパンを。

 *

 時は流れ、ジャムおじさんはバタコと共にパン工場を作った。
 息子ジェームスの顔を模したパンを作ったら、大好評だったので、そればかり作っていた。
「このパンって、ジャムおじさんに似てるねえ」
 ウサギの先生が言った。カバの担任だった。
「いや、それは、息子の顔に似せたんじゃよ」
「ああ。それでなのね。息子さんだったら、ジャムおじさんと似ていてもおかしくないわ。息子さんは故郷で元気にしてるの?」
「ああ、まあまあ」
 故郷の話はしなかった。
 この綺麗な惑星に、似つかわしくないと思った。

 その夜、星が流れた。
 この惑星で、一万年に一度の、星降りの夜だった。
「きれいじゃな、バタコ」
「ええ、ジャムおじさん」
 二人がアンパンを焼きながら星を眺めていると、ひとつの流れ星がふたつに分裂し――パン工場の方へと近づいてきた。
 ぶつかる――二人がそう思った瞬間だった。ひとつは、煙突を通じて窯へ、もうひとつはゴミ捨て場へと吸い込まれるように、入り込んでいった。
 バタコとジャムおじさんは、外のことは無視し、ひとまず、窯の中へと集中した。
「何が入ったの? ジャムおじさん」
「わからんのう……ひとまず開けてみよう」
 ジャムおじさんが窯を開けると、眩い光が溢れ――アンパンが肉体を得て、座っていた。アンパン型の人は元気に飛び出すと、こう言った。
「ぼく、アンパンマン!」
 ああ、帰ってきたのだと、ジャムは思った。

 *

 ジェームスの心は、死の淵に瀕して、怒り、恨み、嫉み、その他たくさんの負の感情を抱いた。そして、同時に、正しい心も忘れていなかった。
 ジェームスの魂は二つに割れ、“光”の部分は工場の中のアンパンへと入り込み、アンパンマンになった。そして、もうひとつ。“闇”の部分は、工場の外のゴミ捨て場の残飯へと入り込み、バイキンマンとなった。
 アンパンマンとバイキンマンはもとはひとつ。同じ人間であった。
 これが、バイキンマンが賢いくせに、パン工場を壊滅させない最大の理由である。バイキンマンは何も、ジャム一家を根絶やしにしたいわけではない。ただちょっと、相手してほしかっただけなのだ。
 バイキンマンの人間だった頃の親も、ジャムおじさん。そのジャムおじさんの愛情をひとり享受し、愛娘と仲良く暮らしているアンパンマンに嫉妬した。みんなに相手をしてほしかった。それが、バイキンマンの行動へと繋がっている。人はそれを、ツンデレと呼ぶ。

 *  *  *  *

 そうだ、うれしいんだ。生きる喜び。
 たとえ胸の傷が痛んでも。

 何のために生まれて、何をして生きるのか?
 答えられないなんて、そんなのは嫌だ。
 今を生きることで、熱い心燃える。
 だから、君は行くんだ。微笑んで。

 そうだ、うれしいんだ。生きる喜び。
 たとえ胸の傷が痛んでも。
 ああ、アンパンマン。やさしい、君は。
 行け、みんなの夢まもるため。

 何が君の幸せ? 何をして喜ぶ?
 わからないまま終わる、そんなのは嫌だ。
 忘れないで、夢を。こぼさないで、涙。
 だから、君は飛ぶんだ。どこまでも。

 そうだ、恐れないで。みんなのために。
 愛と、勇気だけが友達さ。
 ああ、アンパンマン。やさしい、君は。
 行け、みんなの夢まもるため。

 時は、速く過ぎる。光る星は、消える。
 だから、君は行くんだ。微笑んで。

 そうだ、うれしいんだ。生きる喜び。
 たとえどんな敵が相手でも。
 ああ、アンパンマン。やさしい、君は。
 行け、みんなの夢まもるため――……



The End.



 原作では、チーズはアンパンマンがパトロール中に拾ってくるわけですが、こいつだけどうにも、ほかの二足歩行して会話する動物とは毛色が違うのです。そういうわけで、チーズは落下の衝撃で記憶が飛んでいるところをまたアンパンマンが拾ってきたという設定が都合いいので、そういう方向でお願いします。あと、勝手に宇宙船に乗り込んでいた野良犬第二号がチーズの恋人のレアチーズっていう設定も都合よろしいので、やはりそういう方向性で(以下略)。

 かつて、初代アンパンマンは今のアニメで放映されているようなデザインではなかったと聞きます。初期の頃のアンパンマンは、外見はただのオッサンで、貧しい子供たちにパンを送り届けていたとか。最後、空を飛んでいたらミサイルと間違えられて打ち落とされて死にます。そういう、あれな作品でした。
 そういった基盤を忘れないようにしつつ、公式となるべく合致するように設定を調べたら、バタコがジャムの孫だったりと、アンパンマンの知らない設定もいろいろあるんだなー、と発見しました。
 主題歌の核心に迫ったのは、映画「いのちの星のドーリィ」であり、劇中でのアンパンマンの台詞『僕が生まれてきたのは困っている人を助けるためだと思う』というものは、どこか胸が熱くなるものです。作者の柳瀬さんはアンパンマンを描くきっかけを、「正義の味方だったら、まず食べさせること。飢えを助ける」だとし、「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」と述べていました。うーむ、深い。

 そんなこんなで、またアニメも振り返ってみようと、改めて思ったのでした。
 文字数は、全部で四八○○文字程度(歌詞を除く)です。文字数を抑えるためにかなり端折りました。
 イラストは、「覇竜モエ」さんよりいただきました。ありがとうございます。

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