歌詞考察『モーターサイクル』/BUMP OF CHICKEN

 藤原基央さんが30歳になって最初に書いた曲「モーターサイクル」。
 本曲が収録されているアルバム『COSMONAUT』は、彼の実体験に基づいた曲が多い。本曲も、同様であると雑誌のインタビューでは述べられていました。
「とても嫌なことがあった翌日の朝、起きたら死ぬんじゃないかと思う位にすごく胸が痛かったけど、それ程の事も夜には忘れてしまっていた」
 そういうことで出来た曲らしく、気になったので、じっくり歌詞を眺めてみました。

 * * *

 この歌は、世の中に嫌気が差してしまっている人(この解釈内では便宜的に「聞き手」と呼ぶ)にメッセージを送っている構造を取っている。基本的にはそのまま読み進んでいいと思います。

 まずは一番から。

>起きたら胸が痛かった 心とかじゃなく右側が
>夜になったら治ってた 痛かった事も忘れてた

 曲の経緯は冒頭に書いた通りなので一文目は、文字通りの意味だと思います。深読みしてほしくないから、あえて、「心とかじゃなく右側」と具体性を持たせたんじゃないか。
 右胸に痛みが伴うのは、おそらくは「肋間神経痛」であると思われるが、原因は打撲などであることが多いということです。まあ、ころっと死ぬような病気ではないですよね。

>あくせく働いて寝て終了 起きて飯食って寝て終了
>いずれも生活という行為 鈍感と不感は別の物

 ここでは生活とあるように、日常の繰り返しを表現している。この曲の主人公は、作詞者の藤原さん自身だと受け取りました。
 気が狂うほどまともな日常、というやつでしょうか。別の曲でも日常をそんな風に表現されたことがあります。藤原さんは「日常」を鋭い切り口で描くのが巧みな方です。
 そんな日常というものがあるので、感覚が麻痺してきているのだと訴えたいのだと思う。しかし、痛みは感じているのだから、少なくとも「不感」ではない。麻痺して鈍くなってきているだけだから、不感とは別の「鈍感」と表現したわけです。 (※鈍くても、ちゃんと感情はある、生きているんだというメッセージ)

>診察 保険 繋いだライフ 稼いだマネーで買った物
>安心 娯楽 潰したタイム 色々と高くつくもんだ

 これは一文目に付随する文面。日常の中で起きたハプニング(=胸痛)に対して、病院に通って対処したということだろうと思われる。
 ここでの「ライフ」は、「命」を意味する。診察や保険にお金をかけ、安全と娯楽(生きていればなんだかんだ得るもの)を手に入れた。「潰したタイム」は、働いた分消費した時間、あるいは病院に行った分消費した時間に対する皮肉。

>一生終わる事なんかない 今日は昨日の明日だったでしょう
>始まりを考えても意味が無い ありふれた答えしか出てこない

>現実派気取りでいるなら 慰めなんて期待しないでしょう
>死んだ魚の目のずっと奥の 心はとても丈夫だぜ

 昨日の明日=今日。今日の明日が、明日になれば、昨日になる。一生続く、日常を表現している。ここで言う「始まり」とは、人生の始まりであったり、普遍的な意味での日常の始まりです。それを考えることに何の意味がある? どうせ昔の哲学者なんかがすでに答えを出しているのだから、改めて自分が出す必要もないと藤原さんは訴えかけています。
 藤原さんはこの歌の聞き手を、「現実派気取りでいる」と表現する。現実派を気取るのなら、慰めなんていう同情は期待するのがそもそもおかしい、と告げる。
 それから、付け足す。そんなお前だけど、心だけは強いな、と。ここに優しさがあります。
 死んだ魚の目=世の中に冷めた、無気力な人、というあたりの意味でしょう。

 以下、二番。

>友達のバイクがぺっちゃんこ 泣きたい立場十人十色
>なんだってネタにする仕事 敏感と不感の使い分け

 友達が事故でバイク(恐らく新車)を駄目にして泣いている。これは恐らくは藤原さん側のエピソード。そんなことくらいで、と藤原さんは思うが、泣きたい立場は十人十色だと改めて自分に言い聞かせる。あるいはそれは、「鈍感」と「不感」を使い分ける「なんだってネタにする仕事」に就いている自分だからそう思うのかもしれない、と藤原さんは考える。
(※ネタにする仕事=何かしらクリエイティブな仕事。即ち、歌手である藤原さん自身のこと。)

>買い手のいない激しい怒り 置き場など無い哀しい悟り
>それでも生活という行為 生まれたらどうか生き抜いて

 そして、歌の聞き手に訴えかける。自分のように鈍感と不感を使い分けろとは言わないが、激しい怒りがあっても、哀しい諦めがあっても、それが生活(人生)なのだから、受け入れていこうと。生まれたからには生活が続いていく(=生きていく)のだから。

>レッカー 新車 滲んだライフ 罪無きマネーがお片付け
>重力 地球 人の価格 イカロスとは違うよ全然

 ここでは、現実と空想を対比させている。
 上の行が、先ほどの友達のバイクの廃車の例を取り上げている。
 二例目がギリシア神話の「イカロス」を取り上げている。

 友達はレッカーで車を移動させられて、生活にちょっと不便が出た(=金銭的損失というリアルな側面も含む)。
 イカロスは、重力を無視し、空を飛んだ。地球という概念に囚われない、自由なエピソードであるが、最後には命を落す。しかし、神話となるような人物で、そもそも、人としての格が違うと述べている。

(ここでは、理想の上では、命というものは、重力やそういったものにも縛られないと言いたかったのかも知れない。しかし、それはあくまでも理想で、現実ではそうはいかない。)


※イカロス(ギリシア神話より)
 父のダイダロスと共に、搭に幽閉された。ふたりは蝋で鳥の羽根を固めて翼をつくった。
「イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから。」
 そして、空へと飛び立った。イカロスは父の警告を忘れ高く飛びすぎて、太陽の熱で蝋を溶かされ墜落死した。


 イカロスは死んだ。「違うよ全然」なので、自分(友達や聞き手含む)は死ねない。そこで終わりではない。(終ってはいけない、と伝えたいが、この歌のあらゆる聞き手の心情を考慮し、そこまではまだ言えないでいる。)

>誰が弁償してくれる 大小損害忍耐限界
>それで何を弁償して貰う そこは曖昧なままにしたい

 友達のバイクに対して、もう一度視点を戻す。これは、あくまでも現実を見続けようという意思。けれども、本当はちょっと目をそらしていたい。理想を見ていたい。だから、「そこは曖昧なままにしたい」。

>勝敗が付けば終わるなら 負けを選んでそれでも息する
>死んだ魚の目のずっと奥の 心に拍手を贈るよ

 「曖昧なままにしたい」が、「勝敗が付けば終る」から勝敗をつけるようにと迫られたらどうしたらいいの?
 藤原さんは、負けを選んででも生きる方を選ぶよ、と言う。そして、死んだ魚の目をしている自分(=現実を生きる自分)の心に、「よくやった」と言い聞かせる。

>同族嫌悪 競ったライフ 誰かの真似で知った顔
>安全地帯で没個性 開き直る相手はどこに

>他人事だけど頑張れよ 手伝う気も方法も無い
>道徳と規則の中で へらへら頑張るしかないよ

 世の中、同族嫌悪して争っているのに、テレビの物真似や誰かの受け売りをしている人もたくさんいる。そんな矛盾に気づかず、やっている本人は集団の和からはみ出さず、誰からも文句を言われないようにと生きている。
 それは学校のクラスであったり、あるいは会社であったりするのかもしれない。そんな中、みんなと同じように振る舞えず、少し周囲から浮いてしまっている人たち(歌の聞き手)に、藤原さんは「手伝う気も方法もないけれど、がんばれよ」と投げかける。
 これは冷たいようで、けれどもとても暖かい言葉のように感じる。確かに、誰だって他人のために本気で動けるはずがないし、動いているときりがない。けれども、エールは送ることができる。

>わざわざ終わらせなくていい どうせ自動で最期は来るでしょう
>その時を考えても意味が無い 借りてきた答えしか出てこない

 今までの流れから読み解くと、すぐ理解できる。
 ここ終らせるとしているのは、「ライフ(人生あるいは生命)」なので、自殺しようとしている人を思いとどまらせる言葉でもある。
 どれだけ辛いことがあっても、哀しいことがあっても、死ぬな。人間いつかは死ぬ(=曲名との関連で、「自動で最期が来る」と表現)のだから、わざわざ今終らなくてもいいだろうと。「じゃあいつ終るの」と問われても、さっきも述べたとおり、たいした答えなんか出て来ない。

>現実派気取りじゃないなら どんな時間が無駄か解るでしょう
>死んだ魚の目って言われても 心臓はまだ脈を打つ

 ここで、一番を振り返ってみる。一番の時点では、歌の聞き手を「現実派気取りでいる」としていたのに、ここでは「現実派気取りじゃない」としている。
 逆説的に一番の歌詞で「現実派気取りでいる」って言っていたのは、「強がっている」と言いたかったのかもしれない。つまり、「お前も本当は、慰めのような言葉をほしがっていたんだろう」と言っている。

 けれども、歌詞はこう続く。

>四の五の言わず飯食えよ 人の振り見て人にはなれんよ
>気にする程見られてもいないよ 生まれたらどうにか生き抜いて

>周りが馬鹿に見えるなら 生き難いなんて事もないでしょう
>死んだ魚の目を笑う奴に 今更躓く事もないでしょう

 「同族嫌悪 競ったライフ 誰かの真似で知った顔」ができずに気にしている「聞き手」に、人の振り見てもその人にはなれないと告げる。(これはつまり、自分の押し売りで聞き手を助けることなんて出来ないという意味でもある。ここが真理なのかな、と。押し付ける善意ではなく、見守る優しさ。)
 そして、励ます。気にするほど見られてもいないと。生きろと。今のお前なら生きにくいこともないだろうと。
 だけど、ここで思い出したかのように付け加える。

>あぁ君には言ってない そう無視してくれていい
>相槌さえ望まない そもそも大した事言ってない

 押し付けにならないように。聞き手が自分の足で歩み出せるようにという心情がここには詰まっている。

>手貸したら握るかい どっちでもいいけどさ
>あぁ外野は放っとけ そもそも大した事言ってない

 それでも最後に、こう来る。ここに滲み出る優しさが確かに存在している。

 さて、前の記事で長々と書きすぎて、まとまりがなくなったので、恒例の勝手な意訳をしておきます。そっちから見てもらわないと、ちょっと意味がわからなくなっているかもしれません。
 もちろん、これは勝手に書いているだけなので、人によって様々な解釈があると思いますし、そういう風に多様な解釈ができるのは、歌のいいところです。

『モーターサイクル』
 どんな年齢層が見てもわかりやすいようにと、男性ボーカルっぽいなりきりな文面で書いておきます(笑)

 * * *

【1番】
 ※どこかの屋上で、歌手と少年が出会う場面をイメージ。

 寝て起きて働いて、その繰り返しの毎日。お前は、生きていてもしんどいだけだって思っているけど、違うんだよ。

 ――何も感じないから、そんなこと思っていないよ。ただ退屈なだけ。

 え、違う? 何も感じない? あっそう。でもな、「鈍感」と、何も感じない「不感」は違うんだよ。
 そういえば先日、起きたら胸が痛かったけど、気づいたら忘れていた。これも心配だから病院行っておくよ。時間という代償が痛いけど、仕方ない。だって、身体に何かあってからじゃ遅いからな。

 ――別に、死ねるならそれでいいじゃん。生まれたことに何の意味があるの?

 死ぬ死ぬ言うな。昨日があって今日があって明日があって、それはずっと続いていくんだから、退屈だとか言わずにまあ生きてみたら?
 何で生まれたかなんて考えたって仕方ないぜ? どうせ、どっかの誰かがもう散々考えてんだから。

 ――でもな……。

 何が言いたいのかわかんねえよ。生きるのが退屈だとか、今の生活に意味がないとか言うけど、「意味がない」とか現実見すえてるフリしてるなら、慰めの言葉もねえよ。
 けどな、お前の一見その生気のなさそうな、やる気のない目。その奥に、何か思っていることがあるんだろう?

 * * *

【2番】
 ※どこかの屋上の手すりを乗り越えている少年の所に、歌手がたまたま通りかかる場面をイメージ。

 今日も会ったな。
 なんか、友達の新車のバイクが事故で潰れたんだってさ。あいつ、それで悔しがって泣いちゃってよ。バカみてえ。
 ……なんて言ってみちゃったけど、泣きたい気持ちは人それぞれだよな。俺がこんな風に思うのも、人の色んな感情を歌詞に乗せて表現するアーティストだからかもしれないな。前に言ってた「鈍感と不感」の使い分けってやつだな。

 ――それって辛くないの?

 やり場のない怒りとか、やるせない悲しみとか、どうしようもない辛さとか、色々あるだろうけど、それでも生きていなきゃなんねえんだよ。俺たちは。
 生まれたからには生きとかないとな、だって、そういうもんだろ?

 ――その後、友達はどうなったの?

 レッカーが来て、バイクは廃車になって。まあ、保険とか入ってたし、大きすぎるような問題もなかったみたいだけどな。
 まったく、イカロスとは違うな、全然。

 ――イカロス?

 ギリシア神話さ。蝋で作った翼で飛び立ったんだ。地球にゃ重力があるんだから、そんな馬鹿なことあるかっての。空なんて飛べるわけねえ。まあ、理想だろうな。

 ――イカロスはどうなったの?

 調子乗りすぎて高く飛んだせいで蝋の翼が溶けて、落っこちて死んだ。
 ま、理想を見続けて死んだんだな。俺らは死ねない、日常を過ごし続けなきゃいけないから、死んだイカロスとは違うってわけだ。
 さっきのバイクの話にしても、誰が弁償してくれんのって感じの事故だったらしいし、友達は結局自分で尻拭いさ。

 ――事故の相手方は居なかったの? そいつに払わせればいいじゃん。

 まあ、そうなんだろうけどな。相手がややこしい人だったみたいで。

 ――曖昧なのは良くないと思うな。

 いいじゃん、曖昧でも。そこで争って、後で目つけられて何かされても困るじゃん。それなら、引き下がって安全に過ごせる方を、俺だったら選ぶかな。友達のその判断に、俺は拍手を送りたいくらいだよ。
 ところで、学校のクラスメイトとは上手くいってない感じ?

 ――あいつら、馬鹿だしうっとうしいもん。そろいも揃って同じようなテレビで見た話題ばかり出したり、その癖、変にいがみ合ったり、ケンカしたり。集団っていう群の中で居心地のよさを感じてるだけなんだよ。ああ、この思い、どこにぶつけたらいいのかな……

 俺には関係ないことだな。ま、がんばれよ。手伝う気もなけりゃ、お前の助けになる方法もないけどさ。まあ、いいんじゃねえの?
 毒にも薬にもならない感じで、害のないよう、クラスで、みんなの端っこで、一人何も考えずへらへら毎日過ごしてしてたら。
 わかったら、ほら、屋上から降りて来いよ。
 わざわざ今死ぬことないだろ? どうせそのうち人間死ぬんだからさ。

 ――それって、いつの話だよ。いつまで苦しめばいいんだよ。いつまであいつらに白い目で見られ続けたらいいんだよ?

 あー、前も言ったけど、そんなん考えても意味ないって。どうせ誰かが議論し尽くした後だろうからさ。
 な、お前泣いてるんだろ? お前は、変に大人ぶって、何でもかんでも合理的に堅苦しい答えを出そうと散々してきただろうけど、それは嘘っぱちだったんだ。もうわかってるんだろ? そうやって、答えの出ない問いを考え続けても意味がないって。そうやって、死ぬことに意味なんてないって。
 みんなに、やる気のないヤツとか言われても――お前はほら、生きてんだ。そうやって、泣いてるんだからさ。

 ――でも、しんどいよ。みんなのようには生きられないよ。絶対、僕のこと変なやつって思ってる。

 いちいちうぜえヤツだなお前。とりあえず、家帰って飯食って寝ろ。
 誰かになる必要なんて、皆にあわせる必要なんてこれっぽっちもないんだよ。どうせ、お前はお前で、誰にもなれないんだから。
 それに、誰もお前のことそんなに気にも留めてないと思うぜ? 人間ひとりなんて、たかだか知れてるんだから、みんなの目なんて気にする必要ねえんだよ。それに、周りは馬鹿なんだろ? 馬鹿は何もわかってないんだから、なおさら気にする事もねえ。
 ほら? 考えたら、生きにくい世界でもないだろ。他の奴らの視線に怯える必要はねえんだよ。

 ――そう、かな……

 あ、勘違いすんなよ? 今のお前に言ったんじゃなくて、俺自身に言い聞かせてただけだから。相槌もいらなかったくらいだ。そもそもたいしたこと言ってないしな。
 けどな――ほら、手を貸してやる。この手をとってくれても、とってくれなくてもどっちでも別に俺には関係ないんだけどさ。

 ――僕、生きていていいのかな?

 やかましい。他のヤツはほっとけ。そもそも、俺以上にたいしたこと言ってない。
 お前は、考えすぎなんだよ。俺も、周りのヤツも、この世界も、すべてたいしたことない世界なんだよ。そんなたいしたことないもんのためにあれこれ悩んで、たった数十年ぽっちの命を捨てるのもめんどくさいだろ。

 ――そう考えるの、いいね。

 ああ、やる気のない目したお前にぴったりの考えだ。とりあえず、へらへら生きてみな。
 日常は繰り返す。つまんないことの連続だったりする。モーターサイクルみたいに周り続けるんだ。俺たちはただそれを、へらへら過ごすだけさ。難しく考える必要もないんだ。


 適当な駄文並べてすみません。でも、この歌を聞いていると、上記のようなイメージが頭に浮かぶんです。あと、歌を聞きながらこれを書いていて気づいたのですが、この歌そのものが終わりのメロディと、頭のメロディと繋がってエンドレスでぐるぐる聞けるような構造を取っていて、まさに曲名の「モーターサイクル」に相応しいものになっています。
 「死んだ魚の目」というフレーズだけ聞いて、「ニートは生きるなって言ってるのか」と批判している人も居るらしいく、そもそもそれを聞いたからこの歌の歌詞も気になっていたのだけど、これはそんな歌じゃないですよね。
 突き放すけれども、受け止める優しさ。ある意味で、不器用です。けれども、この歌は藤原さんからの「生きろ」というメッセージなのだと個人的には解釈しています。

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