21.ルーの切り札
むせかえる、血のにおいがあった。
しにがみ兵との戦闘を終えて、少し洞窟を進んだ先で、道がぽっかりと開けた。地殻の変動か、あるいは人為的なものなのか、そこは明らかに「広間」として機能するだけのスペースをもって、あたしたちの前に現れた。
血だらけの、カイルと一緒に。
「カイル!」
叫んで駆け寄ったのは、あたしだけだった。クライスはあたりを睥睨したあとに、すらっと剣を抜いた。
広間の中央に、カイルはうつぶせに横たわっていた。流れている血は、もう少し固まっている。その上から、塗料を重ねるように、泉がわくように、どんどんどんどん新しい赤が流れてくる。
「カイル! カイル!」
叫んで、首に手をやった。弱いけれども、まだ脈動はある。
「無事か?」
抜き身の剣をぶら下げて、油断のない足取りでクライスが近寄ってくる。あたしはかろうじて首を縦に振って、腕まくりをする。左腕の刻印が発熱する。
「息は、ある」
「助けろ」
助かるか、という質問ではなかった。ひざまずいたあたしと、倒れ伏したカイルを見下ろして、クライスははっきりとあたしに命令したのだ。
「当たり前でしょ!」
出し惜しみしている場合じゃない。心臓が跳ねる。回る回る動力炉。あたしという銃身のなかで、魔力が暴走を始める。
あたしにできる最高の治癒呪文を、全力で展開する!
「ベホマ……か、それ」
「そう。ね、ごめん、あんまり話しかけないで」
クライスが絶句するのは当然だ。本来なら一流の僧侶じゃなきゃ体得できない最高の治癒呪文を、あたしなんかが使っているんだから。
左腕が焦げ付く。血が蒸発していく。あたしの体があたしの魔力に耐えられていない。それでも、やめるわけにはいかない。流れ出ていくカイルの命と、あたしが注ぎ込む魔力の量。悪いほうに天秤が傾けば、カイルは死ぬ。
「させない。そんなこと、絶対に!」
「じゃあ、そっちは頼んだぞ、ルー」
呟いて、クライスは刀を持ち上げた。
「それまでは、俺がなんとかしておいてやる」
闇しかない洞窟のなかで、あたしの灯す魔力のあかりしかない状態で、クライスの下げた刃がひどく不気味に光っていた。
「広間だからな。魔物もよく集まる」
え、と顔をあげたあたしの視線の先に、数匹の魔物がいた。
「なるべく早く治療を終えろよ。カイルを襲ったやつが来たら俺じゃ耐えきれん。早いとこ、その馬鹿起こして撤退だ」
先手を打って、敵の注意をあたしやカイルではなく、自分に向けるつもりなのだろう。突進するクライスを制止しようとして、口をつぐんだ。
正しいのはクライスだ。あたしは、クライスを信じて、あたしのできることをやるしかない。
でも。
「――あ、つ」
皮膚が悲鳴を上げる。あたしの回復が、カイルの体力の低下に、ぜんぜん追いついていない。食い止めているだけ、すこしだけ命を引き延ばしているだけ。全身に寒気が走った。助からない。このままじゃカイルは助からない。
「死ぬんじゃないわよ、カイル!」
声を張り上げる。死なせない。こんなところで、死なせてなんかやらない。村に帰って、一発殴る。このばか、一回本気で怒らないと反省しないから。
こんな薄暗い洞窟じゃなくて、太陽の光のある、あの村で、ちゃんとお説教してやるんだから。
「だからカイル、お願い!」
それでも、顔から色が失せていく。間に合わない。間に合わない。間に合わない。あたしの魔力じゃ足りない。これだけの魔力じゃ足りない。もっと一度に、爆発的な魔力を注ぎ込まないと、カイルは戻ってこない。
でも、そんな魔力はどこにもない。
その時、クライスのうめきが聞こえた。戦っている。クライスも必死で戦っている。ほら、剣戟が起こす風が、いまあたしの白い髪を揺らして――。
「髪?」
無意識だった。ずっと、物心ついたときからそうしていた。だから、気付かなかった。だから、思い出せなかった。
あたしには、まだまだまだまだ、使っていない魔力が、ある。
「魔力の、膜だ」
アルビノ個体を日光から守るために、ラルハンドが受け継いだマジック・フィールド。魔力そのものを放出することによって自分だけの領土を世界に顕現させる、外法の荒業。
それはすなわち、魔力の貯蔵庫。
「洞窟の中、お日様には、しばらく当たらないものね」
力がわいてくる。希望が見えた。大きく息を吸って、ありったけの魔力を、もう一度手のひらに総動員する。
今度は、あたしの周りを漂っている、この無益なフィールドごと、全部。
「魔力の膜、解除」
アルビノを守る、最後の膜。あたしの無形の魔力で作り出した、あたしだけのフィールド。
「全部あんたに譲ってあげる」
ぽたり、と汗が落ちた。カイルの白い顔を、この網膜に焼き付けて――。
「だから起きなさい、カイル!」
自分であげた大声とともに。
ルーミー・ラルハンドの、正真正銘、すべての魔力を注ぎ込んだ治癒の祈りが、広間全体を押し包んだ。