歌詞考察『オーダーメイド』/RADWIMPS

 とても、好きな一曲です。
 前世の恋人のことを歌った歌だとか、他の歌と関連性があるとか様々な解釈の分かれるこの歌。
 解釈としては大きく三つに分かれると言います。どっかの誰かさんを、「神様」とみなすか、「彼女」とみなすか、「自分」とみなすか。どの解釈をするかは、聞き手によるというのが、この歌の良いところです。
 作詞の野田氏は、神に対してはその時々で微妙にニュアンスを変えて表現しているように感じます。上手く説明できませんが、独特の感性であることは確か。
 また、基本的には率直に思い浮かんだことを歌詞に書く人ですし、ここは単純に「神」として、聞いてみていいような気もします。

 私は、この「オーダーメイド」に対して、恋に失敗した男の人が自問自答しているような印象を受けました。これを突きつめるべく、PVを見てみました。
 PVを眺めていたら、ふと感じたことがあったので、例によって取りとめもないですが、歌詞考察してみます。
 参考程度に、「オーダーメイド」のPVのURLです。主人公の男(子供から老人まで成長していき、また子供に戻る)、別の子供(歌詞で言うところの“どこかの誰かさん”)、女の人の三人が出てきます。
( ttp://www.youtube.com/watch?v=CetVGsV6g44 )

※考察のために歌詞を引用。

>きっと僕は尋ねられたんだろう
>生まれる前 どこかの誰かに
>「未来と過去 どちらか一つを
>見れるようにしてあげるからさ
>どっちがいい?」

>そして僕は過去を選んだんだろう
>強い人より優しい人に
>なれるように なれますようにと
>『想い出』って何だか分かるように

 ここでわかるのは、「僕」は、優しい人になりたかったから過去を選んだということ。(まあ、人間、未来予知なんてものないのが普通で、過去しかわからないですよね。)
 PVでは、「食パン」と「コッペパン」が出てきて、主人公らしき子供(以後、主人公)は、もう一人の子供(以後、子供)から尋ねられ、「食パン」を選びます。PVの中では、食パンを積み重ねる描写が出てきます。コッペパンにはナイフで切れ目が入っています。
 これは、「未来は切り開くもの」なので、コッペパン。「過去は積み重ねるもの」なので、食パン。
 なお、PV内ではこの瞬間に、時計が「11:58」を指しています。

>続けて誰かさんは僕に言う
>「腕も脚も口も耳も眼も
>心臓もおっぱいも鼻の穴も
>二つずつつけてあげるからね
>いいでしょう?」

 PVで、主人公はこの時点で青年に成長しています。
 子供はそのままの年齢です。子供は食パンに2つずつ、サンドイッチなどの具材を載せていきます。これが、腕や脚などの比喩ですね。

>だけど僕はお願いしたんだよ
>「口は一つだけでいいです」と
>僕が一人でケンカしないように
>一人とだけキスができるように

 「僕が一人でケンカしないように」の歌詞の際に、室内のテレビに自分の顔が映ります。
 「一人とだけキスができるように」の歌詞の時に、同様に女性の顔が映ります。このPVで三人目の登場人物の顔です。(大切な女性と、どこかの誰かさんは別人であると判断でき、PVの上では、どこかの誰か=前世の彼女、とは読み取れない。)

 そして、この女性の顔が映っている時に以下の歌詞へと続きます。

>忘れたい でも忘れない
>こんな想いを なんと呼ぶのかい

 即ち、この女性に対して、「忘れたい、でも忘れない想い(=恋愛感情でしょう)」と歌っているわけです。
 この歌詞が終った後の場面では、主人公の室内の時計は「11:59」を指しており、主人公は中年の男性に成長を遂げています。

>少し不機嫌な顔のその人は
>また仕方なく話しはじめた
>「一番大事な心臓はさ
>両胸につけてあげるからね
>いいでしょう?」

 ローストを二枚持って、PVの子供(誰かさん)は言う。
 ここで、この子供はPV開始時点のまま成長していない。
 
>またまた僕はお願いしたんだ
>「恐れ入りますがこの僕には
>右側の心臓はいりません
>わがままばかり言ってすいません」

 このとき、主人公は老人に姿を変えています。そして、老人となった主人公は、「右側の心臓は要りません」と言う。

>僕に大切な人ができて
>その子抱きしめる時はじめて
>二つの鼓動がちゃんと胸の
>両側で鳴るのがわかるように

>左は僕ので右は君の
>左は君ので右は僕の
>一人じゃどこか欠けてるように
>一人でなど生きてかないように

 この歌詞の間ずっと、女性と主人公(このとき、若い姿に戻る=回想)が見つめ合っており、最後に二人とも消える。
 これは、恋の終わりがあったことを表現している。

>忘れたい でも忘れない
>こんな想いをなんと呼ぶのかい

>胸が騒がしい でも懐かしい
>こんな想いをなんと呼ぶのかい

 ここで、また、女性のことを思い返している。

>「そう言えば 最後にもう一つだけ
>『涙』もオプションでつけようか?
>なくても全然支障はないけど
>面倒だからってつけない人もいるよ
>どうする?」

>そして僕はお願いしたんだよ
>強い人より優しい人に
>なれるように なれますようにと
>『大切』ってなんだか分かるように

>「じゃあ ちなみに涙の味だけども
>君の好きな味を選んでよ
>酸っぱくしたり 塩っぱくしたり
>辛くしたり 甘くしたり
>どれでも好きなのを選んでよ
>どれがいい?」

 歌詞ではどの味を選んだかは書かれていないが、PVでは、最後に「ソルト(塩)」を選んでいたように見える。つまり、「しょっぱく」した。
 そして、その瞬間、時計の表示が「12:00」へと変わる。以後、場面が急展開し、様々な映像が移り変わる。テレビ画面の中の景色もどこか色あせているような感じがして、これは走馬灯を表しているのだと思う。

>「望み通り全てが
>叶えられているでしょう?
>だから涙に暮れる
>その顔をちゃんと見せてよ
>さぁ 誇らしげに見せてよ」

>「ほんとにありがとうございました
>色々とお手数をかけました
>最後に一つだけいいですか?

>どっかでお会いしたことありますか?」

 最後の場面は、子供の姿の主人公が、完成したサンドイッチを食べているところで終る。
 ここまでが、PVとあわせて読み取った歌詞の内容です。

 まず、考察を二段階に分けてみます。
 最初に、PV(昨今ではミュージックビデオの略でMV)から。
 時計の表示が、「11:58」の段階は、いわゆる前世。「12:00」になった時点で、ひとつの人生が終わり、新たな人生が始まる。(激しい曲調と共に移り変わる風景は、走馬灯を表現している。)
 じゃあ、「11:58」以後、前世の主人公は何をしていたか。どこかの誰かさん「神さま」にあれこれ注文して、思い通りの自分にして、生まれてきた。
 涙は流せるように、しょっぱいように注文した直後、「12:00」を迎えて、新しい人生を歩み始める――これって、ちょうど誕生の瞬間を表現しているとも思うんですよね。
 生まれた瞬間、おおむね人は泣きます。涙をこぼします。生まれる瞬間、赤ん坊は泣きながら何を思っているのでしょうか。前世のことを思っているのだという人も、世の中には居ますが、実際のところはわからないですね。
 前世の自分は繰り返し、母の胎内でこうやって、神様に色々とオーダーしてきた。だから、生まれる直前に、ふと思い出して、「どっかでお会いしたことがありますか?」となるわけですね。

 ここまでが、PVだけを純粋に見ただけの解釈です。

 野田氏も雑誌のインタビューに対して、「すらすらと出て来た」のように表現していますし、この歌詞そのものはそこまで複雑に考えるものではないのかと思っています。
 ただ、最後の一文、「どっかでお会いしたことありますか?」だけは、考え付くまでに時間がかかったとも述べています。
 なぜか? 歌い方を工夫することで、「どっかで愛したことありますか?」と聞こえるようにしたかったからだそうです。(情報元を失念しました。ご存知の方いましたら教えてください。)
 このあたりを踏まえて、自分はこの歌をダブルミーニング(2つの意味を持っている)と感じました。

 1つ目の意味は上記の通りですが、ここから一歩進めて考えてみます。
 度々、PVに出て来る女性と、歌詞の合間に出てくる「忘れたい、でも忘れない想い」。主人公「僕」は、度々、恋人である女性に想いを馳せています。
 歌詞の流れはすべて、恋人への比喩表現で、恋愛で失敗した後に、悔やんでいる心理状態。
 あれこれと注文をつける自分は、要するに自分のことしか考えられていない。一人勝手な男。それを悔やんでいる。(歌詞から、「過去を見るのは優しい人」で「未来を見るのは強い人」と言う風に読み取れることから、「僕」は、将来を焦りすぎて周囲が見えていないような人。)
 もっと優しい自分でいれば良かった。もっと、こうしていれば良かったと、ひとり悩んで、あの時どうすればよかったのか、どっちの選択をすればよかったのか、どれを大事にすればよかったのか、過去の自分を思い返しながら、過去の自分と向き合っている。
 即ち、歌詞に出て来る「誰かさん」とは、「自分自身」のこと。
 自問自答するが、過去は変わらない。そして、頭の中の自分は言う。

>「望み通り全てが
>叶えられているでしょう?
>だから涙に暮れる
>その顔をちゃんと見せてよ
>さぁ 誇らしげに見せてよ」

 自分のやりたいことを優先してきたために、今という結果(=彼女との恋に失敗)がある。だから泣くなら、もっと堂々と泣け。悪いのは、他ならない自分自身なんだから。
 だけど、それは単なる失敗ではない。失敗は成功の母というように、次また同じようなことが起きたときに、正しい選択ができるようになっているはず。だから、ちゃんとその顔を見せて、と内なる自分は言うわけです。
 そして、主人公の「僕」は、自分自身にけじめをつけ、最後にふと考える。
 あまりにも自分勝手でわがままだったけど、彼女を本当に愛していたか。いや、愛していたとして、それをちゃんと表現できていたか?

「どっかで(ちゃんと)愛したことありますか?」

 自分自身に言い聞かせ、大きく反省する。彼女とちゃんと向き合っていれば、今のふたりの状況はなかった。
 このことに気づき、「僕」は再度スタートを切るわけです。彼女と上手くやり直すために。(ここが、PVで比喩するところの「誕生」ですね。

 以上が、自分の解釈です。
 野田氏は、基本的には実体験にそった歌詞を書く人だということ。また、「神」をあらゆる角度で表現する人だということ。
 今回は、「自問自答している心の中の自分」を「神様(どこかの誰かさん」と比喩し、「PVでの誕生」を「自分自身の再出発」と比喩。

「どっかでお会いしたことありますか」
 ↓
「どっかで愛したことありますか」

 そして、あのフレーズに戻ってみます。

>忘れたい でも忘れない
>こんな想いをなんと呼ぶのかい

 ――愛と呼ぶんですね。
 今までの失敗を生かして、新しい自分(=貴方のことをちゃんと愛せる、優しい人)になって、再出発を切ります。
 誰だって立ち直るときは自分自身。過ちを正すのも自分自身。自分自身を変えるのは自分自身しかない。だから、自分自身に注文して作るのです。だからこそこの曲名、オーダーメイド。

 最後になりますが、この歌詞は様々な解釈があり、その中でも、他の歌と続き物になっていると考える方も多いようです。それも素敵な解釈だと思いますが、自分はこの歌はこれ単独で完結していると思っています。
 他の歌と関連性があるように受け止めた方がいらっしゃるのは、恐らくは、どの歌も実体験をもとにした、あるいは、野田氏ご自身が実際に生きていく中での感性をもとにした歌だからではないかと、個人的には思っています。
 中には、ご本人自身が関連性を示しているものもありますが、この歌ももしかしたらそんな風にいつか関連を持つ日が来るかもしれません。ただ、その日までは、この歌をこんな感じで勝手に自分の中で解釈していたいなと感じました。

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