歌詞考察『もらい泣き』/一青窈

>ええいああ 君からもらい泣き
>ほろりほろり ふたりぼっち
>ええいああ 僕にももらい泣き
>やさしいのは誰です

 ええいああ、というフレーズでお馴染みの一青 窈の「もらい泣き」。
 スローテンポにすると平井堅の声そっくりになるそうだがそれはとりあえず置いておいて、気になったのでちょっと考えてみた。

 まず、この曲はインターネットを介した遠距離恋愛の曲だと思う。出会いはインターネット。相手は途方もなく遠い場所に住んでいるという脳内設定が自分の中で出来上がっちゃっている。
 一青さんが当時この歌を作ったときに実際に彼女が置かれていた状況とは違うかもしれないけれど、歌というのはそのまま自分のことを歌うこともあれば、違うシチュエーションを描き、歌いたい想いやテーマだけを重ねる場合もあるので、そのあたりの違いはあんまり考えていない。

 インターネットの恋愛だと考えた理由は後で書くけれど、とりあえずは勝手にそう前提して書き散らしていこうと思う。

 * * * * * *

>朝から字幕だらけのテレビに
>齧り付く夜光虫

 ネットで朝まで起きっぱなし。気づけば朝のニュースの放映されているテレビを何となく眺める。PCを扱った人なら、インターネットサーフィンに明け暮れていた人なら、ふと気づけば朝になっていたという体験をした人はそれなりに多いんじゃなかろうか。
 ここで突然ふって沸いて来る単語「夜光虫」。その名の通り、夜行性。加えて、夜光虫というのは『赤潮の原因になるプランクトンで、刺激を受けると青白く発光する』と、本などに載っていた。
 これは比喩で、そこにいるだけで周りの人を心配させたり、すぐに何にでも過敏に反応したり、そういう情緒不安定な人を夜光虫と表現しているんじゃないかと思う。
 ネットをして朝まで起きて、ぼうっとテレビを眺めている。夜光虫とは、情緒不安定な“僕”のことを指しているんだと思う。

>自分の場所
>探すひろいリビングで
>ふっと君がよぎる

 朝がきたら普通の人は活動し始める。
 しかし、この「もらい泣き」の“僕”は外に居場所がない。存在意義があるのかもわからない。少なくともそう考えて生きているような気がする。
 居場所は、ネットをしているこのリビングかな。いや、居場所はインターネットの向こう側に君がいるこのパソコンの画面だけ。

>愛をよく知る親友とかには話せないし夢みがち
>段ボールの中 ヒキコモりっきり
>あのねでもね
>ただ…訊いてキイテキイテ

 ネット恋愛なんて人に相談しづらいものだし、特に恋愛経験が豊富な親友には話せない。そして今日もパソコンの画面とにらめっこしながら、引きこもり。
(ダンボールはパソコンの比喩表現。本当はもろい、どこにでもあるもので、それそのものにはそんなに価値が無い。もっと、そんなものよりも、大事なものが世の中にはあるのでは?)
 誰かに話したい。けれど、話せない。切なくて、苦しくて。時折り、生きているのも辛くなって。誰かに聞いて欲しい想いをただ、自分の胸の中でただ叫び続ける。

>乙女座 言葉にすればする程
>意味がない小宇宙
>あげようと決めた絵本だって
>とうに流行り廃れちゃった

 星座占いをしようとして、君の星座である乙女座を観てみた。だけど、そんなのはただの気休めでしかなく、意味がない。誰かが決めただけの占いなんて、宇宙の星々なんて、君とはまったく何の関係も無い。
 君はネットで知り合った遠くに住む人だから、会うのにすごく時間がかかる。
 流行っていたこの絵本を君にあげようと買ったけど、君と会う前に人気も無くなって本屋でも見かけなくなってしまった。

>PM12:00(じゅうにじ)過ぎて鳴らすメロディー
>迎えが来ないシンデレラ
>明日笑える始めの一歩
>からだでおしえて欲しい…ホシイホシイ

 明日、初めて君と逢うことになった。十二時になって日付が変わり、いよいよ逢う日は今日へと変わる。期待と不安が入り混じった気持ちで君にメールを送ってみる。
 今の自分たちの関係は“迎えが来ないシンデレラ”。“シンデレラ”は最後に王子様が迎えに来たから、ハッピーエンドで終った。つまり、このままだと、今の関係だと幸せは訪れない。
 君から来たメールは無機質な文字だけで、そこにぬくもりが無い。ぬくもりのない、文字だけの世界にハッピーエンドはありえない。
 ようやく、初めて逢って、笑い合える。文字だけじゃなく、ぬくもりを感じ合いたいと、“僕”は思う。

 * * * * * *

 ここまでで一通り、歌詞そのものに関する考察はしてみたのだけど、起点に戻ってみて、なぜ、ネット恋愛の歌だと思ったのかを述べてみる。
 このCDの歌詞カードを見てみたのだけど、歌詞の書き方が普通とはちょっと違う。文字の区切り方がおかしいし、スペース、ハイフーンの使い方がおかしい。
 何と言えばいいのか、稚拙ではないのだけど、まるでインターネットの掲示板やチャット、メッセンジャーなどリアルタイムで打った際の会話文のように整っていない印象を受ける。
 ちなみに、一青 窈その人も「ひきこもりがちになった友人からの“ダンボールからでられないんだ”というメールからこの歌を作った」と述べているように、彼女自身、パソコンは持っていてメールもしている。以下、解釈のために歌詞をそっくり引用。

>ええいああ 君から「もらい泣き」
>ほろり・ほろり ふたりぼっち
>ええいああ 僕にも 「もらい泣き」
>やさしい・の・は 誰です

>朝、から 字幕だらけのテレビ
>に
>齧り付く夜光虫。
>自分の場所
>探すひろいリビング
>で、 『ふっ』と 君がよぎる uo-i

>愛をよく知る親友とか には 話せないし、
>夢みがち。ha〜
>段ボール の、中 ヒキコモりっきり
>あのねでもね、
>ただ…訊いてキイテキイテ

>ええいああ 君から 「もらい泣き」
>ほろり・ほろり ふたりぼっち
>ええいああ 僕にも 「もらい泣き」
>やさしい・の・は 誰です

>乙女座
>言葉、にすればする程
>意味がない小宇宙。
>あげよう!
>と、決めた絵本だって
>とうに流行り廃れちゃった。 uo-i

>PM 12:00 過ぎ て、鳴らすメロディー
>迎えが来ないシンデレラ。
>明日 - 笑える -始めの - 一歩
>からだで おしえて 欲しい…ホシイホシイ

>ええいああ 君から 「もらい泣き」
>ほろり・ほろり ふたりぼっち
>ええいああ 僕にも「もらい泣き」
>やさしい・の・は 誰です

>ええいああ ぽろぽろもらい泣き
>ひとりひとりふたりぼっち
>ええいああ 僕にももらい泣き
>やさしいのは そう 君です

>ええいああ 君から 「もらい泣き」
>ほろり・ほろり ふたりぼっち
>ええいああ 僕にも 「もらい泣き」
>やさしい・の・は 誰です

>ええいああ 君から 「もらい泣き」
>ほろり・ほろり ふたりぼっち
>ええいあありがとう 「もらい泣き」
>やさしいのはそう 君です

 改行のタイミング、全角半角文字の無統一性、スペースの使い方。そこから何かが見えて来る気がする。
 ちなみに“ええいああ”というのは、日本語と台湾語の両方で同じ気持ちを表現しようとしてできた、新しい言葉とのこと。君への愛しい想いをあらわした、感嘆詞らしい。

>ええいああ
>ぽろぽろもらい泣き
>ひとりひとりふたりぼっち
>ええいああ 僕にももらい泣き
>やさしいのは そう 君です

 インターネット、メール、電話。手段は徐々に変わっていくけれど、最後の一歩。距離だけが邪魔をする。
 ああ、僕のことを想って君が電話の向こうで涙している。遠い距離なのに、心は近い。ただ足りないのは、君の体温。本当のぬくもりだけ。会えないことがお互いにもどかしくて泣く。
 この流れ落ちる涙の理由は、僕たちにしか分からない。僕はここにいて、君はそこにいて。このリビングという場所には“ひとりぼっち”なんだけど、想いは一緒、一人じゃない“ふたりぼっち”。
 ああ、僕の話す言葉に君がそうやって涙するから、僕はもらい泣きしてしまう。そして、僕のもらい泣きに、君がまた涙してもらい泣き。そのループ。
 優しいのは誰だと思う? 優しいのはそう、偽りのない想いをくれる君なんだよ。

 * * * * * *

 上記のような感じで解釈した。
 ええいああ、とかもう、聞くだけで涙するくらいに聞き惚れてしまう。昔じゃ考えられなかった愛のカタチだけど、新たな世代にはこういう愛のカタチも良いんじゃないかなー、と思ってしまった。

*一部にWEB上で見かけた文を含んでいます。その際に許可受諾済み。

←back  next→
inserted by FC2 system