歌詞考察『魔法の料理〜君から君へ〜』/BUMP OF CHICKEN

 NHKでよく流れていた「魔法の料理〜君から君へ〜」。
 子供向けに作られた歌と言うけど、歌詞をぱっと見ただけでは意味がわからない。聞いていたときには、なんか直感ですっと入ってきたのだけど……。
 エキサイトミュージックのインタビュー(※)を思い返せば、藤原さんは「この曲は昔の自分との対話」と答えている通り、幼い頃の自分がモチーフ。また、「当たり前に、自然に、確実に出てくるものじゃなきゃいけない、そうあって欲しい」とも言っている通り、ぽんぽんっと出てきたもの。
 そして、こう括る。

>あんまり内容は優しくないと思うんだよ。歌詞の中でも子供心には怖い言葉っていうのをいくつか入れてるんですよ。大人の人が聴くと「そうだよな」って思えることでも、子供が聴くと「何それ、怖くね?」っていうのもあると思うんです。その恐怖っていうのは、与えられた相手を忘れても、恐怖感だけがずっと残ってるものなので。

 この台詞に全て集約されている。幼い頃に残る鮮明な恐怖――すなわち、「叱られた後」。

 * * * * * *

>叱られた後にある 晩ご飯の不思議
>あれは魔法だろうか 目の前が滲む

 この曲は、ある子供(モデルはそれこそ藤原さん)の一日を、子供の視点と大人になった視点の双方から描かれたもの。
 幼い子供は、何かを話すとき、時系列に基づいて話すのが苦手で、思いつきでぽんぽんと話す。だから、相手に上手く伝わらない。そして、葛藤。この曲はそれ全体にそんな意味が込められており、だからこそ、一番や二番に、ばらばらに「ひげじい」や、「ピアノ」が出て来たりする。
 暫定的に、この歌に登場する子供を「藤原さん」と表現します。そのほうが、書きやすいので。

>正義のロボットの剣で 引っ掻いたピアノ
>見事に傷だらけ こんな筈じゃなかった

 藤原さんは、ピアノを習って音楽に触れてきた。でも、本人は幼い頃、ピアノが嫌で嫌で仕方がなかったらしい。
 嫌いなピアノを好きになるにはどうしたらいいか。自分なりにアレンジしたらいいのだ。自分の好めるものに変えてしまえばいいのだ。そう思って、大好きなテレビ番組のロボットの玩具の剣で、模様をつけてみようとした。
 けれど、うまくいかず(当然だ)、母親に怒られる。

>大きくなるんだ 伝えたいから
>上手に話して 知って欲しいから
>何て言えばいい 何もわからない

 「なんでピアノに傷つけたりするの、嫌いだからって物に八つ当たりするんじゃありません!」とかなんとか怒られて、一方的にまくしたてられたら、子供は自分の心のうちを上手く説明できないもの。伝えたいのに、うまく伝えられない。なんて、言えばいい?

>君の願いはちゃんと叶うよ 楽しみにしておくといい
>これから出会う宝物は 宝物のままで 古びていく

 この記憶を思い返す、大人になった藤原さんが、記憶の中の自分に語りかける。
 大人になるにつれて、相手に伝える力、何事にも動じない心は養われていく。だから、君(幼い頃の自分)の願い、つまり、「伝えたい」という願いは叶うことになる。
 でも、幼い頃に感じた辛さや悲しみも、何事にも変えがたい「経験」となって、永遠にその人の心に残る。「経験」は人を成長させるために必要なもので、だからこそ、「宝物」と言える。

 そして、以下2番。

>確か赤だった筈だ 三輪車 どこまでだって行けた
>ひげじいがくれた熊は よく見たら犬だった

 話が飛び、三輪車の話になる。幼い頃に好きだった三輪車で、ちっちゃいけど、どこまでも行けると思っていた。
 そして、三輪車と脈絡なく出て来る、「ひげじい」。おそらく、三輪車で行った先で出会ったのだと思う。
 この「ひげじい」という響き、なかなかどうして、子供心には怖いのである。おそらくは、近所の子供たちの間では怖がって近づこうとしないような相手を指すと思える。何を隠そう、うちの近所にも居たのである。ひげじいが。
 公園を寝床にして、何でもかんでも物を拾い集めているホームレスのおっちゃんだった。ある日、拾ったウルトラマンの人形を近所の子供に配っていたこともある。拾ったものでも、使えそうなものなら、子供にあげるような優しい心を持った人だったが、いかんせん風貌があれなのでちょっと怖く感じたことがある。

>プラスチックのナントカ剣で 傷付けたピアノ
>模様のつもりだった 好きになろうとした

 またまた変わり、今度はまたピアノの話に戻る。
 子供特有の話が飛ぶということを表現しているのだと思う。(プラスチックのナントカ剣と正義のロボットの剣と同一なのか、という話になると、やはり、「傷付けたピアノ」と「模様のつもり」というところから同一時点のものと考えるのが妥当だと思う。別物だとしたら、成長を主体にした唄でもあるはずなのに、あまりに成長していない。)

>大きくなるんだ 仲間が欲しい
>わかり合うために 本気を出せる様な
>基地が出来るまで 帰らない様な

 そして、「大きくなるんだ」という、ところになる。
 これで、なぜ叱られたかが少しずつ見えてきたような気がする。
公園で友達と秘密基地を作っていて、暗くなっても完成しない。「完成させるまで帰らない!」と約束でもしたのだと思う。ひとり、またひとりと夕闇が近づき、家に帰っていく中で責任感の強い自分だけが残ってしまう。

>期待以上のものに出会うよ でも覚悟しておくといい
>言えないから連れてきた思いは 育たないままで しまってある
>更に 増えてもいく

 ここはまた、大人になった自分から、幼い頃の自分への語りかけ。
これから出会うもの(=経験)は、わくわくするような、でも怖いものかもしれない。そして、その経験はもう二度とできない。幼い頃の感情は、幼い頃にしか味わえない。もう二度と戻れない、そのことをよく覚悟しておいてほしい。大人の自分は、過去の自分にそう語りかける。
 うまく説明できないで、伝えられないで、ためこんできた想いは、その当時のまま。自分自身は成長しても、過去のその瞬間に戻ることはできないのだから、そのときに「伝えたい!」と思っていた事柄(ピアノの傷や、帰りが遅くなったのは、友達と約束したのを最後のひとりになっても守ろうとしたからだという理由)は、結局、大人になった今となっては誰にも伝えようがないし、伝えてももう意味がない。
 だから、育たないままで心の中にしまってある。そして、どんどん増えていく。たとえ、大人になったとしても、未知のことはまだまだある。だから、これからも増えていく。

 そして、以下から3番。

>怖かったパパが 本当は優しかった事
>面白いママが 実は泣く時もある事

 ここまでは、帰りが遅いのを心配していた両親が描かれる。
 字面通りの意味だと思う。

>おばあちゃんが 君の顔を忘れたりする事
>ひげじい あれは犬だって 伝え様がない事

 おばあちゃんは同居していたのかもしれないけど、なんとなく文脈からまたあまり関係ないことがポンと出てきたような印象も受ける。子供特有の、話や考えが飛躍している様子を表している。
 だが、その次の「ひげじい」は、まったくこの場面には関係ない。
玄関先で帰ってきたら、父親と母親、祖母に囲まれ、「どこ行っていたの!」とか言われて俯いて、自分が手に握っている「ひげじいがくれた熊」を見たら、「犬じゃん」とかそんな感じかな。で、怒られながら、頭はもうひげじいのことにいっちゃってる。

>いつか全部わかる ずっと先の事
>疑いたいのもわかる 君だからわかる
>メソメソすんなって

 大人の自分が語りかけ、慰める。

>君の願いはちゃんと叶うよ
>怖くても よく見て欲しい
>これから失くす宝物が くれたものが今 宝物

 これから失くす宝物、とは経験したことで無くなっていく子供心に感じたわくわくとか、そういったプラスの感情と、また、辛かった思い出(つまり、それが後にその人を強くする糧)のことを指している。
 大人になった自分は言う。「その辛い想いも、大切なんだよ。君を強くするんだから」

>君の願いはちゃんと叶うよ
>大人になった君が言う
>言えないから連れてきた思いは
>育てないままで 唄にする

 もう、どこにも持っていきようのない、幼い頃の感情。それのやり場は、やっぱり歌しかないんだろう。歌とは、人がいちばん感情を乗せやすいものだから。(特に、歌い手である藤原さんにとっては、本当の意味でそうなると思う。)

>叱られた後にある 晩御飯の不思議
>その謎は 僕より大きい 君が解くのかな
>こんな風に 君に説くかな

 ここだけが少し判断しにくいけれど、まずは「幼い頃の自分 → 大人になった自分(語りかけている現時点) → さらに未来の自分(僕より大きい君)」とイメージして欲しい。
 結局、ここでいう「晩御飯の不思議」って何なんだろうって感じなんだけれど、これはひとつの比喩表現であり、この歌に出て来る冒頭の「晩御飯の不思議」とは別物だと思う。つまり、「やり場のない想い」のことを指す。
 幼い頃の「やり場のない想い」は、今さらどうにかできるわけではなく、歌にしてあの頃を思い返すことで解決とした。今後、今の大人の自分が感じた「やり場のない想い」は、じゃあ今後どうするのか。
 それは、未来の自分が何とかしてくれるんじゃないだろうか。それとも、その時点でまた、今と同じように歌にして気持ちを落ち着かせるのかな。(こんな風に君に説く=唄にする)
 そんな感じで、末尾まで一通り、書き散らしてみたけれど、相変わらず文章力がないので、伝わりにくくてすみません。これこそまさに、「上手に話して知って欲しい」とか「何て言えばいい」とか、歌詞にあるとおりです。
 下記に、ショートストーリー風に整理してみます(笑)

 * * * * * *

 年齢は三輪車から、3歳くらい。モデルは藤原少年。この曲は藤原基央が二十代の最後に作った。
 したがって、逆算すると、1985年あたり。(※1980年代はロボットアニメ最盛期。超獣機神ダンクーガとかそのあたりのアニメ見てた?)

「ピアノは嫌いだけど、なんでかなあ。あのださいのがだめなのかなあ」
 大嫌いなピアノの練習をしようとするが、やる気が起きない。なんとか、妙案を思いつく。
「ダンクーガ大好きだし、あのカッコイイ剣で改造したら、ピアノもカッケーじゃん!」
 プラスチック性のちびっこい剣で頑張るが、傷がつく一方だった。でも、本人としてはそれが模様のつもりで、満更でもなかった。
 しかし、それを大人である母親が見て「模様だ」と納得するはずもなく、怒られる。
『あんた、ピアノが嫌だからってこんなことして! 高いのよ! どうするつもりなの! そんなに嫌なの!?』

(母さん、怒ってる。ぼくは悪いことをしたのかな。違うんだ。好きになって、ピアノをもっと練習しようと思ったんだ。でも、うまく言えない。なんでこんなことしたのか知って欲しい。伝えたい。けど……何て言えばいいんだろう。わからない。そうだ。大きくなるんだ。そうしたら、ちゃんと母さんにも伝わる。)

 いじけていると、友達に遊びに誘われる。
『秘密基地作ろうぜ』
「いいなそれ、カッケーな!」
『ちょっと遠いけど、たこ公園(仮)な! 完成するまで帰れねえからな!』
 場所は隣町。しかし、お気に入りの赤い三輪車なら、どこまでだって行ける。
 母親が用事をしている隙に、こっそりと出て行くことにする。さっき怒られたから、何て言ったらいいかわからないし、どんな顔をして遊びにいけばいいかわからないので、ばつが悪いので、こっそり。
 公園に到着し皆と秘密基地を作り始めるが、終わりが見えない。というか、みんなプランなんて考えてないから、そもそも終わりがない。当然、日が暮れてきても終わらず、ひとり、またひとりと諦めて帰っていく。
(だけど、決めたじゃないか。基地ができるまで帰らないって)
 最後の一人になってまでやりぬく。すべて、責任感のなせることだった。その甲斐あって、基地は完成した。どうだ見たか、とひとり得意気だった。
 悦に浸っていると、あたりは真っ暗で、友達はみんな誰もいないことに気づく。
 裏切られたことにショックを受けていると、ひげもじゃのホームレス(近所では通称「ひげじい」)に声をかけられる。
『sdfyぐhじょ@お:』(※アル中で何言っているか不明)
「え? え?」
『sdfgふjkぽl@;@』(何か差し出す)
「あ、ありがとう。何これ」
『くま』(それだけ言って立ち去る)
 妙な迫力と臭気にすごく怯えたが、ちょっとしたご褒美のような気がしてちょっとうれしかった。熊って、なんかカッケーし。
 悦に浸りながら三輪車を漕ぐ。よく見たら、カッケーと思った熊が、毛むくじゃらと一緒だった。犬じゃん、これ。

 長い距離を真っ暗な道をいく。夜の闇に怯えながらひたすら三輪車を漕ぐ。
 完全に夜になった頃、家についた。母さんが、かんかんに怒っていた。
『どこ行ってたの! こんな時間まで! あんた、ピアノのことで怒られたからって!』
「ちがう、友達と……」
 ここで、友達と作っていたのが秘密基地だったと思い出し、あわてて口を塞ぐ。秘密だから、言っちゃいけない。
『友達とほっつき歩いてたの!? 母さんに何も言わないで! どれだけ心配したか……うう』
 泣き出す母さん。母さんが、泣くことがあるなんて。思わず慌てる。
『まあ、お前たち。とりあえず、入りなさい』
 いつもは厳しく叱る父さんがなぜか優しかった。
『おまえはどこの子だい、早く帰りなさい』
 おばあちゃんがぼくのことを忘れていた。時々ある。何でだろう。
『おばあちゃん、またボケて……この子は、ウチの子だよ。ここが家なんだよ』
 父さんがそう言うと、母さんがまた泣き出した。
 なんだか、ばつが悪い。こういうとき、何て言えばいいんだろう。
 あれこれ考えをめぐらせていると、手に持っていた人形に気づいた。ひげじいのくれたやつ。
(ひげじい、やっぱこれ犬だよ……)
 それだけは、確実だった。だけど、それさえ、今この時点ではもう伝えようがない。

 父さんがなだめて家に招き入れる。
 安心感からお腹がなった。そういえば、何も食べていないんだった。
 だけど、あれだけ大騒ぎさせて怒られたんだ。きっとご飯抜きだろうな……。

 そう思っていたら、台所に連れて行かれた。
 食卓の上には――晩御飯。
 不思議だった。ピアノのこと、遅くまで帰って来なかったこと、あれだけ怒られたのに。
 何で晩御飯があるのか、ぼくにはわからなかった。もしかしたら、魔法かもしれない。そうとしか、考えられなかった。

 そして――大人になっていき、やがて、物事がわかるようになる。
 大人になった今、当時の思い出は思い出のまま。今さら何かできることはない。
 だから、過去を思い返して、あのとき、やり場のなかった想いを歌にするのだった。
 また、これから先ずっと生きていく中で、やり場のない想いがでてきてもきっと今までと同じように歌にしていくんだろうなあ、と思う。

 * * * * * *

 こんな感じに妄想を書きなぐって、最後に。
 この歌に出てくる「ひげじい」だけど、CD発売前に、bridgeのインタビューで藤原さんは「ひげぢい」と、あえて「ぢ」にしたと答えている。それにも関わらず、歌詞カードは「ひげじい」だし、カラオケでも「ひげじい」。
 この「ぢ」と「じ」を印刷ミスと見るかどうかだけれど、印刷ミスではないと個人的には思う。
 これそのものも実はひとつの「魔法」であるのと同時に、発売前(過去)は「ぢ」と幼い頃特有の雰囲気を出していたものを、発売の際(現在)は「じ」と大人になって成長した様子を出したのではないか、と。考えすぎかもしれないけれど、藤原さんは考えすぎるタイプなんじゃないかな。じゃないと、幼い頃のモヤモヤ感をここまで理路整然と言葉にするのは、なかなかどうしてできないと思うから。

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