終章・コリン視点『ひとつの終わりのカタチ』

 はっと目が覚めて、飛び起きる。レースに行かなければ!
「ははは、また夢か……」
 思わず独り言を述べ、散らかった一人暮らしの室内を見渡した。
 そして、お気に入りのスポーツウォッチを見ると、寝過ごしていたことに気づき、慌てて飛び起きて支度をする。父さんの店に行かなければ! 俺は慌てて家を飛び出した。
 シンガポールを発ち、もう三年が経とうとしている。
 日本の暮らしにすっかり馴染み、ここ閑静な桃ヶ崎の心地良さにしっかり居座ってしまった。
 桃ヶ崎は外国人の多い街で俺も住みやすかったし、日本語もすぐに覚えることが出来た。
「コリン。明日はバレンタインデーだからな、今日のうちにしっかりやっとかないときつくなるぞ」
「わかってるよ、父さん」
 父さん、と呼んだ。
 実父と、そして実母との再会はとてもあっさりしたものであった。きっかけさえ掴めば、後はもう早かった。日本に来て、桃ヶ崎のアクセサリショップを探し、そこが親戚の経営する店であり、親戚から両親は洋菓子屋を営んでいると聞き、その場所へ向かった。
 再会した両親は、俺はもう死んだものだと考えていたらしい。俺は誘拐されたのだそうだった。桃ヶ崎に潜む星龍の連中は、医療機関に潜伏していて、そこで、白虹石の影響を受けて不思議な能力を持つに至った子供たちを秘密裏に捜していた。そこで見つかったサンプルはシンガポール本国へと送られ……超能力の開発に利用される。
 俺もその一人だったそうだ。俺を誘拐した人は、顔なじみだったらしい。彼女もまた、罪悪感と抗えない運命(組織には向かえば家族ごと消されると脅されていたと聞いた)の間で、ずっと悩んでいたのだろう。
 そうじゃなかったら、俺にまつわる情報を誰か(この場合はシルヴィアさんだ)に話したりはしなかったに違いない。あるいは、たかだか飛行機で隣になった人間がここまで星龍に携わることになるとは思わなかったか。
 どちらにせよ、その彼女の悩みはあの飛行機事故で本人ごと消し飛んだ。結果的に、彼女の家族は生き長らえることはできたのだが、果たしてそれが幸せだったのか。
 星龍が壊滅した今となっては、わからない。
「おい、コリン! ぼうっとしてんじゃないぞ!」
「ご、ごめん、父さん」
「コリンの腕前は確かなんだからな。跡継ぎとして期待してるんだぞ」
 父さんはそう言って、屈託なく笑う。
 父さんは自分のつけた名前ではなく、シンガポールでの俺の名前で呼ぶ。父さんも、母さんもだ。
 三年前、偽のビザをこしらえてもらって日本にやって来た俺は、実のところ、コリン・ロウでも、片山青二でもない。もっと、別の何の感慨もわかない適当な名前だ。
 だから、俺はコリン・ロウをここでも名乗っている。どうせ、軌道に乗ってしまえば、役所などの公の場所以外でビザに載っている名前を用いることもない。
 俺はビザに掲載された偽の名前を用いつつ、この桃ヶ崎に潜伏した。
 両親と再会した後で、スネイナに協力する理由も義理もなかったのだが、アランのことがある。また、エイドリアンが今度は星龍と闘うメンバーに参加してしまった。エイドリアンこそ、星龍の技術の粋を集めて生み出された兵器だったと聞いて、俺は驚いたが、まあ、あいつがどんなバケモノじみた力を持っていても、俺はあいつのことを怖がったりなんかしない。
 記憶を失ったのは、やはりそのあたりの事情らしい。アンナもまた、虹の欠片の一員であり、それらの人々は多かれ少なかれそういう要素を持っているとのことだった。そして、エイドリアンもアンナは記憶を取り戻した。エイドリアンについては特筆すべきこともなかったが、アンナについてはやはりというか、当然というかティナおばさんの血縁であった。俺はあれから会ってはいないが、今はアニキのお店を手伝っているという。人と人の繋がりは、不思議なものだ。
 問題は出生の秘密を知ったエイドリアンが、自分と同じような被害者を出さない為に星龍と闘う決意をしたことにある。大組織に立ち向かうのに、個人では敵うはずがない。スネイナはエイドリアンを中心に、星龍に恨みを持つメンバーで。レジスタンスを結成した。レジスタンスの名前は「アメイジング」である。構成メンバーは、あのレース会場に居た者も多く含んでいる。その所持能力は大小あれど、みんな何らかの超能力に目覚めており、目印として鎖骨のあたりに痣のようなものがあった。
 ここにきて、星龍は動き出した。敵の存在に気づいたのだ。
 この状況下で、目立たずに水面下に居たのは俺だけだった。たまたま、タイミング良く桃ヶ崎に入り込んだために、俺は諜報員としての役割を果たすことができた。星龍に怪しまれるわけにはいかず、俺はエイドリアンと接触することはできなかったが、それでも俺は影から志を共にしていた。
 あるとき、メンバーの一人が死んだと聞いた。
 あのレース会場に居た、ロジータだ。一度会っただけの人間だが、あんな年端もいかない少女が犠牲となったことに、俺は憤りを感じた。だが、俺はこの場を動くことはできない。前線に立って、闘うことはできないのだ。悔しかったし、歯がゆかった。自分は要らない人間なんじゃないか、とそんなことさえ思った。
 そんなときに、届いた手紙。エイドリアンからの手紙だった。
『親愛なる友へ。全ては、もうすぐ終る』
 俺の情報が決め手だったとのことだ。
 星龍のトップは、フィルだった。アルの親友の、あのフィルだ。あのとき、アルは国際警察から情報を盗もうとしていたらしいが、結果としてそれは失敗していたどころか、俺がシンガポール警察でその顔を見ていたからこそ、全ての情報をひとつに繋げることができた。ばらばらだった点を結び、線を作る。こうして、浮かび上がった真実の果てに、星龍は滅んだ。
 すべて終った、と言われても何の感慨もわかない。
 桃ヶ崎では、白虹石の発掘がされなくなっただけである。シンガポールでは星龍は潰れても、その下っ端だった連中が新たにマフィア組織を作り上げており、何だかんだ抗争は続いているが、俺たち『虹の欠片』にとってはそれはもう関係のないことだった。後はシンガポール警察の仕事である。
 すべてが終った今。
 俺は、シンガポールに帰るべきなのだろうかとも思うが、今戻ると再びこの桃ヶ崎に戻って来れないんじゃないかという不安もあった。父や母を、もう二度と失いたくない。
 自分が何者かと悩んだこともあった。シンガポール警察で急激な胸の痛みに襲われて以来、俺はモノを浮かしたり、変形させることができた。これは、いわゆるサイコキネシスといった類の超能力である。
 これは俺だけではなく、スネイナやレース会場に居た者たちもそういう風になってしまったらしかった。スネイナは「共鳴したせいで、目覚めた」と言っていたが、正直なんのことだかわからないし、今はもうわかりたくもない。
 情報は色々と仕入れたが、俺が理解できたのは、桃ヶ崎で採掘される白虹石が、人の脳に何らかの影響を与え、それを星龍が悪用して生物兵器を作ろうとしていたことだけである。俺たちはその被害者だ。
 白虹石にまつわる伝説は、桃ヶ崎の至る所で聞ける。流星の町、とも言われており、隕石信仰ののこる神社なども点在している。
 桃ヶ崎には星龍の手の入っていない状態でも、俺と同じように不思議な能力を扱える人間も何人か存在していた。彼らと連携し、協力を促していくことも俺の桃ヶ崎での任務のひとつだった。なにせ、俺たち『虹の欠片』と呼ばれる超能力者は糖分を多量に必要とするのだから、洋菓子屋でそういった特殊な嗜好の持ち主向けのメニューを作っていれば、自然と超能力者は俺の周りに集まってきた。
 今、星龍が壊滅してからは、皆ひっそりと能力を使わないようにして生きている。
 ありがたいことに、うちの店の常連で固定客だ。この分なら、バレンタインデーが雨で売り上げにダメージを与えられても、十分持ちこたえられるほどに。
 そう。明日の天気予報は雨のち曇だった。
 その夜、雨が降った。予報より一日早い。
 明日はバレンタインデーだというのに、世の恋人達はかわいそうなものだ。まあ、そんなことより心配なのは、やっぱり店の売り上げ。
 そのことを考え、俺にはやはりこの道しかないな、と再認識した。

 *

 翌朝、雨はかろうじて上がっていた。もしかしたら、このまま晴れてくれるかもしれない。
 俺はお気に入りのペンダントをつけ、ジャージを着る。どうせ、制服は店で着替えるのだから、ラフな格好だ。手短に用意を済ませて、一人暮らししているボロアパートを出た。
 俺はいつも、歩いて店に向かう。大きな公園が店までの途中にあり、その中心には湖がある。昨日の雨のせいで、ちょっと寒い。俺はガマンしきれず、湖の側にある自動販売機でホットコーヒーを買った。
 そのとき、だった。
「変わってないな、コリンは」
 懐かしい、声がする。
 三年。たった三年だ。それでも、歳月は等しく流れているはずなのに、見違えた。
「エイドリアン……」
 身長が劇的に伸びたとか、筋力がついたとか、四肢を失っていたとか、そういった変化ではない。
 その顔つき、身にまとった雰囲気。そういった全てが、あの泣き虫で優男だったエイドリアンのそれではなく――変わっていた。どうしようもなく、変わっていた。戦場における兵士の顔、と言えばしっくりくるか。
 エイドリアンにこんな顔をさせるくらいに、星龍との闘いは激しかったのか。
「エイドリアン……」
 その過酷さを思うと、涙が溢れてくる。
「泣くなよ、コリン」
 ふっと、エイドリアンは微笑み、俺を強く抱きしめた。
「僕も変わっていないよ。最後まで変わらず人間でいることができたのは、コリンの存在のおかげだよ。ただちょっと強くなっただけで、僕はいつまでも僕のままだ」
 エイドリアンは根っこのところでは変わっていなかった。
 いつまでも、エイドリアン・ヤップのままだろう。そして、俺たちの友情も変わらない。
「エイドリアン……お前も泣いてんじゃねえか」
 俺はそう言って、震えるエイドリアンを抱きしめる。
 朝の湖のほとりで、俺たちは再会の喜びを噛み締めた。ふと、エイドリアンの肩越しに、見えたものがある。
「おい、エイドリアン。見てみろよ」
 エイドリアンは視線をあげる。
 俺たちの視線の向こうには、虹の橋が架かっていた。もちろん、白い虹ではない。七色の虹である。
「きれいな、虹だな」
 エイドリアンは微笑んだ。そして、思い出したように言う。
「そうだ。レースの皆も日本に来てるんだよ」
 白かったキャンパスに、色が溢れていく――ふと、そんなことを思った。
 俺という人間は、ひとりだと真白だった。そこにエイドリアンが居て、アルが居て、色んな人が居て。初めて色彩を帯びて、輝く。
 人と人の関わり。それがなければ、何も始まらない。
 今、俺がこうしてこの場所にいるのも、三年前の中止になってしまったアメージング・レースがきっかけだった。あのレースで出逢ったすべての人たちのお陰で、俺は今ここに居る。それは、奇跡と呼ぶべきかもしれない。
 そうだ、奇跡(アメージング)だ。ここに至るまでの、すべてが。
「なあ、コリン。あの続きをやろうと思うんだ。あのレースを。アメージング・レースを」
 そう言って、エイドリアンは右手を差し出す。
「チーム組んでくれるよな?」
「ああ、もちろんさ!」
 俺はその手を強く握り返した。
 俺たちのアメージング・レースはこれからも続いていく――。

 ――完。

←序章・コリン視点2へ  トップへ→
inserted by FC2 system