お題小説
※与えられたワードを全て使用すること。
主題:マウントレーニア
人名:よっこ、ゆき、広川さん、べき(=禿)、豆、セリ、ごやし(=ムシゴヤシ)、あんこ、かじ、ウラ
他:「こうして大人になる」、「宝くじ」、「はぁ〜〜、はぁ〜〜」、「秋豆→雪豆」
タイトル「マウントレーニアとゆき」
「飲めよ」
落ち込んでいたゆきの頬に、暖かいカップが当たる。
「広川さん」
広川は黙って、隣の席に座った。
「まあ、誰にだってミスはあるさ」
仕事で怒られた。笑っちゃいけない場面で、ふと思い出し笑いをしてしまった。思い出し笑いの内容はくだらないことだ。同僚の梶さんが、カラオケで「はぁ〜〜、はぁ〜〜」と、こぶしを聞かせて洋楽を歌っていたという、ただそれだけのこと。だけど、なぜか妙に笑いのつぼに入ってしまった。
「ありがと」
礼を言って、一口すする。少し落ち込んだ気分に、ほろ苦い豆の香りが染み込み、身体がぽかぽかしてくる。
寒くなったな、と思う。秋までは冷たい珈琲の豆が口に馴染んでいたのに、今はもうすっかり、暖かな珈琲が冬の雪景色にも合う。
「おいしいね。これ」
「マウントレーニアだよ。カップも素敵だろ?」
当たったんだ、と広川は微笑んだ。
ムシゴヤシの木が、暖かなエアコンの風に揺れた。
「マウントレーニア」
口に出してみた。素敵な響きだな、とゆきは思った。
カップのデザインも素敵で、これがあったらいつでも気分転換して落ち込んだ気分もかき消してくれるだろうな、と眺めていると、
「あと、片付けとくよ」
「あ」
飲み終わったカップを受け取ると、じゃあな、と広川は去って行った。部屋に残ったのは、ほのかな珈琲の香り。手のひらに残ったのは、カップの暖かな質感。視界の外れには、ムシゴヤシの木。
落ち込んだ気分は紛れたが、それでも仕事にならない。残った業務は明日へ先延ばしにして、ゆきは会社を後にした。
明日の自分に、ごめんと短く謝る。会社から駅に向かうそこかしこにも、クリスマスの気配がしている。飾られたツリー、ささやかなイルミネーションの電飾はそれだけで楽しくさせた。ペンギンのヨッコや、黒豆くん、可愛い犬のヨシーピーのようなキャラクターたちも、サンタクロースの格好をしている。セリの植木鉢が花屋の前に置かれているけど、春にはほど遠い。暦は、十二月だ。
寒さを凌ぐ人々が、缶コーヒーを買っている。ゆきには、それがマウントレーニアのカップと重なって見えた。
「よう、ゆき。今帰り?」
「浦さん」
振り返ると、先輩の浦が手を振るのが見えた。
近寄った、浦の手には小さな箱が収まっている。そのロゴマークに見覚えがあった。
「それ」
マウントレーニア、だった。
「ああ、当たってさ」
浦はきっと、広川とゆきの会話を聞いていて、気を利かせたのだとゆきは気づいた。
「浦さん……」
「ああ、これな。ツレにあげようと思ってな」
じゃあな、とそのまま走り去っていってしまった。今はもう遠くへ行ってしまったカップに想いを馳せる。
「冬はなんで寒いのかな」
少し、白みがかった息を独り言ともに吐き出して、ゆきは自販機の脇に置かれたベンチに腰をおろした。アンパンをかじって珈琲を飲んでいた禿の男性が、気づき、鼻で笑った。
「寒いから寒いんだろ。だって冬なんだから」
ほら、とアンコのついた手で空を指さす。暗い夜空に白い点が幾つも描かれる。都会の光にかすんだ星とは対照的に、それは降り続ける。
男性の禿頭に、白い粉雪が舞い落ちた。
「ゆき」
「え」
見知らぬ禿の男性に名前を呼ばれ、一瞬どきっとした。
「雪だ。きれいだな」
言うと、男性はコンビニの袋にアンパンと珈琲のごみを突っこみ、それをゴミ箱に放り込もうとする。
「待って!」
「ん」
男性は不思議そうに、ゆきの顔を見つめる。ゆきは、意を決して言った。
「その、マウントレーニアについているシール……私にくれませんか」
男はゴミ袋ごと、ゆきに渡すと少し白みがかった街へと消えていった。きっと、家族のもとへ帰るのだろう。
「私も」
帰らなきゃ、と腰をあげる。
マウントレーニア。別に、カップが欲しいわけじゃない。けれど、何事も自分でまず動いてみることが大事だと思う。その小さな一歩が、きっと積み重なって大きな歩みとなり、自分自身を今よりずっとずっと大きくしていく。
マウントレーニア。これは、小さな一歩。くよくよした自分との決別。
何も宝くじを何億も当てろというわけじゃない。要は、自分の強い想いひとつで何とかなることだ。マウントレーニアのカップすら当てられないようじゃ、今の自分は変えられない。
だから、マウントレーニア。これは、約束。未来の自分との。
マウントレーニア。マウントレーニア。遠い未来で待っていてね。私は行くから。
こうして大人になる。
――マウントレーニアとゆき、完。