『ノンストップマイハニー』
只今、彼女とデート中。なんてことのない日曜日。
それでも愛しい彼女といられるだけで、俺の日常はバラ色だ。ああ、俺はなんて幸せ者なんだ。
「ねぇねぇ怜くん知ってる?」
華やかな笑顔を俺に向ける彼女、里香。
ああ、俺はなんて幸せ者なんだ。
「あのね、ブラインドウォークって知ってる?」
ああ、俺はなんて幸せもの……え?
「今度体験があるんだってー」
嬉々として、それはそれは楽しそうに語り出すマイハニー、里香。
しかしなぜデート中にブラインドウォーク?
「やってみたいねー」
にこにこにこにこ。うん、可愛い。
……ではなくて。
「……なんでやってみたいんだ?」
「え? 何が?」
「いやだから……、ブラインドウォーク」
とりあえず話が見えないので理由を聞いてみる俺。
すると里香は真剣な表情になった。うん、可愛い。
……ではなくて。
「ブラインドウォークを考えた人って偉いと思う」
「え、なんで?」
「目の不自由な人の気持ちを理解する機会を設けるなんて、すごくいい心掛けだと思うから」
「……、そうだな……」
ああ、俺の彼女はなんて優しいんだ。
ぶっちゃけ今の俺も目が不自由な人だ。里香以外見えねぇし。
こんな素敵な彼女を持てるなんて……。ああ、俺はなんて幸せもの……って、おい。
「だから一緒に練習しようよ!」
「…………何を?」
「ブラインドウォークを」
…………。
そろそろ一番大事なことを記述しよう。
俺の彼女は可愛くて優しくてユーモアがあって気配り上手で、誰にでも自慢できる超素敵な彼女だ。
しかし。だがしかし。……天然である。
そのボケ、大山を土砂崩れさせんが如し。その思考、大海を干上がらせんが如し。
予備知識がなかった読者の皆様はさぞ驚いたことだろう。ここまでそういった記述は一切なかったのだから。
すいません、わざとです。
「前が見えないのにスタスタ歩けたらかっこいいよね! ハンドパワーみたいな!」
里香、俺の頭が悪いのだろうか、いくつかさっぱり理解できない。
まずハンドパワーは使い方がおかしいけど、それって俺の気のせいだろうか。ていうかなぜブラインドウォークをうまくやる必要があるのだろうか。そもそも目の不自由な人の苦労を知る機会ではなかったのか。つーかなんでそれがかっこいいんだ。目をつむってスタスタ歩いてる人間がいたらそいつはかっこいいか? 里香にしてみればかっこいいのか? もしかして俺よりかっこいいのか。……泣くぞこのやろー。
「ねぇだから怜、一緒に練習しようよ!」
にこにこにこにこ。
うん、可愛い。……ではなくて。
……誰か。…………誰か!
「一緒にブラインドウォークしよう、怜!」
誰かこいつを止めてくれ!!
そんな風に、俺は市街地の中心で哀を叫ぶ。
<1. by瑠華>
里香はにっこり笑うと、俺の手を引っ張った。
「そうと決まれば早く行こう」
いや、まったく決まっていない。これっぽっちも。
しかし、里香は戸惑う俺に構わず、手を掴む。手、繋いじゃった――。力強く握られた手が火照る。思わず、頬も火照る。俺の、大好きな子の体温が肌を通して伝わってくる。
だから、聞けなかった。どこに行くのか。
「もうね、昨日から実は準備もしてたんだ!」
そう言って、里香はぐんぐんと足を進める。もしやこの方向は――!
電車を降り、ショッピングモールのある駅前を離れて向かう先は、里香の家。今日はもしかして、ハッピーデイなのか! 大人の階段を駆け上っちゃうのか!?
俺の頭の中では妄想も進む。ぐんぐん進む。里香の家を目指す足も進む。
――今日ね、親、いないんだ……。
――実はもう、心の準備できてるの。
――ずっとずっと前からこうなりたかった。
――あなたのことを、一万年と二千年前から愛してる!
エスカレートしつつある妄想は、里香の家に入り、部屋に入ってもまだ続く。続くったら続く。
「まずはこれを見て」
そう言われて、目をやると、どでかいスクリーンがあった。これって、映写機? ホームシアターってやつ?
俺が疑問を抱いてるのを横に、里香はなにやらセットされていたDVDを再生した。
画面に映し出されたのは――『This is it』。
故マイケルジャクソンだった。
「あの、里香? これって――」
「いいから黙りなさい」
ぴしゃりと遮り、里香のあまりの剣幕に、俺は仕方なくスクリーンに専念した。
軽快なリズムで、マイケルジャクソンが現れる。マイケルがひらりと身を翻すたびに、里香は「わーお!」だとか「エクセレント!」だの何だかんだ歓声をあげる。
「あの、里香――」
「だまれ」
はい、と俺は言葉を飲んだ。俺たち、今日、デートじゃなかったの? 会話ないっすよ?
「いよいよ来るわ。来るわよ。ブラインドウォークが!」
マイケルジャクソンは赤の革ジャンを羽織り、黒のサングラスをかけている。それがまたかっこいい。かっこいいのは認めよう。だけど、今日って俺たちデートじゃん?
「見るのよ、怜!」
いじけて、俯いていた俺の顔を、里香がぐいっと上にあげる。
スクリーンのマイケルは、おもむろに背中を向け――足を交互に滑らし、前に歩いているように見せながら、後ろに滑るようにと歩き出した。これは――!
「ブラインドウォークよ!」
ちゃ、ちゃう! それはムーンウォークや!
思わず関西弁でつっこうもうとしたが、興奮状態の里香に茶々を入れると、色々とまずいような気がした。二人の今後とか、俺の命とか、そりゃあもういろいろ。
確かに、マイケルジャクソンは黒いサングラスをしている。百歩譲って、盲人用のメガネに……見えないよね、やっぱ。
里香はまだ興奮冷めやらぬ様子で、「ブラインドウォーク、ブラボー!」と叫び続けている。俺はもう、何も言えなかった。これは、ムーンウォークというストリートダンスの技法だなんて、言えなかった。それに、言っても理解してもらえるとは思えなかった。
何より――僕は、里香を理解できそうもなかった。アンインストールアンインストール。今の僕には理解できない。
<2. byよっしゅ>
――ブラインドウォーク。
目隠しをして、他の人に補助してもらいながらある決まったコースを歩き、目の不自由な人たちが日常でどれ程苦労し、怖い思いをしているのかを身をもって知るための方法。
――ムーンウォーク。
ストリートダンス等のジャンルで用いられるダンス技法。前を歩いているように見せながら後ろに滑るこの技法は、元来バックスライドと呼ばれており、これをムーンウォークと名付けたのは我らがマイケル・ジャクソンである。
――天然。
言動が常識から少々ずれており、しかも自分が何をしているのかはよく理解しているものの、それが周囲の一般的観点から少しばかりずれていることに気がついていない人。その言動によって周囲が困惑しても、悪意が無いのと実質的な被害がほとんど発生しないのとで、基本的には否定的な意味ではなく、むしろ「幼さ」を連想させる「かわいらしさ」や「笑い」の要素と捉えられることが多い。
……とまぁここまでの重要ワードを辞書的な感じで記載してみた。(By.Wiki Pedia)
俺の少ない知識を補強してくれてありがとう。
さて、俺のお粗末な知識をやや補強してもらったところでまず考えること。
そう。なぜ里香はブラインドウォークとムーンウォークをイコールで結びつけ、しかも俺を放置プレイ状態(恋愛的な意味で)にしているのか。ていうか、
「怜!! 全然違う!! 全っっっっ然違う!!!!」
なぜ彼氏である俺(文芸部)に目隠しをした上でムーンウォーク(のようなもの)をさせ、なおかつダメ出ししているのだろうか。(in 近所の公園)
しかし、もうやるしかあるまい。
まぁ究極的にはどうでもいいのだ。どんな大変な勘違いをしていても里香は可愛いし。Wiki Pediaさんだって天然は「かわいらしさ」と捉えられること多しとか保証してるし。
それに、里香がこの二つを同一のものであると考えたところで、俺が彼女を愛しているという事実が変わるわけではないし、彼女が俺のことを愛してくれているということにもなんら変わりはないのだから。
しかし。
だがしかし。
そのせいでデートはおろか、恋人らしい会話すら交わせないというのはいかがなものか。
ブラインドウォークという名のムーンウォークを(しかも目隠しして)練習したくて仕方がない彼女は(まぁ練習してるのは俺なんだけどね、しかもスパルタで)、ここ数日というもの俺を巻き込んで毎日をエンジョイしている。
毎日会えるのはいい。とてもいい。非常にいいとも。
だけどやっぱりムーンウォークって……なんて、考えてしまうのは俺の我儘だろうか。
否。
思春期男児ならばそう考えるのは当然だと俺は考える!
好きな子が幸せならそれでいいとか言い出した奴は今すぐ挙手!
綺麗事ぬかしてんじゃねーぞこのやろー! 俺だって幸せを感じたいに決まってんだろうがぁあああああ!!!
……乱文失礼しました。
だけど俺も里香といちゃいちゃしたい――いや、愛を確かめ合いたいわけで!!
だったらその根源であるムーインドウォーク(仮称)をどうにかしてやろうじゃないか!!
里香の視線をマイケルではなく俺に向けさせるためには常識もモラルも構ってられるか!!
……あ、いや、モラルはダメだね、大事だよモラルは。モラルがない男は嫌われちゃうからね、今世の中の流行りは草食系男子だからねコレ。
まぁともかく。
そんなこんなでムーインドウォーク(仮称)の発生の理由から突き止めてやろうじゃないか。
どうして俺(目隠し中)が里香(暴走中)に怒られているのか、理由を突き止めてやろうじゃないか。
俺は絶対、里香を振り返らせてみせる!!!!(もう恋人だけど)
そんな風に、俺は目隠しをして、なんか足をくにゃくにゃさせながら、男として、いやさ漢として! 一大決心をするのだった。
<3. by瑠華>
――ムーインドウォーク。
ムーインドウォークとは、日本の某女子により提唱されたスポーツである。千年後にはオリンピックの正式種目になっているかもしれない。
元々の由来は、目隠しをして、他の人に補助してもらいながらある決まったコースを歩き、目の不自由な人たちが日常でどれ程苦労し、怖い思いをしているのかを身をもって知るブラインドウォークを、マイケルジャクソンで有名な前を歩いているように見せながら後ろに滑るムーンウォークと勘違いしたことに起因する。
おそらく、某女子は、マイケルジャクソンのサングラスを盲人用のそれと勘違いし、後ろ向きに歩いている様から目で見ずに歩いている状態(ブラインドネス)と誤認したのだろう。
*
そんな感じで、Wiki Pediaに追加したら、即日削除された。なんだってんだ、ばかやろう。
ここ数日ずっとハードな練習を続けていた俺は「そもそもなんでこんなことせなあかんねん」と、寝る前に枕をぬらして泣いていた。ベッドでごろごろしながら、里香の思考をシミュレートした結果、辿り着いた推理が上記の通りである。だけど、Wiki Pediaからも削除されたことからもわかるとおり、全然、これっぽっちも、誰にも認められていない。
ちょっと、ついでにインターネットで検索してみたが、やっぱり、里香が言っていた「ブラインドウォーク」は実際に我が町で開催されるようで、里香が単純に勘違いしていることは容易に導き出された。
このままではまずい。
みんな、普通にブラインドウォークをしている横で、俺と里香だけがムーンウォークをしながらブラインドウォークもするという離れ業をやってのけないといけないことになる。それだけは絶対に阻止せねば、いくらなんでも周囲の人々の眼が痛すぎる。
明日こそは里香に言おう、と思った。きみって間違ってるよ、と。そして、俺が正しい道に戻してやらねばなるまい。
だけど。
いつも、練習が終わった後に、里香は言う。
「大会まであと少しだね! ぜったい、優勝しようね!」
ブラインドウォーク、今回うちの町で開催されるそれは大会でもなんでもない。だから、練習なんて積まなくていいのである。だけど、練習をしないとなると……里香と会う回数が少なくなるような気がした。
……それはいただけない。
優勝なんてものはないにしても、もしこの新たなブラインドウォークが認められたら、町の人たちから称賛されたら! 「怜あなたってやっぱりすてき! 抱いて!」なんて風にもなりかねないじゃないか!
「よし、里香! 俺たちでぜったい優勝しような!!」
ベッドの上でひとり握りこぶしを作る俺なのであった。
もうちょっと、里香の勘違いに付き合ってみようと思うのであった。
<4. byよっしゅ>
人は俺たちのことをこう呼ぶ。天然バカップル、と。
注意していただきたいのは、ここでのバカップルの意味は「あん、もう怜ったら素敵〜、私の一生を捧げるわ☆」「HAHAHA☆一生君のことを背負って俺は生きていくよ☆」 いちゃいちゃいちゃいちゃ。けっ、バカップルが。
……というような意味合いではなく。
「ブラインドウォークで大会優勝しようね!」「うん、そうだね! 正確にはムーインドウォークだけど!(後半早口小声)」 ふわふわほわ〜ん。え、なにあれ、周りにお花畑が広がってね? なんかチョウチョとか飛んでね? え? バカですか? バカなんですか? バカだよね?
……このような意味合いである、ということだ。
当初ツッコミというポジションに位置していたはず俺は、いまや見事に天然ダブルボケの相方として、毎日ムーインドウォーク(前話、前々話参照)に励んでいた。
今の俺たちは笑い飯にも負けない自信がある。いっそM-1に出てやろうか。もはやそれぐらいの勢いで俺は里香と共に暴走しているのである。
周りがなんと言おうともう知ったことか。俺は里香が幸せならそれでいい!(矛盾とか言うな)ついでにそのまま俺も幸せ道まっしぐらになるといい!(不純とか言うな)
とにもかくにも、やっぱりここは練習である。ひたすら練習なのである。
見てろよ運動部員ども! 文系だってやればできるんだぜ! ムーインドウォークとか!!
「怜、すごく上手になったね〜」
今日も今日とて目隠しをしてムーインドウォークに励む俺に、里香が突然そう言った。
……。
……え、うそ。まじでか。
「え……、本気で言ってるのか、里香……?」
「大会かけてるのに嘘言うわけないじゃない!」
……や、ややややや…………
「やったぁあああああああああああああ!!!」
あまりに嬉しくて思わず歓声を上げる俺。大会なんてないけどね! というツッコミすら放棄する俺。しかしあまり俺を痛い目で見ないでやってほしい。
なにしろずっと練習してきたのだ。なにしろずっと里香に怒られてきたのだ。なにしろずっと里香との恋人っぽいあんな事こんな事もしかするとそんな事、あれ、どんな事? ……まぁそういった感じの事も我慢してきたのだ。
それを愛しい彼女に褒められたら嬉しいに決まってるじゃないか!
この際、見た目不審者だって構うものか! 通報されたって構うものか! いや通報は困るけどねさすがに!
「大会まであと少しだね怜! がんばろうね!!」
「おう!」
もはやどうでも良くなってきた。これが天然ワールドの魔の世界なのか。
なんだか未知の世界への扉を開いてしまったような気がしたが、まぁ里香が可愛いので今の俺には関係ない。
読者の皆様ごめんなさい。もう俺はツッコミではありません。
でも、なんていうか、こう……、生温い目で見てくだされば。
<5. by瑠華>
――別視点。
そんなバカップルを文字通り、見つめている男女がいた。
「どうよ、翔。あのふたり。バカらしくなくって? あんな実力で、大会に出ようなんて、そもそも間違ってるわよ」
「……」
翔と呼ばれた男は壁に背を預けたまま、無言で腕を組んだまま、練習にいそしむバカップルを睨みつけている。
「ちょっと、翔。どうしたって言うのよ。私たちなら楽勝じゃない?」
「麗華。油断は禁物だと、散々言っただろう」
「何よ、弱気になっちゃってさ。うちの学校のエースの貴方がそんなんでどうするのよ」
「ふっ。弱気になんか、なってないさ。ただな、ほとんどのやつがブラインドウォークがただの体験イベントだと思い込んでいる中……あいつらは俺たちと同じように……」
翔はそう言うと、ポケットからサングラスを取り出し瞬時に装着すると、さっと背中を向けポーズを決めた。
「マジになっている!」
言うやいなや、翔はマイケルジャクソンのテーマを口ずさみ踊りだした。
「ちゃらっちゃーちゃーわぉ!」
「出たわ! ニューヨーク帰りの翔の伝説のブラインドウォークが! これに叶うジャップなんてそうそういないわ!」
無論、対戦相手がいないだけである。
「ふっ、田舎者の高校生、里香と怜か……もうしばらく、そうやって無駄な努力をしているがいいさ」
翔はそう言うと、麗華を抱き寄せた。
「麗華。俺たちが必ず勝つ。三日後、あいつらがどれだけ成長したか見に来てやろう。そのとき、ある程度の実力が伴っていたそのときには……」
「そのときには?」
抱き寄せられた麗華が瞳をうるうるさせながら、言う。
「挨拶もかねて……改めて宣戦布告してやるさ。この、日本のマイケルジャクソンこと、柏木 翔(かしわぎ しょう)様がな」
きらーん、と白い歯を見せる翔。
それを見て、うっとりする麗華。
「翔、あん、もう素敵〜、私の一生を捧げるわ☆」
「HAHAHA☆ 一生君のことを背負って俺は生きていくよ☆」
そう言って、翔と麗華はいちゃいちゃ、ちゅっちゅし始めた。
ムーインドウォークは、穏やかには終らない予感がしていた――。
<6. byよっしゅ>
大きくなったらなにになりたい?
宇宙飛行士! パイロット! ケーキ屋さん! お花屋さん!
日本の子供たちは夢がいっぱいである。俺は里香と一緒にムーインドウォークの練習のため、いつもの公園に向かいながら、道すがらすれ違った幼稚園生たちを目にしてそんなことを思う。
しかし。俺の隣にいるこの愛しい彼女には叶わない。
俺は知っている。里香のお母様に聞いて知っている。子供の頃の里香の夢を。
大きくなったらなにになりたい?
ポスト!(即答)
…………。
……、え、ポストってあれ? なんかほら、赤いやつ……、手紙を出すときに入れるみたいな……、郵便局の人だけが中身を見ることができる的な……、ていうか……、無機物、みたいな…………。
あああああああああなんて可愛いんだろうか!!!!
もうこんな可愛らしすぎる彼女のためだったらなんだってやる気になるよね!
新しい競技にだって挑戦してやるさ! むしろこの競技をきっかけに里香との絆を深めてやる! マイケル・ジャクソン万歳!
「びーてぃーっ、びーてぃーっ!」
「きゃぁああ、もう翔ったら素敵!!!」
様々な名曲を残してくれてありがとうマイケル!
「じゃすっ、びーてぃっ、じゃす、びーてぃっ!」
「んもう、どこまで私を虜にすれば気が済むのよぅ!!」
……ムーンウォークを生み出してくれてありがとうマイケル!
「びーてぃ、びーてぃ、びーてぃ、びーてぃっ!」
「ああ、翔……、一生どこまでも、地獄の果てにだってついて行くわ……!」
…………。
……さっきからマイケル・ジャクソンの名曲、『Beat It』が聞こえてくるのは気のせいだろうか。できれば気のせいだと思いたい。そのあとになんかノロケっぽいものが聞こえてくるのも空耳であると信じたい。
ほら、なんかあれだよ、男の方はたぶんB定食が食べたくて、それに女の方が超乗り気であるとか、そんな話だよきっと……
「あ、マイケルのBeat Itだー!」
、……いや、あの、里香。
君がそんな発言をしてしまうと気のせいだったことにできないというかなんというか……
「カップルさんかなー?」
俺の困惑をよそに、俺たちとは別のベクトルを向いたバカップルに興味津々な里香。
というか、あれがカップルでないのならなんだというんだ。親戚か? 親戚なのか? ……だとしたら嫌だ。もの凄く嫌だ。むしろバカップルであってほしい、いやマジでお願いしますよちょっと。
「麗華、俺こそ一生君を離さない……、いつまでも俺だけのものでいてくれ……」
「もちろんよ翔……、私にはあなた以外考えられないもの…………」
いちゃいちゃいちゃいちゃ。
けっ。バカップルが。……あんま人の事言えないけど。
「ラブラブだね〜」
にこにこと里香が言う。
うん、可愛い。……ではなくて。
あんないちゃつきっぷりを見ても平気なら、むしろ俺ともそのぐらいいちゃついてほしいっつーか……、ごほんごほん。
……しかしなんてことだ。
天然ワールドの世界に足を踏み入れてまだほんの2日だというのに、あっというまにつっこみポジションに戻ってしまった。
いや、ムーインドウォークは優勝する気満々だけども。
でもよく考えたらツッコミって俺の大切なアイデンティティだよね、よかった、取り戻せて。
俺たちの存在には一切気が付かず、公然といちゃいちゃしながら遠ざかっていくバカップルを見送る。
俺は、このバカップルと俺たち二人に妙な因縁が生じていたことには当然気が付かず、ただただ、自分のアイデンティティの心配をするばかりなのだった。
<7. by瑠華>
柏木 翔――ニューヨークのダンスシーンの最前線に立ち続け、そのダンスの一挙一動は観る者を例外なく魅了し、その美貌は男女関わらずあらゆる者を虜にした。
天は二物を与えず。その言葉は、翔には当てはまらなかった。
「翔! ステキィー!」
「ふっ。俺にかかれば、どんな強敵さえ……」
そこで翔は動きをピタッと止めた。しばしの、静寂。
「イチコロさ!」
ビシッと明後日の方を指さし、翔は白い歯を見せる。それを見た麗華が黄色い悲鳴をあげる。
ここ数日、いつもの光景だった。
「あの、失礼ですが……」
そんな二人の猛特訓に割って入ったのが、白髪の初老の男。
「何よ、爺」
いかにも執事然とした男は、恭しく麗華に頭を下げる。
「神代 怜(かみしろ れい)、月岡 里香(つきおか りか)の両名の実力が……大会に参加できるだけにはなったと、監視の者より連絡がありました」
その言葉に、ぴくりと、翔は眉根をあげる。
「ふん。イナカ者のくせにやるじゃない」
ばさっと髪をかき上げると、麗華は羽織っていたストールを投げ捨てた。
同時に背を向け、“あの”ポーズをとる。
「神宮寺 麗華(じんぐうじ れいか)をどうやら見くびっているようね」
見くびっているも何も、相手は麗華たちのことなど相手にしていないが、お構いなしに彼女は続ける。
「私だって、翔のパートナーよ。これがチーム戦だってこと、あの二人は気づいているのかしら? 相性が大事なのよ! 愛情表現もろくにできない、お子様カップルが、私たちに敵うはずないんじゃなくって?」
さっと翔が、その横で同じポーズを構える。
「びーてぃ、びーてぃ、びーてぃ、びーてぃっ!」
「びーてぃ、びーてぃ、びーてぃ、びーてぃっ!」
「びーてぃ、びーてぃ、びーてぃ、びーてぃっ!」
爺が手にしたラジカセから、軽快なメロディが流れる!
「さすがはマイハニー麗華! 僕がニューヨークで一番だとしたら、キミは日本の頂点に立つ女さ!」
「あなたのその動き、とろけそうよ」
「麗華……」(バックにバラを散らせながら)
「翔……」(顔を赤らめて)
そして、ひっしと抱き合う二人。
「やっぱり、この相性の良さには誰も敵わないわ」
「HAHAHA☆ 俺たちの優勝は間違いなしだな。それではそろそろ……あのばかどもに宣戦布告といくか!」
言うと、翔と麗華は、怜たちのいる公園へと歩き始めた。
そもそも、町の福祉のイベントにチーム戦もくそもないのだが、二人はどこかずれたまま、それでも本気で戦地へと赴こうとしている。
二組のカップルの運命の意図が、今絡み合い、新たな伝説を幕開く――。
この物語、誰にも止められない――ノンストップ。
<8. byよっしゅ>
世の中には様々な人間がいる。なにせ日本の中だけでも一億人以上の人間がひしめき合っているのだ。
その中に天然な可愛い女の子がいたり、それについつい付き合ってしまう恋愛バカがいたり、まぁそのことに関してさして疑問はない。
ついでに言うと、人前で臆面もなくいちゃいちゃと恥ずかしい会話を繰り広げる通称バカップルが数多く存在するということも認めよう。タイプは違うけれど、俺と里香だって間違いなくバカップルなのだから。
けれど。
住宅街の中にあるしがない公園で目隠しをしながらムーンウォークをし、なおかつそのばかばかしい行為を、全身全霊をかけて練習している男女(注:バカップル)を目の前にして、ビシッ! ビシッ! と今にも音を発しそうな動きをしながら、
「神代 怜! 月岡 里香! 本番で俺たちが勝負してやろう!」
「もちろん勝てるなどとは思わない方がよろしくってよ!」
「この柏木 翔と!」
「神宮寺 麗華が!」
「「華麗に魅了してみせる!!」」
こんなことを叫ぶ男女(注:バカップル、ただし前者より別の意味で重症、というかもはや重傷)は、さすがに世界中を探しても、一組しか存在しないのではないだろうか。
というか、この二人組を知っている俺が嫌だ。一刻も早く忘れたい。
大体なんで俺たちの名前を普通に把握しているのか。そもそも俺と里香と一体何を勝負しようと言うのか。
ムーインドウォークか? ムーインドウォークなのか?
だとしたら余計にこの二人の事は忘れ去りたい。
そうだ、他人のふりをしよう。うん、そうだ、それがいい。ていうか本番て何。
こんな支離滅裂な思考をしている俺は気が付かなかった。
俺の愛しの彼女も相当な暴走キャラクターであるということを。
「私たちだって負けたりしないわよ!」
現実逃避、現実逃避。俺には何も聞こえない。あ、ほら、あれ見て、夕日が傾いて綺麗だよ。
「ほう……、随分と強気なようだな月岡 里香……」
「ニューヨークの最先端でスポットライトを浴びてきた彼と、日本の頂点に立つ私に勝てると思って?」
「大会に経歴なんて関係ないわ! 大切なのは気持ちだもの!」
透明フィルター、透明フィルター。耳に膜を張っているので俺には何も聞こえない。あ、ほら、あれ見て、カラスが巣へと戻っていくよ。
「気持ちだけで勝てると思うのか? 現実はそんなに甘くないさ」
「せいぜい、私たちのコンビネーションに舌を巻いて逃げ帰るのがオチよ」
「それこそコンビネーションなら負けないわ! ねぇ怜!!」
あはは、あれ見て、近所のおばさんが俺たちを見て眉を潜めてるよ。
「そうでしょ怜! だって私たち、愛し合ってるんだから!!」
「そうだね里香!!」
俺はなんて馬鹿なんだろうか。よりによって自らこの脳みそ沸いたようなバカップルと関わりを持つなんて。
けれど、俺には里香のこの言葉を無視することは到底できない。だってそれは確かに真実なのだから。
バカップルと呼ばれようが構わない。それのどこが悪いんだ。里香との愛のためなら、俺はどんな困難だって乗り切ってみせる。
そうして、俺はこの不敵に笑う(今気が付いたけど後ろに執事みたいな人いるよ……)バカップルと、ブラインドウォークの体験で勝負することになったのだ。
柏木 翔。神宮寺 麗華。いいじゃないか。上には上のバカップルがいるということを教えてやったって。
里香。俺たちの愛は永久不滅だ。そうだろ――?
<9. by瑠華>
「くくくく……」
翔が肩を震わせ、笑みをもらす。
「……何がおかしい!」
俺と里香の仲を馬鹿にされた。そう思って、ついつい語気を荒げてしまう。
それに呼応するように、里香も声音を高くした。
「そうよ! 私たちのムーインドウォークを馬鹿にしてるんじゃないわよ!」
「そうだそうだ! 俺たちカップルの仲を……って、え? そっち?」
どこかちぐはぐな俺たちを見て、いよいよ我慢しきれなくなったのか、二人(プラス執事)は声を上げて笑い始めた。
「HAHAHAHA! 聞いたかい、麗華!」
「聞いたわよ、翔! こいつら、ちゃんちゃらおかしいわよ、全然わかってないもの!」
ひー、ひー、とその二人の後ろで執事が地面に転げまわっている。
「おじょうさまぁ、おじょうさまぁ、おもしろすぎます〜ひーひー」
……うわー、うぜえ。
「いや、別にそこまで面白くないけど?」
「……はい、冷静に考えると確かにそこまで面白くはございませんでした!」
麗華の冷たい視線を浴び、執事はすくっと起き上がるとぴしっと、背筋を伸ばした。
「く、くそう、こいつら……ツッコミどころが多すぎて、何もできないぜ……」
「怜、無理に突っ込み役にならなくてもいいのよ」
無理に突っ込み役になろうとしていることを理解して、里香が言う。
そうだよな、無理なときは無理なんだ。こいつら相手じゃ俺のレベルが低すぎる。
「で、なにがそんなにおかしいのよ?」
里香が言うと、翔は髪をばさっとかきあげ――哀れむような目を向けた。
「キミたちは……気づいていないのかい?」
「な、なにがよ!?」
「俺は二点、気づいたことがあるぜ。そう、二点だよ」
「わお! 私は一点なのに、翔は二点なの!? ブラボーよ、翔!」
翔がもったいつけると、黄色い歓声をあげたのは麗華だ。その後ろで執事が紙吹雪をばらまいている。もう、何が何だかわからなかった。ていうか、やっぱりうぜえ。
「ふっ……まずは一点目。キミたちはブラインドウォークを個人レベルで考えている。これがなぜ、地域のイベントなのかを理解するべきだよ」
個人レベル? 地域のイベント?
ますますもって、翔の意図が読めなくなった。
「そう、つまり!」
翔は、空高く――いや、明後日の方向を指差して、言った。
「人は誰しも一人では生きていけないのさ」
決まった。
……いや、待て待て! 全然これ決まってないぞ! 気を確かにもつんだ、俺!
確かに翔はかっこいいこと言っているが、これほら、何の脈絡もないじゃん。これっぽっちも決まってねえじゃん、これ。
しかし、麗華はうるうると目元を潤ませ、歓声をあげる。そして、その後ろでは執事が紙吹雪を(以下略)
こいつら……アホだ。
俺がこいつらの行動をまったく理解できないでいると、里香が重い表情を見せた。
「翔。あなたの言うとおりよ。今の私たちは実力はあっても、チームワークが足りないわ」
え、実力は足りてたの?
俺の疑問をよそに、里香は表情を暗くしたまま続ける。
「でもね、それはこれからの話よ! 私たちは誰にも負けない実力を見せてやるわよ!」
びしっと、翔・麗華カップル(プラス執事)を指差す。
「それから、残りの一点は何よ? 気づいたことって」
加速し続ける物語は、俺に突っ込みの暇すら与えてはくれないのか。
「そうだわ、翔。日本の頂点に立つ私にもわからなかったわ。一体なんなの?」
翔は不適な笑みをもらすと、静かに言い放った。
「怜くん、里香ちゃん。キミたちはすでに、この勝負に負けていると言ってもかまわない。キミたち二人を足しても、せいぜい、麗華ひとりぶんだよ。なぜだかわかるかい?」
無言でいると、翔は勝ち誇ったように声を上げた。
「レイ、リカ! 君たちの名前だよ! レイ、リカ! レイ、リカ! レイ・リカ! レイリカ! レイリカ!」
そこで、麗華が歓声をあげる。
「レイリカレイリカレイリカ、レイカレイカレイカ! わかったわ、翔!」
「そうとも!」
何が「そうとも」なのかまったくわからない。
しかし、翔は言った。
「キミたちの名前を足すと――レイカ、すなわちマイハニーの名前になるのさ。だから、キミたちでは俺たちには勝てない。一生ね。HHAHAHA!!」
翔と麗華(プラス執事)は高笑いをあげて、去って行った。
残された俺は思わず口をポカーンとあけて突っ立つしかなかった。
「な、なんだったんだ……あいつら……」
「……勝てない」
「え?」
「このままじゃ、私たち勝てないわ、怜!」
涙を流し、地面に突っ伏す里香。
その落ち込みようたるや凄まじいものがある。このままでは、「私たちもうやっていけないわ。別れましょう」なんて展開にもなりかねない。
焦った。どうすればいいのか。
早くも訪れた最大のピンチ。俺たちの仲は一体どうなってしまうのか――。
<10. byよっしゅ>
カァー、カァー。
夕焼けをバックにカラスが鳴いている。
その中でしとどに涙を流す里香と途方に暮れて立ち尽くす俺。こうしている間にも日はどんどん傾き、辺りに少しずつ影を落とし始めている。
……やばい。これはマジでやばい。俺のアイデンティティがどうのとか言ってる場合じゃない。
あのバカ共(カップルという言葉を省いても伝わると思う)の前での俺の無力さとか、マジで今はどうでもいいと思う。……いや、ほんとはちょっと気にしてるけど。だけど、それでも今は里香のことが先だ。
「……里香」
俺がそっと声をかけると、里香はほんの少しだけ顔をあげて俺を見た。
「……里香。なにを言われようと俺たちの負けが決まったわけじゃない」
じっと黙ったまま俺を見つめる里香。
「俺たちはあいつらに言ってやったじゃないか。チームワークなら負けはしないって」
「…………」
「里香だって言ったじゃないか。俺たちは愛し合ってる。だから簡単に負けたりなんかしないって」
「……でも、怜、それでも……、私たちの名前が、怜と里香であることに変わりはないのよ……?」
「…………」
……なんてこった。里香が気にしているのはそっちだったのか。
てっきり最初の「人は誰しも一人では(以下略)」の方を気にしているのだと思っていた。まさか、あんなこじつけ以外の何物でもないダジャレの方にショックを受けていただなんて……。
「私たちがどんなに頑張ったって、二人で麗華さんひとり分であるってことは変わらないのよ、怜……!!」
「…………」
……いや、ちょ、マジでどうしようこれ。俺としてはそっちの方は何ひとつ気にしていなかった。
せいぜい、「執事うぜぇなー、こいつどんだけお嬢様バカ? あ、それともただのバカ?」くらいのものだった。しかし里香はことのほかダメージを食らっている。
これはなんとかしないと。……でもどうやって?
「レイ・リカ、レイ・リカ、レイ・リカ、レイリカ、レイリカレイリカレイカレイカレイカ…………」
「り、里香……」
「ぅっ……、わぁああぁあぁあああああああああああん!」
「り、里香……!!」
そうこうしているうちに里香が本格的に泣き始めてしまった。
これはもうマジでやばい、やばすぎる。何がやばいって、あんなダジャレに惑わされる里香の筋金入りな天然さ加減とか、俺たちの今後の仲とか、俺のつっこみスキルの低さとか、近所のおばさんの俺たちを見る目とか、そりゃあもういろんな意味でやばい。
どうしよう。どうすればいいんだ。
名前を変えることはできない。人は誰しも親にもらったありがたい名前を背負って生きていくものだ。役所で手続きをして改名する人もいるにはいるらしいけれど、しかしこんな勘違いから始まったムーインドウォークとかいう謎の競技(?)のために改名するのは、いくらなんでも俺たちの両親に申し訳なさすぎる。でも、他にどうすれば……。
……そ、そうだ!!
「……里香!!」
自分の思いつきにはっとなった俺は、泣いている里香の肩をつかんでこちらに向けさせる。
「なっ、なに、怜?」
「ニックネームだ!!」
「……え?」
「ニックネームで大会に出ればいいじゃないか!!」
そうだ、なにも本格的に改名しなくたって、世の中にはニックネームというものが存在するじゃないか!!
「にっく、ねーむ……?」
戸惑う里香に、俺は懸命に説明する。
「そうだ、ニックネームだ。普段は怜と里香。これはもうどうしようもない真理だ。だけど、競技をしている俺たちは別人として名前を立てればいい! 真剣勝負をしている俺たちは、普段の怜と里香じゃないってことを、名前から表せばいい!!」
「別人、として……」
「そうだ里香! だって、そうじゃないか! 俺たちの実力はもう十分だ! いまや競技の練習をしている時の俺たちの集中力は、普段の俺たちからは想像できないものになってるじゃないか!!」
「…………」
しばらく黙りこんでなにかを考える里香。
正直このニックネーム作戦がダメなら、俺はもうどうしていいか分からない。祈るように里香を見つめる俺。
「……、いいかもしれないわ……」
「……え?」
「……怜、そのニックネーム作戦、いいかもしれないわ!!」
ぱっと顔をあげて俺を見る里香の目は、沈み切っていない陽の光にあたってきらきらと輝いていた。なんてきれいなんだろう。
まるで俺たちの未来まで輝いているようじゃないか。
「怜、すごい! 本当にすごいわ怜!! 確かにそれなら問題解決よ!! 大会には、なにかかっこいいニックネームでエントリーして、あいつらに一泡吹かせてやりましょうよ!!」
「……そうだな、里香! それならあとはもう実力勝負だ!! 残りの数日でさらに技に磨きをかけて、あいつらにぎゃふんと言わせてやろう!!」
感激して両手を組んでいる里香のその手を、俺の両手で包み込み見つめ合う。
ああ、俺はなんてバカだったんだ。あんなやつらごときに、俺たちの仲が壊されるはずがなかったんだ。
このあと俺は、家に帰っていろいろと悩むことになる。かっこいいニックネームってどんなのにしよう。
あいつらバカ共はどんなプレーを見せてくるのだろう。
……そもそもエントリーって、ただ名乗ればエントリーしたことになるのかな。そもそもエントリーするしない以前に大会なんてなくね? あれ? それだと勝敗は誰が決めるんだ?
まさかあの執事?
……うーん。
今日も今日とて、俺は頭を抱える。最近毎日だ。10円ハゲができたら、どうしよう……。
<11. by瑠華>
翌日、俺たちはかっこいいニックネームを考えてきて、いつもの公園に集まった。
「怜……私、かんがえてきたわ」
そこには昨日までの、弱い彼女はいなかった。
覚悟を決めた戦士の顔があった。いい表情だ、と思った。里香に負けず劣らない、相応しい良い男の顔を俺はしているのだろうか。していればいいと思う。
大会はもう目前に迫ってきている。なんか、うっかり忘れてたけど、来週の日曜日らしい。エントリー方法調べとかないと、まずいかもしれない。
「ああ……聞かせてくれ。君の、新しい名を」
里香は静かに目をつむる。何事か瞑想しているようだった。
風が、彼女の前髪をさらう。ふわり、とシャンプーの香りがした。改めて思う。ああ、俺はこの子が好きなんだと。
「私の名は……」
彼女の小さな唇がうっすらと開く。
「私の名は、“sleeping†END”(スリーピング・エンド)よ!!」
なん、だと……!
「やばい、やばすぎるぜ、スリーピングエンド!」
俺は何かもう、里香のセンスに脱帽した。
「眠っている間に、すべて終らせてやるわ。ふふ」
妖艶な笑みを浮かべる里香もといスリーピングエンド。なるほど、“眠りによる終焉”か、綺麗な薔薇には棘があるぜ里香。でも待て待て! 冷静に考えると、それ人前で言うとすっごく恥ずかしいんだけど?
「あなたのエントリーネーム聞かせてよ」
俺は、ニックネームは考えていた。俺の名前の怜からとって、なおかつ、大好きなワンピースのお気に入りのキャラの名を使おうと思っていた。その名も“冥王 シルバーズ・レイリー”である。これは、渋い。
「俺は、レイ……」
「と思ったけど! 私はあなたの分もちゃんと考えてきたのよ」
「え?」
呆気にとられる俺を無視して、里香(スリーピングエンド)は続ける。
「あなたは今日から、“†漆黒の堕天使イノセント†よ”……」
「え? し、しっこ……?」
「ええ、漆黒の堕天使イノセント。あなたは今日から、神に背いた十字架を背負い続けて生きていくの……」
里香は突っ込む隙すら与えなかった。
ていうーか、あれ? ちょっと何か話かわっちゃってない? めっちゃ恥ずかしいし、それ。ニックネームでもエントリーネームでもなく、それただの痛いコテハンじゃん。俺は冷静に戻った。スリーピングエンドもなかなか痛い。
名前で、麗華と翔に負けを宣言されたけど、何かそれ以前に色々と負けている気がする。世間の目にまず負けそう。何より、あの二人組にまた笑われるのが目に見えていた。
「さあ、漆黒の堕天使イノセント! 今日もまた練習の日々に明け暮れるわよ。アルマゲドンは近いわ!」
「ちょ、ちょっと里香……声が……」
「私を呼ぶなら、スリーピング・エンドと呼んで!」
「いやだからその、はずか……」
がたん、と音が聞こえた。
振り向くと物陰から二人がこちらを盗み見ていた。え、見られてたの!?
「しょ、翔……」
麗華がわなわなと震えている。確実に今の流れ見られてた。
「あ、ああ、麗華……」
翔も拳を握り締めて震えている。もういい! 笑えよ、笑いたきゃ笑えよ!
やけくそ気味になったそのとき、麗華は口を開いた。
「この闘い、負けるかもしれない」
麗華は不安に怯えた表情で俺たちを見つめる。
「そうだな、麗華。スリーピング・エンド、そして……漆黒の堕天使イノセント……恐ろしい。恐ろしくかっこいい名前だ。勝てる気がこれっぽっちもしない……」
え、勝ち負けってそういうもので決まるの? ていうか、その名前ってかっこいいの?
俺の内心には気づかず、翔は表情を険しくする。
「負けない、ぜったいに負けないからな! 見ていろ、大会では勝つのは誰かを!!」
捨て台詞を吐くと、翔は麗華の肩を抱いて走り去っていった。
二人の姿が見えなくなるまで、俺は公園の門を見ていた。里香もそれはいっしょだった。
「稲妻を纏う漆黒の堕天使イノセントハウンド、油断は禁物よ。これからが本当の闘い……」
遠い目をして里香は言った。
彼女はどこに向かっているのだろう。というか、何か名前変わってるし……。
大会まであとわずか。一体どうなるというのか。俺はもはや突っ込む気力すら、失っていた――。
<12. byよっしゅ>
――そして、大会の日がやって来た。
「ふふふ……逃げずに来たことを褒めてやろう。“sleeping†END”に“†漆黒の堕天使イノセント†”よ」
俺たちの目の前で、アホ(翔)が腕組みをして立ちはだかっていた。
こいつら、ただ者じゃないなと改めて思った。俺がすっかり度忘れして、「あれそういえば、俺のエントリーネームなんだっけ?」と昨晩、頭を悩ませていた単語をこうも容易く覚えてくるとは――。
侮れない。
「だけど、あなたたちの負けはもう確定したわ。なぜなら、私たちもカッコイイ呼び名を考えてきたのだから! ホーッホッホッホ!」
「まったくもって、君たちはよくやったよ。俺たちをここまで本気にさせたのだからなっ! HAHAHAHAHA!」
麗華と翔が高らかに笑い声をあげる。それは、勝利を確信していることを示していた。
里香が悔しそうに唇を噛み締める。ちょ、ちょっと里香? 血が滲んでるよ!
「く、まだよ……まだ戦いは始まってないんだから!」
そう言うと、里香は背負っていたリュックサックを開き、中からナイロン袋を取り出した。
「はん? それは何だね?」
翔が負け犬を見るような哀れみをこめた視線を投げかける。
その目に向けて! 里香は袋の中身をぶちまけた。
「アウチッ! あいたたたた!」
塩、だった……。
里香は何をそんな重そうなカバン持ってきているのだろう、と疑問に俺は感じていたのだが、それはまあ解消された。しかし、「何を持ってきているのか」という部分は解決したが、新たな問題を生んでいた。「何で持ってきているのか」である。
この答えは里香の口から明かされた。
「敵に塩を送る、ってやつよ。アメリカかぶれにはこの意味、わからないかしら?」
地面に手をつき這い蹲りながら、目をこする翔を、腕組みして見下す。俺の知っている里香はどこに行ってしまったのか……。
しかし、これに応じたのは翔ではなく、麗華だった。
「し、知ってるに決まっているじゃない! ねえ、翔! そうでしょう?」
「え、いや……なんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないのか意味がさっぱり……」
翔はもごもごと口ごもりながら言うが、麗華は聞いちゃいなかった。
「翔は天才なんだから! ありがたく受け取るわよ! そうよね、翔!」
「あ、ああ! ありがたく受け取るぜ! サンキューベリマッチ!」
翔がすっと、立ち上がって、明後日の方角を指差す。どこまでもゴーイングマイウェイな二人である。
「それで? あなたたち二人の真名は何なの?」
アドバンテージをとった里香が上から目線で聞いていた。
今のやり取りで、なぜ俺たちが優位に立てたのかさっぱりわからないが、それでも下にいるよりはましだと思い、黙っていることにした。何せ、勝っているときの里香は機嫌がとてもいいのである。
だから、「真名」って何だよっていうツッコミも止めておいた。それは野暮というものである。
「ふふふ、教えてあげるわ……」
「HAHAHA、教えてあげよう……」
声を合わせるバカップル。
華麗なステップで踊り始める。周囲に居る人の目線が痛い。
「私たちは!」
「そう、俺たちは!」
「やかましい!!!!」
ハゲたオッサンに怒られた。
「何なんだね、君たちは! これは町の行事だよ? 遊びなら他所でやりなさい!」
オッサンはかなりキレていた。
幸いなことにオッサンは麗華と翔がくるくる踊っていたところしか見ていなかったらしい。里香が塩をばらまいた場面は見られていなかったようだ。
「いや、あの私たちは……」
麗華が言い訳しようとするが、オッサンは聞いちゃくれない。
「参加者だっていうのかね? 参加登録はしたのか? 我々は君らのことなぞ知らんぞ!」
どうやら、主催者であるようだった。
参加登録? 俺もすっかり忘れてたぜ。
「これはね。アイマスクをしてもらい、視覚障害者の気持ちを理解してもらうためにやるんだよ。二人でペアを組み、一人が目隠しをして、もう一人がその人を一定時間、無言で案内して歩く。こうすることで、アイマスクをしている人は、目が見えないっていうことがどれだけ辛いことかわかるだろう。そうしたら、おのずと、目が見えない人に何をしたらいいか、わかるだろ?」
麗華と翔は聞き入っていた。里香も一緒だった。
「だから、これは遊びじゃないんだ。明るくするなとは言わないが、ふざけて騒いでいいイベントじゃない!」
それから、麗華と翔はずっと怒られていた。
俺たちはたまたまオッサンに怒られなかったので、ここはすごく反省したことだし、先に帰らせてもらうことにした。
結局、勝負は――引き分けだったのだ。
帰り道、里香は肩を落としていた。
「なあ、大会に参加はできなかったけど、気を落すなよ」
もともと、勘違いから生まれた「大会」である。
俺は特に何も気にしていなかったが、里香がすごく落ち込んでいるのを見て、心が痛んだ。
家まで送りながら、途中コンビニに寄った。
「私ここで待ってる」
里香がそういうので、俺はコンビニの中に入り、里香の好きなイチゴオレと、コーラを買おうとして、ふと思いついて、もう一品買った。
コンビニの袋を右手に持ちながら、左手をそっと里香の右手に伸ばし、握る。里香の細い指が握り返してきた。俺たちはそのまま、いつもの公園まで歩いた。公園は二人の家の近くなので、自然とそこに足が向かっていたのもあるが、ちょっとした意図もあった。
公園について、俺たちはジュースを飲んだ。炭酸が喉に来る。里香は黙ったままだ。
俺はコーラを飲み干すと、ずっとストローをくわえたままブランコに座っている里香に、後ろからそっと目隠しをした。コンビニで買った、アイマスクである。
「え、なに」
「いいから。立ってみな」
俺は里香を立たせる。
「見ててやるから、歩いてみな」
里香は「なによ」と言いながらも、歩き始めるが、おっかなびっくりといった様子である。それもそのはず。目が見えないのだから。
ある程度、様子を見て、俺は里香の前に立ち、先導して歩いた。里香はさっきよりは幾らか上手く歩けている様子だった。
「ねえ、怜。見えないのって、すごくこわくて、不安なんだね」
「そうだろうな」
「私たち、普段見えてるから、気にしたこともなかった」
「ああ」
「この感情、私、忘れたくない」
「それが、本当の“ブラインドウォーク”さ」
里香はアイマスクを外すと、嬉しそうに微笑んだ。とても明るくて、まぶしい笑顔だった。
今度は怜の番、と俺にアイマスクをさせ、二人でしばらく、二人きりのブラインドウォークに勤しんだ。
途中からいつの間にか混ざっていたバカップル(翔と麗華)も一緒に、日が落ちるまで、俺たちは本当のブラインドウォークを体験した。
「なかなかやるじゃないか」
翔が右手を差し出す。俺はそれを握り返した。
「里香。イモだと思ってたけど、あなたなかなか可愛いじゃない。ベリーキュートよ」
麗華と里香が抱擁していた。
バカップルと変な友情が芽生え、俺たちは貴重な一日を終えた。バカップルと解散して、俺は里香を家まで送っていく。
「今日はありがとうね、怜」
笑顔で里香が微笑む。
「いや、いいんだ。こっちこそ、ありがとう」
俺はその笑顔に照れながら、そう返した。この笑顔が可愛いから、無邪気なバカを許してしまう。
「怜。ところで……」
里香が真剣な顔で俺を見つめる。
ドキッとした。里香はもじもじと何かを言い出したそうにしている。そして、意を決したように口を開く。
「もうすぐ夏、だよね?」
「あ、ああ」
「だから……花火大会――」
デートの約束だ、と思った。
「――に出ない? 怜とならきっと優勝できると思うの」
「え? 花火大会って、あの夜空に浮かぶあれじゃないの?」
ていうか、俺たちが打ち上げられるレベルの代物なの?
「うん、そう! すごく可愛い花火を夜空に打ち上げて、絶対に優勝しようね!!」
また、何かとんでもない勘違いをしている。このままどこまでも暴走し続けてしまうような気がした。
だけど、その明るい笑顔を見ていると俺は口を挟めず、ただ、首を縦に振るしかないのであった。
まったくマイハニー。君はどこまでもノンストップだぜ。
――『ノンストップマイハニー』、完。
<13. byよっしゅ>