24.カイルの謝罪

 寝ているルーの方をなるべく見ないようにしながら、オレはクライスに今までの経緯を語った。
 一人でこの試練の洞窟に来たこと。道に迷ったこと。青い人馬のバケモノに殺されかけて逃げたが、落盤にあったこと。
「お前、落盤って――」
 一瞬絶句し、続ける。
「よく生きてたな。さすが、害虫なみの生命力」
「自分でもそう思うぜ……って言いすぎだろ!」
 すまん、と笑うクライスを見て、ようやく実感した。
 ああ、オレは生きているんだと。
「だけどさ、なぜか出られたんだ。傷だらけだったけどさ」
 クライスは少し悩むような表情を見せ、思い当たったようにポンッと手を叩く。
「地の精霊だ」
「精霊?」
「さっき使ってただろ、地の初級呪文。今まで使えなかったのを使えるようになったってことは、地の精霊と契約できたってことだろ? ここにきてお前が苦手だった呪文をポンと使えるようになったのは、ここが何か特別な場所だとかいうのは無いか?」
 魔法使いではない俺にはよくわからないが、とクライスは付け加えた。
「ここが特別な場所……」
 クライスの言った想像を反芻する。
 逃げてみた小道は土砂に埋もれていたが、進みやすかった。まるで何か舗装されたかのように。
「あー、わからないけどさ。ほら、ここってサンヴィレッジで昔は試練の儀に使用されてたわけだし」
 確かに、ここは古くからサンヴィレッジの成人の儀に用いられてきた由緒ある――いや、あった場所だ。何かがあってもおかしくはない。
 呪文を覚える、ということにはある種の条件がある。一人前の魔法使いになる前に、世界の源たる四大精霊と契約を結んでおく。あとは、戦いの中で呪文が身につくのをひたすら待つ。

 火、地、風、水。すべてで四つ。
 呪文はこれら単体か、何種類かの複合によって生じる。
 人によっては絶対に相容れないものもあって、その系統の呪文は扱うことができないということも大いにありうる――と、親父が言っていた。これはその人の性格か、性質か、何なのかわかんないけど、なんというかとにかく相性なんだそうだ。
「オレ、火のほかは覚えられないもんだと思ってたんだけどな」
「呪文が苦手なお前がメラを唱えたときには、俺も他人事ながらちょっと感動したな」
 クライスはしみじみと言う。
「馬鹿のメラ覚えとか親父に言われたことあったな。オレが扱える攻撃呪文がメラしかないってバカにしやがって」
「お前の親父さんは全系統の呪文を扱えるからな。お前にも同じことを望んでるんだろうが……親はいつでも勝手だよ」
 最後は不貞腐れたように呟く。クライスは足元にあった石の破片を拾うと、手の中で遊ばせる。
 サンヴィレッジを出る前に、オレの親父に何か言われたんだろうなと思った。それに、クライスは多分、自分の父親のことも言ってるんだろうなと思う。
「確かに親父は全系統を扱えるけどさ、水系統のヒャドだけは苦手だぜ。えらそうに言うなら、その道極めてから言えってんだ」
 あまり愚痴を言っていると気が滅入ってきそうなので、強引に話題を元に戻す。
「ここが特殊な場所でそのため呪文を習得しやすかった……クライスの割にはなかなか面白い想像だな」
「ん、そうか? つーか、クライスの割にはって何だよ。馬鹿にすんな」
 クライスの悪態を無視して続ける。
「人によって呪文を覚えるタイミングが違ったり、覚えられない呪文があったりするのは、育ってきた環境に左右されるっていう説もあるんだってさ。火の精霊に加護されやすい環境、地の精霊に加護されやすい環境とか色々あるらしいんだ。もしかしたら、その環境ってのには、洞窟とか、そういう地の精霊が好みやすい環境も含んで、特にこの試練の洞窟はそれは強いんじゃないかなって思うんだけど……なんだよクライス、その顔は」
 クライスが唖然としていた。見てはいけないものを見てしまった、みたいな顔をしていた。
「おまえ、長い説明できたんだ」
「できて悪いか」
「案外ちゃんと勉強してたんだな」
「してて悪いか」
「……信じられん。あほだとばかり思ってた」
「うるせえ! 誰があほだ、誰が。それに、好きで覚えたわけじゃないさ。嫌でも覚えるっての!」
「すまんすまん」
 とクライスは笑った。この笑顔をクライスは父親のいる場面では絶対に見せない。オレは喧嘩していても、父親の前で笑うこともあるっていうのに、クライスは違う。こいつの中ではやっぱり、兄貴のことが、家のことが気にかかってるんだろうなあと思う。
「ま、カイル。難しい考察は横に置いておこう。とにもかくにも、お前が生きていたことが俺は嬉しい」
「ん、ああ、ありがとう」
「ただ、ここから出たら一発殴るけどな。俺も」
「それくらいは」
「愛用の木刀で」
「いや、それはちょっと」
 他愛無い冗談を言いながら、クライスは改めて切り出した。
「カイルが見たっていうモンスターだが、そんなものがサンヴィレッジの周りにいるっていう話は聞いたことない」
 青い人馬の形相を思い出し、それを慌てて振り払う。二度と見たくねえ。
「ああ。この辺りの生態系には含まれていないだけじゃなく、親父の講義の中でも一度も出て来なかった。ただ……」
「ただ?」
「あの強さ、あの恐ろしさ。あれは、伝説に残る魔界のモンスターっていうやつかもしれないと思うんだ」
 噂には聞いたことがあるし、時々、親父もそういった類のモノがいるとは嘯いていた。
 そんなものいるはずがない、とクライスは一笑しかけたが、真剣な表情に戻る。
「それが魔界のものかどうかはさておき、お前が死にかけたことは事実だからな。なまじ馬鹿にもしていられない。それに、他のモンスターも集団で襲ってきた。この平和な世では考えられんことだ」
 かつて、魔族の王がこの世界に現れ、魔物の群れが人々を襲うようになったことは大人たちから聞いている。戦乱の世。たくさんの生命が散って行った、恐ろしい時代だ。
 だけど、オレもクライスもルーもその時代を知らない。平和なこの世界しか知らない。
「さて」
 クライスは立ち上がり、上ってきた崖を見下ろす。オレもその隣に移動して真似して覗いてみた。
 真暗で、下は見えなかった。上るのでもいっぱいいっぱいだったのだから、下るのはもっと辛そうだなと思った。
「……魔物の襲撃の原因はわからない。ただ、今からこの崖下に戻るのは危険だと思う。いつ魔物の群れに襲われるかもわからない」
「オレも賛成だ。あの青いバケモノにまた会うなんてイヤだぜ」
「だったら」とクライスは振り返る。オレもそれに倣う。横穴に視線が辿りつく手前にルーが寝ているが、それはなるべく見ないようにして。だって、女の子の寝顔見たら悪いじゃん。
 ルーを通り越した視線の先には、ぽっかりと空いた横穴があった。比較的新しい、横穴。魔物の抜け道としても使われていないような抜け穴が。
 それは見覚えがあった。実際に覚えがあるというよりは、既視感のような。
「あそこだな」
「ああ。あれしか、道はないわな」
 ふと、気づいた。無事に脱出できるかどうかもわからないのに、オレの声にまったく震えがない。一人で洞窟を奥へ進んでいたときのあの心細さがない。
 ――心強い。これが仲間というものなのか、とオレは改めて認識した。
「ルーが眼が覚めたら、行こう。それまでひとまず、お前は休め。ルーもお前も、魔法力を養う必要がある」
「だけど、クライス」
「俺は大丈夫だ。戦士だからな」
「……ありがとう。ごめんな」
 礼を言うのか謝るのかどっちかにしたらどうだって思われそうだけど、その言葉しか見つからなかった。
「カイル。この先きっと、魔法使いとしてのお前が必要になる。お前は嫌かもしれないが、接近戦だけでは限界がある。武道家としてではなく魔法使いとしてのお前の力を、貸してくれ」
 言われるまでも無く、そのつもりだった。
「ああ」
 頷き、眼を閉じる――意識は一瞬にして闇の中に沈んでいく。疲れのせいというよりは、安心したせいかもしれなかった。心の中で改めて、礼を言う。
 クライス、ルー。ごめんな、ありがとう。

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