歌詞考察『世界にひとつだけの花』/SMAP(槇原敬之)

 最近、職場の人と「世界に一つだけの花」に関して話した。
 その人が言うには、「ナンバーワンのSMAPが歌っても説得力ない!」とのことだけど、本当にそうなのかな、とちょっと歌詞を眺めてみることにした。

 * * * * * *

>花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
>ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
>この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
>バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

 実はこの歌、出だしから全部ぶちまけちゃってるんだと思う。
 花屋の店先に並んでいる時点で、その花はすべて選りすぐりのエリートである。ちょっと形が悪いから、枯れそうだから、色が悪いから、虫がついているから。様々な理由で、たくさんの花が間引きされてきた。もっと言えば、栽培されていた段階でも間引きされている。隣の花の邪魔をしそうだから、大きくなりすぎて見栄え悪いから、この種は虫がついているから。すでに、植えられる段階から間引きは始まっている。
 何という社会縮図。人間の社会に通じるものがある気がする。「ナンバーワンにならなくていい。もともと特別なオンリーワン」という歌詞はたぶん、文字通りの意味で受け取ってはいけない。

 この唄を解釈してみようと考えたのが、「ナンバーワンのSMAPが〜」のくだりからだったので、あえて職業から見ていくけれど、この唄の本当の伝えたいことは「夢」だと思う。
 「花屋の店先に並んだいろんな花」→社会に出たあらゆる分野のプロ。夢を叶え、今なお挑戦し続ける人々。(※この場合のプロとは単なるサラリーマンも含んでいいと思う。彼らはその会社あるいは業種のプロと言える。どちらにせよ、一人前で、人以上の輝きを放っていることが絶対条件じゃないかと思う。)
 分野は違えど、みんな自分のやるべきことを知り、それに向けて精一杯がんばっている。だからこそ、「この中で誰が一番だなんて争う事もしない」んだと思う。違う業種と比べたって、違う夢と比べたって、意味がないから。だからこそ彼らは、「しゃんと胸を張っている」。

>それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
>一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?
>そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
>一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに
>一生懸命になればいい

 だけど、未熟な、まだ成人していないような、社会に出ていないような「僕ら」は、周りと比べてばかりいる。誰よりも偉くなりたい。隣の人より上に立ちたい。
 そういうことじゃなくて、夢を持ってその仕事に就くことが大事なんだという意味で、「一番になる」ことは無意味だと歌っている。
 しかし、これは決して「ナンバーワン」にならないという意味ではなく、花屋の店先に並ぶような、輝きを放つ人物(夢だった仕事をしている人々)になった上での「世界に一つだけの花」である。絶対的に、花屋の店先に並ぶこと、つまり夢を叶えていることが最低条件である。花屋の店先に並んだ時点でエリート、即ちそれぞれがナンバーワンの品質を得ていると見れる。それでいて、それぞれに良さがある。
 ナンバーワンになることは最低条件である。それは当り前のことで、だからこそ、ナンバーワンというのは何の箔にもならない。そのナンバーワンの中でオンリーワンになることこそ、一生懸命になる必要がある。なぜなら、夢を叶えて花屋に並んでいるあなたたちはみんなナンバーワンなのだから。

>困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる
>頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
>やっと店から出てきた その人が抱えていた
>色とりどりの花束と うれしそうな横顔

 「その人」→会社かもしれない、上司かもしれない、恋人かもしれない、友達かもしれない。色んな線が考えられるけど、「花屋の店先に並んだ花」は「どれもきれいだから」迷ってしまうのである。なにせ、それぞれの花(※人)が夢を叶えた、別々の分野に秀でた人たちばかりなのだから、優劣はつけがたい。
 選ぶチョイスはもう、好みか、その必要度でしかない。選ばれなかった花も、きっと別の人に選ばれるに違いない。(ただ、これも悲しいところで、花屋の店先に並んでも枯れそうだから捨てられる花もあれば、誰にも買われることのないまま処分される花もあることに留意。オンリーワンであっても、成功できない人はいるという皮肉めいたこともある。)

>名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
>誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように

 「誰も気づかれないような場所で咲いてた花」→誰にも知られることない才能を指している。しかし、これもまた馬鹿にできない。
 野生に咲く花は、それもそれで強い環境を生き抜いてきた。自然界はある意味で、温室で育つ花よりもっともっと、過酷な条件下を生きている。実は、この野に咲いた花で、形がよくきれいな花こそ、奇跡に近い存在であるとも言える。これもまた、ナンバーワンであり、オンリーワンである。

 それに、いつ枯れてしまうかもわからない。下手をすれば一生、誰の目にもとまらない可能性もある。そうやって枯れていくだけの花もある。
 そんな過酷な道を突き進み、見事、ナンバーワンでありオンリーワンになることに成功した野生の花こそ、SMAPのことなんじゃないかと思う。彼らの進んできた芸能界という道は、それほどまでに厳しいと言える。

>そうさ 僕らも 世界に一つだけの花
>一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに
>一生懸命になればいい
>小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
>NO.1 にならなくてもいい もともと特別な Only one

 最後に強調している。
 「ナンバーワンにならなくていい」のは、「すでにナンバーワン」だから。今さらもうそこを目指す必要はない。後はもともとの素質、個性に見合った能力を磨き、誰よりも「特別なオンリーワン」になることが重要なんだ――と、歌っているように思えて仕方ない。
 この歌は、「ナンバーワンのSMAPが歌っても意味がない」のではなく、「ナンバーワンでありオンリーワンであるSMAPが我々に捧げる応援歌」なのだと思う。すでに一人前になった状態の人、あるいは、夢を目指している真最中の人を対象に歌っているので、夢をあきらめた人に対して歌ったものではない。
 この歌を聴いて、「そうだよ、俺はオンリーワンだからナンバーワンになる必要はないんだ。へっへーん」とか考えている人は、今一度、本当の意味で「特別なオンリーワン」になれているか考え直してみてほしい。
 本当の意味でのオンリーワンになることは、ナンバーワンになることなんかよりもっともっと難しいことに違いないのだから。

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