『ミシアの冒険』――いずれこの村を離れられなくなる前に、世界を見たい。

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概要

 作者は「メイド好き」さん。ミュンメイ氏族の巫女ミシアに焦点をあてた。
 魔法時代の末期、デスティニーギアが起こるよりも前の、歴史に直接関わることのない小さな冒険を描いた話。
 舞台は起伏に富んだ土地、バオウ大陸。
 今回の一件で味をしめたミシアは、後にまた、行商の一行にくっついて旅に出ることになる。

登場人物

■ミシア・エファ・トルティス
 ……ミュンメイ氏族の巫女である少女。幼い割に、しっかりしている。
■リーズ
 ……ミュインメイ氏族の女性。ミシアのお目つけ役。
■シカンダ
 ……ミュインメイ氏族の男性。ミシア従者、リーズに頭が上がらない。
■カーネル
 ……ユシアナ氏族。こそ泥だが、根は優しい男。

ミシアの冒険


 ミュンメイの集落、トルトキス。
 四方を山に囲まれた盆地に、ミュンメイ族の大部分が暮らしている。
 始祖ミュンメイが他の氏族との争いを嫌ったため、外界からの接触を持ちにくいここに居を構えたと言われている。けれどそれ以上に、彼女はこの長閑さに心惹かれたのではないだろうか、と人々は考えていた。
「はぁ……しかし長閑すぎても神経が衰弱しそうじゃのう……」
 簡素ながらも気品漂う玉座にだらしなく座ったまま、一人の少女がぽつりと呟いた。
 白銀の透けるような長い髪、灼けるような紅で切れ長の双眸、そして小さな体躯と巫女装束。
 顔立ちはまだまだ幼く、お世辞にも成人している大人のような凛々しい面相ではなかった。
 色々な意味でその椅子は彼女には不釣り合いな代物だった。とはいえ、ミュンメイの実質的な長の一人である彼女はそこに座っているしかなかった。
 その理由は、彼女の持つ紅い瞳――赤灼眼(せきしゃくがん)にある。
 赤灼眼とはマナを使わずとも見るだけで物を燃やすことができ、その威力も大魔法に勝るとも劣らない。
 始祖が持っていたものと同じ特異な目をもって生まれると、無条件で指導者の任を負わされるのだ。
 男ならそのまま族長として皆を先導し、女なら巫女として崇められることになる。
 故に自由らしい自由もなく、彼女は死ぬほど退屈しているのである。
「暇じゃ……わらわは暇じゃ……」
「はぁ」
 椅子の左側に控えていた男が気のない返事をした。
「シカンダ、わらわは暇じゃと言うておる。外に出せ」
 彼女はシカンダと呼んだ男の方を向き、僅かに睨んだ。
「駄目ですよ、ミシア様はちょっと外に出すと二、三日は行方不明になるんですから。ブリング様……お父上様からも駄目だと言われましたでしょう」
 シカンダはやんわりと、だがはっきりと申し出を却下した。
「……。リーズ、外に遊びに行かせい」
 ミシアは今度は右に立ち尽くしている女性の方を振り向いた。
「ブリング様の命令で、“しばらくは一歩もここから出すな”とのお言いつけを受けておりますので。申し訳ございませんが」
 はっきりとした口調で、何のフォローもなくリーズはぴしゃりと言った。
「うぅ……おんしらは冷たいのう。融通の利かぬ奴らめ……」
 ミシアは玉座に更にだらしなく座り込んだ。
「そうふてくされないでください。そのうち僕からもブリング様に口添えしてあげますから」
 そう聞くや否や、ミシアはがばっと体を起こした。
「なに? まことか!?」
「はい」
 その様子を見てくすくすとシカンダが笑った。
「私も一緒に説得して差し上げます。今は我慢なさってください」
 リーズも先程までの無表情を崩して僅かに笑顔を浮かべた。
「そうか、それなら今は我慢するとしよう。約束じゃからな?」
「はい、約束です」
「勿論です」
 ミシアを見る二人の目はとても優しかった。
 それから幾らかの時間が経ったとき、建物に一人の兵士が入ってきた。見慣れた伝令の兵士らしく、三人は誰も咎めなかった。
「失礼いたします。ブリング様からの伝令でまいりました」
 玉座の数メートル前まで近づくと、膝を折り、手を地に付けて声高に告げた。
「うむ。申せ」
 流石に執務においてミシアは私情を挟まず、凛とした態度で問い返した。
「はっ。シカンダ様とリーズ様に至急話したい議があるとのこと」
 シカンダはリーズと顔を見合わせると、頷いて返事をした。
「分かった、すぐに行く」
「はっ」
 立ち上がって一礼すると、兵士は静かに退出していった。
「さて……僕たちはちょっと席を離れますが、約束は覚えていますよね?」
 ミシアの方を見ながらシカンダは少し意地悪げに言った。
「うっ……わ、分かっておる。おんしらが居らぬ間に外にでたりはせん。約束は絶対じゃ」
「それを聞いて安心いたしました。それでは行きましょうか、シカンダ」
「ええ」
 そして彼らが戻ってきたのは、一時間ほどしてからだった。
「ただいま戻りました」
「申し訳ありません、少し遅くなりました」
 二人は玉座の前まで来ると揃って頭を垂れた。
「まったく死ぬほど退屈じゃった……と、おんしらに愚痴をこぼしてもせんない。務めなのじゃからな」
 そう言ってミシアは苦笑をこぼした。
「申し訳ありませんでした。それより吉報がありますよ、ミシア様」
「?」
 リーズの言葉にミシアは小首を傾げた。
「私たちが、任務でミシア様が外に出られるように取り計らって来ました」
「苦労しましたよ。僕たちがやっとの事で説き伏せたんですから」
「なんとっ! それはまことか!? 偽りではないな!?」
 ミシアは思わず玉座から立ち上がった。
「はい、本当ですとも。その証拠に……どうぞ、これを」
 鎧の懐を探ると、リーズは一本の短刀を取り出した。
「おおっ、これはまさしく“風薙”!」
 風薙(かぜなぎ)とは、ミュンメイが愛用していたと伝えられる恐ろしく斬れる逸物である。
 名前の由来は、見えない大気すら切り裂いてしまいそうな切れ味から来ているそうである。
 それはともかく、風薙を族長から預けられると言うことは、直々に重要な任務を与えられた証なのだ。
「確かに受け取った。おんしら……感謝するぞ」
 風薙を袴に挟み込み、笑顔でミシアが二人の手を握った。

 そして翌日。
 出立の用意を調えたミシアは、外界への山道に続く道で二人に見送られていた。
「もうここまでで良い。おんしらは心配性だからいつまでも着いてきそうじゃ」
 ミシアはそう言いながらもうきうきとした気分を隠しきれないようだった。
「ミシア様、もう一度確認しておきます。今回の任務は人捜しです。小さな村の村長の依頼など受けることは普通ならあり得ませんが、今回は事情が特殊です。行方不明なのが覚醒種となれば、多かれ少なかれ後々問題となるからです。ですから、早期に発見して村の管理下に置かせておかなければなりません。どうかミシア様も今回の任務はお気を付けて――」
「うぅ、もう良い! ……リーズよ。おんしの話は長すぎる。それに昨日も散々何度も聞かされたわ」
 ミシアはため息を付いた。
「そんなわけでわらわはもう行くぞ。なに、さっさと片づけてすぐに戻ってくる。土産を期待しておれよ」
 そう言ってミシアは背を向けて歩き出した。
「はい、どうかお気をつけて」
 シカンダは涼しい笑顔で後ろ姿にそう投げかけた。
「ご武運を。任務の重要性をゆめゆめお忘れになりませんよう」
 ミシアは歩き出したまま、装束の袖をひらひらと振って答えた。
 そして、その背中が遠くなり、やがて見えなくなって。
「………さて、僕たちも行くとしましょうか」
「そうですね。しかし、勘のいいミシア様に気付かれずに尾行など出来るのかどうか……」
「考えてもしょうがないです。さ、行きましょう」
「はい」
 こうしてミシア(と二人)の人捜しの旅が始まった。

 ミシアがトルトキスを出てから、歩き通して半日ほど経った。
 緑が鬱蒼と生い茂る森を歩き、土地の者でないと見分けがつかない獣道をたどり険阻な山道を抜けると、長く伸びる街道の先にオーグの街が見えた。
「ふぅ、やっと見えたか。いつ来てもここまでの道のりは難儀するのう」
 と言いつつも、ミシアの足は一向に速度が落ちる様子はなかった。
 彼女はミュンメイ氏族の中でもずば抜けて体力があった。
 街が遠くに見えてからもさらに幾刻か経って、やがてオーグの街の外壁に辿り着いた。
 出発するときはまだ登ったばかりだった陽は、もう数刻すれば沈みかけるような位置にまで来ていた。
「久方ぶりじゃな……前に訪れたのはちょうど半年ほど前か」
 自身の何倍も高いオーグの外壁を見上げて呟いた。
 近年のマナの異常は多くの生態系のバランスを崩した。モンスターの凶暴化もその一つだった。
 そこで半年前、オーグとトルトキスの同盟を期に、モンスター対策の一環として街に高い壁と門を設けた。他にもトルトキスの周辺に位置するいくつかの村や街も同じような同盟を結んでいる。
 ミュンメイの理念は外部不干渉が原則だが、助けや協力を求む者を無碍に扱ったりはしない。
「あの、失礼ですが。もしかしてミュンメイの炎の巫女様では……?」
「?」
 ミシアが声のした方に視線を向けると、そこには甲冑を纏った男が立っていた。どうやら門番らしい。
「おんしの言うとおりじゃ。わらわはミュンメイの巫女、ミシアじゃ」
 特に隠す理由も見あたらず、ミシアは問われるままに答えた。
 と言うよりも、この街の大半の人は族長ブリングやその娘ミシアのことを知っている。
「やはりそうでしたか。実はあなた様が来たら宿に案内するようにと、先程トルトキスの使いの方から」
「トルトキスからの使い……何者じゃ?」
 訝しげに呟いて、ミシアは器用に片眉だけを歪めた。
「手前は存じません、名前も仰られませんでしたし。けれどきちんと書簡は持っていらっしゃいましたよ」
「ふむ……? 面妖じゃの」
(もしかして父上殿かあの二人の仕業じゃろうか? もうわらわは子供ではないと言うのに……)
 普段から自分を過保護扱いする面々の顔を思い浮かべて、ミシアは更に渋い顔をした。
「とりあえず宿屋にご案内します。どうぞこちらへ」
「……まあ良いか。久しぶりに街を見て回りたいとも思っておったしな……」
「何か仰りましたか?」
「ん、わらわの独り言じゃ。案内を頼めるか?」
「はい、ついてきてください」
 兵士に続いて、ミシアはオーグの街へと入っていった。
 そして、それを外壁の陰から見守る二つの影。
「……やれやれ、素直に宿屋に行ってくれて助かりましたね」
「全く。このままでは私たちの体が持ちませんね……」
「ははは、ミシア様の頑丈さにも困ったものです。僕たちもさっさと宿を取って交代で休みましょうか」
「疲れましたからね」
 二人は肩を並べてそそくさとオーグの門をくぐった。

「それでは失礼いたします」
「うむ。大義であった、感謝する」
 兵士は頭を下げて、静かに去っていった。
 用意された宿は、小さいが小綺麗で雰囲気のいいところだった。
 何者かは分からないが、トルトキスからの使いとやらにミシアは少しだけ感謝した。
「さて、早速街を見て回るとするかの」
 手荷物をテーブルの上に置くと、ミシアはすぐに街へと繰り出した。
 半年ぶりに見たオーグの街並みは、相変わらず活気に満ちているように見えた。
 ユジスタの森の西の玄関口と呼ばれる街だけあって、遠方から交易や商用にやって来ている人も多いようだ。
 夕方の市は時間的に人がまばらとはいえ、まだまだ沢山の店が並んでいた。
「むぅ、珍妙なものが沢山あるのう」
 市を見て回るミシアの目はきらきらと輝いていた。
 一族を束ねるだけの風格を備えていても、やはりまだまだ子供である。
 見慣れないものを見かけてはあちらこちらに目をやり、小さなことに純粋に驚いたりしていた。
 その一挙一動が、小さな体を精一杯使って楽しさを表現していた。
 そうして気分良く見物して回っていると、ミシアの目が見逃せない何かを捕らえた。
「……白い狐?」
 彼女のその紅い瞳に映ったのは、鉄の檻に入れられた白い獣であった。
「おう、お嬢ちゃん。コイツが気になるのかね」
 檻のすぐ隣に座り込んでいた男が、白い獣をじっと見つめるミシアに声をかけた。
 男はミシア二人分はありそうな山のような外見をしていた。
「店主よ、これは……なんだ?」
「これか? コイツはコクレイの子供だ」
 コクレイとは、黒い狐のようなモンスターである。
 しかしその性質は大人しく、人に害を加えるようなことはまず無い。
 故に、人間とは直接争う必要はないはずだが、人間側はそうではなかった。
 このコクレイの毛は上質の毛皮となるのである。そのため一時期乱獲され、殆ど絶滅状態にまでなったことがある程だ。
「コクレイじゃと? でもこやつは真っ白ではないか」
 ミシアは男へ視線を移さず、じっと檻を見つめたまま尋ねた。
 檻の中の白い獣は、明らかに怯えの色を宿して震えていた。
「だから珍しいんだ。お嬢ちゃんは見たところ金持ちそうじゃないか。どうだ? 気に入ったのなら買ってくれよ。こんなのは二度とないぜ」
 男は「がはは」と下衆な笑いをこぼしてミシアにそう言った。
「……こやつの、こやつの親はどうしたのじゃ?」
「親か? ほれ、そこにあるだろう」
「……」
 男が頭上を差した指を追いかけると、そこには真っ黒な毛皮がぶら下げられていた。
「……毛皮にしてしまったのか」
「そうだ。親と一緒にいたからついでに捕まえてきたって寸法だ」
 男は檻をガシャガシャと叩きながらまた笑った。
 小さなコクレイがその度に大きく震えた。
「店主よ」
「なんだ? 買う気になったかい?」
「こやつを逃がしてやってくれぬか」
「は?」
 男がぽかんと口を開けた。
「馬鹿言っちゃいけねえや。こんな珍しい獲物をほっとくなんて出来るわけがない」
「そこを何とか、頼む。まだこんなに小さいではないか」
 ミシアは頭を下げて懇願した。
「駄目だ駄目だ。ほら、買う気がないならとっととよそへ行ってくれ」
 しっしと追い払うように手を振った。
「……分かった」
 ミシアは袴の腰元を探ると、腰に結い付けていた革袋を外し、男へと突き出した。
「これが今のわらわに出せる精一杯の金額じゃ。これでそやつを譲ってくれ」
 ミシアは迷うことなく路銀の全てを男の手へと投げ放った。
「…………」
 男は袋の口を開けると中身を確認してから、にんまりと笑った。
「毎度あり。ほら、コイツは好きにしな」
 乱暴に檻を掴むとミシアへと手渡した。
「恩に着る」
 ミシアは籠を受け取ると、胸に抱えて踵を返した。
 男は受け取った革袋を放り投げたりして、手元で遊ばせていた。
「そうそう。おんしに一つだけ言いたいことがある」
 が、すぐに男の方を振り返って、まばゆい笑顔でこう言った。
「別に生き物を狩るなとも殺すなとも言わぬ、おんしにはおんしの生活があるのだろうからな。生きるためには必要なことだ、偽善を唱える気もない。だが、こんな非力な命を売って金にしようなどと。次にこのような仕打ちをわらわが見かけたら、生きて帰れるとは思わぬことだ」
 灼ける紅の瞳を更に朱に染め、笑顔を消して男の手元をギッと睨み付けた。
 刹那、空気が圧搾されるような不思議な音がした。
「うおっ!?」
 男の手元に炎の柱が上がったかと思うと、あとには“塵の一つすら”残っていなかった。
「肝に銘じて置け。わらわの目の紅いうちは無情な行いなど決して許さぬ」
 肝を冷やしてすくむ男を後目に、ミシアは門の方角を目指して歩き出した。

「このへんで良いか」
 トルトキスからオーグへやって来た道を逆にたどり、近くの森までミシアはやって来た。
 もうすっかり陽は沈んでしまって、空には満天の星が夜空を彩っていた。
 ミシアは適当な場所で胸に抱いていた檻を降ろすと、ゆっくりと扉を開いた。
「ほれ、わらわは怖くないぞ?出てくるが良い」
 草地に膝をつき、檻の奥を覗き込みながらミシアは微笑んだ。
 檻の一番奥では、白いコクレイが体を丸め、耳を垂れて不安そうな瞳で見つめていた。
「……無理もないか。おんしは人に酷い目に遭わされたのだからな」
 口元に苦い笑みを浮かべ、小さく呟いた。
「なあ、おんしは人を恨んでおるか?」
「…………」
 勿論白い獣は答えない。夜の澄んだ風だけが、木々を揺らしてざわざわと音を立てた。
 コクレイはただじっとミシアを見つめているだけだった。
「不思議よの。この風の音が、おんしの悲しい声に聞こえる……」
 その問いかけに答えるように、吹き抜けるような風が更に強く木を揺らした。
「ん。わらわはそろそろ行く。親がなくとも……強く生きるのだぞ」
 優しくコクレイに笑いかけた。
 ゆっくりと立ち上がって、ミシアが背を向けたとき。
「ミュー」
 鳴き声に驚いてミシアが振り返ると、足下に座り込むようにしてコクレイが見上げていた。
「おんし……」
「ミュー……ミュー……ミュー……」
 まるで置いて行かれるのを寂しがるように、何度も何度も白い獣は鳴いた。ミシアを目指して。
「……わらわと、一緒に来るか?」
 しゃがみ込んで、ミシアはその手を差し出した。
「ミュー」
 コクレイはその腕を駆け上がると、ミシアの頭の上に行儀良く座った。
「わっ! ……急に飛び付くでない、驚いたではないか。おまけに、どこに乗っておる」
 ミシアは苦笑も織り交ぜてくすくすと笑った。
「ほら、降り……って、えっ!?」
 頭に手を伸ばしコクレイを捕まえようとすると、するりとその手を逃れて、装束の隙間から服の中へ入り込んだ。
「こら、ちょっと待………ひゃっ!?くすぐった……ぅん! あっ……変なところを!? こここ、こらー!」
 服の中をあちこち暴れ回って、やっとのことで服の中から出てきた。
「うぅ、おんしは! さっきまで泣いてたカラスがなんとやらじゃあるまいし……。まったく、悪戯者め」
 両手で白い獣を掴まえて、顔をつきあわせて呆れたように叱った。
「ミュー」
 分かっているのかいないのか、白い獣は短くそう鳴くのだった。
「やれやれ……。ほれ、おんしはここに大人しく入っておれ」
 そう言うと、着物の胸元に優しく押し込んだ。
「ミュー」
「ふふふ。さて、帰るか」
 懐に小さなコクレイを入れたまま、ミシアはゆったりと歩き出した。
「そうじゃ。おんしに名をやらねばな」
「ミュー?」
 立ち止まり、夜空を見上げて考え込むミシアを獣は不思議そうに眺めていた。
「捻りが利いた名や長ったらしい名は好かぬからな。むー、そうじゃのう……」
 今度は自分の胸元を見下げて唸った。
「……良し、おんしは“ギン”だ! 白いから“白”では芸がなさすぎるでな。分かったか、ギン?」
「ミュー」
 ギンはさっきまでと同じ調子で短く鳴いた。
「……分かったのか分かってないのか、わらわがさっぱり分からぬ」
「まあ良い、これからよろしくのう」
「ミュッ」
 ミシアは再び歩き出した、闇に明かりが浮かび上がる、オーグの街を目指して。

 早朝。まだ空の色合いが、黒と青で優劣付けがたい時間の頃、宿の一室に激しい騒音が響き渡った。
 ダンダンダンダンダンダンダンダン!
 力一杯木製のドアを叩く音に、ミシアはびくりと跳ね起きた。
「な、何事じゃ!? はっぴを着た祭り軍団でも攻めてまいったか!?」
 どうやらそんな夢を見ていたらしく、寝惚け眼をこすりながらベットから飛び降りた。
「ミュー」
 続いて、その騒ぎに銀も目を覚ました。と言っても、相変わらずミシアの懐に入ったまま出ようとしない。
「どこの誰だか知らぬが不躾な奴じゃ! 近隣の者にも迷惑であろう、静かにしやい!」
 ミシアがやや大きめの声で怒鳴ると、ドアを叩く音がぴたりと止んだ。
「……はぁ。で、誰じゃ?」
 朝が比較的弱いミシアは、軽い頭痛に頭を抱えつつ、小さくため息を吐いた。
「はいっ、昨日の商人でございます」
 ドアの向こうからは、はきはきとした返事が返ってきた。
「……なんじゃと」
 ミシアは訝しげに呟いた。
 訝しいも何も、あのことがあってから時間で言えば半日程度しか経っていない。
 胸元の銀を見下ろしながら、復讐でもしに来たのかとミシアは考えた。
 が、復讐ならわざわざ相手を起こす必要は無い。寝惚け頭で考えても理由はさっぱり分からなかった。
「昨日の店主がわらわに何の用じゃ? 奇襲なら相手に悟られぬようにするものじゃぞ」
 昨日のことを思い出して少しむかっとしたのか、痛烈な皮肉を交えて返事をした。
「めっ、滅相もありません。しかし、ここでは話が遠いです。よろしければ中に入れてもらえませんか」
「ふむぅ……」
 相手はあくまで低姿勢である。
 おまけに声の調子から考えて、ミシアにはどうも演技とは思えなかった。
「分かった。少々待っておれ」
「はいっ!」
 ベッドの方に戻り、ミシアはギンを服から出して、布団の中に押し込めた。
「良いか、一応おんしは隠れておれ。決して動くのではないぞ?」
「ミュ」
 ギンは短く返事をすると頷いた……ように見えた。
「うむ、素直な良い子だ」
 頭をひと撫でして、布団をかぶせた。
 そして、テーブルの袋から着替えを取り出すと、おもむろに寝間着を脱ぎ捨てた。
 パサッと柔らかい音を立てて服が床に落ちた。その下には何も身に付けていなかった。
 小さな体躯に相応の、控えめでなだらかな双丘。血が通っていないのかと思うほど雪のように透き通った肌。
 そしてそれらと対を為すように、お腹のあたりにある、醜く付けられた横一文字の裂いたような傷。
 昔に付いた傷のようだが、無垢な少女の肌にはあまりにも痛々しすぎた。
 ミシアは腰巻き、裾除け、襦袢(じゅばん)の順に纏うと、いつもの簡素な巫女装束をさっさと着込んだ。
 最後に風薙を袴に挟み込むと、再びドアに近づいて鍵を開いた。その足で椅子を引いて座り込む。
「入って良いぞ」
 声をかけると同時に、山男のような巨体がドアをくぐってきた。
 間違いなく、昨日の市でギンを売っていた男だった。
「で、どんな用件じゃ? 昨日のことに文句があるなら聞こうではないか。それとも勝負にまいったか?受けて立つぞ」
 男の顔を見て更に不機嫌になったのか、ミシアは鼻を鳴らし、ツンとした表情で厳しく問いかけた。
「いえ、滅相もありません。あっしは……あっしは」
 すると、男は信じられない行動をとった。
 入り口のすぐ側で膝をつき、頭を地面に擦り付けたのだ。俗に言う「土下座」そのものである。
「ちょっ、ちょっとおんし!?」
「申し訳ありませんでしたぁぁぁ!あっしが間違っていました、本当に申し訳ありませんです!」
 「おろろーん」と男泣きとすら取れるような声を上げて、何度も何度も床に頭を叩き付けた。
 当然のごとくミシアは困惑した。
「待て待て、落ち着くのじゃ。わらわには何が何やら────」
「昨日の姐さんの言葉、心に染みました。あっしはなんだか目が覚めた心地がしましたよ、姐さん! 街の人に聞いたら、姐さんがあの炎の巫女様だってことはすぐに分かりました!」
「あ、『あねさん』じゃと……?」
 ミシアは椅子に座ったまま大きく後ろへ下がった。
「へい! あなた様は俺の心の師匠です、女神です、姐さんです! 一生着いて行きます!!」
「待て待て待て待て……」
 土下座を止め、顔を上げてまくし立てる男に、ミシアは力無く呟いた。
「えーっと……とりあえずその『姐さん』と言うのはよせ、むずがゆい」
「分かりました。ではミシア姐(ねえ)さんと呼ばせていただきます!」
「…………はぁ」
 直すべきところはそこじゃない、とつっこむ気力もなくなり、ミシアは頭をうなだれた。
「まあ良い。おんしが改心してくれたのなら、わらわも何も言うことはありゃせん。結局用事は何なのだ?」
「そうでしたそうでした。昨日、姐さんは路銀を全て失くしてしまったはずですよね?」
「わらわが自ら燃やしたからな。びた一文無いわの」
 思い出してハッとした。
 今日の宿代はともかく、これから先の宿代はおろか、食事をするお金すらないのだ。
「……どうでも良いか」
 考え直してどうでも良くなった。いつものように森や河で何かを摂り、適当な場所で野宿をすればいいだけだ。
「そこでです。これを……お納めください」
 男は立ち上がってポケットをごそごそあさると、一つの袋を取り出してテーブルに置いた。
「まさかとは思うが……これは金か?」
「へい。あっしは今まで相当酷いことをして金を稼いでいました。しかし、今となっちゃあもうこの金は使えません。ゼロからの出直しですわ」
 男は照れたように頭をかきながら言った。
「左様か……」
 ミシアは一瞬難しい顔をして考え込んだかと思うと、次の瞬間には柔らかい笑顔を浮かべていた。
「分かった。この金は確かにわらわが預かっておく」
 その話を聞いて、ミシアは突き返すつもりだった袋を手に取った。
「しかしだ」
 いったんそこで短く区切ると、
「この金はおんしが胸を張って誇れるような男になったとき、きっと取りに来るが良い。それまではわらわが大事に預かっておく、分かったか?」
 そう言って悪戯っぽくウインクをした。
「み、ミシア姐さん……! ありがとうございます、ありがとうございます…………」
 男は何度も何度も頭を下げた。
「これで清々しいスタートをきれます。本当にありがとうございました」
 男は部屋の外で、また頭を下げた。その笑顔はどこまでも清々しかった。
「もう良い、おんしの気持ちは良く分かった」
 ミシアは照れくさそうにしながらも、昨日の男の態度を改めて思い出し、苦笑を禁じ得なかった。
「それでは、失礼いたします」
「あっと、しばし待て」
 男が背を向けて歩き出そうとすると、不意にミシアは呼び止めた。
「?」
「大事なことを忘れておるではないか。おんし、名は?」
「……あっしは、カーネルというケチな狩人でさ。ミシア姐さん、お元気で」
「そうか。……運が良ければまた会おうの」
 男はもう一度ぺこりと頭を下げると、ゆっくりと去っていった。
「ふふ……人は変わろうと思えばいとも簡単に変われるものよの。本当に不思議な生き物じゃ」
 そう小さく呟きながらミシアはベットに腰掛けた。
「ミギャー!!」
「あ」
 存在をすっかり忘れていたミシアに腰掛けられて、尻尾を踏まれたギンは大きな悲鳴を上げたのだった。
 そしてミシアの部屋の隣では。
「ふふふ、ミシア様らしいと言うか何というか……」
 普段の鉄面皮を欠片も見せぬほど、リーズはくすくすと笑っていた。
「リーズさん、スープを貰ってきましたよ。少し休憩なさってください……って、何かあったのですか?」
「残念でしたねシカンダ。もう少し早ければ面白いものが聞けましたのに」
「へ?」
 訳が分からず、カップを持ったまま立ち尽くすシカンダであった。

 数日の後、行方不明となった覚醒種を何とか見つけ出してミシアは村に帰った。
 目的を遂げただけではなく、ギンという新たな友達も得ることができて、言うこと無しの成果だったはずだが、ミシアは少し不満げな様子だった。
 今回の任務で、シカンダとリーズが手回ししていたことに気づいたこともあるが、一番の理由は何と言っても……
「やっぱり、外の世界は良いのう。いつの日か、世界を見る旅に出たいものじゃ」
 外の世界への憧れは増す一方であった。
 今度また任務で出るときは、そのままどこかへとんずらしてやろうと画策するミシアであった。


 『ミシアの冒険』――完。


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