07.進化の秘法

 ――そして、十年の月日が流れた。

 城の屋上から町を見下ろしながら、マーニャはため息をこぼした。
 背後にはバトランドの新しい紋章である、大鷲が両翼を広げた旗がなびいている。不死鳥にするべきかどうかで城内でも意見が分かれたのだが、結局のところ、バトランドに多く棲む大鷲をあしらうことに決定した。
「なんだかねー」
 マーニャの呟きに返答したのは、一人の青年だった。
「マーニャさま。また、カジノのことをお考えですか?」
 ホイミンである。
 吟遊詩人の衣装を身にまとい、縦笛を腰の帯に差している。
「違うわよ。ほら、バトランドも変わったじゃない?」
「ええ、変わりました。紋章も……それに、これから国名も」
 マーニャは、オリハルコン製の“王家の紋章”を取り出して眺めた。
「これも、不死鳥から大鷲に変えちゃったしね」
「ええ。私の錬金術で……。もちろん、進化の秘法とは違う、簡易的で、なおかつ、安全なものです」
 にこやかに述べたのは、ホイミンではない。まだ年若い金髪の男だった。
「そうだわね」
「おや、マーニャ様。私みたいな未熟者ではご心配だとでも? 確かに、お師様には遠く及びませんが、私とて大魔導師ブライの弟子です」
 わかってるわよ、とマーニャは褐色の頬をふくらませた。
「ブライの偉大さも、あんたの素晴らしさも、あたしはちゃんとわかってるの。ねえ、ベネット」
 ベネットは短く切りそろえた金髪を照れくさそうに撫でた。
「そうですよ。ベネット様は、呪文の使えないこのホイミンよりも達者でございます」
 ホイミンは少し寂しそうに言った。
「あはは。あんたってば、回復呪文みたいな名前してるくせに、呪文を使えないんだからね。ちゃんちゃらおかしいわよ」
「そう言わないでください。“進化の秘法”をキングレオ城で使ったときに、私は人間になったのですから」
 まだホイミスライムだった頃のホイミンは、“進化の秘法”の存在を旅の途中で知った。
 しかし、それは魔物の手にあった。人間になるために、魔物の力を借りる。それは、同時にライアンを裏切ることにもなる。そう考えたホイミンはそっとライアンの元を離れたのだった。
 しかし、世界に平和が訪れ、ホイミンはライアンと再会を果たした。ライアンはホイミンの杞憂を一笑にふし、「次、離れることがあったら承知せんぞ」と冗談めかして脅してみせた。
「ホイミスライムのときにホイミが使えなかったら、まず間違いなく死んでいたでしょうね」
 苦笑するホイミンにベネットは首をかしげた。
「何でホイミが使えなくなったんでしょうね……変な話です。“進化の秘法”とは、今は無き“夢の世界”の力です。すなわち、その者の願望を叶える力……」

 かつて、この世界に存在していた平行世界があったと言う。
 人々の見る夢が具現化した世界である。その“夢の世界”はもはや存在しない。現在はその残り香である天空城、妖精世界がぽつんと存在しているだけである。
 しかし、夢を信じる力は人々の想像する以上に大きい。時に人は夢を叶えようと、限界を超えた能力を発揮することがある。
 ――“進化の秘法”とは、人々の夢をこの世の道理すら無視して具現化せしめる呪法。
 ある動物が人間たちと自由に話したいと願い、人語を解するようになった。
 ある人間はより強い力を求め、その身を魔物へと変えた。
 そして、ホイミンは――人間になりたいと強く望み、その夢を叶えた。

「ベネットさま。簡単なことですよ」とホイミンは言う。
「私にとって、“人間”とはイムルの村の子供でした。彼らはか弱く、戦う術を持たない。呪文など、もってのほかです。ですから、私は力ある言葉を操る術を失ったのです」
「じゃあ、何で、大人の身体なんだい?」
「たぶん、ライアンさまの影響でしょう。あのお方は、その人間像をさらに打ち破った。逞しい身体、あれこそも人間の行き着く先であるように思えたのでしょう。それに、ライアンさまは呪文を使えませんから」
「なるほど。呪文を使えない屈強な大人、元気であるけれどか弱い子供。ホイミン様は、その中間を人間だと感じたのでしょうね」
 ベネットがホイミンの全身を観察するように見つめると、ホイミンは照れ臭そうに身をよじった。
「ま、あの木偶の坊は、人間にしたらちょっと化け物じみてるわね。そのうち、隼の剣なしでも二回攻撃とかしちゃうんじゃないかしら?」
 難しい話は苦手だと言わんばかりに、マーニャは冗句を交えた。
「ライアンさまなら、ありえそうですね」
「ま、ちょっと、年老いたけれどね。お互いに」
 マーニャは皺を気にするように、頬をそっと手のひらで撫でた。
「まだ、お若いですよ」
 ホイミンが言うと、マーニャは、厭味なヤツ、と眉をよせて睨みつけた。
「あなたは年を取らないけれど、私たちは年を取るの。ポポスだって、もうすぐ十歳よ」
「もう、十歳なのですね……」
 ホイミンは空を見上げた。その視線の先にはどんよりとした雲が覆っている。これは一雨来るかもしれない。
「まったく、木偶の坊はいつになったら帰ってくるのかしらね」
 マーニャは目尻に浮かんだ涙を慌てて拭いた。ホイミンはそれを見逃さなかったが、あえて黙っていてくれた。
 マーニャは強い女だと城の皆には思われているし、そういう風に振る舞ってきた。夫が帰ってこない悲しみを思い出す度に、自分はモンバーバラの女であるのだと思い込ませてきた。
 だから、泣くわけにはいかない。
 いずれは王になるのだ。ポポスには強い男に育って欲しい。夫ライアンに負けないほどの、強く逞しい男に。
 夫が居ないのならば、自分がポポスに強さを教えなければいけない。マーニャはそう考えているのだった。
「世界の危機ですから……」
 とベネットは呟き、ライアンの話題に自分は場違いだと考えたらしい。
「そろそろ、私は帰ります。一雨来そうですから……ではまたお会いしましょう」
 ベネットは別れを告げると、呪文の詠唱に入った。瞬間移動呪文<<ルーラ>>である。
「風の精霊よ、我が身体を意のままに運びたまえ――ルーラ!」
 力ある言葉を口にしたが、ベネットの身体は一寸たりともその場を動いていなかった。
「あ、あれ?」
 ベネットは首をかしげて、もう一度、詠唱を開始した。先ほどと同じ文句を繰り返す。
「ルーラ!」
 しかし、結果は変わらなかった。
「あんたねえ、何を冗談やってんのよ。ブライの弟子でしょ? ルーラはブライの十八番だったわよ」
「いや、そりゃあそうなんですが……おかしいんです」
「魔法力<<マジックポイント>>が尽きているのでは? 疲れているときは、ろくな呪文も使えませんから」
 ホイミンの言葉を聞いて、ベネットは別の呪文を宙に向けて放った。
「大気中の水の精霊よ、真冬の洗礼を受けたまえ――ヒャド!」
 ベネットのかざした手の先に、氷の礫が出現した。
 その氷は一直線に飛び、失速し始めた段階で重力に従い、城下町に落ちていった。
「おかしいな……ルーラだけが使えない」
 ベネットは首をかしげた。
 しばし、三人はこの異常な状態に頭を悩ませたが、雨が降り出した。
「とりあえず、中で話しましょう」
 ホイミンはそう言って、二人を場内へと誘った。
 王の私室に戻った、三人は凍りついたように固まった。
「あ、あ……」
 マーニャの唇が震えている。ホイミンが涙をにじませながら、声を絞り出そうとしていた。
 ベネットはそんな二人と、室内にいるピンクの甲冑の騎士を見比べていた。
「遅くなった。今、帰ったぞ」
 しわがれた声は、まさしく奇跡の戦士のものであった。

 ライアンを見て、また少し老けたな、とマーニャは思う。もちろん、自分のことは棚上げして。
「マーニャ。老けたか?」
「あ、あんたが言わないでよ……」
 マーニャの目に涙がにじみそうになる。
 それをこらえることなく、マーニャはライアンの逞しい腕の中へと飛び込んだ。
「あんた……いつまで、いつまで待たせるのよ!」
「悪かった、マーニャ。私の最愛の女よ」
 泣きじゃくるマーニャの背を優しく叩きながら、ライアンは後ろの二人を見やった。
「ホイミンも待たせて悪かった。そこのは……ブライの弟子のベネットか? 見違えた。いや、大きくなったな」
 ライアンは懐かしげに呟く。
 マーニャは落ち着いたのか、そっとライアンの腕を離れた。
「ライアンさま。よくぞ、ご無事で」
 ホイミンが恭しく頭を下げると、ライアンは目を伏せて、呟くように言った。
「トルネコがな、死んだ」
 マーニャの褐色の良い肌でも、血の気をひいたように冷たくなるのがわかった。
「旅の途中のことだった。別世界で、あやつは……最期まで懸命に戦い抜きおったよ。勇敢な、偉大な男だ。あやつは……まさしく戦士だった」
 ライアンは拳を握り締め、唸るように言った。
「ライアンさま。ここ数年、巨大な邪悪の気配が徐々に強まっていくのを、私は感じておりました。しかし、それはまだこの地上には現れていないようでした。ライアンさまやトルネコさまが戦ったというのはもしや……」
 ライアンは、私情を振り切るように頷いた。
「魔人ブオーンだ。あやつは、ついにその力を“進化の秘法”で究極まで高めおった。今もう、この地上のすぐそこまで来ておる」
「ブオーン……地下迷宮を作り出す魔物ですね。ダンジョンの無限回廊などは、ブオーンの仕業だとお師様はおっしゃっておりました」
 ベネットの言葉を聞いても、ライアンは興味なさそうに首を振った。
「あやつの正体など、どうでもいい。今、この世界は急速に地形を変え始めている。あと一週間もすれば、この地球上の全てが混沌とした迷宮へと変化するであろう。単なる迷宮などではない。その迷宮に取り込まれたモンスターは邪悪な心を取り戻し、かの地獄の帝王が健在だった頃のような戦乱の世が訪れる」
 ライアンは苦々しげに呟く。
「しかも、今回は国と言う概念すら無くなるだろう。すべての大地は切り裂かれ、国はばらばらになる。人々は我が身を守るので精一杯だ」
「そんな……」
 ベネットは震える声で呟き、そして、はっと気づいた。
「なるほど、世界の地形が乱れているから、行き先を指定するルーラも効果が無いのか……」
「そうだ。私も旅先で知り合うた商人にルーラを頼んだのだがな、無理だった。道具屋で購入したキメラの翼も、ルーラのような効果は発揮せず、直前に訪れた街へと戻るだけだった」
「それはいつ頃からですか?」
 先ほどルーラを唱えようとして失敗したベネットは尋ねた。
「だいたい、十日ほど前か。おかげで、相当な回り道を繰り返させられたよ。難儀なことだ」
「そうか、それで……。私は十日間ほど、この城に滞在していました。行き道は使えたのですが、帰り道は使えなかったのはそのためですか」
「だろうな。他にも使えなくなっている呪文があるかもしれぬ。私の勘だが、“パルプンテ”は使えないだろう」
「パルプンテも?」
 ベネットは怪訝な表情を見せた。
「おっと、試すなよ。今は亡き親友トルネコが言っておった。現在、世界を暗雲に陥れているのは“不思議のダンジョン”と呼ばれる存在だとな」
「……不思議の、ダンジョン?」
「ああ。そこでは何が起きても不思議ではないのだ。だからこそ、その名を冠している」
 ライアンは額に皺を寄せながら、説明した。旅先ではよほど苦労したのだと思える。マーニャは夫の旅の過程を想像して、ぞっとした。
「なるほど。すべてが不思議である中、不思議な効力を発するパルプンテを唱えても意味が無い。もしくは……」
「もしくは、余計に酷い状況になるかもしれん。禁呪とするのが無難だろう」
 わかりました、とベネットは頷いた。
「マーニャ。後で伝書を各国に飛ばしておいてくれ。まあ、届くかはわからんがな。念のためだ」
「あ、うん……」
 ライアンは室内を見回し、感慨深げに一息ついた。
「なあ。このバトランド……まだ、グランバニアになってないな?」
 ホイミンは、それに応じて頷く。
「うむ、そうか。おそらく、平和が訪れる頃には、新王国として生まれ変わるだろうな」
 淡々と言葉を発するライアンの意図を、ホイミンは測りかねていた。
「バトランドは良い国だ。屈強な男達は、日々に慢心することなく、己の業を高めようと躍起になっておる。いいことだ」
「あんたみたいにね」とマーニャは口元に弧を描いた。
「ポポスが男で良かったよ」
 ライアンは窓辺に立って、城下町を見下ろしながら言った。
「新しい国を、私は見ることができぬかもしれん」
 振り返ったその眼は冗談を言っているようには見えなかった。
 ホイミンはライアンの真意を悟ったらしい。マーニャはその身に流れる遥か古い占い師の血から、嫌な予感をひしひしと感じていた。
「なあ、ベネットよ。このバトランドに骨をうずめる覚悟でいてくれないだろうか」
「え、私は故郷の研究所が……」
「なに、冗談だ。平和になったらどこへなりと行くがいいさ。今は、この城をマーニャと共に守って欲しい。バトランドに呪文の使い手は少ないからな。貴重な戦力になる」
 ライアンは、急いだように言葉を重ねる。
「旅先でミネアと会った。彼女は、人類の拠点を数箇所にしぼってくれている。小さな村の住民は、避難場所である最寄の城などに集まっている。サントハイム付近はクリフトに任せた。ロザリーヒルにはピサロがいるし、大丈夫だろう。他の地域にしても、ミネアが方々まで手を回してくれた。この佳境の中、防衛策は立てることができたのは、どでかい快挙だ」
 マーニャはそのとき、気づいた。夫が何をしようとしているのかを。
「あ、あんた……まさか!」
「私は、レイクナバへ行く。親友の家族の待つ街へな。そこで、封印の壷を作ったルドストというドワーフと待ち合わせしているのだ。あれがないと、ブオーンを退治することはできんからな。それに、トルネコの死を家族に伝えねばなるまい」
「なに言ってんのよ! 勝手にまた旅に出ようなんて、許さないわよ!」
 そのときだった。
「まさか……父上ですか!?」
 まだ、高さの残る少年の声が聞こえた。
 ライアンは目を細めると、少年の顔をいとおしげに見つめた。
「その顔……一目見てわかったぞ。ポポスだな。大きくなって……あんなスライムより小さかったお前が……」
「何をおっしゃいますか。私はもう、立派な大人です」
 ポポスがむっとした顔を見せる。ライアンゆずりの芯の強そうな黒い瞳だった。
 ライアンはその黒髪をわさわさと撫でる。
「な、なにをなさる! 父上、私も行きますぞ!」
 ポポスは怒ったように顔をあげた。
「なあ、息子よ」とライアンは諭すように言った。
「確かに、お前は立派な男だ。それは、この私にはよくわかる。お前はきっと、強い男だろう。だからこそ、な」
 ライアンは部屋の奥まで歩くと、天空の盾を保管している横に立てかけていた剣を取った。
「これをお前にやろう。由緒正しいバトランド王家の剣だ。お前が、今日から国王だ」
「は? 父上は世迷言を――」
「私は血迷ってなどおらん。この闘いはな、非常に難しい。勝つことはできぬかもしれん。だが、負けるわけにもいかぬ。――そこでだ、ポポス」
 ポポスはすぐにでも反論できるよに身構えている。
 ライアンは息子の姿を目に焼き付けるようにじっと見つめながら、言葉を続けた。
「お前は、国を守れ。これが、私の自慢の息子の最大の仕事だ。闘いにおいて、攻めも大事だが守りも大事なのだ」
「ですが……」
「国を守るということは、民を守ることだ。これはお前にしかできん。お前だけの仕事だ。そして――母上を守れ。お前になら、それができる」
 マーニャはもう決心がついたようだった。
 何も言わず、ただ夫の顔を見つめている。
「ベネットもついている。ホイミンだけは、付き添いで来てもらうことになるがな。魔物の気持ちをわかる人間というのは、実に貴重だからな。来てくれるな、ホイミン?」
「ええ、ええ。もちろんですとも。私は、地の果てだろうと、地獄の先だろうとライアンさまの向かう先にならどこまでも付き合う覚悟はできております」
 頼もしいな、とライアンは微笑んだ。
「時間は一刻を争う。ホイミン。ルーラもキメラの翼も使えぬ今、ひとまずは“空飛ぶ靴”を持って来い。イムルの近くまでならあれで行けるだろう。少し北へ行けば船着場がある。海から、レイクナバへ向かうぞ。陸路はもはや信用できん」
 二人が旅立ったのはその夜のうちだった。
 暗い夜の闇へと消えていく背中を見ても、マーニャは泣かなかった。
 戦士の旅立ちを泣く妻がどこにいると言うのか。マーニャはポポスと並びながら、いつまでも夜の闇を見つめ続けた。

中書き

 十年とかかなり端折りました。手抜きですみません。しかしながら、この間のストーリーを描くとなれば、ドラクエ8も書く必要が出てくるのであえてのカットです。
 その兼ね合いでトルネコの死もカットしてしまいましたが、ブオーンとの戦いの最中で散って行ったのでしょう。彼の遺志は親友であるライアンに受け継がれている。戦士はたとえ友の死であっても、それを理由に進むことをやめるわけにはいかない。私の中のライアン像は、まさしく“戦士”です。甲冑の趣味は悪いですけども。
 その戦士の旅立ちを見守る妻。どれだけ寂しくとも、涙で見送るわけにはいかない。マーニャは強い女性だと想います。キングレオ城の一件を経ても、彼女はひたすらに自らの信念を貫き、その目標を諦めることは無かった。その強さは、息子にきっと受け継がれていることだと想います。
 その象徴が、ライアンが息子ポポスに譲ったバトランド王家の剣です。これは後のグランバニアに代々受け継がれていき、5では「パパスのつるぎ」になります。ライアンの化け物じみた強さを継いだ子孫パパスは隼の剣なしに二回攻撃を繰り出してしまうわけです。おそろしや。また、王家の紋章はそのまま5の同名アイテムに繋がります。試練の洞窟で入手できるあれですね。
 他にもベネット(初代)の登場と、失われた呪文(ルーラ、パルプンテ)や、4と5でキメラの翼の効果が違うことにも触れてみたり、色々と考えてはみたのですけども、こうやって想像するのは本当に楽しいです。こういった想像の余地を残してくれているところが、ドラクエの良さだと想います。



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