第一話 『出逢いは突然に』

 今より遥か遥か昔、不漁が続き、島に餓死が続ゐ(い)た。
 此の侭(このまま)では皆死んでしまふ。
 或る漁師が魚を求め、濱(はま)を歩ひてゐた。
 漁師は濱に、珍妙なる美女が打ち上げられて死んでゐるのを見つけた。
 麗しき乙女では有つたが、四肢は無く代わりに魚の如き尾鰭(おひれ)が着いてゐた。
 之の人魚を篝火にくべ、社をこさへて祀ったところ、不漁は終り島に平穏が戻つたと云ふ。
 ――南月島の人魚伝説。

 *

「暑いわ。もうほんま、暑いわ。俺、ティーシャツにこんな短いズボンなんやで。これ以上、薄着しろ言われても無理やから、地球が俺に合わせるべきちゃうん?」
「……うるさい」
「ええやん、翔。暑いもんは暑いんやから。暑いときに暑いって言いたくなるんは万国共通、人間の心理や。心理には逆らったらあかん。うちのばっちゃんも何かそう言ってた気がするで」
「気がするだけだろ」
「わはははっ! 気のせいやったわ!」
 ピーコは軽快な関西弁で笑った。
 俺とピーコは同じ大阪の大学に通っている。入学以来という比較的短い期間の付き合いなのに、ピーコとは何でも話し合える。今では親友と呼んでもいい、大切な友だちだ。
 しかし、親友とはお互い何でも知っている仲のことを言うが、親友の俺にも解けない謎はある。これは某小学生探偵もびっくりの現代のミステリーである。簡単に言えば、なぜ大学の皆にこいつがピーコと呼ばれているかというただそれだけの謎なので、別にどうだっていいと言えばどうだっていい話だった。
 驚きと言えば、もう一つある。ピーコの容姿が非常に優れているということだ。ピーコというあだ名の響きからオカマキャラのあの有名人をイメージしてしまいがちだが、こいつはそれと正反対に位置している。一言で形容すると、かっこいい。二言目を発するならば、イケメン。  つまり、俺のようなもてない男にとっては憎むべき存在であり、もっと言ってしまえば、世の男すべての敵である。言わば俺とピーコは前世から戦うことを宿命づけられた仲なのだ。
「せやけど、翔。ほんまによかったん? 長居させてもらうことになって」
 ピーコはひとしきり笑った後に、真顔で質問してきた。
 無神経だと思っていたが、案外、気にしてくれていたことに俺は驚いた。
 男の敵であるはずのピーコが俺の敵でないのみならず、親友であり続けるのはこの憎めない性格のせいだろう。関西人という人種がそういうものなのかと考える者もいるだろうが、そんなことはまったくもってないと断言できる。
 関西人も関東人も、そして沖縄人も同じ人間だ。これは国籍が違ったって変わらないはずだ。アメリカ人もイギリス人も、そして日本人も同じ人間なのだから。
 人種によって、ある程度の性格の差は出るかもしれない。だけど、怒りっぽい人がいて、落ち込みやすい人がいて、いつも楽しそうな人もいる。人というのは千差万別で、性格なんてそれこそ人の数だけある。朗らかな、人好きのする性格はピーコ自身のものである。関西人であるからだとか、そんなことは絶対ない。
「やっぱ、悪かったやんな……」
 考えすぎるのは俺の悪い癖だ。取りとめもないことを考えている俺を見て、ピーコは勘違いしたようだった。
「翔は親戚やけど、俺なんて赤の他人やし……あっちゃー、失敗したかあ」  そんなことはなかった。俺がピーコを誘ったのだから。
 親戚がホテルを経営することになったから泊まりに来ても良いと言われたが、一人で行くのもつまらない。そこで一番仲の良かったピーコをとっ捕まえたわけである。ピーコは何も悪くはない。
「大丈夫大丈夫。アルバイトっていう名目ももらってるしさ。アルバイトする代わりに泊まるって考えたら、気兼ねすることないと思うぞ」
 申し訳無さそうなピーコの様子を見て、俺は慌ててフォローを入れた。
「いや、そうやなくて。あんな豪華そうなホテルやろ。その見返りのアルバイトって……めっちゃしんどそうやん。激務ちゃうん?」
「ほんと簡単なアルバイトらしいし、嘘を言うような人じゃないって。大丈夫だ」
 ピーコはその言葉を聞くと安心したのか、ぱっと顔を輝かせた。
「いやあ、よかったわ! タダより高いもんはない言うしな、心配しとってん! いやあ、よかった! 楽しみやな、めっちゃ楽しみ!」
 無神経だと思っていたが、案の定、その通りだった。
 ピーコは目をきらきらと輝かせた。比喩ではなく、本当にきらきらしていると言っても過言じゃないくらいの喜びっぷりだった。
 どうやら、申し訳ないというわけではなく、本当に、正真正銘、申し訳無さ“そう”なだけであったらしい。

 九州最南部に位置する鹿児島南埠頭。
 県内でも主要の港であり、奄美大島を主として、近隣の島へも多くのフェリーが出ている。
 今日は八月二十五日。夏休みも残すところあとわずかだ。この夏最後の旅行のためか、港は大勢の家族連れや学生たちで賑わっていた。俺たち二人もそんな人々の例にもれない、旅行客の一員であった。
 フェリーの切符売り場に向かい、島の名前を眺める。種子島、屋久島、桜島、硫黄島、いくつかの見知った名前の中にそれはあった。
 南月島。少し洒落た名前を持つその島が今回の俺たちの旅行先である。
「ねえちゃーん、南月島行きチケット野郎ニ人で!」
「性別は言わなくていい!」
「あ、そうやった。うっかりうっかり。じゃ、ねえちゃん。チケット大人ニ人や」
「お客様、チケットは券売機で購入するシステムとなっております」
 冷ややかな表情でお姉さんが指さした先には、『チケット販売機』と書かれていた。
 “ボケ”がピーコで、俺が“ツッコミ”なら、このお姉さんは、あの“ボケ殺し”と呼ばれる芸人泣かせに分類されるだろう。
 ちなみにお姉さんの座る窓口の上には、『案内所』としっかり書かれていた。俺は“ツッコミ”でも何でもなく、立派な“ボケ”の一員となっていたようだ。これでは“ボケ”の二乗、上乗りである。
 無知もはなはだしい。観察力のない自分が恥ずかしい。せめて、お姉さんが笑ってくれれば、漫才として成立するのに。世間の風は冷たいもんだ。などと馬鹿げたことを考えてしまっている時点で、俺は沖縄出身ながら関西文化にちゃっかりなじんでるのかもしれない。
 俺は沖縄県那覇市で生まれて、金城翔(きんじょうしょう)の名を授かった。しかし育ちは大阪であり、俺は沖縄人でもなく関西人でもない。
 父は沖縄人だが、母は東京の生まれである。母の標準語が染みついた沖縄顔の俺は日系沖縄人などと仲間内では称しているが、これが誰かにうけた試しはない。残念なことに、俺にお笑いのセンスは皆無のようだった。
 沖縄県というのは不思議なもので、あちらもこちらも金城さんが多い。血のつながっていない金城さんのほうが多いのは一目瞭然で、数えるとしたら血の繋がった金城さんだけを数えたほうが早いに違いない。
 沖縄の家は大きく、一つの家に何家族か入っていることも珍しくはなかった。我が家もその例に漏れず、一つの家に、じいちゃん、俺たち一家、親父の弟の一家が住んでいた。俺の家族は父、母、子の三人。親父の弟一家は父、母、子のこちらもやはり三人であった。
 やがて、親父の転勤によって、俺たち一家は大阪へ引越すことが決まり、今にいたる。
 一昨年、親父の弟の娘、つまり、俺の従姉である昌子(しょうこ)姉さんが結婚した。相手の名は安里林昌(あさとりんしょう)と言う、気さくないい人だ。昨年、じいちゃんが亡くなったときにも葬儀の場で金城家を支えてくれたのみならず、俺のことも色々と気にかけてくれている。本当に優しい人だ。
 その林昌さんの仕事がホテルの経営であり、昨年末には南月島にホテルを経営することに決まった。子供も生まれたと聞いているし、林昌さんも昌子姉さんは幸せの絶頂にいることだろう。
 俺は林昌さんと昌子姉さんの誘いを受けて、大阪から遠路はるばる、初めて見る島を訪れようとしている。初めて見るのは南月島だけではない。二人の間に生まれた子供の顔も初めて見るのだ。胸も高鳴る。なんだか、わくわくしてきた。わくわくしてきたせいか、暑い。
「暑いな……」
 思わず一人ごちたのを、ピーコが聞き逃すはずがなかった。
「ほれ見てみっ! お前も暑いって言うとるやないか! 俺のことばっかり言われへんでー!」
「いやまあ、それはそれってことで……でもほら、大阪よりましだろ?」
「何わけのわからんこと言うてごまかしとんねん。前後の文章のつながり、おかしいやないか」
 ばれていた。
「まあええわ。せやけどやっぱ、翔の言うように、大阪よりずっとましやな」
「だろ? 大阪のじめっとした暑さと違って南の方はまだうっとうしくない気候と言うべきか」
 俺たちの住む大阪は、暑い。
 ヒートアイランド現象が進んでいるため、人の集まる都会は温度こそ高くはないが、湿度の高さは相当なものである。東京に並んで、日本でトップクラスであるらしい。
 確かに、鹿児島は暑い。温度で言えば大阪を上回るだろう。しかし、大阪の暑さはうっとうしい。その暑さに比べれば、今感じている暑さは耐えれないようなものではなかった。
 ……たとえ、一時間でも。
「あーあ、一時間なあ。きっついわあ、きっついねえ、きっついのう。あ、アイス、翔! アイス食おうや、アイスアイス!」
「あ、待――」
 一方的に言い切って走っていくピーコを追いかけようとしたとき、ポケットに入れていた携帯電話が軽快なメロディを奏で始めた。
 毎週のオリコンチャートにも名を連ねる、今人気浸透中のアーティスト、沖縄事変の新曲である。今夏ロードショーされている大ヒット映画『人魚の涙』の主題歌にも使われていて、新曲のタイトルも映画と同名のものが使われていた。
 液晶画面には『安里林昌』と表示されている。噂をすれば風が吹いた、とかそんなことを考えている場合じゃない。
「もしもし、翔です」
「林昌だよ。翔くん、そろそろ、南埠頭に着いた? 予定通りに来れそう?」
「大丈夫、問題ない。林昌さん、夜遅くになってごめん。ちょっとこっちも都合でこんな時間になっちゃってさ」
「いいよいいよ、こっちは全然気にしてない! わざわざ手伝いに来てもらうのにさ。じゃ、待ってるよ。昌子も早く会いたがってる。島に着いたらもう直接、ホテルのフロントまで入ってきてくれていいから」
「わかったよ、林昌さん」
 短い電話を終えてみると、ピーコの姿はもう見えなかった。あの馬鹿は確か、アイスを食べようとか言っていた。アイスが売っている場所といえば、港という限られた場所では売店の他にないだろう。
 すぐに俺は売店を目指そうとしたが、場所がわからない。
 近くには案内所がある。案内所といえば、案内をしてくれる場所だ。英語で言えばインフォメーションセンターだ。  インフォメーション。この情報社会のご時世、情報なんてそれこそ無料で手に入る。案内所はお金がかからないし、誰でも利用できる。そう、利用できる……わけないだろう。さっきあんな恥ずかしい真似をやらかしたのだから!
 案内所には変わらず、冷ややかな目で俺を見つめるお姉さんの姿があった。ピーコ、いっぺん死ね。
「お連れさんでしたら、こちらを出られて真直ぐに行かれましたよ」
 お姉さんが静かに俺に声をかけてくれた。憤る俺に、優しく、けれども、哀れみをこめた目で。その顔には、職務という二文字が如実に浮かんでいた。
 思いきり、気を遣わせてるじゃないか。ピーコの馬鹿野郎。いっぺんどころか、二度くらい死ね!

 売店につくと、ピーコはアイスクリームを美味しそうに頬張っていた。
 ピーコは、俺の顔を見つけるや否や、手首にまいた腕時計をちらほらと見始める。時間を確認しているのだろう。さらにピーコは、俺の顔と腕時計を交互に見る。俺、腕時計。俺、腕時計、俺、腕時計。
 これがとどめとばかりに、かかとを重心につま先を地面に下ろす。上げる、下ろす、上げる。こう言えばわかりやすいかもしれない。足をぱたぱたさせていた。
「何だよ、待ち合わせ時間に遅れた俺を待ってたみたいな顔すんなっ! てか、わかりにくいネタすんなっ!」
 流石にピーコの思惑が読めたので、思わず突っ込んでしまった。
「もお、翔くんったら、遅いー。やんなっちゃうー」
「うるさい、待ち合わせも何もしてないだろっ!」
 よくもぬけぬけと言ってくれる。俺が案内所でどれだけ恥をかいたか知っているのか。
 俺はピーコの頭をはたいた。ツッコミじゃなく、半ば本気で。
「痛いって! 悪かった悪かった、ごめんあそばせ」
「きゃははは、漫才よ、漫才!」
「ほんと。相方さんは関西弁じゃないけどね!」
 おどけながら謝るピーコに、聞き覚えのない声が二つ重なった。
 誰? 今までピーコに気をとられていて視界に入っていなかったが、ピーコの隣には二人の女の子が座っていた。
「いや、迷子なってもうて、この子たちに道聞いとったら何や仲良くなってもうてな」
 こんな短距離で迷子になってたのか、お前は。
 過去何回かピーコと遊びに行って、何度かこいつが迷子になった場面はあった。しかし、こんな限られた範囲の場所で、短時間に迷子になるとは思わなかった。
「こんなとこで迷子かお前は!! どこの幼稚園児も迷子にならんぞ!」
「またって何やねん! 五回くらいしか迷ったことないわ!」
「五回でも多いし、お前は五回程度におさまらないだろっ。生ぬるい、一桁増やしてしまえ! 五十回に訂正して、神様に嘘ついたこと謝れ、めっちゃ謝れ!」
 そこまで言って、くすくすと笑っている子たちのことを思い出した。
 セミロングとショートヘアーの二人組である。歳は俺たちと同い年か、少し下か、少なくともそれほど変わらないことに間違いは無いだろう。
 こうして改めて見ると、二人ともなかなか可愛い。別に狙っているとかそういう意味では断じてない。二人を言葉で説明しろと言われたら、その単語が真っ先に思い浮かぶ。次に思い浮かぶ単語は、色白。二人はそろって白く透き通るような肌をしていて、この炎天下の空の下には輝いて見えた。ここから出るフェリーは全て南の島へと向かう。行き交う人々もそれに似つかわしく、浅黒く、日に焼けた人が多かった。
 二人がこの港にいるということは、いずれかの島へと向かうということだろう。観光地は様々な場所があるが、中でも今もっとも注目を集めている島は、南月島だ。もしかしたら二人は――
「えっと、自己紹介ですね?」
 セミロングの子が俺の視線に気づき、隣の子に照れたような視線を送る。
 どうやら、俺の視線を自己紹介の要求だと受け取ったらしい。少し見つめすぎたらしい。また考えすぎる癖が出てしまった。次からは気をつけねば。
 ショートカットの子が、セミロングの子の視線を受けて、すくっと立ち上がる。
「はい、私! 長野県から来ました! 岩倉恵美(いわくらめぐみ)って言います! 大学では日本文学を専攻しています。ちなみに大学二年生です! メグって呼んで下さい!」
 はきはきとした、わかりやすい自己紹介だ。転校生の挨拶の模範例にしてもいいくらいだと俺は心の中でこっそりと褒める。
 どうやら明るい性格のようだ。恵美、めぐみ、メグ。わかりやすいニックネームである。
「私は高倉望(たかくらのぞみ)って言います。恵美と同じ大学です。ノゾって皆に呼ばれてます」
 望、のぞみ、ノゾ。こちらもわかりやすいニックネームだった。
 ノゾからは大人しい印象がした。真面目そうな感じで、だけども愛嬌のある子だった。
 ノゾもメグも同じように色白である。二人とも色白なのはやっぱり雪国の育ちだからだろうかと考えたところで、フェリーの汽笛が聞こえた。どうやら、南月島に向かうフェリーが到着したようだ。
 行き先が違えば、この場限りの別れである。けれども二人の女の子の視線は俺に自己紹介を促していた。
「あ、私たちも南月島へ行くんです。雑誌とかでも最近取り上げられてて、若い子にすごく人気なんですよ、あそこ」
 ノゾは丁寧に教えてくれた。
 行き先は同じということは、乗るフェリーも当然同じだ。長い船旅の道連れが増えたことは素直に嬉しい。退屈な長旅もこれで潰せるというもの。
「俺は金城翔(きんじょうしょう)。ピーコと同じ大学に通ってるんだ」
 そこまで言って、ピーコという呼び名が二人に通じるのか疑問に思った。
 二人は一瞬、首を傾げたが、ピーコがすでにフェリー乗り場へと向かっていたので、俺たちは会話を中断すると慌ててその後を追った。
 何せ、この狭い場所で迷子になるようなやつである。放っておいたらどうなったものか分かったものでない。これに乗り過ごしたら到着は朝になってしまう。それは流石にごめんだった。もしもピーコが迷子になるようなことがあれば、そのときはピーコを置いていこうと、俺は強く心に誓った。

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