歌詞考察『Hello』/flumpool
好きなアーティストflumpoolの中でも好きな曲。
ミニアルバム「unreal」より、「Hello」。最初聞いたときに何かの比喩であるように思えて仕方なかった。
色んな人の意見も聞いているうちに整理したくなったので、まとめてみようと思う。
結論から述べると、これは“誕生”を歌ったものだと思う。
それを宇宙を中心とした表現で比喩している。
* * * * * *
>宇宙服被されてすぐに
>瞼に小さな月が見えた
>そこから宇宙人が覗いている
>拒んでも吸いこまれてく
宇宙服はタオル、小さな月は手術室のライト、宇宙人は助産師をそれぞれ意味する。この歌は、産婦人科の術室での様子を歌ったものであるように思う。
なぜそう思ったかは「瞼に小さな月が見えた」という一文から。そもそも、大人が見るときには月は「瞼に見える」という表現ではおかしい。月は瞳に映るもので、自分自身の眼に映るもの。
したがって、まだ目の開かない、うまくものを見れない赤ん坊のことを歌っているのだと、勝手に想像した。まさに、この考察の第一歩。(平たく言えば単なる妄想なのだけれど。)
では、赤ん坊の視点から考えてみる。今まで、「母親の胎内」という良く知った、安心していられる世界にいたのに、突然、未知の世界に連れ出された。この未知の世界こそが赤ん坊にとっての「宇宙」である。
赤ん坊はタオル(宇宙服)にくるまれて、まだ開かない目をうっすらと開く。そこにいたのは白衣をまとった助産師(宇宙人)たち。赤ん坊にとって、人間そのものが未知の存在なので、宇宙人だった。
助産師は赤ん坊を母親に渡そうと抱きかかえる。赤ん坊はそれを怖がりもだえるが、その小さな力では抗うことなんてできない。ただ、母親の腕の中へ吸い込まれるように移動させられる。
>「Hello」って言って君が笑った
>つり上げられた魚みたいで僕は
>恥ずかしくって泣いたんだ
>氣づけば呼吸をしてた
ここであえて「君」としているのは、先の「宇宙人」との区別のため。「君」は特別な存在、つまり母親であると読み取れる。
母親は「Hello」とあいさつする。(ここがHelloなのは、仮に宇宙に飛び出たとして、地球人が発声する可能性の高い言語が英語であり、英語のうちで最も最初にあいさつとして使われる可能性が高いという条件から。だからこそ、宇宙で誕生を比喩した歌には日本語はありえない。)
赤ん坊(僕)は、ここで産声をあげた。この後の「気づけば呼吸をしてた」で生誕の歌であることがほぼ確定する。
>僕らはみんな生きてるから歌うんだ
>その叫びは歡びか悲しみか
>答えはないけど 探せてはないけれど
>君が笑うから 僕もつられて笑えるんだ
歌う=泣く、と捉える。
誕生の瞬間はみんな、泣く。それは喜びの涙か、悲しみの涙か、その時点ではわからないし、これから生きていく中でしか探せない。
この狭い手術室の中では、少なくとも探せるものではない。ただ、母の笑顔を見て、赤ん坊はほっとして、笑う。
>余儀なく僕はこの宇宙(そら)で
>生を強いられたスターデブリ
>きっと僕が生きる意味は
>生まれた世界にはない
※スターデブリとは、star(星)debris(石の破片)。
つまり、隕石の衝突などで思いがけず発生した星の破片のこと。
望んで生まれたわけじゃない、と長い人生の中でうそぶくことも多々あると思う。何のために生まれたかと、長い人生の中で悩むこともあったと思う。もちろん、解釈しているこの自分自身にもあったような気がする。
望んでもいないのに、思いがけずこの世界に生まれてしまった。
この世界に生み出されてしまった偶然の産物が、僕(赤ん坊)。ただ生まれてしまっただけなのに、必死に生きなければいけない。そんな人生に意味なんてあるのだろうか。
その生きる意味は、無理に探すものではなく、簡単に見つかるようなものではない。あるいは、もしかしたら、死んだ後にこそ見つかるのかもしれない。
>じゃあなんで作られたの?って
>迎えてくれた君を問い詰めても
>ブライトな答えはなくて
>ただただ嬉しいんだって
何で僕を生んだのか、赤ん坊から成長した“僕”は母を問い詰める。
しかし、母は意味のある答えを返すことはなく、「あなたが生まれてきたことが嬉しいのよ」とほほ笑むだけだった。
>僕らはみんな生きてるから歌うんだ
>生まれたことすら時に疑っても
>今でも続く 泣き声は響いてる
>Helloっていうだけでほら つられて笑えるんだ
生まれた直後に泣いたけど、泣くのは当然その一度きりなんかじゃなくて、時に悲しみに、時に怒りに、人は泣く。
生まれたことの意味を考えてみたり、いっそ消えたくなったりしても、あの狭い手術室であげた産声の意味を忘れてはいけない。(泣き声は響いているというのは、今でも生まれた意味、生まれた事実はちゃんと残っているといった意味。)
どんなに苦しくても、あの日、母が「Hello」と暖かく迎えてくれたときのように、今も両親は貴方を見守っている。だから、悩む必要はなく、不安がる必要もない。
両親だけじゃなく、みんな見守ってくれているのだから、決して人は、ひとりじゃない。
>Helloって言ってみんな笑った
>一瞬だけど生まれてよかったって
>どうしようもないこの僕でも
>気づけば呼吸をしてた
あの狭い手術室のときは「Hello」と迎えてくれた母親だけしか頼れる存在はいなかったけど、今は違う。長い人生を送ってきた中で、こんなにもたくさんの人が僕(当時は赤ん坊で、今はもう成長した)を見守ってくれている。「笑う」というのは、「安心させる」あるいは「心配ないと勇気づける」といった意味でとらえれば、意味が通る。
どうしようもない、ダメ人間だと思っていた、もう二度とこの辛い現実の中を歩けないと思っていた自分でさえ、そんな応援のおかげでまた歩き出せていた。(「笑う=心配ないと勇気づける」、「呼吸をする=その勇気づけようとする応援に応じる行為全般」)
>僕らはみんな生きてるから歌うんだ
>その叫びは歓びか悲しみか
>答えはないけど 探せてはないけれど
>君が笑うから 僕もつられて笑えるんだ
歌は感情を表すものだとよくいわれる。きっとこの歌でもそういう風にとらえていいんじゃないかと思う。ここでの「歌」は喜怒哀楽、すべての感情。
人はみな生きているから泣き笑い喜び、そして怒る。
時に喜んで泣いているのか、怒って泣いているのか、悲しんで泣いているのか、それすらもわからないような暗い人生の闇が訪れるかもしれない。
自分が生まれてきた答えを探すのは難しいし、まして、答えなんてないのかもしれない。探すこと自体が間違っているのかもしれない。何が正しいのか、本当に自分ではわからない。
だけど、迷ったとき、悩んだときに忘れてはいけない存在は、両親がいて、家族がいて、友人がいること。あなたを心配する誰かが、たったひとりでも貴方の傍にいるのなら、その応援の声にしっかりと耳を傾けてほしい。
これは、たとえ「自分には心配してくれる人なんていない」って言っている人であっても言える。あなたは自分の狭い世界(それこそ、冒頭の手術室のように)でしかまだ物事を見れていないだけ。これから生きていく中で、大切な誰かがあなたを応援してくれるから、心配せず、不安にならないで、生きていってほしい――……