歌詞考察『ハイドレンジア』/flumpool

 flumpoolの「ハイドレンジア」を人から聞いたことなどを織り交ぜつつ、自分の中で整理してみる。
 「ハイドレンジア」は元々はflumpoolがインディーズだった頃の持ち歌で、メジャーになってから2009年の武道館のライブで歌われた記念すべき一曲。インディーズの頃の楽曲がいくつかある中でこの一曲が歌われたことにはやはり意味がある。
 この歌には、インディーズ時代の彼らの楽曲がフレーズとして散りばめらていて、彼らの軌跡を歌い上げているからに他ならず、flumpool自身を歌い上げているものである。

※歌詞(武道館で歌われた方)を引用し、一部に見聞きした情報を含んでいる。

 * * * * * *

>thirsty カラカラの砂漠に生まれついたマイマイ
>じっと雨を待って
>それでも憧れるハイドレンジア

※ハイドレンジアとは、紫陽花(あじさい)のこと。

 過酷な環境に生まれた、歩みの遅いマイマイ(カタツムリ)。カタツムリこそ、flumpoolの気持ちを比喩したもの。なぜ、マイマイかというと、後のフレーズに出てくるが「my mind」とかけている。即ち、心、気持ちのことである。
 雨=脚光、人に認められることの比喩。ハイドレンジア(あじさい)はその舞台。
 つまり、まだ日本中に知られることもなく、見向きもされていない駆け出しの彼らが、いつかメジャーデビューを果たし、また、武道館のような大きなライブに立ちたい、立ってやるという意味で歌っている。(だからこそ、武道館で歌われたのではないか?)

>ただ殻の中
>流れ雲眺めた毎日
>とうにイグアナさえもしっぽを巻いて去った

 日差しを避けるため、雨が降らないかと天を仰ぐカタツムリ。カタツムリよりもすばやく強い存在であるイグアナでさえ、雨が降るのを待つのは諦めた。
 flumpoolは自分達よりもっと実力のあるアーティストが夢を諦めていく中、それでも悩みながらも活動を日々続けたという意味。

>左右で
>「step by step」 and 「give up」
>囁く矛盾のstereo soundそうやって自問自答
>いつだって今だって

 「step by step(続けよう)」、「give up(やめよう)」と自分の中で葛藤する。
 それは昔も今も変わらない。今でさえ、常に悩みながら、日々がんばっている。

>parallel my mind
>parallel my mind
>どちらの僕も僕であって右や左へ回れ右して
>彷徨っている
>予測不能の未来は曖昧
>だから僕らは迷ってしまう
>そんな自分が吐きそうに辛いんだ

 「parallel my mind(平行な心)」、続けようと思う自分と、やめようという自分。
 どちらを選んでも、自分の選択であることには間違いなくて、だからこそ悩んでいる。
 未来はわからないから、道を悩む。そんなことで先に進めない自分が、ちっぽけで憎みたいくらい。
 
>踏み出した一歩それとも踏み外した一歩?
>どっちだっていいや
>とりあえず笑えるし

 「踏み出した一歩」→続けようと思う気持ち。
 「踏み外した一歩」→やめようと思う気持ち。
 どっちを選んだって、自分は自分。ここでは、何よりも「笑う」ことが大事だと考えていると読み取れる。つまり、売れっ子になって歌っても、誰にも認められないまま歌っても、自分が心から楽しめることが大事だということを言っている。 

>一口サイズにカットして
>飲み込んできた夢たち
>消化できず吐き出す
>そんなこと繰り返す

 「一口サイズにカットして飲み込んできた夢たち」→ストリートで歌ったこと、小さなホールで歌ったこと。また、そこで歌った「歌」そのものを表している。
 たくさん回数を重ねてきたけどうまく自分の力に出来ず、もがく。そんなことをひたすら繰り返した。

>天にかざしたparallelの角
>アンテナにして雨を呼んだ
>何万回もあきらめてきた夢をもう一度
>フラフラの足 ふんばったまま
>それでも僕が笑えるなら
>踏んだり蹴ったりも価値があるさ

 「parallelの角」→「続けたい」と「やめたい」の二つの気持ち、その間に揺れ動く葛藤。その葛藤の中で、なんとか小さな成功をおさめることができた。(それは一人のファンのことかもしれないし、小さなイベントのことかもしれない。)
 またここで、「それでも僕が笑えるなら」と「笑う」ことが出て来る。
 そのとき、改めて「やっぱり自分は音楽がいちばん好きなんだ。歌うことが楽しい。それを続けていくのだから、どんな葛藤にも意味があるんだ」と気づく。
(※なお、歌詞の「parallelの角」は、インディーズ時代はパラレル、武道館以降はカラメルに変わっています。これこそ、彼らが迷いを、葛藤を吹っ切れたことを表現しているのではないかと思います。)

>誰が選んだ道じゃないし
>なのに振り返ってばっか
>いつだってナヤミの種は消えやしない
>でもモノクロの月の向こうに
>流れ星の軌道が見えるかい?
>さよならのキヲク抱えて
>駆け抜けて

 ここのあたりに、インディーズ時代の楽曲が隠れてると聞いた。
 歌詞に出て来る順に、六つ。

 「ナヤミの種」→『ココロの種』
 「モノクロの」→『モノクロ』
 「月の向こう」→『月と街灯』(『MW〜Dear Mr.&Ms.ピカレスク〜』としてリメイク)
 「流れ星」  →『流星』
 「サヨナラの」→『サヨナラの日』
 「キヲク抱えて」→「キヲクの渦』

 誰か他人が選んだ道じゃない。自分が選んだ道なのに振り返ってばかり。そのままではいけない。
 いくつもの歌を作ってきたし、それらを歌うことは楽しかった。今の悩みながら迷いならでも進むスタイルでやっていこう。(※悩む自分を否定していないところに、ポジティブさが感じられる。)

>parallel my mind
>parallel my mind
>どちらの僕も僕であって右や左へ回れ右して
>いつか体が干からびたって
>それでも僕が笑えるなら
>立ちはだかる砂漠の荒野へ 
>砂漠の荒野へ

 「体が干からびる」というのは、雨を浴びれない状態のカタツムリから持ってきた表現。
 誰にも見向きもされず、大きなステージに立つという夢も果たせないことを指す。

 やめるか続けるか悩んだって、まして、大きなステージに立つっていう夢を叶えられなくたって、自分達が「音楽を楽しめる」なら、どんな困難な状況へも立ち向かえるはず。さあ、メンバーみんなで困難な道を進もう。
 音楽の道に進むのは非常に困難だと思う。失敗する人のほうが圧倒的に多い。それをマイマイと絡めて比喩して、「砂漠の荒野」と表現したのだと思う。

*隠れている曲名などの情報ですが、「まんぼうのうたネタ日記」様を参考にしています。

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