『罪を背負いし者』


 その場を支配する、傲慢な笑い声が響いた。
 その場にいる者を恐怖に陥れ、あざ笑うその笑い声は、低く、しかし高らかに響き渡る。
「愚かで、脆弱。それがお前達人間だ。そうと知りながら、ここまで来るか。お前達は何を望む? 魔物の殲滅か?」
 魔王の、声。しかし、魔王の前にはまだ一匹。その部下が立ちはだかっていた。
 遠くに鎮座する魔王の、揶揄するその声を聞きながら、その場に立つ勇者とその仲間達は震えた。
 そこには、圧倒的な力の差があった。
 会心の一撃も、徹底的なまでに緻密に組み上げた戦術も、目前の魔物に傷一つつけることもかなわなかった。
 魔物を倒し、ここまでやってきた猛者達であったにもかかわらず、ただ一人の魔物を前にして、魔王を倒すというその闘志は萎縮する。
「魔物が消えれば、人間が幸せになれると。……愚かな世迷い言よ」
 クックと、楽しげに魔物の王が呟く。
「幸せになどなれぬよ。弱い者は、いつの時代も虐げられる。魔物が消えても、弱い者は、いつまでも虐げられ続けるものだ。魔物がおらねば、人が人を虐げ、殺す時代が来るぞ」
 魔王がいかにも面白そうに勇者達を見やった。
 震える勇者達は、それでも、嘲笑うその言葉に反応する。
 違う、と。人は友愛を愛する。愛をもって助け合う。だから、そんな事にはならない、と。
 果敢にもそう叫んだ剣士に、魔王は、いっそ優しげに語りかけた。
「同族殺しの時代を作る、その罪を背負いに来たか。それとも、その罪、……我らが代わりに背負うてやろうか?」
 その声を聞き遂げると、魔王の手下の魔物は剣士に近づき、いとも容易くその胸を突き刺した。剣士は何の防御すら出来ず、呆然とその事実を認識し、そして、ゴフリと血を吐いた。
 ずぶり、と魔物の手が剣士の胸から引き抜かれる。
 響く断末魔のような叫び声と、飛び散る血飛沫。
 魔物の手の中には、まだ脈打ちながら血を吹く赤黒い臓器。
「これで、お前は、罪を免れた。謝辞はいらぬ」
 優しげに魔王は微笑む。そして、魔物はその手の中にある臓器を、握りつぶした。
 血飛沫と、肉片が辺りに散る。
 勇者達は、誰一人動くことが出来なかった。
「……儚い物よな。これほど脆弱でありながら、なぜ生き急ぐか。おとなしく身を潜め、互いに肩寄せ合いながら生きてゆけばよい物を。ならば、人の被害は最小で押さえられように。……お前達人間の考えることは、わからぬな。罪な事よ」
 魔物の王が、どこまでも傲慢に、哀れんだ。
<1. by 名無しs>


 ――その時であった。
 魔王の目が、勇者のパーティのひとりを見据える。電撃が魔王の身体中を駆け巡る。雷の系統の魔術を受けたわけでもない。無論、雷雲が空を覆っているわけでもない。
 雷鳴が響いたのは、身体ではない。心だった。
「ルークさん、しっかりしてください!」
 先程、魔王の配下の魔物が止めを刺した剣士の名である。ぼうと突っ立っているから殺すように命じた。運命というにはあまりに呆気ない最期であった。いずれ名だたる剣豪だっただろうに、魔王の右腕の前ではあまりにか弱かった。
 魔王は、頂点だった。世界の、あまねく邪悪の。人々はその頂を恐怖し、魔王と名づけた。魔王は与えられた役割を果たし続けた。果てなど無かった。その分、傷と罪を負った。罪というには、人間すぎるきらいがある。それは人間の尺度だった。
「ルークさん、どうか、どうか!」
 少女は、ルークに縋った。その法衣が血に汚れることを厭わず、懸命に術を唱え続けた。その声が、枯れるほどに。
 もう死んでいた。心の臓はただの赤黒い肉片と化し、地べたに黒い染みを作ることしかできない。屈強な男の身体はとうに抜け殻であった。誰がどう見たところで、奇跡など起きようもない。
 魔王はそのような塵のひとつ、如何様でも良かった。ただ、僧侶を見つめていた。聖なる蒼の法衣に身を包んだ、うら若き少女を。
 そして、その嘆き悲しむ少女を脇目に、勇者と、魔術師と思しき青年が構えを取る。友愛のため。憎き仇を討つべく。
「魔王、貴様……!」
 今まで、かすりすらしなかった勇者が、魔王の配下の魔物に一太刀を浴びせた。魔物が怯む。その痛みが、目に見えない神経回路を伝って、魔王まで流れてくる。魔王と直に血の契約を結んだ、最強の配下。それが、バラモンであった。
 バラモンは吼えた。血が滾り、怒りに昂ぶっている様子が、魔王にも伝わってきた。バラモンの咆哮は、聴く者を恐怖させ、その戦意を奪い去る。だからこそ、先程の剣士も手が出せなかったのだ。
 しかし、勇者と魔術師は違った。怯むことなく、向かう。勇者は、鍛え抜かれた剣技を余すことなく駆使し、魔術師はこの世界にある限りの魔術を、バラモンにぶつけた。バラモンとの回路が途絶えるのを、魔王は感じた。
「ルークの死が俺たちを目覚めさせた。もう、どんな言葉にだって、迷わない」
 魔術師の唇が切れて、血が滴っている。怒りのせいで唇を噛み過ぎた。滑稽だった。
「残すはお前だけだね。魔王。僕たちは、お前を許さない」
 勇者は、世界を救うという偉業に見合った良い表情をしていた。魔物は思った。ああ、これが人類の希望なのだと。人々の夢を託すに相応しい面構えだと。あるいは、自分がもう少し弱ければ、この男になら殺されても構わないとも。
 しかし、この程度の輩に魔王は殺せない。バラモンなど、所詮は魔王の血を分けただけのただの魔物。魔王には遠く、永久に歩き続けても、届かぬ境地。
「ルークは死んだ。あの子は戦意喪失している。だが、俺たち二人だけでも、貴様を奈落の底に突き落とすくらい、わけはないさ」
 魔術師が杖を構え、そして言う。
「お前の罪を数えな。最後に、そうさな。遺言くらい――許してやる」
 勇者たちは、魔王の言葉を待った。
 世界の半分をやろう。いや、違う。光あるところに闇はある。これも違った。魔王は、ただひとことだけ問うた。
「名を、なんと言う」
 勇者は、誇らしげに名乗った。
「僕の名前はアルス。貴様を倒す為だけに生まれ、それだけのために育てられた」
 しかし、魔王は首を振った。お前ではない。
「俺は、ティアルガの緑鬼と呼ばれている魔術師だ。貴様に名乗る名などないが、冥土の土産に教えてやる。俺の名は、ロバーティス。偉大なる古の大魔道師の名を冠している」
 アルス、ロバーティス。どうでもよかった。もちろん、バラモンの一撃に沈んだルークという雑魚の名前など、ミジンコ以下もない。
 魔王が知りたいのはただ――
「そこな僧侶。名を教えよ」
 つとめて静かな声音で魔王は言った。それが逆に、不気味ですらあった。その声に肩を震わせ、少女は振り向いた。顔には戸惑い、不安、怒り、あらゆる負の感情が浮かんでいた。
 ルークの心臓は砕かれ、上級僧侶の蘇生の術すらもはや及ばなかった。死んで生き返る人間など、ほんの一握りなのである。生命の制限など掃いて捨てるほどある。魔術は万能ではない。
 だからこそ、この世界には死が、悲しみが溢れている。魔王率いる魔物の群れによって滅ぼされた街など、星の数ほどある。それより更に多く、幾億もの数えきれない生命がそこで散っていった。
「そこな僧侶。貴様――いや、貴方の御名を教えていただけないでしょうか」
 魔王は言い直した。丁寧に。
「わたしは……キャロライン・ブラウンです」
 剣士の血が乾き、少女の頬にこびりついている。肉片が、黄金の髪にへばりついていた。その麗しい美貌を損ねるには、それでもなお足りなかった。
 僧侶、慈愛の象徴。優しさの化身。少女は気高く、美しかった。
 魔王は、僧侶を値踏みするように、頭から下までを見下ろすと、静かに問いかけた。
「じゃあ、キャリーちゃんと呼んでもいいかね? ボクのことは、マーくんと呼んでくれたまえ」
 ――数多の罪を背負いし魔王が、人に恋をした。
 そこに、理由などなかった。なぜなら、それが一目惚れというものなのだから。
<2. by よっしゅ>


「……?」
 何を言われたのか、少女はしばらく理解が出来なかった。怒りや恐れさえも忘れ、思わず魔王の表情を探るように見つめる。
 恐ろしいほどの威圧感でもって場を圧倒させていた魔王が、はにかんだように目を背ける。
「な……!!」
「俺たちのキャリーを、その汚らわしい口が呼ぶんじゃねぇぇぇぇぇ!!」
 魔術師ロバーティスと勇者アルスが悲鳴のような声を上げた。
 ルークを失った時以上の怒りがそこにはあった。
「どう考えてもおかしいだろうが! おまえ、その顔を鏡で見やがれ。黒くて暗くて陰気なツラしやがって、この天使のような気高く美しいキャリーの名前を呼ぶだけでもおこがましいんだよ!」
「魔王などに、世界の至宝であるキャリーをくれてやる気などない。魔王の傍らに僧侶がいるなど、不釣り合いなのは必至」
 口々に文句を言い立てる勇者と魔術師に、魔王は悠然として笑って見せた。
「魔王と僧侶のカップリングは、むしろ萌えであろう」
「待てぃ!!」
「テメェが言うな!!」
 勇者と魔術師から同時にツッコミが入るが、魔王は気にした様子すらなく、むしろ完全に無視して、呆然とした様子で見つめてくる僧侶に向けて手を差し伸べた。
「我が元に来い、キャリーちゃん」
<3. by 名無しs>


 しかし、キャリーはすぐに我に返り、そして突きつけた。
 鉛よりも重い言葉を。厳しい現実を。断りの文句を。きっぱり、ノーと。
「くははは。我が名は大魔王マディ……否、まーくん。さあ、もう一度、答えを聞こうぞ」
 途中で本名を言いかけて、愛嬌を重視した結果、まーくんと名乗る。悪の頂天に立つ、災厄の存在。その名は、まーくん。

『まーくんは、恋人にしてほしそうにこちらを見ている……恋人にしてあげますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

「くははは。もう一度、答えを聞こうぞ。我が元に来い、キャリーたんよ」
『まーくんは、恋人にしてほしそうにこちらを見ている……恋人にしてあげますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

「くははは。もう一度、答えを聞こうぞ。我が元に来い、キャリーたんよ」
『まーくんは、恋人にしてほしそうにこちらを見ている……恋人にしてあげますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

「くははは。もう一度、答えを聞こうぞ。我が元に来い、キャリーたんよ」
『まーくんは、恋人にしてほしそうにこちらを見ている……恋人にしてあげますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

 ……繰り返すこと、数百回。人はそれを時に無限ループと称する。かつて、アレフガルドと呼ばれる地で、ローラという姫が得意とした技である。(ドラゴンクエスト伝説を参照のこと)
 俄然、戦況は変わらないでいた。まさかの、魔王の窮地であった。
 世界を統べる存在。王の中の王。世界の覇者。それが、このような屈辱を味わおうとは誰も想像していなかった。魔王の口角から、青い雫が滴り落ちる。血だった。奥歯を強く噛みすぎた。
 魔王は、膝をついた。そして、右の拳を地面に打ちつける。
 何故だ。何故、我ではいかんのだ。肩を震わせる。慟哭。魔王の叫びは、そのとき世界中に響いたと、後の世の伝説に残っている。

 魔王――否、まーくんは思い出していた。
 自らがこの世界の愚かなる人間どもを粛清しようとしたきっかけを。あの時も、そうだった。今に始まったことではなかったのだ。いつの世も、魔物というだけで蔑まれる。人間とは、カテゴリを分けたがる生き物である。そして、自分達と違う他者を排除する。人間とは、あまりに汚い。
 しかし、彼は人間の少女に、恋をした。亜麻色の髪に一輪の花の似合う、綺麗な少女だった。幼きまーくんは一目惚れし、そして告白した。
 答えは、「あたし、陰気臭い人キラーイ。顔色も何か青いし、唇青くて不健康そう。まじキモーイ」という、悲惨なものだった。
 そうして、まーくんは、魔王になった。決意した。この世の全てを消し去ろうと。蹂躙しようと。すべての人間を、殺しつくそうと。
 ほかの理由など、なかった。理由が必要なら、とってつけた。
「なぜだああああああなぜなのだああああああ」
 魔王は、怒りの矛先を勇者たちに向ける。
 勇者アルス。魔法使いロバーティス。この二人がいなければ、キャリーたんはあるいは振り向いてくれるかもしれない。そう考えた、魔王ことまーくんは鋭い爪を光らせた。
<4. by よっしゅ>


 魔王は以前、若い娘に流行りの古文書で読んだ「オトコのこういう所にヒく、ベスト10」を思い出していた。

 上位のほうでは、「自慢話ばかりする人」、「ついていけない話をする人」など、今のキャリーちゃんの拒絶反応に思い当たるフシがたくさんあった。
 まずいぞ、魔王。よく考えたらNGだらけだ。やべー、嫌われたらどうしよう……。あ、これもベスト10の中に入っていた「自信のない人」に当てはまるか。
 そして決定的だったのが、「何度もしつこく誘ってくる人。2〜3回断ったら気付けよ。気持ち悪りー」に当てはまることを、ついさっきやってしまったことだ。
 そんなつもりじゃなかったのに。ただ女子と悪ふざけしたかっただけなのに。もう魔王とか言ってる場合じゃない。
 よく考えりゃ勇者たち二人を殺してしまうと、下手すりゃ嫉妬に狂ったストーカー事件としてキャリーちゃんに言いふらされかねない。
 魔王は鋭い爪を光らせながら勇者たちに語った。
「ところで、取引をしようじゃないか」

鋭い爪を光らせながら勇者たちに語りかける魔王

  参考画像:
   鋭い爪を光らせながら勇者たちに語りかける魔王。
  (提供:ルーブル美術館)

<5. by NIGHTRAIN>


 次の瞬間、魔王は地面に吹き飛ばされていた。
 何が起こったのかわからないといった顔で、うろたえる魔王。もはや、かつて「魔王」としてこの世界に君臨し、暴虐の限りを尽くした悪の権化としての威厳は彼にはなかった。

 そこにあるのは、恋した女にフられるんじゃないかと、うすうす勘付いた、審判の日をただ待つのみとなった哀れな子羊の姿であった。
 彼の心は、すでにポッキーのように折れていた。やはり恋愛は恋した方が負けである。
 魔王を吹き飛ばしたのは、魔術師ロバーティスの生身の蹴りであった。
「もう、いいわ。俺マジこいつムカつく。おい勇者!とりあえず俺にこいつボコらせろ! お前手出すなよ。俺の女に手出したらどうなるかわからせてやる。さっき丁度さ、俺の最強の魔法、エクスタシーとマジックマッシュルーム、ダブルでキメたから今最っ高、調子いいし。やっぱアッパー系とサイケのブレンドはキくわ(※1)!」
 魔術師ロバーティスは、怒りに身を任せ、倒れた魔王にマウントポジションをとり、重くて強烈なパウンドを何度も喰らわせた。顔面に数発、ボディに数発。
 もはや魔王に為すすべなし、というところまで来ていたが、次の瞬間、今度はロバーティスが吹き飛んでいた。

「まてコラ! このイカレジャンキーが! 誰がテメーの女だって!? ああ? 脳みそにウジでもわいてんのか? それとも魔法のクスリのやりすぎで妄想と現実の境がわかんなくなったのか? キャロラインは俺の女だろーが? てかさ、お前マジ考えろよ?ここ、俺のチームだぜ? あの娘は俺に惚れて俺のチームに入ってきたの。リーダーは俺。わかる? お前なんざ、ただの脇役の脇役。俺のチームの資金稼ぐために、お前丁度魔法のクスリのディーラーやってたから入れてやっただけ! 伝説の武器とか装備できんのも俺だし、だいたいこの話の主人公俺じゃん。お前の出る幕ねーんだよ、ぶゎーか! 分かったら、とっととそこのストーカーおやじ連れて消えろ! もうお前クビだよ! クビ!」
 ロバーティスを吹き飛ばしたのは勇者アルスであった。髪をつかみ、ロバーティスを打ち伏せる勇者アルス。
 その顔は怒りで醜くゆがみ、かつて魔王に苦しめられた民を救うため、誇りに満ちて故郷の街を出た時の面影はなかった。(「僕」といい子ぶっていた一人称もどこかへ飛んで行った。)
 ……時の流れは残酷である。たび重なる戦闘のストレスが人をこうも変えてしまうとは……。
 勇者はある種のPTSD(※2)であった。魔王に対抗する人民解放戦線(現国王勢力)に言葉巧みに乗せられ、十代で戦闘に駆り出され、少年兵として闘いに身を投じる事幾千回。レベル上げと称しては、同じ敵を毎日毎日殺し続ける日々。そして折り合わない仲間達をリーダーとして管理しなければいけない苦悩。戦いに勝っても貰える経験値やお金は皆で等分。名ばかり管理職の典型的なパターンにハマりながら殺生を繰り返す日々に、いつしか彼は戦争の中でしか自分の存在価値を見いだせなくなっていた。
 彼も哀れな犠牲者の一人であった。

「待って! 皆あたしの為に争うのは止めて!」
 内心、『ああ、こういうセリフ、一度でいいから言ってみたかったのよね〜。あたしモテモテじゃん♪』と心躍るキャリーちゃんこと、キャロラインが叫んだ。
 彼女は恋に恋するお年頃であった。
「きっと、あたしが可愛いすぎるのが原因なのね……。わかっていたわ、最初から。美しさは……罪だもの」
 東方の彼方、ジパングにある伝説のヨシモートの女傑、「ハナーコ・ヤマダ」ばりの大立ち回りをみせるキャロラインに、その場にいる全員がヨシモート仕込みのずっこけぶりを披露した。
 キャロラインは続けた。
「こんなことして、ルークさんやバラモンさんは何のために死んじゃったの? 皆傷つけあうのは止めて! 皆が争いを続けるのなら、私はこのルークさんの剣で自らの喉を突いて、ルークさんの後を追います!」

『(キャロライン心の声)何この神シチュエーション!? あたし今完璧、ヒロインじゃん☆ ああ〜、お母さん、生んでくれてありがとう(涙)。今キャロラインは世界で一番輝いています☆』

 そう叫ぶと、キャロラインは『ヴーン』という音と共に、死んだルークの手に握られていた剣の柄から光の束をほとばしらせた。(※3)


※1:魔術師ロバーティスの魔法は以下の3つに分類される。
@アッパー系(興奮する魔法のクスリ)
 コカイン、エクスタシー等
Aダウナー系(興奮を抑制する魔法のクスリ)
 ヘロイン、チャイナホワイト、MPTP等
Bサイケデリック系(幻覚を引き起こし感覚を鋭敏にする魔法のクスリ)
 LSD、ケタミン、マジックマッシュルーム等

 魔術師ロバーティスはクラブ「ティアルガ」でDJをしていたが、魔法のクスリをやりすぎて、いつも緑色の嘔吐物を吐いていたため、人々からは『ティアルガの緑鬼』と恐れられていた。
 冒頭で勇者達がバラモンを駆逐できたのは、彼がパンツの中に隠し持っていた魔法の花ケシで作ったマリファナを大量に炊いた煙による効果が大きい。まさに偉大な魔法使いである。
 彼の最大の白魔法は「コカイン純度100パーセント」であり、彼はこの白い魔法の粉を密売することによって勇者達の資金源として大きな貢献を果たした。
 しかし、国を挙げての魔王討伐隊に登録していたことから、のちの平和な世の中になってから、国王が彼の密売行為を黙認していたことが問題視され、結果としてDEA(麻薬取締局)に目をつけられ、内閣総辞職を招く原因となる。
 そして、魔王亡き後、この国は未曽有の麻薬戦争に突入していくのであった。
 ロバーティスは麻薬戦争のさ中、魔法のクスリのキメすぎですっかり衰弱しきったところをDEAに逮捕され、獄中でひっそりと息をひきとることになる。
 彼の葬式に参列者はなく、遺体は刑務所の中の寂しい墓地に埋葬された。
 息を引き取る直前のロバーティスは魔法のクスリの中毒や副作用の為、実年齢よりも30〜40歳は歳をとっているように見え、肌はボロボロ、体つきは痩せてミイラのようであったという。
亡くなる一カ月前に刑務所の広場で撮られた魔術師ロバーティス

  参考画像:
   亡くなる一カ月前に刑務所の広場で撮られた魔術師ロバーティス。



※2:PTSD:心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Posttraumatic stress disorder:PTSD)は、戦争や災害などで心に加えられた衝撃的な傷が元となる、様々なストレス障害を引き起こす疾患のことである。戦争にいった兵士等がよくかかる心の病気としても知られる。(ウィキペディアより)
 このため、魔王亡き後の平和な世の中に勇者アルスは馴染めず、ストレスから万引きや強盗を繰り返し、当局側との激しい銃撃戦の末、その若い命を散らすこととなる。
銃撃戦のさ中、雑誌記者によって撮影された勇者アルス

  参考画像:
   銃撃戦のさ中、雑誌記者によって撮影された勇者アルス。
   この直後にアルスは射殺される。


※3:戦死した戦士ルークの愛剣「ライトサーベル」
 フォースによってその威力を増す剣であるが、残念ながら冒頭でルークが死んでしまったため、その威力を知る者はいない。
 ちなみにルークの父親は魔王に殺されたことになっているが、実は魔王こそが、かつてフォースの暗黒面に堕ちたルークの父親であるという伏線は、最後まで誰も気づかずに、ストーリーは幕を閉じることになる。
 ストーリーに出てこないが、ルークにはレイアという妹と2体の召使ロボットがいる。
 アルス達と出会うまでは銀河系の大戦争で活躍した。
ルークのライトサーベルを持ち心躍るキャリーちゃん

  参考画像:
   ルークのライトサーベルを持ち心躍るキャリーちゃん。
   その姿が可愛らしかったので魔王軍の従軍カメラマンによって撮影された。


<6. by NIGHTRAIN>


 それら修羅場の一部始終を侮蔑と同情の入り混じった冷やかな視線で見守る魔王の部下達の中に悪魔宰相ザエルがいた。
 彼こそは、暴力でこの地を支配した魔王軍にその人ありと言われた、魔王軍の経理の責任者であった。
 諸外国の支援を受けた国王率いる解放戦線に拠点を徐々に奪われ、次から次へと送りこまれてくる勇者達のせいで優秀な部下達を多く失い、人員と予算の削減を余儀なくされながらも、銀行などからお金を借り入れ、なんとか資金をやりくりし、去年の年末賞与支給に大きく貢献した彼は、魔王の部下たちからの信頼も厚かった。
 なにより魔王に「お金のことなら彼に任せておけば大丈夫。」と言われ、実質的な魔王軍の経営上の支配者であり、経営企画室の室長も務めていた。
 魔王軍のトップに立ち、多くの部下たちを率い、常に時代の先を読み、諸外国に差をつけなければならない立場の魔王が、目先の欲にくらみ、あろうことか刺客の小娘に心奪われ、ストーカー行為に手を染めようとしている姿を見るのは忍びなかったが、彼はこの機に自らがトップに立つチャンスだと捉えた。
「魔王、御し易し! 機は熟した! わが軍の敵は、まーくん!」
 悪魔宰相ザエルは興奮し、拳を掲げて叫んでいた。
 地獄魔人グラドロース(人事部部長)と煉獄大王ゼフィロザリア(営業部部長)もそれに倣った。さらには、あの魔界帝王オドル(技術部部長)までもが、ザエルの熱くたぎる溶岩のような想いに触発され、寝返ることになった。
 そして彼らの動きに呼応するように、これまで日和見主義であった、悪魔騎士ジャーガライズ(取締役)と斬撃帝王ドリギガント(相談役)もザエル陣営に付いた。


***人物紹介***

地獄魔人グラドロース:人事部部長
 類稀なる才能を持つ魔王軍の人材をかき集めたのは彼の功績に他ならない。
 才能があれば年功序列などものともせずに昇格させるため、しばしば派閥争いに巻き込まれた。
煉獄大王ゼフィロザリア:営業部部長
 魔王軍の知名度を上げる為、身を粉にして営業活動に従事した。
 根がまじめでノーと言えない彼の性格は、彼の体と精神を徐々に蝕み、
 遂には心の病気にかかり、半年前まで自宅療養していた。
魔界帝王オドル:技術部部長
 ユニークな発想で数々のヒット商品を生み出した魔王軍の発明王。
 彼の手がけた「魔界のおもちゃ」と呼ばれる玩具類は
 多くの倦怠期の夫婦やカップルに好まれた。
 またSM色の強い「魔界宿屋デビルプリズン」チェーンを立ち上げ、
 全国津々浦々の都市や観光地に展開し、カップル達の憩いの場を提供した。
悪魔騎士ジャーガライズ:取締役
 元々は王国の政治家であったが、退陣後、銀行役員→魔王軍と転々と天下りをしてきた。
 誰も何もしなくても彼がいるだけで企業価値が上がるという胡散臭くも奇跡のような存在である。
 国王とは太いパイプで繋がっているため、勇者達もなかなか手を出せない存在である。
斬撃帝王ドリギガント:相談役
 まーくんが副魔王だった頃の魔王であったが、ある程度魔王軍の体制が整い、
 軌道に乗ったため、退陣し、今の地位に付いた。
 経営コンサルタントとして高い手腕をふるっている。
 魔王軍に姿を現すのは年2回ほどだが、その割に破格の報酬を貰っている。
 副業として、主要都市のほとんどにカジノチェーンを展開している。共同経営者はジャーガライズ。
 趣味はゴルフ。
<7. by NIGHTRAIN>


 まーくんは、すでに地位や名誉の事などどうでもよかった。暗黒の力で世界を統治することなど、キャリーちゃんの可愛さに比べたら糞みたいなものだった。
 しかも今まさに、目の前で愛した女が自ら命を断とうとしている。ここで彼女を止めればポイントが上がるのは間違いない。ここまで良い所なしのまーくんであったが、挽回するチャンスが訪れたのだ。風雲急を告げるとはまさにこのことである。
「待つんだキャリーちゃん! 早まるんじゃない!」
 まーくんは暴行を受けて痛む体を引きずりながら飛び出した。
「いや! こないで! 無理!」
 キャロラインは、痣だらけで血を流しながら迫るまーくんに恐怖し、手に持つライトサーベルを無茶苦茶に振りまわした。
 次の瞬間、まーくんの体は、上半身と下半身が綺麗に切り離されていた。
 断末魔の叫び声を上げるまーくん。それでもライトサーベルを振りまわし続けるキャロライン。
 勇者と魔術師は胸倉を掴み合い、罵声を浴びせあっていたが、その様子を見るや、ひとまず休戦といった感じで、お互い離れた。

 悪魔宰相ザエル以下魔王軍の面々は、まーくんが致命的な状態であることを悟ると、労働基準局に代表取締役の交代を申請するためと、新しいリーダーとなるザエルのキックオフパーティの準備に取り掛かるため、その場から撤退を始めた。
「こ……これで良かったんだよ……。これで。泣くんじゃないキャリーちゃん。君は俺の分まで生きなきゃいけない……」
 まーくんは最後の力を振り絞ってキャロラインに語りかけたが、あまりの気持ち悪さに涙を流しながら錯乱状態となり、なおもライトサーベルを振りまわすキャロラインには届かなかった。
 コミュニケーションは全く取れていないといってよかった。
<8. by NIGHTRAIN>


 胴体からキャリーちゃんにぶった切られ、虫の息のまーくんは、いまわの際に、幼いころの記憶がフラッシュバックしていた。
 まだ世の中が少しだけマトモであったあの頃……温かくて、切なくて、胸の詰まるような思い出……。

 * * * *

 まーくんが幼い頃、まだ魔王軍はなかった。あるとすれば、強大な人間の勢力に対して、ゲリラ活動で抵抗する小さな魔物のグループが点在するくらいだった。
 魔物はその禍々しい姿、人間をはるかに超える膂力、人間の理解を超える高い知能や、独特の文化形態から、長い間、忌み嫌われる存在であった。
 それでも、魔物達は人間との共存の道を模索し、半ば人間の奴隷のような立場となってまで、人間と仲良くしようとした。
 まーくんは、そんな魔物達の住む隔離地区(B-56特別隔離エリア)で生まれた。隔離地区は、人間の街の隣にあったが、四方を有刺鉄線で囲まれ、たったひとつの入り口には人間の衛兵が武器を持って監視する検問があった。
 隔離地区に住む魔物達は、人間の為に、港での荷下ろしや、未開拓の地の開墾、土木工事、建築作業の人足、その他もろもろの危険の伴う力仕事に従事していた。
 まーくんが物心ついた頃、すでに両親はおらず、隔離地区の診療所で働く看護婦エルザに育てられた。
 エルザは魔物達に対する人権の確立を訴え、自ら隔離地区に赴き、衛生環境が悪く、怪我や病気をしても医療サービスを受けられない魔物達の為に国境なき医師団と共に奮闘する人間の娘であった。
 エルザは親のいないまーくんを自分の養子として引き取り、人間の子と同じように育てた。
 魔物達の大人の中には、人間を良く思わず、ゲリラ組織に身を置く者達もいたが、隔離地区の魔物の少年達にとっては、彼らはヒーローであり、誰もが憧れ、真似をした。
 まーくんも同じく、彼らの真似ごとをしたが、エルザはそんなまーくんを厳しく叱りつけ、精いっぱいの思いやりをもって愛を説いた。
 そのせいか、幼いまーくんは、段々と人間を信じるようになり、人間と自分の間に、例え姿かたち、血の色は違えど、心は変わらないのだと考えるようになった。
<9. by NIGHTRAIN>


 ある時、まーくんは可憐な少女に初めて恋心を抱き、告白したが、酷い言葉を浴びせられ、傷つき泣きながら帰ってきた時があった。
 その時もエルザはまーくんに、自慢のスープをふるまい、優しい言葉をかけた。
「可愛い娘なんて、まだまだこの世にはたくさんいるんだから、いつかきっと、まーくんを本当に好きになってくれる女の子も現れるよ。きっと今回まーくんが好きになった女の子は、いつか出会うまーくんの運命の相手の為に身を引いてくれたんだよ」
 しかし、初恋相手に嫌われたまーくんは、エルザに食ってかかった。
「エルザなんて嫌いだ! 僕の気持ちなんか、人間のエルザにわかるわけないんだ! 本当のお母さんじゃないから、エルザに僕の気持ちなんてわからないよ! 僕はあの子が好きなんだ! あきらめたくないんだ! どうせエルザだって、僕の事、顔や唇が青くてきもいとか思ってるんだ!」
 そしてエルザの出したスープを床に投げ捨てて、家を飛び出そうとした。
「ふざけるんじゃないよ! あんた! なんてうじうじした子だい!? そんなにあたしが嫌いなら、あんたなんてもうウチの子じゃないよ! どこへでも行けばいい! よくもスープを散らかしてくれたね! もうあんたなんかに食わしてあげるものなんてないからね! 腹減ったら床にこぼれたスープをすすんな!」
 エルザは飛び出そうとしたまーくんを掴み、激しく打ちすえ、まーくんの顔を床にこすりつけた。
 まーくんはそれでも暴れ、エルザの手を振りほどくと、家のドアを蹴破り、そのまま飛び出していった。
 エルザの目からは、大粒の涙がぽたぽたとこぼれ、床にこぼれたスープと溶け合った。
<10. by NIGHTRAIN>


 家を飛び出し、まーくんは走り続けた。
 本当は大好きなエルザに酷い言葉を浴びせかけてしまった悔しさや、少女に振られた悲しさでまーくんは無我夢中で走った。
 やがて、どこをどう走ったのかわからなくなったまーくんは、隔離地区の中で魔物達が魔法の薬を売買したり、ゲリラ組織に所属する者が潜伏する裏路地に迷い込んだ。

 ドン!

「いてーな! おい! 俺の肩にぶつかっといて何の挨拶もなしか? 小僧!」
 まーくんは自分より少し年長の魔物の少年とぶつかった。しかし様々な感情で混乱していたまーくんは、少年にも食ってかかった。
「なんだよ、バーカ! お前がぼーとしてるからぶつかるんだろーが! 謝れ!」
 少年はまーくんの態度にぶちギレし、二人は力一杯殴り合った。それを見ていた路地裏のジャンキーや、密売組織の大人達も煽った。
 やがて二人とも力尽きて、大の字になって道に寝転がると、魔物の大人たちは、やれやれ、もう終わりか、といった具合にその場からいなくなった。
 少年は痣だらけの顔で、息を切らせながらまーくんに話しかけた。
「はあ……はあ……、くっそー、痛ってぇ……、お前みたいなガキは初めてだよ。クソ根性あるな…。名前なんていうんだ?」
 まーくんは同じく息を切らせながら答えた。
「はあ……、はあ……、痛つっ、俺は“まーくん”。おかあ……、エルザって女が……いつも俺をそう呼ぶからお前も特別にそう呼んでいいぜ。俺と互角の勝負をしたやつは初めてだ……」
 実は今までまともに喧嘩などしたことのない二人だったが、はじめて血を流すほど喧嘩し、なんだかわからないけど必死にやり合った相手に対して、親近感が湧くと同時に、精いっぱい強がってみせた。
「俺、ドリギガントって言うんだ。実は今日、仲間の兄ちゃんと人間の街に忍び込んで、人間の酒を盗む計画があるんだぜ。お前も来るか?」
 彼、ドリギガントこそ、のちに魔王軍を立ち上げ、人間に対して宣戦布告をする初代の恐怖の大王となる魔物であった。
<11. by NIGHTRAIN>


 まーくんは、はじめて大ゲンカした相手に認められたことが嬉しかった。ドリギガントもこれまでは自分が一番下っ端であったが、信頼できる舎弟ができたようで気分が良かった。
 二人はすっかり意気投合し、ドリギガントの兄貴分であるメフィスティの元へ向かった。
 メフィスティは、酒場で大人達に交じって質の悪い酒をあおり、昼間っからすっかり酔っ払っていたが、新しい仲間を歓迎した。
 そして酒場で三人は夜になるのを待った。

 街の四方に張り巡らされた有刺鉄線にはところどころ切れ目があり、魔物の子供ならなんとかすり抜けられる程度の穴が点在した。
 人間の衛兵も、せいぜい子供の魔物が抜け出して、森や川に行く程度ならと、修復はせず、そのままにしていた。
 三人はそこから隔離地域を抜け出し、人間の街に向かった。初めての仲間との”作戦”。
 まーくんは少しばかりの不安と期待と好奇心で胸をときめかせた。メフィスティとドリギガントは、何度かそういうことに手を染めているらしく、ふざけ合いながら状況を楽しんでいた。やがて人間の町はずれにある、小さな牧場に三人は到着した。
「あの納屋の中に、たっぷり人間の酒があるんだぜ! 上等のぶどう酒だ!」
 メフィスティは何度も来たことがあるかのような口ぶりで二人に説明した。
「やったー! 俺ぶどう酒大好きなんだ! 早く行こうぜ! 兄ちゃん!」
 ドリギガントは大喜びだった。
「待ってよ! 声がでかいよ! 人間に気付かれるだろ!」
 まーくんは初めての盗賊行為であることと、二人の声があまりに大きいので、人間に気付かれるのではと気が気ではなかった。
<12. by NIGHTRAIN>


 三人は警戒しながら納屋に近づいた。
 納屋は牧場主の住む家からは少し離れており、よほど月明かりの明るい夜でなければ、家から納屋に近づく人影を判別することは困難であった。
 闇にまぎれて納屋まで辿りついた三人は、小窓から中に侵入した。
 中には、様々な農具や小作人用の使われていないベッド、ランプ、水桶などがあり、三人にとってはまるで秘密基地のようであった。
「うわー! ふっかふかだ! くっそーいいなー! 毎日こんなベッドで寝てみたいなー! 俺の家のじめじめした苔の生えた石畳とは大違いだ!」
 ドリギガントははしゃいだ。
「ほら、これからが仕事だぜ! あっちにぶどう酒の棚があるんだ! こいよ!」
 メフィスティが二人を納屋の奥へと連れて行った。
 まだ作りかけらしいものや、かなり年数を経て埃をかぶっているもの、飲みかけらしきもの、様々なぶどう酒のボトルが棚には収められていた。
 しかし三人には、「人間や一部の特権階級が飲めるとてもおいしいお酒」という認識しかなかったので、ぶどう酒の状態などわかるはずもなく、一様に光り輝いて見え、まるで宝の山を発見したように喜んだ。
「まずはボスである俺が味見をする。それからお前達にも飲ませてやろう」
 メフィスティは少しかしこまった口調で二人に言った。
 そんなことはおかまいなしに、ドリギガントとまーくんはボトルをあさり、うっかり一本を落として割ってしまったので、勿体ないと言わんばかりに、まーくんは床にこぼれたぶどう酒をなめた。
「うめー!! なんだこれ!? 人間は毎日こんなものを飲んでるのか!?」
「おい! そんな下級の魔物がするような真似はやめろ! 俺達は上級の魔族なんだぜ! 上級の魔族はグラスで酒を飲むんだ!」
 狂喜乱舞するまーくんをドリギガントはたしなめた。
「馬鹿野郎! ボスを差し置いて飲むやつがあるか! もうお前らにはわけてやらん!」
 メフィスティはそう叫ぶと、手に持つボトルをラッパ飲みでごくごくと飲み始めた。まーくんとドリギガントも真似をしてボトルごとラッパ飲みを始めた。
 そして、三人は次から次へとボトルを空け、すっかりと酔いつぶれてしまった。
<13. by NIGHTRAIN>


 まーくんは、小鳥のさえずりと、窓から差し込む朝日を顔に浴びて目を覚ました。
 すでに陽は高く上り、外から人間の声がする。まーくんは飛び起きて、ドリギガントを起こした。
「まずいよ! もう朝だ! 起きてよ! ドリギガント!」

「う〜ん、なんだよ……、もう少し寝かせろ……。二日酔いだ俺」
 ドリギガントはなかなか起きなかったが、まーくんは揺さぶり続けた。
 顔を何度か殴ると、ようやく機嫌悪そうにドリギガントは起きた。
「てめー、ふざけやがって。兄貴分の俺を殴るとは上等だ! 昨日の続きをこれからやるか?」
 ドリギガントは無理やり起こされてかなり不機嫌であったが、まーくんもドリギガントもすぐに凍りついた。
「おい。誰かいるのか? ボブのとこの子供か?」
 納屋の扉が開かれており、納屋の入り口に人間が立っていた。
「…………!!」
「…………!!」
 まーくんとドリギガントはお互いの口を押さえて、物陰に隠れた。
 あたりを見回すと、散乱したボトルの山の中にメフィスティが眠りこけている。今メフィスティを起こしてすぐに逃げ出さないと大変なことになる。まーくんはなんとか起こす手段を考えたが思いつかなかった。
「おい。誰かいるだろ? 誰だ?」
 人間の足音が近づいてくる。
 ドリギガントはまーくんの腕をつかみ、小窓から外に飛び出した。
「あ! コラ! 逃げるのか! 誰だ!」
 人間に気付かれたまーくんもドリギガントの後を追って小窓から逃げ出した。

 二人は叫ぶ人間の声を背に、必死に走った。もうメフィスティの事は頭の片隅にもなかった。
 とにかく捕まると大変なことになるという恐怖感と、姿を見られてしまった焦りで、アドレナリン全開で走り続けた。
 幸い、二人が小窓から飛び出した側の牧場に人影はなかった。町はずれであることもあり、このまま走り続ければ、すぐに逃げ切ることができるだろう。
「ドリギガント! もし捕まったらどうなるの?!」
 走りながらまーくんは聞いた。
「走れ! 捕まったら殺される!」
「!!」
 ――殺される。
 まーくんはその言葉に衝撃を受けた。まさかそんな危険なことをしているなんて自覚はなかった。ほんのいたずらのつもりでついてきただけだった。
 すでに二人は牧場から離れ、森の中にさしかかっていたので、安全圏内に逃げ切っていたが、それでも走り続けた。まーくんは一刻も早く、エルザの元に戻りたかった。
<14. by NIGHTRAIN>


 しばらく走り、ようやく隔離地区のバリケードが見えてきた。二人は安心し、ゆっくりと歩き始めた。
「メフィスティ、殺されちゃったのかな……?」
 まーくんは恐る恐る聞いた。
「きっとな。俺達も逃げなきゃ、今頃殺されてたよ。お前が起こしてくれて助かったよ。」
 ドリギガントは平静を装いながらも、不安いっぱいといった表情で応えた。
 二人はそれから口を聞かずに、だまってバリケードの隙間を抜け、最初に出会った路地裏まで帰ってきた。
 魔法の薬の中毒者が道端に横たわり、昼間から陽も射し込まず、じめじめとした、退廃的な雰囲気の路地裏でも、二人にとっては温かい安全な場所に帰ってきたのだという実感があった。
 二人はそこで別れ、まーくんはとぼとぼと家路についた。

 まるで、何週間も家に帰っていないような感覚にとらわれ、昨日から喧嘩したり走り続けたり、いろんなことがあって、くたくただった。
 途中の診療所の前で、医師のドワイトに見つかり、しこたま怒られた。エルザがとても心配していることを聞かされ、怒られたことと、エルザに対して申し訳ない気持ちでわーっと泣いた。ドワイトは早く家に帰ってエルザに謝るようにまーくんに諭すと、忙しそうに診療所の中に戻って行った。
 涙をぬぐうと、まーくんは再び歩き始め、しばらくしてから家にたどり着いた。
 家のドアは、昨日まーくんが蹴破ったままの状態で穴が開いていた。まーくんはそれを見て、心が痛んだ。
「……ただいま」
 ばつが悪そうにまーくんが玄関で小さな声で言った直後に、真剣な顔でエルザが飛び出してきた。
 エルザは、力一杯まーくんの顔に平手打ちを喰らわすと、まーくんを抱きしめた。
「一晩中、どこに行ってたの!? 本当に心配したのよ! ごめんね、昨日はあなたにウチの子じゃないなんて言って……! あたし……あたし……」
 エルザは強くまーくんを抱きしめながら泣き始めた。
「ごめんなさい……僕が悪かったよ……。お母さん、ごめんなさい……」
 まーくんも激しく嗚咽しながら泣いた。エルザのぬくもりはまーくんにとって、とても温かかった。
 二人は玄関でひとしきり泣き続けたあと、一緒に家の中に戻った。
<15. by NIGHTRAIN>


それからしばらくして、隔離地区に人間の憲兵隊が訪れた。地区内を回り、ある犯罪者を探しているということだった。
まーくんは街の噂でその事を知り、すぐに自分の事かもしれないと身を隠そうとしたが、すでに憲兵隊は街の子供達全てを地区の中心にある広場に集めるよう、御触れを出していた。
 エルザとドワイトに連れられ広場に向かうまーくんは牧場から逃げ出した時を思い出し、あまりの恐怖で吐きそうであった。
 広場に到着すると、集められた子供たちの中にドリギガントの姿は無かった。
 きっとうまく身を隠したのだろうと、まーくんは内心ホッとするとともに、集められた理由が、自分が牧場に忍び込んだことでないことを祈った。
 広場に街中の魔物の子供が集められると、憲兵隊の隊長が叫んだ。
「いいか、よく聞け! 先日、魔物の子供による犯罪が起きた! 我々人間の街でだ!」
「事件は三日前だ! 牧場を経営するシュタインさんの所に魔物が強盗に押し入った! 犯人のうち、一人は我々が捕えている!」
 恐れていたことが現実となり、まーくんは恐怖でおかしくなりそうだった。
「今からお前ら一匹ずつ、前に出てくるんだ! 我々の掴まえた魔物の仲間かどうか確認する! おい、あいつを連れてこい!」
 憲兵隊に引きずられて出てきたのは、メフィスティであった。ロープで体を縛られ、両足が切断されている。
 広場に集まった魔物達からはどよめきが起こった。
「おい! あんまりじゃないか! まだ子供だぞ!」
「酷いことをする……」
「その子が何をしたんだ! そんな仕打ちをするほどのことをしたのか!」
 魔物達は怒りをあらわにしたが、憲兵隊は表情を崩さず、両足の切断されたメフィスティを引きずってきた。
「お前達もこうなりたくなければ、おとなしく一匹ずつ前に出てこい! もし抵抗したり、大人の魔物が我々を阻止するなら、その場で処刑する!」
 隊長が叫ぶと、憲兵隊の隊員達は剣を抜き、整列した。
 まーくんは無意識にエルザの手を強く握っていた。エルザも、まーくんの手を握り返し、「大丈夫よ。」とまーくんの頭をなでた。
 憲兵隊は魔物の子供達を一人一人連れ出し、メフィスティとの顔合わせを始めた。
<16. by NIGHTRAIN>


 大概の子供は、あまりにもメフィスティの状態が惨いため、その場で泣き始めたり、震えて動けなくなる者ばかりであった。
 ごくたまに気の強い魔物の子供がいたが、それでもメフィスティとは目を合わさずに、早く仲間じゃないと言えというしぐさや、地面に唾を吐きかけたりした。
 そして、いよいよまーくんが前に出される順番がきた。
 憲兵隊の隊員は、エルザとドワイトに軽蔑的な目を向けたあと、握っていたエルザの手をふりほどき、まーくんを連れだした。
 まーくんは、足元に力が入らず、両脇を憲兵隊に抱えられ、引きずられるようにメフィスティの前に出された。
 あの時、逃げた自分をきっと恨んでいるだろう。きっと憲兵隊に脅されているから、自分を仲間だと言うだろう。まーくんは、不安でいっぱいになりながらメフィスティの顔を見た。
「どうだ? こいつか?」
 隊長がメフィスティに問いただす。
「いえ……、違います。こんなやつ……知らない……」
 まーくんが衝撃を受ける言葉をメフィスティは発した。
 まさか自分を捨てて逃げた仲間をかばうなんて。しかも、たった一日だけの仲間の自分を。まーくんは、自分を恥じ、涙を流した。
「ん? お前なんで泣いてるんだ? 良かったな。仲間じゃなくて。助かったんだ。喜べ。それはうれし涙か?」
 憲兵隊の隊長はまーくんに語りかけた。
「よし! 次! はやくもってこないと日が暮れちまうだろ! おら、とっととどけ!」
 隊長はまーくんを蹴り上げ、部下達にその場を連れ出すよう合図した。
 群衆の中に戻されたまーくんをエルザとドワイトは代わる代わる抱きしめた。
「偽善者が。よくやるぜ。そんな化け物を抱きしめるなんてな……」
 憲兵隊の隊員はそんな二人に毒を吐きながら別の子供を連れて行った。
 そうして、次々に子供達の顔合わせを行い、やがて最後の魔物の子供の顔合わせまで終了した。
<17. by NIGHTRAIN>


「うーん。おかしいなあ。シュタインさんは確かに三匹の魔物が強盗に押し入ったと言ったのだ。それがどうだ? 今ここにいるのは一匹だけではないか。それともシュタインさんが嘘をついているとでもいうのかな?」
 憲兵隊の隊長は犯人が見つからなかった為、苛立ちながら群衆に問いかけた。
「どうだ? お前達は俺やシュタインさんが頭のおかしい嘘つきだと言いたいのか?」
 広場に集められた多くの魔物は、恫喝を受けることにうんざりしていた。
「もう止めてくれ! 十分だろう!」
「その子も離してやってくれ! 頼むから許してくれ!」
 口々に叫ぶが、隊長は一方的に話し続けた。
「お前らがどうしても本当のことを教えてくれないのなら、俺にも考えがある。剣を貸せ」
 部下から剣をとると、隊長はメフィスティの片腕を切り落とした。
「………!」
 メフィスティは激痛で声にならない声で叫んだ。まーくんは思わず目をそらした。
「なんて酷いことするの!? あんた何様よ! それ以上その子に暴行を加える事は許さない!!」
 叫んだのは、エルザであった。握りしめる拳からは血が流れ出ていた。
 遅れてドワイトも叫んだ。
「君達がこのまま不法行為を続けるのなら、訴えてやってもいいんだぞ!」
 まさか同じ種族に糾弾されると思わなかった隊長は怒りで青筋を立て、プルプル震える顔で、無理矢理笑みをうかべながらエルザに話しかけた。
「これは、これは……。お嬢さん、まさかあなたのような可憐な人が魔物の肩をもつとは……。ひとつ言って良いですかな? シュタインさんは今酷く怪我をしていて入院しておられる。なんでもこの魔物一匹を掴まえるとき激しい抵抗に合い、額に4針も縫う大怪我をなされたのだ。私はシュタインさんのことを想うと、悲しくて涙が出そうになる。苦労して牧場を経営してこられたのに、強盗に入った汚らわしい魔物なんかに怪我を負わされて……。なんて悲しく救いようのない話だというのだ。せめて、我々憲兵隊が、シュタインさんに代わって、かたき討ちをしてあげないと、世の中に正義はないということになる。それでもあなたはこの汚物をかばうというのですかな?」
 そう言うと、隊長はメフィスティの首を切り落とした。
<18. by NIGHTRAIN>


 すでに我慢の限界にきていた大人の魔物のうち一人が前に飛び出した。
「抵抗するつもりだな。やれ!」
 隊長が命令すると、憲兵隊の隊員達は剣でその魔物を制した。
「これではっきりとわかった! 今この広場にいるお前達は犯罪者を匿っている! よって全員が処罰の対象となる!」
 隊長が叫ぶと、一斉に憲兵隊員達が群衆に突撃した。
 その時であった。広場の端にいた憲兵隊員達が何者かに吹き飛ばされた。
 そこに現れたのは、魔物達のゲリラ組織であった。その中には、ドリギガントの姿も見えた。
「敵襲!! 全員防御態勢を取れ!! 前衛は広場の魔物を駆逐しろ!!」
 やがて広場にいた魔物達も逃げ出すか、憲兵隊に襲いかかるかし始め、広場は大混乱に陥った。
 混乱のさなか、ドリギガントはまーくんを見つけた。
「おい! お前! 無事だったんだな! メフィスティには可哀想なことをした……。どうだ! 俺達とかたき討ちしようぜ! お前も来いよ!」
「ドリギガント!! なんでもっと早く助けにきてくれなかったんだ! メフィスティは俺達を庇って……」
 まーくんは返しながらも、最後は泣き始めた。
「あなた達……!! やっぱり忍び込んだのはあなた達だったのね!! あとでしっかりと話は聞くけど今は一緒に逃げなさい!!」
 混乱の中、エルザはドリギガントとまーくんを睨みながら二人の手を引いた。
 ドリギガントは人間の女に手を掴まれ、混乱した。
「わ! なんだお前! 離せよ! 俺はレジスタンスのドリギガントだぞ! お前ら人間なんかいつか倒すんだからな!」
<19. by NIGHTRAIN>


 ドワイトは逃げ惑う魔物達に押され、すっかりとまーくんとエルザを見失っていた。
 なんとか、魔物達の隙間から、まーくんとは別の魔物の子供の手を引くエルザが見えたが、エルザの背後に憲兵隊員が近付いていた。
「危ない! エルザ! まーくん! 早く逃げるんだ!」
 ドワイトは叫んだ。エルザが振り向くと、憲兵隊員がまーくんに剣を振り下ろすところであった。
 間に合わない。次の瞬間、エルザはその身を投げ出していた。
 鈍い音とともに、エルザの鮮血がまーくんの顔に飛び散っていた。
 思考回路が止まり、その場に立ち尽くすまーくんの前に、エルザは崩れ落ちた。
 憲兵隊員は、なおもまーくんに剣を振り下ろそうとしたが、ドリギガントが剣を持つ手に飛びついた。
 まーくんは、崩れ落ちたエルザの前に膝をついた。エルザはまーくんに語りかけた。
「……何してるの? ……早く……逃げなさい。ごめんね……、あたしは……もう駄目だから。あなたは……早く逃げて」
「嫌だ!! お母さん!! 嫌だ!! 死なないでよ!!」
 まーくんは泣きじゃくりながらエルザに向かって懇願した。
「ありがとう……。まーくん。あたしのこと、お母さんって言ってくれて……。あたしもあなたの事、本当に血を分けた息子のように思っていたわ……。魔物も人間も変わりはないのよ……。同じ命があるの……。同じ心があるの……。あなたの事、心から愛してる……。最後に抱き締めさせて……」
 そう言うと、エルザはまーくんを抱き寄せた。混乱する群衆の中、しばらくエルザはまーくんを抱きしめたが、その目から涙が流れ落ちた時、彼女は絶命していた。
 ドリギガントともみ合っていた憲兵隊員は、ゲリラ組織の魔物に倒されていた。
 ドリギガントは、しばらくその場に立ち尽くし、泣きながらエルザの遺体にすがるまーくんを見つめていたが、やがてまーくんの腕を掴み、立ちあがらせると、ゲリラ組織の魔物と一緒にまーくんを抱え、広場を後にした。
 広場ではしばらく憲兵隊と魔物の争いが続いたが、憲兵隊の増援が到着し、闘っていた魔物達はゲリラ組織と共に撤退し、その場に残ったものは、全て拘束された。
 この事件の後、反乱分子を匿った地区として、B-56特別隔離エリアは、隔離居住区ではなく、犯罪者を収監する監獄エリアとなった。
<20. by NIGHTRAIN>


 ゲリラ組織のアジトに逃げ込んだまーくんは三日三晩泣き通した。まーくんにあてがわれた物置用の穴ぐらの片隅の岩のベッドの上で涙が枯れ果てるまでまーくんは泣き続けた。
 ゲリラの魔物達もドリギガントも戦いの準備や武器などの整備で忙しく、まーくんにはかまってられなかった。四日後、ようやく魔物達が食事をとっている場に、まーくんは姿を現した。
 動物や、人間の四肢であろう部分を生のまま食べるものもいれば、剣に刺し、たき火で焼いて食べるものもいた。魔物達はとても楽しそうで、楽器を弾き、踊る者もいた。たき火のまわりには、食用として連れてこられた動物や、衣服を剥がれた人間の女子供もいた。何匹かの動物や人間は、丸焼きにするため串刺しにされていた。
 まーくんは、これまで隔離地区でエルザの出す人間の食べ物を食べて暮らしてきたので、あまりの陰惨な光景にえずいたが、丸三日何も食べていなかったので、食欲が勝った。
 ドリギガントがまーくんを見つけて、動物の足の串刺しを差し出すと、まーくんは飛びついた。
 エルザに教え込まれた食事のマナーなどはもはや関係なく、他の魔物がやるように、牙を剥き出し、息遣いも荒く、獣のように貪った。
 生肉と生血を飲み込むと食欲が満たされていく幸福感を感じると共に、体の奥底から力が湧いてくるようであった。空腹感から、夢中で食事していたまーくんは、自分が食い散らかした中にある人間の手にも気付かなかった。
 やがて満腹になったまーくんにドリギガントは杯を差し出した。まーくんはごくごくと中身を飲み干した。こないだ飲んだぶどう酒なんて比べ物にならないくらいおいしかった。
「どうだ? 少しは元気になったか?」
 ドリギガントは、心配するような表情でまーくんに語りかけた。
「ありがとう。ドリギガント。少し気分が良くなったよ」
 まーくんは口をぬぐいながら応えた。
「それ、人間の血なんだぜ。俺も最近知ったんだ。すごくうまいだろ? 隔離地区の大人達は俺達にそんなうまいもんがあるなんて、教えてくれなかったけどな」
 まーくんは複雑な気分であった。
 エルザやドワイトと同じ種族の肉や血を自分は飲食している。もしこれが彼らの血肉であったなら、まーくんは吐きだすだろう。ただ、憲兵隊のものであったなら、骨まで食い尽すであろう。そして、告白して振られてしまったあの娘のものなら……。
 まーくんはそれ以上は考えないようにした。
「ドリギガント、僕はまたあそこに戻らなきゃ。お母さん、そのままにしてきてしまったから、せめてお墓に入れてあげたいんだ」
「もうあれから四日も経ってる。人間達が死体は片づけてゴミ箱にでも捨ててしまってるよ……」
 ドリギガントはまーくんを諭した。
「ふざけんな! お母さんをゴミ箱になんて捨てさせないぞ!!」
 まーくんはドリギガントに向かって喚いたが、ドリギガントはうつむくばかりだった。
 まーくんも、いつまでもエルザの遺体が広場にそのままあるわけがない事は知っていたが、満腹になると、いいようのない怒りや悲しみ、そして彼女をなんとか弔ってあげたいという感情が湧きあがった。
「お前の気持ちはわかるよ……。俺も昔人間に育てられたんだ。検問の兵士だったが、規則違反でクビになっちゃったんだ。それでも、俺達の隔離地区に残って、街の保安官として、俺達を守ってくれた。でも、ある日、街の外にいったきり、俺達の所へは戻ってこなかった。何かあったのか、とても心配になってあちこち探したけど、いなかったよ。後で知ったんだけど、その人は俺達の街の魔法のクスリを手に入れる事が目的で、俺達の街で魔法のクスリを大量に買い込んでは、人間の街に持ち帰って、いろいろと取引してたみたいなんだ。
それで、人間達に捕まって、そのまま処刑されたって聞いた。俺も人間のお父さんを人間達に殺されたんだ」
 まーくんは、エルザと同じではないと言いたかったが、そのままドリギガントの話を聞いた。
「お前があそこに戻るときはもう少し後だ。俺達はもっと力をつけて、レジスタンスの中でも偉くなって、部下をたくさん連れて、あいつらに復讐するんだ。その時は、俺の一番の部下としてお前を連れて行ってやるから、
お前ももっと強くなるんだ。それから好きなだけ、お前のお母さんの弔いをすればいい」
 二人の小さな体は、たき火に照らし出されて、夜の森に大きな影を落としていた。
<21. by NIGHTRAIN>



 * * * *

「エルザ……お母さん……もうすぐ……そっちに行くよ……何億光年……、輝く星にも寿命があると……教えてくれたのはあなたでした……」
 目を閉じ、回想していたまーくんは、口から青色の血を噴き出しながら、力なく呟いた。
 “何億光年〜”のくだりはエルザは言ってはいないし、勝手にまーくんの中で美化されたエピソードであったが、そんなことはいまわの際のまーくんはおかまいなしであった。
 まーくんの顔からは険がとれ、とても死にかけている魔物とは思えぬほど、涼しげで優しい笑みを浮かべ、仰向けに空を見つめていた。
 その様子が、キャロラインの気に障った。
「やだもぉ……。なんなのあいつ……。なんかニヤけてしゃべってるし……」
 キャロラインは涙目であった。あまりにもまーくんが気持ち悪かった。
 三人が自分を奪い合っている様を喜んで、悪ノリしてしまったことなど、忘却の彼方に吹き飛んでいた。早く目の前の”コレ”を誰かに何とかして貰いたい気持ちでいっぱいであった。
 彼女は基本的に他力本願であったので、自分が可愛いく、か弱い女子である立場をこれまでフルパワーで活用してきたのだ。
 同伴する者達には可愛さアピールを忘れず、ボディタッチのスキンシップを多用し、男どもをその気にさせ、
それでも心と体は許さず、うまく手のひらの上で転がす。相手との距離感を大切にし、その気にさせながらも、告白させないようにうまくタイミングも調節する。
 そして戦闘や生活面では、何事も決して自分では手を下さず、周りに100%自分を守らせる。
 たまに傷ついた仲間を回復するため、血で衣服を汚すこともあるが、そういったサービス精神の見返りとして、余りある待遇を受けなければいけない。
 そうして、これまでずっとチヤホヤとされ続け、温室育ちであった彼女に、あろうことか何度も言い寄り、あまつさえ、今自分の目の前で醜態をさらしながら同情を誘おうとする汚物がいる。
 そして自分を守らなければいけないはずの勇者と魔術師はお互いいがみ合い、使い物にならない。剣士は第一話で死んでしまって話にならない。今パーティの中で前衛に駆り出されているのは自分に他ならない。
 キャロラインの恐れ、悲しみ、嫌悪感は、やがて怒りへと変貌していた。
<22. by NIGHTRAIN>


 結果から言えば、一突きである。それで、全て終ってしまった。 「魔王」という罪を背負った男の、哀れな最期であった。
 魔王マディなんとか(実際のところ本名は不明である)は、愛するキャロラインの何かやたら光る剣によって、最期を迎えた。こうして、勇者アルスと魔術師ロバーティスそっちのけに世界は救われたのであった。
 しかし、「魔王を倒した女」なんて呼ばれたら嫁の貰い手が減る、と考えたキャロラインは焦り、事実を隠蔽した。

 即ち、「魔王マディは、勇者アルスの光の剣によって倒された」と、そう伝承された。世界を救った三人は、故郷へと帰り、それぞれの日常へと戻っていった。
 ……しかし、現実はそうは甘くは無く、うまくはいかぬものである。これは、第6話で述べた通りである。

 アルスは世界を救った功績でモテモテになり、また報奨金も得たので酒と女に溺れた。しかし、金の切れ目が縁の切れ目、報奨金を使い果たした後は女達は去り、アルスは豪華な暮らしに馴染んでいたため、労働という行為にそぐわず、日がなだらだら過ごすようになる。やがて、勇者として鍛えた腕前と光の剣を武器に、強盗と万引きを繰り返し、やがて、「この腐った国家を正す」などと言い出す。(実のところ、これは自分が権力者になって、豪華絢爛な日々を取り戻そうとしただけであった。)
 時同じくして、ロバーティスの麻薬を用いた呪文や、勇者パーティの資金調達に麻薬を売買していた事実が問題視され始める。国王が彼の密売行為を黙認していたことが問題視され、結果としてDEA(麻薬取締局)に目をつけられ、内閣総辞職を招いた。
 この混乱に乗じたのが、勇者アルスである。彼の言葉巧みな話術によって、その思想に乗っかるものも数多く存在した。やがて、魔王無き後の未曾有の戦乱(※後に言う麻薬戦争)へと、世は移っていく。やがて、激しい銃撃戦の最中、勇者アルスは倒れるが、そのことにより、勇者原理主義派はなお反発を強め、血で血を洗う激しい戦争が起こった。

 ――これは、奇しくも魔王が予言した通りであった。
「幸せになどなれぬよ。弱い者は、いつの時代も虐げられる。魔物が消えても、弱い者は、いつまでも虐げられ続けるものだ。魔物がおらねば、人が人を虐げ、殺す時代が来るぞ」
 魔王が勇者たちに述べたことが現実のものとなったのである。
 結果、皮肉なことにもアルスは勇者でありながらテロリスト、最期は犯罪者として死んだ。
 当事者でありながら、薬物の多量摂取によって心身ともに壊れてしまい、刑務所でひっそりと息を引き取ったロバーティス。
 勇者パーティは、ろくなやつがいない。そういう風潮が広まるまで、さほど時間はかからなかった。

 このことに危機感を抱いたキャロラインは、亡きルークの実家に隠れ住んでいたのだが、実のところ身重であった。身ごもっていたのは、勇者アルスの子である。しかし、これは恋愛の果てではなく、一方的な暴行の末にできた赤子であった。(当時、堕胎技術はなく、出産以外に手はなかった。)
 キャロラインは今や、追われる身である。自身は何の罪も侵していなくとも、世論がそれを許さない。もう、この星以外のどこかへ逃げるしかない、とルークの母親に諭され、この星を去る決意をする。
 ルークの母親は、キャロラインのことを愛していた。自分の愛する息子の婚約者であると思っていたからである。(キャロラインはかくまってもらいたい一心で口から出まかせを言いまくった。それはもうたくさん。結果、キャロラインはルークなんてこれっぽっちも愛していなかったが、勝手に婚約者にされていた。お腹の子の父親もなぜかルークになっていた。)
 最初は、二体も召使ロボットを持っている家なので金持ちかと思い、媚を売っていたキャロラインであったが、娘のレイアが金を盗んで男と駆け落ちしたので貧乏である事実を知ってからは媚を売るのは止めた。
「私もね、大変だったのよ。ずっと片親であの子を育ててきてね」
「そうなんですねー」
「ルークの父親はね、人間ではなく魔族だったの。けど、心優しい人だった。名前をね、マディラスティンと言ったわ。私は、まーくんなんて呼んだりしてね」
「そうだったんですかー」
「貧しかったけど、私たちは幸せだったのだけど、彼が人を憎むようになって……人間と魔物のいざこざに巻き込まれて生き別れたのよね……」
「そうなんですねえー」
 まーくんがやさぐれた後に人間の女性と恋に落ち、一時期は幸せに過ごしていたがそこから更なる転落人生があったという、ストーリーに関わる重要事項も語っていたのだが、キャロラインは毎日適当にその話を右から左へと聞き流していた。そうですね、と言っていれば、たいていなぜか会話は噛み合っていた。
 しかし、その方が良いのである。ルークの母が、マディラスティン、もとい、まーくんのその後を知ってしまうと、さらなる悲しみを生むだけなのである。(まーくんは、初恋に破れ、スラム街での生活を経た後、人間の女性=ルークの母と恋に落ちる。しかし、その後、魔物と人間の戦争の中で彼女と愛する我が子を喪ったと勘違いしたまーくんは人間を憎むようになり、やがて暗黒面へと落ちてしまう。暗黒面に落ちたまーくんの後の生涯については、第22話までの通りである。)
 要するに、まーくんがキャロラインに惚れていた事実がばれてしまうと、修羅場なのであった。世の中、知らない方が良いこともあるのである。

 そんなこんなで、ルークの母親の絶対の信頼を勝ち取ったキャロラインは、ルークの母親の提案で、さほど離れていない惑星で、なおかつ、受け入れてくれる伝手のある星ユッターカに行くことに決めた。この星にいるよりは遥かに安全だろうと思ったのだ。
 操縦はロボットに任せれば行ける、とルークの母親は言うので、その言葉を信じたが、二体の召使ロボットはどうしようもないアホであった。
 目的地であるユッターカとは全然違う方向へ行ってしまい、オマケに色々失敗して、砂漠の星、モゼバルレニシコスケテ星へと不時着した。飛行船は破壊され、物資も燃えてしまい、生命があるだけ奇跡という状態で、キャロラインは投げ出された。(召使のロボットはどっかに吹っ飛んだ。後にリサイクルされ、キャロラインの孫と旅をするとは何の因果か。)
 宇宙船から投げ出される際に、砂漠の砂がクッションになり、66回バウンドして、キャロラインは助かった。キャロラインはこのとき産気づき、たまたま通りかかった奴隷商人に拾われ、無事に出産を果たした。キャロラインは子供の名前を、66回バウンドしてから生まれたことから、六十六(むそろく)と名づけた。
 この後、キャロラインは故郷の追手を警戒し、咄嗟に思いついた「山本」を偽名とし、母子家庭として六十六を育てていくことになる。ここで育児を放棄しなかったのは、二人とも奴隷として買われていたからであり、息子の六十六が何とか立派に育った暁には自分は解放されるだろうという目論見があったからである。
 しかし、山本六十六(やまもと むそろく)は、そんなキャロラインの目論む未来予想図とはかけ離れた生き方をしていく。ここでは蛇足であるが、六十六の息子の名前が瑠宇駆(るうく)であったり、父と子が闘わなければならない宿命であったり、歴史は繰り返すものなのである、と本作品(6部作)ではテーマに添えている。

 こうして――遠い昔、遥か銀河の彼方で起きた物語は幕を閉じ、新たな時代へ移っていくのであった。
 To Be Continued......


 ――『罪を背負いし者』、完。
<23. byよっしゅ>


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