『ALICE』


 ここは不思議な国。そこへ迷い込んだ一人の子ども。
「……ここ、どこだ」
 赤いカチューシャに長い栗色の髪をなびかせ、水色の服に真っ白なエプロン。
 可愛らしい顔立ちは見るものを惹きつける。

 子どもの名はアリス。本名、有栖貴文(ありす たかふみ)。
 好奇心旺盛な少年である。
<1. by蓮未>


(アリス。君がアリスかい?)
 どこかから 声が聞こえた。周りを見ても、誰もいない。
「おかしいな。気のせいかな」
 上を見ると、見たことのない生物が アリスを見下ろしていた。
<2. byなな>


 その生き物は木の枝に尾を巻きつけ、器用に逆さまにぶら下がっていた。
「お前……誰だ?」
 その生物はニヤリと笑った。
「チェシャ猫」
 三日月のような大きな口。猫のような鋭い大きな瞳。青紫と白の縞々模様の耳と長い尾。

 まだ10歳にも満たないであろうその少年。
「ここは一体――」
 ドサッ。アリスの声は猫によってかき消された。
 猫がアリスの上に落ちてきたのだ。
「……猫も木から落ちる」
 アリスを下敷きに寝転ぶチェシャはそう呟いたのだった。
<3. by蓮未>


 チェシャねこをどかすと、アリスはきょろきょろとあたりを見回した。
 しゃべるねこ。ことわざを使いこなす猫……辺りを見ても、不思議な草木がにょきにょきと天に向かって伸びている。
 毒々しい色をした木の実も、思わず食べたくなるほどの美しい果実も、どれもいままで見たことのないものだった。

「いったいどこに来ちゃったんだろう。見たこともない世界だ。」
 そこへ、真っ黒なウサギが、やってきた。
<4. byなな>


 その黒いウサギは藍色の燕尾服を着ていた。
「君も言葉を話すの?」
 その問いに兎は答えず、アリスから距離を置き、ただただじっと見つめていた。
「あ……クロゥだ」
 ゴロンとうつ伏せになり、黒ウサギに手を振る猫。そっぽを向くウサギ。
「わぉ、そこの可愛い子ちゃん 僕と一緒にお茶しない?」
 明るい声とともに、男が木の影から姿を現した。男はアリスの手をとった。

 クリーム色のスーツと帽子。金色の髪を後ろで結っている。
 垂れ目で優しそうなその笑顔に警戒心を覚えたのは、軽薄な台詞のせいだろうか。
<5. by蓮未>


「おじさん、誰?」
「おじ……。僕まだ24歳なんだけど……」
 拗ねて地面に「へのへのもへじ」を書く男。

 アリスはその男の横にちょこんとしゃがみ、首を傾げ、
「ごめん……な?」
 と、上目遣いで言った。

 どっきゅん。男の胸が高鳴る音がした。
「いや……。それより可愛いお嬢さんの愛らしい名前を教えてくれるかな?」
「俺の名前は有栖――」
「アリス! 君にピッタリの可愛い名前だね。でも、可愛いレディが俺なんて言っちゃ駄目だゾ」
<6. by蓮未>


 にこっ。
 アリスは一層かわいらしい顔をした。
 おじさんはまた照れている。が、アリスは 急に低い声をだして、おじさんの両足をつかみ、

「俺の名前は ありす たかふみだぁーー!! お譲ちゃんじゃねーんだよーー」
 と言って、おじさんをブンブンとふりまわし、遠くへ飛ばした。

 遠くの林のほうへ、飛んでいくおじさん。
 うさぎは おびえて震えている。
「ふぅ。びっくりした」
 かわいらしい声でアリスは言った。
<7. byなな>


 ――有栖貴文(ありすたかふみ)。
 父の名である貴志と、母の名である文子から一文字ずつ頂戴し、同時に両親より、「貴く(とうとく)、文であれ(かしこくあれ)」という想いを込めてつけられたこの名前。
 大好きな名前のはず、だった。しかし、いかんせん名字がまずかった。幼稚園の頃から、馬鹿にされ続け、若干コンプレックスになりつつあるこの名字――有栖(ありす)。
 今や、齢十の少年の立派な呼称だ。

「アリスちゃん。かわいい女の子のキミには、ハートがお似合いだよ!」
 さっきの男が帰ってきた。帰ってくるなよ、とアリスはその顔を睨み付けたが、ふと男の様子が普通でないことに気づいた。白塗りの顔、おしゃれな帽子からはみ出したろくに手入れもされていないような赤毛。そして、焦点の定まらぬその瞳。
 何より、その帽子が一際この男の存在感を大きくしていた。
「あれぇ、この帽子が気に入ったのかい? これ、ぼくのお手製なんだ。いいでしょあげないよあげないあげない。ひひひ」
 帽子屋は、けたけたと哂った。それは微笑みでもなく、馬鹿笑いの類でもなく、嘲笑。まるで、アリスを馬鹿にするような、嫌な笑いだった。
 ――気が狂っている。
「アリスちゃん、今ぼくのこと気が狂ってると思ったでしょ? ひゃはは、そうさ、僕は気が狂ってるクルッテクルッテクルッテくるくるくるくるう!」
 マッドハッター。イカれた帽子屋。
 アリスは聞いたことがあった。かつて、「不思議の国のアリス」が書かれた当時のイギリスでは、神経疾患をわずらっている帽子屋さんが多く、「帽子屋=きちがい」という認識がまかり通っていたことを。
 そして、アリスは驚愕する。
 自分の名前、猫、帽子屋――ここは。

 ここはそう、不思議の国そのものであった。
<8. byよっしゅ>


 不思議の国。自分がそんなところにいるなんて、アリスには信じがたいことだった。
 だが、冷静に考えても、動物は普通しゃべらないし、こんな帽子屋はそうそういない。アリスは 一瞬わけがわからなくなった。

 が、すぐに気持ちを切り替えた。アリスは比較的楽観思考なところがある。
「ふーん。不思議の国……。普通に生きてたら、来れないよな……せっかくだから、楽しむか!」
 そうして、決心したアリスのまわりでは、チェシャ猫と黒うさぎのクロゥが踊りだした。
 おじさん(24歳)も一緒になり、3人は愉快におどっている。アリスは、なんだかおかしくなってきた。

 ダンスを楽しむかたわら、おじさんは お茶会の準備をはじめた。ハーブ・ティができあがる。
 ハーブのかおりに誘われて、森の動物たちがやってきた。動物たちは、おじさんお手製のチェリーパイをほおばる。

 アリスはおじさんに手招きされ、用意されたテーブルの前の席に、腰掛けた。
(わけがわからないけど、このお茶とケーキは、すごくおいしそうだ)
 アリスの前には、白いテーブルクロスのうえに、色とりどりのお菓子が並べられている。
「どれから食べよう。こっちのクッキーと、このレモンの香りがするお茶がいい」
 アリスが迷いながら やっとひとつまみのクッキーをほおばると……とんでもないことが、起こった。
<9. byなな>


 いきなり、おっさん(24歳)が脱ぎだしたのだ!

「ちょ、ちょっと、やめなさいって!」
 ウサギのクロゥが慌てて止めに入る。
 しかし、おっさんはエキサイトしており、「俺が脱がねば誰が脱ぐ!」などとワケのわからないことを叫ぶ。

「あんたは脱がなくていい!」
 クロゥが言うと、「じゃあ誰が脱ぐんだ!」と、アリスの方を見て、ぴたっとおっさんの動きが止まった。
「いや、僕は脱がないよ!!」
 アリスが言うと、いかにも残念そうにおっさんは舌打ちをした。
 気が狂ってる……本当に。さっきからおっさんはぎらぎらとした目で僕の方を見てくる。
 ここは何とかしないと、脱がされる……。そう思った僕は無理矢理に会話を広げた。
「……で、結局、おじ……いや、お兄さん誰?」
「聞きたい? ならば答えてしんぜよう」
 待ってましたとばかりに、おっさんは食いついてきた。
 さっきから言いたくて仕方ない様子だったもんな。こういうのって、誰かが世界観とか語らないと話が進まないもんな、と僕はひとりごちた。
 男は僕の考えなんてお構いなしに、机をばんと叩くと、椅子の上に飛び立った。
「ある時は(自称)ジェントルマンな帽子屋! またある時はお茶会が趣味のお兄さん! その実体は――、ハートの国のJ(プリンス)!! ひゃっはー!」
 思わず、目が点になる。
「ハ、ハートの国……?」
 実は『不思議の国のアリス』って、あんまり知らないんだ。さわりだけしか読んだことない。
「この世界には4つの国が存在する。ハートは愛の国。スペードは死の国。ダイヤは富の国。クラブは自然の国。君はどこの国に向かうんだろうね」
 寝転がったまま、チェシャ猫が答えてくれた。
 いやいや、どこの国に向かうんだろうねって、この前フリ、カンペキにハートの国へ誘導されてますやん。そういうストーリー展開ですやん。ハートの国へ行くフラグ立ってますやん。思わず、関西弁になる。
「ちなみに、そこの黒ウサギはスペードの国のJ(騎士)なんだよね。実は!」
 帽子屋のおっさんが第二の選択肢(ルート)を提示した。今度はスペードフラグも立っちゃった……。
「余計なこと言わないでいい」
 兎、いやクロゥはニッコリ微笑む帽子屋を、睨み付けた。
「それに、スペードの国に向かう道は、今、争いの真っ只中だ。ハートの国に行くのが一番だろう」
「そうと決まれば、すぐ出発だ! いざ行かん、ハートの国へ!」
 帽子屋がびしっと明後日の方向を指さす。
 かくして、なぜか、僕の行き先は僕の意見なしに勝手に決まったのであった。
<10. byよっしゅ>


 ハートの国とやらに向かうらしい僕は、おじさんによって、ラブリーなフリフリ・ワンピースをプレゼントされた。
 あちこちに ハート模様。白地のやわらかなレース生地。涼しげで、確かに栗色の長い髪によく似合いそうだった。
「ウフフフ♪ アリスちゃんのために、おじさん、なけなしのお金で買ったんだよ!!」
 ……おじさん、いいやつだな。ぼくは あやうく涙を流しそうになる。
 ……だがしかし。俺は 内面は、けっこうハードな趣味なんだぜ。ノリで女のような格好はしているが、普段はメンズ・ノンノ(ファッション誌)を読み、クールなモノトーンのファッションで 決めている。(10さいなのに。)
 目の前にある ピンクとレッドの愛らしいハート入りのワンピースは、(似合いそうでめまいがするが)俺の趣味じゃない。そもそもいいかげんに俺の性別に配慮してくれないのだろうか。

「アリス、かっこいい」
 うさぎのクロゥが ぼくをほめた。
 え、かっこいい?
「アリスにぴったりの白だね。超クールなワンピースだし」
 おだてられたぼくは、あっさりとワンピースを着てしまった。
 意外に、繊細な縫い目に、ゆったりとして動きやすいつくり。……うん、まあ。
「そうと決まれば、ハートの国に出発だ!!」
 ぼくは なぞの ハートだらけの馬車にのせられ、ゴトゴトと、揺られはじめた。
 森のなかを揺られていると、さわやかな風が ぼくの髪を乱した。五月に入ったばかりの風は、気持ちがいい。
 緑一面の真ん中に通る一本道。1時間以上、揺られていただろうか。森のトンネルを抜けると、でかでかとした ハートの建物が、目に入った。
「なんだここは……。ハート、ハート、ハートだらけだ!」
 そのとき、ハートの国中に聞こえるような 大きな声で、スピーカーごしの女性の歌声が聞こえた。

「あたしはクイーンー♪ ハートのクイーンー♪」
 そして、国中から、いっせいに 声が聞こえた。
『女王さま、ばんざい!!』
<11. byなな>


「お前はジャイアンか!!」
 思わず突込みが出た。
 よし、いつもの調子が出てきたぞ。

 いつもは「俺」って言っているのに、こんなひらひら(ワンピース)を着ているから、ついつい弱気に「ぼく」なんて言ってしまう。この調子だと、「私」なんて言い出すのも時間の問題よ……おっと、うっかりお嬢さん口調になってしまった!
 しかも、さっきはクロゥに「かっこいい」なんて言われてついついワンピースを着てしまったが、冷静になってみるとこれ、ぜんぜんかっこよくないじゃん。むしろ、何ていうの? これ、その……。
「私ってきれい……」
 つい、口から出てしまった。
「そうさ、アリスちゅわーん! きみはこの世界でいちばん綺麗さー! きっとハートの女王もひれ伏すよ!」
 帽子屋が吼えた。
 やかましい、と腹が立つと同時に、自分の口からさっきうっかりこぼれだした言葉に驚く。
 なんだよこれ、なんだかんだ俺、楽しんでんじゃんかよ……。
 このままではまずいぞ。下手したら将来もオネエになってしまうかもしれない。母さんや父さんに顔向けできない――
「だれがひれ伏すですってぇ!?」
 ジャイアンボイスが響き渡った。
「もういっぺん言ってみなさいよ!? あぁこら!?」
 そうわめき散らしているのは、頭ばかりが異様にでかく、小太りな、それでいて似合わない派手な赤いドレス(ハートの柄がそこかしこにあしらわれている)を着たオバサンだった。
「こ、これは失言を……」
 帽子屋が愛想笑をうすら浮かべながら、腰を折り曲げ――ると同時に、そのオバサンの左右に居た黒服のボディガード風の男たちにとび蹴りを食らわされていた。
「あんたなんてクビよ、むしろ処刑よ! いかれた帽子屋も……そこの可愛いと勘違いしているおジョウちゃんもね!!」
「勘違いしてねえよ!」
 思わず突っ込むのだが、どうせこれはスルーされるんだろうなあ、とか頭の片隅でぶつぶつ呟く俺なのであった。あと突然、一人称になったこともスルーするべきだと思うのであった。
<12. byよっしゅ>


 ジャイアンな おばさんにつきあうのも、一苦労だ。
 だが、なんか おばさん、いい感じだな。アリスは ユニークな容姿をしたおばさんを、眺めた。
 きっと原作(?)なら、俺はここでおばさんと対決になるんだろう。
 でも今の俺は、この小太りな、いまだに美意識を忘れない(?)デリケートなおばちゃんと、仲間になっておくことにした。
「まぁ、素敵なワンピース。あたし(?)のとそっくりですわ」
 どうせだから お譲ちゃん風味で行こう。
「あぁ?! 自分のほうが可愛いと言いたいのかい?」
 そうじゃなくって、とアリス。
「女王さまとおそろいだなんて、うれしいです」
 アリスの歩み寄りに、おばちゃんは 態度をかえた。
「お前、名前はなんていったかね」
「ありす、です」
「ハハハ、ありす。気に入った。あたしの城に、おいでよ。いまから、スーパーゴルフ大会をするところだからさ」
 スーパーゴルフ大会って何だろうと、アリスは思った。
「その大会に勝てば、ハートの国の一日王さま体験が、できるってわけさ」
<13. byなな>


「じゃ、じゃあ、ぼくもハーレムを作りたいので、そのスーパーゴルフ大会に出てみようかな、あひゃひゃ」
 イカれた帽子屋マッドハッターがのたまうと、女王は両脇のボディガードに合図を送った。やれ、と。

 瞬間、マッドハッターの身体が「く」の字に折れた。腹部をまともに蹴られ、そのまま壁まで吹き飛ぶ。日々厳しい鍛錬をこなし、自らの裡の弱さと闘い、それでも勝利を勝ち取り続けた強者と、ただ日がな毎日ティーを飲みながらテーブルを引っくり返しているマッドハッターとでは、あまりに違いすぎた。戦闘に関しては素人のアリスでも、いや、素人だからこそ、その歴然たる差を理解した。
 だが、現実はアリスの甘い思考を凌駕する。屈強な二人のボディガードは、壁にめり込んでいるマッドハッターに容赦なく詰め寄っていく。否、詰め寄るなど可愛いものではなかった。翔る!

「あ、あ……」
 やめて、と言おうとした。けれども、アリスの口を割って出た言葉は虚しく宙を舞うだけであった。
 その間にも、ボディガード1号は、壁にめり込んだままのマッドハッターに容赦ない蹴りを入れる。それも一度や二度ではない。マッドハッターの鳩尾を抉る。抉る抉るえぐる!
 ボディガード一号が殊更強烈の一撃を叩き込み、その反動で背後に飛んだ。ようやく終ったのだ、とアリスは思った。

「二号!」
 お前ら自身も一号と二号で呼び合っていたのかよ、と突っ込む暇などどこにもなかった。
 先程よりもずっと奥にめり込んだままになっているマッドハッター(もはや、埋もれてしまって姿が見えない)に、容赦なく突きを繰り出す。
「破ッ!」
 二号も一号もボディガードと言うだけあって、何かの格闘技をやっていたのだろう。アリスにはよく解らなかったが、それはただの正拳突きではないように思えた。
 二号は左右の拳を交互に繰り出す。一号と違って、飛び蹴りを繰り出すモーションがない分、威力は少ないのだろうがその早さは目に余るものがあった。

 ――北斗神拳。
 アリスの脳裏に一子相伝の伝説の拳法の名が過ぎった。
「オアァタタタタタタタ、オワチャァー!」
 もうやめておっさんのライフはゼロよ!
 言いたくても、声が出ない。いや、あまりのめまぐるしい展開に頭がついていかない。ただ、おっさんが死に行くのを見守るしかなかったアリスの隣に、丸い影が現れた。
「お嬢さん、私に任せなさい」
 何こいつ、タマゴがネクタイとかしちゃってるじゃん?
 その体系はまさにタマゴそのものだった。アリスは『不思議の国のアリス』を知らなかったが、こいつの存在だけは記憶の奥底から拾い上げることができた。
 こいつは――!
「ハンプティーダンプティー!」
 タマゴのおっさんは、ふっと薄笑いを浮かべると、静かに、殺戮の地へと降り立った。ひとりの生命を救うために――。
<14. byよっしゅ>


 ハンプティーダンプティーの素早さは、ほかに類を見ないものだった。
 こんなにダンディーなタマゴ(?)があっていいのか……!
 アリスたちは うっとりと彼を眺めた。
「もう大丈夫。さぁ、早速ナントカ大会とやらを、はじめなさい」
 すでにボロボロになってしまったハートのおじさんは、自身の欲望の為なのか、あっという間に元気になっていた。
「ハーレムをつくるんだ!!」
 アリスは冷ややかな目で、おじさんを眺めていた。

 女王はぷくぷくと太った体をゆらし、盛大な大会を開始した。
「さぁ、スーパーゴルフ大会のはじまりだよ!!」
「今日のボールは、だれにするかい??」
 アリスは おどろいた。
「ボール……だれって?」
 なんと、まるくされた 小さな動物たちが、ゴルフのボール候補として、並べられていた。
 おじさんもあやうくボールにされるところであった。
<15. byなな>


「ハンプティ〜ダンプティ〜フフフフーン」
 タマゴ――いや、ハンプティダンプティが鼻歌を歌いながら、地面にのびたボディガードを介抱していた。いくら、マッドハッターの命を救うためとは言え、あの闘いはアリスの目から見ても確かに一方的なものだった。

 ――虐殺。
 その一言が似合っていた。ハンプティダンプティは、小説内はおろか、地の文ですら描かれることのない早さで、玄人の挌闘家である黒服を二人倒したのだ。容赦なく、これ以上ないほどに冷酷に。
 だからこそ、ハンプティダンプティは優しかった。自らの手折った花に、再び生命の水を与えようと言うのだった。男だった。いや、漢だった。
 真に強いものは、自らより弱き者のことを尊重する。ハンプティダンプティは、自らが手がけた獲物を再び、人として、この地に舞い戻そうとしていた。
「さあ、キミ達。もう大丈夫だ。もう二度と、一方的な私刑はやめなさい。二対一とはいくら何でも卑怯というもの……うん?」
 一同の視線が、ハンプティダンプティの丸い体に注がれていた。
 女王が、「今日のボールは、だれにするかい??」と言ってから、ずっとだった。か弱く丸まった、小さな動物たちよりも、この化け物じみたタマゴのほうが良いという判断だろうか。
 帽子のおっさん(マッドハッター)が、ハンプティダンプティの肩をつかむ。ハンプティダンプティが視線をあげると、帽子屋は力強く頷いた。
 ハンプティーダンプティーは丸くされた小動物に目を見やる。その動物たちの目も、如実に語っていた。あんた、ボールになってくれよと。
「ふ……。私もこの黒服の男たち同様、罰を受ける宿命というわけか」
 誰も、止められなかった。
 誰も、声をかけられなかった。
 そこにあったのは罪を背負った、ただの悲しいタマゴだったから――。
<16. byよっしゅ>


 アリスは 顔を手でおおって泣いた。

「ダンプティーさん、おとこだわ!(だわ?)」
 うさぎとチェシャ猫も 男泣きしていた。
 夕日が あかあかと美しい。カラスが鳴く。
 ハンプティダンプティは一切のおそれも見せず、ゴルフ・クラブの前で目をつむり そのときを待っていた。
 一同の 涙声と尊敬のまなざしがたまごに注がれる。

 ぱかーん!
 ぴきっ。
 ぱちゃ。

 女王が ナイス・ショットを決めた。こりゃあ いい軌道…と思ったのも束の間、あたりまえだが、たまごは割れた。
 ……おとこの中身は、つややかな黄色だった……。
<17. byなな>


 ハンプティー・ダンプティーという男(タマゴ)が、最後まで誰かを守り抜いたこと。
 おびえることなく、ただ、人のために役立ち、割れていったこと。
 それを忘れるものは、誰一人として、いなかった――。

「なんだね、あのボールは。ぜんぜん飛ばないし、1ショットでこわれたじゃないか。ほらほら、次は どのボールだい?」
 女王はぷりぷりとして言い放った。
 バン! アリスは 近くの柱をへし折った。意外に、力持ちだったらしい。
「……ボールですって? あれは、立派なひとりの人間よ! いくら女王様でも、許せない!! あやまって!!」
 女王は フン、と小さくいい、アリスを見下ろした。
「おまえさん、誰に向かって口をきいているのかね?」
 アリスは かまわず 続けた。
「あんたが、ボールになればいいんだわ!! もっとも、あまりに大きすぎて、クラブが 壊れると思うけどね!!」
 アリスの目には怒りの色が見えた。
 たった1シーンで散ったハンプティーのことを、アリスは本当に気にいっていたのだ。

 次の瞬間、女王の体におそろしいなにかが湧き出した。
「よくも、よくも、あたしに向かって!!」
 女王の目は真っ赤になっていた。
 あたりには風が起こり、あらゆる木々がふきとんでいった。
「戦争だよ! 裁判だよ!! アリスの首を、ひっとらえろ!! スーパーゴルフ大会の、ルールをかえるよ!! アリスをつかまえたやつが、一日王様体験ができる!!」

 アリスは、いきなり、全員に追われる身になった。
<18. byなな>


(どうしよう……私、言っちゃったわ……それに、あれ? 女言葉になってる?)

「どうしたんだよ、おれ! しっかりしろよ!」
 アリスはそう言うと、自らの頬を叩き、自分の性別を思い出させる。もしかしたら、血迷っているのは、このひらひらのワンピースのせいかもしれない。誰だよ、こんなの似合うって言ったの。
「お嬢さん。いくら混乱しているとは言え、レディがそのような粗暴な言葉遣いはいけませんな」
 聞き覚えのある、声だった。
 黄色い血塊を撒きながら、けれども男は立ち上がった。そう。この男はいつもそうだった。やられてもやられても――否、わられてもわられても、この地に舞い戻ってきた。
 ハンプティダンプティ。心優しき悪魔。弱き者の味方。正義の化身。突撃となりの晩御飯。
「ここは、私が何とかしよう。キミは、そこの帽子屋たちを連れて、逃げるんだ。いくらハートの国のJ(ジャック)とは言え、もはや、これは下克上とみなされ、彼も処刑されるだろう」
 今まで少し他人事のように、「ゴルフに勝てばハーレムーふふふーん」と歌っていたマッドハッターが、ぴたりと動きを止めた。
「え。まじで?」
「まじで」
 ハンプティダンプティがオウム返しに言うと、マッドハッターはしばし思案する。
 ゴルフに勝てば、女性だらけのハーレムも思いのままだった――そう、“だった”。今は違う。今は、追われる身である。今ハンプティダンプティの言うことを聞けば、ハーレムは無理でも、少なくとも、アリスの命の恩人ということであんなことやこんなこと、そんなことこんなことむふふふふ、も思いのままである。
「あんなコといいな! できたらいいな! ハァハァ。あんなことこんなこと……やりたーい! アリスちゅわーんとぉおお!」
 これと決めたマッドハッターは早かった。
「ちょ、ちょっと! マッドハッター!?」
 アリスを強引におんぶする。
「おほほーやくとくぅうう! って、あれ、思いのほか、っていうか予想通りというか、あんまり胸ないんだね。ざんねーん」
 男のアリスの性別をまだ勘違いしたまま、マッドハッターは両足を踏ん張り、踏み込む姿勢をとる。いつでも駆けられるように。
「しかし……タマゴさんが頑張ってくれているとは言え、ぼく一人でいけるかなー。女王おっかないもんなー。ぼく、所詮はJ(ジャック)だし。まじ弱ぇし」
 いじけていると、マッドハッターの脇を固めるように、二つの黒い影が並んだ。女王のボディガードの黒服(一号・二号)である。
 この二人の見分け方をアリスは気づいた。オールパックにサングラス、黒いスーツ。共通点しかないように思えたが、違う。
 一号は、オールパックに一房の髪の毛がたれており、二号は二本だった。ちなみに、違いとはそれくらいである。
「俺たちは、ハンプティのアニキに借りがある。お前たちを逃がす手伝いをしてやる。そして、絶世の美少女アリス様のボディガードを今後も続けて行き、あわよくば結婚したい」
「ちょっと待てよ、何どさくさにまぎれてプロポーズしてんだよ、べらんめえ! 抜け駆けはゆるさねえぞ、アニキ! 俺だって、アリスちゃんのこと狙ってんだからな!」
 いきなり告白した一号に、二号が怒鳴る。
 アリスは、またも現れたあほな旅の仲間に、吐息を漏らした。もう、どうでもいいや。

 しかし、どうでもよくない。
 ハンプティダンプティがハートの兵士たちを食い止める間に、アリスたちはどこか遠くへ逃げなければならない。
「てやんでい。あいつらはトランプと一緒さ。数に限りがある。だから、たいした数じゃあない」
 一号と二号がなぜか、江戸っ子気質なのは置いておいて、アリスは頭の中でカウントした。
 J(ジャック)は、帽子屋ことマッドハッター。そして、一号がA(エース)、二号は2。トランプは全部で13枚だから、残る敵は10人で、Q(クイーン)は、あのでぶのおばさんだから、残り9人。何とかなりそうな気がしてきた。
「アリスちゃん。ところがそうはいかねえんだよ。てやんでい」
「そうだ、一号の言うとおりだぜ、べらんめい」
 一号と二号は、冷や汗を流す。
「クイーンは口は悪いが、強くはない。真に恐ろしいのは……K(キング)!!」
 一号と二号が口をそろえてその名を口にした途端、身の毛もよだつ咆哮が空気を切り裂いた――。
<19. byよっしゅ>


 おどろいて、その鳴き声のような、ほえた様な声のするほうに、目をやる。
 でかくて、でかくて、この世のものとは、思えなかった。
 クマ? ……クマを、何十匹用意したら、この生物と同じ体積になるのだろうか。
 目がギランギランに光り、体は茶色い不気味な毛でおおわれている。あきらかに、これは、強い。

 しかし。残念なことに、全体像は、この世のものとは思えないくらいに――キュートだった。
 ディ○ニーキャラクターにまざっても大丈夫なほどの、愛らしいフォルム。おそろしいそのいでたちの割に、ときどき、決めポーズをしている。かわいい……。

 ただ、でかいだけで。さっきから50本以上、大木をなぎたおすほどの、力持ちな、だけで。
「キングの飼いクマだ」
 1号が言った。
 聞けば、キングはこいつの何十倍も、強いという。
 ……ここの全員をまとめてかかっても、このクマにすら敵わないと、思われた。
<20. byなな>


「あらよっと」
 まるで居酒屋でちょっとトイレに立つような軽さで、帽子屋が、クマにかかと落しを喰らわせる。クマの飛ぶが地面を向く。
「てやんでい!」
「べらんめい!」
 一号の蹴りがクマの腹部を、二号の蹴りが頚部を貫く。
 弱かった。クマはかなり弱かった。見た目だけだった。愛らしいポーズを取っている理由も、わかる気がした。
「え、ええー!?」
 事態が飲み込めていないのは、アリスだけであった。
「ふ、おじょうちゃん。そのクマはハートの10だよ。この世界の理を知らないようだから教えてあげよう」
 一号がニヒルな笑みを浮かべ、おいしいところを取ろうと説明し始める。
「ちょっと、アニキずるいぜ! そこは俺が説明するんでい!」
「いや、僕が!」
 マッドハッターも加わる。
 あーだこーだ、ぎゃーぎゃー、わめき始める三人。もはや、何を説明しているかわからない。みな、アリスの株を上げようと必死で、これでもかと言うほどカオスだった。
 しかし、アリスは懸命に聞き耳を立て、三人の話を要約した。
 おおよそ、以下のようなことがわかった。

 この不思議な世界「ワンダーランド」には、四つの国が存在している。ハート、スペード、クラブ、ダイヤ。
 そして、一つの国の住人は十三人しかいない。つまり、トランプと同じ数である。その国の中での力関係だけがちょっと特殊で、「K・Q・J・A・2・3・4・5・6・7・8・9・10」という順番になっているらしく、今のクマは実は10だった。つまり、最弱であった。(そりゃあ、キングはクマの十倍も強いわけである。)
 どの国も、Kは力に秀でており、Qは頭脳に秀でている。そして、この二者の結びつきが強いほど、その国は強くなる。

「へえ、じゃあ、ハートのJのマッドハッターって実は強かったんだ」
 ぽつり、とアリスがこぼすと、待ってました、とばかりにマッドハッターが顔を輝かせ、妙なステップを踏んでダンスを踊り始める。
「そうだよ、ぼくはこの黒服たちより強いのさ!」
「でも負けてたじゃん。ぼこぼこに」
 アリスが言うと、マッドハッターは涙をこぼしながら訴えた。
「違うんだ、あれは! 要するに足し算なんだ! この二人の合計だと、ぼくの数字を上回る! 1対2だと、上位も下位に劣るってものだよ!」
「言い訳は見苦しいぞ、てやんでい」
「そうだぜ、べらんめえ」
 黒服の二人が割って入る。そして、また喧嘩が勃発する。
「なんだよ、お前らぼくより弱いくせにこのあほう!」
「あほって言った! あほって言った!」
「あほって言うほうがあほなんだぜ、知らないのかよ、べらんめ!」
「あほがあほにあほって言って何が悪い、あ。あれ? ぼくはあほじゃないよ!」

 タマゴが吼えた。
「お前ら、はやく逃げろっつってんだろ!!」
 全身にひびを走らせ、黄色い血反吐を吐きながら、白い脳髄をぶちまけながら。それでも、タマゴはみなを庇っていた。
 ふと、その背に、ダイヤのマークとKという文字が見えた。
「ハンプティさん、ダイヤのキングだったの?」
 アリスが問うと、一同は驚愕の声をあげた。
 しかし、それに慢心することなく、ハンプティは言う。
「考えてみればわかる話だろう。この世界に存在する者は、すべて、トランプの役を負ってるんだ」
 それに、とハンプティは遠い目をして言う。
「……昔の話さ。ダイヤの国は、スペードに滅ぼされて最早ありなどしない。今、このワンダーランドは狂っている。昔はみんな仲良くやってたじゃないか。なあ、そうだろう。ハートの騎士よ」
 マッドハッターが目元に涙をためている。
「こんなことになったのも、あいつが、“ジョーカーのプリンス”が出てきたからだ。あいつは、この世界を滅ぼすつもりに違いない。国同士を争わせ、仲間割れさせてるんだ。ハートの国を見てみな。国の中でさえ、争っている」
 ボールにされた動物たちをよく見ると、彼らにもハートのマークと数字が入っていた。
「たった、13人の家族なんだぜ。それがこうなって、どうするんだ。ハートのキングももう正気じゃないだろう。だから、俺がここで食い止める。お前達は早く行くんだ」
「ハンプティ……」
 先程繰り返された、涙の別れをなぜかまた繰り広げながら、ハンプティは背を向けた。
「亡国の王は、ただ歴史の闇に埋もれて行くのさ……。お前達は世界を救ってくれ。俺の遺志を継ぎ、四人の騎士を探してくれ」
 マッドハッターも一号も二号ももう、ふざけなかった。わんわん泣き出した。あまりに騒がしく、ハンプティのちょっといいセリフがほとんど聞こえない。台無しである。しかし、アリスはハンプティが最後にアリスに向かって言った言葉を、しかと聞き取った。忘れてはならない、大事なキーワードだと思った。
「さあ、行くんだ」
 ハンプティが四人の背中を押した。力強く、そして、あたたかかった。
 今度こそ、ハートの国から、全力で駆け出した。行く当てなど、ない。しかし、走り続けた。ハンプティはきっと、ハートのキングと相打ちするつもりだろう。国王クラスが全力でぶつかると、どうなるかは誰にもわからなかった。

「なあ、アリスちゃん。ダイヤのキング……いや、ハンプティさんは最後にこう言ってたよな」
 四人の騎士を探せ、と。
 それが、この世界を救う鍵になると。
「あれって、たぶん、各国のJ(ジャック)のことだと思うんだよ。スペードの国のクロゥはともかく、ぼくがそんな大役とは、ちょっと自信がないんだけど」
 ふざけていたマッドハッターはもういない。
 滅び行く自国を見つめながら、あがる火の手を睨みながら、マッドハッターは言った。だから――。

「だから、ぼくと結婚してよ、アリスちゅわーん!」
 すかさず一号と二号に蹴り飛ばされ、撃沈するマッドハッターであった。
 アリスはマッドハッターのことは忘れて、この三人が聞いていないであろうハンプティの最後の一言を考えていた。

 ――君がこの世界を救うんだ。ジョーカーの、プリンセスよ。
 この世界に居る者はみな、何らかのカードの役を負う。ならば、アリスも当然、そうであると考えるべきなのだろうが、異世界からやってきたアリスには自分の役目がわからなかった。イレギュラーな存在。それを、あのタマゴは「ジョーカーのプリンセス」と称したのだろうか。
 そもそも、ジョーカーは二枚あるものだしな、とアリスは考え、ふと気づいた。敵はジョーカーのプリンス。で、自分は、ジョーカーのプリンセス。

「……ここでも、女扱いかよ」
 アリスの一言は、後ろで喧嘩しているバカ三人の喧騒にまぎれて、宙へと消えて行くのであった。


 ――『ALICE』、完。
<21. byよっしゅ>


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