銀田一先生の事件簿
――何で殺したかって?
――殺したかったから殺したに決まっているだろう。
※死亡フラグ
特定人物の台詞や行動が、その人物の死を引き起こすこと。または、読者にその人物の死を予期させること。
例、戦争映画における兵士の「俺、子どもが生まれるんだ」に類する台詞。
*
我々は山奥の洋館で困り果てていた。
理由の一つは窓を叩きつける豪雨と、それによって電話線が切れてしまったこと。
そしてもう一つは――洋館の所有者、犬山豪三郎が何者かの手によって殺害されたことだった。
「銀田一先生」
事件のあらましをメモし終わった手帳を胸ポケットにしまうと同時に、助手の小林君が声をかけてきた。
「何かね、小林君」
「僕たち、どうなっちゃうんですかね」
平素から持ち歩いているお守りをそわそわと触りながら、小林君は尋ねた。
その愚問に私は憐れみを隠しきれなかった。
山奥の洋館、豪雨、殺人……導かれるものは一つしかないではないか。
しかし私が口を開くよりも早く、発言した者がいた。
「この中に殺人犯がいるんだろ……そんなやつと一緒にいれるか!」
そう言って、犬山家の跡取り長男の靖夫は二階の自室に引っ込んでしまった。
「死亡フラグだな、小林君」
「死亡フラグですね、先生」
一時間後、夕飯の時刻になっても降りて来ないので、家政婦の春日が部屋に呼びに行ったところ、靖夫が首を絞められて死んでいるのが発見された。
重い雰囲気の漂う食事を終えた我々は、リビングに一緒にいることにした。
私も向かおうとすると、家政婦の春日が呼び止める。
「実は先生だけにお伝えしたいことがあるんです。食器の片付けが済む頃に食堂に来てくれますか?」
ただならぬ雰囲気で言うと、春日は厨房に入って行った。
「先生……」
「死亡フラグだな」
三十分後、私と小林君は変わり果てた姿となった春日と対峙していた。
「どうなってんだ……」
震える声で、次男の忠雄は言った。
「犯人はいったい、誰なんだよっ!」
この瞬間を私は待っていた。
「犯人はこの中にいる!」
「だ、誰なんだ、それは!」
「……わかりません。こういう場面ではそういったことを言うべきかと思っただけです」
忠雄はがっかりしたように肩を落とす。
「なあ先生。俺たち、生きて山を降りれるのかな」
「わかりません」
私がそう言うと、彼はポケットから一枚の写真を取り出す。そこには笑顔の若い女性が写っている。
「彼女さんですか」
「俺、この旅行が終わったらプロポーズするつもりなんだ。それで、二人で幸せになるんだ」
忠雄ははにかみながら言うと、「ちょっとトイレ」とリビングを後にした。
「なあ、小林君」
「はい、死亡フラグですね」
案の定、彼はトイレの便器に頭を突っ込んで死んだ。
「誰が犯人なの……」
震える声で、豪三郎の妻芳子は言う。
リビングに戻った我々は、重大な問題に直面していた。犯人について、だ。
「わかりません」
私は首を振った。
「山中、あなたね? あなた、主人に借金してたじゃない」
今まで蚊帳の外であった、執事の山中は突然の疑惑に首を振って否定した。
「ま、まさかっ。私ではありません!」
「疑わしいわ。この前も主人に罵倒されてたじゃない。それに私、見たわ。主人が殺される前、二階に向かうあなたの姿を……」
山中は苦々しげに唇を噛んだ。
「……かよ」
「え?」
「悪いかよ! 俺が豪三郎を殺したさ! あんな死んで当然のやつ、殺して何が悪いっ!」
山中はそう言うと、泣き崩れた。
肩を震わせて泣くその姿は凶悪な殺人鬼などではなく、ただの哀れな一人の男だった。
私と小林君は、芳子の頼みで彼をロープでぐるぐる巻きにして逃げられないようにし、地下室に放り込んだ。
山中は芳子に怨めしそうな視線を送る。
「くっくっく。俺を閉じ込めたところで平和は戻らない。第二、第三の殺人犯が表れ――」
そこで私は扉を閉めた。
「どこの大魔王ですか、あれ」
「頭がおかしくなってるのね」
小林君と芳子は大きく溜め息をついた。
残された我々は雨がやむのを待つことにした。
「なにか、焦げ臭いわねえ……」
芳子はそう言うと、鼻をくんくんさせた。
「厨房だわ。火の元、消してなかったのかしら」
厨房の主である家政婦の春日は、もういない。
「奥さん、危ないです」
無用心にも一人で厨房に向かおうとする芳子を引き止めると、彼女は微笑みながら言った。
「ふふ、お優しいのね、先生。大丈夫ですわ。すぐに帰って来ますから」
そう言った彼女の笑顔は儚げに見えた。
「死亡フラグ、ですよね?」
彼女が姿を消した後、小林君は呟いた。
その直後、厨房から爆発音が聞こえた。
芳子の様子を見に行ったが、見るも無惨な状態の厨房から焼け焦げた芳子の遺体が見つかった。
「ふむ……」
こうもタイミング良く死ぬものなのか、と私は思った。
「小林君。ちょっと地下室に行ってみよう」
「山中さん……ですか?」
私は無言で頷いた。
私を先頭に、小林君がその後を続く。高鳴る鼓動を抑えながら、私は地下室の扉を開けた。
そこには案の定――
「わかりにくいですが、あれも死亡フラグだったんですね、先生」
「そうだよ、小林君」
私は天井からぶら下がる山中を眺めた。
山中は身体を縛っていたロープをほどいて、それで首を吊ったらしい。
足元には遺書が遺されていた。読んでみると、そこには事件の真相が書かれていた。自分が殺害したのは豪三郎ただ一人で、他の殺人を行なったのは部外者の二人、と。
「謎は全て解けていたのか」
私は断言でもなく、推測でもない言葉をはいた。
「銀田一先生」
遺書を読み終わった私の前には、ナイフを手にした小林君が立っていた。
「先生、共犯の成功確率ってどれくらいですか?」
小林君の目が尋常ではなかったので、私は慎重に言葉を選んだ。
「一パーセントだね」
小林君はその言葉に満足気な顔を見せた。
「九十九パーセントの確率で失敗するとしても、僕たちは残りのわずか一パーセントの確率にかける……そういうことですか?」
私は頷いた。
そしてもう一言、口にした。
「まあどうしても殺したければ、殺すがいい」
「生存フラグ、ですか」
「生存フラグだね」
小林君はナイフを捨てて、笑った。私も一緒になって笑った。
一家と使用人、全ての遺体を残して、我々は洋館を後にした。
私と小林君は招かれざる客、すなわち我々がここに来たことを知る者は誰もいない。
「ところで、小林君」
「何ですか、先生」
「私の胸ポケットには十年間愛用している手帳が入っているのだよ」
「僕の胸ポケットには、おばあちゃんから貰ったお守りが入っています」
我々は声を揃えて、言った。
「生存フラグだな」
「生存フラグですね」
気づけば雨は上がっていて、雲間から青空が覗いている。眼前には綺麗な虹がかかっていた。
我々は殺したかったから殺した。ただ、それだけのこと。