05.試練の樹海

 燃え盛るロマリアでは、守備隊や黒水、サマルトリアからの増援部隊による避難誘導と消火活動が行われていた。突如現れたドラゴンにより、「22 アカシア アヴェニュー」と北部の歓楽街は壊滅的な打撃を受けたのだ。
 歴史的な尖塔群と、その中に入っていた流行の最先端の品々を扱うショップは見るも無残に崩壊し、煌びやかに着飾った貴族達は煤や粉塵で真っ黒になった全身で通りを彷徨っていた。崩壊した建物の周辺では、瓦礫の下敷きになって息を引き取った者の傍で放心状態で付き添う者達や、傷つき、肩を支えられながら救護施設に向かう者達、声にならない声で叫んでいる者達で騒然となっており、救護、避難、消火活動は困難を極めた。

 ドラゴンとカンダタ達が激闘を繰り広げたエリアの間近の、破壊を免れたいくつかの尖塔のうちのひとつ、そのバルコニーに、眼下の惨劇を見守る者たちがいた。元、斃流是婆武(ベルゼバブ)のジェラール達である。
 彼らは、シャルル達を追跡する為、市内に観光客を装い潜入していた元、斃流是婆武(ベルゼバブ)メンバーから急報を受け、混乱に乗じてロマリア市内に侵入し、マスタードラゴンとシャルル達の間近まで接近していたのだ。
「たまげたぜ……!! ドラゴンとはな……。しかも、あのチームに魔族がいやがったなんてよ……」
 ジブリルであった。歴戦の猛者であろうと、さすがに“規格外”の存在力を示したドラゴンには圧倒されたようであった。
「ハッ! ビビってんのか? さすがにアンタのショットガンでもあんなの相手じゃ豆鉄砲以下だしな。ソフィー、お前ならやれるか?」
 ダミアンはジブリルを挑発するような態度をとる一方、ソフィーの顔色を窺うように聞いたが、ソフィーは噛んでいた風船ガムを膨らませて小気味良い音と共に破裂させると、ダミアンを冷ややかな目で睨んだ。
「さあ? 撃ってないからわかんないね。アンタ、妙に馴れ馴れしいけど、アタシと1発ヤリたいのかい? ドラゴンにビビってキンタマ縮みあがってなけりゃ、相手してやるよ?」
 ジェラールは、メンバーが軽口を叩きながらも、各々がドラゴンを目の当たりにし、異様な殺気に満ちているのを見てとり、冷静な口調で話し始めた。

「フッ……あのサーベルタイガーが牙を折られる相手だ。相当な獲物が現れたな……。金色の魔物といい、サーベルタイガーといい、お前達は実にツキがあるようだ。誰か一人が我慢すれば、一人ずつ獲物が現れたわけだ。それより、さっきのを見たか?奴らはドラゴンごと消えた……。火山の時は、急にサーベルタイガーと現れたが……。瞬間移動を可能にする次元転移装置の類のようだが、まさか政府軍が建造中の“ルーラ”システムが完成したのか?」

 ジェラールの言う、“ルーラ”システムとは、正式名称を“Rapid Operation of Location Access System”と呼び、瞬間移動により、世界中のどんな場所へも迅速にアクセス可能とする装置である。とってつけたような名で、文法もでたらめなのはご愛敬である。古(いにしえ)の時代に禁呪とされた“ルーラ”にちなみ、頭文字をとってROOLA(ルーラ)システムと呼ばれた。
 国王軍が極秘に建造中の装置であり、システムが完成すると、魔王軍の潜伏場所に迅速に師団単位(10000人)の部隊を転送できるので、内戦を終結させる為の切り札となるばかりか、近隣諸国にとっても脅威となるシステムであった。国内でも、一部の者にしかその計画は知らされておらず、内務省の管理下で極秘裏に建造計画が進められていた。装置には巨大な設備とエネルギー源が必要とされる上、建造中であることを悟られない様に配慮しながら工事が進められており、完成には長い年月を要した。
 ちなみに古の魔法“ルーラ”はせいぜい数人程度の人数を術者がイメージした場所へ転送する魔法であったが、やましい考えをもった者による痴漢・覗き・ストーカー行為が多発した結果、世の多くの女性からの猛抗議により禁呪となることを余儀なくされた。
 今ではそのスペルの組み立て方や、自然の中に潜在するどういった要素の力を抜き出して凝縮するか等、一切が伝えられておらず、有名魔法大学の研究員や博士クラスでも“ルーラ”を復活させることは不可能であると言われている。
 さらに、もしこの魔法を研究・使用する者があれば、国際法で厳しく裁かれ、その者の家族、親戚、友人に至るまで斬首刑となる。
 当然、ルーラシステムを建造する事は国際法に違反する可能性がある為、今のところエニックス王国から正式発表はされていない。関係者らの話によると、「使用目的は、個人の利権によるものではなく、正当なる自衛権の行使及び、国内の反政府組織摘発の為、司法制度に則した公的なもの」であるとのことである。

「いや、そんな話は聞いてないし、そんなのが完成してりゃあ、とっくに内戦は終わってるんじゃないか? もしくは、まだ未完成で、あれは試作版とか……」
 ソフィーに睨みつけられ、バツの悪くなったダミアンは、誤魔化すようにジェラールの問いに答えた。
「憶測に過ぎん……。国王軍が何を開発しようが我々の知ったことではないが、あの小僧どもがルーラシステムを使ったのなら、早いうちに手を打たねばなるまい……。ひとまずは、小僧どものスマートフォンの識別信号を探し出して、今どこにいるか探りだすんだ」
 燃え盛るロマリアの炎に照らされ、ジェラール達の影はバルコニーの奥に揺らめいていたが、黒煙が立ちのぼり、炎の光を遮った後、再び炎の光にバルコニーが照らされた頃には、4人の影は消えていた。

  *  *  *  *  *  *  *  *

 一方、「試練の樹海」に転送されたシャルル達は、壊滅的なダメージから立ち直るのが困難な状況となっていた。
 最初に意識を取り戻したのはシムラであったが、状況が飲みこめず、オロオロするばかりで、ひとまず無傷なシャルルを起こすのが精一杯であった。シャルルが意識を取り戻した後も、今度は状況が飲みこめない人数が増えただけであり、二人でオロオロしながら途方に暮れていた。
 やがて、シャルルとシムラが互いに抱える不安や愚痴を言いだし、激しい口論となったので、その怒鳴り合う声に反応し、フローラが意識を取り戻した。
 しかし、最大魔法となる「ベギラゴン4倍」を行使し、激しい爆圧によるダメージを受けたフローラは肉体、精神共に衰弱しており、自分自身に対する回復魔法もままならない状態であった。フローラの状態を見て、改めて事の重大さを悟ったシャルルとシムラは口論を止め、なんとかフローラやカンダタやサーベルタイガーを手当てする方法はないか模索していたのであった。
「カンダタ……、こんなになるまで、私を守ってくれて……」
 フローラはカンダタに付き添い、うつむきながら涙を流した。ロマリアでの出来事に対し、自責の念と悔しさでいっぱいであったが、さらに自分の為に傷つき、意識が戻らないカンダタを前にしてフローラの胸中は、張り裂けそうなほど様々な感情が渦となっていた。
「ごめんね……、本当に私……、すこしずつだけど、癒しの魔法で、絶対にあなたのことは死なせはしないから……」
 シャルルは、シルバーの傍に付き添いながら、フローラの精神力が極限状態の中で、なんとか回復魔法を途切れ途切れに行使する様を、ただ見守ることしかできない自分が悔しかった。せめて最下級の回復呪文でも使う事ができれば……。自分は勇者などと名乗り、これまで旅をしてきたが、結局は何の力もない没落貴族の若者に過ぎないのか……。
 困難に直面し、どうすることもできずに途方に暮れるのはシムラも同様であった。破損し機能停止状態となったコンボイは揺すれど叩けど、再起動する様子はない。ワープする直前までの状況は、なんとか把握していたので、シムラはそれまでの経緯をシャルルとフローラに説明し、2段階のワープでこの洞窟まで逃げおおせたのだろうとひとまずの結論に達した。
 しかし、状況を打開するための施策は、今のところ、何も思いつかなかった。

 そんな中、シャルルのスマホの着信音が鳴り響いた。
 見ると、以前、内務省の男から着信があった時の番号が表示されていた。
「……もしもし」
 とりあえず、シャルルは出てみることにした。

『ああ、やっと繋がったか。大変だったようだな。今はどこだ? ロマリアでドラゴンと遭遇していたそうだが、急に君達が消えたという報告があった。メカキメラで探索しているが、どこのエリアでも君達の識別信号がキャッチできない。スマホのメニュー画面から、おおよその位置は国内のメカキメラからの電波で出るはずだ』

 内務省の男は、火山では激しい熱風と上昇気流の為、メカキメラによる監視が遠かったせいもあり、コンボイの瞬間移動能力を把握できていなかった。しかし、シャルルはフローラから内務省の男へはコンボイの事はなんとなく知らされていると思っていたので、どのようにして洞窟まで来たのか、瞬間移動の説明は省き、場所を示す表示を男に教えた。
「試練の樹海付近、ってありますけど……」
『……嘘だろう! そんなはずがあるわけない! ロマリアからどれだけ離れてると思ってるんだ! きっとスマートフォンの故障だ! 他のメンバーの端末情報も調べるんだ!』
 内務省の男は声を荒げてシャルルに命令したが、他の者たちのスマホに表示される地名も同じであることを聞き、しばらく沈黙した。そして、どのようにして「試練の樹海」まで辿り着いたのか、シャルルに問い正し、ようやく瞬間移動のことを知ったのであった。

『状況は分かった。どうやら君達はロマリアでのテロの首謀者として指名手配されているようだ。出回っている緊急の手配書によると、君とフローラ、カンダタはロマリアにドラゴンを持ち込んだ犯罪者となっている。多くの勇者達が君達を追っている。そのエリアの座標、D-34地点に今から3日後の13:00に救援チームを送る。彼らと合流し指示に従うんだ。セーフハウスまで案内させよう。
 この通信を最後に、しばらく各自のスマートフォンの電源は切るように。君達の識別信号が探知されると、
黒水やその他の勇者達にすぐに居場所を突き止められ、捕えられるだろう。我々が君達を保護するまで、なんとか君のチームの者達を回復させ、合流地点まで辿り着くんだ。特に、フローラと、そのマシンは必ず共に行動するんだ。わかったな? 捕えられたら、恐らく君達を救うのは絶望的となる』

「そんな……!! あのドラゴンは、実はラヴァル侯爵が変化したものなんです! 僕たちじゃありません! それに、シムラさんはなぜ手配されていないんですか!?」

『何!? ラヴァル侯爵が!! ……そいつはやっかいだな。どうやってドラゴンに変化したのかは、おおよその察しはつくが今はどうでもいい。もしその話が事実であったとしても、彼には王国内に多くの支持者がいる。分離主義者達と共謀し、国家に反逆する動きもあり、現政府では何とかそれを抑えることしかできていない。
今彼らを糾弾する事はできないし、事実も隠蔽されていることだろう。この時期に彼らに反逆を起こさせることは出来ない。もしそうなれば、魔王軍との戦いに敗北し、この国は滅ぶぞ……。
 とにかく、君達が何を言おうが、事実などどうでも良いのだよ。問題は、今、君達が反逆者となっていることだ。覆すことは不可能だ。それと、シムラ君だが、ドラゴンに立ち向かい、戦死したと発表された。恐らく捜索隊には殺害命令が出ているだろう。結局、君達のメンバーは我々の救援チームに従うしかないわけだ。あまり長話はできない。これで通信を終える。絶望的な状況だが、君達の幸運を祈る』

 そう言うと、内務省の男はシャルルとの通話を切った。シャルルは話の途中であった為、すぐにかかってきた番号にコールしたが、相手が出る事は無かった。フローラやシムラに話を説明すると、まずはスマホの電源を切ったほうが良いということになり、その後はカンダタやシルバーの介抱を続けた。
 ドラゴンのブレスを受けた傷は、通常の武具や魔法で傷つけられたものと異なり、回復魔法では癒すことが出来なかった。ましてや、精神的に衰弱しているフローラの回復魔法では、傷の進行を遅らせる事しかできなかった。すぐにでもカンダタやシルバーの傷を癒し、合流地点に向かわなければいけなかったが、状況が好転しないまま時間だけが刻々と過ぎてゆき、焦りがつのる。
 シャルル達が目を覚ましてから、すでに4時間が経過し、空もうっすらと白んできているようであった。回復魔法をかけ続けるフローラの顔は青ざめ、呼吸は荒くなり、細く白い手は痙攣し始めていた。
 シムラはコンボイをしばらくいじくっていたが、どうにもならないことを悟るとフローラの身を案じ、声をかけた。
「フローラさん、少し休んだほうがいい。もうずっと回復魔法をかけているせいで、今度は君が倒れてしまうぞ……。今、君に倒れられたら、我々は一巻のおしまいだ。この私がしばらくの間カンダタの面倒を見よう」
「……、そうね、さすがにもう限界だわ……。悪いけど、少しの間休ませてもらうわ」
 そう言うと、フローラは倒れこみ、目を閉じて精神の回復の為、しばらく眠ることにした。シムラは近衛兵団の備品であった簡易医療キットの中から薬草を練りこんだクリーム等を取り出し、カンダタやシルバーにすりこんだ。何もしないよりはマシであるが、効果のほどは期待できない。火傷の酷い部分の皮膚からは膿が出ており、手持ちの医療キットの包帯では覆いきれなかった。
「シャルル君、洞窟の奥に、水場がないかどうか見てきてくれないか? カンダタもシルバーも酷い熱だ。傷を洗う水も必要だ」
 シムラに指示され、シャルルは洞窟の奥に目を向けた。空の光がわずかに入り込み、洞窟の入り口付近はなんとか視界が確保できる程度の明るさであるが、奥のほうは暗闇に包まれていた。
「グズグズするな! 何か潜んでいるかもしれないが、その時はすぐに私を呼ぶんだ! 頼む、今は私の言う事に従ってくれないか?」
 シムラに急かされ、シャルルは恐る恐る足を踏み出し、洞窟の奥に向かった。敵の襲来に備え、天空の剣を抜くと、ぼんやりと鈍く光っていた。シャルルのコア、ラヴァルの兜、剣が集まる事により、共鳴した剣は、その刀身から力を徐々に開放し始めていたのであった。シャルルは、足元を照らす程度の明るさの剣をたいまつ代わりに、一歩一歩慎重に進んだ。
 やがて洞窟の入り口からの直線通路は途絶え、L時に曲がる様な形で、洞窟はさらに奥に続いているのが見えた。あの角を曲がると同時に敵が現れたら……天空の剣を握るシャルルに緊張が走る。すると天空の剣は、それに応じるかのように、少しだけ光を強めた。どうやら危機的状況になった結果、シャルルを宿主として認識し始め、シャルルの精神とリンクし始めたようである。
「水はあったか!? できれば急いで欲しい!」
 20メートルほど離れた場所にいるシムラからさらに催促される。前に進むしかない。シャルルは観念したように、L時の角を曲がった。即座に剣を構え、様子を見る。どうやら敵はおらず、洞窟はさらに奥へと続いているようだ。

(今、僕にしかできないことがあるなら、やるしかない……。皆必死なんだ。彼らは僕の仲間なんだ……)
 シャルルは自分を奮い立たせ、やや速足で進み始めた。剣はさらに少しだけ光を強め、今はシャルルの5m前くらいまでなら、ハッキリと見えるほどの明るさとなっている。
(天空の剣よ、僕の事を守ってくれ……ラヴァル侯爵に聞いた事は、にわかには信じられないが、お前の主は僕なんだ。力を開放し、僕に仕えろ)
 シャルルは心の中で天空の剣に語りかけ、持てるだけの勇気を振り絞り、洞窟の奥に進んだ。
 5メートル、10メートル、20メートル、30メートル……蛇行してはいるが、しばらく真っ直ぐ進むと、かすかに奥のほうから空気の流れを感じ、それがどこかに繋がっている事の証であることを悟ると、ほとんど小走りに突き進んだ。やがてシャルルは、天井の高い、開けた場所に辿り着いた。
「水だ!! 水があったぞ!! シムラさん!! やった!! すぐにこっちまで皆を運んでくれ!!」
 シャルルの目の前には、小さな泉が湧いていたのだ。とても小さな事であったが、初めて、自分がチームの為に貢献できたような気がして、シャルルの胸は高鳴り、力が湧いてくるような気がした。それはほんの小さな、シャルルが成長する為のきっかけであったが、シャルルはその感覚をかみしめた。しばらく待ったが、シムラからの返事がない。シャルルが進むうちに、かなり距離も離れてしまったので、恐らく声が届かなかったのであろう。とにかく水場は発見できたので、一旦は皆の所に戻ろうと、シャルルが振り向いた時であった。
 背後の泉から、水が跳ねるような音が聞こえる。何か、魚でも跳ねているのか、確認しようとシャルルが泉のほうに向きなおった時に、“それ”と目が合ったのであった。
 そこにいたのは、魔王軍のB.O.W(Bio Organic Weapon =生物兵器)「メタルスライム(正式名称:被検体T-1000型」であった。

  *  *  *  *  *  *  *  *

 シャルル達との通話を切り、内務省の男はすぐに別の番号に電話をかけた。ワンコールもしないうちにすぐに通話が繋がる。
「私だ。緊急の指令を伝える。今からすぐに『試練の樹海』へ向かい、D-34地点にて、3日後の13:00にある勇者チームと合流し、これから指示するセーフハウスまで護衛を頼みたい」
 電話の相手はしばらく沈黙し、野太い声で応答した。腹から声を出すような、良く通る低い声は、男の体格ががっしりとしていることを想像させ、内務省の男からの急な要請にもこれまで何度も応じてきたかのように落ち着いていた。
『……魔王軍の支配エリアですよ……。本気ですか?』
「最重要任務だ。君達しか頼めない。近くまではブラックオウルで輸送できるよう手配する。もうひとつ、これも機密の重要な指令だが、合流予定のチームは、他の勇者チームや黒水に狙われている。道中、彼らと遭遇する事があれば排除してくれないか?」
 対する男の声色にやや変化があった。
『我々は暗殺者じゃない。レスキューチームだ。これまでの任務のように、余計なことは詮索しない。任務は忠実にこなしますよ。ただ、味方を殺すことはできない。極力、他の勇者とは遭遇しない様に合流地点に向かう事にします。道中の通信は可能ですか?』
「それも難しい。詳しい作戦はあとで君のスマートフォンに送っておく。シグマフォースの作戦本部にもすぐに指令書は回す。頼りにしているぞ、ニルス君。通信を終える」
 そう言うと、内務省の男は通話を切った。執務室の椅子に座り、しばらく考え事をしていた男は、深いため息をつくと、デスクを離れ、部屋を後にした。その目には、あの獰猛な光が宿っていたが、禍々しさは前にも増したようであった。

 *

 通話を切られたニルスは、すぐに周囲にいる仲間を呼んで状況を説明した。シグマフォースの精鋭部隊であるニルス(※1)のチームは、皆一様にケプラー製の防弾・防刃性の高い防具を身につけており、身軽に動く為、余分な装備は身につけていないようであった。ニルスの他の3人は覆面でその顔を覆われており、体格から性別が男であることの他は、人物を特定する手がかりとなる物はなく、覆面の側頭部にはエニックス王国の紋章が刺繍されていた。

「今、内務省より緊急指令が入った。我々エイプチームはこれから『試練の樹海』に向かう。ハウンドチーム、イーグルチームにも招集をかけ、3チームの連携でいつものように救助対象を保護した後、指定のセーフハウスまで護衛する。作戦は1間後に開始だ。各自、装備の点検と出発の準備を進めろ」

 ニルスが指示をすると、エイプチームの3人の勇者は踵を返しその場を後にした。ニルスはそれを見届けると、足元に累々と横たわる魔物の死体を見つめた。
 彼らは捕虜となった国王勢の勇者救出の為、ニュームーンブルクから北へ66キロ地点のジャングルにある魔物のゲリラの拠点を攻撃した後であった。死体の数は20体ほどで、中には戦闘民族の第2形態、すなわちカンダタが金色の翼を広げた魔物の姿となった状態の者もあった。周囲の樹木や岩石にカモフラージュされたトーチカは、激しい戦闘があったようには見えず、それまで魔物達が生活していた痕跡はそのまま残っており、テーブルの上の食べ物はまだ暖かく、湯気が立っていた。木材を積んだリヤカーのそばでは、薪を斧で割っていたであろう魔物が、片手に薪を掴んだまま横たわっている。
 ニルスは眉間に深い皺を刻ませ、胸のポケットから煙草を取り出し火をつけると、深く煙を吸い、手に持つ「みなごろしの斧」を見つめた。

(※1)「シグマフォース エイプチームリーダー ニルス」ニルスの写真
 ニルス率いるエイプチームは、精鋭シグマフォースの中でもレスキューを任務とする。ほぼ例外なく、ハウンドチーム、イーグルチームと3チーム合同で任務に当たる。
 エイプチームは四人一組の勇者チームには珍しい三人チームである。
 右図はエイプチームリーダーのニルス。得物は「みなごろしの斧」。

<49. by NIGHTRAIN>


 メタルスライムを前に、恐怖で頭の中がパニックになったのか、シャルルは何故か、先刻、意識を失っていたときに見た夢を思い出した。
 両親がまだ健在であった頃の夢だった。ロマリアでふと両親を想い、涙したことによる記憶のフラッシュバックと相まって、数年前のある日の夕方、シャルルが住んでいた屋敷での夕食時の出来事……という内容であった。夢の中では、父親が、食卓でシャルルに対し、しきりに何か大切なことを話しかけていた。
 実際にそのようなやりとりがあったかどうか、シャルルも覚えてはいなかったが、その口ぶり、話す内容などは、まさにシャルルの父親であるディディエ・アレマンの話すような内容であり、夢とは思えぬほどの存在感を持ったディディエはまるで目の前に本当にいるかのように感じ、単なる夢の出来事ではなく、過去にそのような事を言われた気さえしてきた。

 シャルルの家は、元々はエニックス王国内の辺境の地ガライに住む農夫の家系であったが、ロト歴756年に、隣国のゼルダ共和国との戦争において、ガライ伯トゥール・ポワティエの軍に兵士として従軍することになった。そして戦場での功績を認められ「騎士」の称号と小さな領土を与えられ、その時から貴族としてのアレマン家が始まる。
 以降、その小さな領土を守る為、荘園領主として、シャルルの父親であるディディエ・アレマンの代まで
家系を引き継いできたのである。祖父であるシャルロ・アレマンと祖母であるジョセフィーヌ・アレマンは、シャルルが生まれる前、領土内でのブドウ狩りに出掛けた際に、野生の狼の群れに襲われてこの世を去っていた。後継ぎは、当時20代であったディディエ唯一人であったので、ディディエは若くして領地と領民を引き継ぐことになった。
 世の中は内戦のさなかであり、ギガワロス率いる魔王軍が優勢であったが、ディディエは国王軍、魔王軍のどちらにも属さないよう中立の姿勢を保ちながら、礼節をわきまえた態度で両軍との関係を続け、慎重に苦労しながら領地を存続させ、町娘であった花屋のエマニュエルとの間に、シャルルをもうけたのだ。
 魔王軍はディディエの真摯な姿勢に敬意を払い、あえて領地に攻め込むようなことはせず、貴族としての彼を優遇した。また国王軍も、当時は力が無く、魔王軍の進攻を止めるのが手一杯であった上、辺境の地まで戦線を広げると補給線が断たれることになるので、召集令状を発行して魔王軍との戦いに参戦させることはせず、自治領としてディディエの領地を容認していた。

 シャルルの夢の中では、屋敷のダイニングで銀の燭台の並ぶテーブルを挟んで、ディディエとシャルルが会話をしていた。ディディエはワインを口にすると、シャルルに語りかけた。

「シャルルよ、今日学校のほうから私に連絡があった。どうやら最近、成績のほうが芳しくないようだな。あまり授業に参加していないとも聞いている。どこかでサボって遊んでいるのか?」

 シャルルにとっては毎度おなじみの小言である。シャルルは貴族達の子供しか通う事ができない学校に通っていたが、小作人たちの子供のように学校には通わず日がな一日、外で遊んで暮らすことに憧れており、たまに学校をサボっては領土内の川や草地で小作人たちの子供と遊びまわっていた。当然成績もビリから数えたほうが早かった。

「私は学校の成績は一番でなくても良いと思っている。せめて人並みに、読み書きができる程度の知識を身につけてくれれば他に望む物は何もない。ただ、お前はそれすら満足にはできないようであるがな……。私が怒っているのは、お前には“信念”というものがあるのかということに対してだ。
 例えば、このオムライス、レシピさえ分かっていれば、誰がどのように作ってもオムライスにしかならない。温かいチキンライスの上に覆いかぶさるように、このふわふわで中身はとろけるような卵の衣が乗っている料理は、多少の出来栄えの違い、味の良し悪しはあろうと、オムライスでしかないのだ。ナイフで卵の表面の部分を注意深く切ると、とろみのついた半熟の卵がチキンライスと混ぜ合わさって絶妙なる風味を醸し出す。
 最高の料理だ。実にうまい。私はいつもこんなうまい料理を作ってくれる厨房のアメリに感謝をしなくてはならない。彼女が素材を間違えない限りは、レシピ通りに作ればこの料理は必ず出来上がる。初めから別の物を作ろうとすれば、また別のレシピを覚えなくてはいけないし、素材も選び直さなければならないだろう」

 シャルルは怒られているはずが途中からオムライスの話に切り替わったので、どうやら父親の怒りはおいしい料理のおかげで収まったのだと思った。
 ディディエは巧みにナイフをつかい、オムライスの衣を広げると、チキンライスと共にスプーンですくい、口に入れた。なんともジューシーな味わいがディディエの口の中に広がり、ディディエの表情が和らぐ。

「はい! お父さん! 僕もオムライスが大好きです!」

「シャルルよ、人の話は最後まで聞きなさい。今の話は、このオムライスに例えた話だ。例え話をよくするのは、私の悪い癖だが、お前に本質を伝える為には、少しずつ、分かりやすい形で、何度も根気よくひとつの事を色々な異なる局面から説明をしなければならない。
 今から私の語ることは、良く肝に銘じておきなさい。頭の片隅にでも入れておけば、将来お前の役に立つことだろう。お前の“信念”とは、オムライスのレシピに当たるものだ。そしてオムライスを作るための素材は、お前の”知恵”に当たる。例えば、素材だけがあってオムライスを作ろうとすればどうだろう? 食べる事はできるが、それはオムライスではない。またレシピだけを知っていても、必要な素材がなければオムライスを作ることは出来ない。料理を完成させるためには、“信念”であるレシピと、“知恵”に値する素材が必ず必要なのだ。お前は我がアレマン家に生まれた以上、“信念”をもって“知恵”を集め、お前の料理を完成させなければならないのだ。料理とは、お前の為すべきことを意味する。
 それは、私や学校の先生がお前に命令する事とは違うし、国や教会が我々に命じる事とも違う。人には、持って生まれた“宿命”というものがある。それがどのようなものかは、その人にしか分からないし、どのようにして自分の宿命が何であるか気付く方法も教える事は出来ない。その本人のみが感じとり、自らの進むべき道を決めなくてはならないからだ。オムライスを作るべきか、また別の料理を作るべきかは、作る本人以外には決められないことなのだ」

 シャルルには、一体何のことで怒られているのか分からなくなりかけていたが、真剣な表情で話す父親の言葉に耳を傾けなくては、鞭で手の甲を叩かれるような気がして、そのままディディエの目を真っ直ぐに見つめながら話を聞いていた。今はもうこの世に存在しないディディエの魂がシャルルの身を案じ、夢の中に現れたのでは
ないかというほど、ディディエの話す声は現実味があり、その息遣いまで感じとれた。

「そして、これも大切なことだが、“信念”を持つ者は、それが善きにしろ悪しきにしろ、ある程度の知恵を持っていれば目的を必ず果たすことができるのだ。例え許されない罪を犯した悪人であろうと、“信念”を持っている人間は強いし、そのことに敬意を払うべきだ。もしそういう人間を軽んじるなら、それは彼らに対する侮辱であるばかりか、自分自身の宿命に対する侮辱ともとれる。“信念”とは、まさしくお前にとって、根源のパワーであり、お前の宿命を果たす為の本質的な土台のことなのだ。
 今のお前を見ていると、ある時は学校に通い、勉強をしているフリをして、ある時は学校をサボり領民の子らと外をかけずり回って遊んでいる。どっちつかずで、ただ毎日を楽しく過ごしたくて生きているようにしか見えない。
 いや、それすら、“信念”をっている人間ならば、毎日楽しく過ごす為に何が必要か考えるだろう。お前は周りの友達に楽しい雰囲気を感じているだけで、お前自身が何かを生み出すことはせずに、流されているのだ。私はお前に学校に真面目に通いなさいとは言わない。お前が将来どのような人間になりたいのか、いつでもどこでも人に説明できるだけの芯は持っているのか? という所が気にかかる。
 領民たちと過ごしたければそれでも良い。また子を作り、お前の代わりに我がアレマン家を引き継がせよう。
お前は“信念”を以て、必要な“知恵”を集め、自らの宿命を果たすことができる人物であるかどうか、というところに私は疑問を感じるし、もしそうでないのなら、そうなる為に根気よくお前をサポートしていくつもりだ。その為なら、例えお前に憎まれようとも、厳しく鞭を打つし、周りからどのように言われようが構わない」

 ひととおり説教らしきものが終わったところで、シャルルは普段ならばホッとして、元気よく、「わかりました! お父さん!」といい子ぶるのであったが、何故かシャルルは夢の中でディディエに対し、疑問を投げかけていた。

「お父さん、今の例え話、なんとなくわかりました。確かに僕には信念と呼べるものがなかったのかもしれません。ひとつ気になったのですが、“信念”がオムライスのレシピ、“知恵”が素材ならば、できあがったオムライスを食べる為のナイフやフォーク、スプーン等の“食器”は何なのでしょう? またオムライスを作る人は、どうしてオムライスを作りたがるんですか?」

 そこまで問いかけた所で、シムラに起こされて夢は途切れたのであった。突然父親の顔がシムラに切り替わり、昔懐かしい屋敷の質素ではあるが整った食卓から、冷たい洞窟の中に放り出され、シャルルは混乱した後、ドラゴンの背で気を失ってしまったことを思い出したのだ。
 そして、今、水を求めて洞窟の中に進み、人生最大の敵であるスライムを目の当たりにし、何故その夢を思い出したのかおぼろげながらに答えを導き出したシャルル――。

(スライムは、僕が乗り越えなければならない、人生の障壁……!!(※1)今この場で逃げだせば、僕の人生はそこまでだということになる! オムライスを食べる為には、スライムを何とかしなくてはいけない!!)

 目の中に、小さいけれど、とても純粋な光を宿らせたシャルルであったが、ひとつ重大な間違いを犯していた。シャルルの目の前にいるのは、単なるスライムではなく、最上級種にあたる“メタルスライム”であったのだ。シャルルは、当然のことながらメタルスライムの存在を知らなかった。
 恐ろしさの余り直視できずに、一瞬だけ見えたシルエットはスライムのそれであったことと、薄暗い洞窟の中では、メタルスライムのメタリックなボディと、単なるスライムの青色の粘性体のボディを判別できなかったのである。

(※1)「越えなければならない人生の障壁」
 シャルルは以前スライムにまとわりつかれ、あわや体内に侵入されそうになったところを仲間に救われた経験から、トラウマとなってしまい、スライム一匹倒せない、なんちゃって勇者としての道を歩んでいる。

<50. by NIGHTRAIN>


 シャルルは意を決して天空の剣を構えると、目の前のスライムに対し威嚇するように声を発した。
「貴様の相手はこのシャルル・アレマンだ! さあ! かかってこい! このス――」
 途中まで言葉を発した所で、稲妻のような声が洞窟に響いた。目の前のメタルスライムである。
「待て! その先の言葉を言った瞬間、お前の首は胴体から離れる事になるぞ!!」
 シャルルが防御する間もなく、一瞬にしてメタルスライムはシャルルの足元まで接近しており、その身を鋭い刃物のように変化させ、シャルルの喉元に突きつけていたのだ。
 シャルルはあまりの戦闘能力の差に凍りついた。メタルスライムの身体からは、1ミリでも動けばシャルルの喉に触れる位置に正確に鋭利な刃が伸びているのだ。チェックメイトである。
 こんなにも一瞬で、あっけなく死が訪れるなんて……シャルルには今起こっている事が信じられなかった。ロマリアでのマスタードラゴンでさえ、もう少し余裕はくれたものだ。この無慈悲な魔物は、一切の妥協なく、一瞬にして自分を暗黒の死の世界に連れて行こうとしている。
 シャルルの全身からは、冷たい洞窟内にいるとは思えぬほどの汗が噴き出し、手足は震え、羽根のように軽い天空の剣がまるで巨大なハンマーのように重く感じた。先程まで光っていた天空の剣の光も徐々に弱くなっていく。
 メタルスライムは、シャルルが怯えきった様子を見ると、急に突き付けた刃を引っ込めた。
「ああ、悪かったな……。脅かすつもりはなかった。だが、この俺に対して、“ス”のつくあの忌々しい言葉で呼ばれそうだったもんで、つい、な……」
 シャルルは、一体何が起こっているのか理解できず、困惑したが、どうやら目の前のスライムに敵意はないようであることを悟ると、半歩身を引き、再び剣を構え直した。
「……お前は、魔王軍の手の者ではないのか……? “ス”のつく言葉って……、スラ……」
「待て!! そこから先は言うんじゃない!!」
 メタルスライムは完全に刃を引っ込めて、通常のスライムの形状になると、溜め息をつくような仕草をし、シャルルに語りかけた。

「……魔王軍か、随分昔に脱走したよ……。人間達に対する意味のない殺生が嫌になってな……。それから、これは非常に重要なことだが、この俺に対して、“ス”のつく言葉、今お前が恐らく言おうとした言葉では決して呼ぶんじゃない。俺の名はT-1000、身体は液体金属で出来ている。あんな軟弱な“ス”……共と一緒にされたくはない……」

 シャルルはまだ恐怖にさらされており、離れていても聞こえるほど心臓が激しく鼓動を打っていた。
 目の前に存在するのは姿形はスライムそのものであるが、今受けた攻撃はスライムの比にならない。一瞬でその身を鋭い剣のように伸ばす攻撃の前に、自分はあまりにも無力過ぎ、防ぐ手立ては無い。しかし、どういうわけか、相手は敵意がないようである。
 今のシャルルに出来る事は、とにかく今、自分の生殺与奪権を握っているこのスライムをそれ以上刺激しないようマイルドな口調で、相手とまずはコミュニケーションを図る事であった。
「き、君は一体っ……! ……こんなところで何をしているんだ……? ご両親とはぐれたのか……!? それに、“ス”のつく言葉で呼んではいけなかったら、君をなんと形容すればいいのだ……?」
 シャルルが支離滅裂な言葉を発すると、相手がギロリと睨む。
 いや、正確には睨まれているような気がする。何しろ、目の前のスライムには、あの恐ろしいスライムの特徴である、いびつにせり出した眼球や、地獄の炎の色をした口腔を醜悪な半円状に歪めた表情は無く、阿修羅の如く尖った金属質の、瞳が無い白い目と、ギザギザな牙を模したような口があるだけである。
 睨む睨まないに限らず、常に怒りが最高潮に達したような表情で固まっている。しかも相手が言うには、身体が液体金属だと言う。これほどまでに恐ろしい相手がいようか。
 メタルスライムは一呼吸置いて、シャルルの問いに答えた。
「俺のことはそうだな……T-1000だとシリーズ名でよそよそしいから、“メタル”って呼んでくれるか?」
 気のせいか、メタルスライムの顔が上気したように赤くなったように見えた。どうやら自分で言っておいて、気恥ずかしいらしい。

「俺がここで何をしているかは、今言ったろう……。俺は脱走兵だ……。正確には脱走した生物兵器だがな……。随分前から、この洞窟は俺の根城にしている。たまたま水を飲みに来たら、お前が現れたってわけさ。
お前の今言ったセリフはそっくりそのまま返してやるぜ。人間がこんな所で何してるんだ? 命が惜しかったら、この俺に“ス”のつく言葉を言う事なく、ここから出て行くんだ。お前が何もしなけりゃ、俺は背後から襲うなんてマネはしない。わかったか?」

 シャルルは、兎にも角にも、自分の命が助かりそうなことを悟ると、首を何度も縦に振り、緊張の面持ちでゆっくりと後ずさり始めた。滝のような冷や汗は止まらない。
 せっかく相手が許してくれるというのだ。すぐにでもこの場を立ち去らなければならない。しかし、シャルルの脳裏に父の言葉が響く。
『――お前には“信念”と呼べるものはあるのか?』
 今の自分の“信念”、それはおぼろげながら、シャルルの心の中に根差し始めた“仲間”に対する意識と、自分の最大の恐怖であるスライムという障壁を乗り越えるということ、それらが結びついた先にあるもののような気がした。
 シャルルの心のどこかで、大人しくスライムの言う通りに逃げる事を拒む何かがあった。
「僕は今、瀕死の仲間達を救うため、この水場に来たのだ。悪いが君の言うようにこの場を去ることは出来ない」
 言った。言ってしまった。もうこれで後戻りはできない。
 勢いに任せて恐らく正当な理由であろう、言い分を放ったシャルルであったが、内心はドッキドキであった。これで相手を怒らせてしまったら、恐らく自分はここで死んでしまうであろう。
 恐る恐る相手を見て、どういう反応を示しているのか窺うが、相手はまさに怒りの絶頂の表情である。金属質なその表情からは、相手の内心を推し量ることは不可能であった。
 メタルスライムはしばらく沈黙した後、口を開いた。
「……、仲間か……。どんな状態なんだ? かなりヤバいのか?」
 思わぬ相手の言葉と、寛容な態度に、シャルルは意表を突かれたが、相手がこちらに対し、理解力を示そうとする紳士的な態度に乗っかり、そのまま勢いに任せてこれまでの経緯をたどたどしく説明する事にした。
 その間も、メタルスライムはその恐ろしい形相からは想像もつかない優しい相槌を打ち、シャルルのおぼつかない説明を聞いてくれたのであった。そして最後までシャルルの話を聞くと、今度は聞いてもいないのに自分の素姓を語り始めた。

 メタルスライムのT-1000は、度重なる戦闘のストレスから、魔王軍での任務に嫌気がさし、脱走した生物兵器であった。元々は前線に配備され、その剣の腕から部隊を任されるほどの信頼を得ていたが、それは体のいい上司の放任主義に過ぎず、上層部から下りてくる任務は全てT-1000に丸投げ、部下の不祥事は全てT-1000のせい、うまくいった成果のみ、上司が手柄を横取りする形で持っていってしまうのでいい加減頭にきたT-1000は、ある任務の最中、上司であったドラキー(被検体DRZ370-A型)を殺害、そのまま逃亡したのであった。
「仲間か……、俺にも昔は、すごく信頼のおける仲間がいてな……」
 メタルスライムはどこか遠い目をしながら(実際には表情は変わらないので、そういうような雰囲気をかもしつつ)語り続けた。
 シャルルは身の安全が完全に確保できたことを悟ると、いい加減、相手の話は飽きてきたので、早くシムラの元に戻り、水があることを知らせなくてはいけないと思っていたが、ここで相手の機嫌を損ねると、また振り出しに戻ってしまう可能性もあったので、なるべく相手の話に興味があるようなフリをしながら早くメタルスライムの話が終わることを願った。

「俺は昔、他の生物兵器の連中と、ちょっとしたバンド(※1)をやっていてな……。今じゃあ、あいつらどこで何してるかもわからないがな……。内戦で散り散りになっちまった挙句、脱走だろ? もうあいつらに会う事もないだろうが、今でも、そしてこれからも、俺の心の中にはずーっと、“仲間”であるあいつらの存在がいるんだよ……」

 シャルルはメタルスライムの言う事が心に響いた。
 “仲間”、フローラ、カンダタ、シムラ、シルバー、コンボイ(T-800)……、シャルルにとって大切な彼らと同じように、メタルスライムのT-1000にとっても大切なものがあったのだ。
 国王軍、魔王軍に分かれて戦ってはいるが、一体シャルルとメタルスライムの間に、姿かたちは違えど、どのような差があると言うのであろうか? シャルルは複雑な気持ちになった。

「そっか、お前の仲間、今瀕死なんだったな……。すまんすまん、俺ばっかり話しちまって……。とにかく、この水場までお前の仲間を運ぶのを手伝おう。それから、実はこの近くに、魔物なんだが、腕のいい医者がいてな。ここで応急手当てをしたら、その医者のいる村まで案内しよう」

 メタルスライムの思わぬ提案であった。
 そして、シャルルの頭の中には、お馴染みのあの何故か楽しげな音楽が流れたような気がした。そして天からの声も聞こえたような気がした。

ttp://www.youtube.com/watch?v=fGdux_A1swM
*メタルスライムのめたりんがなかまになった!

(※1)「ちょっとしたバンド」
 メタルスライムのT-1000(メタリン)は、その昔、硬派な仲間たちと共に、重金属音楽バンド「鋼鉄の処女」を結成し、各地のライブハウスで演奏していた。T-1000(メタリン)はそこでフロントマンとして活躍し、バンドの人気も絶好調であったが、国王軍との戦闘が激化し、仲間達も各地の戦場にバラバラに配属され、バンドは自然消滅する。
 今でも魔王軍の中には伝説のバンドとして「鋼鉄の処女」をこよなく愛するファンも多く、他の追随を許さない唯一無比のヘヴィメタルバンドとして、魔王軍のミュージックシーンに君臨している。
 1stシングルのタイトルは「METAL SLYME」であった。これはVoのT-1000(メタリン)が、「俺達は“ス”のつくあのデロデロの軟弱な奴らなんかとは違う。鋼の肉体と精神を持つ、正真正銘のメタルバンドなんだ!」というメッセージと共に、「SLIME(スライム)」ではない、という意味をこめて「SLYME」というつづりを使用している。バンド結成前にT-1000(メタリン)がRIP SLYMEのファンであった為、単なるパクリ疑惑もある。
 画像は、1stシングル「METAL SLYME」のジャケット。メタル・ジャケット
(フロントマンであるT-1000がジャケットに映し出されているこの名盤は、ビルボード初登場1位を獲得した)
 メンバーは次の通り。
      Vo:T-1000
      G:マーティ(はぐれメタル)
      G:イングヴェイ(メタルキング)
      B:エディー(腐った死体)
      Dr:コージー(ゴーレム)

<51. by NIGHTRAIN>


 シャルルは薄暗い洞窟を歩きながら悩んでいた。
 自分の背後にぴったりと付いて来る白銀のボディをしたス――のつく魔物の形をした生き物のことである。別に、この生き物がシャルルの生命を狙っているのではという懸念を抱いているわけではない。シャルルは単純に、「メタルと呼ぶべきか、メタリンと呼ぶべきか。はたまた、やはり正式名のT-1000と呼ぶべきなのか」という、非常にしょうもないことで悩んでいたのである。
 これは、シャルルが初等学校に入学して間もない頃に似ていた。初めてできた親友を名前で呼ぶか、あだ名で呼ぶか。シャルルは悩んだのだ。そう。今回のケースはあの頃によく似ていた。
「あのさ……め、メタリン」
「なんだ?」
 悩んだ挙句、天の声に従って呼んでみたのだが、間違ってはいなかったらしい。
「いや、なんでもない」
「なんだよ、変なヤツ」
 それっきり、黙った。
 シャルルはわかっていなかったが、実はこのとき、メタリンはとても感動していた。同時にメタリンはかつての仲間のことを思い出していた――。

 *

 ――メタリン回想シーン。
 夕焼けをバックに、はぐれメタルのマーティはメタリンと向かい合っていた。
「なあ、メタリン」
「なんだよ、マーティ」
「俺さ、やっぱバンド抜けようと思うんだわ。ギターは二人もいらねぇだろ……」
「何てバカなことを言うんだよ!? 俺たち“鋼鉄の処女”はダブルギターじゃねぇと、あの熱い鉄を打ったような激しいビートは伝えらんねぇだろ!? それに、お前のギターが無きゃ、俺は……俺は……」
「だったら、他のヤツ、見つけろよ。俺はやっぱり、“はぐれ”メタルなんだ。ひとりで生きていく方が性に合ってるのさ」
 そう言って、はぐれメタルのマーティは去って行った。
 メタリンたちメンバーは、最初は音楽性の違いのせいだと考えた。ソロデビューでも狙っているのかと、邪推した。
 だが、違っていたのだ。マーティは、心臓を悪くしていたのだ。余命幾許かと言われていた。しかし、マーティははぐれメタル。重篤な病のことをメタリンたちに告げて、心配されるのがたまらなく嫌だったのだ。それに、マーティは自分の命をただ無駄にはしたくはなかった。
 メタル系という特殊な存在――極少のHPというハンデを背負った代わりに得た、ずば抜けた防御力と素早さは、戦争のためにこそある。
 マーティは、重い病を抱えて戦地へと向かったのだった。まさに、メタルの魂である。マーティの訃報を、メンバーは後から知ったのだが、これによってメンバーは人間に強い憎しみを抱き、マーティと志を共にしようと戦地へ赴いたのだった。

 *

(だけどよ……それすら魔王軍の策略だったとはな)
 メタリンは前を歩くシャルルの背中を見つめながら、胸中で呟いた。
 人間に恨みなど、ないのだ。もちろん、魔族にも。
「ここだよ」
 シャルルが案内したところには、傷を負い、人間形体に戻っているカンダタが居た。しかし、メタリンはすぐに勘づいた。
「こいつは……人間と魔族のハーフだな? しかもこのにおい……戦闘民族か」
 シムラやフローラはメタリンの姿を見て、一瞬身構えたがすぐに武器を置いた。
 カンダタの一件でみんなわかっていたのだ。魔族や魔物も、全てが全て悪い者ではないことを。
 そして、メタリンは鍛え抜かれた兵士の観察力でもって、全員の一挙一動を見ていた。そして、内心、感動を覚えていた。
(こいつらは、俺と一緒だ……人間と魔族の垣根を越えている。種族の差で、相手を差別しない。こいつらとなら……)
 そこまで考え、メタリンは、廃車寸前のコンボイを発見した。
 メタリンの目が輝く――それは、一流のメカニックの目だった。メタリンは魔王軍に配属されたはいいが、兵士である以上に、整備士としての腕の方も際立っていた。剣の達人であると同時に、魔王軍の戦車などの整備も任されるという、体のいい何でも屋として重宝されていたのだ。

 *

 そこからは早かった。
 シャルルとメタリンは頑張って一行を水場まで移動させた。メタリンは洞窟にあった水や薬草を一行に与えてくれた。同時に、お互いの自己紹介もこなした。また、驚くべき速さでメタリンはコンボイの修理も行なった。
「正直、俺みたいな液体ボディじゃないとこの洞窟と外界は行き来できない。しかし、こいつのお陰で、何とか崖から下りれるだろう。カンペキとは言えないが、十分だ。まったく。恐ろしい技術の粋を集めた作品だぜ……まさにメタルの魂だ」
 メタリンはよくわからない賛辞をコンボイに浴びせていた。
 フローラやシムラの頭の中には、もはや、法定人員(パーティは四人まで)という考えは浮かんでいない。今はこの窮地を脱することのみ考えており、 シャルルがスマフォを見せながら、「そういえば! 天の声が、法定人員がダメだって言ってたよ!」と叫ぶと、フローラは「電源切れバカ! GPSで見つかったらどうすんのよ!」とシャルルを杖で殴りつけて叱った。
 そんな様子をメタリンは微笑ましげに眺める。
(なつかしいな、仲間ってのは……)
 メタリンの参加した戦争に、そんなものはなかった。
 すべて、捨て駒だった。何が正義なのか、何が大義なのか。何もわからない、地獄のような世界。
 マーティの望んだ、名誉の戦死なんてものはそこには存在していなかった。マーティは、ただ人間どもを誘き寄せるためのエサにされたのだ。マーティにしてもメタリンにしても、メタル系という種族は、経験値がずば抜けて高い。それが人間の勇者たちには、たまらなく美味しい獲物だったのだ。
 もちろん、マーティが万全の体調であれば、それでも戦い、立派な戦士として切り抜けただろう。だが、心臓を悪くし、それが金属の液体ボディにまで作用し、戦うことすらままならなかったマーティであれば、そうはいかない、戦地に赴いても、無駄に死ぬことはわかりきっていた。
 魔王軍の幹部がマーティを徴兵したのには、理由があった。マーティの持つ莫大な経験値。それをエサに人間どもを一箇所に集め、集中爆撃したのだ。マーティもろとも多くの人間を葬り去ったのだ。
 マーティが真実を知ってその作戦に臨んだのか、メタリンにはわからない。けれども、捨て駒にされたのだと今でも考えている。
 メタリンが戦地から脱走した理由はたくさんあったが、最後の決め手は、マーティを囮にしたこの作戦を知ったからだった。上層部にとって、自分たちメタル族は、瀕死でも使い道のある便利な“道具”に過ぎない。そのことが、たまらなく嫌だったのだ。

 メタリンは一同がコンボイに乗り込んだのを見て、シルバーにチムニーとして変形したコンボイを引かせ、自身は、半壊して本調子ではないコンボイの制御を行なう為、コンボイとシルバーの間に跨った。
 端から見ればかなりカオスな光景であるが、これによって、シャルルたちは、「どうせこれも、内務省が、御者扱いにしてパーティから外してくれるんだろうな」と考え始めていた。
 メタリンは、コンボイの正式名称が「T-800」であり、自分の正式名称の「T-1000」と似ていることに親近感を覚えながら(※1)、次の目的地へ進路をとった。向かうは、アッテムトという地図にも載らない樹海の中の小さな集落。そこには、免許を持たない闇医者がいる。
「がんばれよ、ハーフの兄ちゃん。アッテムトにさえつけば、きっと何とかしてくれる。人間と魔物に理解を持つ、ドクター・ドワイトなら、きっと!」
 ドワイト(※2)は、長寿の魔族の中でも、最高齢に位置する老医者であり、二代目魔王マディとも接点を持っていたとされているが、本人はあまり過去を語りたがらないので定かではない。しかし、満身創痍のシャルルたちパーティを救えるのは、今ドワイトを置いて他にはいないと、メタリンは確信していた。
 戦闘馬車コンボイは樹海の木々の合間を縫い、アッテムへと走り続けた。

(※1)「T-800とT-1000の類似性」
 現時点で、メタリン(T-1000)は知る由もないが、コンボイの居た未来(現在のシャルルたちの陸続きの未来では無い)における、「T-800キラーマシーンシリーズ」を開発したのはメタリンである。未来のメタリンは自身の開発したキラーマシーンに、自分の正式名称と、「新しい命の誕生」を意味する数字の「8」を合わせ、「T-800」と命名した。
 製造コストを下げる為にひたすら中古の部品を流用するという独自の製造ルートや、たまたま、異星人であるサイバトロンのコンボイが乗り移ったことから、今現在この場に居る“コンボイ”は唯一無比の存在となっている非常にレアものである。

(※2)「老医師のドワイト」
 スピンオフ作品「罪を背負いし者」の魔王マディの回想シーンに登場する医師である。

<52. by よすぃ>


 シャルル達を乗せたコンボイは樹海の中をゆっくりと進んだ。カンダタの容体は依然として思わしくなく一刻の猶予もなかったが、コンボイを引くシルバーの体力も限界がきていたのだ。
 ドラゴンから受けた傷は、カンダタよりもシルバーのほうが酷く焼けただれているように見える。
 さらには折れた牙が疼くらしく、時々歩を止め、低い唸り声を上げて苦しそうにうなだれながら、なんとかコンボイを引く姿はとても痛々しかった。しかし、シャルル達を追って、いつ黒水やその他の勇者達が現れるか分からない状況の中、休むことは許されなかったのだ。
「もうすぐだ。この樹海は深く険しいが、あと1時間もすれば村の入り口に着く。シルバー、お前も頑張れよ、もうすぐだからな」
 メタリンはその身から腕を伸ばし、シルバーの頭を撫でながら、シャルル達に告げた。
 メタリンの液体金属の腕は自由自在に伸び縮みし、様々な形に変化させられるので、ひんやりとしたソフトタッチで満身創痍の身体をさすられるのはシルバーにとって心地良いらしく、少し休んでは、再び立ち上がり、アッテムトに向かい進み続けた。
 シャルル達が洞窟を出てから、すでに数時間が経過しており、陽は高く昇っているはずであったが、鬱蒼と茂る木々に阻まれ、陽の光はわずかな木漏れ日となり降り注ぐのみで、あたりはうす暗く、じめじめとしていた。樹海の木々はいびつに曲がりくねり、木々同士が絡み合い、まるで迷路のような道なき道を進んでいたので、シャルル達には洞窟を出てからどこをどう進んだのか、時間や位置、方角の感覚がマヒしてわからなくなっていた。
 危険な野生の獣が潜み、強烈な毒を持つ植物がそこら中に群生し、底なしの毒沼が藪の中に存在する、この険しい樹海で迷ってしまうと、魔物ですら生きては出られないという。

 しばらくコンボイが進むと、曲がりくねった木々がトンネルのような形になっている場所へ辿り着いた。
「着いたぞ。この木のトンネルをくぐればアッテムトの入り口だ」
 メタリンの示す木のトンネルの向こう側を見ても、シャルル達には険しい樹海が広がっている以外、特にこれまでの道のりとの違いがわからなかった。むしろ、毒々しい花が咲き、茨のツタが木々から垂れたトンネルの向こうは、足を踏み入れる事すらできないように見える。
 コンボイから降り、あっけにとられるシャルルとシムラの様子をどこかいたずらっ子のような表情で(正確には表情はまるっきり変わらないので、そのような雰囲気をかもしつつ)眺めるメタリンは、コンボイの御者席から飛び降りると、トンネルの入口まで進んだ。
 すると、辺りの森にこだまするかのような声が聞こえてきた。
『我は森の主なり……。汝ら滅びの村アッテムトに何の用だ? 返答次第では、森の裁きを受けることになるぞ……』
 どこからともなく聞こえてきた声の警告にシャルルとシムラは身構えたが、メタリンは平然としていた。(正確には表情はまるっきり変わらないので、平然としているのかうろたえているのかはわからなかった)
「あー、わかったわかった。もういいから。入るぞ?」
 そう言うと、メタリンはトンネルの中に進み、茨や毒の花をかき分けながらどんどんと奥に入っていく。そして振り向き、シャルル達に、お前達も早く来いよ、といった仕草で合図した。
 しかし、シャルル達は当然、毒の花や茨に触れる事は出来なかったのでトンネルの前で様子をうかがっていた。
「ほら、あいつら警戒してるから、装置切ってくれ」
 メタリンが声をかけると、先ほどの“森の主”は舌打ちをしてメタリンに応えた。
「あーあ、つまんないの……。つかさ、メタリン久しぶりじゃーん。たまにはお店来てよー?」
「あ、ごめん、今装置切るね。つーか、メタリン、マジ? あいつら人間じゃん。大ジョブなの? アタシ的には人間ちょい無理かなあ」
 どうやらこだまのように聞こえたのは、二人の声の主がハモる様に言葉を発していた為であるらしかった。
 そしてシャルル達の目の前で、毒の花や茨が一瞬で消え、景色が切り替わったかと思うと、木のトンネルの向こうに2匹の魔物の姿が見えた。
 グレムリンとリリパットであった。
 彼女らは“小悪魔系”と呼ばれる魔物の種族で、生物兵器ではなく、この国に元々住んでいた土着の魔物達(※1)であった。魔物としては非常に非力な種族であり、そのほとんどが直接的な戦闘には参加せず、主に中立地帯の魔物バーで人間の勇者の相手をしたり、魔王軍の支配地域にあるキャバクラやスナックなどで働いていた。
「ねえ、メタリンさー、今日ウチの店来てアタシのこと指名してさ、アレまた歌って☆ あのアゲアゲなやつ☆ ムリンちゃん、今日休みだけど、今日浴衣デーやるしさあ」
「あ、リリちゃんずるーい★ アタシもメタリンの歌聞きたいのにぃ。ねー、メタリン今日アタシとデートしようよ。こないだ森で見つけた勇者達の死体から携帯パクってきたからさ、それで一緒に写メ撮ってブログにのっけよーよ★」
 メタリンはまとわりつく彼女らを振り払い、また今度な、といった風にそれぞれの頭をなでた。
「さ、毒の花は消えたぞ。お前らも早くこっち来いよ。まあ元々、毒の花なんて咲いてないけどな」
 シャルル達がトンネルの中に見ていたものは、ホロスコープと光学迷彩を組み合わせた幻影であった。
 魔王軍の支配エリアである「試練の樹海」には、潜伏する魔物のゲリラ組織の拠点をせん滅する為、度々勇者達が送り込まれたが、彼らから集落や武装ゲリラのキャンプを隠すため、普段は光学迷彩を使い、集落そのものをすっぽりと周りの景色と同化させ、尚且つ立体映像で危険な植物や毒沼を映し出していたのだ。
 本物と見分けがつかない、それらの光学迷彩装置は、さらにブービートラップを仕掛けて周りの植物の映像で
カモフラージュする等しているので、大概の勇者達は魔物の集落を発見する前に罠にかかり全滅していた。また上空からメカキメラで偵察しようにも、曲がりくねった木々が邪魔をし、樹海に張り巡らされた様々なトラップや、天然の危険な植物や毒沼の数々を避けて通ることは不可能に近かった。

 シャルルとシムラは木のトンネルをくぐり抜け、シルバーに引かれたコンボイが後に続いた。トンネルを抜けると、魔物達の住むアッテムトが現れた。
 魔物ですら住んでいる気配の無い廃墟のような建物が多く目立つ。随分と古いそれらの建物は、植物のツタや丈の長い草、苔等に覆われ、ほぼ森と同化しているように見える。これだけでも十分にカモフラージュになりそうだが、本当にこんな場所に魔物達が住んでいるのであろうか?
「あの……、メタリンさ、この村にはどれだけの魔物が住んでるの? 僕らホントに入って大丈夫なの?」
 シャルルは心配になり、メタリンに訪ねた。シムラも同意見のようで、緊張した面持ちでメタリンを見据えている。そして恐らく馬車の中のフローラも同様であろう。

「魔物の数はせいぜい100、ってとこかな……。ここには、さっき会ったあいつらの店と、それからドクター・ドワイトの診療所、あとは小さな道具屋と宿屋が1軒ずつあるだけで、随分と古い集落だ。俺が生まれるずっと前からそんな感じらしいが、他の拠点が武装化してるのに、何故かここだけはずっと放置されっぱなしらしい。
 さっきの入り口みたいに、やたら手の込んだ光学迷彩で守られてたり、朽ち果てた建物やら墓地やら、村全体が森と同化しかかってるおかしな場所さ。当然、ここに住む連中も、世捨て魔のようなやつが多い。人間が現れた所で、暴れたりしない限りは、興味を持つようなやつなんていやしないさ……」

 メタリンはため息をつきながらシャルル達に説明すると、廃墟の間を進んだ。
 やがて広場のような開けた場所にでると、数名の魔物達がいたが、遠巻きにシャルル達を眺めるだけで、確かにメタリンの言うように敵意を見せている様子はない。しかし歓迎する様子もなく、ひそひそと何か耳打ち合い、不気味な監視の視線を一向に投げかけていた。
 広場には、丸いドーム状の建物が数軒並び、その内のひとつの入り口の前で、井戸から水を汲む白衣の者がいた。メタリンはその白衣の者のすぐ近くまで近寄ると、大きな声で叫んだ。
「おい、じじい! 急患だ! すぐに診てやって欲しい!」
 聞こえているのか聞こえていないのか、白衣の者は振り向きもせずに、井戸から水を汲み、桶に移し、布切れをひたしている。
 白衣はよれよれで、ところどころ裂けており、その下には緑色の皮膚が見える。頭髪は真っ白な、まるで爆発したかのようなアフロヘアーで、その動きはかなり緩慢であった。
 メタリンはさらに叫んだ。
「おい! 耳が遠くなったのか? それともボケ始めてんのか? 急患だっつってんだろ!」
 すると白衣の魔物はゆっくりと振り向き、メタリンを睨みつけた。
「……そんな大きな声で怒鳴らんでも聞こえとるわい……。また村に厄介事を持ち込んだのか? ここはお前のような者が来る所じゃない……。もうこの村には来るなと言っておいたはずだぞ……そいつらは人間か?」
 シャルル達に視線を移したその魔物は、緑色の皮膚が皺くちゃにたるんでおり、かなり高齢に見える。
 丸いメガネを鼻の所にひっかけ、口の中には数本の歯しか残っていないが、声だけは見かけによらず、良く通るしっかりとした口調であった。
「ああ、そうだ。人間だ……。アンタも昔人間だったんだろ? ドクター・ドワイト。あの馬車の中には人間と魔族のハーフがいて、そいつと目の前のサーベルタイガーがかなりヤバい。ドラゴンにやられたらしい……。信じらんないがな……」
 ドワイトは鋭い眼光でシャルル達を睨むと、無言でドーム状の建物の中に入っていった。
 しばらくして、建物の中から声が聞こえた。
「何をしてる? 早く連れてこい。どうせ出ていけと言った所で、帰るつもりもないのだろう?」

(※1)「土着の魔物」
 エニックス王国には、亡国フィン等から移民が流れてくる以前から住んでいる土着の魔物の民や、人間と魔物が争うようになってから遺伝子操作等で作られた生物兵器、動物に近い自然の魔物等、様々な種類の魔物が存在する。
 “小悪魔系”と呼ばれるグレムリンやリリパットや、“戦闘民族”であるサイヤ人等は、土着の魔物であり、スライムやキメラ、ドラキーといった種族は、戦闘用に作られた生物兵器である。
 元々自然の恵み豊かで、気候や地形のバリエーションに富むこの国では、種族の特徴も様々であり、自然との共存の道を説き続ける、ジブーリ地方に住む、トト・ロー族やマック・ロー・クロス族、ポー・ニョ族といった種族や、人間達がこの国に入居しはじめた時から、彼らの住居作りを手伝った、工芸を得意とする、デキ・ルカーナ地方に住むノッポ族、ゴンタ族といった平和的な種族も存在する。
 かつて人間であったというドクター・ドワイトは、ある理由からジェ・ダ地方に住む伝説の魔族、妖蛇(ようだ)族の秘術により、魔族として転生したと語った事があるが、そのような事をした人間の記録は他にないので真偽のほどは定かではなく、ドワイトも人間から魔物として転生した経緯や過去の出来事を語らない為、多くの魔物達の間では作り話だとされている。

<53. by NIGHTRAIN>


 シャルルたちがドワイトの診療所に入って、丸一日が経過した。
 奥の「処置室」(とメタリンは言っていた)にカンダタとシルバーが入って、そのままただ時間が過ぎるのをシャルルは待った。
 フローラは外傷はなく、今は別室のベッドで横になっており、看護師(これもまた、小悪魔系の魔物だった)に看病されている。
 メタリンは、アッテムトのパーツ屋に出かけて、応急修理しただけのコンボイを直すべく奔走し、シムラは、今後のための情報収集と称してキャバクラに出かけてしまった。(若干、鼻の下が伸びていたが、シャルルはそれには気づいていなかった。)
 何もできないでいたのは、シャルルだけであった。シャルルはただただ、ドクター・ドワイトの緊急オペが終わるのを祈り続け、やがて日が落ちてきた頃になってようやく奥の扉が開き、ドクター・ドワイトが出てきた。

「外科的処置はすべて施した。金色の方は火傷が酷かったため、翼を一度切除し、人工的に作り出した翼を接合させ、妖蛇族の秘術で元の肉体と同じ遺伝子へと組み替えた。サーベルタイガーも同様だ。折れた牙をいったん抜歯し、鉱石を削って作った差し歯を植え込み、妖蛇の秘術を用いた。今は完全に元の歯と寸分違わぬものになっている。あとは、体力が回復すれば戻るだろう」

 シャルルには理解が及ばず、「それって、どういうことですか?」と問うことでいっぱいいっぱいだった。果たして、カンダタは、シルバーは助かったのか。
 シルバーはシャルルになついてくれる可愛いペットだし、カンダタは生意気でむかつくヤツだったが、アベニュー通りの一件で、シャルルのなかで親友として位置づけられていた。

「妖蛇の秘術とは、別名を“進化の秘法”と呼ぶ。かつてこの国に移民してきたロトの用いたという秘術と、異なっているようで似た術だ……。それは、“夢を実現させる力”。術主の“願い”をこの世に、実現させるという恐ろしい秘術だ……」

 シャルルは途中から理解できなくなってきていたので、とりあえずこの話を早く終わらせたくて仕方なかった。
「それはすごいですねー。僕もいつか使えるようになってみたいです。ところで、カンダタは助かったのでしょうか?」
「先刻申したように、あの男たちは無事だ。あとは、休んでいれば直に目が覚める。そうすればまた旅立つが良い。そして、我が秘術のことは忘れよ」
 シャルルはもとよりそんな話は聞いていなかったが、顔を明るくして部屋を飛び出していった。
「それでいい……。人には過ぎた術よ……」
 ドワイトは皺だらけの顔を一瞬歪め、そう呟いた。

 かつて、ドワイトは人間だった。人間にしてみれば、生きられるほどのない歳月の彼方、ドワイトは魔物たちと共存を目指し、魔物や人間の括りなく診療を行う、国境なき医師だった。
 魔物はその禍々しい姿、人間をはるかに超える膂力、人間の理解を超える高い知能や、独特の文化形態から、長い間、忌み嫌われる存在であった。それでも、魔物達は人間との共存の道を模索し、半ば人間の奴隷のような立場となってまで、人間と仲良くしようとした。
 ドワイトは、そんな魔物達の住む隔離地区(B-56特別隔離エリア)のために尽力してきたのだ。あるときまで、魔物たちの苦渋の我慢の上とは言え、両者の共存は叶っているように思えた。
 しかし、人間たちが一人の魔物の少年を殺害したことで、事態は変わった。
 年端もいかない魔物の少年の四肢を切り落とし、拷問にかけ、あまつさえ、大衆の面前でその首を刎ねたのだ。
 ドワイトは今でもその少年の名前を覚えている。メフィスティ。それが少年の名前だったが、今ではもう、その名前を覚えているのはドワイトだけだろう。
 そうして、その親友だったマディ。ドワイトがまるで我が子のように接してきた心優しい少年は、以後は人間を強く恨み、やがて魔王として人間どもに殺された。
「なにが、勇者か……」
 勇者――勇ましき者。猛々しく、誇るべきその冠は、実際は汚れきって久しい。昨今のメディアを見る度、ドワイトは人間を辞めてよかったと思っている。
 戦争で死亡した魔王軍の兵士の屍に小便をかけ、悪のりした勢いでそれをインターネット上の動画アップロードサイト「あなたの筒」に投稿する勇者。戦乱に乗じて、魔物の女性に暴行を働く勇者。そして生まれた、両種族のハーフを差別し迫害する勇者。
 どこに、正義があるというのか。
 そうだ。だから、自分は“人間をやめた”(※1)のだ。
 そうしたことで、「進化の秘法」の本質を理解した。今はそれをただ魔物のためだけに役立てていた。
 いつも、人間と仲良くしたりするメタリンを気に食わなかった。ドワイトは度々メタリンに、騙されるぞ、と忠告した。だが、これじゃあ、まるで。
「人間も……捨てたもんじゃないなあ、なあ、エルザ。マディ」
 ドワイトは、心を寄せていた女性の名前と、その女性が愛していた孤児の名前を口にした。涙がとめどなく、あふれ続けていた。それは、人間を辞めて150年ぶりの涙だった。
 メタリンはたまたま水を飲みに診療所内に戻ってきて、その様子を影から見ていたが、何も言わず、またコンボイの修理に戻った。
 人間も、魔物も――そこに何の違いもない。ただそれだけの真実を、国中の人が理解できる日は訪れるのだろうか。

(※1)「人間をやめた」
 ドワイトは、妖蛇(ようだ)族の「DIO(ディオ)」といういつも石仮面を被っている男の術によって、人間をやめることになった。
 “進化の秘法”と呼ばれる術であるが、これは、理論上は錬金術と呼ばれる類に近い。等価交換の法則で成り立っており、何かを得るために何かを失うというものである。物質的なものであれば、それに対応するだけの素材があれば同等のものを作り上げることができるが、未熟な術者が用いると、時に恐ろしい悲劇を招くこともある。
 東のジパングに伝わる、「鋼の錬金術師」と呼ばれるエルリック兄弟の話などが有名である。エルリック兄弟は亡くなった母を生き返らそうとして、弟は全身を、兄は片足を持っていかれた。兄は自身の右腕を代価として、弟の魂を鎧に定着させることに辛うじて成功したが、自分達の愚かさに気づく。その後、兄は自ら失った右腕と左脚に機械鎧(オートメイル)を装着し、仮の手足を手に入れた。

<54. by よすぃ>


 ――その頃。
 ニューアフレガルドの孤児院に、一人の男が現れた。シャルルを戦場に連れ出した、あの男である。
 最初は警戒していた孤児院の大人たちは、男が差し出した名刺を見て、天に祈りを捧げた。

「私の名前は、シドー=エスターク。内務省の者です。実は、シャルル・アレマン氏が全国指名手配されましてね……。ロマリアの大火災の一件です。皆様もご存知でしょう」
「え、ええ……何でもドラゴンが出たとか。にわかには信じ難いですけど……」
 孤児院の管理者の老齢の女性――ミネアはおずおずと、顔をあげた。
「率直なところ、私はシャルル氏が犯人だとは思っていない。むしろ、人間にはあの犯罪は不可能でしょう」
「ではやはり……」
 不安そうな表情を浮かべたミネアに、シドーは頷いた。
「十中八九。魔王軍の仕業でしょう。しかし、世論が今はそうは出ていない。エニックス王国としても、当時もっとも怪しい一団を容疑者として指名手配している。そうなると、シャルル氏の妹も、世論の的になるはずです」
 シドーは、暗にこの場にいれば、この孤児院もマスコミの格好の餌食であると告げたのだが、ミネアは鋭くシドーの顔をにらみつけた。老いを感じさせない、澄んだ、真っすぐな眼差しだった。
「それでも、私たちこの施設の者は、シャルルさんの妹のマリアンナをお守りします。誰が敵になっても、私たちはマリアンナの味方ですから。お引取りください」
 シドーは思わぬ反論にたじろんだ。
 マリアンナを手中に置いておけば、否が応でもシャルルは内務省に従わなければなくなる。逆に言えば、マリアンナが死んでしまうとシャルルは旅をする理由がなくなる。そればかりか、へたれなシャルルのことだから自殺してしまうかもしれない。
 そう考えて、シドーはマリアンナを安全なところへ置いておこうと思っていたのだ。ロマリアの一件では、多くの人間が死んだ。あまりに死にすぎた。
 逆恨みした愚か者がマリアンナに何らかの危害を加えないとは言い切れなかった。
 シドーが何か言い返そうと、口を開きかけたそのときだった。

「わたし、行きます」
 マリアンナだった。
「にいさまのこと、いち早く知りたいなら、政府の人のところにいたほうがいいんでしょう? にいさま、無事なの? ちゃんと、五体満足ですか?」
 シドーは、このとき初めてシャルルの妹の顔を見た。
 シャルルと違って、聡明そうで、儚さと強さを同時に秘めた少女だった。若干、七歳の少女である。シドーには、とてもそうは見えなかった。
 ミネアはしばしマリアンナと言葉を交わしていたが、その意志が固いと見るや、シドーに向き直った。
「この子の意思なら仕方ありませんね……。シドー様とおっしゃいましたか。あなた。くれぐれも、この子を粗末に扱わないと神に誓ってください。マリアンナは短い間でしたが、私の子です。誰が何と言おうと、私たちは家族ですから」
 その言葉にマリアンナは感激し、ミネアに抱きついた。そして、二人は身体を震わせ、泣いていた。
 シドーはそんな様子を冷ややかに見つめる。
「ええ、神に誓いましょう。国家がどう出ようとも、私シドーにおいては、必ずマリアンナさんを守り通すと」
 シドーの言葉にミネアは安堵し、二人を送り出した。シドーは用意させていたチムニーにマリアンナを乗せ、出発した。

(神など、この穢れた世界に居るはずも無い……だが、居ないなら、俺がそれに成り代るまでのこと……)
 内務省の男――世の人々は彼、シドーのことを戦場でのその鬼神のごとき立ち振る舞いから、“破壊神”と呼んだ。あるいは神をも恐れぬ男という意味で、“神殺し(ゴッドバスター)”と呼んだ。
 馬車内で寝息を立てるマリアンナを見て、のん気なものだと呆れる。ロマリアの大惨事で、国内の勢力は危うい天秤の上にあり、いつ魔王軍や国家への反抗勢力に襲われるかわからないのだ。
 シドー・エスタークは、青い長髪(※1)をなびかせ、馬車の外を流れる景色を睨みつけた。

(※1)「青い長髪」シドーの写真
 亡国フィンのファイファン人の血を引く者の特徴。シドー・エスターク(右図参考)もまた、ファイファン人である。
 このように、内務省を始め、エニックス王国の重要機密を扱う部署にはファイファン人の子孫が多く勤めており、近年、ファイファン人の天下りなどが横行し、世論も厳しくなってきた。
 そのため、本当に優秀なファイファン人であっても重用すると手厳しいバッシングに合うこともあり、あえてファイファン人ではない者を雇用するという、逆ベクトルの差別も増えてきた。

<55. by よすぃ>


 カンダタとシルバーの処置が終わり、彼らの容体が安定した事を聞かされると、シャルルは喜び勇んでシムラの元へと急いだ。初めて得た本物の仲間を絶対に失いたくなかったし、結果的とはいえ、自分が行動を起こしたことによって、メタリンやドワイトという思わぬ助けが現れ、そして彼らの命を救う事ができたのだ。ホッとしたやら嬉しいやらで跳び跳ねたい気分であった。

 シムラは診療所でシャルルに言った。
『ここで我々が見守っていても、カンダタとシルバーの治療が早く済むわけではない。治療の邪魔にならないように、我々は外に出ていようじゃないか、シャルル君。 聞けばこの村にはキャバクラがあるという。何なら私が奢ろう。結構なんでもありらしいぞ! こう見えて、元国家公務員だ。ゴールドならたんまり持っているんだ。闘いばっかりじゃ寿命が縮む。たまにはキャバクラでパーっとやろうじゃないか☆』
 緊迫した状況で不謹慎に思えたシャルルは、ピシャリと言ってやろうとシムラの顔を睨んだが、その表情は不安でたまらないといった感じであり、無理にでも冗談を言って場の雰囲気をほぐそうとしてくれるシムラなりの思いやりが見てとれた。
 それでもシャルルは皆の傍についていて、せめて処置がうまくいくように祈りたいと、シムラの誘いを断ったのであった。

 夜のアッテムトは魔物達の歩く姿もなく、まるで遠い昔に滅びた村のような静寂に包まれていたが、村の入り口付近にある『小悪魔ageha☆』と書かれた真新しい店舗の看板だけは、森と同化しかかった村に似つかわしくなく、派手なピンク色の光を放っていた。
 シャルルはやたらゴージャスで重々しいゴシック系の扉を開いた。
 店舗の中は割と狭く、テーブル席が10席ほどしかなく、客は3組しかいなかった。
 店のコ達も客の入りが悪いせいか、奥の休憩室にいるようでフロアには出ていなかった。2組の客は、村の魔物のようで、静かに飲んでいるようだ。
 店長であるらしい、蝙蝠男がやってきてシャルルに『何名様でございましょうか?』と尋ねたが、シャルルは奥のほうに座っているシムラの姿を確認し、「あそこの席に連れがいるんで」と断り、店の中に入って行った。
 シムラは両側に小悪魔系の魔物をはべらせ、足を組みうつむいている。
 シムラの両側の魔物は、村の入り口で出会ったリリパットと、先程は見なかったベビーサタンのようである。二人とも、露出度の高い浴衣を着ており、とてもセクシーないでたちである。
 リリパットは、妖艶なピンク色の頭巾を被っているが、その頭巾の下からコケティッシュでキュートな瞳を覗かせ、薄緑色のみずみずしい肌や胸元にはラメを散りばめ、はちきれんばかりの肌がとても悩ましい。(※1)
 対するベビーサタンはほとんど裸のようなSMチックなピンク色のサタン衣装の上に、露出度の高い浴衣を着こんでいるので、アンバランスさが逆に妙にエロスを際立たせており、これまた狂おしい。(※1)

 シャルルはゴクリと生唾を飲んだ。シャルルの脳裏に“ぱふぱふ”の四文字がよぎる。そしてシムラの語った言葉が、まるでやまびこのようにこだまする。
『……結構なんでもありらしいぞ♪ ……なんでもありらしいぞ……らしいぞ……らしいぞ……らしいぞ……』
 ……まさか! シムラはこの数時間、ずっとここにいたが、“ぱふぱふ”はされたのであろうか? あの余裕の姿勢……、まさかシムラは……!!
 シャルルの胸が禍々しく高鳴り、表情がドス黒くニヤける。地の底からわき上がるような謎の力がシャルルの身体に満ちてきて、シャルルは足早にシムラの元へ歩み寄った。

「あっ! さっきの人☆ いらっしゃーい☆ この人ずっと待ってたんだよ? あなたが来るからってボトルも入れてくれてさぁ。ただゴメーン、なんかアタシぃ、メタリンのことこの人に話したら泣いちゃってぇ……もぉー、さっきから泣きっぱなしなの☆」
「ねー。あたし達ぱふぱふしてあげるって言ったのに、なんかメタリンのことすげー気に入っちゃったらしくて感動して涙が止まんないんだってぇ☆。馬鹿だよねぇ」

 見るとシムラはうつむき、男泣きに泣いていた。
 ぱふぱふはされていないと言うのか……? なんと愚かな……。
 店に入ってきたシャルルに気付き、見上げたシムラの顔は涙と鼻水でべとべとになっていた。

「……エグッ……ヒック……お゛う゛、ジャル゛ル゛が? あのメ゛タ゛リ゛ン゛、本物の”漢”だぜ……。あ゛い゛つ゛は゛漢゛だ……。あ゛いづの仲間の゛マ゛ーディ゛ってやづも゛な゛……」
 ほとんど何を言ってるのか分からなかったが、とりあえず席に着いたシャルルは水割りを作って貰い、乾杯するとリリパットの話を聞いた。
 メタリンの過去のこと、そして彼の親友であった偉大なギタリストのマーティのこと、そしてこの村に流れ着いたメタリンのこと。
 メタリンは上官であるドラキーを殺害した後、追いすがる魔王軍から身を隠すため、樹海に逃げ込んだのであった。しかし追撃の手は止むことはなく、追手達との激しい戦闘の末、なんとか逃れたが瀕死の重傷を負ったのだと言う。
 偶然にもアッテムトとは少し離れた集落の近くで行き倒れになっていたところを、リリパットとグレムリンが発見し、アッテムトまで運びこんだのだと言う。
 そこでドワイトにより、メタリンは瀕死の命を救ってもらい、事情を察したドワイトにより、アッテムトにずっといたらどうかと、村の新しい住人として招待されたのである。
 ドワイトや、その他の村の魔物達の温かい提案にメタリンは心打たれ、涙ながらに喜び、村の一員として過ごすことになったのだ。
 しばらくは平和な日々が続いたが、ある日、メタリンが樹海に薪を拾いに行った時、またしても魔王軍の追手に出会い、からくも撃退し、その身に追手の返り血を浴びたまま村に戻ってきた。

 アッテムトの一員として過ごす日々も、いつかは魔王軍の追手によって壊されてしまうかもしれない。そう考えたメタリンは、これ以上は村にいることは危険であると察知し、ドワイトが止めるのも聞かずにアッテムトを出て、洞窟にその根城を移したのだと言う。
 自分のせいで村を危険に巻き込むわけにはいかない、メタリンの戦士としての決断であった。
 村の魔物達は自分達がすでにメタリンを家族のように思っていることを伝え、何度も洞窟に足を運び、メタリンに村で過ごすように訴えた。そしてリリパットやグレムリンも、メタリンの心優しき決断に心打たれ、いつメタリンが村に戻ってきても楽しめるように、村にキャバクラを作り、メタリンを待つ日々が続いた。
 さすがのメタリンもそこまで村の魔物達に愛されると、感情をコントロールすることはできず、追手に追跡されないよう十分に配慮しながら村に何度か足を運んだが、その間も魔王軍の執拗な追跡は続いたのだ。
 ドワイトは、ただ平和に村で過ごしたい、それだけの願いすら叶えられないメタリンを不憫に思うと共に、自分や村の者たちを愛し、村の為に洞窟に住まうメタリンの気持ちを尊重し、いつしかメタリンを村に寄せ付けないよう他の魔物達に指示するようになり、たまに姿を見せるメタリンを激しく非難するようになった。
 ドワイトが心の中で涙を流しながら、メタリンを追い出そうとする姿に村の魔物達は何も言う事ができなかった。しかし、彼らも同じく、心の中で涙を流し、メタリンをよりいっそう深く愛した。
 そしてそんなメタリンが、傷ついた人間達を治してくれと連れてきたのだ。彼の心の優しさに、きっとドワイトは耐えられなかったのであろう。昼間ドワイトがメタリンの声に振り向かなかったのは、メタリンの姿を見ると涙を流してしまうからだったのではないだろうか?
 そこまで聞いたところで、シャルルは激しく嗚咽し、泣き崩れ、コップに注がれた水割りを一気にあおった。

「……ヒッグ……エッグ……ジム゛ラ゛ざん゛……メ゛ダリ゛ン゛、めっぢゃい゛い゛奴゛じゃな゛い゛っずが……」
「……エッグ……だろ? も゛う゛今夜は゛飲む゛じがね゛え゛よ……だれ゛がメ゛ダリ゛ンつ゛れ゛でぎでぐれ……」
 シャルルとシムラは男泣きに泣き、ボトルの酒を飲み続けた。そしてその姿を微笑みながら見つめていたリリパットはポーチから森で拾ったスマホを取り出すと、彼らと一緒に写メを撮った。
「アタシ、人間ってみんな嫌な奴ばっかだと思ってたけどさぁ、メタリンのことでそんなに泣いてくれるなんて、あんたら、マジいい奴らなんだね☆ もぉ、アタシらマジ友達だからさぁ、またいつでも来なよ☆
 今度はちゃんと“ぱふぱふ”してあげるからさ☆ 男同士の友情って素敵だよねぇ☆ これあとでムリンちゃんにも送ってやんなきゃ。あのコ、今日休みだからさぁ」
 シムラとシャルルは感激し、リリパットやベビーサタンと肩を組むと、さらに写メを何枚か撮り、酒をがぶ飲みした。

 *

 一方、診療所では、処置を終え、薬を与えられたカンダタとシルバーは深い眠りの中にあり、ドワイトは彼らを見守りながら、机の上で治療の記録を作っていた。
 診療所の前では、小さなランプを灯し、メタリンが夜通しコンボイの修理を続けており、静かな夜の村に小さな工具の音が響いていた。軽い手当てを受け、しばらく眠っていたフローラは、そのかすかに聞こえる金属音で目を覚ました。カンダタやシルバーがどうなったのかが気にかかり、すぐに身を起こす。
 小さな診療所の中では、フローラのベッドから奥のほうにいるカンダタやシルバーが見え、彼らの様子がおだやかであることを確認すると、安心したかのように、再びベッドに横になった。
「おや? 目覚めたようだね……。貴女も随分と力を消費したようだ、丸一日寝ておったよ……。何か軽く口に入れるものでも持ってこようか?」
 ドワイトはフローラが目覚めた事に気付き、コップに水を注ぐと手渡した。
 フローラは受け取った水を一口飲むと、冷たく心地よい感触が喉をうるおし、癒しの魔法をかけられたように
身体が楽になった。
「これは……?」
「なに、古の薬品、ポーションの一種だ……。かつてロトによりこの国に持ち込まれ、今では製造されていないフィン王国の薬水だよ。そのへんに生えている薬草と効能はさほど変わらない。貴女は、その髪はファイファン人の方かな?」
 ドワイトの問いかけはとても柔らかく、まるで十数年前に他界したオルッテガのような口調であった。オルッテガはフローラを溺愛し、よくフローラを遊園地に連れて行ってくれたり、フローラに魔法や剣術を教えてくれた。今目の前にいるのは、オルッテガとは似ても似つかない緑色の魔物なのに、何故かフローラにはドワイトの顔がオルッテガと重なって見えた。
「私は、ドワイトさんの仰る通り、ファイファン人です。それも特別な、あなた達魔物にとっては、憎むべき“ロト”の血を引いた……」
 ドワイトはフローラの言葉に驚いた様子で、フローラの哀しげな瞳を見つめた。

「なんと……! そうであったのか……。確かに魔物達の間で、“ロト”の血というのは、呪われた悪しき血統として忌み嫌われている。しかし全ての者がそうではない。我々魔物の間にも、“ロト”にまつわる伝説はある……。
 それにお嬢さん、貴女を見ていると何故か、もうはるか昔のことになるが、魔物と人間を平等に愛した一人の美しい人間の娘を思い出す……。その娘も、ファイファン人の血を引いており、美しい青い髪であった……。お嬢さん。貴女は、あの魔物とのハーフの青年や、サーベルタイガーを癒す為に必死で力を使ったね? 貴女には、魔物や人間といった区別なく、平等な思いやりの心があるように見受けられる」

 フローラの目を真っ直ぐに見つめながら話すドワイトにやや気恥ずかしくなったフローラは、ベッドを立ち上がり、ドワイトに照れ隠しをするかのような口調で反論した。
「……そんな、私はただ、私を命がけで守ってくれた人を死なせたくなかっただけです……。そんな平等な思いやりの心なんて、おこがましい……」
 フローラの様子を見て、ドワイトは優しく微笑むと振り返り、診療所の入り口に向かい歩き始めた。
「だいぶ体力も回復したようで良かった。ついてきなさい、見せたいものがある……」
 そう言うと、ドワイトはそのまま診療所を出ていったので、フローラもゆっくりと歩き、ドワイトの後を追った。
 診療所の外に出ると、どこからか吹き込む柔らかいそよ風がフローラの顔に優しく吹き付けた。メタリンはコンボイの修理に没頭しており、フローラとドワイトには目もくれていない。ドワイトはフローラを伴い、ゆっくりと歩き続けながらフローラに語りかけた。
「この村はね、元は人間達によって魔物を隔離する場所だったんだよ……。B-56特別隔離エリアと呼ばれ、元々は人間達の住んでいた町に隣接していたんだ。今では人間の住んでいた町は跡形もなく、森に飲まれてしまったがね……」
 ドワイトは悲しげに語ると、後は無言で歩き続けた。

(※1)「悩ましく、狂おしい」
 小悪魔系の魔族であるリリパットやグレムリン、ベビーサタンらは、人間の男よりも非力であるため、基本的には戦闘に向いていない魔族である。彼女らは己の非力さをカバーするために露出度の高い衣装を着、また誘惑や幻惑系の魔術を磨き、色香と知恵で戦乱の世を生き抜いてきた。
 写真は「小悪魔ageha☆」の入口に飾られているリリパットとベビーサタンの写真である。現在の人気ランキングは、1がリリパット、2がベビーサタン、店をよく無断欠勤するグレムリンは5である。
リリパットの写真←リリパット   ベビーサタン→ベビーサタンの写真


<56. by NIGHTRAIN>


 しばし、ドワイトは無言で歩き続けた。フローラのために、暗い足元をメラの炎で照らしてくれている。
 木々に埋もれるようにして横たわる、廃墟と化した街。まだ住むに耐える家屋には、魔物の家族が住んでおり、窓から青い髪のフローラを興味深そうに眺めている者も居た。
「ここはまだ住めるが、試練の樹海の最奥地のドムドーラと呼ばれた人間の町は建物は瓦礫の山と化し、鬱蒼と生い茂る密林の中だ。とてもじゃないが住めたものじゃない」
 そう言いながら、ドワイトは森の木々を眺めた。
 空が狭い。そのため、月明かりも遮られていて暗く、魔物たちの住むのには最適な環境であるように思えたが、人間であれば月や太陽を恋しがるのかもしれない。しかし、長年、夜の街で働いてきたフローラにとっては、あまりピンと来るものでもなかった。
「あの……なぜ、この街は木々に飲み込まれたのですか……?」
 フローラが問うと、ドワイトは遠い目をしながら歩き続けた。
「……お嬢さんは、“進化の秘法”というものを知っておるかな? あるいは、錬金術を知っておるかな?」
 その言葉にフローラの顔が曇る。知っていた。フローラの父のアベルは、腕の未熟な錬金術師だった。(※1)錬金術で稼いだ金はわずかだというのに、それを酒と女に費やす最低の男だった。

「ご存知のように、錬金術の系統は多岐にわたる……ただの石ころを金に変えたりするものもいれば、人間や魔物の身体に流れる“気”を利用し、健康へと変えたり……“進化の秘法”というものは、それら錬金術の最高峰に位置する。なあ、お嬢さん。いろいろな錬金術が世の中にはあるが、共通点は何かわかるかね?」

 フローラは悩んだが、父アベルの姿を思い浮かべ――そして答えた。
「夢。望み。欲望。それらを、具現化する力、です」
「正解だ。錬金術は、それらの中で、細かいある一部分の分野においてのみ、特化した術。しかし、“進化の秘法”は、今あなたがおっしゃったことそのものだ。すなわち、夢や望み、欲望を具現化する。そこに制約など、ない。まあ、等価交換の原則は適用されるがな……」
 等価交換の原則――何かを得ようとすれば、何かを代償として支払うというものだ。

「この試練の樹海は、150年前にはなかった。だが、ひとりのファイファン人の女性が“強く願った”ことによって、ドムドーラは地異の変化によって滅び、樹海の一部と化し、B-56特別隔離エリアは樹海に飲まれたが、魔物たちの住みやすい環境へと姿を変えた。それからじゃな……ここが世から逃れる魔物たちの最後の楽園となり、アッテムト村と呼ばれるようになったのは……」

 話しながらも、ドワイトは鬱蒼とした木々の中を縫うようにして、フローラを案内する。

「“進化の秘法”や“錬金術”の源はね。本来、だれもが持っている、“夢をかなえようとする力”なのだ。そして、それを、ファイファン人は潜在的に強く持っている。一部の優秀なファイファン人がその力を術化したのが……“進化の秘法”だ」

 そして、ドワイトは長々と語り始めた。
 かつて、この街で行われた魔物の少年の公開処刑。それに端を発した、虐げられてきた魔物たちの人間に対する暴動。
 そのなかで、魔物の少年たちをかばった、一人の青髪の女性エルザ。エルザはドワイトの診療所で働く看護師だった。ドワイト同様に、人間と魔物に垣根を作らない、性根の優しい女神のような女性だった。

「……だけど、彼女はその暴動で、重傷を負った。死に至るほどの重傷だ。死に瀕した彼女はわが子同然に育てていた魔物の少年を、人間たちから守りたくて、こう願ったんだ……」

 ――この地から人間を排除し、魔物たちを守ってほしい、と。
 結果、樹海が出現し、人間たちは飲み込まれていった。当時、人間だったドワイトはその緑の津波の中で意識を失い、気づいたときには、森の外に居た。(おそらくはエルザの潜在意識の中で、魔物に害をなさない人間の生命は奪わないようにという心理的制御が働いたのだろう。)
 天を貫いてそびえ立つ一本の大樹の前で、ドワイトは足を止めた。

「これがエルザだ。過去を知らないアッテムトの魔物たちは、彼女を“世界樹”と呼んでいる」
 フローラは口を大きく開いて、その樹木を見つめた。到底それがもともとは人間だったなどとは信じられなかった。
「今でこそ、君たちのような心優しい人間ならば入れるようにはなったが……昔はそうもいかなかったのだ。私は、エルザに会いたくても、ここに来ることさえできなかった」

 しかし、それはある理由で可能になったのだという。
 ドワイトはエルザを失った一件で人間に嫌気が差し、人間を止める秘術があるという噂を聞いて旅をした。
 そうして、ジェ・ダ地方に辿りつき、そこに住む伝説の魔族、妖蛇(ようだ)族の最後のひとりであるDIO(ディオ)の秘術により、魔族として転生したのだという。
 妖蛇(ようだ)族は、ただひとつの秘術を守るためだけに存在した一族であった。長老(=マスター)と呼ばれる者が代々、一子相伝で術を伝えてきた。マスターは弟子を複数人とり、その中でもっとも腕の良かったものに秘術を捧げ、残りの弟子は口封じに殺し、師匠である自身も自害することになっていた。
 そんな慣習も、一族が多く存在していた故に成り立っていたのだが、セックスレスが原因で少子化が進み、また、医療の進歩で高齢化が進むにつれて変わってきた。当初は緩やかな社会問題であったが、高齢者を支える若い世代の欠落が、一族の衰退に拍車をかけた。やがて、古い因習の中で生きてきた妖蛇族は、DIO(ディオ)だけを残し、消えていった。
 DIO(ディオ)は当初はドワイトの願いを聞き遂げるわけにはいかない、と頑なに拒んでいたが、ドワイトと長く接するうちに、彼の「魔物になりたい」という願いに心を打たれ、秘術を捧げると共に、ドワイトを魔物として転生させ、妖蛇族の慣習に法り、最後に自らの生命を絶ったのだと言う。

「妖蛇族の始祖たちは、ロトの側近のファイファン人だったのが“人間をやめた”ものらしい。人間を捨てて魔物になったのが、戦争や人間に嫌気がさしたのか何が理由なのかはわからないが、変えた手段ならわかる……。ロトは死に瀕した際に不死鳥となって飛び立ち、信頼できる者に持てる力の一部、“光”のオーブを託し、彼らはその力をもって自分たちを魔物へと変えた……」

 ドワイトは過去をすべて語り終えると、世界樹――エルザにポン、と手をついた。

「“進化の秘法”は、“何でも叶えることができる”という、恐ろしい秘術だ。使い方を誤れば世界すら滅ぼしかねん。また、悪しき者の手にわたってしまえば……」
 そして、ドワイトは顔をあげる。
「私の持つ“進化の秘法”だけが、この世界にあるロトの秘術じゃあないのだよ。……他のロトの秘術は果たして、いずこにあるのかわかるかね?」
「ロトの……秘術……?」
「Oパーツだよ。Oパーツと呼ばれる武具を集め、そこからコアを取り出すと、オーブと呼ばれる力となる。それこそが、“夢をかなえる力”だ」
 フローラは、ラヴァル公爵が竜の姿になったことを思い出した。

「ひとつひとつは小さな力だが、オーブがすべて集まったとき、真の“進化の秘法”が完成するだろう。それは人間や魔物には過ぎたる力だ。フィン王国が滅んだのもそのせいであるとも言われている……、また、ロトがフィン王国からその秘術を隠匿し、持ち去ったのも、強大すぎる力を恐れてのことだと、妖蛇族の伝説には伝わっている……」

 あまりに途方も無い話に、フローラは耳を疑っていた。
 古の伝説など持ち出されたところで、フローラには何もわからなかったが、ひとつだけ、わかりかけてきた。

「炎や水のOパーツのシリーズは知っているかね。あれらは、レッドオーブ。ブルーオーブという、自然界に宿る火と水の力を持っている。お嬢さんは賢者だから、わかるじゃろう。呪文を行使する際に働きかける、自然の理だ……だが、その理を反れた力が2つある。何か、わかるかね?」

 フローラは首を横に振った。

「光と、闇だよ……ゴールドオーブとシルバーオーブにそれは宿っている。そう……妖蛇族が長年かけて守り続けた、この力だ……」
 ドワイトの皺にまみれた指先が黄金に輝いていた。
「Oパーツのひとつ……ロトが身につけていた武具シリーズに宿った光の力だ。お嬢さん、指先を見せて御覧なさい」
 フローラは首を傾げたが、いいから、と催促され、恐る恐る指先を差し出した。
 ドワイトはフローラの白く透き通る綺麗な指先に、しわくちゃの指を差し出した。指先が触れ合ったその瞬間――フローラの身体が電流が伝ったようにびくん、と震える。
 脳裏に見たことも無い景色が次々と流れていく、古めかしい巨大なフィン城。景色だけではない。女性でありながら竜にまたがり天を駆けた竜王ロトの熱い正義の心が、焼きつくようにフローラの感情とリンクする。いくつもの街が流れていった。いくつもの人の顔があった。いくつもの想いがあった。いくつもの、夢が。
「あ、あ、アアアアアアアアアアアアア」
 フローラは悲鳴をあげ、自分の身体を抱えるようにしてうずくまった。
 荒い呼吸をする。何とか酸素を吸い込もうと、ぱくぱくと金魚のように必死に口を開け閉めする。
 すべてを観たわけではない。断片的な情報の欠片をいくつも高速で見せられたのだ。頭の処理がついていかず、フローラは胸に手をあて、必死に感情の起伏を抑える。

「お嬢さん……たしかに、ロトのOパーツの力、渡したぞい。おぬしの仲間のひとりが持つ、天空のOパーツは、闇の力。あの小僧が闇に飲み込まれそうになったときに止められるのは、お嬢さんだけだ」
 ドワイトはそう言うと、優しく微笑んだ。フローラの中で、その表情が死ぬ前に最期に見た祖父オルッテガのものとダブって見えた。
「ドワイトさん……?」
「国家のものにゴールドオーブの存在を知られてはならぬ。今ここで起こったことは、お嬢さん。あなただけの胸のうちに閉じ込めておきなさい。仲間にも告げず、そう、時が来るまで……」
 ドワイトの姿が崩れていく。まるで、土で作った粘土細工の人形が乾燥したあまりに風で吹かれるように。
「今しかないと思ったのじゃよ。魔物と人間と共存できる貴方たちを見て、な。人間に絶望し、昨今の魔王軍の狼藉にもついていけぬ……わしから言わせれば、どちらもどちら。戦争に正義など、ありはしまいよ。だからこそ、両者の架け橋になれる貴方たちに、次の時代を託したい」
「ドワイトさん……こうなることがわかっていたんでしょう? どうして……」
「はじめからこうなる運命だったのだよ。これが代償……悠久の生命なんて、人には過ぎたるもの……。最期に、ここで死ねるのは本望じゃ……」
 ドワイトの目の焦点が合っていない。
「お嬢さん、少しばかり年寄りのワガママを聞いてはくれぬか……」
 フローラは言葉を発することができず、ただただ首を上下に振り頷く。
「この手紙をメタリンや村の者に渡して欲しい。私の遺書のようなものだ……。それと、最期にエルザの元にわしを連れて行ってほしい……」
 フローラはドワイトを抱えて、世界樹の元へ走り出した。
「おお、エルザ……エルザ……そこに居るのかい。マディやメフィスティも一緒か……?」
 世界樹に手を伸ばし、触れた瞬間、ドワイトの身体は光に包まれて、世界樹と同化するようにして消えて行った。
 フローラは祖父オルッテガのことを思い出し、ドワイトの優しさを思い返し、涙し続けた。ただ、木々の揺れる音だけが優しく響いていた。
 ひとしきり泣いた後、フローラは、世界樹の表皮に、ドワイトの容姿とそっくりな瘤ができていることに気づいた。ドワイトは今、本当の意味で想い人のエルザと一緒になることができたのだと、フローラは思った。

(※1)「腕の未熟な錬金術師」
 アベルが用いた錬金術は、パチンコやスロットといわれる近代において確立された術体系である。
 腕が未熟でなければ、人はその錬金術を用いる術師のことを「パチプロ」と呼ぶが、そうでなければ、「パチンカス」などと呼ばれる。

<57. by よすぃ>


 フローラはしばらく世界樹の根元に座り込んでいた。目の前で自分にゴールドオーブを託し、消えてしまったドワイト。白昼夢にしてはあまりにも鮮明で衝撃的な光景。脳裏にまるで洪水のように様々な景色や人々の想いが流れ込んできては消えていった。
 ドワイト、エルザ、そしてロトの血脈。目の前で起こったことが信じられなかった。
 ドワイトの指に触れた途端、まるで自分の心はこの現世にはなく、どこか遠い空の彼方から時の流れや人々の感情、歴史が刻まれていく様を眺めているように感じ、またそれらの出来事が猛スピードで流れていく只中にいるような感覚を受けた。
 自分という個ではなく、それら全てのものが来た場所、そして還っていく場所、何かの集合体の中にいるように感じ、記憶の奥深くに隠された母親の胎内にいる時のような、とても懐かしく、温かく、安心できる場所にいるように感じた。
 そしてドワイトやオルッテガ、竜王ロトやエルザの深い愛情や哀しみがフローラの心を埋め尽くした。普通の人間であれば、恐らくは正気は保てなかったであろう。しかし、フローラの心は澄みきった湖面のように落ち着き、静寂が支配していた。
 ゴールドオーブをその身に宿す者ならば、誰しも受ける感覚なのか、それともロトの血があればこそ制御可能なのかは分からなかったが、凄まじい嵐の中にありながら、自分の周りだけが雨風もなく、穏やかな流れの中にいるような感覚である。

 フローラがゴールドオーブを授かった右手で世界樹の太く立派な幹の表面に現れた瘤に触れると、右手は仄かに温かくなり、ぼんやりと明るくなった。そして世界樹の幹の中に流れる優しい水の音が頭の中に聞こえ、その水流の中に、かすかに声のようなものが聞こえた気がした。それがどのような言葉であるかまでは聞きとれなかったし、果たして声であったかどうかは分からなかったが、ふと気付くと、まるでその声に呼ばれたかのように、いつの間にか目の前に一人の魔物が立っていた。
 魔物は物憂げな瞳でフローラを見つめ、頭を下げた。
「ドワイトさんは、旅立たれたのですね?」
 魔物は世界樹の葉が静かな夜風に揺られる音と同じような小さな声でフローラに問いかけたので、フローラが頷くと、哀しげな微笑みを浮かべた。
「あのお方は、ずっと待っていたのです……。もう随分と長く、この木の傍で待ち続けました。私達には多くは語りませんでしたが、何か大切なものを守りながら。次は貴女が次の世代まで運ぶ番が来たのですね。それであのお方は旅立たれた……。さあ、貴女もここを離れなさい。ここへはもうすぐで貴方達に敵意を持った人間達がやってくる……」
 そう言うと、魔物はフローラをエスコートするように村の中心部へ歩き始め、フローラもそれに倣った。

 *

 一方、村では数名の魔物達が『小悪魔ageha☆』に押し入り、シャルルとシムラを取り囲んでいた。
 魔物達は牙を剥き出し、店内の壁やテーブルに拳を叩きつけ破壊すると口々に怒りの声を上げて(※1)いた。店長である蝙蝠男も止める様子は無く、シャルル達を睨んでいる。

「お前達はやはり人間のスパイだったか。今大勢の勇者達が恐らくここを目指して樹海に入り込んでいる!」
「薄汚い人間のやりそうなことだ! だから俺はメタリンが人間を連れてきたときに言ったんだ!」
「ここは我々の聖地だ! 人間どもの好きにさせるわけにはいかない! お前達を殺して串刺しにしてやる!」

 シャルルとシムラはすっかりと怯え、酔いがさめており、表情は恐怖に凍りつき身体は硬直していた。わずかでも動けば、たちまちのうちに魔物達が襲いかかり、殺されてしまうであろう剣幕で怒鳴っているのだ。
 リリパットやベビーサタンも席を離れ、シャルル達を遠巻きに不安そうな顔で眺めている。
「なんとか言ったらどうだ! 貴様らは我々を滅ぼす為に来たのだろう!?」
 一人の魔物が怒りのままにテーブルを掴み、シャルル達の脇すれすれの所に投げつけると、テーブルはそのまま店内をブーメランのように破壊しながら突き進み、壁に大きな音を立てて突き刺さった。
 シムラはアイコンタクトでシャルルに『おかしなことを絶対に言うなよ』というようなニュアンスで伝えようとしたが、シャルルの視線は目の前の魔物達に釘付けになっており、恐怖のあまり涙目となっていたので、シムラのアイコンタクトには気付いていなかった。

 そこへ、騒ぎを聞きつけたメタリンが駆け込んできた。
「おい! どうしたんだ! 何の騒ぎだ! そいつらが何かやったのか!?」
 たった一日とはいえ、恐らく仲間になったであろうメタリンの姿を見て、シャルルは藁にもすがる思いで弱々しく助けを求めた。今の絶望的な状況を救えるのは彼しかいない。
 しかし、シャルルの内心は不安でいっぱいだった。果たしてメタリンは本当に自分たちの仲間のつもりで居てくれているのだろうか? 確かに、スマフォのパーティ人員管理シート上ではメタリンは仲間になってた。(それを確認したがために、フローラに「電源切れバカ」と怒鳴られたので、シャルルはそのことに関しては自信があった。)
 しかし、パーティはいつでも抜けることは可能である。本当の意味の「仲間」とはこんな、国の定めた人員管理シート上の記載だけでは計り知れない、もっとあたたかいものなのだ。
 もしメタリンが一時的なパーティ加入で、本当はただの通りがかりの親切な魔物だったら……。
「あ、あのさ……メタリン、これは、誤解で、なんか僕達、スパイだと思われてるみたいなんだよ……」
 すると、テーブルを投げつけた魔物はシャルルの襟首をつかみ、ソファからシャルルの身体を持ち上げると、そのまま地面に叩きつけた。
 痛恨の一撃と恐怖でシャルルはまたしても失神するところであったが、素早く駆け付けたメタリンがシャルルの身体をキャッチし、致命的な一撃を回避した。
「待てよ! 暴力は止めろ!! こいつらの話も聞いてやれよ!」
 シャルルは怯えると共に、メタリンのファインプレーに感激した。そしてはっきりと自分の感覚の正しさを悟った。やはりこいつ(メタリン)は自分の仲間なのだと。
「なんだ!? 貴様!! 人間どもの味方をするのか!? この裏切り者め!!」
 シャルルを投げつけた魔物とメタリンが一触即発の状態であることを見ると、シムラが必死の思いで叫んだ。
「待ってくれ! 本当に我々はスパイではない! 大勢の勇者達がこの森に入っているのなら、確かに我々のことを探しているのかもしれない! 他の勇者達に追われる身ではあるが、GPSで探知されないよう、スマホの電源も切っているんだ! 信じてくれ! 出て行けと言うのなら、今すぐにでも出て行くから!!」
 シャルルには少し耳の痛い話であった。しかし、フローラに叱咤されてすぐ電源を切ったし、自分のスマホが原因ではないはずだ、とシャルルは思い直した。
 しかし魔物達は一向に聞く様子がなく、シャルルを受け止めたメタリンを取り囲み、戦闘態勢に入っている。彼らの怒りは制御不能であり、闘争本能の赴くまま、メタリンに襲いかかる寸前であった。
 するとメタリンは、奥で怯えて見ていたリリパットに向かい冷静な口調で問いかけた。
「なあ、リリちゃんさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいか? ちょっとこっち来な」
 リリパットは何度も首を横に振り、涙目になりながら『絶対無理』という仕草を見せたが、メタリンは冷静に続けた。
「お前らも後で俺をやりたきゃ好きなだけやっていいが、ちょっと待ってろ。ほら、リリちゃん、早く来いって」
 リリパットは観念した様子でため息をつくと、何かバツの悪そうな表情を浮かべ、上目遣いにちらちらメタリンを見ながら、魔物達とメタリンのいる場所に恐る恐る近寄って行った。
「お前、森で人間どもの死体から最近スマホをパクってきたっつってたよな?」
 リリパットは目をそむけながら軽く頷いた。
「そんで、俺と写メ撮ろうとか何とか言ってたよな?」
 リリパットはまた目をそむけながら軽く頷いた。


*めたりんはリリパットにといかけた!

 「お前、こいつらと写メ撮ってブログにのっけたろ?」
*『めたりんは正直に言って欲しそうにこちらを見ている……白状しますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

*めたりんはうたがっている!


 「うそつくな。こいつらと写メ撮ってブログにのっけたろ?」
*『めたりんは正直に言って欲しそうにこちらを見ている……白状しますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

*めたりんはうたがっている!


 「うそつくな。こいつらと写メ撮ってブログにのっけたろ?」
*『めたりんは正直に言って欲しそうにこちらを見ている……白状しますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

*めたりんはうたがっている!


 「うそつくな。こいつらと写メ撮ってブログにのっけたろ?」
*『めたりんは正直に言って欲しそうにこちらを見ている……白状しますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

*めたりんはうたがっている!


 「うそつくな。こいつらと写メ撮ってブログにのっけたろ?」
*『めたりんは正直に言って欲しそうにこちらを見ている……白状しますか?』(ピピピッ)

   はい
 rァ いいえ (ピッ)

*めたりんはうたがっている!
*めたりんはうたがっている!
*めたりんはうたがっている!


 いい加減観念したリリパットは、遂に泣きながら、それでも可愛さアピールは忘れないように潤んだ瞳で上目遣いにメタリンを見ながら白状した。

「ごめん、メタリン……だってさぁ、こいつらマジいい奴らだったし、メタリンのこと気に入ったみたいだったから、アタシも友達になってやろうと思って、ブログじゃなくってツイッターのほうにつぶやいちゃって……。
 そしたらさ、リツイートがハンパねーの! 人間の勇者ばっかだったんだけど、『今どこ? 楽しそう』とかメッセ入ったりして、つい楽しくなって、色々今どこにいるかとかつぶやいちゃって……マヂ、ごめん……」
 するとメタリンはリリパットの頭をなで、しょうがねえなといったような仕草をし、リリパットに奥に引っ込むように促した。リリパットは尚もバツが悪そうに謝り続け、嫌いにならないで欲しいと訴えかけたが、メタリンはそれ以上は無視したので、小さく舌打ちをして控室のほうに下がっていった。
 魔物達も、まさか身内が引き起こした結果だったとは夢にも思っていなかったようで、急に態度が変わり、メタリンに謝ったが、メタリンはそのまま店の出口に向かった。
「とにかく、敵にここを嗅ぎつけられたのは事実だ。こいつら人間がいなかったとしてもマズイことになった。俺はドワイトのじじいやお前らに返しきれないほどの恩がある。それにこの村にはあのじじいが大事にしてる世界樹がある。俺が囮になって人間どもを引きつけるから、お前らは姿を隠せ。シャルル、たった一日だったけど、俺はお前らの事、いい奴だって思うし、俺達は仲間だ。早くこの村を出て、目的の場所まで急げ」
 すると魔物達は今度は口々にメタリンを止めようとし、また闘うのなら皆で闘おうと言ったが、店内に入ってきた別の魔物の報告で、彼らは口を閉ざすことになった。

「マズいぞ! 物凄い数の勇者達が樹海に攻め込んできてる! 一個師団はいる! しかも黒水までいるって話だ! 奴ら、見境なしに森を焼き払いながら、まっすぐにここを目指してるらしい! いくつかの拠点の連中が皆殺しにされてるって話だ!!」
 魔物達は愕然とした表情でその場に立ち尽くしたが、メタリンはそのまま店の外に出て行った。シャルルとシムラは立ち上がり、慌てて後を追うと、店外に飛び出し、メタリンを止めようとした。メタリンは無言で村の外に向かい歩き続けたが、必死で止めようと通せんぼするシャルルとシムラの前で足を止めた。
「俺にはな、こんなこともできるんだ。俺の身体は液体金属、複雑な機械でなければどんなものにでも擬態できる」
 そう言うと、メタリンの身体はみるみるうちに変化し始め、やがて人間大の大きさまでその身を伸ばすと、見覚えのある人物のような形になってきた。肌や衣服の色まで再現し、すっかりと変形が完了すると、目の前に立つメタリンは完全にフローラに変形していた。
 そしてあっけにとられるシャルルとシムラの前で、今度はカンダタ、シャルル、シムラに変形して見せた。
「俺のスピードと、剣の腕、この変身能力で、お前らを追う人間どもをうまく撒いてやる。だからお前らは大人しく目的地まで行くんだ」
 するとシムラは急に真剣な表情になり、メタリンに一言、言い放った。
「私も行こう。1人より2人のほうが仕事が早い……」(※2)
 しかしメタリンに秒殺で却下され、シャルルと困り果てた表情で立ち尽くす結果となった。そうこうするうちに、村は騒ぎを聞きつけた魔物や、事態を広め、避難しようとする魔物達で騒然となり、診療所で寝ていたカンダタやシルバーも目を覚ますこととなった。
そこへ、世界樹から、フローラを伴った魔物が帰って来たのであった。

(※1)「怒りを露わにする魔物達」怒りを露わにする魔物達
 怒り狂う魔物達の様子をベビーサタンが写メで撮影し、ツイッターでつぶやいた時の様子。
“なんか今お店にマジギレした人達来て暴れてんだけど。超ヤバくね?マジでメーワク (-”-)”

(※2)「1人より2人のほうが仕事が早い」
 古くは超古代文明合衆帝国の西部の方の伝説「続・夕日のガンマン」で悪玉が善玉に宝探しをしにいくとき放ち、またその伝説に影響を受けた、はるか当方の国ジパングに伝わる「拳王恐怖の伝説」の中でも、闘いに赴く一子相伝の暗殺拳を使う男に対し、水鳥のように美しく舞い、その拳は触れる者皆切り裂く男が放った、非常にクールな言葉である。
 何がクールかって、死地に赴く強敵(とも)に向かって「フッ……」と微笑を浮かべて一緒に行こうっていう、その様がなんともたまらないのである。ちなみに「続・夕日のガンマン」の中では使い方も2人の関係も「拳王恐怖の伝説」とはまるで異なる。絵になってカッコいいのは「拳王恐怖の伝説」のほうであるがオリジナルのほうがいいとも伝えられるので、それぞれにこの言葉の持つ意味を代々伝える語り部が存在し、漢達の熱き想いと共に伝えられる伝説の言葉なのである。
 シャルル達の住む世界のジパングの位置は地図の示すとおりである。(まっぷるロト歴1812年版より)

世界地図

<58. by NIGHTRAIN>


 フローラを伴い広場に戻ってきた魔物は、どうやら村の長老のような立場であるらしく、魔物達は彼に指示を仰いだ。
 仮面を被ったその長老格の魔物――『祈祷師』は、村の魔物達に冷静な口調で落ち着くように促した。(村の魔物達は、彼が長老的立場であり、毎日深く祈り、魔物達の問題を解決するために静かな対話をすることから、
『祈祷師』と呼んでいたのだ。)
 また、この『祈祷師』の呼称の他にも、魔物達は『闘う者』、『風と語る者』、『荒ぶる者』、『火と語る者』等、それぞれの役目や能力に応じた名前で呼び合っていた。
 『祈祷師』は、フローラがドワイトに『役目を託された者』だと魔物達に紹介すると、魔物達の間にどよめきが起こった。さらに『祈祷師』からフローラの話を聴くよう指示されると、彼らはフローラに向きなおり、胸に手を当て頭を垂れてフローラに対し祈るような姿勢を取り、静かにフローラの動向を見守った。
 そこへシャルル達やカンダタ達も戻ってきた。
 フローラはゴールドオーブのことは伏せておきながら、まずはカンダタに対し、メタリンやドワイトという魔物の医師が自分達を助けてくれた事を手短に説明すると、広場にいる者達にドワイトが自分にある役目を引き継がせ、旅立っていったことを告げた。
 そしてドワイトから手紙を預かっていることを彼らに伝えると、手紙を開いた。

 *

 ――親愛なるアッテムトの者達へ。

 この手紙を渡されているという事は、新たなる者へ私の役目が引き継がれたことを意味する。また、私もこの村から姿を消していることであろう。ただ、私のことは心配はいらない。とても大切な役目なので、皆の者には役目の内容を知らせる事はできないが、私は引き継ぐ者が現れたことをとても嬉しく思う。
 私は随分と長く、世界樹の木と共に役目を引き継がせる者を待ち続け、この地で暮らしてきたが、ようやくその者が現れたので、役目の終わった私は旅に出る事にしたのだ。

 皆の者には、実に長い間、私を家族のように慕ってくれて、つつましいが幸せな生活を与えてくれたことに感謝している。
 メタリンには、辛く苦しい選択をさせてしまったことがとても心残りだが、どうか、私がいなくなっても、皆で彼のことを支えてあげて欲しい。彼のような存在はとても大切なのだ。今の世では彼のような心優しき存在は、人間、魔物、双方から狙われてしまうのだ。彼が時折、樹海に迷い込んだ人間を助けている話は私の耳にも入っている。
 魔物社会の掟を破る許されざる行為かもしれないが、実はそれこそが、この国の未来を支える行為であることを皆にも分かってほしい。私は彼の行為を誇りに思うし、二度と魔王軍で闘わせるような事はさせたくはない。

 彼を見ていると、遠い昔、私が人間だった頃、私の傍にいた身寄りのない心優しき魔物の少年の事を思い出す。そして、その少年を母親代わりに引き取り、我が子として育てた一人のファイファン人の女性のことも。
 魔物の少年の名は、マディといい、人間の女性はエルザといった。彼女は人間から魔物達を守る為にその身を犠牲にし、マディは彼女の為復讐を誓った。
 そして、その後、彼――マディがどうなったか? それは皆も知る通りだ。

 憎しみからは何も生まれない。魔王軍と国王軍は終わりなき戦いを続けている。たとえどちらかが片方の勢力を制圧したとしても、それは憎しみの連鎖を生むだけで、悲劇は繰り返されるであろう。
 皆には黙っていたが、実はマディが殺害された後、初代魔王であったドリギガントが私のもとまで訪れた事がある。彼はマディと共に、魔王軍を作り上げた張本人だ。マディから、私の話は聞かされていたらしい。
 そして魔王軍の情報網の中に、この樹海や私の事も入っていたのであろう。エルザが人間の刃に倒れた頃、ドリギガントもその場に居合わせたので私も見たことはあったが、直接会って話したのは初めてだった。

 彼の心は深い悲しみに満ちており、私に今の戦乱の世を作り上げた自分を許して欲しいと懇願した。最初は彼もマディも正義の為に立ち上がったのだと。
 しかし彼らの心には次第に人間に対する憎しみが満ち溢れ、気付けば憎しみと怒りの螺旋から抜け出ることはできなくなってしまったそうだ。
 その後の魔王軍の制御不能の暴虐ぶりは皆の知っての通りだ。私はドリギガントがとても憐れで仕方が無かった。彼はいつしか、自分で築きあげた道から引き返せなくなってしまったらしい。彼に許しを与えると、そのまま彼はどこか遠くへ旅立つと言い残し、この国を去ってしまったようだ。
 この村だけは、人間からも魔王軍からも手を出されないよう、魔物達の『聖地』とすることを固く誓って。ここはマディやドリギガントにとって、彼らが失った仲間やエルザの墓標でもあったのだ。自ら始めた事のけじめを取れないほど、彼の心は弱り切っていたので、私は彼を引きとめる事は出来なかったし、彼を責める事もできなかった。

 この国に本当に必要なことは、魔物と人間が手を取り合い、お互いに協力して生きていくことなのだ。
 何故世界中に多くの国がある中、この国だけに魔物が存在するのか? そして何故太古の昔、魔物達はこの国に人間を受け入れたのか?
 我々に伝わるロト伝説を思い出してほしい。
 彼女は運命に導かれてこの地に現れた。1800年前にフィン王国が悲劇のうちに滅亡したのも、もしかしたらこの世界をあるべき姿に導く為の神が与えた試練なのかもしれないと私は思っている。フィン王国が飢餓とペストによる大混乱の中、国民の武装蜂起によって滅びなければ、ロトがこの国に逃げてくることもなかった。
 オーブとロトの血はお互いに引き寄せ合う。例えどれだけお互いが離れ、どのような状況であったとしても。この地に眠る失われたオーブの力を呼び覚まし、魔物と人間を繋ぐ懸け橋としての役目を果たす為に。
 その先にあるものが何かはわからない。この国には初めから魔物とオーブが存在した。そこへロトが現れ、全てがひとつになろうとしていたのだ。

 しかし、一部の心ない人間達が、この国の豊富な資源やオーブの力を手に入れる為、ロトに近づいた。
 己の欲望の為、ロトを利用したのだ。彼らは悪しき欲望に従い、情報操作し、真実を覆い隠し、自分達だけがこの国の豊富な資源の恩恵にあずかる為、この国から魔物達を排除しようとした。
 そしてロトを人間達の英雄として祭り上げ、彼女に剣を取らせ、呪われた人間の宿命の業を背負わせた。平和の架け橋となるべく、運命に導かれてこの国に現れた彼女の使命や想いは人間達によって引き裂かれたのだ。
 どこか今の世の「勇者」と名乗る者達に国王軍が闘いを強要している事に似ているのは、人間達の哀しい性なのかもしれない。
 我々には、人間達が住みつく以前からこの国を授かった魔物としての誇りやロトの想いを引き継ぎ、守ってゆく義務がある。どうか、この手紙を預けた者に従い、またその者を守ってほしい。そして願わくば、この村の中央にある世界樹を未来永劫守り続けて欲しい。
 皆の事を心から愛している。

 ――ドワイト。

 *

 フローラが手紙を読み終えた時、誰もその場を動く者はなく、広場は静寂に包まれた。
 アッテムトに住む魔物達は、魔王軍には属さず、自然との共存の道を選んだ者達であったが、自分達の宿命がかつてこの国に人間を受け入れた者達やロトのように、魔物と人間との懸け橋となるべきものであったことを思い出したのだ。
 ただ戦乱の世の中から逃げていたわけではない。闘いに恐怖したわけではない。
 厳しい自然の中で強く生き、自らの知恵や力を用いて人間と協力し、この国の未来を作る為に存在する者達。その血を絶やさぬよう、樹海の中で生活し、そして自分達を守ってくれる樹海とその中心の世界樹を守りながら生きてきたのだ。そして、恐らく目の前にいる青い髪の人間の女は、自分達にとってとても重要な存在であり、
今宿命を果たすべき時がきているのだということを彼らは悟ったのであった。

 『祈祷師』は彼らに語りかけた。
「闘える者達は、村の外に出て、今迫っている恐るべき人間達を引きつけ、この善良なる人間達を守る為に力を貸してほしい。闘えない者達は村に残り、世界樹を守ってほしい」
 シャルルは、突然フローラがドワイトの手紙を持ってきたことや、魔物達の反応に唖然としていたが、魔物達に混ざり囮となるべく村の外に向かおうとするメタリンの姿を見た時、かつて両親がガライ方面軍の監督官の元へ赴いた時の事を思い出した。
 父であるディディエとエマニュエルのアレマン夫妻は、召使にシャルルと幼いマリアンナを託し、さわやかな陽光の中馬車に乗って屋敷を出て行った。
 まるでこれから夫婦水入らずのピクニックにでもでかけるような、幸せそうな笑顔でエマニュエルはシャルルに語った。
「いい? シャルル。私はこれからお父様と地方監督官の元へ行くけど、アメリの言うことを良く聞いて、マリアンナの面倒をちゃんと見るのよ? あなたはやればできる子なんだし、妹も小さいんだから、もっとしっかりしないとダメよ? 私達がいない間、屋敷の事は頼んだわね。あなたはこのアレマン家の跡取りなんだから……」
 マリアンナは大人しかったが、悲しそうな表情を浮かべ、シャルルの手を握っていた。
 するとエマニュエルはマリアンナの傍にしゃがみ彼女を抱きしめた。
「お利口にしてるのよ。お兄さんの傍にいれば大丈夫だからね。そうだ、いいものあげる。これはね、お母さんの小さい頃からのお守りよ。体の弱いあなたを守ってくれるの」
 そう言うと、エマニュエルは自分のしていた指輪を外し、マリアンナの手に握らせた。
 幼いマリアンナは親指に指輪をはめたが、それでも抜けてしまうほど大きかったので、指輪をはめた親指を握りこぶしの中でしっかりと握った。
 シャルルは何故自分とマリアンナが置いてけぼりをくらうのか分からなかったし、きっと地方監督官の家でおいしい料理でもてなされるだろうと思っていたので、ディディエとエマニュエルにお土産をせがんだ。しかし、急に険しい表情になったディディエに鞭で手の甲を打たれ叱られたので、しぶしぶ両親を見送っていたのだ。
 叱られはしたが、夕方には両親はお土産を持って戻ってくるだろう。なんとかそういう風に都合よく納得し、シャルルは両親の乗る馬車を眺めていた。
 しかしそれっきり、シャルルの両親は戻らなかった。
 何故かメタリンの後ろ姿と両親が乗った馬車の記憶が重なり、そして魔物達に手紙を読み終えたフローラとエマニュエルの顔が重なった。

 * * * *

 その頃、シャルル達救援の為、シグマフォースのニルス達が樹海の中を進んでいた。
 彼らは、精鋭勇者チームであるシグマフォースの中でもさらに洗練された能力を持つレスキューチームであり、常に『エイプ』、『ハウンド』、『イーグル』の3チームで行動していた。
 それぞれの役目は『エイプ』が指揮系統を持ちながら、作戦目的の確保、戦闘といった実働部隊としての役割も持ち、『ハウンド』が敵や救助対象の痕跡を探りながらの3チームの先導、偵察、強行突破といった前衛的な役割、『イーグル』がメカキメラを用いた周囲警戒、索敵、援護、ブラックオウルへの作戦地域からの撤退要請や救助ポイント指示といった後方支援的な役割を持っていた。
 ニルス達が樹海に入ってから、周囲の状況はあわただしく変化していた。
 指令部である内務省との連絡は禁止されているので、現場の状況を細かく確認しながら、魔物の武装集団や他の勇者チームと出くわさないよう、細心の注意を払いながら樹海を進んでいたところ、スマホで状況把握をしていたイーグルチームが、シャルル達の写メの載ったツイッターの「つぶやき」を発見したのだ。
 さらには、樹海の中に潜む魔物の武装ゲリラに撃ち落とされないよう、高高度を飛行しているメカキメラで監視していた勇者達の識別信号が一気に増加し、その動きは樹海の中心部に向けて急激に進みだしたのだ。
 ニルスはランデブーポイントであるD-34地点まで辿り着く前に、ツイッターに掲載された『アッテムト』へ救助の為向かうべきかどうか、判断を迫られていた。
 そこへ先行するハウンドチームから、ニルスのスマホに連絡が入った。
「こちらハウンドリーダー、今ハウンド1が勇者達の死体を発見した。魔物の急襲を受けたのか、よくわからないが、とにかく来てくれ」
 ニルス達エイプチームが、先行するハウンドチームの元に辿り着くと、そこには無残に殺害された勇者達の遺体があった。警戒の為、チムニーから2名が降りて移動していたようであるが、2名とも胴体と上半身が切り離された状態で転がっていた。
 そして、鋼鉄製のチムニーには貫通穴がいくつも開き、その穴からチムニーの中の勇者達の血が流れている。
チムニーを引く馬まで首が斬り落されていた。
「ニルス、こいつら武器を抜いてないんだ。まるで一瞬でやられたような感じだ。馬車の轍の痕を見ると、チムニーはこれだけだ。ただ足跡は他に4人分ある。意図的に足跡をつけないように歩いているのか、とても小さくて分かりにくかったが、どうやらこいつらの後ろを進んでたみたいだ。途中で引き返すか、迂回したようだが、その後は茂みの中に入って行ったみたいで探れなかった。魔物のものじゃない。人間サイズだ。こいつは一体……」
 ニルスは眉間に深い皺を刻ませ、しばらく森の様子を伺った。深く深呼吸し、五感を研ぎ澄まし、木々のざわめき、動物や虫、鳥の声、風の漂う音、樹海のありとあらゆる音や匂い、変化を注意深く観察する。

「俺にもどういうことかはわからんが、今森にいる勇者達の中に手柄が欲しくて味方を背後から襲う奴らがいるのかもしれん。火山で別のシグマフォースのチームが遭遇したという謎の武装チームのこともある。周囲の警戒を強めながら、とにかく今はどの勢力とも出くわさないよう、進むしかない。シャルルのチームが今いる場所を脱出して救助ポイントに向かう事を信じて、作戦通り迅速にD-34地点に向かおう。
 各自、ここからはスマホの電源は念の為切っておけ。必要のある時にだけ電源を入れる事にする。内務省へ連絡を入れなければ、識別信号上は他の勇者チームと我々の見分けはつかないが、こいつらを襲った何者かが俺達の識別信号を見つけて襲われるとマズい。イーグルチームはメカキメラの制御があるから電源は切れないがな。チーム間の距離は15メートル、何かあれば周囲のモノを鳴らすカモフラージュサインで知らせろ。声は出すな」

 ハウンドチームに指示すると、彼らはすぐにその場から離れた。
 先行するハウンドチームを見ながら、ニルスは森の空気の中に得体のしれない敵の気配を感じ、「みなごろしの斧」を強く握りしめた。

(※1)「祈祷師」祈祷師

 不気味な石仮面を被っており、その素顔は見えない。仮面を被っているのは呪術的な意味があるわけではなく、ドワイトが過去に話した妖蛇族の男DIO(ディオ)が石仮面を常に被っていたことにインスパイアされてのことである。

<59. by NIGHTRAIN>


 シャルルたちは、迫り来る危機をどう回避しようか悩んでいた。
 コンボイを盾にし、民家の残骸の隙間に立てこもっていたシャルル達だが銃撃は一行に止む気配が無い。
 魔物たちやフローラは、呪文で応戦するがキリがない状態だった。
 メタリンは遠くに行ってしまい、音信普通の状態である。恐らくはもう生きてはいまい。闘える者たちは、迫り来る追手に次々と倒されていった。
 絶望――その二文字が頭に過ぎった際、突如、コンボイが電子音を鳴り響かせた。
『るーら、システム起動中……システムスタンバイ、セットアップ、エグゼ、ファイルを解凍中……ウイルススキャン実行中……』
 なにやらぶつぶつ呟いている。
 もう生きる希望も何もかも失っていた一同は、そんなポンコツ機械に目も暮れていなかった。しかし、突如として、眩い光を発したかと思うと、白銀の兜と小手が出現した。
「これは……?」
 シャルルは自らの持つ天空の剣と同系色の装備を見て、また、自分の身体に刻まれた天空の疵が光り輝くのを見て、確信した。
 天空の装備である。もうしんどい、どうなってもいいやと半ば投げやりだったシャルルは、ろくに考えず、それに手を伸ばした。
 すると、吸い寄せられるように天空の装備はシャルルの頭部と腕を覆った。兜とは言っても、フルフェイスではなく、どちらかというとサークレットに近い形をしており、小手も兜も重さをまったく感じさせない。羽のように軽かった。
 そして、身体を覆う鎧は漆のそれだったが、それがなぜか暖かく感じる。よく見ると、うっすらと仄かに光を放っている。(見た目は、漆の鎧そのままなのであるが)
 あまりのかっこよさに調子に乗ってコンボイの上に仁王立ちし――銃で撃たれた。
 フローラは呪文を撃つ手を止め、悲鳴をあげた。誰しももう終わりだと思った。
 しかし、シャルルは生きていたのだ。そして、天空の剣を恐怖のあまり闇雲に振り回した。それが、この場合良い方向へ働く。
 天空のOパーツの力が、光の刃と化し、敵の方へと向かっていく。そして、それで何人か吹き飛ばすのを確認した。敵の勇者連中も負けじと銃で応戦してくるが、シャルルは何度もこれを光の刃で応戦した。
「すごい、すごいぞ……!」
 勝てる――シャルルは確信した。
 調子に乗って剣を振り回すシャルルを見て、敵は迎撃の手を止めた。
 いくら強い力であっても、あまりの大多数を相手にシャルルも攻めには転じることはできないでいた。相手が動かないのでよけいにこちらも動けないのである。
「くそ、僕の力で倒してやるのに。動けよ……」
 そんな風に歯軋りするシャルルの顔を、フローラは心配そうに見つめていたが、シャルルはその視線に気づくことはなかった。
 ――自分の力に過信しすぎるあまりに。

 こうして、闘いは膠着状態へと突入した。

 * * *

 一方その頃、青色の長髪を返り血に染めたシドー・エスタークは、亡骸と化したラヴァル侯爵を見下ろしていた。
 赤い絨毯に、血が染み込んで行く。が、元々赤いので、黒い染みのようなものが広がっているだけであった。

「国王。ご理解いただけましたか?」
 シドーは、国王・聖(ホーリー)ユージン14世が振るった剣先を見つめ、震えるでもなく冷静に問いかけた。
 自分の手柄がそこに転がっている。ただそれだけのことと、シドーは認識していた。
「ラヴァル侯爵はテロリストである。うむ、認めよう」
「内容は、今この男が自白した通りです。秘薬ポーションとエーテル、その他諸々の薬品から作り出した、対囚人用の強烈な自白剤です。嘘はつけないでしょう」
 マスタードラゴンと化したラヴァルは、ロマリアの外れの空中に突如として出現したが、非常に弱っていた為に意識は無く、そのまま地面に落下したという。
 直後、竜に変化していた姿も、元のラヴァルのそれに戻ったのである。おそらくは、不完全な状態でOパーツの力を使ったためと思われる。使うならば完全な状態でないといけないのだ、とシドーは改めて胸に刻み込んだ。
 Oパーツの収集は火急に行なわねばなるまい。

「内務省側も、ドラゴンに変身したのは、ラヴァル伯爵が竜神信仰に走り、Oパーツのエネルギーを利用した……そう認識しているわけだな?」
「おっしゃる通りです。ラヴァル容疑者は、エネルギーが切れ、禁呪ドラゴラムの解けた人間の形体で街の外れに転がっていたと、報告を受けております」
 国王はしばし考え込む仕草を見せたが、寛容に頷いた。
「まあいい。天空装備が手に入ったのであろう」
「はっ。実は今すべて、かのシャルルの元にありまして……」
「ほう……なぜだ?」
 国王は目を細め、口元にたくわえた髭を鷹揚に撫でる。
「ルーラシステム(“Rapid Operation of Location Access System”)が実は誤作動しまして……天空のOパーツの力が共鳴し、機械をも巻き込んで、一箇所に集まろうとしたようです。なぜだかわかりませんが、シャルルの元にも一台、ルーラシステム装置があるようでして……こちらと関連性があるものと」
「なぜ、そんな技術がシャルルの元にあるのだ?」
「はっ。こちらは場所が遺跡の多い試練の森だけに、超古代文明の遺物かもしれません。現在、あわせて調査中です」
 まあよい、と国王は抜きっぱなしだった剣を鞘に納めた。
「天空の装備は、今どのようになっている?」
「天空の鎧はコアのみが、シャルルへと宿っている状態で、今回の騒動の前までは試練の森のシャルルの元には、天空の剣のみがありました」
 シドーは慎重に言葉を選ぶ。
「ラヴァルが倒れた際に、所持していた兜は回収して、王都の内務省の研究機関で、天空のこてと共に保管しておりました。それが、ルーラシステムの不具合で、シャルル側のルーラシステムに、兜もこても転送された模様です」
「なぜキミはそんなに悠長にしておれるのかね?」
「こちらには、シャルルの最愛の妹が人質におります故に、シャルルの手にしているものは内務省が手にしているものと同意語と考えております」
 ほほう、と国王ユージーンは喜色を顔に浮かべた。
「では後は、天空の盾のみか。天空以外のカラーオーブについては、もう回収が済みそうか?」
 そう来ると、踏んでいた。
「現在、カラーオーブは残すところ、水属性の装備についてのみとなります。ニュームーンブルクの南にあるブルク湖にある「水の洞窟」にあると伝えられている“水のリング”が揃えば、全てが揃うこととなります」
「魔王軍との国境付近か……今しばらく時間がかかりそうだな。取り急ぎは、場所の判明していない天空の盾をシャルルに探させねばな。急ぎ、シャルルの逮捕状を取り下げ、試練の森の勇者たちを撤退させよ。至急だ。」
 国王ユージーンは満足げに微笑んだ。
 オーブの力が揃えば、魔王軍ばかりか、他国にも太刀打ちできるほどの力を手にすることになるのだ。オーブには、神々の魔力が込められている。
「それから……シドー・エスターク。そこまでの功績をあげたのであれば、キミを今の立場に置いておくわけにもいくまい……良きに計らうぞ」
「はっ。ありがたき幸せ」
 短く答え、シドーは国王の間を後にした。シドーの目はまるで爬虫類か猛禽類を思わせるような鋭いものであったが、国王ユージーンはまったく気づいていなかった。
 シドーはすぐに国王の命を軍に告げ、勇者たちへの指令も取り下げた。また、同時に救助に向かわせていたエイプチームたちへの命令も解除した。
 こうして、シャルルが急に飛んできた天空装備(兜とこて)に慌てふためいているうちに、知らないところでマスタードラゴンに始まる一連の騒動は片付いたのであった。

<60. by よすぃ>


「いい子にしていたかい、マリアンナ」
 厳重な警備の中、更に念を押したかのような頑丈な鉄の扉を押し開けると、シドーは声をかけた。
「こんな狭いとこに閉じ込めて、よく言うわ」
 マリアンナは不貞腐れていた。
 それもそうだろう。齢も七つを重ねた頃の少女である。絵画ひとつない、無機質なこの部屋は退屈すぎるのだ。
 重要な客人だ。脱走など無粋な真似を企図させるわけにもいくまい。
「この殺風景な部屋に、少し色を与えてみよう」
 シドーは念じるように呪文を唱えると、どこかで聞いたことのある効果音(※1)の後、シドーの手から一輪の薔薇が現れた。
「わあ!」
 マリアンナはそれを見て、歓声をあげた。
「呪文が使えるのね、お兄さんすごい!」
 シドーは薔薇をマリアンナに渡す。
「お望みなら、もっとたくさん用意しよう」
 呪文でも何でもなかった。ただの手品だ。しかし、七歳の少女はそれを本心から喜んでいる様子だったので、シドーは満足した。
「遊び相手も必要かもしれないな」
 薔薇に夢中なマリアンナを置いて、シドーは部屋を後にした。
 マリアンナに友達が出来たのは、そのわずか数時間後のことであった。

 *

「ぷるぷる、ぼく悪いスライムじゃないよ!」
 さえずるような妙な高音を発する物体――否、半ば液体であるゼリー状のそれはしゃべった。
 シドーが連れてきた、魔王軍の捕虜のスライムだ。捕虜として捕まえたはいいものの、とんだ小物で、言うことといったら、「ぼく悪いスライムじゃないよ」(※2)の一点張りである。
 国王軍の中には、「何も問われていないうちから、自ら“悪いものではない”と称するところが怪しい」という意見もあったが、結局は知能の劣った魔物であるから同じことを繰り返しているのだろうということで処分予定だったのだが、ここにきて、良い使い道が出来た。
「マリアンナ。それだけじゃないよ」
 シドーがパチン、と指を鳴らすと、次々に従者が荷物を運び入れてきた。
 絵本のたくさん入った書棚、色とりどりの花の活けられた花瓶。そして、美しいばかりの絵画。
 運びこまれたのを見届け、シドーは従者を外に出した。
「どうだい?」
 しばらく感激した様子だったマリアンナだが、次第に肩を振るわせ始める。
 シドーは最初、嬉し泣きか、と考えたが、どうやら違うらしい。
「おとうさん、おかあさん……シャルルお兄さん」
 声を発すると、スライムを強く抱きしめ泣き始めた。スライムはあまりの強さに千切れ掛けていたが、しきりに「ぼく悪いスライムじゃないよ」と訴えていたが、そもそも論点が違う。
 両親が死んでから孤児院で暮らしてきたマリアンナにとって今のこの部屋は、華々しかったアレマン家の貴族の生活を思い出させるに十分だったのだ。

 シドーはその姿を見て、ふと、自分の生い立ちを重ねた。

 自分は生まれながらの貴族ではなかった。貧しい平民の家に生まれ、けれども、才覚に恵まれた。父は早くに戦争で死んだ。母は女でひとつで身を削りながら、シドーを育てた。
「シドー。貴方はね。由緒正しきファイファン人の血を引いているの。貴方の青い髪が、その証拠。だから、剣の才能も、魔法の才能も、知識も……貴方の血筋にはすべて宿っているの。だから諦めず、信じてほしい。貴方はきっと、将来立派になれる」
 最初は何故、そんなことを言うのかと思った。
 青い髪がファイファン人なら、何故、母は青い髪ではないのかと疑問に抱いたが、それを聞いてはいけない気がして、その場は聞けずにいた。
 しかし、幼かったシドーは母の思うように生きようと思い、「知識は武器になる」という母の言葉を頼りに、勉学を怠ることは無かった。

 やがて、国王軍の義勇兵に取り入れられ、いくつも戦績を重ねるうちに次第に頭角を現してきた自分の才能に、今更ながらに気づく。そして、それを更に研くためには何だってした。しかし、薄給。王都から実家のある地方の田舎村まで帰るには旅費も、時間もなかった。
 あるとき、久しぶりに実家に帰った時の母は言った。
「私にはわかっていたわ。貴方の父親は、立派なファイファン人だったから」
 父はどうしたのか、と聞くと、母は愛人だったと言う。
 父の名は教えてもらったが、父は戦場で没し、その父の家も没落し、身寄りも何も無くなっているような状態だった。
 父のことは忘れようとしたが、どこか心の中でしこりとなって残っていた。
 次第に、実家に戻る時間も減り、やがて、母と会わぬ日は何年も続いた。

 傭兵として戦争に参加する日々を送っていたシドーだが、あるとき状況は好転する。
 きっかけは、ひたすらに頼み込んで剣の弟子にしてくれた、キースの存在だった。
 キースはシドーの才覚を見抜いたのだ。そして、弟子にした。やがて、従者としてシドーを戦争に連れて行くようになった。自分の才能が認められたことがただ、嬉しかった。こうして、出来うる限りの努力をしてきたシドーは、正式な軍人となったのだ。
 家名は父のものを継いだ。「エスターク」。こうして、シドー・エスタークとしての人生が始まったが、今度はシドーの青い髪が邪魔をした。
 キースも度々言ったものだ。
「お前が青い髪でさえなけりゃ、もっと上の立場にも行けるのにな」
 ファイファン人は、由緒正しい家柄が多く、親のコネクションでもって役職に就くものが後を絶たず、昨今では、「ファイファン人を役職につけると、世間の目が厳しい」という理由で、あえて重要職から外されていた。
 無能な奴らのせいで、自分はいつまでも今の立場なのだ。
 キースも所詮軍人で、剣の腕は立つがそういった事に関しては無関心で、シドーがいくら訴えても聞く耳を持とうとしてくれなかった。
 だけど、それでもいいと、今の生活でもいいとシドーは思っていた。
 お金に余裕が出たシドーは故郷へ里帰りすることにし、母に今の自分を報告しようと思った。上の地位に立てなくても、自分は上手くやっていると報告したかった。
 正式に重用されたという吉報を知らせに母のところへ向かい――シドーは母の死を知ったのだ。病だったという。薬を買う金もなければ、その日食べていくだけの満足な食事もなかったと聞いた。
 シドーは、ひとりになった。
 もっと早く、自分に金があったなら、母は死なずに済んだのに。
 悲観に暮れたシドーは、単身、王都へと戻った。
 そこで出会ったのが、「ロングワン・アンカーアロー」である。ロングワンは、隣国ドルアーガ帝国より流れてきた傭兵隊のリーダーだった。しかし、シドーの時と同じようにめきめきと頭角を現し始め、キースの目にも留まった。やがて、キースはロングワンの腕前に惚れこみ、二人は肩を並べて闘うようになった。
 シドーには、それが面白くなかった。
 シドーは今の立場に留まり続けるだけなのに、、ロングワンは上へ上へと昇り続ける。ゆくゆくは国家の中枢まで登りつめるだろう。それだけの才能がロングワンにはあった。シドーには到達できない世界を、ぽっと出の外国の傭兵がやっていることに、シドーは憤りを禁じえなかった。
 
 齢十六だった。
 国境付近の魔王軍との戦闘に、シドーは従者としてキースとともに戦地へ赴いた。激戦で、ここを守り抜かなければ、エニックス帝国の後はないと言われる争いだった。
 敵は魔王軍の百人大将バリナクジャ率いる大部隊。しかし、こちらとてキースやシドーといった優秀な兵からなる一個部隊である。戦線は白熱し、やがて、キースとシドーは大将バリナクジャの近くまで辿り着いた。
 そこで、悪魔が囁いた。
 この規模の戦である。ここで大将を仕留めれば、国民、国家の要人の誰が見ても立派な功績だと。それさえあれば、「ファイファン人だから重用された」ということにはならないのではないか。
 しかし、それにはキースの存在が邪魔であった。この流れでいくと、間違いなく従者である自分ではなく、キースが相手を討ち取ることになる。そして、キースも更なる出世コースを歩んでいく。ロングワンもその隣に居ることだろう。

 そして、シドーは、剣の師匠であり、自分の上司であったキースを斬り殺したのだった。首を撥ね、即死。
 いかな優れた剣士と言えど、信じていた味方に後ろから首を撥ねられるとは思っていなかっただろう。ましてや、目前には百人大将バリナクジャが居るのである。背後に気を配っている暇などありはしなかった。
 こうして、キースを闇討ちしたシドーは、そのままの勢いでバリナクジャを破り、戦績を讃えられ、出世の道を歩み始め、やがては内務省にまで上り詰めたのであった。

「ねえ」
 しかし、内務省に入ってからもしがらみは腐るほどある。
 国王と直接謁見できる身分になっても、シドーの望む高みには到底到達できそうも無かった。
「ねえ、シドーさん」
 考えに耽っていたシドーは顔をあげた。
 マリアンナの泣きはらした顔が心配そうに見つめている。
「私、もう大丈夫だから……そんなに困らないで、ね?」
 マリアンナはスライムを抱きしめたまま、微笑む。
 マリアンナは勘違いしたのだ。自分が泣いたせいで、シドーが塞ぎこんだのだと。
「こんなにかわいい友達もできたし、私は大丈夫よ。シャルルお兄さんの潔白が証明されるまでここで大人しくしているわ」
 なんて、優しい少女なのだろうか。
 この少女は貴族だったが、今は平民の身である。いや、もっと悪い。反逆者の貴族の身内である。ともすれば、国に処刑される立場にいる。
 危うい天秤の上でこの少女が生きていられるのは、兄のシャルル・アレマンの存在があるからである。彼が天空のOパーツを握っていなければ、見つかった時点で兄と妹そろって斬首刑である。この国は――今の腐ったこのエニックス帝国では、非人道的なことが平気でまかり通るのだ。
 シャルル本人は理解していないだろうが、彼の運の良さが、彼ら二人を救ったのだ。
 たいした才能もなければ努力もしないシャルルは、運が良かっただけで今の立ち居地にいる。本人は不幸だと思っているだろうが、そんなことはない。幸運以外の何物でもないのだ。
 シドーたちとて、シャルルが天空のOパーツを握っているうちは、そのバックアップをせざるを得ない。
「安心しなさい。お兄さんの潔白は証明されたよ」
「ほんと?」
「私たち内務省の調査で、真犯人がわかったんだ。国王陛下もご理解してくれている」
 しかし、マリアンナにはここに居てもらわなければいけない。
「だけど、世間ではそれを知らない者もいるだろうし、逆恨みする者もいるかもしれない。だから、しばらくはここで安全にいい子にしているんだよ。いいね?」
「はい!」
 兄の身の潔白を聞き、嬉しそうに飛び跳ねるマリアンナは、スライムをぶんぶんと振り回していた。その度にスライムは「ぼく、悪いスライムじゃないよ」と繰り返し、身の潔白を訴えている。まるで、先日までのシャルル・アレマンのようだと思った。
「よかったねー、スラリン!」
 どうやら彼女は、スラリンとスライムに名前をつけたらしい。
 青色のゼリー状の体はマリアンナに抱きかかえられ、少し嬉しそうにぷるぷると震えた。マリアンナの左手の親指にはまった青い宝石のリングが、スラリンと同じ色に輝いている。
 二人の仲の良さを表現しているようだった。
 シドーは、スラリンなら、お供として悪くないだろうと判断し、部屋を後にした。シャルルの今後の行き先を検討したり、やることは山ほどあるのだ。

(※1)「どこかで聞いたことのある効果音」
呪文を撃つと、激しい閃光と共に、「トゥルトゥルトゥル!」という音が生じる。
これは力ある言葉が引き金となり、自然界に事象として作用する際の一種の摩擦音であるが、今回、シドーは口真似でこの音を発していた。

(※2)「悪いスライムじゃないよ」
スライムという種族は従来、知能が低いものが多く、なぜかそういう者は一様にこのセリフを発する。
こう言われることで、「守ってあげたい」という母性本能を抱かせ、襲われないようにする防衛本能だという説が主流である。弱者である彼らが生き残る為に身につけた方法なのである。

<61. by よすぃ>


 シャルルは、突然止んだ銃弾の雨を見て、驚いたように腰を抜かした。
「ぼくの力に怯えをなしたのか……?」
 波が引いたように去っていく敵の勇者たち。彼らは口々に、「あほくさ」などとこぼしていた。それもそのはずである。勇者所有のスマホにPDFデータが添付されたメールが、国から一斉送信されてきたのだから。
 内容としては、賞金をかけていたシャルル一味は冤罪だったということで、賞金を取り下げるということだった。
 今回の戦闘で出た負傷者や死傷者に関しては、別途、給付金が出るということである。勇者の戦死の規定に関しては諸々の制約があり、本件に関しては魔王軍との戦ではなく、また賞金を出したのみで戦闘を強制したわけではないので、自己都合による戦闘と位置づけられていた。
 試練の森まで足を運んだ者に関しては、特に報酬といったものの類は配分されず、まさに骨折り損であったが、国はそこまで関与しないとするのが方針であったが、勇者たちは「いつものことだ」と半ば諦めの境地だった。

「馬鹿か、シャルル」
 答えたのはカンダタだった。
 シャルルが見ると、盾にしていたキラーマシンのコンボイからなにやらホログラム映像が飛び出している。どうやら、テレビのようだったが、今のこの世界の技術の水準を遥かに超えていた。
 映し出されていたそれは、国の記者会見の様子だった。

『えー、この度の賞金騒動につきましてはぁー、我々としても非常に遺憾の想いであり、すべてはラヴァル侯爵の企てたテロに起因するものと考え、早急かつ火急かつ迅速にこの対応を行なうものとし……』

 長々と、青髪の役人が説明していたが、同じことの繰り返しであった。ただひとつわかったのは、シャルル達にかかっていた容疑が晴れたということである。
 マスコミが、「今回の戦闘の犠牲者にはどう対応されるおつもりですか!」と問うと、別のハゲ頭の役人が答える。

『その件につきましては、犠牲者のご遺族の深い悲しみを強く受け止め、前向きに検討していく所存でございます。取り急ぎは、既に個々のスマートホンに送信させていただいた通り……』

 深々とハゲ頭を下げ、何度もお詫びの言葉を述べていた。カメラのフラッシュを反射させていたのが、やけに印象的であったが、この男も元は青髪だったのだろう。生え際などは青い頭髪が申し訳程度に残っていた。
 記者会見では、今回テロを企てたのはラヴァル侯爵であり、竜神信仰者であったラヴァルは禁呪「ドラゴラム」に手を出し、それでロマリアの街を襲ったのだと説明した。ラヴァル侯爵は国王直々の手で斬首の刑に処されたということで、記者会見は締めくくられた。天空のOパーツや、シャルルたちがそこに一枚噛んでいたことにかんしての経緯については一切説明はなかったが、世間も首謀者の名前と首謀者の死が確認された今となってはシャルル達から興味を失っているだろう。

「なるほど、そういうことだったのか……」
 シャルルは記者会見の中継を見ながら、納得した。安心したと同時に、天空の力は身体から引いていく。光っていた漆の鎧も輝きを失っていた。
「とりあえず、ひとまずこれで落ち着いたってわけか」
 カンダタは、フローラやシャルル、シドーらを見つめて言った。
 シャルルのパーティは無事だったが、今回、アッテムトに出た被害は甚大だった。何人もの犠牲者が出た。
「君達が悪いわけではない」
 シャルル達が黙っていると、長老の「祈祷師」が一歩進み出た。
「だけど、メタリンや、闘って死んでいった人たちは……」
 フローラが悲しみに声を震わせる。メタリンの安否は依然としてわからないままであったが、恐らくは生きていないであろう、と、魔物たちのうちの一人、「生命を感じる者」が言った。彼は、人の「気」を読むことができるのだ。そして、先ほど、「メタリンの“気”が消えた……」と言っていた。
 しかし、これは何も彼の専売特許ではなく、カンダタのようなサイヤ人の血が混じった者であれば、「気」を詠むことはわけはなく、カンダタもメタリンの死を実感していた。
「メタリンは、君らのためだからこそ立ち上がったのだよ。そして、ドワイトも、君たちだからこそ、未来を託した」
 シャルルは何のことかわからない様子だったが、フローラは自分に祈祷師が視線を投げかけていることに気づいた。おそらく、フローラが何かを託されたということを、祈祷師の長老としての勘が教えていたのだろう。
「だから、我々は君たちを恨まない。だが――」
 祈祷師は周囲を見渡し、静かに口を開いた。
「もう、ここには近寄らないでほしい。我々を、そっとしておいてほしいんだ」
 魔物たちの視線が突き刺さる。グレムリンやリリパットも、今は何を考えているのだろうか。空ろな目でもってシャルルたちを見つめるだけであった。
「ここは魔王軍の領土には違いない。今回の騒動が火種になって、また何かいざこざが起きるやもしれん。早々に、君らの国内へ戻るといい」
 返す言葉もなかった。
 シャルルたちはシルバーの無事と、コンボイがまだ動けることを確認し、その場を後にした。

 コンボイも戦闘のダメージで、今はチムニーの形態しか取れない様子で、シャルルたちはチムニー馬車となったコンボイをシルバーに引かせると、試練の樹海の中を走り続けた。
 スマホをそれぞれ起動させるが、電波が悪く、内務省の男との連絡も取れない。アッテムトは森の中にあると言っても町だから、テレビ中継も入ったのだろう。試練の樹海は、電波の入る部分と入らない部分があり、遭難者も後を絶たないと聞く魔境である。(話はそれるが、自殺者も年々増えており、付近の住人は迷惑しているという。)
 一同は元々聞いていた地点へ向かうべきかどうか悩んだが、シャルルはもうこの森に居たくなかったのでこから一番近い街を目指すことにした。
 シムラは北東に行けば最も近い、と意見し、一行は北東を目指すことになった。混乱したシャルルは気づいていなかったが、そこはガライ地方――シャルルの故郷である。
 道中、馬車の中は無言だった。
 コンボイに乗り込み、しばらく、試練の森を走り続けた彼らだったが、突然、爆音が響き、コンボイが横転した。
「ひゃっはー! 威嚇にしてはヤりすぎだぜ、ソフィー!」
 投げ出されたシャルルたちの前に、現れたのは、勇者パーティと思われる連中である。
「はん、あたしはヤリマンじゃないさ」
 ソフィーといわれた女は、巨大な筒のようなものを下ろした。
 シャルルに武器の名前はわからなかったが、なにやら大砲のようなものだと判断した。シャルルは何か返そうとしたが、全身の痛みで声が出ない。
 シャルルはソフィーと呼ばれた女の二の腕に蝿の刺青が彫られているのを見た。
「べ、べるぜばぶ……?」
 そんなシャルルの前に、リーダー格らしき男がしゃがみ込む。
「ご名答。我々は、斃流是婆武(ベルゼバブ)のメンバーだ。もっとも今は、“元、斃流是婆武(ベルゼバブ)”だがね」
「ジェラール、遊んでる場合かよ。そいつらそんな状態だけど、サーベルタイガーだっているんだぜ」
 シャルルはシルバーの姿を探す。どうやら爆発の衝撃で気絶している様子だった。良すぎる聴覚が仇となったのかもしれない。
「お前の言うとおりだな、ジブリル」
 ジェラールは、ジブリルに応じる。
「あ、あなたたち、知らないの? 私たちにもう賞金はかかっていないのよ」
 フローラはまだ打ち所がましだったらしく、声を出すことができた。
 しかし、呪文を唱えられないように素早く回り込んだ、ナイフ使いらしき男に、首元にナイフを突きつけられた。
「へい、可愛いお穣ちゃん。死にたくなかったら妙なマネはすんなよ」
 ナイフ使いに、リーダーのジェラールは満足そうに頷く。
「そのまま、女を抑えておけ、ダミアン」
 そして、足元で転がるシャルルの髪を掴み、顔を強引にあげさせる。苦痛の余りにシャルルの顔が歪むが、無視してジェラールは続けた。
「俺たちはお前らの賞金が目当てじゃないんだ。天空のOパーツを寄越しな。それから知っている情報も洗いざらい吐いてもらう」
 絶対絶命のピンチだったが、シャルルは天空のOパーツを渡したら許してくれるだろう、と甘く考えていた。
 カンダタはチムニー馬車となったコンボイと地面に挟まれて動けないでいたし、シムラも同様だった。二人は、シャルルが天空のOパーツのことを話したら最後、全員殺されるだろうと予感していた。
 しかし、張本人のシャルルは気づくことなく、静かに口を開こうとした――。

 * * *

 元、斃流是婆武(ベルゼバブ)の勇者たちに襲撃されたシャルルパーティの様子を、観察していた男が小さく声を発した。
「他チームと連絡は取れないばかりか、上とも連絡が取れない。現在、我々エイプチームのみで判断し、動かねばならない」
 エイプチームのリーダー・ニルスである。
 ニルスは、エニックス王国の覆面をかぶった三人の部下に命令を下す。
「当初の命令は、シャルルパーティの救出であった。この事から推測し、我々はシャルルパーティの救出を行なう。敵は四名。外見や諸々の要素から察するに、斃流是婆武(ベルゼバブ)の連中だろう。ナイフ使い、ポイントマン、スナイパー。リーダーらしき男の役割はわからんが、これで全員と思われる。スナイパーまで近くに居るということは、擁護の手がないということだが、今回の作戦は、シャルルパーティの救出だ。くれぐれも、彼らを優先して行動する」
 ニルスは、現状を説明し、急場ではあるが救出作戦を発表していく。三人の覆面の男は無言であったが、頷きを確認しながら、ニルスは話を進めていく。
「俺たちが途中見かけた、勇者パーティの遺体だが、あいつらの仕業とみて間違いないだろう。念には念を押し、慎重に事を進めるように。何度も言うが、連絡手段がない今、ハウンドチームとイーグルチームの応援は望めない」
 そして最後に、と付け加える。
「生きろ。これが一番の命令だ。わかったな? 持ち場へつけ」
 無言で頷くと、それぞれ持ち場へと散って行った。
 そこには国の認めた精鋭集団“シグマフォース”の洗練された動きがあった。

<62. by よすぃ>


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