序章 『おわりのはじまり』
「キミは、不老不死を信じるかね?」
「……いえ、私はあまり」
シャンデリアの装飾がやけに輝いている。きらびやかな装飾は虚栄心の表れともとれる。
目前の男は煙草を取り出し、ライターを探すそぶりを見せる。火をつけろ、ということなのだろう。
「どうぞ」
「ああ、すまんな」
火をつけると、男は煙草を口にくわえた。しばしの、沈黙。
男の意図がわからない。なぜ、ここに呼びつけたのだろうか。
「昨日、テレビを見た」
「珍しいですね」
「俺だってテレビくらい見るさ。人並みにな。問題はテレビを見たことじゃなくて、その番組だ」
ああ、なるほど。
この男はテレビに影響されて、不老不死の話を持ち出してきたのだと気づく。
「人魚の特番だったのですね」
「ご名答。世界各地の人魚の伝説を取り扱っていたが、特に目を引いたのは日本の沖縄県にある南月島というちっぽけな島だ。そう、ちっぽけな島なんだよ」
ちっぽけな島。男は繰り返してみせた。
「遥か昔、それこそ日本が今の日本という国の形をとっていなかった頃から、人魚のミイラが島には伝わっているそうだ」
「由緒正しいミイラなのですね」
「そうだ。伝説も伝わっているそうだ」
そこで男は言葉を切った。
何か意見が欲しいのかもしれない。けれど、男は別段、気にした様子もなく続けた。
「なぜ、数千年前から祀られている人魚が今さらになって、メディアに現れたのだろうな。不思議だ。実に不思議だ。そう思わんかね。なあ、キミ」
男の意図が理解できた。だから、返す。ただ一つの言葉を。
「……わかりました。すぐに沖縄県南月島に向かいましょう」
迅速な回答を聞き遂げると、男は満足気に頷いてみせた。
不老不死の謎が手に入るなどと、男が本心から考えているのかはわからない。
ただ、何かしら不可解な点があの島には存在する。それだけは、わかった。
男から例の番組を録画したテープを借りて自室へ戻る。最初から順に、早送りすることなく見ていく。人魚の伝説のテロップが入り、人魚のミイラが映し出される。
やがて番組は一段落つき、合間に流れたコマーシャルが目についた。それは、今夏ロードショー予定の『人魚の涙』のワンシーンであった。
綺麗な人魚が一人、海の底で歌っている。
主演は何といったっけ。有名な女優だけど、興味がないから忘れた。忘れたのではなく知らないのだから、この言葉は正しくないのかもしれない。
狭いブラウン管の中で、人魚は歌っている。綺麗な声で。自らの想いを。
人魚は歌っていた。清らかな、けれども憐憫を孕んだ声で。その、孤独を。
――どこまでも続く青い空。
――それをいつまでも見ていられるのなら、どれだけ嬉しいだろう。
――どこまでも続く青い海。
――そこで好きなだけ泳いでいられるのなら、どれほど楽しいだろう。
――青い空と青い海。
――そこで好きなだけ生きてもいいのなら、とても幸せだろう。
――私には自由に動くための身体がある。
――私には幸せを感じるための心がある。
――けれど、私には自由で幸せに生きるための権利がない。