08.英雄の最期

 ライアンの私物となっていた“空飛ぶ靴”を使って、二人はイムルの村近くにそびえたつ“湖の塔”の最上階までやって来た。
 塔からはイムルの村がよく見える。川を挟んでバトランドの城もよく見えた。
「ホイミン。イムルだ」
 ライアンはホイミンを振り返り、言った。
「どうだ。ひさしぶりだろう。懐かしいか?」
 いいえ、とホイミンは首を横に振った。亜麻色の長髪が、風にさらさらと揺れた。
「む。何故だ。お主の故郷だろうに。懐かしくないわけがあるまい」
「故郷とは帰るべき場所のこと。私にとっての故郷とは、ライアンさまの居る場所です」
 額にかかった髪を掃いながら言うと、ライアンは釈然としない様子を見せた。
「そんなことを言ってからに……お前は私の召使いか?」
「ええ、ええ。私はライアンさまの召使い<<サンチョ>>でございます」
「サンチョ?」
「私たちの言葉で、付き従う者という意味です。私は、ライアンさまのお陰で世界を見ることができた。ライアンさまにお会いすることができなければ、私はひとりでは怖くて地上に上がることすらできぬまま、井戸の底に留まり続けたでしょう」
 人間になることもなかった、とホイミンは細い身体を抱きしめるようにして呟いた。
「ふむ。そこまで想ってくれるのはありがたいが……私は自分のことくらい自分でできる。召使いなど不要だよ」
「さようですか?」
「ううむ。よし、じゃあ、命令しよう。お前は細すぎる。もっと食って、もっと太れ。そのままじゃ折れそうだ」
 ホイミンはきょとん、と自らの身体を見下ろした。
「あと、その髪の毛だが、ええい、うっとうしい。男ならば短く刈りそろえよ。私のようなヒゲも生やせば、なおのこと男らしかろう」
 ライアンの冗談を聞いて、ホイミンはにこやかに微笑んだ。
「善処いたしましょう」
「うむ。ではいくとするか」
 十年ぶりに見たライアンの背中は、少し小さく見えた。

 塔を降りようとして、ホイミンは気づいた。
「ライアンさま!」
 慌てたように声を張り上げたホイミンを見て、ライアンは眉間に皺を寄せる。
「敵が、敵がいます」
「魔物の気配はせぬが……」
「私もまだ図りかねていますが、これは確かに悪しき気配……元は同族だった私ですら、かろうじてわかる気配です」
 ホイミンはそう言うと、周囲を警戒し始めた。ライアンもその視線の先を追う。
「何もないぞ、ホイミン。考えすぎだ」
 そう述べたライアンだが、ホイミンは軽い悲鳴をあげた。
「壁です! 壁を見て下さい!」
 何のへんてつもない、壁だった。少なくとも、ライアンにはそう見えた。
 しかし、一寸の後にそれはとんでもない勘違いであったことをライアンは知る。
「こ、これは……!」
 慌てて、奇跡の剣を抜刀するライアン。
 壁が見る見るうちに盛り上がっていく。いくつもの隆起ができ、それらが分離しようとうごめく。
 一瞬、だった。一瞬の後に、壁が次々と姿を変え、何十という数の魔物へと変化した。
「こ、このような魔物……見たことが無い!」
 悪魔<<デーモン>>という呼び名が相応しかった。
 強いて言えば、魔界の魔物たちに酷似していた。鋭くとがった頭角、禍々しいまでの牙、そして、人を不恰好に真似たような二足歩行――。
 悪魔の群れは、ケタケタと哂っていた。
「虚仮にしおってからに!」
 ライアンは奇跡の剣を一閃する。太刀筋は光のごとく煌き、悪魔の身体を縦に断ち切った。
 年老いたとて、ライアンは世界を救った英雄らが一人である。その太刀筋は衰えることを知らない。ホイミンは心の底から、ライアンという人間の強さに畏怖した。
 しかし、壁から生まれ出る悪魔の数は留まることを知らない。
 ライアンは、生まれ出る悪魔を斬った。姿を現す度に、斬った。完膚なきまでに、この世に塵すら残さぬ勢いで、斬った。斬って、裂いて、断って、その邪悪なる命を絶ち続けた。
 しかし、悪魔の数は増えるばかりである。減ることもなければ、その出現も止まることは無い。
 ライアンは肩を切らせて荒々しい息をしている。鋭い眼光は、悪魔の群れを見据えたままだ。一部の隙も許されない。
「ライアンさま……」
 ホイミンは何もできない自分の弱さが、悔しかった。
「ホイミン」とライアンは口を開く。
 悪魔の群れとは膠着状態が続いていた。
「キメラの翼はちゃんと持っているな?」
 ホイミンは背負った荷物袋に手をやった。確かな感触がそこにある。
 中には“天空の盾”と、旅に必要な道具が詰まっているのだ。効果こそ以前とは違うものの、キメラの翼は直前の街まで使用者を運んでくれる。
「あ、あります」
 ライアンはホイミンに視線を向けない。
 悪魔の一匹がまた、ライアンとホイミンに飛び掛る。
 その身体に、奇跡の剣を叩き込み、次に続いた悪魔に更なる一撃を加える。
 しかし、疲れが太刀筋をにぶらせたのか、悪魔は絶命しなかった。今際の攻撃を繰り出し、ライアンの腕に鋭い爪痕を残す。ライアンは鮮血をほとばしらせながら、悪魔の身体に止めを刺した。
「ちと歳を取り過ぎたか……」
「ラ、ライアンさま!」
「来るな」
 慌てて駆け寄ろうとしたホイミンを鋭く制する。
「ホイミン、戦士ライアンの最期の頼みだ……。バトランドに戻ってくれ」
「そんなことできるわけがないでしょう!」
「良いから聞くのだッ! お前はバトランド中の戦士と商人に連絡をし、用意できるだけの聖水を持って来い。そして、この塔の周囲の湖を聖水で清めよ」
 悪魔は塔から出れなくなるからな、とライアンは眼前の敵を睨みつけた。
 その背に翼はなかった。悪魔は聖水で清められた湖を越えれない。無数に生まれ出ようとも、イムルの村に辿り着くことはできない。
「しかし、ライアンさまを置いていくなど――」
「たわけが!」
 叱咤が飛ぶ。
 叱咤しながらもライアンは悪魔と剣劇を繰り広げていた。
 奇跡の剣は、屠った獲物の数だけ持ち主の傷を治癒し、疲れを軽減させる。その加護すら、もう間に合ってなかった。
 ホイミンは回復呪文の使えない自分の弱さが憎かった。こんなことなら、ホイミスライムのままで良かったとさえ思った。尊敬すべき戦士の役に立てない自分を憎んだ。
「聖水を持って来い、ホイミン!」
 ライアンはそんな心中を察したのか、戦いながら吼えた。
「また魔物になるなどと言うなよ! お前が戻るまで、悪魔の群れを押さえ込んでやる!」
 戦士の叫びであった。
「お前に、人間の強さってものを見せてくれるわ!」
 ライアンは喉を悪魔の鉤爪にやられ、血の泡を吐いた。
 しかし、反撃を叩き込み、その勢いで後ろの悪魔の群れを横一閃に凪ぐ。
 満身創痍で戦い抜く英雄の姿をしっかりと瞼の裏に焼きつけ、ホイミンは空飛ぶ靴を放り投げた。
「私は、強い人間になります。ライアンさまのような、強い戦士になります」
 ホイミンは光の筋となり、塔から姿を消した。

 *

 ほどなく、バトランド中に知らせが出され、国中の商人から大量の聖水が集められた。
 選りすぐりの兵を集めた軍隊がその日のうちに設立され、聖水は湖の塔まで運びこまれ湖は清められた。
 悪魔は塔から出られなくなり、当面の危機は脱することができた。イムルの民はその間にバトランドへ避難することができた。
 しかし、ホイミンがバトランドの軍隊を率いて、塔に到着したときには国王ライアンはその使命を終えていた。その生命と共に。
「ライアンさま……あなたは、あなたこそが、まさしく戦士でした」
 悪魔が一斉に生まれ出たことは、ブオーンがこの世界に現れる前兆である。
 ホイミンは決戦の時が近づいていることをひしひしと感じ取った。
 だから、涙を拭って声をあげた。
「国王は、討ち死にされた!」
 動揺する兵たちを尻目に、ホイミンは強く声を張り上げる。
「世界が平和になった暁には、ここに教会を建てよ! それまで、王はここにひとりで眠る。王の御霊を鎮める教会が建ったときこそ、平和が訪れた証と思え!」
 ホイミンは、腰に差した縦笛をすっと取り上げると、口にあてがった。
 優しい音色が流れる。ライアンへの祈りであった。
「しばらくは、塔へ立ち入るな。悪魔の塔<<デモンズタワー>>は、ただの人間には立ち向かえぬ。“導かれし者”ですら絶てなかった群れを、一介の兵が倒せると驕るな」
 兵たちの中には国王の仇を討ち取ろうと躍起になる者も少なからず居た。
 ホイミンは、伝説を越えて神話にまで昇華された“導かれし者”の名を出すことで、それに釘を刺した。反論する者は誰もいなかった。
「……私は亡き王の遺志を果たすべく、北へ旅に出る。皆の者よ、忘れるな。王の勇猛な姿を、王の勇敢な魂を、王の愛したバトランドを!」
 バトランドの偉大なる王にして、勇猛なる戦士ライアンは没した。ひとつの伝説が今、死んだ。
「強くなりたい」
 ホイミンは誰にも聞かれることなく、そっと呟いた。
 世界に平和を、人々には愛を――ホイミンは強く決意した。
 そして、すべてが終わったらバトランドに戻ろう。自分の悠久の生命はきっと、偉大なる戦士の子々孫々を見守るためにあるのだから。
 目を閉じてライアンに想いを馳せたホイミンは、未来の体系のがっしりした自分がライアンに良く似た黒髪黒髭の男と一緒に旅をしているのを見た。
 願望が見せた妄想だったのだと、ホイミンはその考えをすぐに振り払った。

中書き

 ホイミン=サンチョ説を声高にしたい。すべては、リメイク版5のサンチョの顔グラフィックから始まりました。あの顔はなんと言うか、第一印象スイライムです。それに加えて、サンチョが装備できるものに魔物専用に近いものある点や、人間でありながら、戦い方がどこか原始的で魔物を彷彿させる転など、サンチョの化け物じみた設定からも、サンチョは昔は魔物だったんじゃないかと思わせます。
 そこから出発し、5主人公やパパスへの並々ならぬ情の容れようから、彼ら一族に何らかの縁ある人物ではないかと考え、パパスとサンチョの関係を見た瞬間に「ああ、ホイミンだ」と納得しました。
 サンチョの名前の語源はおそらく『ドン・キホーテ』に登場した召使サンチョに由来すると思われます。要するに、「サンチョ」という名称そのものが「召使い」を意味するわけです。ホイミンは自身を「仕える者」として「サンチョ」と名乗ったのだ、なんて想像しました。
 4時点での「バトランド」とイムル村の「湖の塔」の立地関係と「空飛ぶ靴」の存在。また、魔物が人間をさらうシチュエーション。対する5の「グランバニア」と「デモンズタワー」の立地関係、「空飛ぶ靴」を使わないといけないという点も同じで、またまた魔物にさらわれるというシチュエーションも酷似している。そういった観点から、本章を描きました。



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