慌てん坊のサンタクロース
慌てん坊のサンタクロース
クリスマス前にやってきた
あいたた、どんどんどん
あいたた、どんどんどん
まっくろくろけのお顔――……
*
軽快なリズムで、クリスマスソングが流れている。街の至る場所には、きらびやかな飾り付けがなされていた。
暦の上では冬。スケジュール帳には天皇誕生日から二日遅れてクリスマス、と簡単にある。その簡素な外国語は、特に何か語る必要もなく、日本人の私にもそれだけで意味が通じた。
――今日はクリスマス。由来などは何だっていい。日本においてこの日は、恋人たちと語らい、愛し合う日という認識が強かった。
「えー、買ってくれるって言ったじゃん。クリスマスだよ、クリスマス。それくらいしてくれてもいいんじゃない?」
厚い化粧を施し、派手なコートを着込んだ女が、彼氏らしき男に腕を回しながら歩いていく。
私はそんな風景をぼうっと眺めた。
「ごめん、待った?」
驚いて顔をあげると、先ほどからずっと隣に座っていた女の待ち合わせ相手だった。
女は文句を言いながらも、嬉しそうに男の後をついていく。みんな、愛する人と一緒なのだ。なのに、私は――
「……孝」
愛する人の名を呼んでみた。返事は、ない。当然だ。
孝はクリスマスを待つことなく、死んだのだから。
孝が死んだのは、十二月に入ってすぐのことだった。階段で転んで頭を打った、ただそれだけの呆気ない、死。
孝は昔から落ち着きがなく、慌てん坊だった。だからと言って、何もそれが原因で死ななくてもいいのに、と思う。
何をするわけでも、誰かを待つわけでもなく立ち続ける私の前を、カップルが横切った。
――孝の馬鹿。
罵りたい相手は、いなかった。この世界のどこにも、いなかった。
格別することもなかったが、私はその場を後にした。そもそも、孝のいない世界でやることなどないのだ。
今日こうして一人で街を歩いていても、予定は何もない。けれど、歩いている理由ならある。せっかちで、気の早い孝が一ヶ月前から約束していたデートの日だから、私は一人で歩いた。孤独に、悲しみに潰されそうでも、私は歩いた。孝との約束だったから。
孝とよく行った映画館に来てみた。レイトショーの時刻まで、満席だった。みんな暇だな、と思う。
孝、言ってたっけ。
「俺、映画が好きなわけじゃないんだよね。暇つぶしだよ、暇つぶし」
今でも一字違わず、覚えている。
恋人と遊んでいるのに、暇つぶしとはさすがに酷い。私と遊ぶのは退屈だと言いたいのか、と私が憤ったら、孝は慌てて謝った。それでも許さないでいると、あまりにも情けない顔をするので、私はついつい許してしまった。
男勝りな私と、女々しい孝。
正反対な二人は、けれども愛し合っていた。愛し合っていたのに、私は今――ひとりだ。
映画は結局見ずに、私は孝が好きだったケンタッキー屋に向かった。
「俺、好きなんだよね」
まだ付き合っていなかった頃に、孝が言った言葉を思い出す。場所はそう、確かあの席だ。
今その席では、名前も顔も知らないカップルが楽しげに会話している。
「――俺、好きなんだよね」
孝が大声でそんなことを言い出すから、私は困った。せめて場所くらいわきまえてほしい。
「……私も」
私はそう返すので精一杯だった。本心から孝のことが好きだったから。
「うん。やっぱ、ケンタッキーだよな」
孝は嬉しそうに、言った。
孝のことは好きだったけど、ケンタッキーはあまり好きではなかった私は、恥ずかしくて本当のことを言えなかった。
私もケンタッキーが大好きだと勘違いしたまま、孝は死んだ。孝が好きなのは、ケンタッキー。いつまで経っても変わらない、子供っぽい、孝。
当然、孝の姿はケンタッキー屋にはなく、それでもケンタッキーを買おうとしたら、店員さんは予約がないと売れないというようなことを言った。
私はケンタッキーはあまり好きでないから、まあいいかと思い、またぶらぶらと歩き始めた。
見慣れた道、見慣れたお店。見慣れた街並に、私の見慣れた恋人の姿はどこにも、なかった。
すっかり夜も更けてきた街を歩いていると、ふと、一軒の店が目に止まる。服屋さんだとか、ケーキ屋さんみたいなお洒落なお店じゃない。ただの、ありふれた携帯ショップだった。
先月、孝は携帯を私と同じ会社のものに買い換えた。
「これで、時間なんか気にせずにお前と話せるな」
嬉しそうに笑った孝を、私は今でも――いや、いつまでも覚えているだろう。
しかし、その携帯が使われたのはたった一ヶ月だった。
孝は普段使わないだろう機能なんかも熱心に店員さんに質問していたのに、その携帯が使われることはもう二度とない。
携帯ショップを後にした私は、イルミネーションの綺麗なツリーまでやって来た。
一年前のクリスマス。私はここで、孝に告白された。
震える声で、好きだと言う孝に、私は返事しなかった。ケンタッキー屋での一件のささやかな復讐のつもりだったが、あまりに泣きそうな顔を見せる孝を見て、黙るのをやめた。
いいよ、と短く答えた私を、孝はぎゅっと抱き締めた。その腕は、私が思っていたよりもずっとずっと、力強かった。
しばらくの抱擁のあと、孝はプレゼントがある、と言った。けれどまあ、結論から言うと、プレゼントはなかったのだけど。
「あれ、どこだ? あれ?」
必死になって探す孝を見て、私は噴き出した。
孝は、どこかでプレゼントを落っことしてきたのだ。
「いいよ、来年で」
私がそう言うと、孝はほっとした顔を見せた。
「じゃあ、来年ここで渡すよ」
「わかった、来年ここね」
一年後の今日、孝はいない。プレゼントもない。きっと二年後も、三年後も、いや十年経ってもずっと、ないに違いない。私の愛した孝は、二度と私の前に現れることはないのだから。
私は今日、初めて涙した。一度溢してしまうと、もう止めることはできなかった。頬を伝って涙が零れ続ける。
孝、孝、あなたはどこ。孝、孝、何か言ってよ。
周りの恋人たちは、楽しそうに笑い合っていた。イルミネーションに彩られたツリーには、サンタクロースの人形がぶら下げられていた。そのサンタでさえ、笑っている。
あなた、サンタなら笑ってないでプレゼント頂戴よ。孝と会わせてよ。もう一度、孝と会わせてよ。孝と、孝と――
寒かった。ひとりきりのクリスマスがこんなにも寒いなんて、私は知らなかった。こんなことなら孝との約束だから、などと考えずに、家でおとなしくしていれば良かった。
「会いたいよ、孝」
そう呟くと同時だった。
私の携帯から軽快なメロディが流れ始める。この着メロが流れるのは、ただひとり、私の愛する人からメールを受信したときだけ。
「まさか」
私は慌てて、携帯を取り出した。そんなことはありえない、と分かっているのに。
しかし、だけど、送り主は、孝だった。なぜ――
『やっほー、俺ケータイさわってないのにメール着て驚いた? 去年はプレゼントあげれなかったのでサプライズです……』
何が何だか、わからなかった。孝は死んだのだ。なのに、なぜメールが届くの? まさか、本当にサンタがクリスマスプレゼントを?
……いや、そんなことあるばすない。冷静な思考を取り戻した頭がそう告げる。
携帯ショップで、孝は携帯の機能について聞いていた。それこそ孝が普段使わないような機能まで――そう、タイマーメール。予め設定した日時にメールを届けてくれる機能。これをセットしたのはきっと、一ヶ月に携帯を購入した、あの日だ。
そんな機能を使って送られてきたメールの最後の文はこう書かれていた。
『……プレゼントは今から渡します。慌てん坊のサンタクロースより』
携帯の液晶画面に、白い粒が落ちた。空を見上げると、白い粉雪がぽろぽろと舞い落ちてきた。
「一ヶ月前から準備してただなんて、気が早すぎるよ、サンタさん」
私は舞い落ちる雪を眺めながら、口ずさんだ。
――慌てん坊のサンタクロース、
――クリスマス前にやってきた。